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Bekannte Welt

全体公開 1 3296文字
2016-10-31 12:14:04

新しい世界に対置される既知の世界。http://privatter.net/p/1924649 (作・陽本 明也)へのアンサーリプライ的な何か。

Posted by @smbrfubuki

 律儀と言うのか、義理堅いと言うのか、はたまた本当に暇だったのか。
 隣に眠る姿をぼんやりと眺めながら、僕は先日拾った奇妙な縁についてそんなことを考えていた。連絡されるのはままあることだ。名刺を渡しているのだから、当然と言えば当然なのかもしれない。が、わざわざ読めない言語を読解する、乃至は人に訪ねると言う手段を用いて、Japanisches Generalkonsulat(日本総領事館)という何処で区切ればわからない、難解極まりない表記を判読してきたのだから、どちらかというと話していた通り未知の世界への好奇心が勝ったのかもしれない。
 眠りこけているのは……なんだったかな、締め切りが近かったと言っていた。それでおおかた徹夜でも続いたか、それでも会いに来るあたり想像よりはるかに僕は興味を持たれているらしい。取材をしたいんです、と申し込まれては、お決まりの「国外にいるから無理」という言い訳が使えない。それでなくとも1カ月は日本にいると種明かしをしてしまった後だった。彼女は隙のない出で立ちで現れたが、3時間もゆったりと話をしているうちに疲れが出たのだろう。
 浅い眠りのようだが、寝ているのは確かだ。僕はそのまま布団まで連れて行って、掛け布団をそっと掛けてやった。さすが一泊ひとり2万のホテルは寝心地が違う。官舎に呼ぶわけにもいかず、外で、ということになったので大見えを切ったわけだが、こうなるのなら正解だったということだろう。
 作家というバイアスがかかって、随分と大人というか大物というか、手ごわい雰囲気を漂わせているように感じたが、こうして見てみるとどうやらそれは僕の思い込みであったらしい。寝顔は随分とあどけない。妹に似ている。あの子もそういえば、よく僕のところへ遊びに来るくせにしっかりとおやすみなさいと言ったことがない。いつも寝落ちだ。寝落ちをする女性に縁でもあるのだろうか。
 そうこうしているともぞもぞと動いた。やはり運んでくるときに、僅かに環境が変わるのを鋭敏に知覚してしまうのだろう。
「ん……?」
「起きましたか」
「あ、あっ……ごめんなさい、私ったら」
「いいんですよ。お疲れのご様子でしたし」
 残念。起きてしまったらしい。僕は割と、寝ている人を傍らで眺めるのが好きだ。妹に言ったら悪趣味だと言われてしまったが、人が近くにいるのに絶対に干渉されないという心地よさは筆舌に尽くしがたい。
「すみません。あの、言い訳をしても」
「言い訳ならもう聴いていますし、そもそも僕は怒ってすらいないので不要です」
……でも、軽率でした。いい年をして、こんな」
「であればもう1杯付き合っていただけますか。それからゆっくり眠りましょう。このまま泊まっていっても構いませんよ。ホテル側には伝えてありますから」
 ここまで種明かしをするつもりはなかったのだが、彼女はどうも理性的に、理論的に説明した方が納得してくれそうだったのでそうした。理解の早い女性は好きだ。あれこれと感情を差し挟まれては口喧嘩で勝てないし、負け続ける相手とずっと一緒にいるのは面倒だ。常に勝つのもつまらない。要は頭の良い女性が好きなのである。
 その点、申し訳なさと恥ずかしさを戦わせながらもベッドから出て、再びスツールに腰かけてくれたのは理解度の高さを示しているようで好感が持てた。
「なんだか堀を埋められている気がします」
「確かにあなたを口説こうと励んではいますが」
「く、口説く? あの、私そういうつもりじゃ」
「冗談ですよ。今口説いたところで、僕はすぐあちらへ戻るわけだし。待たせるばかりも性に合わない」
 正しくはおとなしく待っている女と付き合ったことがない、だったわけだが、彼女を見ていると少し揶揄いたくなるのもあった。新しい世界を希求しながら一歩を踏み出すことが出来ない清らかな少女性。未知の領域を残し、そちらへ向けての想像を絶えず行う。作家というのは案外、誰しもこういう部分を持っているのかもしれない。現実の事件が起こってから動き始める僕らとは違う。
 そしてこうした突き放した物言いをすると、途端に寂しそうな顔をするのだ。そのたびに好きだ、このまま好きになりそうだ、と言われているようで僕の興奮を煽る。わかってやっているのなら大したものだし、その誘いには乗らないと失礼だと思った。
 ああ、久々だな、この感覚は。あの子と別れて以来かもしれない。
「藤堂さんは、手紙はお好きですか」
「手紙? いえ、別に嫌いではないですけど……やはり貰うと嬉しいものですし」
「僕が仮にあなたを今夜、全力で口説いて片膝をついたとして、あなたに差し上げられるのは手紙だけです。あなたが恐れてやまない海外に僕は仕事を持ち、生活を営み、あなたの知らない言葉で親交を持つ友人が山ほどいる。僕は割に執着心が強い方ですから、僕の住むそうした世界から手紙を出します。あなたにあげられるものはそれだけですが、僕をあなたの世界に繋ぎ止めるものもまた、それだけなのです」
 仮に、という枕詞はどこまでを修飾したのだろう。話す自分もよくわからなかった。呆気にとられる彼女は想像していた。しかし瞬時に僕の発言に動揺して口をはくはくさせるのは予想外だった。ちゃんとわかってくれたのか。やはり彼女は頭が良い。
「美袋さん、あの」
「さて。一杯付き合っていただきましょうか」
「ええと、どうしましょう。起き抜けの頭にとんでもないことを言われた気がします」
「あなたはその意味をわかっておいでのはずですが」
 僕は湯を沸かし、まずはコーヒーを淹れた。ただしコーヒーだけで飲むわけではない。うんと濃いコーヒーにブランデーを注ぐ。
「あ、それ」
「そうです。Asbach Uralt,前のPrivatよりは格が下がりますが」
「そういう瓶なんですね」
「ドイツでは20ユーロくらいの酒です。日本だと一杯でそれくらい取られても可笑しくない酒ですがね。リューデスハイムという町で作られているんですが、町の人は皆こうしてコーヒーで割って飲む。あなたが見たかった未知の世界の片鱗かもしれない」
 そう笑いかけるが、彼女の視線は僕の手元に注がれていた。面白い女性だ。僕の方を見ながら僕のことを全く見ていない。
 欲情が好奇心に負ける。その感覚は世間一般のそれとはずいぶん違う。僕とは近いかもしれない。
「千景さん?」
「あ……名前」
「著書を拝読しましたから」
「そうですか。そうですよね」
「ですから、僕のことも恭輔、と。恭順の恭にくるまへんの甫、です」
「恭輔さん」
 マグカップを渡そうとしたが、机上のメモ帳へ彼女の手が延びる方が速かった。恭輔、とひどく端正な文字で書かれた自分の名を見ていると、どうにも目の前の女が愛しくなった。珍しい事ではない。ずるずると間を空ければ空けるほど恋は死んでいく。好きだと思った時が勝負なのだ。
「覚えました」
「千景さん」
「はい?」
「やはり仮に、という接頭辞を外しても良いでしょうか?」
 じっと目を見ると、さっきの寂しさが少し薄れたようだった。僕はそのままマグカップを置いて、彼女の頬を指先でなぞる。
「冗談というのも訂正しても?」
……逃げられないわ、こんな近さで」
「とても愛おしくなりました。あなたのことが」
 素直にそう告げると、彼女はわかりやすく視線を泳がせた。きっと慣れていないのだ。そういうところがまた男の心を煽るのだと言うことを、もっと知らなくてはならない。未知の世界は9000km離れた世界に行かなくとも、隣にいるだけでもきっと実感させることが出来てしまう。僕だって彼女の世界を知りたい。作家で、外国が苦手で、酒が好きなことしか知らないのだ。もっともっと知ることはたくさんある。好奇心が欲情に勝ったから、僕は彼女に興味を持った。


 結局その夜のコーヒーは誰にも飲まれなかった。二つ並んだマグカップには、朝はブランデーを入れなかった。


END

 馴れ初めを捏造してしまった。


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