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鉄格子をすり抜けるもの【後編】

全体公開 2 12229文字
2016-09-29 01:58:15

前作の続き。金緑の勇者様、伝令の悪魔様、断罪の勇者様、牢の魔王様をお借りいたしました。

***

Chapter4:囚人に忠告をもたらすもの(金緑の勇者)



意識が立ち返り、体に分身からの情報と刺激がいきわたる。ある程度落ち着いたのを見計らって、カイは石壁に背を預けた。わずかな差とはいえ、夜に戻ってくるよりも冷えないのはありがたいことだった。

 黒い翼の天使と別れた後に見つけた仕事は、人を探して手紙を届けてほしいというもので、手紙の内容は相手の身内の訃報だという。夜の店で働いている依頼人の女性は、相手も同じような境遇だろうとあたりをつけて酒場に依頼をだしてきた。この晩には終わらなかったが、そこそこ情報も集まった。明晩には済ませることもできるだろう。

 いい知らせでなくとも、伝えなければならないことはある。依頼人が探し人の身内の近況について知っているほどに探し人と近しいはずなのに、探し人自身の居場所を知らないというのは、何らかの事情があるか、知らないということ自体が嘘なのだろう。

 いずれにせよ、依頼人にとっては誰かが間に入ってくれることが必要で、そうしてまで伝えなければならないと思ったのだろう。クッション役として選ばれたカイは、探し人に手紙を渡して、その反応を見て、双方の役に立てるようにふるまうだけだ。知ることで何かが変わることもある。それが辛い知らせであっても。

 ぼんやりと周囲の物音を聞いていると、唐突にダンッと着地する足音が聞こえた。機敏でばねのきいた動きを想起する。カイがびくりと思わず身をすくめると、じゃらりと鎖が音を立てた。

「よお!珍しいな、起きてるの」

 朗らかな男の声だ。近づいてくる衣擦れに交じる金属音から、鎧をつけていることがわかる。

「こんにちは。アンタ、よくここに来とるの?」
「ああ。おっと、静かにしといてくれよ。ここの魔王に見つかると追いかけっこみたいになるからさ」
「追いかけっこ?それ危ないんとちゃう?」

 この大牢獄の主に追いかけられる、というのは中々ぞっとしない。こと人を捕えておくことに関して、ここの魔王ほど長けた者はいないだろう。

「いやー?スリルはあるぞ。ま、なんだかんだでまだ捕まったことはないな」
「そら捕まってたらそうして外にはおらんやろ
「それもそうか!」

 からりとした笑い声を上げる。不思議な男だった。飄々として、しかも含むところがなく、まるで木立を吹き抜ける風のような軽やかさがある。

「しかし、ここに隔離されてるってことは、常態で覚醒している勇者なのか。苦労してるなぁ」
「隔離?覚醒?」
「んん?もしかして勇者として捕まってるわりにあんまり勇者について知らないのか?」
「いっぺんも死んだことあらへんし、女神様とも神託以外で会ったことないし、そもそも女神の間にも行ったことないねん。勇者ってことについてもわりと半信半疑やってん」

 ぺちっという小さな音に、あちゃー、最近勇者が増えるペースが速いから追いつかないのも分かるけどこれはひどい、という呟き。額を打って天井を仰ぐ動作が目に浮かぶようだ。

「よーし、ではこの俺金緑さんがお前に勇者についてのあれやこれやを面白おかしくレクチャーしてやろう。大事な事だからな、頭のノートに書いときな」

 まず第一に勇者とは、と彼は語り始める。

「ざっくりアバウトに、女神の神託を受けて『平和』な世界を作るために存在する者で、その為に勇者の証を授けられ、それを使って女神の間に行けるってのは聞いてるな!それに加えて、お前が知っておくべきは『覚醒』についてだ。勇者として最初に受け取ったわけではない能力を、後から一定の条件を満たすことで手に入れたときの状態のことだ」
「ああ、おれのアレもそれやったんか。てっきりこう、勇者的なパワーか何かかと」
「ははっ、いや合ってるよ、勇者的なパワーで」

 カイの雑な物言いに男は笑いながら、それでも肯定の意を示す。

「ただ、女神が勇者としてのソイツの為に誂えた力ではなく、ソイツが勇者の証に宿る力を自ら取り込んだことで新しく手に入れた力だ。女神が最初にその勇者に対して想定していた範囲をはみ出たことが起きてるわけさ。これは、お前みたいに常に発動している奴もいれば、ほんの短時間で通常の状態に戻る奴もいる。手に入れる条件も、手に入れる力も、人それぞれで個人差が大きいんだ」

 当然カイには初耳のことである。そうなんや、と答えて先を促すと、すこし男は黙ってから、言葉を継ぐ。

「後は……さすがにお前も、本能的に気づいてるだろ。その体が死んだら、リスポーンすることはないって」

 代わりにカイが言葉に詰まった。自分が勇者なのかどうか、という根本的な部分はさておき、分身の力を得てからというもの、フィードバックにせよ衰弱にせよこの本体が死んだら自分はおしまいだろうと、なんの疑問もなく思っていた。これが本能的というのであれば、まさしくその通りだ。

「覚醒した勇者ってのはそういうもんだ。死んだら生き返らない。女神の範疇をはみ出している弊害だな。ただ、勇者の覚醒ってのはそんなにメジャーじゃない。珍しい事例だし、さっき言ったように個人差が大きいんだ。だからこそ、ここの魔王もお前の扱いを計りかねている。それで、他の勇者よりも奥深い場所に隔離して幽閉しているんだ。お前から他の独房は見えないだろうけど、ここちょっとシビアな仕様みたいだし」

 だから、と男は続けた。

「俺の言ったことは『鵜呑みにするな』。リスポーンについても『死んだことないから分からない』くらいに思っときな。もし牢の魔王に聞かれて、嘘は許さないと言われたら、それで通せ。実際覚醒前すらリスポーンしたことないんだろ?何処ぞの魔王はな、ちゃんとお前が『死ぬ』勇者だと確認出来たら容赦無く殺す。躊躇なくする、そういう奴なんだよ、あいつはな。それにな、折角出来た新しい後輩に死なれたくないんだわ」

 男の明るい声に一筋の影が差す。こうも勇者について説明しなれていて、そのうえカイを指して後輩、ということは、この人もまた勇者なのだろう。しかも、経験と哀しみの上にあって、そうと感じさせずに生きている。

「おおきに。言われたとおりに上手いことやるわ。てかおれなんて基本ここで日がな一日動かれへんのやで?そんな差し迫って死ぬとか死なないとかあらへんて!大丈夫や。な、センセイ?」

 冗談めかしてカイが言うと、男もおうよ、と、晴れやかに応える。そして、そうだこれもオマケに教えておいてやろう、と男は声を潜める。

「もし女神様にも聞かれたくないような話を誰かとしたいときは、魔界でやりな。逆に、邪神に聞かれたら困るような話は、聖界でやりな。こういう悪だくみの方法の一つも覚えておいたほうが、後々の役にたつぜ」

 勇者は良くも悪くも注目されるからな、と男が言うのに、カイは首をかしげる。

「邪神?」
「ああ、それも知らなかったか。勇者たちに母なる女神がいるように、魔王たちには父なる邪神がいるんだよ」

 これも知っておいて損はない、と言ったところで、男はまずい、と呟いた。気づけば、遠くのほうからコツコツと足音が近づいてくる。

「おっと、タイムアップみたいだな。俺は金緑の勇者、いわゆる中堅勇者兼出張家庭教師ってやつだ。じゃなあ、次外で会ったらレクチャー2《美味しく楽しく旅をするには》を酒呑みながらしてやるよ。だから死ぬな、約束な」
「おおきに、金緑センセイ!おれはカイ、囚獄の勇者なんて呼ばれてもーてん」
「悪くない二つ名だとおもうぞ」

 旋風のような勇者は軽やかな足音を残して去っていった。



***

Chapter5:真実を伝えるもの(伝令の悪魔)

 コツコツと近づく足音はやがて踊るようなリズムを刻んで、石の床を駆け始める。ここが、金緑の勇者が言うように隔離された牢獄ならば、これほど似合わない足取りもないだろう。ターンするような摩擦音に、ばさりと何かが翻る音が混ざる。衣擦れとは違った奇妙なその音は、どこか友人の翼の羽ばたきを連想させた。

「ヤァ、こんにちは。昼にコチラに居るとは珍しいね。囚獄の勇者」
「こんにちは。そういうアンタは、おれのこと知っとるの?ここによく来る人なん?」
「ソウでもないさ。ただ色んなホントウをシってるだけ。ついでに言うとヒトじゃないよ」

 相手はくすくすと笑う。人ではない。なら、魔物か、魔族か。この牢を出入りできる何者か。もとより、目もろくに見えずこの世界をきちんと把握できているわけでもないカイには、あたりのつけようもない。直感的に、善意の存在のようには感じられない。しかし、悪意があるようにも思われない。カイのこの手の直感はよく当たるが、今回は役立たずのようであった。

「たとえばサ、早くここから抜け出さないと、キミの命がアブナイよ」
……それは知っとるわ」
「ああそう?」

 とくに意外でもなさそうに相手はつらつらと言葉を続ける。

「じゃあこんなホントウはどうだい。邪の神に会う方法、シらない?教えてあげるよ」

 邪の神、と来たものだ。金緑先生の勇者入門講座の復習というべきか、ベストのタイミングというべきか。いっそ、金緑の勇者がカイに講釈をしたからこそ、今ここを訪れたのかもしれない、とすら思う。この相手の言い分を信じるなら、多くのことを知る者なのだ。

「そうなん?そらありがたいわ。邪神様てひとがどんな人かよう知らへんけど、会うたら分かる事もあるかいな」

 カイの波風立てない慎重な回答を、聞いているのかいないのか、相手は続ける。

「ただし、キミの大事なヒト、一人ボクにちょうだい」
「なんやて?」

 突然のことに、思わず目を見開く。廊下にわずかにある光が目を眩ませ、その影だけが瞼に焼き付く。おもわず呻いて再び目を閉じた。

「なんでって、ボクは見てのとおり悪魔だよ。見えないんだっけ。じゃあ、ボクは悪魔だから、見返りを求めるのは当然さ。安いものだろ」

 悪魔。お伽噺では、たいてい善良な知恵者や優しい神官に悪い取引を持ち掛けて、なんやかんやで一杯食わされて帰っていくが、現実の魔王や魔物がお伽噺のように簡単には退いてくれないように、現実の悪魔は一筋縄ではいかないだろう。第一、カイはお伽噺の主役になれるような人間ではなかった。

 うーん、とカイは思案する。普通人間や魔物が女神と接触できないように、勇者が邪神と接触するのはとても難しいことなのだろう。しかしそう考えると、彼の提示した取引には理解できないところが多い。彼の言う通り、代償があまりにも「安いもの」すぎるのだ。カイにとってとても大切な人を差し出したとして、悪魔にとってなんの価値があるというのだろうか。人にとって人は、誰に替えることもできない。しかし、人にとってすら自身に関係のない人の優先順位は下がるのだ。

 つまり、とカイは思う。この取引の要は、こちらが差し出す者そのものではない。彼はそれに付随する何かを「見返り」にふさわしいと思っているのだ。では、それはいったい何なのか。それを読み取れるほど、カイは察しがいいほうではなかった。

 ならば、彼に返すべき内容は直接的なYES・NOの回答ではない。

「せやね。まず聞きたいんやけど、アー、もしかして仕事あんまり上手いこといっとらんのと違うかな?大丈夫?無理しとらん?あるいはアレや、初めて会うからかな。忙しくて調べが足りひんのやったら一度帰ってもらっても大丈夫やで」
「は?」
「いや、単純に考えて、『もっとよく見えるようになるんやったら眼鏡欲しいわ』言うてる人に『代金は目玉やで』っていうて誰が出すかっちゅう話や。しかも言うたほうかて、目玉だけもらっても何にも使いどころあらへんし。そういう意味で、あんま交渉として成り立ってないなぁて」

 カイが「邪神と接触するために」大きな代償を支払うとすれば、その最終的な目的は、誰もが理不尽に制限されることなく、つまり運命にとらわれることなく、自らの選択肢を選べるようにするためだ。しかしそれをするのにカイが他の誰かを犠牲にすることを選ぶのなら、カイ自身が、代償にされる人にとって理不尽な運命そのものになってしまう。たいしてカイは自分に厳しくしなければと思ったことはないが、こんなにも分かりやすい矛盾に目を瞑って気付かないふりをして彼の言う見返りを支払うかどうかを考え始める土台に載るほど、自分自身に甘い性質でもなかった。

「せやから他に、おれにはわからんようなこと考えてるんやと思うけど。そういうん、疲れへんかなって。合わん価値観に無理やり合わせて、ええ感じの言葉選んで、それが仕事なだけやのに、悪者みたいに思われて。別にアンタ悪いやつっぽくはないやん。いや、そんなことないわ勝手こいて勘違いすんな、自分の仕事貶すなて言うならホンマにすまんって感じやけど」

 だんだん自信がなくなってきたカイは、なんとはなしに顔をそらす。そんなつもりはなかったが、知ったかぶりで相手を侮辱したと思われるのは本意ではないのだ。

「ハ、アハハハハ!いや、ごめん、シツレイ。キミの言葉を笑ったわけじゃない。あぁ、ハハハ。そうだな、キミにアタリとハズレを教えてあげよう」

 笑い飛ばされてしまった。カイは憮然として彼の言葉を待つ。

「まず、ボクの仕事についてはアタリだ。最近は余り上手くもいかないし面白味もない。ああでも、調べが足りないというのは心外だな。次にハズレ、ボクは交渉をしに来た訳じゃない。理由はキミが気づけ」

 情報に対して見返りをよこせと言ったり、それでも交渉ではないと言ってきたり、さすがのカイも困ってしまう。何かと何かを交換するなら立派な取引だし、それを前面に出して本当の目的のほうを隠しておきながら、真意に自分で気づけとはなんとも不親切な話である。

「そして、ボクは悪者みたい、じゃない、とーっても悪い悪魔だよ。あとはそう、カオを背けるな、メをそらすな、そんなんじゃ、またタイセツなものを見落とすよ」

 いたずらっぽく彼は言う。その口調はともかく、声音は存外に真剣に聞こえた。

「その言い方やと、やっぱあんま悪い人には見えんわ」
「ソモソモ見えてないだろう?」
「せやな」

 揚げ足取りは気にしないに限る。右手で大きな音をたて、左手で手品の仕掛けを仕込むのは、マジシャンがよくやることだ。楽しませるためではない芸に目くらましされる必要は感じない。こと、真意を読ませないくせに、読んでみろという相手に対しては。

「ボクは伝令の悪魔。キミがいつか、ボクらの主に会いたいと思うことがあったら、ヨぶといい。そのときはまた、おなじ質問をしよう。どう返すかは、そのときのキミにまかせるよ」
「お、一回こっきりとちゃうんやね。そら助かる。アンタに会いたくなったら呼ぶわ」

 カイがそう言って手を振った時には、寸前まであった気配はすでにそこにはなかった。


***

Chapter6:
囚人を来訪するもの(断罪の勇者)
牢獄を統べるもの(牢の魔王)

 結局さっきの、伝令の悪魔とやらはいったい何だったのか。とりあえず、悪魔だったのだろうことくらいしかわからない。この大牢獄に出入りしているわけではなく、しかしなぜかカイに会うために訪れた悪魔。期限のない約束をそこそこ機嫌よくおいて行った彼は、なにを想って邪神への道を示したのか。そんなところまで、当然わかろうはずもない。あまりに唐突過ぎた。友人である女神の御使いの言葉すら読み間違えるカイが、初めて出会った邪神の使いの言葉を正しく受け取れるわけなどない。

 石造りの独房はだんだんと冷え込んできている。そこに繋がる廊下を、いつものゆっくりとした足音が近づいてくるのが分かる。もう牢獄には夜が訪れようとしていた。

「こんばんは、今夜は早いんやね」
「ああ、こんばんは。ちょっと都合があって」
「どうかしたんか?」

 すこし間を空けて、夜に訪れる友人は言葉を選ぶ。

「普段から、ここの魔王はよく牢獄に下りてきてはいるのだけれど。今日は僕がよくお話させてもらってる人達のほうまで久しぶりに来たいと言っていたものだから」

 その前に奥の人達と、少しお話ししておきたくて。そういった青年の声は穏やかで聞きなれたいつもの調子で、人を落ち着かせるような心地よさがある。

「さよか。そしたらもう少しここで待っとったら、ここに魔王が来るんやね」
「ええ。そういえば、貴方も今日はお早いんですね」
「いや早いんとちゃうくて、ちょっと昼間にこっちにおって、他の人と会えるか試してみててん。どっちかっちゅうと『遅い』んや」
「ああなるほど、そういうことでしたか。どなたかとお話できましたか?」

 カイは調子よく、ここで出会った人達について語った。当たり障りのない程度の範囲のことを、できるだけコミカルに、ポジティブに聞こえるように話す。彼のアドバイスによって昼の牢で起きていて良いことがあったのだという、報告のつもりだったが、それを差し引いても聞き上手の彼に話をするのは楽しいのだ。

 まずは昼間の牢獄で初めて出会った少年について。牢の魔王と友人であるという子供を、怒らせて、悲しませてしまった。それでも、彼と出会ったことで、自分を相手の立場から見なおすきっかけになったのだということは、きっと良かったことなのだ。その子にとっては不愉快な邂逅だったかもしれないことだけが気がかりだったが。

「誰からも愛される彼の事を、叶うならどうか、貴方も愛してあげてください」

 沈鬱な声で、彼は返す。この友人は、ある程度少年と親しく関わりを持ち、子供が愛すべき心優しいものであると知っているのだろう。ならばいきなり、申し訳ない報告になってしまった。カイの言葉の何かが少年を傷つけたのなら、それを知っていい思いはしないだろう。カイは居心地悪く、ええ子やし好いとるで、おれは嫌われてるかもしれんけど、と頬をかく。

 カイに忠告と励ましをくれた凛とした勇者についてはかなりぼやかして伝える。彼の忠告はこの友人が牢獄で役割を担う立場ならば、困らせてしまう可能性があると思ったからだ。案の定、心配げな声音で相槌を打たれ、今度の判断は間違っていなかったと安堵する。

 先ほどまで会っていた良く分からない「悪魔」という存在について。友人が彼について知っていることはないようだが、思案するように、あるいは何処か痛みをこらえるように、

「もしかしたら邪神に支える『役割』を持った存在なのかもしれませんね」

 とつぶやいた。もしかしたら、何か思い当たることがあるのかもしれない。しかし、それを詳しく尋ねるのは彼に踏み込むことに他ならない。自分からいくべきものではないとカイは自制する。好意と好奇心は似て非なるものだ。

 金緑の勇者については、何をどこまで話していいものか迷ったが、誰にも知られては困るところ以外はこの信頼できる聞き手に話す分には構うまい。

「あの人いつもどこから入って来てるんですか……

 参った、とでも言いたげな口調だ。カイにしたところで同感である。

「全くだ」

 唸るような低い声が、2人の会話に口をはさむ。

金緑のヤツは。ホントなんなんだアイツは」

 カイにも聞き覚えのある、若々しくも威厳のある声、この牢獄の主だった。始めて遭遇したときの圧倒的な力を思い出して身をすくめる。とはいえ、彼の管理下にあるこの牢獄で、身を隠す場所などあるわけはない。

「そこの勇者は、珍しく起きているみてぇだな?」
「あでは、僕はこれで」
「オイ待て。コイツと何を話していた?言ってから去れよ」

 席をはずそうとする友人を、魔王が引き留める。馴染んだ靴音がとまり、ためらうような沈黙がおりた。彼が気づくかどうかは分からないが、頷いてみせる。最初から自分に危険になるようなことは話していないのだから、別にこちらに気をつかう必要はないのだ。

わかりました。昼間のここの様子のことについて教えて頂いていたのです。僕はあまり日の高い頃のここのことは知りませんから。随分と色んな方がこちらまで来られていたのですね」

 おや、とカイは思う。元はといえば彼の言葉がきっかけで昼間に起きていたつもりだったが、これも彼の気遣いだろうか?あるいは、それをカイに勧めたと魔王に知られるとまずいことでもあるのだろうか?もしくは、自分はまた何かを勘違いしているのかもしれない。こうなると多くのことが把握できない。

 彼の語るおおまかな説明を聞きながら、アイツうろちょろしやがって危ねーだろうが、だの、共闘関係だから見逃してはやるが何を話しやがった、だの、目的が分からねえな今度問いただすか、だのと魔王は相槌を打っている。思えばカイは昼間に来た人達の名前を知らず、肩書きも全員聞いたわけではないが、さすがにこの牢を支配する魔王は全員の出入りを認識しているようだった。

「と、そうだ。起きているなら丁度いい。聞きたいことがある。人間が『嘆きの谷』とか呼んでる集落とその付近のゲートについてだが」

 ひと段落したあたりで、魔王がこちらに水を向ける。

「あ、あんな。その事にも関係するんやけど、おれ、アンタに謝らんと」
「なんだ」
「あの谷のこと、勝手に勘違いして迷惑かけて、もしどっか怪我させとったら痛かったやろうし、アンタの友達にも悲しい思いさせてもうた。ほんますまんかった」

 謝って済むことでもないし、だからこそこうして捕まっているんだろうけれど、とカイが口ごもると、魔王は鼻で笑った。

「あらゆる魔界にとって勇者は害悪だ。だから捕えている。それが俺の役割でもある。テメーがどういった動機で来たか、それが正しいことだったどうか、そんなことはどうだっていいことだ」

 そんなことよりあの谷とゲートだ。と魔王は言葉を続ける。

「テメーが入ってきたと言っていたゲートは俺の想定していなかった場所にあったからな。あのあと多少調べさせたが、どうにも不審に思えることがある」

 カイは魔王と邂逅したときにどこから入ってきたのかと問われた記憶はあった。その後はそれなりの期間、重傷で口を利けるような状況でなかったことと、昼間に本体に戻っていなかったこともあり、ろくに対話できていない。

「人間があのゲートの近くにある谷を『嘆きの谷』と呼ぶのは、共感する人間が近くを通り過ぎたときに死者が繰り返す生前の苦しみを感じ取りその嘆きを聞くせいらしいじゃねーか。当然俺には聞こえないが、テメーは聞いたんだろ?詳しく言え。俺の統べる世界の支配と目的のために」

 魔族の呪いに侵された悲劇の谷と、魔界のゲート。近いその2点の場所について、カイはもしこの魔王が関与していないのだとすれば、偶然近かっただけなのだろうと思っていたのだが、当のこの世界の王はこのふたつの場所に関係を見出し、不審に思っているのだという。思えばカイは、いまの本当の自分に最も関わりが深いといっても過言でないこの魔王について、なにも知らなかった。

 隠し立てするようなことは何もない。カイは語った。自分が冒険の途中に偶然通りかかった谷合の集落で、人が内側と外側の両方から生きながらに溶かされ、その住まいは崩れ、水が赤く染まった様子を見たこと。そこで出会った瀕死の子供に「黒い大鴉を引き連れた半人半狼の魔物が通りかかったあと、その鴉が数度にわたって赤い水を谷に落とし、その呪いで酷い目に遭っている。自分たちが狂ってしまう前にどうか助けてほしい」と頼まれたこと。伝手のない自分が限られた時間の中で出来ることが、聞き込みをしてゲートを特定し魔物を追うことだけだったこと。そうして付近のゲートを突き止め、狼の姿をした魔王に会いに来たこと。

 そしてその後知った、あの谷の悲劇は過去の出来事であり、呪いは彼らを苦しめて殺すことではなく、彼らの苦しみを永遠に繰り返させることにあり、術者が死亡してなお続き、いまや解くことができないということ。

 魔王は黙っていた。なにか彼にとって役に立つ情報があったのか、なかったのか、それは解らない。しかし隣で聞いていた友人が、小さく息を吐いたのは分かった。優しい人だ、悲しい気持ちにさせたかもしれない。

「あの谷……もう取り返しがつかへん。誰にも、本人たちにも、どうにもしてやれへん。でも、あの子たちにとっては今もまだ苦しみが続いてる。それが運命だなんて言葉で片づけてええわけがないやろって思うんや。理不尽な運命なんてなくて、だれもかれも、自分の『選択』で変化の可能性が生み出せるような『平和』があってええやろって」

 友人には極力明るく聞こえるように、そして魔王には軽い思いつきを語っているように聞こえてくれればいいと思いつつ。

「な、もし『平和』になったら出してくれへん?おれ反省したし、ホンマにすまんって思ってる。魔王も勇者も人間も魔物も関係なく、みんなが自分のことを選べるようになったらおれがここにいる意味もないんちゃうかな?出たらアンタにもできるお詫びもあるかもしれへんし」

 牢の魔王は、声をあげて嘲笑った。まるで、そんなことがあるわけはない、とでもいうように。

「ほう、面白いことを言う勇者だな。お前の言うその平和とやらが実現するのかわからんが、お前たちを捕える必要がまったく無くなるのであれば出してやらんこともねぇぞ?」
「ええの?そらおおきに。あー、出来へんって思ってるやろ。わからんで?どうしようもないことってのがある、なんでもかんでも決められた定めって思っとると、いつまでたってもそのまんまや」

 カイは瞼を上げようとした。霞がかった視界はおぼろげに鉄格子の向こうに立つのが2人の人物であることくらいしか判別できない。見えなくてもいい。ずきずきと痛む目を眩し気に眇め、それでも伝えたいことがあるなら、彼らのほうを見ているべきだと思った。

「必要なことは聞いた。これ以上の戯言は時間の無駄だな」

 皮肉の色を載せた声で魔王は応え、牢の奥に去っていく。カイの独房にだけ時間を割くつもりはないのだろう。

「そんな日が、いつか訪れたら、訪れることがあるのなら

 立ち尽くしていた友人は、こらえきれない、とでもいうように声を漏らした。あまりに苦しそうなその声にこちらの心も締め付けられるようだ。ふっと彼が黙り込む。カイは瞼を下ろした。見ているべきものがあるように、見ているべきでないものもある。

……貴方がお話しした『平和』は、霞を掴むような、そんなお話なのかもしれません。願わくば、優しい貴方がその為に心を病まぬよう、女神様のお導きを誤らぬよう。ご加護を」
それと、貴方が勇者であり、彼が魔王である限り貴方が起こした行動もまた正しいのだと、僕は思います。どうか彼の事も、彼を慕うあの小さな魔王の事も気に病み過ぎないでください」

 気遣いのある言葉と、いつもどおりの足音を残して、彼もまた牢の魔王を追って奥に向かっていった。他の牢の囚人と話す声を聞きながら、カイは意識を分身に返そうと思った。あちらでも途中の仕事が残っている。


***

Episode:鉄格子をすり抜けるもの

 分身に戻ったカイは、時間がもはや夜半を過ぎていることに気づく。急いで準備をして、預かった手紙を手に宿を飛び出す。昨晩の仕事の続きだ。集めた情報からすれば、手紙を持って行くべき場所はおおよそ特定できていたが、もしも外していることを考えれば早く行動するのに越したことはない。

 夜の町の、安い売春宿に届け先の女性はいた。運よく客をとっていないタイミングで、女衒がその人を呼んでくれる。青白い不健康そうな肌をした探し人は確かに本人のようで、どこか依頼人と似た顔立ちをしていた。手紙を受け取って震える手で封を切った。

 しばらく茫然と字を追っていた目から、涙が流れ落ちる。いい知らせではない。そして、死を悼む人はいつも悲しい。彼女は、終わってしまった、と小さく呟いた。

 俯いてすすり泣く薄着の女性の頭の上からそっとジャケットをかける。他人であるカイに無防備な泣き顔が見えないように。そして頼りない肩が少しでも冷えないように。しばらく黙って近くに立っていると、女性は立ち上がる。ふらつく彼女に手を貸すと、彼女はその腕をつかんで体を支える。

「まだ、整理はつかないけど、ねえさんに伝えて。あたしこれで前に進めるって」

 カイは頷く。

「おれが仕事を受けたんはこの地区の入り口にある酒場。あそこは信用できるで」

 知りたいことがあるなら知ることができるだろう。例えば依頼人の今の居場所を知りたいと思ったとき。やりたいことがあり1人の手ではままならないなら依頼を出すこともできるだろう。今日のように手紙を託したり、自分の今の境遇を変えるためのきっかけをつかんだり。もし彼女がそれらのことを望む気持ちになったときに、自分がもたらしたその情報が役立つこともあるかもしれない、とカイは思う。

「ありがと」

 彼女は微笑んだ。詳しい事情はカイには知りえない。だが、終わってしまったこと、変えられないことを知ってなお、前に進むのだと言った心は何よりも強くたくましい。

 知ることで変わるのは、周りではなく自分自身である。どうあっても変えられない、まるで鉄格子の中のような状況であっても、変わった後の自分になら、また変えられることもあるのかもしれない。カイにもここ数日で、真昼の鉄格子をすり抜けて、得られたものがあった。そして鉄格子の外に広がる夜空の下で、得られたものもあった。

「こちらこそおおきに」

 カイもまた笑顔で答えた。



***
END


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