@smbrfubuki
苦楽を共にし、同じように笑って同じように泣いたときの記憶。
その時代の記憶は、一生で一度しかないものだから、嫌に鮮明で、そして変わらなくて。
やっぱり、と心の中で呟く。それは相手も同じだったようで、はにかむ様に笑って言う。
「来てたんだね。まあ、そうなるよなあ」
「あの顔ぶれで来ないわけないわな」
雑居ビルの5階にある店だと聴いていた。エレベーターは中途半端に古く、非接触のボタンは感度がかなり悪い。足元のカーペットめいた薄汚れた布はもはや踏むのも躊躇うほどだ。文字盤の前で何度か5の文字を押しながら、二人だけで乗り合わせたエレベーターの沈黙を背負う。
タイミングと言うものは、いいときと悪いときが交互に来るようになっている。今日、この街に来るときに飛び乗った新快速は駆け込みでギリギリ、なんとか遅刻せずに事なきを得た。その代償だと思った。
話すことはとりたててあるわけではない。長い間離れすぎると、古くからの知り合いであればあるほど、そしてその人物が古くは近しい仲であったほど、近況をどこから話したものか戸惑うのだ。外堀を埋めるように少しずつ、離れている間の記憶を手繰り寄せ、認識を擦り合わせる。そう言う作業は決して嫌いではない。好きでもないのだが。
エレベーターは妙な軋みを見せながら無事5階に着いた。2つある店の左の方と聴いていたので、入り口で幹事の名前を出す。同乗者は後ろについてきているようで、靴箱に一緒に履物を入れてきた。銀色のミュール。どうやってあんなものを履いて歩くのだろう。想像もつかない。
目を合わせない店員に案内され、騒音が外まで漏れてくる個室に入る。顔を見るなり遅いだの何だのとせっつかれたが、後ろの人物も視界に入った瞬間少しだけ喧騒はなりを潜めた。ように見えた。
一杯目はビール。何ら不思議なことではない。お決まりのように空になるビールは恐らくは発泡酒で、美味くはないが人を饒舌にさせる程度の酔いを回してくれる。
「お前は? まだやってんのか、学生」
「そうだな。最低あと5年ほどか」
「物好きだなあ。そんなに楽しいか?」
「さてなあ。楽しくはないが、それ以外に楽しいことも知らないな」
昔から人の動向を気にする男だった。テストの点数から、女子の評判までやたらと把握していて怖かった覚えがある。奴は既に出来上がっていて、ケラケラと高い声をあげながら手酌で2杯目を注いでいた。
「お前は昔から変な奴だよな。いちばん頭いいのにいちばん勉強してなかったし、そのくせ大学に進んだら研究者になるとか言って」
「出会いだよ出会い」
「え、教授とそう言う関係とか?」
「馬鹿。専門分野とのな」
専門分野、と言っても一浪の末に修士課程に進んだ自分と、高校の同級生たちとの間にはおよそ3年ほどのタイムラグがある。彼らは既に社会で働く立派な大人の一員であり、学生であった頃の勉学への姿勢など覚えている余裕はないだろう。自分で決めた進路を今更悔やむつもりはないが、人と少し違う進路を取ったことはこうして対峙しているとよくわかる。
「こいつに女っ気がないのは昔からだろ」
「それ。今更だな、寧ろ高3の頃が奇跡だった」
「おい」
卓の向こう側の端で飲んでいる人物が気がかりで少し声を落とす。聴かれたくない、という気持ちが本能的に働いた。
「なんでだよ? もう終わった話だろ」
だから指摘されて、ふと我に返った。というより、納得してしまった。
「……まぁ、そうか」
「気まずいのはわかるけどさ。でもお前ら一緒に来たくらいだし、和解済みなんだろ」
「一緒に来たんじゃない。エレベーターで乗り合わせただけ、しかも和解もクソもちゃんと話してない」
うわー。ないわー。旧友たちは口々に酒を零しながら俺を罵った。
「お前さ。ひっさびさにクラス会来たと思ったら、もしかしてまだ引きずってんのかよ」
「もう何年前? 7年とか8年とか前の話じゃね?」
「うっせ」
「案外女々しい?」
「何とでも言えよ。いいんだよ」
何もよくない。自分では良くわかっている。ただ向こう側の卓で楽しそうに当時の友達と酒を飲み交わす彼女を見ていると、かける言葉が何かわからなくなる。久しぶり、と言うにはタイミングを既に逃している。何より、見て初めに想ったのはやっぱり、だった。思えば何がやっぱりなんだろうか。この飲み会に来ると決めた時にはそんなことを考えてはいなかった。いや、普段の生活の中では埋没していた情報だ。
終わっていないのか、終わっているのか。考えれば考えるほど疑問符しか浮かばない。
「ちょっとお前後であいつんとこ行って来いよ。ちゃんと話して来いって、他の女子にも言っとくからよ」
「女子って年か?」
「……最低加減に拍車がかかってるな」
旧友達は呆れながら席を立つ。俺は暫くひとりでぼんやりと不味い発泡酒を飲んでいたが、驚いたことに5分と経たないうちに目の前には問題の人物が座っていた。エレベーター以来だ。銀のミュールの女。
「30分ぶりかな」
「……くだんね。何、あいつらに何か言われたのかよ」
「べっつに。暇してそうだから、絡みに来た」
吐き捨てるような物言いは当時と全く変わっていない。一言で言うと、クソ生意気な女だった。それでいて何故か友達には不自由していなくて、それはこいつ自身がバカがつくほど友達思いだからという理由に基づくのだが、見た目も表情も全く違うのに当時と同じことを言うなんてずるいと思った。
「あんた今まで何してたの。一回も来なかったでしょ」
「お前らがクラス会し過ぎなんだよ。帰省シーズンは1年に3回も4回もねえぞ」
「全部来なくていいんだし、一遍くらい顔出せってんだよ。まあ、今回来たならそれでいいけど。グラス空いてるけど、なんか飲む?」
「お前と同じの」
「不味いよこのジントニ」
「……いいよそれで」
彼女はつまらなさそうな顔をしながらインターホンで店員を呼びつける。相変わらず客の顔を見ない店員は大学生くらいだろうか。迷惑そうに電子機器をエプロンから取り出して入力し、空いたグラスを少しだけ積んで持って行った。
店員を見送ってから彼女はじっと俺を見据える。抗して俺も真っ直ぐ見据えるが、すぐに目を逸らしてしまった。昔からにらめっこでは勝ったことがない。それに、化粧で隙間なく縁どられた目元はいやに色っぽい。なんだかむかついた。
「いっつも目ぇ逸らすの。変わってないねぇ」
「不躾な視線やめてくれ。人と接してないから困る」
「いよ、コミュ障」
「好きなように言え」
そのコミュ障と付き合ってたのは誰だよ。お前だろう。目の前の人物に内心でそう問いかけるが、勿論心が伝わるはずもない。忌々しい。彼女自身がではなくて、彼女を構成するひとつひとつ、例えばこの繋がりでさえも全部、忌々しい。
そもそもこうした再会を疎む女ならよかった。それならきっと別れた男にこうして完全に友達の距離感で詰め寄ってきたりしない。詰め寄ってくるのは、友達だからだ。苦楽を共にし、同じことに泣いて笑ったかけがえのない友達。それが少しだけ、ずれただけの。
「まあいいわ。死んでないなら、安心したから」
「うるせーよ。俺はまだ25だっつーの」
「いいねえ早生まれ。私もう26だもん、トシよトシ」
「説教くさいと思ったわ」
「なによあんただって四捨五入したら一緒じゃんか」
運ばれてきたジントニックは彼女が言うとおり薄くてまずい。こんな酒じゃ酔えそうにない。折角饒舌になったのに、饒舌なままなら言えたはずなのに、あの時言い淀んだことを。
「……お互い年とったよな」
いつまでも言えないままだ。そしてきっと抱えたまま死ぬんだろう。こんな距離の詰め方を、なかったことのように綺麗にして実体のない思い出をぶつけられたら、今更どうあったって言えるわけがないのだ。
「予言してあげようか。絶対それ、次に会った時も言うね」
「次っていつだよ」
「あんたが次のクラス会に来たときね」
「それ以外は?」
「ないでしょう。あんたが会いたいなら、考えないでもないけど?」
美しく釣り上がった口角。あの薄かった唇は今や丹念に口紅が塗られている。その手には乗らない。乗ってたまるか。どうして俺ばかりが、いつまでもお前に惚れてなきゃいけないんだ、馬鹿らしい。
……馬鹿かよ、本当に。
「お前は冗談が下手になったよな」
「あんたは感じ悪さが割り増してるわ。あはは、じゃあまたね」
まずいジントニックを持ったまま彼女は席を移動する。馬鹿な旧友たちは恐る恐る、空いた場を埋めるように舞い戻ってきた。俺は奴らの顔も見ずに水のようなジントニックを一息で飲みほした。ただただ、喉の奥が辛いだけだ。こんなんじゃ酔えない。酔って自分をなくして、プライドと意地をかなぐり捨てて、君のことを忘れたことはなかったと見え透いた嘘をついて、昔の女を口説くのだ。そうでなければ、彼女はずっと俺に幻滅しない。早く忘れろ。友達としてなら続くだなんて、恋人でなくてもあんたは親友だからなんて、別れ際に言われたことを未だに未練がましく覚えている俺を、どうせなら嫌ってほしかった。
END