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暁の星

全体公開 1 1 18531文字
2016-07-09 23:26:15

「二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た」
囚獄の勇者と災の魔王様がドタバタしながら事件解決。
すべての囚人と牢を出る日まで歩みはとまらない。
さんてんりーだ様のツイートとイラストに燃えてしまってつい。
災の魔王様と断罪の勇者様をお借りしました。

***

「おう、そこのグラサン。厄介事をなんとかしてくれるっていう男はアンタか。なんだ軟弱そうなヤツだな」

 夕方の薄暗い酒場で、なおサングラスをかけた囚獄の勇者カイは、いかにも柄の悪い大男に話しかけられた。随分と気が立っているようで、男はまなじりを釣り上げてイライラとした口ぶりだ。

「厄介かは知らへんけど、この辺りの親分さんたちに、おたくの管理外のさわぎがあったときに声かけてとはお願いしたわ。大ごとにしないで収めたいのなら、出来高報酬で仕事を請け負うて言うたで」
「目的はなんだか知らねえが出番だぜ」

 男はカイに小さな袋を投げつける。受け止めて中を確かめれば、いくばくかの金銭と、指示が書かれているであろう紙。出来高報酬でいい、といったにもかかわらず前金を出してくれていることを思えば、依頼主は羽振りがいいようだ。

「ふん、暢気そうな顔してやがるぜ。せいぜい役立ってくれよ」

 と吐き捨てて、男は足早に去っていく。カイは苦笑した。たしかにさほど戦士として見栄えのする風貌でもないし、この酒場は酒も料理も不味い。罵る理由もあろうし、立ち去る理由もあろう。

 といっても、この酒場はこの辺りでとびぬけて低質というわけではなかった。カイが今いるのは、その国で一番大きな都市の外壁付近の境界地域、よくあるスラム街の中でもさらに治安がわるい、言ってしまえば吹き溜まりのような地区だ。余所から流れてきた犯罪者やこの街で生活できないような貧民がいつの間にか集まり、行政に支配されることもなく勝手に住みつき、それに目をつけた街のやくざ者が口には出しづらいような利益を目当てにある程度の管理をしている。大都市にほど近いのに、当事者以外は手をつけられない、いわば番外区だ。魔王に侵略されたことのある国では、緩衝地帯の役割も持っている。

 こういった地域に生きる人たちは、管理者も住人も、老若男女を問わず彼らのやり方で生きている。だからこそカイは、こういった地区を抱える街に長逗留するときには足を運んで、酒場などの中間業者にマージンを渡して、管理者たちに仕事の請負を名乗り出ている。彼らのやり方で対応できない、あるいは対応すべきでないことが起きれば、こういった場所でまっさきに犠牲になるのはまだ戦う力のない弱者だ。おせっかいは無用だが、それでも、どうやって人が生きていくのかを選べるように、あくまで金銭を伴う仕事として部外者が手出しできることがある程度存在する。

 受け取った紙を眺める。内容は単純だ。「私娼窟を狙った放火が毎晩のように起こっている。詳細不明」とのことで、後金もふんだんに約束されている。署名を見れば、この辺りの複数の犯罪組織をまたいだ連名の依頼になっている。どうりで太っ腹なはずだ。普段ならこういった類の書類は燃やしてしまうけれど、今回のは懐へ。連名ということは、ここに名を記したことが「自分たちの勢力は放火をしていない」ということの誓約になっているはずだ。そして、この書類さえ残っていれば、ここに名を入れたすべての勢力が、この件についてはカイに協力せざるをえない。立ち上がって、酒代を支払って外に出る。都市部とは思えないほどの安価だ。本体へのフィードバックを考えると出されたものに混ざりものが多く無いといいのだけれど。

「へぇ。こういうところでも仕事をするんだね。意外ではないけれど」

 唐突に背後から声がかかる。振り向けば、そこに、黒い羽の天使、ウィルがいた。といっても、大きなフードとマントで天使の輪と羽は隠されていて、パッと見では大荷物を背負った怪しげな人物にすぎない。見慣れない恰好だが、この地区には不思議となじむ。

「こういうとこは、口だしするのは無粋なんやけど、たまに人手がいる場所やねん。手伝ってくれるん?」
「さぁ。君の仕事の手伝いはしないよ」

 黒い天使は肩をすくめて見せた。素直ではない彼の意図を囚獄はいつも読み取れないし、取り違えることも多い。ただ、天使が見ていると思えばこの街の実情も少しは良い方向に向かってくれるかもしれない。カイはさっそく娼館が集まっている通りに向かって歩きはじめつつ、何気なくついてくる天使の肩を軽く叩く。

「おおきにな」
「手伝わないって言ってるだろ?意味わかんないな」
「せやろな。おれもよぉ分からんけど言いたくなったんや」

 いよいよあきれた顔で彼はため息をついた。カイはかなりの頻度でこの天使をあきれさせている自覚はあるが、その理由がわかったためしはない。

「そういえばこれから綺麗なねーちゃんたちのおる店行くんやけど、天使様はそういうとこ行って大丈夫なん?」
「僕は別に大丈夫だし、そんなこと言うなら君のが慣れてなさそうで心配だよ。というか、一緒にくる前提で物をいうな」
「ええやん別に。手伝わんでもみてるつもりなんやろ?」

 いつも彼は唐突に顕れて、直接手伝ってくれなくても見ていてくれることは多い。

「あんな、今回はそういうお店の放火が問題やってん、話聞きに行くだけや。はー、しかしそれなりの規模の店なら大通りやけど、ひっそりやってるとこは歩いたことないところやし、やっかいやなぁ」
「あーあー依頼内容まで話しちゃって」
「べつに自分、聞いたところで誰かが不幸になるようなことには使わんやろ」

 カイは、この天使が天使であるということを差し引いても非常に良心的であると確信している。もっとも、直接的に利害対立しないかぎりはおおよその人間にとって、ただの冒険者であるカイが個人的に請け負える程度の仕事の内容など、なんの価値もないものだ、ということもある。カイは思慮深いほうではないが、決して自分や自分自身に属するものを高くは見積もらない。

 夕日も落ちかけた路地を入っていく。だいぶ暗くなってきた。今回の依頼は夜が中心になりそうで、分身と本体の半日交代のタイミングから言えば、もしかしたら今夜は本体に戻る暇がないかもしれない。本体の頭や肉体にかかる負担もさることながら、長く分身にいることで本体に戻るにあたり、否応なく抜け落ちる記憶が怖かった。だが、となりで信頼のおける他者が見ていてくれると思えば少しばかり安心だ。彼は自分を悪いようにはしない。彼のやさしさを利用するようで申しわけないとは思いつつ、どうせ相手も、他者の無償の良心の働きを期待してそれに甘える幼稚な狡さを自分が持っていることは知っているはず、ともカイは思っていた。得た情報は共有して、不測の時に助けになってもらおうという下心だ。

 放火が多いとは聞いたが、歓楽街の大通りは表通りよりもむしろ綺麗に見えた。通りに面した大きな窓を持つ集合住宅はよくある「飾り窓」で、その道の女性が美しく着飾り、道行く人にモーションをかける。客も女もお互いを品定めする目線はギラギラと輝き生命力に満ちていた。美女であればあるほど、風采のあがらないカイなどには目もくれないが、か細い自信なさげな声はカイのような人間を呼び止めようとする。彼女たちは一様に見る目があるのだ。

 多少高値でも女衒が仲介して個人の好みに合わせて部屋と人員を手配するだとか、変わった趣向に対応するだとかの店は、通りから少し外れたところにある。ざっと通りを見て回り、予想通り人目なく放火するのがどの店も難しそうだと判断すると、奥まった通りにカイは足を踏み入れる。この街に来てそう長くはない。ここから先は入ったことのない所だ。

 一歩入れば、街の暗闇が濃くなったような錯覚を覚える。決してあからさまに不潔なわけではない。浮浪者や物乞いなら歓楽街の外に掃いて捨てるほどいる。けれども、其処此処に本能的に見せてはならないと思わせるものが息づいている違和感と、それをひそやかに隠すような暗さがある。これは、悪いことではない。隠すべきものを隠すというのは、一種の礼儀であり、礼儀とは一種の善意とやさしさだ。このあたりの中央に、くらがりを見渡す程度の高さのある店が目に入る。奇妙な飾り彫りの刻まれた窓枠の小窓が光る緑色の屋根で、くるりとまわる風見鶏は、この歓楽街を一望していた。事情を話し、金を払えば、入れてもらえるだろうか。

「この店にはいるのかい?」
「おん。屋根の見晴らしよさそうやろ?事情話して借りれへんかと思って」
「ふぅん悪い判断ではないと思うけれど、それは隠したほうがいいかもね」

 連れ人はカイの首元を指さした。薄い金属で出来た、グレーの石が嵌ったチョーカー。カイはこれを、自分に助けを求めた者をひとり見捨てる選択をした夜、夢の中で女神をなのる女性から受け取った。

「名乗んなきゃバレないかもしれないけど、この店だと嫌がるとおもうから、念には念を入れておきなよ」
「べつに勇者いうてもお廻りとちゃうんやけどなぁ。むしろこういうとこの人のがそういうこと分かってくれてること多いんやで?」
「んー、この店に関してはそういう問題じゃないのさ。君にはわからないかもしれないけどね。勇者の証は肌身離さずが基本だろうけど、上から布まいたってバチはあたらないでしょ」

 カイには気づかないことを、天使は気づいたようだった。聞いたところではぐらかされることは知っているので、おとなしく巻けるものを探し、余計なものを持ち歩かない自分は包帯くらいしか持っていないことに気づく。ぐるぐると巻き付けると、まるで首枷を外したアザを隠す前科者か訳あって自刎の真似事をした者のようで、この街では浮かないものの、牢屋から出ようとしたことも死のうとしたこともない自分にはあまりそぐわないもののように感じる。

 おばんです、と声をかけて扉を開けるとフードをかぶった用心棒を横に立たせた、これまたフードを被った人物がじろじろと見てくる。

「アンタら客じゃないね?男の身売りなら三軒左向かいの青い屋根の店さァ。出ていきな」
「アホかだれが身売りや!たしかに客とは違うんやけど、金払ってお願いしたいことがあんねん。聞いてくれへんか?」

 即座にツッコミをいれると、フードの男がくすりと笑った。

「わかってるよ、アンタらから夜のにおいはしない。でもここは八百屋でもなけりゃ武器屋でもないよ。何が欲しいってんだ」
「からかわんといて。自分らの親分さんからの頼まれごとや。このへんでようけ放火があるって話聞いて、なんとかせぇっていわれてんねん。ここの屋根裏の小窓、外を見張るのにちょうどええなっておもってん、貸してもらえんやろか」

 懐に入れていた依頼書を手渡すと、男は紙を掲げて灯りに透かした。みるみる男の目が明るく輝きを放ち、いくばく矯めつ眇めつしたところでふっと息をついて、カイに紙を返した。

「偽物じゃないみたいだ。イイよ、いくら出す?」

 前金を全部テーブルに出すと、フードの男は目を丸くする。

「たんなる部屋代でこんなに出すのかい?」
「前金でもろうてるからな。もし今夜追えなければ、明日も使わせてくれるとありがたいわ。あましたら迷惑料ってことで取っといて」
「んんそうだなァ、別に部屋を明日も継続して貸すのは構わないがね、こんな大仰な前払いはオレの流儀じゃないな。どれ、女をひとりつけてやろう」

 男はそういって、フードを下ろした。見れば、顔中にびっしりとウロコがあり、両耳の真上に角が生えている。

「伽につけるんじゃないぜ。アンタらのお役目に役立つ魔族の女さ。この店には異形好きな人間が安全に魔族を買いたくてくることが多いから魔法は使わせないことにしてるんだが、たまには体じゃなくて魔術を売るのも悪くない。信用のおける紹介口の羽振りのいい旦那なら尚更な」

 よく見れば、隣の用心棒らしき男のフード付きマントの下の隆々とした筋肉は人間が太刀打ちできるものとも思えない。ここは、魔物や魔族を好む趣向のための店だったのだろう。道理で「勇者が嫌われる」わけだ。外から見てわかったなら教えてくれればいいのに、と後ろを振り返ると、天使は食えない笑みでにこりと笑って見せた。

 男が引っ込み、やがて1人の半人半鳥の女をつれて出てきた。女の下腹部は異様に膨れていて、臨月の妊婦のようにみえた。

「妊婦さんやないか」
「妊婦だよ」
「仕事なんてさせて無理させたらあかんのとちがう?」
「だから、アンタらの仕事の手伝いさ。体じゃなくて魔術だけ使えばいいからね。手ェ出すんじゃねえぞ」

 切り捨てるように男はいい、廊下の奥の昇り階段を顎で示した。

***

 案内された部屋はただの倉庫のようで、窓は長らく開けられていなかったらしく、枠に埃が積もっていた。妊婦の肩を支えながら階段を昇るのは少しばかり骨が折れたが、先行した天使がイスを発掘して窓の脇に置いてくれたので、彼女を座らせるのは苦労がなかった。カイは汚れるのも気にせず枠に腰を下ろし、静かに窓を開いた。わずかに散った埃が小さな灯りにきらめき、階下には夜闇の街が広がっていた。ここからなら一望できると踏んだのは間違いなかったようだ。

 カイは暗い街並みを、ようやくサングラスを外して睨み付ける。大きな通りはさしあたり問題ない。問題は薄暗い裏道だった。そうしていると、もし、と女性が何気なくカイに話しかけた。どないしたん、と振り向いたカイの目に、やにわにふわふわの羽毛をおしつけて、一言二言カイには聴きなれない言葉を呟いた。

 瞼を開けば、さきほどとは見え方が全く違っていた。色々な場所の景色が拡大されて眼前に映し出され、そこにあるかのようにありありとわかるのであった。恐ろしいほどに色と動きがいくつも同時に見えてくる。幾つもの視界が拡大縮小も自由にそこここを映し出している。情報の奔流は、感覚としては、本体と分身を同時に動かしているときの見え方と似ていた。役立つ魔族の女、とさっきの男は言っていた。しかし、この見え方は一度に複数の情報を処理する戸惑いを経験した囚獄の勇者でなければ、まるで役立てることはできなかったろう。

 おおきに、とやや気圧されながら呟き、気を取り直して、街並みを見つめる。くるくるといくつもの情景が目に映る。道行く人は怪しいといえば、だれもかれもが怪しげなかっこうではある。カイはわざと焦点をずらして、多くの場所を同時にみる。この量の情報を処理してあとで本体がどうなるかはあまり考えないことにした。

 魔法をかけてくれた女性はといえば、飽きてきたのか、身の上ばなしなどを連れの天使に話はじめる。お仕事ありがとう、子を孕んでからタダ飯食らいになってて肩身がせまかったのよ。でも後悔はないの。お腹の子は、王様の子なのよ。魔界と聖界の狭間で倒れていた人間の王様と恋をして作った子なの。私も本当は恵まれた貴族だったのだけど、子どもが大事だったから、お父様とお母様に見とがめられる前に家出して、ここまで逃げてきたのよ、云々。

 もしかしたら本当のことかもしれない、とカイは聞き流しながらぼんやりと思った。ほんの10か月ほどまえ、この街の近くにゲートが開いて魔界から魔物たちが押し寄せたのは、近くの国にいたカイにも記憶に新しい。冒険者よりは傭兵が求められる状況であったが、それでも仕事は山ほど舞い込んできた。人型に化けた魔族である彼女が人と同じだけの月日赤子を腹で育てるのならば、そのころ人間相手に恋をして子をなしたとしても、おかしくはない。おろされることなく、ここまで大事に育てられてきたのだから、幸せになってほしいと思う。この街でこのまま育つのであれば、苦労は絶えないだろうけれど、愛し気に思い出を語る母といっしょであれば、出だしは上々なのではなかろうか。

「カイ、いま君、本当の話かもしれないって思っただろ?ダメだぜこういうところの女性の話を鵜呑みにしちゃ」
「あら、信じてくださったの?私の話も捨てたものではないですね」
「おれの顔見る前に街のほう見てくれはります!?」

 天使が頬をつついてくるので文句をいうと、くすくすと女性が笑うのでつい顔が赤くなる。根拠なく信じたわけではないのにからかわれるのは心外だ。

 そうして気を緩めた次の瞬間、窓の外のどこか遠くで、かちりと何かが輝いたのを目の端に捉えた気がした。窓枠に飛びついて、複数の情景を映していた視界を一点に向ける。拡大すれば、大振りの剣を佩きフード付きのマントを羽織った男が、路地裏でしゃがみこんでいる手の中で、何かがきらめいた。

「あっちや!行ってくる!」
「おい!待ちなよ!」

 カイは一声かけて、天使の声に振り返らず窓から屋根の上に出た。3階の高さも屋根伝いに降りていけば、身の軽いカイには大した障害にはならない。また、ああして呼び止めてはいるものの神出鬼没な天使はそうしたいと望むのならこんな高さなど問題にせずついてくるはずだ。1つの視界では男から目を離さず、もう1つの視界で遠近感を取りながら、ぴょんぴょんと直線距離で降りて追跡する。

 近づくと男の身なりがはっきりと見えてくる。つけている装備は質が良くきっちりとしていて、まるでき宮殿の兵士のお仕着せのようだ。手には火口と火種。状況証拠としてはばっちりである。ある程度近づいた段階ですぐに気づかれた。勘も悪くないようだ。左右両方の細身の片手剣を抜いて利き手のほうを突きつけ、男に問う。

「自分、なにしとったん?」

 男もスラリと剣を抜いた。カイよりもリーチがあり、重たく鋭い両手剣である。構えはやはりきちんとしたもので、カイのように多くの冒険者の我流を混ぜて自分に合わせて効率化したものとは全く違う。

「ええとこの騎士様みたいなナリしとるやん。なんでこないなことやっとるん?訳があんねやろ?」
「答える必要はない」

 訛りのないこのあたりの発音でそうつぶやくと、男は斬りかかってきた。袈裟懸けに振り降ろしてくる重い剣撃。マントの下は歪みも傷もないきれいな胴鎧だ。カイは左の護剣で攻撃の軌道を受け流す。しゃおん、と澄んだ金属音がたち、暗い路地に響いた。

「だれかの頼みなん?放火なんて大勢まきこんで怪我さして、色んな人の恨み買っとってもつらいだけや。おれでなくてもいずれトッ捕まるやんか。なにをどうしたいんか教えったってや。自分かてええ仕事とちゃうってわかっとるやろ?おとしどころがあってもええやん」
「大事のためには犠牲はつきものだ。国のために仕事は選ばない」

 問答ができる、とカイが少し希望を見出したところに刺突が飛んでくる。慌てて半身を引いてやり過ごす。懐に潜り込めばこちらの勝ちだが、存外に隙は無い。お互いにけがなく、話し合いで済むにこしたことはない、とも思う。

 不意に足音が駆けつけてくる。魔法の名残で視界を広げれば、連れの天使が駆けてくるところであった。一般人にばれたと思ったのだろうか、目の前の男は急に何かを呟く。カイの剣が不思議な力で不自然に押し返され、魔法だ、と察する。男は踵を返し、表通りに向かってかけていく。目指すのは歓楽街を出た先の、混みあう露店街だろう。重心がずれて男に遅れを取ったカイは、やがてその姿を見失ってしまった。

「たく、思ったよりもちゃんとした相手っぽいのに、ここでケリつけることができるだなんて、浅はかなこと本当におもっていたのかい?」

 肩を落としたカイに、天使は声をかけた。

「ちょうどいい頃合いだ、そろそろ本体と交代したほうがいいんじゃない?明日も部屋は貸してくれると言っていたわけだし、今日の事件は防げたんだから、これ以上無理しても無駄なことじゃないか。とりあえずあの男との戦闘で、わかったことはあるか?」

 カイに向けた言葉は淡々としてみえて、気遣いがあり優しく協力的だ。2人連れ立って、緑の屋根の風見鶏のある店に戻りながら、カイが男の身なりや、言葉遣い、言ったことなどを詳細に言うと、天使はふうん、と興味深そうに口元に手をやった。

「ここの王家の特務を受けている兵士なのかもしれないね。面白いかもしれない。そうだな、君が寝てる間に噂くらいは集めてあげてもいいよ。君は君で、できることをしなよ」
「ごめんなぁ、手伝う気ィはないっていうてたのに」
「何言ってるのさ、君の仕事は手伝わないよ。情報は集めるけれど、君に味方するとも、しないとも言ってないだろ。面白そうなことに首をつっこむだけだよ。これまでどおりにね」

 おおきに、と笑うと、だから礼を言われる筋合いなんかないんだって、と天使が苦笑する。
 半人半鳥の婦人が待つ屋根裏に戻るや否や、カイは壁に背を預けて座り込み、一息ついて目を瞑る。天使と女性が今日の顛末について説明したり、反応したりする小さな会話を聴きながら、だんだんと意識が遠くなっていく。



***


 目が覚めると同時に、全身に情報と感覚がしみわたっていく。次の瞬間、頭の奥がガッと燃え上がるような強烈な違和感と共に、分身の時にかろうじて処理した視覚の情報が同時に押し寄せて平衡感覚を一気に狂わせる。体には傷ひとつないのに、熱くて何も考えられない。うめき声をあげながら、苦痛と不快感を飲み下す。

「ちょっと、あの、だいじょうぶですか」

 少しおちついたところで、ようやく周囲の音が耳に入ってくる。鉄格子を気づかわしげに覗きこんでくる人がいた。白い翼を背に負った、大柄な青年。この開かれることのない牢獄の、救済者であり、処刑人でもある天使だ。それなりの時間言葉を交わしてきたが、いまだに互いの名前は名乗りそびれている。

「あいや、だいじないで。だいじょうぶだいじょうぶ」

 カイは力なく答える。反射的に問いに答える声は弱く情けない。くるくると多すぎる情報が頭をめぐり、まともに言葉が思いつかない。優しい青年は眉をひそめ、足早に去っていく。カイが息を整えおえた、ちょうど数分後のタイミングで、再び彼は姿を現した。手にはどこから調達したのか、細い注ぎ口のついたこぶりの水差しを持っていた。

「よければ飲んでください。その、僕で良ければお話聞きますし」

 鉄格子の隙間から、カイに向かって水差しを差し入れる。しびれて満足に動かせない手を伸ばし、なんとか受け取って喉を潤したのち、残った水を頭からかぶる。熱をもった脳が少し冷める気がした。いつもというわけにはいかないが、苦しいときに時折だれかが手を差し伸べてくれることをカイは知っている。牢の外でも、中でも、彼は本当に人に恵まれているのだ。

 青年のやさしさに甘え、カイは分身の記憶をたどりながら話をすることで、情報の整理に付き合ってもらった。今滞在している国と、その王都の一角にある吹き溜まりの街のこと。今回うけた依頼のこと。手伝ってくれた女性と、犯人らしき人物のこと。おおよそのことは覚えていた。だが、誰となにを喋っただとか、どうだったとかの細部はやはりある程度抜け落ちていた。

「しかし、それならば少しはやめに分身に戻った方がいいのかもしれませんね。こっちの体が心配ではありますが
「え?」
「犯人からしてみると貴方とお連れの方に、犯行がばれてしまったのでしょう?なにか目的があるなら、すぐに動き始めるのではないでしょうか。それに、犯人も魔法をつかうのなら、貴方が視覚投射の魔法を借りていたことも、もしかしたら察せられてしまったかもしれない。他人に、しかも複数の視覚を付与するだなんて、魔族や魔法をきちんと学んだ者にしかできないことです」

 言われてみればもっともな話だ。犯人がただの放火なら、いちど目撃された時点で犯行は抑えられるかもしれないが、相手はそうではないのだ。そして、力を借りた女性も、半分とはいえ妊婦の身で人型を模し、強い呪文を行使する魔族だ。いまだ魔族への風当たりが強いあのあたりの地域では限定されるだろう。魔術の借りてが彼女だということが割れてしまうのはまずい。

「そらあかん。はよ戻らんと。いまなんどきやろ?」
「もう朝を随分過ぎていますでも今は動けないでしょう?」
「せやなぁ、ちょっときついかもしれへん。夕方くらいが目安やな。その間のことは連れがええ感じにしてくれはるやろ」
「いいご友人なのですね」
「せやろか。うーん、友達だって思っててくれはったら嬉しいんやけどね」

 苦笑いをする。あの天使の意図が読めたことなど、カイにはさほど多くはないのだ。その癖、カイのことはおおよそあの天使には伝わっていることだろう。性格的にも身の上的にも、勇者であることを除けばごく普通の人間である。大した裏もなければ隠すこともない。

 そしてカイは、こちらが友人として信頼していると知っていて無碍にするようなことは、あの天使に限ってない、と信頼している。誰かを信頼し好もしく思うことに、相手のことをすべて知っている必要などない。知らない部分を知った時に、その部分をも好もしいと思えるだろう、という直感があれば十分だ。この直感がカイを裏切ったことは今のところない。

「そういうご友人は、大事にしなければいけませんね。だから、貴方自身も無理をして心配をかけてはいけませんよ」

 青年は微笑んだ。そういえばあちらの天使も素直でないやり方で、無理はいけない、とくぎを刺してきたな、と、ぼやけてしまっていた会話の一部を思い出す。

 せやな、ちゃんと養生しとくわ、といって空になった水差しを返すと、青年はそれを受け取り、立ち上がった。彼もまた、自分のなすべきことをなしに行くのだろう。ゆっくりとした足取りで奥に向かう。

 やがて、青年が囚人に語り掛ける声が薄暗がりの中に響く。苦痛と不快感は少しばかり収まっていることに気づいた。ぼんやりと浮かされたような頭の熱も少し休めば気にならなくなるだろう。


***


「お目覚めかな?想像通り、かなり面白いことになっているみたいだ」

 目を開けると、ちょうど帰ってきたところだったのか扉をあけて入ってきた黒い翼の天使がニコニコと話しかけてきた。

「想像通りいうて、おれさっぱりわからんのやけど。とりあえず、なんも危ないことにはなってへんの?」
「ああ、すぐ寝たわりにはその辺り気にしてたんだね。大丈夫、まだ直接こちらに危害を与えてくるような動きはないよ」

 まさか向こうの友人に指摘されて初めて気づいたとは言えない。で、面白いことってなんなん?とそっと話しを促す。

「第一にここの王様の噂。最近ひとさがしをしてるんだってさ。第二に、それに諫言する家臣たちの噂。なんでも騒ぎのもとになるからいけないっていってたらしい。最後に、街で聞いた噂。ああ、ここじゃなくて城下町のほう。王様が探しているのは、去年の戦争のときに世話になった女性らしいって話さ。そこから尾ひれがついて何だか御落胤がいるみたいな話にまでなってるね」
「それなんや、ほのかに聞き覚えあるんやけど」
「奇遇だねえ僕もさ」

 だから面白いっていっただろう?と天使はクスクス笑う。

「おまけにね、今朝がた彼女産気づいちゃって。近くの産婆の家まで運ばれたよ」
「それあかんやつやん」
「そこそこ目立ってたし、ちょっとまずいかもしれないね。僕たちはどうしようか」

 娼館を狙って放火していたということは、この街であの女性が娼婦をしているという情報は相手方に入っていたということだ。しかし放火そのものにはそういった後ろ暗い事の専門家ではなく信用できる私兵を投入していて、しかもこの店はいままで気づかれていなかった。相手がどの程度の情報収集能力なのか検討もつかない。専門家ほどに優秀ならば、今夜は産婆の家を襲うだろう。専門家ほどではないがそこそこに優秀ならば、魔術の使い手を擁したこの店を襲うことだろう。全く情報を集められなかったのなら、また街の娼館のどこかが焼かれることになるか。

「正味判断つかへん。無難なとこではこの店で見張りやろうけど」
「そうだね、この店で見張っていればおおよそのことには対応できる。でも彼女の呪文が無い今、余所が襲われたときに初動が遅れるんだよね」
「人が足りひんな

 こういうときに、たんなる冒険者の立場が悔やまれる。

「だからね、僕はもう少し相手のことを調べるのに時間を使ってこようとおもう。囚獄の勇者、君は好きにしたらいい。もう夕方だ、いつ放火が起きるか分からないし」

 そういって、入ってきたときと同じようにニコリと笑って部屋を出て行った。わざわざ自分のことを確認しに来たのだろう。間が良かったとしか言いようがない。置いて行かれたカイは、とりあえず産婆の家の場所を確認して、裏通りに出る。人手が足りないのなら、だれかに頼るのが大事である。

「おばんです、ちょっとお話ええやろか?」

 そんな声かけで、いくつもの店を訪れた。目的は「自衛してもらうこと」だ。放火の犯人を昨晩みかけたこと、偉い人間に関わることで、ある娼婦に因縁があるらしく、手下を使ってあてずっぽうで火をつけているということ、手下は魔法も使ってきて腕もよく、冒険者である自分にとっても手ごわかったということ、自分にバレたことで今夜動くかもしれないから気を付けてほしいということ。そこそこ地位のある人間の手下だとも話し、身なりを説明した。なにか助けが欲しければ、緑の屋根の店に、と連絡先も提示して。

 いぶかしげな顔をされることのほうが多く、なにを今更、と言われることもある。毎晩のように行われていた放火は、警戒心を高めたことだろう。それでも、今夜はもっと多くの場所が放火される可能性がある、とは伝える。まずは歓楽街の裏通り、次に表通りの大きな店。最後には吹き溜まりの街の酒場に。こちらに報告しておけば、街全体になんとなく事情が伝わるだろう。

「それは本当の話か?」

 と、街のまとめ役との仲介をしてくれていた酒場の主人に言われる。本当だ、と答えると、あからさまに焦った顔をした。

「あんた、この街がどういう街だか、わかっているか?あんたの話が本当なら、娼婦だけ、歓楽街だけの話じゃなくなる。この街そのものがアブナイってことだ」

 主人は続ける。

「国のだれも認めていない、吹き溜まりがこの街なんだ。対外的な評判を気にせず、消してしまえる街なのさ。いままでは、ないものとして、お互いの利害から見逃していた。国家の大事が絡んでくるなら、街ごと消されてしまうかもしれない」

 文字通り、放火自体が火種だったのかもしれない、と主人はいう。

「店じまいだ。頭たちに伝えておかないといけないな。あんたも早く歓楽街に戻りな」



***

 火が回っている。悪い予感は的中し、吹き溜まりの街はあまりに多くの場所から火をあげていた。

 どちらかといえば、それなりにちゃんとした建物が存在し、警戒を怠らず用心棒がいる場所も多い歓楽街は被害が少ない。むしろ阿鼻叫喚の様相を呈しているのはその周囲の通りだ。物乞いたちは着の身着のまま駆けまわり、火傷を負ったストリートチルドレンたちが水の流れる溝に飛び込んで何人も荒い息をついている。火事の家屋を狙って物取りをしている者たちや、混乱をいいことに追いはぎをしている者もあった。

 カイは緑色の屋根の店の窓から、その様子を眺めていた。色々なところに、手を貸したかった。しかし、ただのよそ者であるカイがここで動くことで、助けられるものは限られている。辛抱強く、分にふさわしいものを選び取るしかない。

「おい、放火犯おっかけてるにーちゃんがいるのはここかい!?」

 物音とともに、大きく下から呼ばわる声が聞こえる。慌てて駆けおりると、二軒先の被虐志向ための店にいた勝ち気そうな美女が息を切らしている。

「おれや!」
「兵士みたいなやつが居たって話を聞いたよ!」
「えらいこっちゃそれ、どこ?」
「娼館じゃなくて、薬屋の婆様のところに押し込もうとして、周囲の人ともめてるらしいわ。娼館狙いじゃないの!?話が違うじゃない!」

 その声にせかされて、慌てて出ていく。あの店が実は、堕胎や出産の補助もやっているというのは、そういう機会の多い娼婦の間では有名な話だった。大した距離ではない。駆けつければ、近場の娼館の用心棒に剣を突きつけ、薬屋の戸を開けようとする男がいた。周囲には何人か倒れており、そのせいかこの男に向き合う人々はすこし怖気づいている。構えも背格好も、昨日と同じ人物だ。

「まちや、自分なにしよるん!?」
「己の目的を果たすだけだ。去れ」

 男が振り返って応じる。周囲の人に目配せをする。用心棒らしい人達は倒れている人を回収して野次馬を遠ざけてくれた。火災で混乱した街中で、この辺りだけが静かになった。

「中におんのは妊婦さんと、産婆さんや。傷つけてどないするんや」
「災厄を生まないために殺すだけだ」
「王様の方の差し金か、偉い人の手配の方かは知らへんけど、どうしてあの人が問題になるのかだけ教えたってや。それがなんとかできたらええんやろ?この街全部を壊す必要あるかいな」
「考えるまでもなかろう。あの女は、魔族だ。かつてこの国は、魔物の侵攻があった。そして王は若く、世継ぎがいない。これでわからないのなら、話す余地はない。女を王に近いここに置くことはできない。女だけならまだしも子がいる可能性があるなら、国外に追放するのも後に禍根を残すだけだ」

 男のいうのは正論だった。

「親子とも、ずっとここに戻らんのやったらええんやろ!?ちゃんと約束してもろたらええやんか。お産が落ち着いたら出てって欲しいって!この街をこんなにする必要がどこにあった!?」
「街?こんな吹き溜まりの貧民街、街などと呼べるものか。此処で暮らすより王都で施しでも受けたほうがよほどマシな生活だろうよ。約束だと、魔族との契約など信頼に値しない。それに、魔族のほうがその待遇を受けたとして、この国を害するものに利用されれないとも限らない。話にならんな」

 理屈で言えば、返す言葉もない。だが、カイはあの女性が、冗談めかした過去をとても大切に語ったことを、タダ飯食らいは嫌だと言いながら子どもをおろさず今日を迎えたことを、知っていた。お互いの利害のすり合わせができないわけでも、信用できないわけでもないということを知っていた。そして、強い魔法を使い、他人に利用される弱者でないことも。だが、この男はまだほんの10か月前に、魔物に襲われた国の兵士だ。そして、あの女性が王の子を得たということが、なによりも難点になっていることは言うまでもない。どのような契約をしたとしても、このリスクには勝りようがないのだ。

 それでも、ここで退くわけにはいかなかった。この男を止め、今回の騒ぎの原因を収束させるということをカイは選択した。その責任はなにを以てしても果たさなければならない。首の包帯を解き、サングラスを外す。夜闇の中とはいえ、燃える街の灯りで目は十分に見えるだろう。両手の剣を手放し、地面に放る。そして男の前に立ち、ドアをふさいだ。

「おれは、『囚獄の勇者』。もしあんたが今回のことについて、王と国の名のもとにこの国の平和を望むなら、おれは女神と天使たちの名においてそれを保証することができる」

 胸を張って勇者を名乗る。実のない名だとは自分で分かっていた。

なぁ、勇者の証なんてもん、ほんまはなんの保証にもならんことくらい知っとんねん。でも、ここは引いてくれへんか?せめてあんたに命令した人に、話を通せへんやろか?この辺りのまとめ役の人達、今回の件で怒ってしまうわ。このまま燃やしてなかったことにしはったら、あんたの言葉とちゃうけど禍根になる。でも親子を出すとこだしてきちんと決め事にしたら、それを機にこの街のこともついでに取り決めして、ええ感じになると思わん?おれと、この街のみんなで、決まったことがちゃんと続くかどうか見守る、これでなんとかならんやろか?」

 男は剣をカイに突きつける。カイは動かない。大きく剣が振りかぶられる。風を斬る音と共に、振り下ろされた。

ッカイ!」

 高い金属音と共に、剣がはじかれる。みれば、どこから現れたのだろうか、大きな黒い翼の天使が剣を携え、男とカイの間に割って入っていた。砕けたような天使の輪が煌々ときらめく。

「好きにしたらいいとは言ったけど、死ねっていったか!?この馬鹿!!」

 天使が怒鳴るのを初めてみた、とカイは目をぱちくりさせた。

「ねえそこの君、僕は君の雇い主のことを少し調べた。どうも、王様とは意見の食い違いがある人のようだね。直接王様のところにも行ってみた。この件についてどうやって処理したいか、もう一方の当事者の声も聞いておきたくてね」

 男は剣をおろし、天使に続きをうながす。

「そうしたら、好いた女性にひと目あって、詫びたかったって。立場があってどうすることもできないけれど感謝していると言いたかったって」

 王の印の入った書簡を男に、天使は差し出した。内容は、謝罪と感謝さえ済めば、もし彼女が自分を愛しているのなら、聖界だろうが魔界だろうが彼女の望む場所に住んで、たまに手紙でも寄越してほしい、自分を恨むようなら仕方ない、彼女の要求を立場が許す限りで呑んで、国に手出しすることだけはやめてもらおう、そういった内容だった。カイはつらつらと内容を挙げていく天使の声を聴きながら、まるで浮気か何かで別れたカップルの示談みたいやん、と気の抜けたことを想う。

「この書状、宛書は女に宛てたものだ。私が受けるべきものではないし、これについての判断は私がすべきではない」
「王の言葉なんて、もとより私的なものじゃないよ。生まれた時から王様なんて不自由なものさ。それに、君がここで判断しなければその手紙が宛先に届くことはないじゃないか。僕のおススメとしては、そこのマヌケな勇者なんて放っておいて一度引いて、主に注進するのが筋じゃないかな」

 手の中の書類を一度見て、しばらく思案したのちに天使に返すと、男はマントを翻して駆け去った。

***

 カイがほっと安堵の息をつくと、天使はじろりとこちらを見る。カイは頭をかきながらバツが悪い気持ちで笑うしかない。

「助けてくれはっておおきに」
「まったく僕は情報を集めてくるっていったはずだよ。ろくに弁も立たないくせにあの男とあんな下手な交渉なんかせず、戦いに持ち込んで攻撃を受け流しながら待っててくれるとかそういう気はなかったの?」
「全然思いつかへんかった。ごめんな、友達にも、無理すんな、連れてる人に心配かける、って言われとったんやけど。なんや頭から吹っ飛んだわ」
「いいよ、結果的には間に合ったわけだし」

 ふい、と顔を背けた天使は口をつぐんでしまった。とはいえ、相手の剣には迷いがあることも判ってはいたし、あの距離ならギリギリで交わすことも考えてはいたのだ。言い訳を重ねようとカイが口を開いたところで、家の中から子どもの鳴き声が聞こえた。生まれたみたいだね、と天使が言う。カイは、会わせてもらえたらええな、と戸を叩く。名乗り、入っていいかと問うと、老婆の許可の声が返される。先ほどまで背に庇っていた戸を開けはなった。

 熱気と血の匂いが鼻をつく。息を切らした老女の手から、ちょうど赤子を女が受け取ったところであった。赤くそまった産湯はこの子が母の体から出てきた直後であることを示している。半人半鳥の女は疲れているだろうに存外にしっかりとした手つきで、赤子を支えた。やわらかい羽毛は子どもの肌を暖かく包むことだろう。

 微笑んだ女性はカイとその後ろから入ってきた天使をみて、おもにその天使の羽に驚いたものの、すぐに感謝の言葉を述べた。外が騒がしかったから、なんとかしてくださったのでしょう?これだけの血が流れているのに、周囲のことにも気づいていたとは、強靭な精神である。

「よろしければ、抱いてください。恩人と天使に抱かれるなんて、すてきなことでしょう?」

 赤ん坊など抱いたためしはないし、実は恩人扱いされるほどのことはしていないのだ。そう思ってカイが戸惑っていると、天使が前にでる。しっかりと抱きかかえて、泣いていた子どもをあやす。

「へぇ、元気そうないい子だ。ねえ、君も抱いてみなよ。結構重たいもんだね」

 つられるようにカイが手を差し出すと、満足そうに押し付けてきた。ずっしりと重たい感触が伝わってくる。一見普通の人間の子のように見えた。しかし、よく見れば肩や背のあちこちにふわふわと灰色の短い産毛のようなものが生えていて、これが母親と同様の羽毛に代わるものだとは想像がつく。

 これから決着をつけねばならない王との関係、魔族と人間の子、この街で生まれたということ。すべてがこの子にとって、避けがたい形の苦難を与えるだろう。一瞬、目をそらす。そらした先に、天使が微笑んでいた。

「君も人間なら、ああやって生まれてきたんだな」

 彼の言葉で、ふっと気が楽になる。この子も、自分も、なんら変わりはない。愛してくれる親がいて、自ら周囲に目を向けることができるようになれば、なんらかのかたちで生き方を選ぶこともまた可能なはずだ。

「せやな、おかんも大変やったんやなぁ。なんや、嬉しいような照れくさいような変な感じや。しかしおもったいわー!でっかくなるでこの子!」
「おい大きな声で驚かせるなよ」
「大丈夫やって、笑っとるもん」

 いつのまにやらきゃっきゃと笑い声を立てていた。

「ようこそ世界へ」

 天使もまた、子どもに笑いかけた。優しい笑みを浮かべた女性に、子どもを返す。あたたかな両腕で子を抱いた。幸せな光景だった。

 その後ざっと簡単に事情を話して、書簡だけ女性に手渡し、2人でその家を出た。詳しいことは後日、王の使者や街のまとめ役たちを交えて取り決めることになるだろう。しかしその話は、あきらかに産褥の女性の負担になる。出直すのが吉だ。

 とりあえず、他の火事で混乱になっている場所に手助けにいこうと、歓楽街から街の方向に歩き出す。天使もまた、後ろからついてくる。どうにも黙り込んでいるのはカイの性に合わず、そういえば天使のお母さんって女神様になるんかな、などと会話を振れば、僕のことはどうでもいいでしょ、とすげなく返された。いつも通りの会話のテンポだ。

「カイ、もし牢獄を出たら、勇者をやめろ」

 いつもの声、いつもの口調。それでも、何かが違う気がして、顔を見るのがためらわれた。

「どこか落ち着いたところで暮らして、お嫁さんもらって、家族を作って。幸せになればいい」

 そっと背後から、手が伸びてくる。頭を撫でられた。優しい手つきは、先ほどの赤子に触れるやり方にも似て、どこか泣き出したいような心地にさせた。

「ウィルは優しいんやなぁ」

 ぴたりと手が止まる。カイも足を止めた。

「でもおれ、あかんねん。ごめんなぁ。誰もが牢獄で悪夢を見てるのに、おれだけでゆっくり寝てられへん。ごめんて。ほんまにごめんなぁ」
そういうと思ってた」

 彼の手がするりと頭から降ろされる。一瞬ためらったその手つきが惜しむようだと思ったのは恐らく気のせいだ。カイはいつだってこの友人の行動を読み違える。

「謝るな。僕が、悪かった。だから、そんな顔をするな」

 背後にいる友人から、カイの顔が見えるわけはなかった。思い切って振り返ると、そこにはまるで自嘲するかのような、途方に暮れたかのような、まるで死んでしまいたいとでもいうような、複雑な表情をした友人がいた。こんな顔をさせるつもりの、答えではなかった。思ったままの答えだったはずだ。

「なぁんて、アンタのがしんどそうな顔しとるやん」

 友人は目を瞬かせた。自分の顔は自分では見えない。だからこそ、人には他人が必要なのである。

「皆がみんな悪い夢から覚めて自分で牢獄から出ることを選べたら、それがいっとう嬉しいことだと思わん?ひとりで幸せな夢をみるより、おれにはそっちのが幸せや!」

 にっと努めていつもの笑顔を心がけて、笑って見せる。そして背をとん、と叩いて、隣にならんだ。

「なぁ、この後ちょっと火事でごたついてるとこの手伝いしよかと思ってるんやけど、自分も手伝ってくれへん?」
「さぁ、気が向いたらね」

 ふわりと友人は翼を広げ、暁の空に舞い上がった。気が向いたら、ということは、近くにはいるということだ。傷ついてしまった人の心を簡単にどうにかすることなどできない。しかし、近くにいるのであれば、機会はいくらでもあるということだ。カイはおおよその場合において、能天気で前向きなほうだった。空に大きく手を振ってから、黒煙の方向に向かう。冒険者の手を借りたい場所は、この街には沢山あるようだ。

 誰かの手を借りてどうにかなることだったら、囚獄の勇者は手を貸すことを選択する。惜しむものなどは何も無く、それは決して悲しいことでも、報われないことでもない。カイは、自分がなすべきことをなしているときそう考えているのだと、傷ついた友人にも伝わればいい、と思っている。だからこそ、助けを乞う声に全力で応えるのだ。





END


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@chuchuhakokaina
https://twitter.com/w_maou/status/752092444762648576
描いて頂いてしまいました・・・。多謝↑
2016-07-13 22:03:21

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