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甘い恋の末路

全体公開 2 2668文字
2016-11-19 23:31:19

11/19 フリーワンライ参加作 お題は「綿飴のような恋心」

Posted by @smbrfubuki

甘い恋の末路



 際限のない想いは、持て余したら自分で捨てなければならない。自分の恋を人にお裾分けしてやることはできない。
 食べきれない分量のライ麦パンを前に、私はそういえば今週から独りで生活してるんだった、と思い至るのだった。仕方なしに冷凍してみる。日本にいた頃、パンは冷凍すると良いのだと聴いた。ご飯みたいだ、そりゃ主食なんだから当たり前かと何も疑わなかったけど、ただでさえしっとりさに欠けるライ麦パンが尚更カチコチに固まるのかと思うと可笑しかった。それでなくとも見切り品で、2ユーロくらいで買い叩いてきたのだ。捨ててしまっても良いが、そこは米粒に7柱の神が宿ると信じるなけなしの日本人らしさが邪魔をして、どうしてもそれができなかった。
 すべてのものが二つずつある部屋は、別れてしまった今となっては居心地が悪い。私の部屋だった。此処の国の国籍があるくせに、EU外国籍のしがないIT労働者の家に転がり込んできた元恋人は、手持ちの僅かなお金と共に冬の風の中に消えていってしまった。もう少し、あと少しクリスマスまでもてばよかったけど、全ては私の不甲斐なさである。家に帰らない、せっかく作られたご飯を食べてあげられない。寝食を忘れて仕事に没頭するから、人恋しくて甘えたくなる夜にその肌を温める真似さえしてやれなかった。これじゃあ、恋人じゃない。君は僕のことを欠片も愛してない。Kaltherzig(薄情)だ、と詰られたのは記憶に新しい。
 私はそう息巻く恋人の真っ青な瞳を見据えて、こころがつめたい、と日本語で復唱した。それ以上に私の行動を正しく言い当てる表現はなかった。打ちのめされて、Es tut mir leid, wenn ich deine Gefühle verletzt habe(気に障ったらごめんね)と随分事務的な返事をしてしまった。恋人だったひとはもう何も言わなかった。私のために泣いてくれた真っ青な瞳が二度と私に向けられることはない。
 今度こそは、今度こそはと毎回思う。そのたびに自分自身が自分の期待を裏切る。今回は上手くいくかもしれない、待っていてくれるかもしれない、と根拠のない自信に背を押されて次の恋へと踏み出すけれど、毎回恋人に冷たいと言われるのだから私は本当に冷たいのかもしれない。男にも女にも、日本人にもドイツ人にもイギリス人にもフランス人にも言われた。きっと恋をしない方が良い人種なのだろう。しなくても良いならしないで生きたい。そして意志が弱い人間なので、毎回止め処なく底まで堕ちる。

「恋人と別れたの?」
「え、どうして」
 そんな暗い顔をしていたかと思って両手で頬を叩くしぐさを見せると、チェッカーのおばさんは肩を竦めた。
「食材がいつもの半分だから」
……わかる?」
「ええ、私はいつも土曜日のこの時間にここに座ってる。いつもあなたの買い物を見てた」
「恥ずかしいな」
 表情を変えずに口だけでそう言うと、彼女はミルカのチョコレートを後ろから取り出して私の買ったものの中に入れた。封は切られていなかった。
「Das Leben ist hart, aber Sie sind härter」
 ひとけのない閉店間際の店でそんなことを言われては苦笑いをするしかない。私はダンケゼア、とぎこちない笑顔を浮かべて有り難く彼女のくれたチョコレートを齧りながら帰路についた。帰路と言っても、斜向かいのアパートだった。信号もないような道路を渡るだけの面白みのない帰り道では、期待したようなロマンスなど到底転がっていないし、おばさんは私を見送るとすぐにシャッターを閉め始めた。忙しない土曜日の夜は真冬の冷たさである。この国に棲み始めて間もないころは冬の到来と来るクリスマスのシーズンに浮き足立ったりもしたが、何シーズン目かの冬ともなるとあの街中の、いや国中どこへ行っても変わり映えのしない喧騒がいい加減嫌になっていた。兄もこの国で仕事をしているが、日本からの観光客が増える分自分の仕事も増えるし、この国の人のように2週間ほど大々的に休暇を取れるわけでもないのでただただ迷惑で辛い時期だと言っていた。私も概ね同感である。
 そそくさと部屋へ戻る。暖房がきいているうちに寝てしまおう。明日の朝、起きたら凍らせたライ麦パンに、さっき買ってきたクリームチーズを盛大に載せて午前中を怠惰に食い潰してやる、と決めた。もう私がベッドの中でパンを齧ろうと、齧りかけのチョコレートをホットミルクに溶かそうと、そんな食べ方はするなと口煩く言ってくる人物はいない。
「淋しい」
 うっかり口にしてしまうから、暖房の効いた部屋で少しずつ溶け始めたチョコレートが少ししょっぱくなった。ぼろぼろと堰を切ったように溢れ出す涙が、どうしようもなく乾燥した頬に下品な跡をつけていく。喉の奥が痛い。いつまでも子供のような泣き方をして。私が悪いのに、私が愛情を疎かにしたのが悪いのに、泣く資格なんかないのに。
「う……ううっ……っく、ひっ……ぁ」
 もこもこと際限なく膨れ上がって、満たされていたような気になっていた愛情は、ひと匙の雫で呆気なく消え失せる綿飴のようだった。きっとあの愛に満たされていた気分だったのは私だけで、身を切る想いであの人は私のために砂糖をふんだんに放り込んでくれていたのに、私がそれをちゃんと消化しなかったから、水をかけてどろどろに溶かしていってしまったのだ。私の手元に目に見えるものは何も残さず、ただべたべたと甘ったるく不快な手触りだけを残して。
「好きだった、のに、ちゃんと、あい、あいしてた、のに」
 人前ではとてもこんなにみっともない泣き方はできない。だから独りでよかった。泣き疲れたら広すぎるベッドで大の字になって寝ればいいし、今この部屋には私を甘やかすものしかない。叱って、包んで、待っていてくれたものを棄ててしまった今、全ての二人用の品物が寄って集って私を甘やかす。
 人生はそう甘くないけど、あなたは強い。うまいこと言うもんだな、なんて思いながら、私は涙の味がする高脂肪の塊をばりばりと齧った。溶けてしまう前に、この涙と一緒にせめて食べてあげたい。それが食べ損ねた愛への唯一の供養になるような気がして、どろっとした舌触りごと、喉の奥へ追いやった。



ENDE


Das Leben ist hart, aber Sie sind härter
人生はハードだけど、あなたはそれより丈夫だから


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