新作。謎の多い話。
サブタイトル【運命のクロス・タッグ・ドロー】
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[記憶喪失の話]
◇
「ようⅣ。
────そんで、初めまして。トーマス」
凌牙は、オレの前で。
片眉を下げて、観念したみたいに
幸福と諦観をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたみたいな
似合わないくらい優しい顔でそう言った。
[episode 0 : もうすっかり忘れてしまった]
◇◇◇
[episode 1 :欠けた世界でリ・スタート]
目が醒めた瞬間、あふれた涙に、知った。
オレは、何かを失ったんだと。
けれど、ぜんぶ、夢の中に溶けて消えてしまった。
目覚めた1日目。
真白のシーツの上で、ミハエルに縋り付かれて目が覚めた。
悪い夢を見ていた気がする。ひどく胸を掻き回されて、辛いはずだったのに、優しい声に抱き締められた気がして、もう思い出せない。夢はするりと名残だけを残して記憶から消えてしまった。怖い夢だったのに、とても優しかった気がする。
泣きじゃくるミハエルの嗚咽をぼんやり聞いていた。目覚めた場所が病室だと気付いたのは、だいぶ後だった。
「一週間も目を覚まさなかったんですよッ!
兄さま、トーマスにいさまの馬鹿ッ!!無茶して…!」
弟の涙声を聞きながら、ぼうっとした頭で、うつらうつらと、目を瞬いた。
そうだった、だろうか。よく思い出せない。
「みは、える」
出した声は、叫び倒した後みたいに枯れていた。
出し辛い掠れ声で弟の名前を呼んだら、ミハエルはパッと顔を上げて翡翠の瞳にボロボロと水滴をあふれさせた。泣き崩れながら何か言葉を紡ごうとして、結局嗚咽に紛れて何も分からなくなった。
そんなミハエルのピンク色の頭に、白の手袋の指先がそっと添えられる。諌めるようにゆっくり撫でられて後ろに下がらされるのを、ぼんやり見ていた。
「…ぁ…れ?」
父の手袋は、そっと無言でオレの頬を梳いて、額の汗を拭うように優しく撫でてくれた。焦点の合いにくい瞳でようやくぼんやり捉えた父の片眼が柔らかくたわんで、温かく見守ってくれていた。
またそこで、違和感。
「とう、さん、仮面…そんな、の、だっけ…?」
父はニッコリ微笑んだ。顔を覆う見慣れない銀細工の仮面の下、覆われていない方の目で優しく笑って、シルクの手袋でそっと触れて目隠しした。
視界が覆われて、柔らかに撫でられる。
「ああ、うん。イメチェン? それより、まだお休み、トーマス」
とう、さん
呟いた声は、眠気に紛れて、もう、わからない
「───ごめんよ、トーマス。僕は……××××、×××」
眠りの隙間に落ちた言葉は、何だったのだろう。
どうして、謝っているのだろう。夢の中で抱いていてくれたのは、父さんだった気がするのに。
次に目覚めた時は、何もかも元通りだった。
幸い、仕事はすぐ復帰出来た。急に予定に穴を開けてしまったので、これからが大変だ。
どうやら、さっぱり覚えていないが過労で体を壊してしまったらしい。倒れる前のことは抜け落ちてしまったように思い出せない。完全に一日分記憶が飛んでしまっていた。
高熱を出していたから、そのせいかもしれない。そう言ってそれきり口を噤んだ弟に、風邪を引いた覚えのないオレは少しの違和感を覚えたが、酷く心労を掛けた事を思うとあまり追及できず有耶無耶になった。確かに酷く汗を掻いて疲れていたので、自覚が無かっただけで疲れが出たのかもしれない。仕事は確かに少し前から立て込んでいた。
ことさら言い含めるように腕のブレスレッドを片時も外さないように兄から言われてしまい(いくら通信機能があるからって、寝る時まで外すな、などと随分過保護だ)穴を開けてしまったプロの仕事の穴埋めに奔走する間に、違和感はすっかり埋もれて消えてしまった。
ただ、日々の中で、いつにも増して静かに思える父の、秀麗な顔を彩る銀の仮面。
仮面をビッシリと覆う上物の模様細工。瞳に位置した小さな赤い石が、妙に妖しく存在感を放っていた。
見慣れぬそれだけが、違和感として存在し続けた。
違和感
そう、違和感だ。
何かを忘れている気がする
何か、とても大切な、なにか、を。
[episode 2 :神代凌牙と初めまして]
それに気付いたのは、二週間も経ってからだった。
大量に溜まった仕事のメールにすっかり紛れてしまって、うっかり削除しかけて焦った。凌牙とのデュエルの約束だった。
『16時に埠頭で。今回は自信作だ。吠え面かく予行演習でもしとくんだな』
既読済みの文面を確認して慌てた。通知の日付は半月も前を指していて、前後の記憶がスコンと抜けていた。約束だった日は自分が目覚めた一週間前、つまり倒れたらしい当日だ。
ということは、オレはこの約束を完全にすっぽかしていたのだ。今に至るまで全く凌牙から折り返しが無かった事が怒りの証拠では無いだろうか。オレは蒼白になってメール画面から電話を呼び出した。電話は随分遅いコールで取られた。
『────もしもし』
「悪りぃ凌牙! その、」
『ああ、復活しやがったのか。体はどうだ』
いつになくゆったりと、むしろ慎重と言って良いほどの丁寧さで紡がれた言葉に、視野狭窄になっていた頭が水を掛けられたみたいに落ち着いた。
「あ、ああ」
少しどもったが取り繕えた。
凌牙は、怒り狂っているなどとは全くの杞憂で、やけに間を置いた後、特に詳しく尋ねることも無く「そうか」とだけアッサリ告げた。
そうか、よくよく考えてみれば、自分が倒れた事は話が行っていたらしい。
そういえば弟と凌牙は学友なのだった。そこから話が行っても何もおかしくは無いだろう。合点がいった。
「で? 何の用だ」
「いや、デュエルの約束してたろ? だから」
「……デュエル?」
凌牙の声は、少し訝しげだった。
思っていた反応と違って、オレは少し頭に血が上っていたことを知った。
まるで、すっかりそんなもの忘れていた、とでも言うような凌牙の調子に、慌てて連絡したこちらが滑稽なような気がした。
落ち着いてみれば、オレが倒れた時点で、凌牙の中で約束はすっかり反故になって気に留めてなかったということだろうか。
どうにも、距離感というものが少し自分は加減が効かない気がする。適度な友人関係というものはどうにも勝手が不明だ。
「い、いや。別に気にしてねえなら」
「いや。……いや、そうだったな。いつにする?」
カレンダーか何かをめくる音が、Dゲイザー越しに響いた。
オレは慌てて仕事の手帳を引っ張り出して、スケジュールを確認した。
「ええっと、来週の頭、なら」
「じゃあ16時に。埠頭で」
プツン、とそれきりDゲイザーはあっさり切れた。
「トーマス兄さま、お出かけですか」
週明け。貴重なオフだ。たった一人の為に念入りに調整したデッキを携えて、玄関先で今まさに家を出ようとしていた自分の後ろに、弟が立った。しばらくマネージャーの真似事をしていたので、どうやら今も時々スケジュールを確認する癖が抜けないらしい。
「どちらへ?」
「凌牙のとこだ」
オレの迷いない返答に、空気が硬くなったのが判った。
「……デュエル、するんですか?」
「ああ。いつもの事だろ? それがどうかしたか?」
靴先をトントンと当てて整えていると、ぎゅっと裾を引かれた。
「……行かないで下さい」
「ミハエル?」
「嫌です、僕は、っ」
妙に悲痛な声で言い募った弟に、玄関先で振り返ろうとしたとき「ばあ!」と年甲斐の無い高い声がした。
「うわぁっ、ちょ、父さま!イタタッ!」
振り返ると、ミハエルは背後から父の小さな体いっぱいで肩にぶら下がられていた。
困惑したオレを他所に、華奢な弟は父の悪戯に仰け反って、ちょっとした悲鳴を上げて腰を痛そうに庇っていた。
「やぁだなぁミハエルってば。急にお兄ちゃんっ子になっちゃって。最近トーマスが構ってくれないからってダダこねないの。僕が遊んであげるからさ」
「父さん?」
「行っておいで。ほら、待ち合わせに遅れてしまうよ?」
優しいのに有無を言わせない父の声に押し出されて、困惑したまま家を出た。
扉を閉め際、物言いたげな弟の視線とかち合った。
「父さま。トーマス兄様、まだ何も思い出していないんですか。もしも、また」
「大丈夫、二度目は無いよ。それに」
頬をなぞる指先で、仮面の銀が鈍く光を放っていた。
「どちらにせよ。いつまでも隠しては、おけないのだから」
空の天気が怪しかった。
西の雲が黒い。風も湿っていた。一雨来るかもしれない。天気予報では、降るのは夜中だったはずだが、風の流れが思ったより早い。濃い街路樹の匂いは、にわか雨の気配だ。
ぱしゃん、駆けて跳ね上げた水たまり。靴に跳ねる泥だけを気にして走る。待ち合わせ場所は埠頭だが、場所を変えた方がいいかもしれない。
複雑な路地を入って抜けた先、凌牙は立っていた。待ち構えるように。
弾ませた息で、両膝に手をつく。
「悪りぃ凌牙。遅くなった。途中ファンに捕まってよ。どっか、雨凌げそうなとこに」
「無駄口は、要らねえだろ」
声は雨の気配の中に響いて、Ⅳは顔を上げた。
凌牙の目が、こちらを煌々と青く射抜いて睨む。
薄曇りの空、周囲は陽が遮られて仄暗い。
凌牙の瞳の青だけが、暗さの中で浮き上がって見える。
遠くで、雷雲の唸る音がした。
「構えろよ」
すい、と滑らかに腕を突き出した凌牙に、ディスクが瞬時に形態を変えた。
広がる盤面が、カードを欲して風を切って鳴る。
拒絶するようにⅣに腕を突き出したまま、デュエルディスクを向けて微動だにしない凌牙に、Ⅳは、薄っすらと唇に弧を描いた。
それに、凌牙の柳眉が、ピクリと歪められた。
「なに笑ってやがる」
「あ?今日はずいぶん無愛想だと思ってよ。まるで前に戻ったみたいだ。嬉しいねえ」
タン、とセットしたデッキに、振り上げたディスクが応える。 金のディスクは広がって、剣を成した。
青の眼が射抜く。煌々と。Dゲイザーを掛ける間も、喰らい付くようにⅣを離さない、その眼。
Ⅳは唇の端を舌でなぞった。瞳孔が興奮に開くのを感じる。
「屈服させがい、ありそうだ」
「ほざけ」
機械音声が鳴り響き、ARが空に展開する。
ゴロロ、と遠くで雲が唸る音がしたが気にならない。
降り注ぐ緑の数字に、世界が決闘者のために塗り変わる。さあ。
思いっきり歪めて煽った顔に、凌牙の青が更に苛烈になった。
「「デュエル!」」
◇
頬を、雨がポツンと叩いた。
頭が急速に冷えていく。これは、なんだ。
手応えが、無い。空ぶる。
凌牙から、必ず返ってくると思った攻撃が飛んでこない。読まれると踏んで誘ったトラップが不発に終わった。なんだ、これは。
(オレは今、誰とデュエルしてる?)
まただ。
また、違和感。
ほら、今もまた。精彩を欠いて、こんなにあっけなく攻撃が通って吹き飛ばされて、膝の土を払う凌牙は、こんな男だったか。何かが噛み合わない。足元から何かがざわついて、苛ついた内心に、声が自然荒くなる。
「おい凌牙!てめえ何手ぇ抜いてやがる!ふざけてんのか!」
「うるせえ!こっからだ!」
そう低く唸って凌牙が開いた罠カード。以前も見た物で、一度見た事のあるⅣには簡単に対応出来た。囮かと思えば呆気なく通ったカウンターに肩透かしを食らったのはこちらの方だ。罠に足を取られて吹っ飛ばされた凌牙は立ち上がって、唇を噛んで一心に勝機を見出そうとしている。ふざけているどころじゃない、真剣そのものだ。だが、これでは以前の物真似だ。
(おかしい)
何かが決定的に食い違っていて、何か歯車が引っ掛かったみたいで気持ちが悪い。
雷鳴が近い。
雨音が、耳を叩き出した。
カードをかざす自分の声が、遠い。
ARに割り込んだ一瞬の閃光と、遅れた遠雷。目の裏に、何かがチカついた。
「ッ、エクシーズ召喚! 現れろ、No.40 ギミックパペット─ヘブンズストリングス!」
カードをかざす自分の声が、遠い。
踏み出した一歩に、水たまりが跳ねた。
揺れた水鏡。映る自分の顔に、紫色の影が一瞬、顔を覆ってみえた。
「っ、コレで、終わりだ、凌牙! メロディ・オブ・マサカ!」
幻視を振り払って振り翳した切っ先。
効果で壊れていく凌牙のモンスター達。
その攻撃力は凌牙を襲って、呆気なく凌牙のライフはゼロになった。
◇
雨音が、煩い。
頭蓋骨の底をガンガン叩いて、頭が割れそうだ。
ザァザァ降る雨を頬に流しながら
Ⅳはディスクを下ろして立ち尽くした。
凌牙は静かに立ち上がると、自分の肩を払って土を落とす。
「やっぱ、付け焼き刃だったな。だめだったか」
凌牙は、諦観を滲ませて苦く笑った。
随分無様なデュエルをさらしたと、顔を歪ませて自嘲した凌牙は、瞳を雨の中で伏せた。
「なあ、凌牙。そのトラップ、先月デュエルした時にも使ったよな。今日と、全く同じパターンで」
「そうだったかな」
Ⅳは、肩を震わせた。
「その次のマジックも。返し手のオレのギミックボックス、お前、あんなにあからさまに伏せてたのに、読めなかったよな」
「そういう事もあるだろ」
「お前、オレの『マーシャリングフィールド』の効果、間違って覚えてたろ。だからあんな意味ねえブラフかけて、もう、お前の前で使うの、何度目だか解んねえぐらいなのに」
「………Ⅳ」
「なあ、凌牙。オレの名前、言えるか」
「Ⅳだろ。呼んでんだろうが」
Ⅳは、とうとう、喉を引き攣らせた。
息が吸えないまま首を横に振って、絶望的な声であえいだ。
「違う、凌牙。お前、オレを名前で呼んでた。トーマスって、二ヶ月前から、璃緒と、面白がって」
凌牙は、それを聞いて目を大きく見開いた。
驚いたように、あるいは、意図せぬことを聞いたように。
そうして、ゆるゆる、目を細めて苦笑った凌牙は、独り言のように「璃緒のやつ、わざと教えやがらなかったな」と、すっかり諦めた調子でぽつりと呟いた。
「とーます、…トーマス、ねぇ」
凌牙は口の中で転がすように、馴染まないように二度三度呟いた。
Ⅳは、自分の指先が痙攣するのを抑えながら、みっともないほど喉を震わせた。
「凌牙………お前」
「俺の中じゃ、てめえを最後に見たのはクラゲ野郎とデュエルした時だ」
ひゅ、と喉で息を吸い込み損ねた。
顔を歪ませて苦く苦く自嘲した凌牙は、こちらに向けて、瞳の色を複雑そうに重たく深めた。
「ようⅣ。
────そんで、初めまして。トーマス」
俺はてめえと、どうやって〝 ダチ〟とやらになったんだっけな。
まるで聞き覚えのないお前と。どうやって。
[episode 3: Ⅳと記憶喪失、の。凌牙の話]
→NEXT reverse-1 (答え合わせ)
(紋章の暴走で1日分記憶が吹っ飛んでたⅣと、Ⅳと過ごした半年間を全て忘れた凌牙の話)
[reverse-1 (答え合わせ)]
ショッピングモールで、くるりと璃緒が機嫌よく振り返った。
「ねえ凌牙、こっちのワンピースはどう? さっきのとどっちが良いかしら」
「どっちでも良いっての。さっさと買えよ」
璃緒と凌牙は、二人で買い出しに来ていた。始まった即席ファッションショーもそろそろ小一時間になる。
「んもう! 聞きがいが無いんだから!」
「男にンなもん求めてんじゃねえよ…」
「トーマスだったら色々意見くれるのに!こないだだってカットソーにトップス合わせてくれたもの」
「アレは半分そういう業界の男だろうがよ……俺にはまずその暗号が判らねぇ」
兄弟仲は良い方だ。休日に二人で買い物をして過ごす程度には。
カードショップを回ったり、璃緒の服やらアクセサリーやら、そういうものに付き合って一日過ごして、最後にたっぷり食べ物を買い込んで、平日は二人で代わる代わる食事の支度をする。だから日曜日はただでさえ忙しい。それに。
「いいからさっさと買えって。早く帰らねえと間に合わねえぞ」
「あら、もうそんな時間?」
最近は、新しい日課も加わったから、なおさら時間は足りないのだ。
「こっち、じゃがいも剥き終わったぜ」
「はーい。もうすぐ茹で上がるから代わって?テーブル片付けちゃうわね」
「おう」
二人並んでエプロンを付けてキッチンに立つ夕方。
包丁を仕舞った凌牙は、璃緒からお玉を引き継いでクルリとひとかき混ぜした。大ぶり気味にカットしたジャガイモを放り込んでもうひとかき混ぜ。今夜はシチューだ。
璃緒はくるくる動いて食器を整えては、腰の後ろで結んだエプロンのリボンを揺らして、すっかりご機嫌だ。
「今日は何時に来るって言ってたかしら?」
「六時半。仕事上がりにそのまま寄るってよ」
「じゃあもうそろそろね。……あら、噂をすれば」
居間に鳴り響いたインターホンに、璃緒がスリッパを引っ掛けてパタパタと駆けていく。
火を弱火に下げた辺りで、背後からドアの開く音。慣れた来訪者の声。
「邪魔するぜ」
なんて声がして、金色が玄関に顔を覗かせる。
機嫌良く出迎えた璃緒が、いつもの「いらっしゃい」ではなく、慣れた様子で「お帰りなさい」なんて言ったから、Ⅳは照れくさそうに困って土産を押し付けていた。
Ⅳが神代家に入り浸るようになってもう半年近く経つ。連れて来られた最初は借りてきた猫のようにおっかなびっくり落ち着かなさげにしていたⅣの様子も、今となっては笑い話だ。キッカケはふとした事だったが、家に招いて腰を据えてから、三人で穏やかに過ごす時間は増えた。
「わぁ、モンブラン!美味しそう」
包みを開いて、璃緒が嬉しげに声を弾ませた。両手を揃えて小さく跳ねるように喜びを表現して、小首を傾げるようにⅣへ笑いかけて感謝を伝える。少し大袈裟なくらいが丁度いい。覗き込まれたⅣは表情を少し緩めた。気負いない笑みだ。最近ようやく、手渡される好意に傷付いた顔をしなくなった。
凌牙は肩を竦めて、火を離れて土産を覗き込んで会話に割って入る。
「んだよ、またケーキかよオイ。だから俺甘い物苦手なんだっての」
「ちゃんとお前の抹茶も買って来たって」
「でかした」
「手のひら返すの早えよ」
春冷えの家に、マフラーを巻いたⅣが入ってきた途端、火を焚いたように空気が温くなった。
二人きりの居間は凌牙にも璃緒にも少し広かったが、今となっては狭くて騒がしい。出入りする存在は、家の隙間を温かく埋めていた。
「うふふ、いつもお土産ありがとうトーマス。冷蔵庫に入れとくわね」
「だから、普通にⅣで良いって…こそばゆいんだよ」
「だっておかしいんだもの。赤くなったり慌てたり」
クスクスクス、ご機嫌の璃緒は鈴を転がすみたいにコロコロ笑って、あーうー唸りながら後ろ髪をかき回して食卓につくⅣをまた笑った。
「ちっとも慣れないわねえ。こんなに呼んでるのに。ねートーマス?」
「だから良いって」
「抵抗するだけ無駄だろ。てめえも諦めて良い加減観念すりゃ良いのに。なぁトーマス?」
「お前ら完全に面白がってるだろオイ」
「そんなことないわよ。ねー?」
「なぁ?」
「ああもうクッソ」
自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回すⅣに、凌牙も璃緒も笑った。
テレビ用に何時間もかけて整えられた身嗜みは、気の抜けた赤い耳をのぞかせてあっという間に乱された。
「真っ赤なお耳が隠れてませんことよ、トーマス」
「外が!寒かったんだよ!」
がおっ!と吠えたⅣが両耳をペタンと手で覆った。
璃緒が吹き出して、凌牙は腹を引き攣らせて呼吸困難になった。鍋は目を離している間に少し焦げた。
温かいシチューが完成する頃、暖房の効いた部屋は暑いくらいになっていて、凌牙はエプロンを外してくるくると丸めて食卓に座った。
食卓に人が増えると璃緒がとにかく喜ぶので、こうして三人で食卓を囲む機会も自然と増えた。
良家育ちのⅣは音も無く意外と静かに食べるが、好物を口に運ぶと瞳を分かりやすく綻ばせるので、凌牙にも璃緒にも好みは筒抜けだ。本日のシチューもお気に召したご様子で、ふわふわと花を飛ばしそうな勢いだ。幼い笑みをみせるⅣに、璃緒がくすくすと機嫌よさげに笑って、凌牙に流し目をひとつ。
凌牙はむすっと唇を尖らせて、指先で璃緒の視線をしっしと追い払った。学校帰りにわざわざシチューの具材を選んで買って来た凌牙をからかっているのだ。神代家の食卓は、Ⅳが来るともれなくシチューの日が増える。
「今日で収録はぜんぶお終い?」
璃緒がことんと小首を傾げて尋ねた。ここ一ヶ月、Ⅳの仕事はすっかり立て込んでいた。通常の仕事に加えて、デュエルを題材にした連続ドラマにプロとして監修と技術指導に入る事になったらしい。
基本的にはバックアップスタッフだが、売り手側はプロのⅣのネームバリューを宣伝材料にする気満々で、制作前から大々的に広告を打っていたから、凌牙達も名前を雑誌で見かける機会は多かった。Ⅳは倦怠感を目元に纏わせて首をコキンと回した。
「ああ、疲れたぜ。ったくプロデュエリストはタレントじゃないっての」
「やってるこたァ似たようなモンだろうがよ」
璃緒などすっかり放送日をチェックして、Ⅳが来るたび「トーマスのドラマデビューはいつですの?」とからかい半分にせっつく始末だ。
「勘弁しろよ」と逃げ回るⅣの最終防衛ラインは我が家のクッションだ。そんな平和な光景も、そろそろ見飽きるほど慣れたものだ。
ここ二週間の撮影所がアークライト家から逆方向で、反対に神代家のすぐそばだったのは偶然だ。それを理由に撮影の間、神代家の客間を宿に提供すると言い出したのは璃緒だった。
最初はそりゃあもう泡を食って璃緒の提案に首を横にブンブン振っていたⅣだったが、璃緒に「振られてしまいましたわ…」と盛大に泣き真似をされて気付けばなし崩しに了承させられていた。その結果Ⅳはここに居る。
互いに色めいた気がまるで無いから出来るごっこ遊びのような物だ。璃緒は泣き真似を隠す気も無く凌牙に手を振っていたし、ⅣはⅣで泣き真似と判っていて璃緒に強く出られず「凌牙助けろ」と目で訴えていた。凌牙は二秒迷って今夜のピーマン回避と引き換えにⅣを売った。
そうでなくても凌牙は璃緒とⅣの今のスタンスに非干渉であったし、璃緒のしたいようにさせている。
Ⅳはすっかり頭を抱えて、知己とはいえそうそう男を泊まらせる物じゃないとか(全くだ)、朝方の出入りを見咎められたらお前らの外聞が悪いとか(そして至極真っ当な事を言っているはずなのに全く璃緒に相手にされないⅣをいささか不憫に思った)、そういうことを諦め悪くずっと言っていたけれど、璃緒の「だってもっと一緒にご飯食べたいですわ」の拗ね顔でアッサリⅣは陥落した。
Ⅳは存外ストレートな物言いに弱い。璃緒に完全に手玉に取られている証拠だ。
璃緒がⅣに伝えたがっていたことの中身を知っていた。
璃緒がああいう甘えと隙だらけの幼い顔でねだってみせるのは、もうずっと凌牙にだけであったから、凌牙も見咎めない。喜ばしいことだ。だから眉間を和らげて、完全敗北したⅣに「諦めろ」と追撃してやった。
そんな出来事を経て、こうして束の間、期間限定で神代家に帰って来る生活を始めたⅣに、璃緒はとにかくはしゃいだし、凌牙はそれを受け入れた。
IIIの奴など「あのトーマス兄様が朝帰りだなんて」と口笛を吹く始末であるし、IIIの軽口に無言で拳骨一つ落としたⅣに「暴力反対です!」と涙目で唇を尖らせたIIIにああこいつらやっぱり兄弟なんだなと思わないこともなかった。つまり世は平和で安穏だった。
それも今日でお終い。
そんなイレギュラーも、毎日Ⅳがやって来る夕飯も、夕飯のあと遅くまでソファに並んで見るテレビとチャンネル争いも、休日前の晩には遅くまでするテーブルデュエルも、一緒の慌ただしい朝食も、休みの日には何となく一緒に見るホームドラマも、全部、これで一区切り。
何だか、そのどれもを眩しそうに甘受していたⅣは、なんだかんだと幸せそうで、そして最終日が近づくごとに物寂しそうにしていた。
そんな様子を盗み見るたびに、「仕方のない人ね」と言わんばかりに凌牙に苦笑を送る璃緒のことも、凌牙は全部、つぶさに見ていた。
「世話になったな」
案の定、夕飯を終えたⅣは、シチューを食べ終えてスプーンを置いた後、彷徨うように何度か指を所在無く組んだり解いたりしながらそう切り出した。
「璃緒、凌牙。改めて礼を言う。おかげで随分楽させて貰った。借りが出来ちまったな。謝礼はさせてもらうが、また改めて……」
Ⅳは顔を上げかけて、ひくりと顔を引き攣らせた。こちらを見て固まるⅣに、璃緒が「凌牙、この世のクズを見るような目になってますわよ」とご丁寧に実況してくれた。
言いたい事は百もあった。
こいつがうちに入り浸るようになって半年も経つのに、いつまでもこいつはどこか距離を置いたまま、手探りで距離を図りかねたように遠慮を顔から覗かせる。
過去の多くのわだかまりを越えた今に、不要なものばかり。
「てめえはなあ……」
口から出したい事が多過ぎて、かえって喉がつっかえた。
(馬鹿か、馬鹿なのか?馬鹿じゃねえのか。入り浸ってどんだけ経つと思ってんだ。なに改めて礼なんざ言ってんだ。謝礼?いるかンなもん)
お前が毎回うちに来る理由を探すから。
こっちが理由をつけると安心した顔しやがるから。毎回こちとら調子が狂う。
いつまでも理由なんざ作ってんじゃねえよ。
らしくねえだろ、てめえはもっと、イラッと来るほど煽ってくる奴だったろ。なにこっちの顔色伺ってんだ。
(ああチクショウ)
ガタン、と凌牙が無言で立ち上がれば、Ⅳが顔を引きつらせたまま、ビクッと肩を跳ねさせた。
とりあえず殴っておきたい気持ちを込めて、『ソレ』をブンッと放り投げた。Ⅳが慌ててキャッチする。
璃緒が横から「もう!割れたらどうするの」と文句を付けて、Ⅳが中身を開けて固まる。
(だから、もっと)
わかりやすく、もっと雑な理由で来いよ。
そう、たとえば、今日は寒いからとか、あったかい飲み物が飲みたくなったから、とか。
そんな、雑で他愛ない理由で。
「てめえはほんっと、イラッとするぜ」
様々な感情を濃縮したら最終的にこの一言に集約した。どかっと座り直して、自分のマグカップを傾けて、甘ったるい中身を吞み下す。
固まったままのⅣの手の中には、黄色のマグカップが鎮座していた。
「ほんとねえ。ちっとも分かってなくて嫌になっちゃう」
コトン、と璃緒が自分のマグカップを置いて笑った。水色だ。
「理由なんて無くたって、いつだって来て良いんですからね」
凌牙は紫のマグカップを置いてそっぽを向いた。
「洗って帰れよな、てめえのなんだから」
璃緒の意向もあったとはいえ、言わないと分からない阿呆のために随分とサービスしすぎた気もしたが。
「〜〜〜〜〜っ!お前らなぁ!」
とんだファンサービスじゃねえか、と蚊の鳴くように呟いた奴の、リンゴより赤い顔がまあ見ものだったから、釣りは出ただろう。
◇ ◇ ◇
[reverse-2 運命のクロス・タッグ・ドロー]
冬が明けて、春は近かった。
「よう、凌牙」
Ⅳは待ち合わせ場所の入り口で待っていた。変装用のキャスケット帽を取り払って、パッと悪戯めいて破顔した。こちらに向けてみせたのは、よく知る悪戯めいた眼と金と赤の髪だ。
「負けた時の言い訳は考えてきたか、小ざめちゃん?」
「ぬかせ。コテンパンに伸してやるよ」
煽ってやれば、舌を出して煽り返す顔。
いつも通りだ。遠慮がちの顔より、こっちの方が、ずっとらしい。
待ち合わせは十六時だった。
凌牙が四限目を終えて、ホームルームをばっくれると大体その時間だった。
凌牙のサボりを見逃さない璃緒も、たまにピタリとこの時間に飛び出すのだけは、いささか大目に見てくれる。
いつだって遅れて来るのは仕事を持つⅣの方だ。だからその日、時間を待たずして、待ち合わせに使う路地の入口でⅣとばったり邂逅したのは、ずいぶん珍しいことだった。
キャスケット帽と眼鏡を指先で弄んで外して、手を一振り。笑ったツラは気負いなく、本当にどこにでも居る青年のようだった。
理由も根拠もなく、ただ今日は良いデュエルになるだろうなと思った。
他愛なく話しながら、互いの家族や友人の日常を肴に路地を歩いた。
顔の傷が視界に馴染んで久しかった。アークライトの名を知って久しかった。そして、まるで古い知人のように奴を日常に受け容れて久しかった。この半年で変わった日常に、奴の金髪が乱反射して少し眩しいと思った。
「ん?」
「凌牙?どうした?」
見慣れた白金の装束姿に、ふと違和感を覚えて、凌牙は爪先を引きずった。
(……なんだ?何か、足りない気が)
凌牙は目を細めて、その小さなズレのような、ささいな間違い探しのような、違和感の正体を手繰る。知らず眉間に皺が寄った。
「オイ、凌牙?なにぼーっとしてんだ?」
そう呼び掛けるⅣが目の前で手を振った。ぶんぶん振る腕に、あるはずのものがない。はたと気付いて目を見張った。
「おいお前、ブレスレッドどうした」
「あ?何だ、そんなことかよ。急に止まるからどうしたのかと思ったじゃねえか。兄貴がメンテに持ってった」
何だろう、首の後ろが、ザラリと訴えた。
紋章の力が込められた物なのは知っていた。
ベクターが与えたバリアンの力は、歪に人の体に根を張ったままだ。制御を離れれば、人を、健常な精神を壊す。ハルトがそうであったように。
「おい」
「あ?…あー、つか、問題ねえって。WDC終わってから、オレたち誰もワープとか使ってねえし。無理にランクアップするようなこともねえしな、今となっちゃ飾りだ、飾り。お前気にし過ぎ、」
何かに気取られたように、Ⅳが片眉を跳ね上げた。凌牙も瞬時に感じ取った。
水を差す不躾な視線に、酷い不愉快を憶えた。
「気付いてるか、凌牙」
「ああ」
「…っち」
路地の入り口は三つ。金網とコンクリで固められた、建設中のまま放置された巨大都市の名残。中は袋小路の迷路だ。
人目を撒くのにうってつけの複雑な裏道は、同時にそういった者の集まる所でもある。
ここ最近久しく忘れていた、薄汚れた溝溜めの気配。それが背中に幾つも突き刺さった。
視線は数十。囲まれている。
タイミングは、手に取るように分かった。
一瞬交わした視線がゆるりと絡まった。Ⅳとの意思疎通はそれだけで良かった。
ぶらりと歩く様に、大股でゆっくりと足並みが揃った。
(……さん)
こきん、とⅣの首が鳴った。凌牙が肩を回した。
(にぃ)
路地はT字の突き当たり。
(いち)
(どんッ)
ぎゅん、と足を踏み込んで
背中合わせに逆走した。
「────ッ!!逃げたぞ!」
「追え!」
T字路で二手に散ったⅣと凌牙は、互いを振り返りもしなかった。Ⅳが高らかに煽って、ゴミバケツを派手に蹴飛ばす。それを背後に聞きながら、凌牙は木の根を踏み台に宙へ飛んだ。
空に向けて宙返りした凌牙は樹の枝に掴まって、ぐるんと塀の上に降り立って生垣の枝影に素早く身を躍らせた。
Ⅳの派手な掛け声は囮だ。ここは凌牙の庭、凌牙の領域。ここで凌牙に撒かれなかった人間は遊馬しかいない。
「どこ行きやがった!」
「向こうから挟め!」
(────8、9人)
一転して息を潜めた凌牙は、塀の上から視線を巡らせた。石の礫を手の中で浮かせて、枝影から鋭く一閃。対側の廃屋の窓ガラスが『ガシャンッ‼︎』と派手に砕け落ちた。
「ッ‼︎ そっちか!?」
「回れ回れ‼︎」
(────14、15人、いや、もっと)
わざと派手な音を立てて金網を蹴る。枝影から飛び出して宙を舞った凌牙に、男どもが間抜け面で口を開けて見上げていた。凌牙は男どもの腰元を見咎めて眦を決した。
(────デュエルディスクッ!)
「っいたぞ!!捕まえろ!」
塀の上を疾走する凌牙に、男どもの野太い声が八方に木霊する。どれだけ騒いだ所で誰も来ない、ここはそういう場所だ。
一直線に跳ね飛ぶ塀の上の猫道。凌牙は弓のように体をしならせて廃墟の車庫の屋根から飛んだ。
「グハッ」
(まずは、一人)
男のうなじめがけて飛び降りた凌牙は足元にガタイの良い男を一人沈めて、また金網を蹴って空へ身を躍らせた。高く、出来るだけ高く。金網の向こうに、路地の隙間に、金と赤の髪が見え隠れするのを捉えるまで。
(いた)
凌牙は躊躇無く飛び降りた。Ⅳに今まさに殴り掛かろうとしていた男の脳天をかち割る。
あわや顔面を潰される所だったⅣは、ニタリと嘲って襟首を直して「遅いですよぉ神代くん」なんて言って足裏で男の顔を退けた。地べたを疾走するⅣは囮だ。そして、餌でもあった。凌牙は舌打ちした。
「くっそ、ほんとなら今頃コイツを気持ち良くぶっ倒してた頃だったってのに」
「おいおい凌牙ぁ、心の声漏れてんぞ。つか今ごろ地べた這ってたのはてめえの方だっての」
Ⅳがぐっと親指ひとつで指す行き先は、この先の広場だ。顎をしゃくって肯定を返した。
地に落ちたデュエルディスクを睥睨する。曲がり角から「いたぞ!!」という声が上がって、凌牙とⅣは一つ頷き合って走り出した。
凌牙とⅣは、背中をすり合わせるように並んだ。周囲を囲む男どもの靴先が、ジリ、と一歩、また一歩と輪を狭める。
ザッと目を走らせた限り、目測と同じ二十人前後の男たちが、この広場で二人を取り囲んでいた。中には鉄パイプや釘の刺さったバッドを持っている者も混ざっている。共通しているのは、全員がデュエルディスクを所有していることだ。
赤銅色の鉄柱で囲まれた広場、随分と見覚えのある場所だ。あのとき凌牙と対峙したのはIII。
生憎と、いま凌牙とⅣを取り囲んでいるのは腹が出たイラッとくる後輩でも無いし、トドのつまりの口癖の学級委員でも無い。加えて言えば、あのとき復讐に燃えた敵同士だったⅣと今、背中を預け合う味方同士であるのだから、数奇だ。
「こいつらの顔、見覚えがある」
「奇遇だな、オレもだ。だが、オレの熱烈な追っ掛け…って訳でもなさそうだ」
凌牙は顔を顰めた。眉間に皺を寄せて、記憶を手繰り寄せる。印象は曖昧だった。
「確か、WDCの……」
シャーク、と呼び掛ける、伸びやかな遊馬の声がまぶたで弾けた。
「!」
記憶が濁流を起こした。
切迫した遊馬の叫び声。
カンカンと金属の階段を駆け上がる足音。
足元に転がる無数の男たち。身体を焼く衝動。赤い真っ直ぐな瞳。
シャークドレイクの爪、誘惑、トロンを追った路地、頭を煮やした憎しみ、その衝動のまま決闘者を狩り回ったこと、止めに入ったのは遊馬だった。
「思い出した…!」
そう、アレは。WDCのあの時、憎しみに任せて狩り回って地べたに転がした男どもだ。
「お前に逆恨みしてる雑魚か。だが、それだけじゃあ、なさそうだ」
殺気がひしひしとⅣを貫いていた。口角を上げる。
「どうやら、オレの客も混じってるらしい」
Ⅳの目がぐりっと見開かれて、ほんの数秒前まで被っていた仮面が剥がれ落ちる。噴き出すのは嗜虐性と残虐性をにじませた、奴の本性だ。久しく目にしていなかったそれがすぐ隣で零れ落ちるのを、凌牙は肩越しに伝わる嘲笑から、暴力的なまでに感じた。
「誰だァ、てめえら」
「あんたの、『ファン』だよ」
男の一人から地を這うような声が絞り出された。恨みと暴力に眩んだ目。見れば、凌牙を通り越してⅣへ突き刺さる視線は、いつか見たような汚泥でよごれていた。
これを凌牙は知っていた。幾度となく鏡の中に見た。窓ガラスに映った自分の姿で。これと同じ、復讐に濁った苛烈な瞳を。
クツリ、と背中越しのⅣの笑みが深くなった。
「熱烈なファンですねぇ、人気者は困ります」
ピタリと能面を当てるみたいに、Ⅳの顔が美しく品行方正に整えられた。白々しいほどに紳士的に微笑んで、そうして、美しい仮面が、どろりと濁って剥がれ落ちた。
「そんなにオレのファンサービスがヨくて忘れられなかったか」
Ⅳにファンサービスと称して、WDCで痛め付けられた連中だ。
「WDCの負の遺産、か」
凌牙が口の中で言葉を転がした。
クツリ、と背中越しのⅣの嘲笑だけが答える。
「こないだの大会の予選落ちもチラホラ混ざってやがるな。まともなデュエルじゃ敵わねえとみて、烏合の集が頭数揃えて来たってか」
Ⅳの腰元で、Dパットがアラートを鳴らしていた。割り込み回線、非合法の強制バトルロイヤルモード。凌牙も見知った手だ。こうして集団リンチで痛めつける手を、陸王海王の所に出入りしていた頃に腐るほど見た。デュエルを暴力の常套手段にする連中のやり方だ。凌牙は鼻を鳴らした。
「ずいぶん恨み買ってるじゃねえか、ええ?デュエルチャンピオンさんよ」
「てめえも派手に食い散らかしたみてえじゃねえか。鮫はずいぶん悪食らしい」
無言で距離を詰めていた男どものザワつきが酷くなる。
釘パイプを持った男の一人が、Ⅳの挑発に輪の中からジリッとにじり寄って、瞬間、凶器を振り上げた。
Ⅳはほんのわずか体重を傾けると、絶妙な配置で瞬時に凌牙と場所を入れ替えた。すでに足を振りかぶっていた凌牙は場所を開けられ、鉄パイプを振りかぶった男の腹に強烈な横薙ぎを叩き込んだ。
「ぐぼあッ」
勇んだ男は壁まで吹っ飛ばされ、そのまま泡を吹いて動かなくなった。片足を宙に突き出したまま、ざわつく男どもを意にも介さず、凌牙はペッと唾を吐き捨てた。
「弱ぇ。イラっとするぜ。決闘者の風上にもおけねえ」
凌牙は舌打った。
「ッ怯むな!」
それを皮切りに、男どもが一斉に殴りかかった。頭上に近づいた釘バッドに、凌牙がゆっくり目を細めた瞬間。
閃光が目を焼いて、バチバチと、凌牙の額の先でバッドが止まった。
「なん、何だ!?」
「おやおやぁ。強制割り込みのバトルロイヤルモードまで仕込んでおいて、手傷負わせようたぁ美しくねえな」
Ⅳの左頬が、紫の紋様に象られていく。発光するそれが、ニィィと歪められて舌なめずりされた。
掲げられた手の甲には、浮かび上がった紋章。宙に作り出されたバリアが、凌牙に振り掲げられた凶器を弾き飛ばした。五人がかりで飛び掛かった男たちが見えない壁に阻まれて、弾かれる。
「大人数ならヤれると思ったか? 生憎とこいつはオレの先約でね。雑魚は引っ込んでな!」
見えないバリアが消えて、凌牙が舌を打つ。
「おい、ブレスレッド無しであんま力使ってんな」
「この程度でうるせえな。それより、疼くんだよ、なぁ?」
「チッ、一人で盛りやがって」
「おやぁ? 神代君は踊らないんですかぁ?とんだ腰抜けだ」
「早まってんじゃねえよ。どんなデュエルだろうと受ける、それだけだ」
「ンふ、いいねぇ凌牙ぁ…好きだよオレはそぉいうのが…」
「ふざっ…ふざけやがって!」
「ほざくんじゃねえッ!」
「ガタガタうるせえ猿どもだな。焦るなよぉ。デュエルなら受けてやる。ファンサービスと行こうじゃねえか」
凌牙とⅣを取り囲む殺気が、舐めるように濃くなって、喉から足先まで貫いていく。それを気持ち良さげに、背中越しのⅣが喉を転がして嗤っていた。次々に周囲で展開していくデュエルディスク。空から降る緑の数字に赤いバグが混ざる。強制回路のバトルロイヤルモード。20対2、圧倒的にこちらが不利、だと、思っているだろう。少なくとも、向こうは。
「フン、あの時みてえに、てめえだけこっから尻尾巻いて逃げてもいいんだぜ?Ⅳ」
「生憎サービス精神旺盛でな。ファンに望まれちゃあ、踊らねえわけにもいかねえだろ?」
「ハッ、こんな奴ら相手に大した仕事意識だなぁおい」
「何言ってんだァ凌牙ぁ…とぼけんなよ」
ねっとりと撫で上げるように、Ⅳが舌舐めずって嗤った。
「オレと踊るのは、てめえに決まってんだろ。なァ、一番のファン」
じゅわり、と飢えで口の中に唾液が溢れるのを知った。
腹の獣が唸る。隣の金糸の敗北を喰わせろと舌舐めずる。
金のデュエルディスクが振り上げられて、宙を舞って腕に装着され展開する。凌牙もまた、青のデュエルディスクを展開した。
広場に吹き込む風が土埃を舞い上げて、Ⅳが土煙の中で口角を上げて叫んだ。
「脳筋共が!デュエルで来たのだけは褒めてやるよ‼︎ さぁショーの始まりだ!」
◇ ◇ ◇
ズズ、と遠くで地響きが鳴る。
古い金属の擦れる音だけが、警句を鳴らす。
誰も知らないまま。
◇ ◇ ◇
ヘブンズストリングスを呼び出し、場にストリングカウンターをばら撒いたⅣが、ターンを不気味なほど静かに終える。
Ⅳに攻撃が迫る。
俯いたⅣは、ニッと口角を上げて何もせず笑っていた。
喉笛で止まる攻撃。
凌牙がカードを発動していた。
「トラップ発動、《オーバーレイ・アワード》。こいつは、自分の場のオーバーレイユニットを一つ、相手フィールド上のモンスタ一に与える事で、このターンのバトルフェイズを終了する。オレは《ギミックパペット─ヘブンズストリングス》を選択。攻撃は無効だ」
「くそ…!」
オーバーレイユニットが、飛び舞ってヘブンズストリングスに吸収されていく。凌牙からそれを受け取ったⅣは、口角を上げてゆっくりと片手を上げた。
何もできぬままエンドフェイズを迎えれば、死あるのみ。
「メロディ・オブ・メイヘム」
「ぐぁぁぁ!」
あっけなく振り下ろされたギロチン。勢いよく振り下ろされた手刀に、ヘブンズストリングスが一斉に複数のモンスターを破壊していく。
「思い出すねえ凌牙ぁ。お前とこうして肩を並べてデュエルしてると」
場が次々一掃されていく。抱えさせられた爆弾を処理できないまま、エンドフェイズを迎えて機雷がその首を取っていく。ターンが巡って凌牙に戻る頃には、威勢良く吠えていた男どもは、既に半分まで倒されていた。
地面へ薙ぎ払われていく男どもに目もくれず、Ⅳが喉仏を晒してクツクツと笑った。
「てめえと組むのは二度目か。オレはよ、なかなか悪くねえ気分だぜ。てめえはどうだ、凌牙ァ」
凌牙はチッと盛大に舌を打った。
「最っ悪だ!」
「そりゃ好都合!」
ハハッ!と快活な笑い声が背中で上がった。
凌牙にターンが回る。凌牙がドローする脇で、ククク、とⅣの喉が猫撫で声を奏でる。
「この流れ。気付かねえとでも思ったか?とんだ面白え真似してくれるじゃねえか、凌牙ァ…クク、『あのとき』オレを殺ったコンボを使ってくるたぁ…いいねぇ、好きだよオレは。そういうのが」
Ⅳが寄越した視線が、バチッと静電気を帯びる。
「持ってんのか」
「あぁ」
「クッ、クク、ほんと、最高だよてめえは…」
ねっとりと笑んだ声が、凌牙に投げ掛けられる。
「オレをどぉしたいんだァ…りょうがぁ」
「決まってんだろ。こんな雑魚ども片付けて、早くてめえを噛み殺してやりたくて仕方ねぇ」
「く、くくく、ハハハ!!」
Ⅳは顔を片手で覆って、高らかと嗤い声を上げた。背に響くそれを聞きながら、凌牙は眉一つ動かさない。
手の中の一枚のカードを、凌牙はただ見つめていた。
「くくく…凌牙お前、この状況で…雑魚どもが良いツラの皮だ」
「ウォーミングアップにもなりゃしねえ。生憎、最初からてめえ以外眼中に無えよ」
「そいつァ熱烈だ!ほんっと、てめぇは最高だよ凌牙ァ!」
凌牙が手札から勢いよく引き抜いたそのカード。
閃光。発動した魔法。もう止まらない。
「いいぜぇ、応えてやるよぉ!これがオレのファンサービスだ、受け取れ凌牙ァ!」
背中合わせに互いにドローしたカードが、キンッと高らかに鳴いて光の軌跡を描いてクロスした。
凌牙は叫んだ。
「魔法発動──《運命のクロスドロー》‼︎」
「俺が引いたのは、速攻魔法《パワー・ストリーム》!このターンのバトルフェイズに召喚された水属性モンスターを選択し、このカードをオーバーレイユニットとする!」
「オレが引いたのは罠カード《ギミック・ヴェンジェンス》!ギミックパペット一体を選択し、相手に攻撃力分のダメージを与える!」
交わった奇跡のドローが
運命を交錯して
最後の敵を蹴散らした。
「なんだ!?なにが起きたんだ!?」
「教えてやるよ。こいつァなぁ、手札から発動出来るんだ。モンスターエクシーズの効果以外で相手のオーバーレイユニットが増減した時になァ!」
「手札からトラップだと!?」
「なんて奴らだ、自分のターンでも無ぇのに…!?」
「まだ判らねえのか雑魚が」
Ⅳがザリッと砂を踏んで前に出た。
「オレと凌牙が組んだ時点で、てめえらに勝ち目なんざ無ぇんだよ!!」
◇ ◇ ◇
ズズ、ズズ。
地響きだけが、
不幸を連れて
鉄骨を吊る紐が
ブチリ、と、切れた。
[reverse-3 暴走]
「はっ、他愛もねえ。オレらに勝負を挑んだことを、地獄で後悔するんだな!」
男たちを見下して顔中で嗤ったⅣを尻目に、凌牙は何かに気を取られた。低く響くその音に、耳を澄ませる。
「おい、なにか聞こえねえか」
「あ?」
次いで、靴から違和感を拾った。
ズズズ、と地響きで土が震えていた。
「なんだ……?」
足の下が震えて、そこにいた誰もが下を見た。
その中で、凌牙だけがいち早く真実に気付いて別の方向を見た。
「地震……? いや」
上を見て、凌牙の瞳孔が開く。
その瞬間、頭上の崩れかけた工事現場が揺らぐのを見た。
「ッ!!! 逃げろッ!!」
叫びは、数巡遅かった。
ここは、建設途中で放置された巨大都市の跡地。だから。
錆びて螺子の壊れたクレーンから
鉄骨が滑り落ちたのは。
いつか起こる、必然の事故だった。
本来、誰もいないはずの工事跡の広場に。
崩れた工事現場の鉄骨が
頭上から雪崩のように降り注いだ。
悲鳴が上がった。
千切れたワイヤーから落ちた鉄骨の一発目はⅣに落ちた。
「伏せろッ!!」
第一波がⅣに降り注いで、凌牙が突き飛ばす。
地面に突き刺さった人間よりデカい鉄柱に、Ⅳが砂塗れであぜんと地に這いつくばった。
「ぼさっとすんな! 次が来んぞ!」
凌牙が叫んで、Ⅳがハッと跳ね起きた。
そこら中から阿鼻叫喚の声が上がった。
凌牙は一目散に出口に走った。次いで、Ⅳも後を追った。
第二波が空から降り注いで、男たちが散り散りになった。
「!? オイ馬鹿! そっちじゃねえ!」
「凌牙ッ!?」
わざわざ逃げ道を塞ぐように袋小路側に逃げた男たちを見て、出口へ走り出しかけていた凌牙が思わず振り返って足を止めた。
スプラッタになりかけた男たちの頭上に次々鉄骨が降って、悲鳴が上がる。
瞬間、鉄骨が横に吹き飛んだ。Ⅳが出口から紋章を掲げていた。
男たちが真横に落ちた鉄骨に「ヒィッ!」と悲鳴を上げた。
「Ⅳッ!?」
「バカ止まるな走れッ!……!?」
叫んだⅣが、逃げ遅れた凌牙の方へ逆走した。
デカい影が落ちた。
「えっ……?」
凌牙が見上げたとき
目の前に迫った第三波の鉄骨が
目玉に向けて勢いよく落ちてきた。
スローモーションのように時が止まって
Ⅳの腕が凌牙を引っ張り込んだ瞬間
ぐちゃっと肉を貫く音がして
世界が真っ赤になった。
to be continued