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何でもない日の御茶会

全体公開 ムゲンWARS 2 5995文字
2016-09-04 00:14:51

尋の魔王さまとドーナツの穴と災さん。”無いが有る”こと、目に見えぬものの話。

Posted by @san_ph7

「君のそれはドーナツの穴だな」
 丸い穴の空いた揚げ菓子の向こうから、彼はその人を見て笑った。
 目の前の仮面をつけた人はサーカス団の団長で、魔王だった。興行を気晴らしに見に行くことがしばしばあった彼は、心を失い文字通り胸に穴が空いたその人のことをとても気に入っていた。数度訪問した後はこうして手土産を持って座長室でお茶を楽しむようになる。彼がそう言ったのは、いつもどおり世間話に興じていたときのことだった。
 粉砂糖をまぶしたシンプルなドーナツは、彼の世界の住人が作ったものだ。彼女が何故突然お菓子作りに目覚めたのか理由は分からなかったが、指導者がいたとはいえ、初めてにしてはすこぶる良い出来で、彼も嬉しくなった。ただ、出来上がったドーナツは片手で数える程の住人しかいない彼の世界には大分多い数だったので、いくつか別の場所にもおすそ分けをして、最後に彼は目の前の魔王のところへ遊びにきたというわけだった。
 座長室の丸テーブルにはドーナツが数個乗った皿と、ポット、良い香りのするお茶の入ったティーカップが並べられている。
 彼の膝の上には尋の魔王の世界にいる、一見うさぎのように見える小動物がいた。遊びに来る度に彼の上へ飛び乗るが、特に悪さをするわけでもなく静かにしている。ドーナツを齧りながら改めて目の前の人を見る。
 左右非対称の模様が入った仮面。胸の虚空。失った心を探し求めることから、その人の二つ名は尋の魔王といった。
「では私はドーナツということですか」
 微笑んでそういう。彼のこうした表面上は全く感情を失ったようには見えない言動は、過去の経験に基づいて、それらしく振舞っているだけだという。確かに心がこもっていないといえば、そんなふうに聞こえるような気もするが、彼はその点については興味はなかった。
「そうだね、穴空いてるし。まぁでも、ドーナツの食べられる部分を君の肉体に例えたわけではないよ」
 三日月形にかけたドーナツを置いて、カップを持ち上げる。
「ドーナツの穴が心、食べられる部分は君の記憶だな。経験ともいう。君は過去の経験から普段をそれっぽく過ごしてるんだろう? 僕はそこが気になる。そうさせているのは感情ではないはずだ、君のそこにそれはないんだから。不思議だなぁ。心を失っても、君は君という存在であるために、失う以前の自分を保っているわけだ」
 にこりと笑って、カップを顔の前に掲げて一口飲む。それから、静かにソーサーに置いた。液面を見つめて、彼は急に真顔になった。
「そうか、僕は君にこういう話を好きにしているけれど、君がそれを嫌だと思うことはないんだな。もしかすると、心が戻ったら君は僕を恨むかもしれない」
 記憶は感情を呼び起こすからなぁ、とぽつりと呟く。目の前の人もカップを持ち上げて中身を飲んだ。
「どう、でしょう。それこそ心が戻れば分かることだと思います」
「過去にこんなことを聞かれた経験がないから?」
「それもありますが、そうですね……
 尋の魔王は自分の手を胸の穴へ近づけた。
「貴方は私に恨まれたいのですか?」
「いいや」
「恨まれたくない、というのは相手を傷つける行為をしたくない、ということですよね」
 その人は仮面に覆われていない顔の下半分、口元で笑顔を作った。
「では、それは悪意をもって為された質問ではないのでは?」
 そう答えた魔王を見て、彼は苦笑した。
「悪意をもっていないことが、相手の不快を呼ばないとは限らないけれどね。それでも、その返答すら君の経験則に基づいた考えなんだろう? 僕は君に興味が尽きないよ。その胸の、"無いが有る"状態そのものもそうだ」
 テーブルの上で手を組む。キラキラとした子供っぽい表情でその黒く、何もかも吸い込まれてしまいそうな穴を見た。彼の目には、その大穴へ魔王の周囲にある光の糸が収束しているのが見える。それは暗闇に吸収され僅かに光を失ってはいたが、その先にあるものにちゃんと導かれていた。尋の魔王の欠けた魂だ。彼の能力はその瞳で運命の糸を捉えはするが、魂を見せたりはしない。間接的とはいえ、何の操作もなく魂を自分で確認できたのは、これが初めてだった。その上この現象は尋の魔王にのみ起こっているもので、他にはない。だからこそ彼は尋の魔王に興味と好奇心を持っている。
 その人はわざとらしく胸を両手で隠した。
「触っては駄目ですよ」
「触らないよ。大変なことになるのは知っている」
 彼は目を細めた。
「そう、その返答、それも経験だ……。不思議だね本当に。ドーナツはさぁ、穴だけ残して食べることなんてできないだろう? 穴の空いたドーナツは穴が存在するために周りが必要なんだよ。心を奪われて欠落したという現状よりかは、経験によって今はないものを補っているということの方が、余程僕の興味を惹く。君は元々穴のないドーナツだったんだろうけど、僕が知っているのはこっちだからね」
 指先で、対面に座る人の穴をくるくるとなぞるように動かした。
「そして思うに、それは経験だけではなく、意志じゃないか。魂の意志か、あるいは君自身のか。奪われたものを取り返そうとする本能とも呼べるかもしれないな。どちらでもいい。僕は君が意志と経験により君自身を成り立たせているのだと感じる。そしてそれは、穴のない君の時代を知らぬ僕からすれば、ここにいる君がまさに君で、感情があるとかないとかはあまり関係ない」
 カップを口元へ運ぶ。何という茶葉を使っているのだろう。彼は尋の魔王が出してくれるこのお茶が好きだった。その人が演出する世界にわくわくしたし、彼はそれがとても楽しかった。何の事情も知らせていないし、こうした何でもない話をするぐらいだったが、彼にとっては大事な時間だった。尋の魔王に感情がないことはよく知っている。いつも突然現れる彼に、その人は構わないとか嫌とかいう心さえ抱けないのだ。出会いが強引だったかなと、少々申し訳なく思うところもあった。きっと心が戻ればこの記憶を後で思い返して、その人はその時本来どんな感情を得ていたのか知ることになるのだ。だから、言えることは言ってしまおうと思った。
 尋の魔王は少し首を傾げた。何が言いたいのか、というふうに見える。まだ肝心なことは言っていない。アー、と言葉を探しながら宙に視線を彷徨わせた。ちゃんと後で思い返して貰った時に、彼は好ましい感情として、尋の魔王の中に残りたかった。
「その、だからさ。僕は君のこと嫌いじゃないんだ。興行は面白いし、お茶は美味しいし、膝の上に乗ってるこいつはふわふわして可愛いし、こうして僕の話に付き合ってくれるだろ。君はそれに対して嫌とか……そういう感情が持てないことは知ってる。うん、それもひっくるめて僕は君を好ましいと思ってる」
「好ましい」
「そうだよ。うーん、難しいなぁ。何ていったらいいかなぁ。えーと、聞いてくれる? 最近たくさん僕の周りを変えていく出来事があって、僕はそりゃもう色々考えたし、配下には説明不足だって言われちゃうし、僕もそう思うんだけど」
 俯く。視界に膝の上で呑気にすやすや寝ている白い動物が映る。それをゆっくり撫でる。大きな耳をぱたぱたと動かして、気持ちよさそうにしていた。
「伝えた方がいいことがあるって、振り返ると本当にそうで、言いたいことには素直になった方がよくて、ってでも突然は難しくてさ……。だから君を利用するようでちょっと申し訳ないけど、話してみることにした。君は今は感情が戻らないから、僕がどんなにぐだぐだで、ここで恥ずかしい思いをしても、だ。君は何とも思わないわけで」
「ふむ。仰るとおりですが、それでは私に感情が戻った時に、どう感じたのか結局知られてしまうことになるのでは?」
「アーそれは本当にその通り……いやいいんだ、戻るべきだよ。でも今じゃないだろ……後からなら別に……。どのみちもう恥ずかしいの! あのね尋」
 彼は顔を上げてその人を見つめた。
「どう、だろう。君がこの時間を後で思い出したときに、君にとっての僕が友達だったらいいなって、思うんだ」
 一瞬、顔は仮面で覆われてその上感情がないはずのその人が面食らったような、そんな表情をしたような気がして、彼はすぐに気のせいだと思い直した。
「私が災の魔王様の、友人ですか」
「そう、っていうかその様づけどうなの。丁寧だよね、君。もうひとりいつも敬語の商人を知ってるんだけどあれとは大違いだ。えーと、そうじゃない。君の中で僕が好ましい存在だったらいいなって思うし、友達だと思ってくれたら嬉しい」
「友好的な関係ということですよね。敵対関係ではない」
……そう、かな。最初だって別に君に変なちょっかい出しにここへ来たわけじゃないし。敵対関係じゃない。こういうふうに一緒にお茶飲んで何でもない話ができる。友好的な交流だ。っていうと何か堅苦しいな……
 ばりばりと頭を掻く。尋の魔王も顎に手をやって何か考えている。
「まぁさ、君がどう感じるかについては今は分からないでしょ。それは君の心が戻った時に、どう思ったか僕に教えて欲しいな」
 だから今はいいよ、と言った彼に、仮面のその人はこういった。
「お茶を飲みながら何でもない話をしているこの関係をすでに友好的であるというならば、私達はもう友人同士ということになりませんか?」
 彼はその言葉を聞いて、
……
 黙った。尋の魔王はさらに続ける。
「それはもちろん、私が災の魔王様とこうしてお話していることに、私は何の感情も持てないことは確かですが、貴方は違うのでしょう? 好ましいと、私を友人だと思いたいと、そう仰られましたね。それに最初、貴方は私に『恨まれたくない』とも。傷つけたくないというのは、悪意をもたない意志だと私は考えます。確かに悪意がなくとも人を傷つけることはあるのでしょうが、少なくとも貴方は私に悪意を持って近づいたわけではない、とご自分の言葉で証明なされました。ならば、私と貴方はもう友人同士であっても、何の不都合もないのでは?」
「それは、そうだろうけど。君は僕の言葉を信じるのか?」
 困った顔をした彼へ、仮面の人はやはりわざとらしく笑顔を向けた。
「災の魔王様。私は誰かを信じる心さえ今はないのです。故に判断は心では行えません。過去の経験からです。私は貴方の言葉と過去の経験から、貴方を信用に足る人物だと推測します。ですが、『信じるのか?』と問われれば、どうでしょうね。信じたい気持ち、というのがありませんから。それに貴方の言葉の全てが嘘ならば、今話したことは全く無意味な思考です。嘘だったのですか?」
「嘘ではないよ」
 彼は仮面の向こうを見通すように見つめた。遮られて見えはしないが、そこにあるはずのその人の瞳を捉えようと、じっと。もちろんこの行為が尋の魔王に対して何の感情ももたらさないことは明確で、何の意味をも為さないこともよく分かっていた。ただ、彼がした穴の話というのは、意志や経験によって自分を成り立たせているという結論の先に、"無いが有る"ように見せているその人の言動の中に、本当は擬似的でも幻でも心があるのではないかと信じたい、という感情があった。
「『恨まれたくない』も『嘘ではない』も、私に向けられた感情ですね? 私はそれを心で理解することはできませんが、それがどのような感情であるかは知っているのです。先ほども申し上げましたが、『信じるのか?』と問われても、私がどう感じるかについては答えられません」
 それから、とその人は続ける。
「貴方のその言葉、嘘でないと私は考えます。私、誰かを"見る"ことに関しては自信があるのですよ。でなければ、心を失った私が誰かを信用することなど難しい。過去の経験と、貴方が私に向けた感情や言葉は決して私を害するものではなかったと推察します。ですから信用に足ると申し上げました。
 友達であればいいな、という問いに私が何を感じるか、というよりは、今この状態を正確には何と呼ぶべきか、に結論を収束させた方がよいのでは? さて、貴方はどう思われます?」
 尋の魔王は、テーブルの上で手を組み彼の言葉を待った。
「君が、過去の記憶と経験によってそういう言動をとっていることを考えるとさ」
 彼は一旦カップを持って、お茶を一口飲んだ。その人から少し目を逸らしたかった。液面を見つめながら、ぼそりと呟く。
「心があった頃の君って、ちょっと意地悪なやつだった?」
「貴方が仰るならそうなのかもしれません」
 カップを置いて、彼は目の前の人に言った。ちょっと困ったように微笑みながら。
「僕と君は友達だよ、尋」
「ええ。貴方の言葉が真実ならば」
 彼は手を差し出した。尋の魔王もそれを手に取り、握手を交わす。
「嘘でないかどうか判断する、というのもまた意志のひとつか。ところで今のやり取りで思ったんだけど、君は信じる心が少し戻ってるんじゃないか」
「ふむ。どうでしょうか」
 その人はドーナツをひとつ手に取った。
「いや、僕がそう信じたいだけかも」
 いつの間にか起きていた膝の上のそれを構ってやる。撫でるうちに腹を出してごろんとひっくり返ったそれを見て、彼は笑った。彼や尋の魔王よりは、まったく分かりやすい生き物だな、と思う。
 顔を上げてその人を見る。
「僕の名前、ウィルっていうんだ。だから様づけで呼ぶのはよしてくれよ。堅苦しくてしょうがない」
「ウィル。人間の名ですね。私の……私の名前は」
「いいよ、無理に言わなくても。僕もそれ真名じゃなくて渾名なんだ、ごめん。真名は時に告げた相手へ重大な意味をもたらす。"まじない"のようなものだと僕は思ってる。そう簡単に打ち明けるべきではない。とりあえず僕は君に、様づけで呼ばれたくはないからさ」
 欠けたドーナツを頬張る。程よく甘い。美味しい、と感じるのが感情ならば、尋の魔王はこれを食べてもただ甘いとしか感じないのでは、と彼は思う。そもそもこの甘さは彼の好みというだけで、ひょっとすると人を選ぶのかもしれない。
「このドーナツの美味しさを、君が後で思い返してどうだったか教えてくれたら嬉しいなぁ」
 尋の魔王もそれを一口食べた。味わい、思考し、こう答える。
「そんなに甘くはないですね。このドーナツを作った方に心が戻った際は、もしかすると直接お礼を申し上げねばならないかもしれませんよ」
「本当? その日が来るのを楽しみにするよ」
 彼は笑う。膝の上の生き物が、くるると満足気に鳴いた。




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