@kyuri_akita
昏い森の中で、その男は炎に映し出されて暗闇から浮き上がっていた。
ぱちぱちと木のはぜる音を上げる炎をぼんやりと眺める男は、その暗い森に気配を溶け込ませている。そのせいで炎に照らされる横顔は、まるで人ではないかのように生気を感じさせなかった。
そしてゆえに、森に棲むものにさえ見えてしまいそうなほど、よく絵になっていた。
著名な画家が描いたようなその男の美貌は、ただ森の中で休む旅人と言い切ろうとするには無理があった。
何せ、その光景が、美しすぎたのである。
その男、何も化粧はしていないというのに、はっとするような美しさが目を奪う。
そこらの女では太刀打ちできないのではないかと、そう思わせるほどに、目を引く顔をしていた。
顔が中性的と言うのも、もちろんあるのだろう。
そして肩よりも長い緑の髪の影響もあるのだろう。
とはいえ、その鎧と身にまとう恰好から、歴戦を重ねた戦士であることはわかる。身なりからでも十分に鍛え上げられた体を知るには十分で、よく見れば男だということがしっかりとわかった。
けれど何よりも視線が行くのは、その男の深い緑の目だった。
夏の緑陰のような涼しさの奥に、太陽の光のように強い意志がちらちらと燃えている。
成し遂げねばならぬという決意はあまりにも高潔で、硬い意志は宝石のように輝いていた。
汚れた鎧を見れば、その眼に映したものが決して美しいものばかりではないというのがわかる。
けれどそれでもその男は清らかで、汚れはしないのだった。
その高潔さがひんやりとにじむ緑の瞳は、美しかった。
誰しも汚れは厭う。けれどその眼に凄惨さを映しても悲しみに染まらぬ姿は、誰もがうらやみ、そして憧れる。
だからこそ、その男は視線を集めるのだった。
「わっ!!!」
「・・・・・・・」
そしてそんな男に、背後から近寄って驚かせようと近づいた黒い天使は、男が背後に顔をすら向けないことに、少々眉根を寄せた。
地に足をつけないまま、空中を移動して正面に回り込む。
男は、表情を変えることなく天使を見上げてきた。
「・・・君はからかいがいがないな」
「わかっていては驚くものも驚けないだろう」
わかってないなーと黒い天使は口の端を持ち上げた。
「そこはわざとでも作らないと!人生には驚きがないと、景色がかすんでしまうよ」
そうはいっても、この男の硬い意志は隠しようもない。
高潔さは尊敬に値するが、ゆえにどこか人間味を欠いたような部分があった。
だからこそ、黒い天使が勧めるように人間らしさを作り出そうとすれば、それはそれでこの緑の男は人形のようになってゆくに違いなかった。
だから、この男が自分の提案に乗らないとわかっていて。
天使は、わざとらしく口にする。
「・・・お前は景色がかすまないために、面白いことを探しているのか」
低く、それでいて聞き心地のよい甘い声で問われ、黒い天使は首を傾げた。
「どうだろうね。でも景色は鮮やかなほうがいいさ。そうだろう?」
緑の美しい男は天使から目をそらし、ゆらゆらと色を変える火に目を向けた。
「・・・お前に言われては、神のお導きとでも言われそうだ」
残念だよ、信仰心がなくて、と男は少しも残念そうには聞こえないように笑った。
見た目だけに反論がしづらい、と黒い天使は思わず眉根を寄せた。
己の背には大型の鳥のような黒い翼。
そして頭の上には砕けた宝石のような天輪。
服は下こそゆったりとしたものを履いているが、上は胸元を隠す程度の布しかない。体つきで男だということは分かるだろうが、その姿はどうあっても『天使』と称されるものだった。
「君のジョークは意外と笑えないよね」
「笑いを取ったつもりはない」
緑の男はすぐに笑いを引っ込めて、すぱんと言い切った。
天使でない自分の見た目の天使さにかけたジョークではないのかと思ったが、黒い天使の思惑は外れたらしい。
ふむ、と天使は空中を漂いながら、口元に手を当てて、至極真面目な顔で。
「・・・ぜひ君の渾身の一発芸を聞いてみたいんだが、どうだろう?」
と、提案してみた。
男は呆れを隠そうともせず。
「どうだもへったくれもあるか。エセ天使」
と、すげなく却下した。
「エー?どこからどう見ても天使なのにー」
ひどいなあ、と顔を緩めて笑えば、ふ、と男の瞳が曇る。
憎らしいような、それでいてひどく愛おしいものを見るような。
それでも確かに、その宝石のような瞳は懐かしいものでも見るかのように柔らかくなった。
改めて決意を眺めるような。
そんな目を、している。
きっとこの男自身はそんな自覚はまるでないのだろうけれども。
それこそが美しいのだと、周りに人間を引き付ける所以なのだろう。
「天使は髪が黒いのか」
そしてそんな目で、半ばなじるように言われては、黒い天使は否定する気も起きなかった。
「金色の部分もあるよ」
ほら、毛先とか、とまるで黒い髪に先のほうだけ染めたような金色の部分を指さす。ゆるいウェーブのかかった肩ほどの髪は、そのほとんどが黒かった。
世でいう天使はどれも、髪が金糸のようにうつくしいプラチナブランドである。
「・・・白い羽はどうした?」
己の背の翼を指されれば、くすくすと無邪気な子供のように天使は笑った。
「黒も黒できれいだよねえ」
彼の記憶では遠い昔、天使がみな白い翼であったことを覚えていた。
けれど黒い翼を悪いとは思わないし、むしろ闇に紛れるこの色を好んでいた。
こうなってしまったことを後悔もしていない。
もし、という別の可能性を考えなくはないけれども、こうならなければ知りえぬ出会いがたくさんあったと彼は思っている。
「で、君はそんな宗教論議を、ぼくとする気なのかい?」
無意味だよねえ、と肩をすくめて、ケラケラと黒い天使は笑う。
「・・・無意味か」
首を傾げた緑の男の言葉に、ますますもっておかしく、天使は笑った。
「無意味だよ。君は勇者で、天使も女神も、その存在を知っているわけだろう?」
その言葉を緑の瞳に映しながら、男は何も言わなかった。
「存在証明できない一般人とはわけが違うじゃないか。君はその眼で女神も天使も見たことがあるわけだろう?見えないけれど縋らずにはいられない人間たちとは、君は違うのさ!」
天使の言葉に、男は何も言わなかった。
これで激昂でもすれば天使はたいそう面白いと思えた。
だが、男の目は炎に向かい、きらきらと光を反射させて輝くばかりだった。
「・・・で、宗教論議をする気がないお前は何しに来たんだ」
もしかしてしたかったのか、と天使は思ったが、語り合うことはやぶさかではなくとも、内容が内容だよなあ、と思い、苦笑した。
「なんだよ、ご機嫌いかがと気分でもお伺いにきたらいけないのかい」
じろり、と緑の男から疑うような視線を向けられた。
本当かと問われるようなその眼に心外だなあ、と黒い天使は口の先をすぼめる。
「君と世間話をしに来たんだよ。人間はご機嫌いかがってお話しするだろう?」
人間は、という言葉に、男は一瞬口元をゆがめた。
しかしまずいものでも食べてしまったような表情はすぐに消え、炎のぼんやりとした灯りをその眼に映す。
「何かいいことでもあったのかい?面白い顔をしているよ」
「・・・」
表情の変化を指摘すれば、緑の男は何を言うわけでもなく、訴えるような視線を向けてきた。
まずいような言葉を差し出したのは自分だけども、表情が変わるのはいいものだ、と黒い天使はにこにこと笑う。
「・・・いいことはないが、嫌な噂は耳にしたな」
へえ?と黒い天使が片眉をあげて興味を示すと、男は重たいため息をついた。
「詳しい情報がほしいなら、図書館に住む勇者のもとに行ったらいい。なんでも『聖女の右腕』だそうだ」
ばさ、と背中の黒い翼が動く。にこりと緩んだ顔の中で、天使の明るい瞳からは笑みが消えた。
「『聖女の右腕』、ねえ・・・」
眉唾に近いがな、と緑の男は炎の中に木をくべた。
ぱちぱちと燃える炎をぼんやりと眺めていると、いつかもこうしていたら、夢のように誰かがやってきたことを思い出す。
まるで、この炎のような。
そんな誰かを。
「『オルハザルの右腕』・・・オルハザルはその聖女の名前だが、都市の名前でもある」
ぽつり、と男がつぶやけば、黒い天使は首を傾げた。
「聖女聖女って連呼しているけど、聖女って何さ」
天使ではないが、見た目のごとく、彼は天使だったときもあった。
ちがうのかと言われれば確実にイエスだけれども、自分を作り給いし主は間違いなく神だった。
だからこそ、彼にはその『聖女』がなんであるのかわからない。
自分の創造主が、何かの気まぐれにしても、一般人に何かしらの力を与えたということは、まずない。
それだけは断言できる。
彼女が気まぐれを起すなら、『ゲーム』を使わないはずがない。彼女の関心は大部分が、もちろん暇をつぶす目的ではあるが、とある『ゲーム』に注がれていた。
だからその『ゲーム』以外のことに気まぐれを起すぐらいなら、『ゲーム』に新しい要素を取り入れるほうを選ぶだろう。
と、考えたところで、黒い天使は一つの可能性に至った。
「・・・宗教論議は、無意味ではなかったのか」
男に自分の言葉を返され、はは、と黒い天使は苦笑した。
「ああ、無意味だね。君自身が語るのは全く意味がない。でも、どうしてこう、君のようなものは、宗教が付いて回るんだろうなあ・・・」
人間だから仕方ないのかもねえ・・・としみじみとつぶやく黒い天使のほうが、よほど人間くさい、と緑の男は思った。
「無意味だけど、これは宗教の話じゃない。っていうか君、本題はこれかよ。この話題を振りたかったのかよ」
口下手か、と黒い天使がツッコミを入れると、緑の男は何も言わずに顔を背けた。
わりあい素直な動作に、黒い天使は苦笑する。
「『聖女』って、そのオルハザルっていうの、勇者かな?」
緑の男は目を細めて、ふーと息を吐いた。
「可能性だ」
はあ、と男は重たい息を吐いて口を開いた。
「君が可能性だなんていうのかい?知り合いじゃないの?」
ばかいうな、と緑の男は眉根を寄せた。
「都市の名前になるようなレベルだ。伝説も伝説。眉唾だと言っただろう」
「ウワー伝説の勇者がなんかいってるー」
そこについては否定できないらしく、うっと翡翠の勇者は小さくうめいた。
「てっきり長生きだから君の知り合いかと思ったぜ。君が伝説なんて言うくらいじゃ、相当昔だなぁ」
長生きであることを翡翠は否定せず、むしろなぜ知らないんだ、と黒い天使に目を向けた。
「人間の伝説を一々精査するほど暇じゃないよ、僕も」
「こうして私の前に現れるくらいだから、相当暇だと思っていたが・・・」
君、何気にひどいよね、と苦々しく笑い、黒い天使は顔を横にした。
(むしろ、なぜ今出てきたのか、が問題だなあ・・・)
いろいろと意図を探りたいところではあるが、はたしてどう絡み合っているのか。
これはほどいてよいものなのかの判断が、彼にはいまいち判別できなかった。
「オルハザルは、その聖女により魔王を退けたという伝説がある。実態の如何や、町について知りたければ、それこそ書物に乗っているとは思うが」
「ウワーそれもう勇者だよ、絶対勇者」
間違いないね!と目を輝かせて断言する天使に、翡翠はまた炎の中に木をくべた。
からん、と木がぶつかる音が、小さく響く。
「だが、勇者だとしても、彼女は生きてはいない」
「・・・なんでそんなことがわかるのさ」
君だって伝説だけど生きているだろ、と首を傾げると、翡翠は目を伏せた。
「伝説は終わりまであるからな。彼女は魔王を退け続けた。そして、とある魔王に力のすべてを開放して相打ちになった」
はーん、と黒い天使は腕をくんだ。
「彼女は魔王を殺して殺されたのか」
本当に女神に選ばれた勇者は、死ぬことはない。
女神の寵愛は、勇者の魂を地上へ縛り付けて離さない。彼女によって何度でも再生し、戦い続けることができる。
だが、偉業を成し遂げられても、自分で名乗りを上げても勇者と主張することはできる。
だからこそ、本当に女神の加護がない勇者も中にはいた。
本物、偽物と区別するつもりはないが、女神に選ばれた勇者とそうでない勇者には、決定的な差があった。
女神に選ばれた勇者は、死んでも蘇るという、決定的な差が。
しかし何度でも蘇る勇者にも、女神の寵愛から逃れる方法がないわけではない。
「しかしそんな伝説、歴史の一環として流れてればそれで終わりのような代物じゃないか。なぜ君は『聖女の右腕』なんて話題を出したんだ?」
なぜ、と聞けば、翡翠は片目を眇めた。
はるか昔を思い出すような、過去に目を向けるような横顔は、一抹の寂しさがあった。
何が彼をそうさせるのか、知りえてしまうことは簡単だが、黒い天使はその悲しさに触れなかった。
しかしその表情ですら、造作の整った顔は、凍てつくような美しさがあった。
これ絶対一部の人に好かれるよなあ、と黒い天使は場違いに思いつつ、翡翠が口を開くのを待った。
「・・・盗まれたからだ」
「盗まれたあ!?」
驚きのあまり黒い天使が大きな声を出せば、ばさばさと鳥が羽ばたいてゆく音が翡翠の耳にまで届く。
翡翠の能力ゆえにあまりおかしなものは近づかないだろうが、それでも目立つのでやめてくれ、と思う翡翠だった。
「なにそれ!じゃあ、今はどこにあるかわかんないの!?」
うるさいぞ、と翡翠はめんどくさそうにつぶやいてから、そういうことになるな、と肯定した。
「オルハザルの町の教会に厳重に保管されていたそうだが、町が規模のでかい魔物の集団に襲われて、町が壊滅状態になった。金品、人間といろいろなものが盗まれ、その中に『聖女オルハザルの右腕』があったそうだ」
うわーと黒い天使は目元を覆った。
むしろ彼女には関係ないのではないかという思いもするが、この目の前の勇者からそんなことを聞いてしまっては、動かざるを得ない。
関係ないのならばいい。それならば、ああ、自分の勘違いだったと笑えば済む話だ。
だが、そうでなかった場合を考えると、動かざるを得ない。
(あのひと、そんなもの残してどうする気だったんだ・・・何かしらの加護があったのか?だとしたら、こういう動乱がいつか起きてなにかしらの動きがあることを期待していた・・・)
あり得る、と思ってしまったから、黒い天使はあきらめた。
これは探し出すしかない、と肩を落としたところで、はたと黒い天使は気づいた。
「・・・君はどうするつもりなんだ?」
翡翠は炎のなかに薪をくべ、重なった赤い炭を動かした。
「私は町の生き残りの人々から助けてほしいと言われたから、探している。少々不自然な点もあるしな」
不自然な点?と黒い天使が口に出しているのを咎めるように、翡翠は顔を上げた。
「・・・なぜ魔族の集団が、人をさらう?」
ハ?と天使は思いっきり顔をしかめた。
「なぜって食べたりしたりいろいろ用途はあるだろう・・・?」
「それとて殺してしまえばいいだけの話だろう。『聖女の右腕』も、魔族に価値が生じるとは思えない。魔王を退けていたものの腕だぞ」
魔族が近寄りたがるはずがない、という翡翠の言葉には一理あった。
(僕はともかく、たしかに普通の魔族が近寄りたがる代物ではない・・・)
黒い天使は、夕焼けに光る閃光のような瞳をすこしだけ眇めてみせた。
その瞳に、ぶわっと様々な光度の線が映る。
線、というよりは糸のようで、たくさんの輝きの違うそれは空中を漂っていた。また目の前の男にも大量に巻き付いており、その中の一つを探し出す。
いちばん明るい糸に触れると、町の人々らしき人間と会話する光景が視界に映る。
焼け落ちた家屋の残骸と、悲しむ人々。
(ああ、ひどい光景だ)
ここが本当に町だったのかと思うようなひどい崩壊ぶりだった。
『お願いします、勇者様!町の学院に通う子たちはみな連れていかれてしまいました!どうかお助けください!』
女の人に縋りつくように懇願されて、彼はもちろんだと返した。
『その学院とはどんな?』
『魔法を体得するためのものです・・・この町では、聖女の加護なのか、魔力を持って生まれる子が多いのです』
お願いします、どうかと縋りつく女性は、その学院の教師らしかった。目に涙をためる彼女は確かに哀れに見える。
ぱち、と瞳を瞬けば、翡翠の勇者が赤い炎を眼に映して、黒い天使をじっと見ていた。
「・・・君の言うことは理に適っている。そうだな、それっぽい情報があったら、君に知らせに来るよ」
本当に来るかどうかはさておいて、黒い天使はにこりと無邪気に笑った。
「助かる」
と、翡翠の勇者は小さく礼を述べて息を吐く。
「次に会った時は、君の渾身の一発芸を期待してるね!」
笑顔でそんなことを付け加え、ばさりと天使は黒い翼をはためかせた。
星屑が銀砂のように散らばる夜空に、黒い天使が舞いあがる。
見れば誰しもが恐れる、黒き翼の厄災はこうして動き出した。
人に恐れと悲哀を運ぶ使者。
人々から黒き厄災とささやかれる天使。
彼は人々から『災』と、そう呼ばれている。