東さんの書いてくださった闇オークション災編、『救えない男と救われるもの』のラストシーンから続くお話になります。『救えない男と救われるもの』⇒(http://privatter.net/p/1742522)
@san_ph7
「着きましたよ、お客さん」
大混乱を起こしているだろうオークション会場を脱出して、彼はしばらく囚われのお姫様、もとい囚獄の勇者を腕に抱いて夜を飛んでいた。少し離れた森の中に着地すると、横抱きにされた勇者をそっと地面に降ろしてやる。
「おおきに……」
「何だ、怖かった?」
そら窓から飛び降りたらなぁ、と勇者は照れたように頭を掻こうとして、その肘から先がないことを思い出し、それから反対の手に抱えたガラスケースに収まった自分の切断された腕を見る。何しろ片腕のない状態でケースを落とさないようにするために、彼にしがみつくわけにはいかなかった。彼も落とすつもりなど毛頭なかったが、ただ抱えられたならまだしも窓から飛び降りて、そのまま真っ暗闇を相当な速度で飛んだのだ。怖がらないはずがないだろう、と彼は思ったのだが、
「せやけど空を飛ぶなんて、お陰でえらい珍しいことさせてもろたわ。ウィルが飛んでるときはいつも、あんな風に見えとるんか。気持ちええもんやな。そんなら、腕落としたんも少しは悪くなかった、かも!」
楽しかった、と当人はカラカラと笑った。腕の代償に一回分の夜間飛行が釣り合うと言いたいらしい。ばかだな、と彼は思った。腕なんか落とさなくても、抱えて空を飛ぶぐらい彼には造作も無いことだ。もう少し気を払っていれば、こんなことにはならずに済んだだろうか? 片腕のないまま何てことなさそうに笑う勇者を見て、彼の心はやはり痛んだ。綺麗に塞がった切断面に手を伸ばす。触れられてむず痒そうな顔をしたその人に言う。
「この腕を、元に戻さないと」
「あてがあるんか?」
「あてというか、何というかね。恐らく今回君が巻き込まれたことと、僕が見てきたこと、全てに関わっている人物がひとりいる。彼なら治せるかな」
「待った。その言い方やと、ウィルとおれが関わったことは根っこは同じってことになるんちゃうか?」
「……なるよ」
巡り合わせとでもいうのだろうか。それとも彼が不幸を引き寄せたのか。どのみち偶然というには全く都合が良すぎた。目の前の人は困惑した表情を浮かべている。何故、と問われても、彼には答えられない。目を逸らした。
「だから、僕が君を助けに行けたのも、前段階があったからだ。そうで、なければ」
彼は黙った。
それから彼らは、夜の森の中で野営の準備をした。空は高く澄んで星が輝き、雲などひとつもない。雨の降る心配をしなくてもよいのは幸いだった。星明かりを頼りに枝を探してきたその人からそれを一本だけ取ると、地面に線を引き始める。
「今はもっと簡単にする方法があるんだろうけどね」
小さく出来上がった魔法円の中に枝を組むと、短く詠唱した。ぼっ、と内側が光り火の粉が漏れ、それが枝に引火し燃え始める。
「ウィルは魔法使えるんやな」
「でも僕のはすごく古いやり方だ。それに僕が使う用に少し変えてある。君には教えられないし、そうだな、覚える気があるならこれから行く国で少しは勉強できるかもしれないよ。君にその気があればだけど……」
ちらとその人の顔を見る。えーと、と言葉を濁して目を逸らされた。仮にも勇者なのだし、扱いの全くできない器というわけでもないのは彼が見ても分かることだったが、本人にその気がないなら仕方ない、と彼は思った。
「せや、これから行く国って?」
「書館の国。君は知ってるかい? 偉大な魔法使いの治める、本だらけの国さ。知識と英知を極めた頂点に座る、王冠を頂かない小さな王様」
「あ、おれそこ行ったことあるわ。でも、その"小さな王様"には会うたことはないと思う。その人が、今回の」
彼は思い出す。アベルという男と、そして緑の色のフードの男の中で見た未来と過去。空色の瞳の少年、あれが恐らく書館の勇者と呼ばれる者だろう。ぶれる映像、複数の糸、未来が書き換わったこと。彼の未来に、何らかの干渉で割り込んできたかのように思えた。それも魔法を用いて。そんなことができる人間で、その上あの容姿なのだから、検討がつかないはずもなかった。一体どこで彼と書館の勇者の糸が交錯したのか、何故そうした仕掛けを施したのか、彼にはまだ分からない。分からないが、彼のような『未来を知ることができる』存在を探しているとしたら、それは相当危険なことだ。そして、囚獄の勇者の腕を元に戻すために、彼はこれからそこへ向かうつもりでいた。乗り込むのはいいとして、この勇者が危ない目に合うのは彼にとって本望ではない。
その人を見る。焚き火に枝を放り込んで、
「オルハザル……」
そう呟いた。
彼は思わず眉根を寄せそうになるのを我慢した。ささくれだった心がさらに荒れる。
(人の気も知らないで)
この囚獄の勇者というのは、どうにも諦めの悪い男だというのを彼はよく知っている。恐らく今回も、助けられるなら今にだって助けにいくのだろう。自分の腕を切断し、相応しい結末を迎えるために自分を利用した"オルハザル"という男を、救えるなら救いたいと、本気でそういうのだろう。ばかだな、と彼はまた思う。オルハザルの希望は"破滅"である。希望をばら撒く勇者には、きっとその選択肢は理解できなかったはずだ。そう、だからこそ、彼はオルハザルという男が心底気に食わなかった。腕を切断し、己の死のために利用した男を中途半端にしか突き放さなかったオルハザルに、こうしてあの場所を離れた今でもこの勇者に名前を呟かせるそれに、彼は無性に腹が立っていたのだ。そしてその破滅を含む"計略"を建てた、未だ見ぬ小さな勇者にも。
「そいつのことも、聞くといい。僕がどうなったかなんて語っても仕方ないだろうから」
努めて、冷静を装う。しかし恐ろしく抑揚のない平坦な声になってしまったので、流石にその人も気づいたようだった。
「ウィル、なんか、怒っ……とる?」
「怒ってない」
「いや、せやけど」
「カイ」
そう呼ばれ、困ったような、申し訳無さそうな顔をしたその人の額を、ぺち、と叩いた。
「僕は、君に怒ってるんじゃない」
「やっぱり怒っとるんやないか……」
揚げ足とんなよ、と口を尖らせる。カイはいつもより柔く叩かれた額を手で押さえた。勢いの足りず、情けない音の鳴った後、ふたりはしばらく黙った。ぱちぱちと薪の弾ける音がする。
「……寝ろ、カイ」
この勇者に、今持てる最大限の優しさを伝える為に、彼が絞り出した一言だった。
「疲れたろ。この騒動で君は、いろんなことに巻き込まれすぎた。……何一つ、君のせいじゃないのに。僕がもう少し、気づくのが、早かったら。だから、僕が君の腕を元に戻すために同行するのは当然だ。それについて文句があっても言うな、聞きたくない」
「文句なんかあらへん、おれ、ウィルに感謝してる」
おおきに、と呟いたカイの方を見ず、手でその頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。カイがわーっと妙な調子の声を上げたので、彼がこらえきれず笑ってしまうと、その人も笑った。
「はぁ、寝ろ。明日は早い。僕の姿は昼間は目立つし、飛ぶなら暗いうちからだ」
「おお、またウィルと一緒に飛べるんか!」
でもあれは、ちょっと恥ずかしいなぁ、と照れたように言う。横抱きにして飛んでいたからだろう。まさか背負うわけにもいかないし、手を掴んで飛ぶわけにもいかない。
「明日一回ぐらいだろ、我慢しなよ。僕だって運ぶなら女の子の方がいい」
何か言いたげなカイを遮って、無理やり横にならせた。コートを上から被って、腕の入ったガラスケースをすぐ横に置く。
「おやすみ、カイ」
「……ウィルは寝ないんか?」
「僕はいい。火の番でもしてるよ。気にするな」
でも、と言いたそうな顔を見て、彼は微笑みながらもう一度、おやすみ、と声をかけた。その人はしばらく目を開けていたが、そのうちに瞼を閉じて、穏やかな寝息を立て始めた。
彼は炎を見つめた。枝を放り込んで、詠唱をする。炎は一瞬勢いよく燃え上がって、また元の大きさに戻った。
緑色の瞳に、橙が反射して映る。虚ろ気な緑は、火に照らされても尚暗い。
希望を振りまく勇者と、破滅を願った男と。
何が違うのだろう、と彼は思う。オルハザルと自分は、何が違う? こうして今も破滅を求めながら、けれどこの勇者を手助けしたいと思う自分は、全ての運命を白紙に戻そうとしながら、しかし未だに希望を探す自分は、一体何だというのだろう。
ひどい焦燥感に駆られて、彼は顔を伏せた。それでも目を瞑るわけにはいかなかった。まだ眠るわけにはいかなかった。この計画を止めてしまうわけには、いかなかった。
未明、彼はカイを揺り起こし、そのまま腕と彼とを抱えて空へ飛び上がった。夜半よりじわじわと気温が下がり、あまりに高いところを飛ぶと気温の低さからカイの負担になるだろうと思った彼は、闇にまぎれて低い高度で飛んだ。当のカイはというと、起こされたときは眠そうにしていたのが、冷気と風に当てられて目が冴えたのか、眼下に流れる景色を子供のような表情で見ていた。
地平線が明るくなる頃には、目的の国へ到着した。それから、彼は先にカイを国の中へ向かわせ、自分は外に残った。流石に背に翼を残したまま中へ入るのは懸命ではない。面倒だな、全く、とぶつくさ言いながら彼はいつもどおり魔法円を描いた。その中へ入り、詠唱する。この魔法円は簡易的なもので、長く彼の体を縛ることはできない。どの道姿を晒すことにはなるだろうが、だからといって騒ぎを起こすつもりもなかった。
おおよそ何時間ぶりかの人間体を得ると、彼は灰色の外套を適当に纏って、何てことはない顔で国に入った。途端、まるで水面を抜けたような感覚がした。恐らくこれで感知された。当然だろう。彼は魔王である。そしてここは勇者のいる国だ。
糸を辿りカイを見つけた。腹ごしらえを済ませたのか、うまい飯屋があって助かったと満足気だった。その背にはガラスケースではなく、黒い箱のようなものを背負っている。聞けば目立つからどこからか都合してきたという。しっかりしている。
そうして国の中を目的の場所へ向かってまっすぐに進んだ。彼は赤い髪の男と接触しているお陰で、ふたりの間に発生した糸を辿り、その人に辿り着いた。
「やぁ」
彼は赤い髪の男を見つけて、にこやかに話しかけた。
煙草を咥えたその人は、彼を見つけるとその火を消した。
「お待ちしてました」
「だろうね」
先ほど国に入った瞬間から、恐らく人外の何かが侵入したことなどお見通しだったのだろう。その人は待っていた、と言った。
「君の主人は、僕がここへ来ていることをもう知っているということ?」
「まさかこんなに早いとは、思っていませんでしたけどね。こちらへどうぞ。お連れの方も」
そう言われて、カイは律儀に赤い髪の青年、アベルに挨拶をした。
ふたりはアベルに導かれ、黙って進んだ。沈黙に耐え切れなくなったのか、彼の隣を歩くカイがこっそり話しかけてくる。
「待っとったて言うてたけど、こっちの事情はどこまで知っとるんやろうか」
「君が腕を落としたことは、少なくとも知っているだろうね。ただそれが君だとは知らないかもしれない。それに彼の関心は、たぶん君でなく僕だ」
「……ウィルに?」
頭上に疑問符を浮かべたカイに、彼はどう言葉を選んだらよいものかと思案した。
カイは彼の能力のことを知らないのだ。過去から未来までを見通し、結末以外の過程を操作することができる、など、こんな路上の立ち話ではできそうになかった。
「君にうまく説明できない。今、話すのはタイミングが悪すぎる」
それに、彼らを導く書館の従者にも聞かれたくない。静かにその背を見つめていると、カイも察したのか黙った。ただ、何となくこのまま何も言えないのは、居心地が悪い。
「話せる時が、きたら……話すよ」
カイの方を見ず、ぼそりと小さな声で呟いた。聞こえたかどうかは分からなかった。
彼らがしばらく歩いた後、ぴたりとその人は歩みを止めた。見れば路地はそこで終わっていた。途端、目の前に重厚な、両開きの扉が現れる。感嘆の声を上げるカイと、やや胡乱げにそれを見る彼とに、アベルは言った。
「お入りください。中で私の主人が待っています」
その部屋は、一面が真っ白な花で覆い尽くされていた。周りは森のごとく、葉を生い茂らせた木が植わっており、天井があるはずの真上からは、明るい光が差し込んでいる。時折鳥の鳴き声さえ聞こえた。屋外のようなその場所の中心には、ソファと丸テーブルが置かれ、テーブルの上には来訪が前もって分かっていたからか、すでにお茶が用意されていた。
「丁度よかったよ、アベル。先客はさっき帰ったところだったから」
そこに腰掛ける偉大なる小さな魔法使いは、開いていた本を閉じ、アベルに向かってそういった。空色の眠そうな瞳が、アベルをなぞり、カイとその隣に立つ彼を眺めた。
「座りなよ」
促され、カイがまず背もたれのあるソファに腰掛ける。続いて、彼がその足元にあったオットマンを引き寄せ、そこに座った。それでいいのか、と言いたげに少年が彼を見つめる。彼は笑って言う。
「翼が引っかかって、どうもね」
バキッ、と乾いた木を踏むような音がしたかと思うと、彼の背がぼこぼこと外套の下から盛り上がり、ばさりと黒翼が広がった。頭上には割れた天輪が現れる。勢いで、足元から花びらが舞う。ゆっくりと巨大な翼を畳むと足を組み、その膝の上に手を置いた。少年はその眠たげな瞳を大きく見開き、彼を見つめた。
「知っているだろうけど。ぼくは、書館の勇者と呼ばれている」
あれはアベル、と赤い髪の青年の方を見る。少年の隣に立つアベルは軽く会釈をした。それから書館の勇者は、カイを見た。正確には、コートを羽織った上からでも分かる、肘から先の"ない部分"を。カイは素直に自分の名を名乗り、勇者であることも告げた。知っている、と少年は答える。え、と口を開きかけたカイの言葉を、少年は待たなかった。彼の方を見て問う。
「それで、おまえは?」
「見て分からないかな?」
彼はおどけた表情で、肩を竦めた。
「僕がどんな存在かは、ふたりともよく知っているだろう? これだけの歴史の記録の中で過ごす君たちが、僕を知らないはずがない」
「『破滅を呼ぶ黒い天使』、『厄災を運ぶもの』、『不吉の眷属』、『不幸の主』」
少年は淡々とそう言った。立て並べられた表現は、全て彼のことを指している。ひとり事態の飲み込めないカイが、なんやて、と小さく呟いた。
「どの時代でもおまえはいくつかの名前を持つが、それらの本質は同じだ。それで、何をしにきた?」
「そいつは君の計略のお陰で、腕を落としたんだ。治してもらえないかな、というのと、とある男について聞きたい」
ちら、とカイの方を見る。困惑の色ますます濃く、彼の方を見なかった。あまり知られたくはなかったが、こうなった以上はもう仕方がなかった。それに、彼はまだ大事なことをいくつかカイに隠している。こんなのは、まだマシな方だ。
ふむ、と少年はしばらく思案し、こう言う。
「ぼくの計画のうちに含まれたなら、その傷は癒やそう。だが」
少年はそこで少し区切った。
「おまえのせいでないと言えるのか?」
緑色の瞳が、空色の瞳を捉えた。
「不幸の象徴たるおまえが、呼び寄せた厄災に巻き込まれただけでは? そうであるなら、ぼくは関係がない。ぼくはおまえを計画に組み込んだつもりはないからな」
――ああ。
そうだった。
彼はかつて、自分で自分に呪いをかけた。大事な友だちを救えなかったあの日、災禍を運び、彼を殺したのは自分だと、己を呪った。その二つ名は、確かに彼にこそ相応しかった。"災"という名前は呪いから、指の間から零れ落ちていく砂を永遠に悲しまねばならない宿命になった。
彼はカイを救い損ねた、と思った。
腕一本失い、ここで彼の事情に振り回されてもいる。彼がもう少し、カイに気を払っていれば。彼が聖女の腕なんかに興味を持たなければ。彼が、囚獄の勇者と、出会わなければ。
こんなことには、ならなかった。
結局、彼にとって大事な人に出会う度、結末を変えられないどころか、彼は自分で相手を不幸に巻き込んでいるのではないかという疑念は、彼の中にずっとあった。忘れていただけだった。彼の大事な人たちと過ごす日々があまりにも楽しくて、彼はやがてくる痛みを遠い記憶のように勘違いしてしまうのだ。そうして幸福な日々の引き換えに、永遠に続く悲しみを受け取りながら、彼はいつしか破滅を願った。
オルハザルのように。
今回もきっとカイを不幸にしたのだろう。
しかし何一つ、彼は友人に説明ができない。
だから、どうしようかなと、何となく口を開いたところである。
「そんなん」
彼の隣に座る人は、ぽつりと言った。
「災厄を運ぶなんて、いわんといて。そんなん嘘やし、嘘でもホントでも言われてええ気分になるひとはおらんさかい。そんで、おれも友達が傷つくこと言われたら、嫌や」
静かな声だった。カイは、俯いたまま、けれどはっきりそう言った。
その言葉に一体どんな意志が宿っていたのか、彼は正しく読み取れなかったかもしれない。しかし、カイは歴史の中における彼の名前を否定したし、彼のことを友達だと言った。
カイは僕のこと、そう思ってるんだな。
それは彼をほんの少しだけ救った。それで充分だった。
「僕にとっても、君にとっても、イレギュラーな出来事だったというだけさ」
彼は、自分が不幸を運んだかどうかについては、否定も肯定もしなかった。
「けど君の計画の一端にかかり、僕の友人が腕を落としたのは確かだよ。彼は別に何の関係もなかっただろうに。そうだろう? まさか君が選んだわけじゃないよな」
作為的にカイを選んだのであれば、計画に含まれなかったなど、どの口が言うのだと思ったのだ。少年は首を振った。
「まぁ、いいよ。事実なら、僕はそれを癒やすべきだろう」
それから、カイは自分の腕を書館の勇者に預けた。切断された腕の方も、やはり断面は綺麗に塞がっている。何らかの魔法がかかっていることは彼が見ても明らかだった。書館の勇者がカイの肘と切断された方とをくっつけると、その境を長い袖から僅かに見える指先でなぞった。すると、境目から光が溢れだす。
「おまえとは話をしてみたかったんだ。未来はおまえにどのように見えてるんだい? 不幸しか見えないのか?」
修復を続けながら、少年は彼に話しかけた。
「僕は、幸福と不幸をどこに運ぶかは自分で選ぶよ」
幸福、と聞いて書館の勇者は空色の瞳を少しだけ彼の方へ向けた。答えになっているような、なっていないような、非常に曖昧な言葉だ。正直に話すつもりなど彼には毛頭なかった。それよりも、書館の勇者が何故"未来"を求めるのか、何をしようとしているのか、それに警戒すべきだと考える。存在するだけの本の知識と叡智を全て頭に詰め込もうとするこの魔法使いが、彼のような存在を探していたのだ。ろくな事にならないだろう、と彼は思った。
「おまえが未来を見たから、ぼくの魔法が発動したんだ。それはもう分かっている。では過去は?」
過去はおまえに見えるか? と少年は問うた。
……それが目的か。
「書館の勇者。僕に深入りするな。或いは、僕を利用するな」
語調を強めていう。僕は今、恐ろしい顔をしているかもしれないな、とどこか他人ごとのように思う。
「不愉快だよ」
会話はそこで打ち切られた。
少年がすっとカイの腕から手を引いた。離れていた腕は、接合部の全く分からないほど綺麗に元通りになった。動かしてみてよ、と少年に言われ、カイは指を動かし、腕を曲げ伸ばしした。切断されていたことなど想像できないくらい普段通り動いているように見える。
「おおきに」
カイはそういうと、立ち上がった。それから何も言わずに、彼の方を見た。悲しそうな顔しているような気がした。
「オルハザルのこと、聞かなくていいのか」
彼が聞く。オルハザル、と書館の勇者がその単語に反応して顔を上げた。
カイは空色の瞳をした少年に尋ねた。
「オルハザルは、どうなった?」
「死んだよ」
そうか、と呟くと、カイは今度こそソファから離れた。それを見て、彼も立ち上がる。それから、ごちそうさま、と言った。テーブルの上に置かれたカップの中のお茶は、一口も飲まれずに冷め切っていた。アベルが先んじて、元来たときにくぐった扉を開いた。辿ってきた路地ではなく、国の外へ通じているように見える。カイに続いて、彼も来たときの扉を通ろうとした。すれ違いざま、アベルの耳元で囁く。
「"ニーナ"を止めろ」
さもなければ本当に破滅を運ぶ羽目になる、という言葉は続かなかった。アベルの反応を見ず、彼は扉をくぐった。
書館の国から大分離れたところに彼らはいた。彼が扉を閉めると、それはただちにすっ、と消えた。後には何も残っていなかった。
草原の続く丘を、ふたりはしばらく黙って歩いた。彼がカイといて、こんなにも居心地が悪かったことは、初めてだった。すぐにでもどこかへ飛んでいきたい気持ちだったけれど、寂しそうな背中を放っておくことはできなかった。でも何と声をかけたらよいのだろう? オルハザルのことは残念だったとそう言うか? しかし慰めのために嘘をつく気にはなれなかった。彼はオルハザルが死んだと聞いて、安心したからだ。そして安心した自分を、心底嫌悪した。
何を言おう。
「ごめん」
口をついて出てきたのは、謝罪だった。カイが振り向いて、こちらを見た。
「君も僕も、お互いに嫌な気持ちになっただけだったな……」
君の腕は治ったけれど、と続ける。
「僕は確かに未来が見える。だから、本当は、君をきっと、もっと早く助けに行けたんだ。でも僕はそうしなかったし、できなかった」
彼は未来が見える。ただそれはとても限定的なことで、例えば彼は自分とその人との間にある糸は読むことができない。いつも、ぼんやりと靄がかった真っ白な光景が映し出されるだけだった。だから彼はその人物と、その周囲の人との間の糸を使って、過去と未来を読むのだ。しかしカイは事情が違った。本体と分身を繋ぐ糸は、確かに他の誰とでもない、カイ自身の糸だった。触れれば本体と分身に起きたことが一度に分かった。周囲の者を介さずに、カイの過去をその糸から知れる。では未来は? その糸に触れ、もし彼が変えられないただひとつのこと、"結末"を知ってしまったら?
彼は友達を失う未来に触れるのを恐れて、未来を読まなかった。
「君に腕なんか切断して欲しくなかったのに、それを止められなかった。全部後手に回った。君を助けられる力があったのに、そうしなかった。ごめん」
何故だか最後のごめん、は声が震えた。カイは、サングラスの奥にある灰色の瞳で、彼をじっと見た。
「なんちゅう顔しとんねん」
ぺち、と額を叩かれる。勢いがないせいで、情けない音が鳴った。
「どんな顔してる」
「なんや、またしんどそうな顔しとるわ」
「君も大概だぞ」
「そうか、まぁ自分で自分の顔は分からんからな!」
わはは、と笑うその人を見る。どこか泣きそうでもあった。
「僕は、君に話してないことがたくさんあるんだ。言えないこともたくさんある」
まだ説明できない。怖かったことも、彼が迷っていることも。
「そんなん、無理に言わんでええ。話せるようになったら話すって、ウィルがいうたんやで。そんで、話したいときに、おれに言いたくなったら、そうしたらええねん」
「……君を、助けられなかった」
「なにいうてんねん。ほら、おれは死んでへんし、腕も治った。ウィルのお陰や」
おおきに、と今日何度目だかの言葉をカイは口にした。
「ごめん」
「ウィルが悪いことなんか、なんもないやんか。もう謝らんでええ」
肩をぽん、と叩かれる。
友人は何も聞かなかった。その優しさがひどく心に染みて、彼はもう泣いてしまいたかった。顔をごしごしと両の手でこすって、前を向く。
「カイは、甘っちょろいけど、優しいな」
「甘っちょろいは余計ちゃうかな」
「ありがとう」
「礼言われるほどなんかした覚えはないで」
ふたりは笑った。
風が丘の上を駆け、草原を波立たせた。涼しい風が、彼のただ後悔でいっぱいだった気持ちをなだめてくれるような気がした。
丘を越えると、小さな町が見える。彼はばさりと両翼を広げた。
「もう行くんか?」
「ん。いろいろ考えたいことあるから。また来るよ」
それから彼は、言うべきか言わないべきか、ものすごく迷って、悩んだ末にカイの方を見ずにこう言った。
「その、僕も……僕も、カイのこと友達だと、思ってる」
カイが何も言わなかったので、どうしたかと思ってそちらを見る。ぽかんと口を開けたまま、彼の方を見ていた。
「何だよ、それ」
「いや、その、ちゃうねん。その、なんていうか」
折角、ない勇気を振り絞ったのに。君にちゃんと、それだけは伝えようと思ったのに。ぷい、とそっぽを向く。翼をはためかせて、わざと風を巻き上げて飛び上がった。どんどん小さくなるカイが、彼に向かって叫んでいる。
「待てウィル! あんな、おれも――」
風の音で最後まで聞き取れなかったが、何を言ったかは想像がついた。
彼は、とても嬉しそうに笑った。