@smbrfubuki
あてんしょん!
この感想は原作既読で映画に行った人間が自身の心の赴くままに感想を並べたものです。
原作未読の方にはやさしい内容ではありません。ご注意を。
了承済みの方のみ次項へどうぞ。
「この世界の片隅に」
私がこの作品と出会ったのは2011年7月、高校2年生の夏のことでありました。
当時自分の通学路にアニ○イト様の割と大きな店舗があったもので、ろくに勉強もせず興味の惹かれる新刊漫画を買い漁る、という日々を過ごしておったのですが、その時ちょうど新装版(上下巻)の出て間もないこの作品に出会い、柔らかな絵のタッチに即購入を決断したと言うわけです。
本題に入る前に自分の話をすると、自身の出身は関西の港町なのですが、今もなお健在の祖父母は戦時の生まれ育ちで、祖父は田んぼに打ち込まれた弾を小刀で掘り返して薬莢を玩具にしていた少年時代のこと、彼の叔父が「陽炎」の機関室乗組員として戦死したこと、祖母は亡き曾祖父に連れられて闇市へ出向いたこと、それぞれ昨日のことのように寝物語でよく聴かせてくれました。また母方の曾祖母は(つい先日亡くなりましたが)すずさんと同世代、顔もわからん男のところへヨメにきた話、戦時に何もなくて草を茹でた話など、記憶も定かでないような昔の話をよくしてくれたのです。そういうわけで私にとって戦争の話は縁遠いものではなく、また生来の歴史好きがどう作用してか積極的に見聞きしたい類のものではあったのです。事情があって小学生時代を祖父母の下で過ごした自分にとってそれは思想信条以前の問題であり、ただ事実としての「戦争があった」という歴史上の事実と、その下で暮らしていた人々に関心を寄せているのでしょう。それは今もあまり変わらず。
本題へ立ち返ると、原作は独り暮らしの我が家にも持ってくる程度にはお気に入りの作品で、好きが祟って大学の指導教官にもお貸ししたことがある(気に入ってくださいました)という偏愛ぶりで、それはもうご覧になった方ならおわかりでしょうが、夫婦愛、家族愛、友情、嫉妬、喪失、憧憬、身代わり……人が人と関わり合って生きる、その最中で避けて通れぬ細やかな心のやり取りがありありと描写されていて、とりわけ主人公夫婦がもう好きで好きで以下略といった有様でして、映画化の話を数年前に見聞きしてからは公開を今か今かと待ちわびていた次第です。
時々織り交じる幻想的で俗世離れした描写(ばけもん、うさぎの海など)や柔らかなギャグ、主に婚家での鷹揚な人々のやり取りが次第に激化していく世の中でも生きている人、生きていた人の足跡を辿らせてくれるようで、物語に入り込んでいける、とはもう何度も何度も目にした(気がする)書評ですが、その原作の雰囲気を何も損なわずに映画化してくださって、原作を愛読してきた身としては感謝と感動しかない。
正直に申し上げますと、島原、冒頭の海苔を納品してくるシーンで泣きました。
いやいや早すぎるだろうと自分でも思いつつ、広島の戦前の街並み、すずさんが動いて笑ってお菓子を物色していると言う目の前の光景に何故か涙が止まらなかったのです。うん、一緒に行った人はドン引きしていました。
そして幼少期に色々なところで繋がる縁。周作さんとも、リンさんとも、すずさんの与り知らぬところでどんどん繋がっていきます。人と人の運命の不思議さというか、広島と呉というところは遠いようで近いのだなあと痛感させられる次第。
冒頭といえば忘れてはいけないのが、被爆前のドームと広島城のカットがあったことですかね。被爆前のドームは大きかったし、広島城は被爆によって吹き飛んだ城。これは原作のさりげない一コマで、制作サイドの愛を感じました。
幼馴染の哲さんとのシーンで、おの、おの、小野D……と顔を覆ったのは私だけではあるまい。素敵すぎる配役だった……主要男性陣の配役、これもう一回絶対周作さんのシーンでも言うけど、神配役だから本当に最高だから(鼻息)
淡い恋心、というか親愛のようなものが確かに行き交うのを感じ取る。憎からず思うからこその、相手の仕事を担い合うふたり。載せられた椿の花がなんとも艶めかしいのです。幼い間柄ながら、明確に絆を培っているさまが見て取れる。これが後の納屋に繋がっていくわけですな……。
縁談が来るシーン、原作でも大好きなシーンなのですが、ちゃんと嫁入り衣装を頭からかぶった「珍奇な」女に案内させる展開になっていて、もうそれだけで来てよかったしかなかった。あの鷹揚さというか、電停探して山へ登ってしまう北條家の男性陣のお人柄がとてつもなく柔らかくて好きです。すずさんはぼんやりしている、とよく形容されますが、彼女に負けず劣らず北條家の人々も大概おっとりしていると思うのです(主に男性陣が)。
そして、そして!(興奮収まらない)周作さん!!!!! 細谷さぁぁぁぁああああんと再び頭を抱え天を仰ぎました。細谷さんの年上男性だったり面倒見のいい兄貴分だったりする役回りがほんっっっと狂おしいくらい好きで。周作さんは家族の中では弟であり、しかし長男であるがゆえにゆくゆくは家長でもあり、妻にとっては年上の夫であり、「銃後の」軍部の文官であり(のちに訓練を受けることになるが)、という様々なファクターが絡み合った人物像なので、硬すぎても柔らかすぎても彼のイメージからは遠ざかってしまうのですが、そこはもうさすがの細谷さんでした。かっっっっこよかったなあああああ。もうこの文章冒頭の上品さ(なけなし)が雲散霧消する勢いで本当に格好良かったです。初めの閨のシーンも、その後の細かい夫婦間のやり取りも、壕を作るシーンも、夫婦で港を見下ろすシーンも。慈愛と恋慕に溢れた触れ合いが堪らなく良いのです。この夫婦のやり取りは、所謂巷での「ノマカプ厨」と言われる人にはぜひ見てほしい……。
そして戦時下の暮らしぶりも、確実に物がなくて食べるものにも困りながら生活していたはずなのに、砂糖が蟻に集られただとか、米の炊き方を変えたらとても食べられるものではないとか、どうしようもない不条理を強いられながらどこかコミカルで、そして一方で「ああ日本が戦争をするっていうのはこういうことなんだな」と思わされる一幕でもありました。ただ漠然と食にフォーカスして、主婦の様々な工夫倹約を見ただけなのに、なんとなくその重みを痛感させられて。見る前にご飯食べててよかったです。そういう意味で食欲に直結するもんだから、抗えない空腹と戦うところでした。危ない危ない。
空腹つながりでリンさんのことを話そう……あのですね、原作既読の方にはおそらく賛否両論別れると思うんですが、この映画、リンさんに関するシーンが結構ごそっと削られています。私も見ながらちょっとまじか……と思ったりもしたんですが(リンさんとても好き)、見ているうちに気付きました。
ああ、秘密のままにしたんだなあと。贅沢を選び取ったのだなあと。
原作の「人が死んだら記憶も消えてのうなる 秘密は無かったことになる それはそれでゼイタクなことかもしれんよ 自分専用のお茶碗と同じくらいにね」という台詞が私は死ぬほど好きで、それを読みこんだら多少不親切かもしれないけど彼女に関するシーンは全て削ってしまうのが良いのかなと(きっとあのシーンも挟み込むなら3時間映画になってたという事情も勿論あるでしょうが)。リンさんとすずさんの関係は複雑です。かけがえのないお友達であり、同じ男性を愛した人でもあり、同じ男性が愛した人でもある。自身が代用品かと悩むこともある。すずさんは周作さんもリンさんも好きだからこそ、双方を大事な人だと思うからこそ、執着し、嫉妬し、常に想い、常にその身を案じていた。そのどちらに偏っても陳腐な三文小説になるような複雑な関係性を、敢えてノートの欠けた一部分や口紅の描写に留めた部分が、この映画は本当に、本当に素晴らしいのです。彼女の存在は夫婦のいずれにとっても秘密で、その秘密を明らかにしたのは、すずさんが朦朧とした意識の中で周作さんに縋ったときのみ。それをこの映画ではしなかった。秘密にしたのです、徹底的に。。。これほど素敵な改変があろうかと。まさに原作があるからこその、完璧な演出でした。結果としてほんの一瞬しか出てこなかったリンさんですが、彼女の足跡、彼女がすずさんの一部となって生きている描写までは、演出の上では全く消されていませんでした。それが冒頭の座敷童の一幕であり、スイカの赤い部分を食べたという言及であり、口紅の中に映り込んだひとひらの桜であり、裏表紙が一部ちぎられたノートであり、そしてエンドロールの口紅で描かれた「りんどうの秘密」でした。原作と同じ歴史を彼女らは辿っていて、それが語られなかっただけ。敢えて語られなかっただけ。それが痛感されて、エンドロールで目が溶けるほど泣いたのです。うん、思い出してまた泣いています(笑)
結論をそろそろまとめることにしましょう……この映画の主題はひとが生きるということ。亡くなってしまった人も勿論たくさんいて、無くしてしまったものも勿論たくさんあるのだけど、それでも残された人が生きる端々に、なくしたものが宿るのだという締めがとても好きです。青葉を巡る晴美さんとすずさんのやり取り、あれはもう誰が見てもどうあっても衝撃を受けるシーンだと思うんだけど、あのシーンが全てではなくて、でも大きな転換点ではあって、それまでとそれからがすずさんの中では大きく違う。利き手を折る、なんて表現を創作者界隈の間ではよく聴きますけれども、なくした右手がいま何処で何をしているのか、と問いかけるすずさんの心情に寄り添うと言葉が出てきませんね。紛いなりにもものをつくる人間としては、20年6月から7月にかけては何も気の利いた言葉が出てきそうにありません。うう……。
広島、呉というふたつの街、ふたつの場所が交錯し合う、紛れもないご当地映画ではあるのですけど、あの街を訪れたことを幸いに想う映画でもあります。ちなみに島原は広島には6度ほど(覚えてるだけでも)、呉には3度ほど行ってますが、あの海の煌き、瀬戸内のうさぎの白波は、どこも同じ海なのにあの場所にしかないもので何とも言えなくなります。街の色味も、繁華街の感じも、歩き回った丘も大和が生まれたドックも、川の流れも橋の高さも。是非あの映画を見たらあの街へもう一度、行ってほしい。いや行かなければならない。そしてあの街の70年前があの作品の中にあったのだと改めて想いました。
色々書きましたが、結局はこの一言に尽きます。「色んな人に見てほしい」。
人の感想よりも自分の目で見た感想が尊い映画ってあるじゃないですか。紛れもなくそれだと思います。ぜひ自分の目で見て、自分で感じ取ってほしいです。そして見たら教えてください。次は「夕凪の街 桜の国」の話をしよう。
2016年11月21日 島原ふぶき