ムゲンWARS。願望の勇者様から望の魔王様の角が頂けるというお話だったので書きました。タイトルは文字通り不可能なことの比喩であり、単に砂漠で勇者を拾ったという意味であり、思いがけないラッキーみたいなニュアンスであり。
@chuchuhakokaina
***
目が覚めたとき、なぜか庇をかけた獣の背の上にうつ伏せで載せられてゆっくりと揺られていた。全身が焼けつくように熱く、ずきずきと痛む。ぼやける視界、しびれた手足。サングラスとチョーカーはいつの間にか外されていた。指一本動かすのが億劫だが、そのふたつだけは取り戻さねばとこうべを巡らせる。濡れた布が後頭部から落ちそうになった。
「大丈夫?意識があるなら水を飲んだ方がいい」
獣の足が止まり、見下ろしてくるだれかの影。囚獄の勇者、カイに声がかけられる。ややかすれた高く柔らかい声は少年か少女か、いずれにせよ敵意はないように思えた。差し出された革袋をなんとか受け取り、水を飲む。これも、と渡された小さな塩の塊も、疑うことなく口に放り込んだ。礼をいわなければならない。けれど、声が出ない。
「無駄な体力は、使わないで。あと1時間もすれば日が落ちる。そのころには動けるだろうから」
カイが話そうとしたのを制して、その人物は再び獣の歩みを進める。今のところできることのないカイは、素直にこの彼だか彼女だかの勧めに従うよりほかはない。
「…甚振った挙句なんの荷物もなしに砂漠に放置するだなんて。どこの奴隷だか知らないけれど、あんまりだ。一体なにをやらかしたの?栄養状態は悪くなさそうだし、首輪に宝飾品をつけられていたから、気に入られてはいたんだろうけど」
声の主は静かにこちらに話しかける。いたわるような口調だが、致命的な勘違いをされているのにはすぐ気づいた。すぐに反論したい。が、抗議に口を開こうとすると再び無理はするなと制止される。
「聞いて悪かった。しばらく寝てたらいい。脱水と首輪回りのやけどがひどいから、声が出せるのはどうせ気温が下がって、少し休んでからだもの。サングラスを与えられてたってことは、目も光に弱いんでしょ。なおさら目を開けていても意味はないし」
勇者の証は金属製のチョーカーであって首輪ではないと主張したいし、サングラスだってだれかに与えられたわけではなく自分で購入したわけだが、どうやらいまの状態では反論は許されないようである。休めという正論にぐうの音も出ないカイは、おとなしく目をつむっているしかない。
とりあえず命の保証は得られたようだと安堵する。カイはほんの数週間前、砂漠のオアシスにある集落まで向かうキャラバンの護衛にやとわれた。行きはすこぶる順調で、そのうえ、ついた先の集落にキャラバンの商人の数人が商機を見出し、長期滞在して新しい商売を始めたいという話になったのだ。そのこと自体は喜ばしい話ではあるのだが、いかんせん集落に別のキャラバンがやってきて出ていくまでかなりの期間があくため、帰り道がいやおうなしに一人の道行きになってしまったのだ。
このあたりは大して危険な魔物の噂のないこと、行きが順調だったことが逆にカイに災いした。また、砂漠の旅の負担が分身からのフィードバックとして一気にくることを恐れ、こまめに本体に戻っていたこともあだとなった。夜間に本体に戻っている間に、野盗に囲まれたようだ。基本的に本体に意識があるときは分身の情報はフィードバックしないが、さすがに致死的なダメージは別であり、突然本体が血を吹いて焦って分身に行ってみたら深刻な傷を負っていた。仕方ないこととはいえ、完全に危機管理不足である。
とりあえず反撃して撃退したもののひどい負傷と荷物ごと荷駄を持っていかれたのは文字通りの痛恨で、身の回りのもので簡単な手当てだけして近くにだれかが通るまで待機するしかなかった。キャラバンのよく使うルートではあったが、人が通るかは完全に賭けだった。結果的にはこの情けない賭けに勝利したわけである。一時は、分身の死によるフィードバックは獄中で回復手段のない身には非常に恐ろしいにも拘わらず、新しい分身を違う場所に作ってこの分身を放棄することまで考えていたので、数日で親切な人に拾ってもらえたのは僥倖としか言いようがない。
しばらく荷物のように揺られていると、だんだんと気温が下がってくるのがわかる。光を嫌って薄目を開けば、周囲は燃えるような夕焼けで真っ赤に染まっていた。砂漠の凍てつく夜の先駆けである。気が付けば先ほどまでの末端のしびれは和らいでおり、この恩人の処置と判断が適格であったことが知れる。やはり荷物のように降ろされる。てきぱきと野営の準備をする様子は、小柄で華奢だが頼もしい。砂漠の旅に慣れているのかもしれない。しばらくして、恐る恐る、体を起こす。身の回りのものを探れば、ポケットにサングラスが見つかった。チョーカーは見当たらない。
「ほんまにラッキーやったわ…助かった。おおきにな」
なんとか目を開けて、恩人を見て礼をいう。まるで病人のような錆びた声が出た。これは本体よりもひどい。浅黒い肌をした見慣れぬ磁器のような髪色の少女は、驚いたように目を見開いた。
「え、なにが、幸運?」
「幸運やん。生きとるし」
カイがシンプルに答えると、少女は不思議そうな顔をして首を傾けた。少女の武器の柄についている白い飾りが揺れて、からりと小さな音を立てる。
「ひどい目にあって、捨てられて、砂漠にひとりぼっち。なにが幸運なの?僕にはよくわからない」
ここで、この少女は「首輪をつけられた人間が砂漠でなんの荷物もなしに負傷して行き倒れていた」状況だけ見て完全に勘違いしていることに今更ながらに思い至る。しどろもどろに現状を説明する。自分は人助けを中心に依頼を受けている冒険者で、行きはキャラバンの護衛をしていたが、帰りのルートを行く雇い口がなく一人旅になったこと。夜に野盗に襲われ、撃退したが荷物を持っていかれたこと。勇者とは名乗らなかった。理由は単純にこの状況で名乗るには恥ずかしいからである。
「おれ、アカン死ぬコレって思ったときに、いっつもだれかが何とかしてくれはるの。ラッキーとしか言いようがないねんな」
そういってカイが笑うと、少女はぽつりとつぶやく。
「僕も、死んだと思ったけど死ななかったことが、ある。これは、幸運かな」
「ええことやん」
今度はこちらが不思議になる番である。表情が表に出ない印象のあるこの少女が、どこか物思わし気な様子であったものだから。
「そのせいで、友達が死んだとしても?」
カイは一瞬、言葉を失った。まだ若い女性が、だれと連れ立つでもなく旅慣れた様子で砂漠をいく状況が、なんの事情もないと思うほど浅はかではない。ただ、こんなにも何気ないやり取りで踏み込んでしまうとは、想定していなかったのだ。傷つけないように、慎重に、言葉を選ぶ。
「うーん、幸運だなんて、思えかもしれんけど。幸運ってことにしとくのも悪いことやないで。自分のやったことが、相手にとって不運だったなんてのは、その友達も浮かばれへん。でも相手は友達やから、たまには、そないなことは望んでなかったんやアホ、っていってやるのもええかもしれん。生きとる人間の心持ちひとつとちゃうんか」
少女は空を見上げた。砂漠の空は、驚くほどに澄んでいる。昼の苛烈さを忘れるように、星は輝き、月は辺りを照らし、夜は冷たくも優しい。
「なら、あの時の私は、幸運だったと思う」
「そか。そらええことやな。アンタ…ああ、恩人のことをこう呼ぶのもアカンな。おれ、カイっていうんやけど。なんて呼んだらええやろか?」
「……願望の勇者」
すこし考えて、少女は答える。その言葉を聞いて、カイは彼女が首から下げたペンダントが、その美しい目と同じ青であることに思い至った。本名を名乗らない人間には2種類いる。肩書きに誇りを持っているか、あるいは本名を名乗りたくないか、だ。すこし話しただけで後者の可能性が高いことは予想できる。だからそれ以上、深くは聞かない。勇者としての名前を望むのなら、それが彼女にとって最もふさわしい名なのだろう。
「勇者やったんか。願望の勇者、ええな。前向きな肩書や」
「そう?」
「何かをやってみたい、っていう気持ち自体が、おれ、好きやねん。なんや気分ええやん。みんな誰も彼も、何かしたいって思ったときに顔あげられるようになったらって思うわ」
カイがそういうと、いままで不思議そうにしていた少女の瞳がまるで火が付いたような熱を持つ。もし翻訳するなら、「それならわかる」といったところだろうか。
「なら、あなたも何もかも手に入れて、王様になりたいの?なんでも持っているし、なんでもできる人に」
「王様?」
藪から棒に、とも思う。もしかしたら、願望の勇者の願いは、一国を支配する王になることなのかもしれない。
「んー、嬉しくないわけやないけど。たぶんなったとしても、すぐやめて冒険者に戻る、かなぁ」
「どうして?危ない目にあうし、なにもできない。現に、こうして奪われた。足りない事ばかりなのに」
せっかく歩み寄ってくれていた少女の目が、再び疑問に曇る。けれども、カイは誠実でありたいとおもう人間で、嘘はつけなかった。
「今こんなんやから願望の勇者さんはアホらしって思うかもしれんけど、おれ、色んな人の助けになりたいねん。王様やったら今よりずっと多くの人の助けになれるかもしれんな。ただ、それはええかもしれへんけど、おれ、あんま頭よぉないねん。おれが王様やるより違う人がやるほうが人の助けになるんやったら、その人に任せて冒険者にもどるわ」
何もかもを手に入れて王になりたいのか、とこぼした先ほどの少女の目は、間違いなく多くを望み、掴もうとする者の目だった。彼女の秘めた願いと、囚獄の勇者の、全ての存在が自分自身のために一歩踏み出す選択を行えるような世界がほしい、という望みと、どちらが欲深いだろうか。これまでの短いやりとりだけでは到底わからない。ただカイにわかるのは、選択には代償が必要だということだけだ。彼女がこれまで何を犠牲にしてきたにせよ、多くを望むのならそれ以上の代償を迫られるだろう。
「相応しい人に相応しいものを託す、ってことも大事な選択やと思うねん。おれに出来ない事をやってくれる人に、その為の力を預ける。そんで、おれはおれのできる事をする。それがもたらした結果についての責任は、おれがとらなあかん。せやけど、その選択ができるってこと自体が、とてもありがたいことやんな」
伝わるかどうかは分からない。ただ、選択肢を持つことすらかなわずに、なにも贖わず終わるということは、とても悲しいことなのだと、囚獄の勇者は知っていた。この少女もおそらく、カイ以上に知っていることだろう。
「そんなことが、ありがたい、だなんて思ったことはない。女神の加護をうけてからは、物事が思うように運ぶようになった。その前は、選択肢なんて見えなかった」
「それや。皆の前に可能性が広がっていて、そのことにありがたい、だなんて誰も思わなくていいようになった時こそ、おれの勝ちや」
その時こそ、囚獄の勇者の価値が問われるときだ。少女の青い目が、カイを問い詰めるように、見つめる。
「あなたが勝ったとき、みんなが自分自身の王様になるのね」
「せやな」
もしかしたら伝わったのかもしれない。彼女は話は終わりだというように、毛布を体に巻き付けて横になった。横になるということは、見張りは任せてくれるということなのだろう。単純に、傷つき砂漠では弱者でしかないカイが自分に害をなすわけがないという判断かもしれないが。ここのところ、頻繁に本体に意識を戻しているため、本体のほうには余裕がある。金属のチョーカーのせいでできた首のやけどをさすりながら、砂の地平を見渡した。行きの旅路がそうであったのと同じく、平穏で静かであった。
それから彼等は、しばらくの間灼熱の土地を2人きりで歩いた。その間、カイは少女の言葉の聞き役に徹した。砂漠の少数民族に生まれた彼女は、友人の犠牲のもとに危機を生き延びて、ゆえあって一時期ある国の宮殿で暮らしたということ、二度目の死を覚悟したときに、神託を受けて勇者になったということ、それ以来、自分の望みをかなえるために旅を続けているのだということ。決してよく話すタイプでない願望の勇者は、それでもこちらが静かに待っていれば、長い道のりの間にぽつりぽつりと語った。
カイは砂漠での生き方を、彼女から学び取った。目指す場所への向かい方、過酷な環境をやり過ごすやり方、効率的な警戒の仕方。物を奪って生きる在り方。作物を育て家畜を牧し、様々なものを生み出して成り立たせていた里に生まれたカイには、あまりなじみのない作法であった。たとえ野盗に襲われた夜に警戒を怠っていなかったとしても、遠からずだれかを頼る必要はあったかもしれない。
砂漠にやがて、草木が目立つようになってくる。人のいる地域も近いだろう。
「あと2日も歩けば、集落もある。僕はここまで」
「何から何までほんまにおおきにな。なんかお礼でもできたらええんやけど……」
カイが口ごもると、少女はしばらく黙って考える。なにせ、カイは些少な金銭と身の回りのものくらいしか持っていないし、ここで別れてしまうのなら、手伝えるようなこともない。
「それなら、これを持って行って」
彼女は自分の腰のポーチから、何かを取り外す。
「幸運をもたらす龍に会ったことがある。倒せば僕のすべてが報われるのだと、思っていたけれど。角一本が精いっぱいだった。保護者がいたしね」
見たところ、何かの角のようであった。折れた断面が痛々しく、まさしく生物から奪い取ったのだと知れる。彼女が龍から採ったというのなら、本当にそうなのだろう。ここまでの道のりで彼女が嘘を知らない人間だとよくわかっていた。受け取ると、柔らかな青緑色の光を放っていたそれが、カイの手の中で銀色に輝く。
「あなたの勝利が私の力になる。私は、これをあなたに託すことを選ぼう。あなたに幸運があらんことを願っている。善良なる勇者」
願望の勇者は、荷物の中から、囚獄の勇者のチョーカーを取り出した。
「わかっとったん?」
「砂漠で直接金属を身に着けるなんて、外せない理由があるからに決まってる。人の奴隷じゃないなら、女神の奴隷でしょ。僕にだって察しが付く」
「そんなん…はよ言ってや。隠しとったおれめっちゃカッコ悪いやん」
囚獄の勇者はそれらを受け取ると、願望の勇者に名乗る。
「おれは、囚獄の勇者。アンタから預かった幸運は、必ず勝利につなげる」
「また、どこかで」
2人の勇者は、それぞれの旅路に分かれた。
***
「…てなことがあったんや」
詳細を語って、受け取ったというものを見せたカイに、黒い羽の天使はしばし沈黙した。
(もしかして…)
彼には思い当たることがあった。大牢獄の主の、友である魔王。すべての願いをかなえる力を持った彼は、たしか片角ではなかったか。囚獄の勇者がそれを持つことによって、あらたな火種になるかもしれない。
「どないしたん?」
なんの警戒もなく、囚獄の勇者は首をかしげる。無性に腹が立った。深くため息をつく。
「君は何年冒険者をやってるんだ?警戒心が足りないんだよ反省しろ」
「え、その感想ひどない?いまのちょっとええ話やったやん」
気楽な勇者にもたらされた「幸運」が、なにを運んでくるか。案じるだけ無駄なようだった。
END