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世界一初恋の二次小説

全体公開 11346文字
2016-10-13 22:03:00

お互いが気づいていても、積極的に近づけない二人の場合は?

Posted by @bui_hiiro

「昔から図書館の本は全部読んでいたので。」
俺の近くで雑談をしていた新人のそのる言葉に目を見張った。
図書館?
小野寺律?
リツ??

とたんに過去の映像が脳内に沸きあがり、春の柔らかい香りや桜の散る情景、指に触れた少し冷えた体温までつぶさに思い出した。
先輩、先輩。先輩だから、先輩が好きなんです。

そう言ったはずの学校の下級生はある日忽然と消えた。

どうやっても消息をたどることは出来ず、なのに、噂は俺を追いかけてきて打ちのめす。
俺となか良くしていた下級生は金持ちの御曹司で、イギリスに留学したとか、婚約者がいたとか、彼女がいたとか・・・。

俺はそれを聞いてそいつの消息をたどることをやめた。
それは俺のリツじゃない・・・。
そうやって俺はリツを二度失なって自暴自棄になった。

実態と虚像、その両方の喪失は、その時の家族という当たり前の絆の喪失と共に俺自身を見失わせた。

もともとそれほど何かに執着をすることはないのに、ほんの少しだけ他より欲した、そのささやかなものさえ俺から剥ぎ取っていく世界を恨みもした。

自分は何のために存在するのだろうか?
この世界には要らない者なのではないか?
得られない虚像の悪い夢を見るたびに俺は実態のあるものにすがった。


そして、それを受け止めてくれるものは多くいたが、受け止め続けてくれるものはいなかった。
ただ一人横澤を除いて・・・。



「政宗、夕飯なに食う?」
大学時代からかいがいしく世話を焼いてくれる横澤は俺のすべてに気を配る。

やけになった俺が、もう一度ここに存在しても良いと肯定してくれた。
ちょっと口うるさすぎるきらいもあるがかつて食うものも食わず酒びたりだった過去を思うとそれも致し方ないか・・・。

「ん・・・。昼が中華のドンブリモノだったんだよな・・・。」
「そっか、じゃあ魚でも焼くか?」
「ああ、ついでに酒でも買って帰るか。お前と食うのも久しぶりだしな。」

都合さえ合えば俺達は当たり前のように一つの部屋に帰る。

お互いに好きだと告げ会ったわけでもなくその関係も実は曖昧だ。
何よりかつてのリツに抱いたような恋心があるわけでもなく、横澤が俺をどう思っているかも知らない。
今までだって俺に付き会う女がいれば横澤はその座を譲り、別れれば当たり前のようにまた世話を焼きに戻る。
そんなやつだった。
俺がもしリツを見つけたと言えばそうか良かったと祝福してくれるだろうか?

しかし・・・、それを横澤に告げることは出来なかった。

横澤はいつだってリツにだけは不快な感情をあらわにしていた。
出来るだけ話題にはしないようにしていたけど、たまに出てしまうリツに対する想いに、お前を傷つけたやつだと取り付くシマもないほどに否定的だ。

良い感情を持っているはずがないのだ・・・。






「小野寺は彼女とかいないの?」
デッドの入稿を終え、ゲラ街をしている時に俺は会社のソファーに座る小野寺にそう切り出して見た。

俺は探るように視線を向け、温かい缶コーヒーを一つ手渡す。
「今はいません。」
するとそっけなく返事が返ってきた。
「へえ、意外だな。もてそうなのに。」
俺が言った言葉がからかうように聞こえたのか、小野寺の顔がちょっとむっとしたように見えた。

「それは高野さんでしょ?そちらこそ彼女はいるんですか?」
逆に切りかえされて、どう答えようかと頭の中でいくつかの例文が回る。

「彼女は・・・、いないな・・・。」
世話してくれるやつはいるけどとは言わない。

「彼女と仲良くイチャイチャ付き合う時間もないし、な・・・。」
「月の後半は忙しいですよね?でも前半はそうでもないじゃないですか?」
やっと一月のスケジュールが分かったらしい小野寺がそう言うので、
「まあ、そーかもしんねーけどさ、たとえば月初に付きあってさ、何とかやっとこさ距離を縮めたと思ったらさ、中旬下旬でメールの返事も出来ない。」
とわざと苦笑して見せた。

「はあ・・・。」
「それじゃあ全然だめだと思わねー?」
「ああ、確かに。月刊誌ではそのあたりちょっと厳しいですね。でも高野さん程の方なら相手の方もその辺は我慢するって言うか了解済みなんではないですか?」
小野寺は不思議そうに首をかしげた。

「そりゃさ、こっちもベタぼれの相手なら逆に忙しくても何とかやりくりするけどさ、そこまで思えない相手だったら、相手もだんだんそのへん察して尽くすばかりの自

分がイヤになってくんだろうな・・・。」

「そうなんですか?」
小野寺は少しだけ笑って「高野さんらしい。」とつぶやいた。

「っで。小野寺は?」
「まだこの話続行ですか?」
「ま。もっとヘビーな仕事の話してもいいけど?」
「う・・・。」
「っで?」
「俺は恋愛ってあんまり得意じゃないのでよほどのことがなければ誰かと付き合ったりしません。」
「よほど?」
「ええ。」
「たとえば?」
「今までは、試しにとか、イベントまででいいからとか言われて付き合った人はいます。」
「なにそれ。」
「でしょ?」
「いや、それってさ、その間にお前を自分の恋人にするって自信タップリだったんじゃねー?」
「ええ!?」
「鈍いなお前、案外。」

俺がくくっと笑うと小野寺はまた少しむっとしたように口をへの字に曲げて俯いた。

「本気で誰かを好きになったことねーの?」
「・・・。」
「そんなお子ちゃまじゃ、女子の気持ちは汲めねーな。」
暗に少女マンガ編集では苦労するとほのめかすと
「好きだった人はいました。学生の頃の人・・・。」
「え?」
「でも、ふられました。」
「・・・。」
「だからもう恋愛とかしたくないんです。」
「ふられたって最近?」
「高校一年生の時です。3年間憧れ続けた先輩にふられました。」
「・・・。」
そんな風に会話をしながら心の中ではそれは誰のこと?俺のことじゃないのか?と、問いたかった。

ふられたってどういうことなんだろう?

ふられたのは俺のほうだろう?

やっぱり俺じゃないのか?

俺以外の誰かがお前の中にいたのか?

しかし俺はそれを問わなかった。

今更それを聞いてどうする?

心の中でもう一人の俺が聞くから。

「少女マンガ編集ならそのあたりはうまく消化したほうがいいな。」
「そんなに簡単に割り切れません。」
「なんで?なにされたの?」
小野寺は少し考えてから
「いいんです。もう終わった恋です。」
と今度はふわりと笑った。
それは俺には諦めとかそういうものに見えた。

終わった恋・・・。確かにな・・・。

俺も同じだ。もう終わった恋なんだな・・・。

俺は心の中でそうつぶやいたのだった。




リツ


仕事を終えて家の鍵をあけようとドアの前でバッグの中のキーケースを探していると隣のドアが開き中から人が出てきた。

都会のマンションでは隣の家の人の顔を見ることは多くない。

確か一人暮らしの人だと引越し字に管理会社から知らされていた。

なので俺のことも簡単な情報は行っている筈だ。

大きなマンションは一人暮らしの男にとって単なる寝場所で近所との交流など希薄だろうけど、だからと言ってここで挨拶しないほど薄情なつもりもない。

軽く頭を下げ挨拶を仕掛けるとその人物がいぶかしげに眉を上げた。

俺もその顔には見覚えがあり、鍵を探る手を一瞬止めて顔を見直した。

「えっと・・・、営業の横澤さんですね?エメラルドの小野寺です。こんばんは。」
つい先日怒鳴り声の大きさに驚いた背の高いその人は白いたびを履いたハチワレの猫を胸に抱いていた。

「お隣でしたか、すみません知らなくて。」
手探りでやっと見つけた鍵を鞄から拾い上げて俺はそこそこの挨拶で鍵穴に視線を向けた。
特に仲良く雑談をする気持ちはない。いや、むしろご遠慮したいところなのだ。

あちらだって俺とは仲良くするつもりもないだろう。


すると横澤さんからは意外な言葉が返ってきた。

「いや、ここはお前の上司の高野の部屋だ。」
「え!?」
もう一度横澤さんを見つめた俺の目は驚きというか動揺で揺れていたことだろう。
上司と隣同士?ある意味で最悪・・・。

それにしてもここに引越ししてきて一年になるというのにすれ違ったこともないのは、生活パターンが似ていて非なるからか?

少なくとも今は俺が新人で高野さんが編集長だからかぶる時間帯が微妙にずれるのだろう。

言葉を詰まらせると腕の中の猫がニャンと小さく鳴いた。


「ん?ソラタどうした?」

横澤さんが猫に目を向け言葉と一緒に耳の後ろをさすると猫は気持ちよさそうに目を細めた。

意外なほどの優しい視線に少しだけ気持ちが柔らかくなって
「可愛いですね。横澤さんの猫ですか?」
そう聞くと「ああ、元は政宗の猫だけど今は俺が飼っている。」
とまた抑揚なく答えたのだった。


ソラタ?

マサムネ?

その言葉に引っ掛かりを持って一瞬だけ思考をめぐらせるが何かいけないものを掻き出しそうな嫌な予感がして考えるのをやめた。

「お休みなさい。」

俺は不自然なほど唐突にドアの中に逃げ込み後ろでにドアをぱたりと閉めたのだった・・・。

横澤さんは変なやつと思ったことだろう。
胸がどきどきと鳴っている。

思い出したくないと思ったのに、しかし・・・、わかってしまった。
ソラタ、あれは先輩の飼っていた猫だ。
何で横澤さんが?
いや、高野さんマサムネって呼ばれていた・・・。
高野さんが嵯峨先輩なのだろうか?

大好きだった先輩はいつも無口だった。
そして俺を完膚なきまでに叩きのめした。

先輩がなぜ俺と付き合っても良いと言ったのか分からない。
でも決して俺に好意を寄せていたからではないことは知っていた。
ウザイ、キモイ・・・。
自分でもそう思っていたから先輩を責める気持ちはなかった。
俺と付き合うって言ったのは男に告白された物珍しかったからの気まぐれか・・・。
俺はいつだって流されていた・・・。

始めは付き合うってどういうものなのか分からなかった。
はじめから先輩と付き合うなどと思ったことなど微塵もなかったんだから。
でも、先輩の声が、俺を見てくれる視線が、俺に触れるその指先が・・・、俺を欲張り似させた。

俺に耐え続ける覚悟がなかったからそれを壊してしまった。

なぜ聞いたんだろう?好きですか?なんて・・・。

根性無しの俺の自業自得なのに傷つくなんておこがましい。
先輩は悪くない。
でも先輩は俺をもてあそんだんだ。俺の恋心を・・・。

違う。だって先輩は俺を好きだから付き合うって言ったわけじゃないって知ってたんじゃないか。

いや、好きだという俺の心を利用して単なる性欲の捌け口にしたんだ。

違う、先輩はそんな人じゃない。

いや、どうしてそういえる?お前はなにを知っている?なにも知らないくせに。

だって・・・。

だって?

だって・・・。

俺の心は大きくて黒くて冷たいものにだんだんと侵食されていった。

だって、はじめから愛されてなんていなかったんだから、俺など居なくても・・・、先輩はなんとも思わない・・・。


俺は俺の手で俺の心をめちゃめちゃに壊した。
跡形もなく粉みじんに。


だからあの頃のことは良く覚えて居ない。

忘れ去らなければ生きていけなかった。

でもあの頃のことは忘れられない。

忘れたら生きていけなかったから。

両方の気持ちが交差する。

恋しくて、愛しくて、憎らしくて、恨めしいけど・・・、俺のすべてだった人・・・。






高野

「政宗、この部屋の隣、新人の小野寺ってやつが住んでるって知ってたか?」
横澤は明日からの出張に備えて預けに来たソラタをあやすように抱えてそういった。

ソラタはさすられて気持ちよさそうにごろごろと喉を鳴らしている。

「はぁ?」
俺は意外な台詞に言葉をなくして、ハンガーに掛けようと思っていた上着を宙に浮かべたまま空気の抜けたような間抜けな声を発してしまった。

「やっぱりお前も知らなかったのか?」
「ああ・・・、そう言えば一年ぐらい前に隣が代わったって管理会社の担当が説明の電話を寄越した。」
「そんな前からか?」
「それがそいつなら・・。」
「呆れたな。いくら都会でも隣と一年間も顔を合わせないなんて。」
「あいつは前職も編集だったからお互いに時間が不規則なんだな。」

騒々しい若者や生活の時間帯の異なる人の活動のずれは迷惑に感じることもあったがそれでもわざわざ苦情を言うほどの暇人でもない。
往々にして俺は自分に害がなければ隣がどんな人間だろうが関心を持たなかった。

ましてや隣はいつだって静かだった



俺はいつもただ日々の己の人としての宿命のような生のタスクを進めていくだけだと悟ったように感じていた。

そうか、あいつが隣に・・・。

そう思うと顔に熱が集まるのに背中から上に向かって悪寒のように内側がソワリと沸いた。

小野寺は俺がかつての嵯峨だとは知らない。
知らせるつもりもない。
だから今後も俺から何かを言うことはない。
少なくとも今の俺には横澤がいる。

付き会っていると確認しあっているわけではないが、今の関係を変えるわけには行かない。

横澤は大事にしてあげなければいけないヤツなのだから・・・。

そんなことを思って横澤の作ってくれた夕飯を淡々と食べたのだった。



リツ

「小野寺!出張に行くぞ!東北の作家を一人お前の担当にする。」

「東北?日帰りですか?」
「いや一泊。」
「日帰りだって出来るでしょう?」
「そうだな、でも何時に終わるか分からないから会社には宿とってもらったほうがゆっくりできるだろ?」
「はあ。」

俺は複雑な気持ちでそう答えた。

高野さんがおそらく嵯峨先輩だと気づいたのは横澤さんの猫の件でだった。
封じ込めた記憶は小さなかけらとなって沸くように現れる。
押し込めた記憶は出口を探して今を待ち望んでいたとしか思えないほど鮮明だ。

些細な言葉、動き、表情・・・。そのすべてが先輩だった・・・。

俺は先輩を三年間も見つめ続けたのだ。
先輩がどんなに代わっていても分からないはずがない。

妙な確信めいたものまで襲うほどだ。

先輩は俺のことなど思い出しもしないだろう。

十年も前にほんの少しだけ付き合っていた相手のことなんて。

せいぜい異性ではない恋人がいたというくらい?

いや・・・。恋人だったなんて思ってなかったか・・・。



考えるのよそう。

今は仕事をするのみだ・・・。

俺さえ黙っていれば高野さんは俺のことなど思い出さない。



「着いたら起こして。」

新幹線の座席に座ると高野さんはさっさと寝る体制に入っていた。

どうせ終点なんだから自分が起こさなくても困らないでしょ。

そう思ったけどわざわざ言う必要もないか・・・。

俺もコートを掛布代わりに座席を倒して仮眠の姿勢を取った。

しかし眠ることなどできない。
どうせ高野さんが寝てしまうのだったら窓際を譲ってもらえば良かったかな・・・。

こまちとはやぶさは盛岡駅で仲良くキスをして北に向かう・・・。
その窓からは自重で垂れ下がっている稲穂が風に揺れている。

きらきらとまるで光を放つように太陽光をかき混ぜながら・・・。





「ダブルベッド?!!!」

その日は祭りで街中が混んでいた。

作家との打ち合わせも滞りなく済み、ホテルに行くと総務の手違いで一部屋予約の部屋はツインではなくダブルベッドだった。

部屋の追加も宿代えもできないその日、しばらく交渉したもののあきらめるほかなさそうだった。


「時間がもったいない・・・、もう行くぞ。」

高野さんはキイを指先でぐるぐると振り回しながら先導する。

俺はいつだって慌ててその後を追うしかないんだ・・・。



先に風呂に入るぞと言われ取り残された部屋で自分を振り返る。


こんなところでじたばたするのはおかしいだろう。

だって単なる上司と部下の出張だ。

手違いがあって同室になろうとも合宿のようなものだと思えばいいじゃないか。

実際にイギリスでは男同士で同室だった。

間違いが起こるはずもないのだから・・・。




高野さんのあとに風呂に入って出てくると高野さんはもう布団に包まっていた。

おずおずと布団にもぐりこむと「隙間が開くと寒い!」と引き寄せられ、「お前抱き心地がいいな。」なんて言うから始末に悪い・・・。

無自覚は罪だ。

一番ひどい罪だ・・・。






お風呂に入ったのに高野さんからはタバコの匂いがする。

それは俺の知らない嵯峨先輩ではない高野さんだ・・・。

この人は嵯峨先輩ではない。

きっと違う・・・。

そう思うんだ、リツ・・・。





男女ではないのだから強行に拒むのも妙だと自分に言い聞かせながらおとなしくしていると、いつの間にか俺は高野さんの腕の中で寝ていた。

すっぽりとくるまれるように抱き込まれて、人肌って心地よいなと感じた。

夜半に目が覚めてその横顔を見つめると、目を瞑っている顔は間違うことのない嵯峨先輩の面影を宿していた。

恋人同士にならなければ、俺はこの人の隣に居られるのだろうか?

編集者としての高野さんは尊敬できる上司だ。

きっとそうやって新たな関係を作って行けばいい・・・。

そうしてもう一度俺はその胸に顔をうずめた。








高野

「小野寺とダブルベッドだったんだってな。」

横澤が夕飯の時に聞きつけた噂を確かめようとしているのだろう。そう聞いてきた。
嘘は言えない。
確かにそれは事実で隠しようがない。

「総務の手違いでな。」
わざとなんでもないように苦笑して見せた。

実際になにがあったわけでもない。
俺達は男同士だ、確かに俺は過去男とも付き合ってたこともある。
横澤とだって過去には身体を重ねたこともあり、今だってこのような関係を続けている。

「なんだか拡大解釈されても困る。あいつは部下で男だ。」
「いや、分かってる。別にお前が誰とどうしようとかまわないが、俺と別れるなら全うな恋人を作れよ。」
「はは、そうだな。まあ頭の隅には置いて置くよ。」

俺は手をひらひらと振ってメシメシとあえて問題にせずに椅子に座った。
横澤は釜からメシをよそって俺の前に置いて自分も椅子に付いて食事を始めた。
差し出された冷たいビールが喉に心地よかった。


じゃあソラタをありがとう。

横澤がまた預かったソラタを連れて帰ろうとしたところで丁度小野寺の帰宅とかち合った。

小野寺は会釈をして自宅の鍵を開けようとしているようで俺に背をむけた。
その背に向けて「本当に隣だったんだな。」と声をかけた。

「はい。驚きました。偶然にしてもずいぶんなことですよね。」
小野寺はいつもと異なり硬い表情でそう言った。
隣家であることが意外過ぎたのだろうか。
その時ケージの中のソラタがニャンと鳴いた。
「ソラタ・・・。」
小野寺は表情を緩めて小さい小さい声でつぶやくようにそう言った。
それは俺にしか聞こえないほどの小さい声だった。
きっと横澤には聞こえて居なかっただろう。

ただ、その瞬間俺は小野寺も俺が嵯峨政宗だと気が付いていると感じた。

何の確証もないけど、なぜだかそう感じた。

「じゃあな。」
横澤は俺にそう言ってソラタと家に帰って行った。
どんなに遅くなっても横澤は泊まっていかない。
学生のあの時以来きちんと一定の線を引いているように感じる。
それはいつかは自分が俺から離れなければならないと自分自身に言い聞かせているようでもあった。

そう思うと余計に不埒な行動には出ることはできない。
俺は横澤を裏切ることはできない・・・。

横澤と俺が別れない限り・・・。








「高野さん、ご相談があります。近いうちに少しだけお時間をください。」

小野寺が校了あけのその日、デスクの横に来てそういった。

空き時間を聞かれれば隙間さえない。

優先順位としては・・・、目先のことからか?

「別に今からでもいいけど?」

そういうと小野寺は少し緊張したように顔をこわばらせて

「すみません、じゃあお願いします・・・。」とつぶやくように言った。


狭い会議室の椅子に座ると小野寺もすこし遠慮がちに斜め横の席に腰をかけた。

相談とは何だ?と思いながら色々な妄想が沸く。

「エメラルド・・・、忙しいですよね・・・。」

「ああ、校了が済んだからそれほどでもないけど?」

「いえ・・・、」

「なに?」

言いたそうな癖に少しも話が進まない小野寺を促す。

本当はじっくり話を聞いてやればいいんだろうけどなにを言うのかと考えるだけでもやもやとした気持ちが膨らむ。

「あの自分は・・・。」

小野寺はそう言いかけてから一度目を瞑っておもむろにホウっと大きく息を吐く。

まるで小野寺の中のもやもやを吐くように・・・。

「部署移動をさせていただこうと思っています。」

開いた翡翠の目が俺を見た、と思った瞬間言葉が宙を踊った。


「移動?部署の?」

小野寺の言葉をトレースすることしかできない自分の間抜けさに驚きながらしかし動揺していることを隠すことはできなかった。

「漫画編集でがんばっていこうと思っていましたがやはり俺は・・・。」

「なに?仕事がイヤになったの?」

意地悪な俺の言葉に小野寺は少しだけばつが悪そうに俯いて、それでも「そうです。」と短く言った。

「高野さんははじめに好きなことをやれるやつがどれだけいると思っているんだとおっしゃいました。そしてそれはその通りだと思います。

だから自分としてはきちんと向きあったつもりですが、やはり自分には文芸の方が向いていると思います。」

「それでさっさと尻尾を巻いて文芸に逃げるのか?」

「・・・、そうですね、それでいいです。」

いつもの勝気で反抗的な小野寺はそこにはいなかった。

なにが小野寺をそんなに無気力にさせているんだろう。つい先日まであんなに食らいつくみたいに仕事に一生懸命だったのに・・・。

クマのできた目じりには疲れが滲みそこからは品のいいお坊ちゃんの雰囲気は消えている。


「また・・・。俺の前から逃げるの?」

つい、言わなくてもいい言葉を発してしまい瞬間しまったと口を押さえた。

しかし飛び出した言葉はもう元には戻せない。

「知って!?」

会議室のパイプ椅子がガタンと大きな音を立てて倒れ、立ち上がった小野寺が目を見開いて俺を見下ろしていた。

「だ、だからあなたの側には居られない!」

震える声でそう言い小野寺が後ずさる。

身を翻した小野寺の腕を一瞬早く俺の手が強く掴むと小野寺は痛そうに顔をゆがめた。

離したくない!どこにも行かせない!

瞬間的にそう思い力いっぱい身体ごと引き寄せて顔を寄せると小野寺の唇が俺から逃げる。

「リツ・・・、どうして・・・。」

俺から逃げるんだ・・・。なぜ・・・。とずっと冷たい気持ちを抱えてきた俺の心が

消えたお前に十年間投げかけてきた疑問を口にする。

しかし小野寺の答えは俺の心を更に凍えさせた。


「高野さん。付き合っている人が居るくせに俺に触れないでください。不実です。」

眉間にしわを寄せてリツの口が冷たい言葉を吐く。

「りつ・・・。」

俺はおそらく途方にくれてすがるような目をしたことだろう。

リツの目を見つめながら俺はリツの唇を目で追っていた。

しかしリツの目はそらすことなく俺の目を見つめている。

「俺は言っていませんでしたね・・・。」

リツの手が俺の頬に触れてすっと離れて行った。

「先輩さよなら。大好きでした・・・。横澤さんとお幸せに・・・。」


その頬を一筋の涙が流れ、俺達が既に互いの手を取れないほどの遠いところに来てしまっていたのだと知った。










「お前どうした?飯も食わないで。」

夜半、スーパーのレジ袋にビールを詰めて横澤がやって来た。

昨日多く作ったカレーは今日の夕飯になるはずだったが、喪失した空虚な夜のメシがカレーとは晴れやか過ぎるだろう・・・。

昔とは違う、酒と女におぼれることもできない。

でかい図体を丸めて布団に埋もれるしか俺はできなかった。


「何で来たんだ?今日は来ないんじゃなかったのか?」

昨日多くカレーを作ったから今日のメシは大丈夫だなと言っていた。

横澤は毎日うちに来るわけではない。

そしていつ来るという連絡も約束もしてはいない。

だから来ないと決まった日は珍しい。


横澤が居ないのならと、俺は思い切り一人で落ち込むつもりでいた。

「今日もカレーの気持ちだったから一緒に食おうと思って。具合が悪いのか?」

横澤は俺の髪をかき上げ熱を測るように額に手を当てる。



「なんで・・・、お前そんなに俺に構うんだ?」

こんな駄目な俺に、こんなに弱い俺に、お前ほどのヤツが何で・・・。

「お前はいつもじうじしてるからな。なにかあると俺にはすぐに分かる。」

言葉にはされなくても『話しててみろ』と言われているのが分かる。

でも返事はできない。


「小野寺か?」

不意に出た言葉に身体が飛び上がるかと思うほど動揺した。


横澤はなにを知っているんだろう。


「なんで?」

「お前見てれば分かる。だてに10年も友人やってない。」

友人という言葉が心に刺さる。

横澤は今俺を開放しようとしてくれているのだろうか。


「あいつなんなの?」

「・・・。」

「取り立てて何か目立つところもないのに、お前あいつのなにがいいの?」

「・・・。」

そうだ。その通りで、あいつのなにがいいんだろう・・・。

きっと細かいところをあげればそれなりに理由も付けられる。

でも違う・・・。

あいつがあいつだから・・・、好きなんだ・・・。



「ただ・・・、好きなんだ・・・。」


ぼそりとそういうと横澤はもう一度俺の額の髪をかき上げてクシャクシャと撫でて


「なら、そういって、誠心誠意ぶつかれ。」

と笑った。










リツ






両親にはひどいことを言ってしまった。


でもそれは本音、偽らざる気持ちでもあった。


家を継げ、早く結婚して子どもをもうけろ。

事あるごとに母は俺にそう言う。


たまたまタイミングが悪かったのもある・・・。

丁度高野さんに文芸に移動したい、さよならと言った日だった。




家を継ぐために、子孫を残すためだけに生まれて来て育てられてきたのか?

俺はあなた達の何なの?俺は道具じゃない。


それはある意味では正解で、分かっていることだったけど・・・。

母は俺を産んだことで跡継ぎを産むプレッシャーの第一段階をクリアできたと言った。

あとはあなたが社長になってあなたに男の子が生まれれば私の役目は終わりよ、と・・・。


何で俺なんだ・・・。

縛らないで、決めないで、まだなにもできていないのに。

あなた達の息子で在ることに絶望させないで。



何で。どうして誰も俺を見てくれない。




好きな人に好きだとも言えない・・・。








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