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結節点

全体公開 ムゲンWARS 1 4646文字
2016-09-30 00:27:57

女神の間で災さんと女神様が会う話。橋渡しは囚獄さんがしてくれました。多謝。

Posted by @san_ph7

 突然もたらされた邂逅のチャンスに、「万が一」の不安にわかに霧散し、代わりに身体に緊張が走った。幾年月。踏み入ることのなかった真白の空間に、黒い翼を持つ彼が現れた。もう二度と戻ることなどないと思った、その場所と、彼女と。
 入れ違うように、女神の間の扉をするりと抜ける者があった。淡い色の長い髪が隙間の向こう側に消える。気を使ったのだろう。無事を確認させてくれるぐらい、いいだろうにと、どこか心の中で思う。彼女と話し終わったなら、礼を言わねばならない。最初に突っぱねた彼の提案を、代わりに自分がやると言い出したのは彼だ。ただそれは、この神々の遊戯に関する情報を引き出すためではなく、彼が伝えたいと思ったことを伝えるために、だった。
 人払いが済み、空間は寂として、僅かな衣擦れの音の他には何も聞こえない。歩み寄り、手を伸ばし触れることのできる距離までは何とはなく詰めきれず、立ちすくむ。これ以上はお互いの領域が重なる。拒絶を返されるのが怖かった。
 その人を見る。揺蕩うような金糸の髪に、夕日色の不思議な瞳は相変わらず、しかしその唇は一瞬何かを言おうとして、閉じられ、見慣れたいつもの弓なりを作った。
「いらっしゃい。何か話があってきたのでしょう」
 虚を衝かれるような心地して、膝を折りたくなる。
 もう何千年。何百年。正確には数えていない。過去と未来と現在を行ったり来たりしていた彼は、実際に経過した以上の時を、ひとつの身体で過ごしていた。
「幾歳月ぶりか。もう一度ここへくることになるとは思いませんでした。……貴方は僕を拒まないのですね」
「私が貴方を拒む理由はありません」
 そう、だろうか。理由なら、きっといくらでも積み上げられた。彼女は、この女神の間における不文律を犯したのではないか? ここには勇者の他には天使ぐらいしか立ち入らない。ここにいる彼が、彼である限り、これほど異質で異様なことはない。彼女は確かに見えないルールを自分で捻じ曲げた。彼がこの邂逅に少しばかりの動揺を覚えたのは、そのせいもあったか。
「お話の前に貴方に問いましょう、貴方はどういう存在としてここに来たのですか」
 彼の胸中を見抜いたわけではないだろうが、彼女はそう問うた。それはそうだろう。彼は自らの意志で堕ちながら、ここへ戻ってきた。
「天使でも、魔王でもなく、ただのウィリデルクスとして。貴方に作られた、貴方の世界に生きるひとつの生き物として。どうか警戒しないで、ゲームの邪魔をしにきたわけではありません」
 彼女の反応は当然だった。わざわざ勇者を使ってまで、彼女が知る、彼の古い名前を出してまで、こうして接触してきた目的がゲームに関わることではないかと、そう思うのも無理はない。
 はっきりと彼がそれを否定すると、そう、と嘆息とも安堵ともとれる返事をして、
「ああ、ウィリデルクス、大きくなったわね。昔はこんなに小さかったのに」
 微笑み、小動物ぐらいの大きさを手で表現する。彼は訝しげに眉を寄せた。
……流石にそんな小さかった覚えはありませんよ」
「そうだったかしら」
 からかわれたらしく、頬を掻く。読めない人だと思う。
「まぁいいや、そっちへ行っても? 僕は貴方に近づいても大丈夫?」
「ええ、良いですよ。お茶も出せなくてごめんなさい、私から貴方に何かしてあげることはできないから」
「いいえ、こうして会ってくれただけで」
 近づく。手を伸ばせば触れられる距離へ。
「貴方が僕に何もできないのは、立場の問題もあるでしょうから……。もう一度、会うつもりではありました。まさかこんなに早く叶うとは」
 そしてその身体を抱きしめた。生まれきたとき彼女にそうされたように、今度は彼が。彼女は温かく、確かに熱を持っていた。この熱は最初、彼へともたらされ、気の遠くなるほどの歳月を経て、この瞬間元あった場所へと再び巡った。
 決まった大きさの姿を持たぬ彼女の体が、彼よりも小さく華奢に感じたのは、一体どうしてだろう。その肩に、憂いや、悲しみや、それらを積み重ねた遥かな時が蜃気楼のように立ち昇ったのは何故だろう。喉の奥から火傷のような痛みを伴ったものがこみ上げて、溢れ出た。
「貴方に伝えたいことがたくさんあって。ああ、僕、貴方の傍を勝手に離れて、ごめんなさい」
 声は掠れて、いかにも頼りなかった。
……、本当に、大きくなって
 ぽんぽん、と優しく背中を擦られる。声にならない慟哭は、喉まで迫り上がった熱いものと一緒に腹まで落ちて、彼の体を内から焦がした。
「でも、後悔はしてません。
 友達が……たくさんできて。貴方の作った世界の中で、大事なものがたくさんできた。貴方から遠ざかったのに、何をしても貴方がいて。悲しいのもつらいのも、嬉しいのも楽しいのも、全部全部貴方に一番初めにもらったものでした。
 過ちを犯して、長く立ち上がれなかった僕を救ってくれたのは、全て貴方が加護を授けたものたち。僕の心をこうして今支えているのも、貴方の世界のものたちだ。それら全てが貴方が愛した人間で、世界で、僕はもう何度も貴方に救われている。……いや、貴方達に。
 ありがとう」
 禄に挨拶もせず行ったことを、後悔しなかったというのは嘘だった。けれど、彼女の傍を離れてわかることというのも抱えきれないほどあって、彼にとっては、その世界に救われたのであり、それが彼女だった。
「貴方がしたことも……きっと、貴方がしてきたことも……決して、過ちなどではありません。貴方の事を想い、貴方に手を差し伸べてくれる子たち、それは決して、私の加護や、意思などではなく、貴方が、貴方自身が紡いだ、大切な縁なのだから。
 ありがとうウィリデルクス、『ありがとう』と、伝えに来てくれて」
 しばし、抱き合ったまま、無限とも一瞬とも思える時間が流れた。
 彼には、もうひとつ目的があった。
 ぬくもりを惜しみつつ体を離し、彼女を見た。
「貴方はまだ、この世界を……愛していますか?」
 なんて陳腐な質問なんだろう。彼女の解答は予想できる。
……私はいつだって、世界を愛しているわ」
「なら教えてください。貴方は僕に何もできないけど、僕は貴方のためにできることがある。そうでしょう?
 僕は、貴方の望みが知りたい。貴方の本当の望みだ」
 確信ではない。彼は、彼女の中に「そうではない」望みがあるのではないかと、そう考えていた。
……
 ああ、ウィリデルクス、言ったでしょう。
 貴方に、何が救えるというの。私の望みは、この状況の継続。ずっと楽しい時間が過ぎればいいわ。私と、あの人と、貴方たちと、彼らと、ずっとこうして卓を囲んでいれば、それでいいのよ」
 彼は頭を振る。期待した答えではない。自分ではその答えを引き出すことは難しいだろうか? 彼女の為に、本当に何もできないだろうか? いつの日かもそう言ったように、彼女は彼に何が救えるのかと問うた。そう、今もまだ、何も救えずにいるのかもしれない。
「女神様、貴方は……
 何故、勇者を使って。
 出かかった問いは、しかしついに燻ったまま、声に出されることはなかった。
……すみません、忘れてください。こうして、会えてよかった」
 彼女をもしかしたら変えることが、自分にはできるのではないかと、そう錯覚しただけだ。けれど、この時間はきっと彼女の心へ波紋を残すことぐらいはできた、と彼は思いたかった。でなければ、危険を冒して交渉に出向いてくれた友人に顔向けなどできない。
「もう良いのですか」
「貴方に今伝えたいことは、ちゃんと話せましたから」
「そう、では貴方のいるべき場所へ帰りなさい。貴方がここにいるのが見られたら、きっととても驚かれてしまうもの」
 別れ際、もう一回その体を抱きしめて、
……僕は貴方を諦めません。貴方も、あの人のことも。
 また会いにきます。必ず」
 そう言って、ゲートの向こう側に消える。その人が、いつもどおり微笑みながら見送ってくれただろうことを背中で感じながら。それが何だか、ひどく寂しかった。


        ***


 窓枠に、闇夜に紛れ黒い鳥が飛び乗った。ばさりと大きな音を立てると、中にいた人は振り返る。背に翼を持つ彼を見つけて、囚獄の勇者は最初何事か言おうとし、やめた。代わりに、窓枠に腰かけたまま動かない彼の隣に座る。
「ほんで、ゆっくりお話できた?」
「まぁ、できたかな」
「よかったやん」
「君に、礼を言わないと。ありがとう」
「こんなん、ただのおつかいやし、そんなに
……泣かんでも」
 言われて初めて気がついた。頬を伝う何か。どうして泣いているのか、動揺して何も言葉が出てこない。乱暴に目元を拭う。止まらない。何故だなんて、隣に座る人に説明できそうになかった。
 ひとつは、浅はかな自分を恥じて。もしかしたら、自分なら彼女を止められるかもしれないと、心のどこかで思っていた。遅すぎたのだ。いや、もう、彼が断罪の使命を負ったその人を解放できなかったときから。或いはもっと前、このゲームが始まった瞬間から。彼女は戻れなくなった。彼ひとりでは事態を変えられないことは、よく分かっていた。だからこうして、このゲームをあるべき形で終わらせる為に共に歩む同志を望んだというのに。それでも、この友の命を危険に晒してまで会いにいったというのに。それなのに、彼は自分が特別だと錯覚してしまった。浅はかで、愚かで、ひどい自惚れだった。
 それからは、彼女の元を何故去ったのか、もっと早く会いに行かなかったのか、彼女を止められなかったのか、後悔と自責が胸の奥で渦巻き、まるで彼女に初めて会ったときのように、灼熱の痛みが彼を襲った。胸を締め付け喉を焼くその”熱”は、自分の腕にまだ残る温かさとよく似ている。それが虚しく、寂しかった。
 彼の隣に座る友は狼狽え、困惑した様子で口を閉ざしている。何かを探すように、床の木目を見つめる。待っていたのだろうか。空には月が上がっている。本当なら分身を眠らせて本体へ戻っている頃だった。その人は静かに、何も言わず、ただ隣にいるだけだった。きっと、こんな報告になるとは思っていなかっただろう。この友の計らいを無下にしたのではないかとさえ彼には感じられた。
 涙は重力に逆らわず、下へと落下する。情けなくて、顔など上げられない。声を掛けるべきかどうか迷っているのか、それともそうではないのか、今の彼には判断できなかった。ただ、何も言わないでいてくれることがありがたかった。聞かれても、きっとうまく答えられない。
 どうして泣いたかなんて。
 ああ、そうだ。

――安堵したのだ、と。ようやく彼は気がついた。
 すまないと言いたかった。言えばまた君をまた困らせるだろうと、彼は言葉を飲み込んだ。他にも言うべきことがあるはずだと、探してみるけれどうまくまとまらない。砂が手のひらから零れ落ちるように、言葉がすり抜けていく。
……この先君に何回だって礼を言うからな。何百回だって言ってやる。ちゃんと、ありがとうって言うから、だから」
 だから今日は許してくれ。もう二度と、こんなことにはならないから。
 それが彼の精一杯だった。
 暗夜の幕に星が滑る。
 ふたりはそれからしばらく、黙ったまま。



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