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終幕 彼のその先へ

全体公開 1 5918文字
2016-08-19 22:45:18

「にーなにーな」
舌足らずに背後から呼んでくる声を無視して、書館は目の前の動きを観察していた。
ソファに座って眺める背後には悪魔がいたが、書館は相手をしないことにした。
びゅ、と空を切って繰り出される拳を、白髪の男は口元を歪ませながら、寸でのところでよける。
白髪の男は、黒い陶器のようなものでできた左手を相手の腹めがけて伸ばした。獲物を捕らえる蛇のように伸びた黒い腕は、とん、と相手の腹に触れる。
その瞬間、相手が書館の視界から消えた。
ごふ、という声に視線を向ければ、元いた位置からだいぶ吹き飛ばされて相手が床に寝込んでいる。
「そこまで」
と、白い虎が声を上げて、壁の端にいた数人に、寝転がって動かない相手をどこかへ運ぶようにと指示した。
その部屋は、何もない広い部屋だった。壁に黒いしみがあったりするのは、ただの模様ではないが、それでもかわいいものだろう。
部屋の中には体の鍛えられている人間と、動物だったり、異種族だったりが集まっていた。彼らは一様に誰かと戦いあっているが、それは殺意のない訓練である。書館はその部屋の端で、本を読むこともなくそれらを眺めていた。
そして白髪の男は上機嫌に腕をぐるぐると回すと、彼のほうへと近寄ってきた。
「問題ない!」
近くまで来ると、そう言って笑うので、書館はよかったと立ち上がった。
「ぼくは何度も言う、けど」
かすれた声に小さく息を吐いて、書館はにこにこと笑う白髪の男に顔を向ける。
運動するための肩までの短いシャツからのぞく黒い左腕と、同じような左足は反対の右半身の生身。
そのアンバランスさに、彼はちらりと目を向ける。
「戦うたびに、体を壊して戻ってくるのはやめてよ。腕も足も作り直しになると、本が読めない。わかる?バーデ」
バーデは、紫色の右目を細めた。
左は書館によく似た青い色をしているが、目の周りには傷跡が変色して広がり、動きを鈍くしていた。
この間までなかった左の眼球は、問題なく動いているようだった。顔の周りの筋肉の動きが鈍いのは仕方がないだろうかと、書館は首を傾げた。
「・・・お前が、俺のために、曲げられない読書の時間を削るというのは、気味がいい」
バーデがそう言って無邪気に笑うのに、はあ、と書館はため息をついた。
そしてどさりとソファに腰掛け、訓練の様子をぼんやりと眺めた。
「そういうことを言うから、アベルが狂ってるフリだって言うんだ」
あはは、とバーデは首を傾けて、口を開けて笑った。
「お前のこと以外、覚えていられないのは本当だ。仕方ないじゃないか、俺はお前に『助けられてしまった』んだ」
お茶は飲むか、というバーデの言葉に、もらう、と書館は返事をした。
バーデは慣れた手つきで、ソファのそばに置かれたテーブルに用意されたティーポットに茶葉を入れた。
「いつも思うけど、助けられてしまったって、じゃあ死にたいの?」
首を傾げる少年に、バーデは苦笑した。
「ニーナはすぐ、殺す、死ね、生きるの選択肢を取り出すけど、普通は殺さないし死なせない。できる限り、生かそうとするんだ」
でも、それをしないだろ、という壊れた男の言葉に、青い目をした少年はうなずいた。
「意味がないじゃないか。死にたいのを生かしても、うるさいのを生かしても」
「なまじ、殺せるからそう思えるんだろうけど、一度のミスで何でもかんでも殺してたら、人間はみんな死んでしまう。だから俺は生きながらえてしまったことを後悔しても、わけがわからなくて寂しくなっても、お前が可能性を提示したから生きたい」
こと、かちゃ、と陶器がぶつかる音を耳にしながら、書館はバーデから目をそらした。
上を向けば、構ってほしいらしい悪魔が、ヒト型になってにこにこと笑いながらこちらを覗き込んでいる。
「ニーナは殺しても死なないし、勇者となったときに、『よくなかったもの』をたくさん殺して、一人で助かってしまったから、かわいそうだなあ」
こぽこぽ、とお湯が注がれると、ふわりと甘いにおいがした。
ベリーの味がするのだと言ってバーデが買ってきたその茶葉の、ベリーを書館は見たことがない。
前も後ろも髪を伸ばしっぱなしの悪魔は、普段はヒト型にならない。久しぶりにヒト型になったそれの髪が、書館のすぐそばまで届いた。
「・・・じゃあ、ぼくは、何も殺さなければよかったのか」
悪魔を見上げて、書館は小さくつぶやく。
バーデはいれたぞ、と声をかけた。
書館が視線を向けると、バーデはにこにこと笑っていた。
「お前が殺さなかったら、俺が殺した」
それは復讐だから、俺は生きようと思わなかった。
その言葉に、書館は首を傾げた。
書館は勇者として神から信託を受けてすぐ、大量の人間を殺した。それは狂った王国の、研究機関の人間だ。
バーデを壊すまで研究材料として、書館さえも研究材料にした、非人道的な研究機関。
そこで研究員だった人間の、ほぼすべてを、書館は覚えたての魔法で殺戮した。
「ぼくのは復讐じゃないの」
受けていた扱いは同じだと、書館は口にした。
けれど、ちがうとバーデは口にする。
「お前は、本が読みたかっただけだろう。・・・でも、そんなお前に一人で助かってほしくはなかった。俺が正気だったら、お前を助けて、そんな哀れにしなかったのに」
ぼくは哀れか、と書館が問うと、バーデはやはり、にこりと笑う。
「俺はお前がいとしい。だが、それをニーナはわからないし、俺は意味が分からなくなる」
助からずに死んだほうが楽ではあっただろう、とバーデはカップを差し出した。
「いとしいことは、憎いことだ。知らずに済むほうが楽ではあるが、知れば幸福ではある。俺はそれを手放せない」
わけがわからない、という書館は、カップを受け取った。
お茶をすすれば、確かに甘い味がじんわりと広がった。
「お前は与えられる前に閉じ込められ、奪われてしまったから、もっとそういうことを知れたらいいのにと思う」
バーデの言葉は、書館にはいつもわからなかった。
壊れているのはそうだろうけども、それでもバーデと出会った当初は彼が口もきけなかった。
それを考えると、今は狂ってはないと書館は思っている。
彼の言葉は書館には難しい。
ましてや目に見えない感情なんてものは、とてもとても難しい。
どんな感じかと、大きな翼を持つ仮面の鳥に聞いてはいるけれども、それも本を読んでいると本当だろうか、と疑問がわいてくる。
それでもその鳥の言葉を思い出せば、いとしいということは、やさしくしたいことだったと思い起こす。
「・・・やさしくしたいことが、いとしいということ?」
疑問を口にすれば、バーデは書館の頭を撫でた。
生身の大きな手は、戦うものの証か、ごつごつとしていて厚かった。
「答えはたくさんある。だから、ニーナはいつか、これだと思うことを答えにすればいい」
ずず、と書館がお茶をすすると、バーデの手は離れていった。
かしゃ、と黒い左手が、軋むように音を立てた。バーデのその手に視線を向けて、書館は俯く。
「ぼくだって、きっと、いとしさを持ってる」
それが愛しいと言えるのかは、彼は自信がない。
けれど、バーデを見ていると、やさしくしたいと、書館は思うのだった。
できることなら、その体をどうにかしたい。
そして覚えてられないという、壊れてしまった彼の心を治したかった。
赤い髪の側近だって、きれいに治したかったのに、彼はこれでいいのだと目を青くしてしまった。
「にーな、にーな」
ぼんやりとお茶をすすっていると、背後の悪魔は鳥の姿になって、書館の膝の上に乗った。
「あれ、たべていい?」
あれ、と言われて、中に視線を向けると、透明な白い鳥型の何かが、空中を舞っていた。
明らかに実体のないそれに、書館は愕然とした。
「・・・いいよ。食べてしまいなよ」
呆然としながらそうつぶやくと、やったーと鳥はばさりと翼を広げた。
「おろかものだ」
鳥の姿をした悪魔が、透明な白い鳥へ向かって飛び立っていくのを見つめて、ぽつりとつぶやく。
この間、とある非合法オークションから奪い取った魔界の本に取り付く悪魔は、好きな姿を与えていいらしかったので、一番見る鳥にしてみた。
そしてそのオークションにいた、とある男にも、鳥を冠する名をつけた。
暗い絶望から、飛び上がれるように。
自由へ飛んでいけるように。
いとしくはなかった。
やさしくしたいとは、思わなかった。
書館はその男の悲しみや苦しみを、理解はできなかった。それでもどうにかしたいという彼自身の意思は理解できたので、彼が望むことは手助けしてやった。
死にたいというから、書館はその理由まで与えた。
だというのに。
と、広い室内の天井近くで、緑の鳥が白い透明な、実体のないそれを大口を開けて飲み込んだ。
ごくり、と飲み込んで、書館のほうへと翼のかじを切ったとき。
「ぎゃああああ」
と、悲鳴のような、鳴き声のようなものを上げた。
室内にいた誰もが一斉に振り返り、鳥を見上げた。
鳥の姿をした悪魔は、紙飛行機のように、徐々に高度を下げる。本来ならば膝に戻ってくるはずの鳥は、そのまま下降し、書館の目の前の床にべしゃりと落ちた。
「あ、い、いだあああああああッ。う、まずいいいいいい」
ばたばたと鳥が涙目になってもがく。
そのさまを、書館はただ眺めた。
となりのバーデも何も言わない。
室内で訓練に戻れ、という声がしきりに響くだけで、ばたばたと罠にかかったような鳥の動きだけが雑音だった。
しかし、ぼきり、と枝が折れたような音とともに、鳥の翼の部分が伸びた。
「う、うう・・・」
目の端に涙を浮かべた鳥は、けれど書館を見て確かに笑った。
ばきり、と明らかに体の中が折れたような音を立てて、翼の先が五つに割れる。それは体毛をはぎ取り、人の手の形へとなっていった。ごりい、と体の内部をすりつぶして押し広げるように、足は伸び、鋭く曲がった爪は縮む。ばさばさと体中の体毛が抜け落ち、かわりに、ばさりと髪が伸びる。整えられもしない髪は、ヒト型になったときのように前も後ろも無造作に伸びていた。
ごきん、と首が伸び、体毛が抜け落ちた顔が人のそれへとなっていく。あばらが浮くほどがりがりに痩せた体は何も纏わないまま、書館の目の前には青年と呼べそうな人間が座り込んでいた。
けれどその右頬から首あたりまで、黒い鉱石がぽつぽつと肌から浮き出ている。
まるで生まれたてのような赤子のような、そんな目をして。
書館を見上げる。
先ほどのヒト型と違うのは、その瞳がやけに暗そうな色をしていることだった。
書館は羽織っているマントをほどくと、ばさりと広げた。魔法を使って広げたそれは、意図に添って大きな一枚の布となる。
それを生まれたてのような青年の肩にかぶせた。
「ばかやろうだ」
書館はソファから立ち上がって、目の前の青年にそう言い放った。
「ぼくは死にたいというから、絶対に死ねるように食べられてしまえと思ったのに。おまえの魂が鳥の形になれるように、とまじないはしたけど、それも世界を巡っていれば、おまえは自然と消えるようになっていたんだ」
勇者の幽霊は、魂の名残だった。
そんな名残が疑似的なものでも勇者になって、町を破壊したいと願うようなものを生み出した。
だから書館は、それごとすべて過去の遺恨を清算してしまうつもりだった。
勇者の魂を食べる彼に、聖女といわれたオルハザルの魂を食べてもらい、本来の体の持ち主である彼の魂は、逃がすつもりだった。
彼の魂は、勇者に選ばれたそれではない。だからこそ、生き物の形をとれば、魂は自由になるはずだった。
書館は苦しみや悲しみを理解はできなかったけど、彼の話を聞いて、知ってはいたので。
運命に翻弄された彼をやさしくしたいとは思わなかったけれど。
それでも、少しくらいは自由があってもいいんじゃないかと、彼にかけられた呪いを少しだけ変えた。
聖女であった彼女と混ぜられた彼が逃げられるように。
きっと勇者たる彼女の魂はすべて食べられているだろう。過去に死んだ者がいつまでもくすぶっているから彼は自由ではなかった。
だから彼の魂は、自由に羽ばたいているうちに、力を失い、自然に帰るはずだった。
書館の目の前に現れなければ。
「・・・おれ、は」
ごほ、と体を得た、かつてオルハザルという町の名を名乗った悪魔は、書館を見上げた。
「しにました」
ああ、だろうね、と書館は顔をゆがめた。
久しぶりに動かした顔の筋肉は、ひどく動きが悪かった。
「あのまま、消えてなくなってしまえばよかったんだ」
書館の悪態に、青年の魂を食らって宿した悪魔は、その体を貸して目から涙をこぼした。
「もしがあったら、あなたにちゅうせいをちかいたかった」
だからきました、という言葉に、はあ、と書館は息を吐いた。
「忠誠なんていらない。おまえ、わかってるのか。悪魔に食われて、悪魔と化しているんだ。勇者の次は、いよいよ本物の化け物になる気か」
ぽた、ぽた、と涙をこぼす悪魔は、まぶしいものを見るかのように、微笑んだ。
「・・・あなたのすくいに、むくいたいんです。そのためなら、あくまでもばけものでもいい」
書館はその言葉に、はあ、と重たい息を吐いて、顔を覆った。
それもまた彼の意志かと思えば、無下にすることもできない。
「・・・それがお前の意志なんだろう」
ようこそ、と書館は無表情に悪魔を見下ろした。
「ここは疎外を拒む図書館だ。あらゆる意志は、誰にも邪魔する権利はない。殺すものは、殺される覚悟を持ちたまえ。邪魔するものは、邪魔される覚悟を持ちたまえ。己の意志に、ためらうことなく研鑽せよ」
この国で図書館の職員の入館式に使う言葉の一部を口にし、書館はとん、と長い袖で悪魔の額に触れた。
「お前は今日から、デューク・タブリスと名乗れ」
いいな、と威圧的にいった書館の言葉を受けて、デュークは嬉しそうに破顔した。
理解できないその表情に、書館は考えることをやめた。
次に読む本は、感情に関係するものにしようとあたりをつける。
けれど本を読む前に、自分の側近にデュークを引き渡す仕事が増えたことに、めんどうくさいとソファに座り込んだ。
もう少し休憩してからにしよう、と書館は残っていたお茶をすすった。
となりを見ればバーデが笑いをかみ殺しているので、書館はお茶を飲み干してしまうと、いつもの無表情に不満さを混ぜて、お茶のお代わりを要求した。


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