災さんと秋。憧憬の勇者さんを少しだけお借りしました。
@san_ph7
目を開ける。
木々の枝葉の間を光が差し込んでいる。うららかな午後。気温もこの季節にしては温かく、昼寝には丁度よかった。秋の気配さやかに、鮮やかな黄色や赤の落ち葉が風に吹かれ時折散っていく。午睡を中断したのは、気になることがあったからだ。樹上で休息をとっていた彼は、木の葉の擦れる音の中に、微かに子供の泣き声を聞いた。
灰色の外套を巻き直し、地面へ着地する。その場で簡易的に魔法をかけ割れた天輪と翼を隠すと、泣き声のする方向へ歩き始めた。
ほどなくして、声の主を見つける。彼の知る青い翼の少女よりもっと幼い人間の少年だった。金の髪を泣き腫らした顔へ貼り付けて、ぐしゃぐしゃに涙を流している。
「ねぇ」
彼が声を掛けると、しゃくり上げながらこちらを向いた。怯えさせぬよう、その場に膝をつく。碧色の潤んだ瞳が彼を見つめる。
「どうしたの」
問われ、家が分からない、と小さな声で呟くのが聞き取れる。
「迷子か。よかったら、帰り道を一緒に探そう」
躊躇いがちに目が伏せられた。濡れた睫毛と泣き腫らした目元が痛々しい。
「大丈夫だよ。必ず帰れるから」
彼は少年の頬に手を添えて涙をぬぐった。柔らかな金糸の髪を撫でる。
少年はこくりと小さく頷き、彼は差し出された小さな手を握った。
飴色の光差す穏やかな森の中。灰色の外套を揺らしながら、彼は少年の家を探した。多分こっち、とひどく曖昧に方向を指し示す少年の言うとおりに、秋色の森を彷徨う。少年の歩幅に合わせ、ゆっくりと。途中疲れてしまったのか、俯いて立ち止まってしまった少年をひょいと片腕で抱き上げる。
疲れたか、と彼が問うと、首を横に振る。どこか寂しそうな顔をした少年は、彼の友達によく似ていた。微笑み、僕なら大丈夫だからと言うと、また小さく頷いた。
片腕にかかる重さは羽根のようだった。落ちぬようにと肩を掴ませて、また歩き始める。
少年の目線は丁度彼と同じくらいの位置にある。自分で歩いていたときとは全く違う視界になったせいか、しきりに周りをキョロキョロと見渡している。木の葉がひらりと目の前を横切って、少年が手を伸ばす。小さな手をすり抜けたそれを、彼の手が掴んだ。はい、と少年に手渡すと、無言ではあったが嬉しそうにしているのが分かった。
この遊びはしばらく続いた。宙を舞う落ち葉を少年が捕らえ、少年が取り逃したそれを彼は全て掴んで渡した。赤、黄色、橙色、茶色、虫食いのある青い葉……。その片手がいっぱいになった頃、少年は少し考えた後に彼の頭の後ろで何やらゴソゴソとしている。外套にはフードが付いていた。彼は笑った。
「ねぇ」
尋ねれば、何と言いたげに少年が首を傾げる。
「どうして迷子になったの?」
首を振る。答えたくないのか、分からないのか。
そう、と言うと、彼はそれきり少年には質問しなかった。
紅葉のいかだ流れる小川を飛び越え、獣道を進む。歩むたび、地面からわずかに落ち葉が舞い上がる。
のんびりとした散策は日が傾き、飴色が茜色になった頃。少し開けた場所へ出ると、少年は降ろして欲しい、と彼に言った。言われた通りにしてやると、地面に足が着いた途端に反対側へ全速力で駆け抜けていく。
「待って!」
木立の間に消えた少年を追って彼も駆け出す。魔法を解こうとしたが向かった先の森の中は先程までと違い鬱蒼としていて、翼を広げようにも狭い木々の間に引っかかってしまうだろう。
こないで!
切迫した叫びが聞こえたが、構わない。
少年の体ではすり抜けるのが容易い木々の間を、枝葉で顔や外套を裂きながら走る。か細い少年の背がやっと見えたかと思うと、突然視界から消えた。彼がそこへ行くと、木の根につまづいたのかうつ伏せに倒れた少年がいた。
「大丈夫?」
助け起こすと、蒼い顔をして少年は彼を見た。どこにも怪我はしていないようだった。立ち上がらせようと手を差し出したが、少年は逡巡し、首を横に振った。何故、と彼が尋ねようとしたときである。
突然ふたりの周りにある木々がざわめきだし、その一本が唸りをあげ、しなる太い枝を鞭のように彼へと振り下ろしてきた。頭部めがけて迫るその枝を彼は避けなかった。破裂音が響き、驚いた少年が目を瞑る。
彼の手に握られた剣が枝を切り払った。吹っ飛んだ枝が派手な音を立てて砕け散る。続けて二撃目が今度は彼と少年を狙うように迫る。仕方ないとばかりに顔をしかめた彼が何事かを呟くと、その背がにわかに盛り上がり、外套の下から大きな翼が現れた。少年をかばうように広げると、そのまま攻撃を受ける。鈍い音を立てて数度枝が叩きつけられたが負傷というほどではない。
「少し待っていて」
目を閉じたままの少年にそう告げると、彼は光の糸を引っ掴んだ。先程から見えていた、少年と何者かを繋ぐ糸だ。魔力を流し込み、遷移する。ずるりと意識が引っ張られる心地がして、次の瞬間には先程通った開けた場所にいた。目の前には黒いローブを被った男。突然現れた彼とその姿に腰を抜かしていた。
彼の手に剣が握られた。ローブの男は抵抗してようと両手を彼へ向けようとした、それよりも早く、剣の切っ先がその喉を捕らえる。浅く肌が裂け、血が流れた。
「喧嘩を売る相手を間違えたんじゃあないか」
そう問いかける。恐怖に怯えるその顔を呪われた宝石のような緑色の瞳が見つめる。震える唇が呟いた、黒い天使、という言葉に微笑みながら答える。
「そうとも」
ローブの男の胸ぐらを掴み、無理やり立たせた。吐息がかかるほど顔を寄せ、囁く。毒のような声で。
「君はこの森で起きたことを思い出せない。何故ならとても『怖い目』にあったからだ。思い出そうとすると恐怖で足が竦む。頭が真っ白になる。何も思い出せない。そうだろう?」
言い終えて、その手を離す。どさりと重力に逆らわず男の体が落ちる。
「失せろ」
呆けたように彼を見上げていた男は、弾かれたように逃げ出した。
木立の間から様子を伺っていた少年の元へ戻ると、彼は手を差し出した。逡巡した少年へ言う。
「大丈夫だったろ?」
間を置いて小さく頷いた少年を片腕で抱き上げた。日の傾いた夕空に飛び上がると、さぁ家はどっちだ? と少年に問う。あっち、と明確に示した方向にあるのは、ただの野原だった。翼を大きくはためかせ、滑るように空を飛ぶ。肩を掴んだ少年が感嘆の声を上げた。色づいた森を眼下に、黒い影が流れ星のようにそこへ向かう。
しばらくして、目的地へふわりと降り立つ。それから少年をゆっくり降ろした。そこにはやはり草原が広がるだけで、目立つものといえば古びた木製の祠ぐらいだった。しかしただ広いだけのその場所に、彼は確かに覚えがあった。
「ここでいいかな?」
跪き、少年の目線に合わせた彼がそう聞くと少年は頷いて、ありがとう黒い天使様、と言った。彼は笑うと、
「黒い天使だなんて言ったら、帰ったときに大人に心配されちゃうかもしれないな。大きなカラスに送ってもらったって、そう言いなよ」
提案に首を傾げた少年だったが、彼がその頭を撫でると、わかった、と返事をした。
「いい子だ」
少年は彼から離れると、手を振って笑った。そうして草原を駆けていく。まるでそこに誰かが待っているかのように。茜色の世界の中、少年の姿は一瞬だけ光って、ふつりと消えた。
彼は微笑みながら少年の消えた先をしばらく見つめていたが、やがて後ろを振り返った。
「ひどい顔をしている」
立ち尽くす、その人に。
「君が僕をずっと前から追ってきていたのは分かっていた。見ていたんだろう? 一部始終を。それが僕のした全てだ。今更改めて語ることでもない。あの子はただの"疑似餌"だった。通りがかった人間の金品か、命か、体か、あの男が求めていたものが何だったかは定かではない。でもそれがあの子の魂をここに縛り付けていたのは確かだった」
日が傾く。片方だけの水色の瞳が、逆光の中の彼を捉える。緑色の瞳が真実を語る。
「ここは魂を還しやすい場所なんだよ」
血のような赤に染まる黄昏に、勇者と魔王が相対している。夕日は何もかもを赤く染め上げて、人であるのか魔物であるのか、その境界線をひどく曖昧にぼかしていく。
「僕は災の魔王。問おう。『君は人間か?』」
僅かにたじろいだ目の前の人を真っ直ぐ見る。
「君を僕の世界で待つ。僕は君の答えが聞きたい。そして君の疑問に答えてやる。
――僕に会いに来い、憧憬の勇者」
そうしてばさりと羽音がなったかと思うと、彼はもうそこにはいなかった。
***
城へ帰還した彼を白い少女が出迎えた。
おかえり、とただいま、がいつも通り交わされ、いつも通り彼女を片腕で抱き上げる。と、少女が彼の外套のフードの中へ手を突っ込んだ。中身を掴み上げて、彼の頭の上で手のひらを開く。
はらはらと、秋色をした木の葉が宙を舞った。
「落ち葉だな。聖界は秋か。ところでどうしてこんなにたくさん入ってる?」
「イヴへのお土産だよ」
そうか、と嬉しそうに返事をした少女を抱えて、彼は鏡のある部屋を出た。興が乗ったのか、頭の上にひっきりなしに落ち葉が降りかかる。
秋色の冠を頂いた魔王が、微笑んだ。