眼鏡をかけた怪しいおっさんがお城に残った理由。短い。
@san_ph7
「そんなにしょげるくらいなら喧嘩なんてしなきゃよかったでしょう」
彼は自分の王に向かってそう言った。
当人はというと、自らの配下に苦笑いされながらそんなことを指摘されたものだから、椅子の上で片膝を抱えながら少しむくれている。この魔王は少し前、談話室の外からでも聞こえる程大声で、自分の友人に激昂していた。なるほど、どうも最近様子がおかしいと思ったらそういうことかと、彼は少し感心してやり取りを盗み聞きしていた。
決して短くない付き合いの彼から見ても、この魔王が人間に執心することなど珍しいことではなかった。しかしこうして人間を、しかも勇者を自分の城へ招いたり、数百年以上に渡り編んできた"計画"を放棄するなど、一体何のきっかけがあったのかと、彼はとても不思議に思った。どこか捻くれた性格をして素直には見えなかったその人は、激情をぶつける相手を「友人」だと言った。まぁ、つまりそういうことなのだろう。
「僕が喧嘩を売ったように見えたか」
「おや、私は現場を見ていませんよ」
扉の外にいただろう、と黒い翼を背負った魔王が苦々しげに言う。恐らく糸が視えていたのだろう。あのような大声で"歓談"されては聞きたくなくても聞こえてしまいますよ、と皮肉を込めて彼が答えると、その人はますます不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。こういう反応も、以前ではあまり見られなかった。眼鏡のつるを指で押し上げて、彼は目の前の人を観察し始める。彼にとってこの魔王は、最近ますます面白い。
「私には、貴方が突然感情の制御を手放したように思えましたが。大人気ないですねぇ、魔王陛下。ついカッとなってしまったのでしょう? 大事なご友人に」
「ネスタ、僕を挑発して怒らせたいのか?」
「いかにも」
「それで僕が怒ったら、『先ほどはもっと激しくお怒りになっていたような気がしますが』とか言ってからかうつもりだな」
「怒らなければ『なるほど、あれほど激昂するまでにあのご友人をとても大切に想ってていらっしゃるのですね』って言おうかなと思ってました」
嫌なやつだなぁ本当にと言って、魔王は顔を伏せた。彼は笑った。本当に嫌なら今のやり取りでここから去っていたはずだった。つまりこの魔王は彼に今は"嫌なやつ"をして欲しくて、わざわざここでしょんぼりしているらしい。子供のようじゃないか、と思う。「お前が悪い」と他人から指摘を受けて、「確かに僕が悪かった」と自信を持って後悔したいのだろう。或いは責められて、そういった罪悪感をすっきりさせたいのかもしれない。それは相手に対する"甘え"である。彼に嫌なやつをして欲しいのは理解をして欲しいからだ。
ここにきて彼に初めて甘える魔王を見てしまったがために、もう彼は口の端が歪むのを押さえられそうになかった。あからさまにニヤニヤとしていると、何笑ってるんだよ、と弱々しい抗議が返ってくる。
「面白いですね、貴方は」
「……君とはそこそこ長い付き合いだと思うけれど、そんな風に言われたのは初めて」
「いえ、言わなかっただけです。貴方は私と出会った頃からとても興味を惹く方ではありましたよ。その中でも、今この瞬間が一番面白いなぁと思いましたので」
「どういう意味だよ……」
「そういう意味です。そうですねぇ、どこから指摘差し上げればよろしいですか? 箇条書きにしてまとめましょうか?」
「楽しいの、そんなことして」
「きっと楽しいですよ、陛下。私が城に残る理由は貴方の存在そのものです」
さぁ腹が立ってきましたか、と彼が問えば、逆に冷静になってきた、と答える。彼は白衣のポケットからケースを出して、その中から紙巻たばこを一本取り出した。パチンと指を鳴らすと、煙草に火が付く。煙を吐き出して、彼は微笑んだ。談話室は普段は禁煙である。話を聞く代わりに一本ぐらい、いいでしょう? という意思表示のために、右手にもった煙草を少し持ち上げる。魔王はため息をついた。
「知らないよ、僕は。見てない」
「そうなさってください。私も息子ふたりに怒られたくはない」
魔王は短い返事をすると、立てていた片膝を地面に下ろした。それから座ったまま伸びをする。伸びをした勢いで両翼がわずかに開かれた。黒から毛先にかけて金に変わる不思議な色の髪が揺れ、細められた目から緑色の瞳が薄く見える。こうして見ると、何と恐ろしく美しい造形をしているのだろう、と彼は思う。この翼の生えた生き物を創りたもうたのは、最初は女神だという。女神様は美しいものがお好きなようだと、彼は中々愉快な気持ちになった。しかしその聖界の神が何を思いその人を生み出し、何を思い見送ったのか、彼には分からない。
さて、と改めて目の前の魔王を見つめる。
「頭冷えました?」
「……まぁ少しはね」
「仲直りの方法でも教えましょうか」
「参考までに聞いておこう。『申してみよ』」
「『では僭越ながら申し上げます、陛下』。まずごめんなさいと。それから何故あんなに嫌だったのか、落ち着いて話したらいいんじゃないですか。大体、貴方はいつも説明不足なんです。ちゃんと話せば、大丈夫ですよ」
難しい顔をして、魔王は黙る。流石にいきなりすぐに素直になったりはしないか、と彼も思う。ただこの魔王が、着実に変わりつつあるのは間違いなかった。どうあってもその人が人間によって思いや行動を変えていくらしいことに、彼も気づいている。
「少し出かける」
数分の思案の後、その人は立ち上がって言った。どちらへと聞けば、人に会ってくるという。ばさりと翼を広げた。謝りにでも行くのかと思ったが、どうやら違うようだ。真剣な眼差しで、宙を見ている。
「いってらっしゃい」
背を向けたその人にそう声を掛けると、何か言いたそうに、しかし言い難くそうにこちらを振り返る。急かさずのんびり次の言葉を待った。すると、
「ありがと」
確かにその人はそう言って、それからその場所からいなくなった。突然のことに面食らって、煙草の灰が絨毯に落ちる。一呼吸置いて、彼はひとりで大笑いした。
――ああ女神様、貴方の子は堕ちてますます人間らしくなっていく。
それが、彼にとってたまらなく面白いことだった。