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カルテット65(草稿)

椎堂かおる
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2016-10-12 13:05:03

書きかけ原稿

 食卓には卵料理と、切り分けたパン、野菜を煮込んだスープが四人分、それぞれの皿に盛られて並べられていた。卵には、焼き色を付けたベーコンと、茸が添えられている。
 これは、食べてもいいものなのか、と、シュレーは逡巡した。
 神殿では、日に二度の食事には常に、日々全く同じものが供される。パンと聖餅《レイション》、そして水だ。
 神殿を出て、野に下るまで、シュレーはそれ以外のものを口にしたことはなかった。
 それ以外のものを食べると、神殿種は死ぬのだと言われていたのだ。
 不死の者たちが、下界の食物を口にしたぐらいで、死ぬはずがない。嘘に決まっている。仮に、たとえ死んだとしても、翼が何とかするはずだ。
 そう思い、はじめの一口を食べる時には、さすがに内心のどこかで恐怖を感じたものだった。
 しかし死なない。それが毒ではない、ごく普通の食べ物であればだ。
 初めて口にした肉や野菜の味は、どれも美味だった。そして気付いた。神殿でかつて食わされていた食べ物が、ひどく不味かったことに。
 シュレーは食卓に漂う朝食の匂いを嗅いだ。
 美味そうな匂いだった。
 食欲というものを感じるようになったのは、あの神殿を出てからのことだ。食べねば死ぬと思えばこそ、砂を噛む思いで聖餅《レイション》を食っていた。
 あの城の中では、万事がその調子だった。
 だが、ここでは違う。
 ここでは人は、己が生きたいように生きているはずだ。
「お前が遅いんで、飯が冷めたよ」
 椅子を引いて座るシュレーに、円卓の隣の席にいた浅黒い肌の少年が、大して咎める風もなく言った。
 シュレーは思い出した。青い目の、こいつは、手先が器用で、小さなナイフ一本で、上手に芋の皮をむく。
「イルス」
 顔を見て、シュレーが呼びかけると、相手は少々、面食らったような顔をした。
「なんだよ、急に。イルスでいいけど……」
「いいや、よくないです。僕はマイオスで、殿下もレイラスなのに、どうしてイルスだけイルスなんですか。不公平です。洗礼名で呼ぶか、名前で呼ぶか、どちらかで統一してください」
 シェル・マイオスが机を叩いて抗議してきた。
 それにスィグル・レイラスは、白く陶磁器めいた美しい顔を歪め、横にいるイルスはあんぐりとしていた。
「何があった?」
 何かがあったのを察知したふうに、イルスは尋ねてきた。
 シュレーは皿を見つめて、ため息をついた。
 思い出せないだけだった。こいつの洗礼名は何といったか。自分は彼らを皆、洗練名で呼んでいたらしい。それは実に神殿種らしい。そもそも大陸の民の洗礼名は、各々好き勝手な言語で喋る民たちの、難解で発音しづらい名前の代わりに、神殿種が呼びやすく識別しやすい名を与えたものだ。
 シュレーは観念した。
「思い出せないんだ」
「何を?」
「君の洗礼名だよ」
 隣りにいる少年の顔を、シュレーは横目に眺めた。怒るかと思って。
 イルスは一時、ぽかんとしていたが、怒る気配はなかった。
「忘れたのかよ」
「復活すると、その後しばらく、記憶が混乱するんだ。一時的なものだ。忘れたからといって他意はない。気分を害したのなら謝罪する」
 シュレーが一気にそう言うと、イルスはぽかんとしたまま、それを聞き、最後に急に、ふふふと笑った。
「イルスでいいよ。シュレー。飯食えよ」
 満足気に言い、イルスは卓上にあった銀の水差しから、シュレーの銀杯に水を注いだ。
「何ですか、それ。イルスだけずるいです。僕もマイオスじゃなく、シェルと呼んでください」
 席を蹴って再び抗議するシェル・マイオスの声に追いかぶせるように、冷たい声が響いた。
「どうでもいいだろ、そんなこと」
 鋭いナイフで刺すような口調に、驚いて、シュレーは声のしたほうに目を向けた。
「どうでもいいよ。寝ぼけるのもいいかげんにしろよ猊下。イルスの洗礼名はフォルデスだよ。あんたが一緒に飯を食いたいと言うから集まったんだろ。食べないなら僕は帰るけど」
 刺々しい口調にあぜんとして、シュレーは相手を見た。
 一体こいつは何を怒っているのか。
 スィグル・レイラス・アンフィバロウ。黒エルフの第十六王子。父親を族長会議で見たが、顔立ちはひとつも似ていない。だがこの刺々しさには、似たものがある。
「招待状が来ただろう」
 蛇のような細い瞳を、こちらに真っ直ぐ向けて、スィグル・レイラスは言った。
「招待状?」
「あんたの義理の母親からだよ。昨日、来ているはずだ。学生たちのところには、全員届いている様子だったから。仮面舞踏会のだよ」
 学院の制服を来ている、上着の懐から、スィグルは白い封筒に入った何かを取り出し、卓上に置いた。
白い封筒には、緑の蝋封印がされており、蝋にはくっきりと、百合の紋章が捺されている。山エルフ族の正妃が用いる紋章だ。
「学生たちは、浮かれている。あんたの叔父上が病気で、派手なことは控えるべき時だったらしいけど、正妃様には関係がないらしいね。どういうこと?」
スィグルが差し出した卓上の封筒は、開封されていた。レイラスは中を読んだということだ。
「叔父、ハルペグ・オルロイは、族長会議の後、倒れたんだ。おそらく、同盟にまつわる激務が終わり、ほっとしたところで、慢性疾患が発症して、病みついたのだろう。すぐに死に至るわけではない。だが、部族領には歌舞や奢侈を控えて族長の回復を祈るよう触れが出された」
それは同盟の人質たちが学院に送られてくる前の出来事だ。シュレーは、その頃まだ山エルフ族の首都フラカッツァーにある王宮の客人で、ハルペグの枕元を見舞ったこともあった。
叔父は、父に似ていた。彼の兄、ヨアヒム・ティルマンに。同母の弟だ。似ていないはずがない。皆は、ハルペグはヨアヒムに似ていないと思うらしいが、シュレーはその面ざしに、かつて眺めた父親の、厳しい横顔と同じ気配を感じた。
「そういうことは憶えてるんだ?」
顔をしかめて、スィグル・レイラスが急に口調を変えた。
「なんでだよ? イルスの名前は忘れるのに、族長が病気だってことは覚えてるんだよね? 何が基準なの? 何を忘れて、何なら憶えてられるのさ?」
不可解そうに詰問してくるレイラスの口調は親しげだった。警戒を解いた猫が急に、足元にすり寄って来たように。
「言っただろう。他意はないんだ。復活の後の記憶の混乱は、後遺症のようなもので、基準なんかない。一時忘れても、何かのきっかけで思い出すことも多いし、何もかも忘れるわけじゃない。段々と回復するものだ」
「忘れたままのこともあるの? あんたがくたばって、復活したとしても、また会った時に、僕や、イルスや、そこのチビの顔を見ても、誰だか全然思い出さない事もありえるっていうのか?」
白い眉間に深いしわを寄せて、レイラスはそれが恐ろしいことのように言っていた。シュレーは黒エルフの作り物めいた黄金の目と見つめ合いながら、混乱して、目を瞬いた。
「死ぬよりは、ましじゃないか?」
不死の代償だ。そう思いながら、シュレーは自分が常々感じてきた不安を言い当てられている気もした。
脳裏に浮かぶ、アルミナのか弱い姿が、記憶から完全に抜け落ちてしまったら、死の淵から蘇ったとして、自分はどうすればいいのか。
「まあ、そりゃ、あんたにとってはそうだろうね。生きてる事が大事だよ。だけどこっちとしてはさ、朝飯の約束をした相手が、ちょっと死んだせいで約束を忘れてすっぽかして、その上、名前も思い出せませんていうの? 困るんだよね。あんたの何を信用すればいいのさ?」
苛立った様子でくどくどと言いつのられて、シュレーは反省した。自分はこの黒エルフと何か他にも約束をしたのだろうか。
「すまなかった」
「あんまり死なないようにしてくれ。好きじゃないんだ、そういうの」
ふん、と軽い鼻息をもらして、スィグル・レイラスは結論した。
もちろん、そう願いたいものだ。そう度々死んでは、天使に体を奪われてしまうだろう。
「お前、素直にさ、心配してるって言えよ」
ずっと黙って聞いていたイルスが、呆れたように感想を述べた。
「え、これ、心配してるんですか?」
ぎょっとした風に、シェル・マイオスが、同席するものたちの顔を代わる代わる見ては、顔色をうかがっている。
「心配してるわけじゃないよ。文句を言っているんだ」
つんと済まして、スィグルは断言した。その冷たい表情を見ると、不愉快げではあっても、心配しているようには見えなかった。
「フォルデス」
「もうフォルデスかよ」
呼びかけると、さも驚いたようにイルスが答えた。
「食事にしようか。長く待たせて、すまなかった。君が料理してくれたのか?」
すっかり冷め切った様子の朝食を見渡し、シュレーはがっかりしていた。温かいうちのほうが、さぞ美味かっただろう。
「したけど、料理人は怒って出て行ったよ。台所を勝手に使って、まずかったか」
「仕方がない。不味い料理しか作らないのなら、料理人はいないほうがいいだろう」
「毎回自分で作るつもりか?」
「毒殺が怖いんだ。レイラスが言うように、そう度々死にたくはないんだよ」
「俺がお前に毒を盛るとは思わないんだな」
フォークを取って、イルスは自分の皿の卵料理に手をつけた。泡立てて解きほぐした卵を、熱した鍋で焼いた料理で、やわらかな食感がする。名はオムレツだ。
イルスは自分で作ったというオムレツを、ぱくりと一口食べた。
「君が私を暗殺して、何の得があるだろう?」
「毎日、猊下のために食事を作らされなくて済むじゃないか」
冗談とは思えない口ぶりで、スィグルが答えた。
「そんなことのためにイルスがライラル殿下を毒殺なんかするわけないじゃないですか!」
間に受けたらしいシェル・マイオスが怒鳴るのを、スィグルは顔を背けて聞いている。
食事をしながら、イルスは、ふふふと苦笑のような低い笑い声を漏らした。
「自分で作れよ、シュレー。教えてやるから。自分で作って自分で食えば、それが一番安全だろ? 俺は別に、お前を殺そうとは思わないけど、そう毎回作ってやれるか分からないしな」
もっともな話だった。
「では、ご教授いただこうか」
「まずは皿洗いからだぞ」
本気のような真顔で、イルスは言った。
皿など洗ったことがない。たぶん。シュレーはそう思ったが、言わないでおいた。洗えるだろう、皿ぐらい。造作もないことだ。
「いいだろう」
「どこに皿を洗う天使がいるんだ」
嘆かわしそうにスィグルがぼやき、銀杯に自分で水を注いだ。
使用人に逃げられた食堂では、水の一杯すら自分で注がなければ口に入らない。
それにはもう文句がないらしいスィグルの様子が、何か可笑しく思えて、シュレーは笑った。
「いただきます」
なぜか満面の笑みで、シェル・マイオスが言い、椅子の上で飛び跳ねそうな喜びようで、冷め切ったオムレツをつつきはじめた。
「ライラル殿下も、時には本当に笑ったりするんですね。安心しました」
「本当にって何だよ」
混ぜ返すスィグル・レイラスの声にも、シェルは答えず、うふふと笑いながら卵を食うばかりだった。
「招待状はお前のところにも来たのか?」
やっとフォークを取ったシュレーに、もうほとんど食べ終わりそうなイルスが尋ねてきた。
そうだった。招待状。
「記憶にない。部屋に戻ってみないと……」
「行くのか。罠かもしれないぞ。正妃はお前を殺そうとした張本人だろ」
「罠だろうと、部屋で震えて待っている訳にもいかない」
オムレツは、明るい黄色をしていたが、しぼんで見えた。それを切り分け、口に運ぶと、卵の味と、バターとミルクの味がして、思ったとおり美味だった。
アルミナは今日も、白で乾いたパンと聖餅《レイション》を食べ、薬くさい水を飲まされているのかと、シュレーは想像した。彼女はそれを、つらいと思っているのだろうか。あの城を出て、どこかへ逃げ出したいとは、思いはしないだろうか。
思うはずもない。あの城は、神殿種には楽園なのだ。清潔で、平穏で、永遠に終わらない時が未来永劫くりかえす、苦痛のない生活が約束されている。
あの生活がつらかったのは、ひょっとすると自分だけで、それは純血ではないせいだ。
アルミナにはこのオムレツも、毒でしかなく、トルレッキオの美しい山々に湧く清水ですら、口にしたら死ぬような、汚らわしいものなのかもしれない。
だが城を出て、外の世界で出会う美しいもの、甘い果実や、花々や鳥の珍しさを見るにつけ、シュレーは思った。アルミナ。彼女にもこの世界を、見せてやれたら。
そう思い、シュレーがふと向かいの席に目をやると、シェル・マイオスが泣きながらオムレツを食べていた。
「マイオス……なぜ泣いている」
「何でもないです。ちょっと目に胡椒が……」
「お前、最高に不気味だぞ」
さすがのイルスも鼻白む様子で、レイラスは言葉もなく頭痛がするようだった。


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