@satomi8429
突然後ろの茂みがガサガサとゆれたかと思うと、逆立った結髪の小さな頭がひょっこり現れた。
「そうだったんですね」
「張宿!?」
素で驚いた。経に集中していたせいで気づかなかったのだろうか。
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが、聞こえてしまったので……」
聞いてしまいました、と済まなさそうに控えめな笑みを浮かべて張宿は言う。
「いつからいたのだ」
咎める調子にならないよう気を付けるまでもなく、驚きが声に出てしまっていた。
「鬼宿さんの……お母上のお話をされていた時に通りかかって。すみません」
「別に構わないのだ。鬼宿くんのことも、おそらく心配いらないのだ」
「とても興味深いお話でした。死後の話は学問では取り上げられることが少ないですから。宗教の関係では諸説あるようですが信憑性という点で僕には判断がつきません。井宿さんはお坊様なのですね」
目上の者に礼を示す、両袖を合わせた姿勢で井宿の横まで来ると、張宿はそう言って見上げた。不躾にならないよう声を押さえてはいたが、大きな瞳は知的好奇心で輝いている。しかしその底に何か深い色がある気がして、井宿は不思議に思った。十三歳で科挙の一次試験を突破したほどの賢さを持つ少年。容姿が幼いため余計なのだろうか、印象が一定しない。喪失などとはまだまだ無縁そうな少年の目に、ちらりと大人びた光を見た気がした。
「一応そういうことになっているのだ。でも宗派はない」
「宗派のないお坊様……?」
「そうなのだ」
「ではさっきのは」
「はったりなのだ」
「はったり!?」
「うそなのだ」
「うそ??」
この格好をしていれば、奇妙ではあるが僧侶なのだろうと皆思うようで、旅の先々で頼まれごとを受けたことも一度や二度ではない。先ほどの鬼宿のように、弔いの儀を執り行ったことも何度もあった。
井宿の弔いの儀は独特だ。当然だ。特に僧になる修行を積んだわけではないのだから。一応の礼儀として経の内容は正式なものだったが、それ以外はその場に応じて変えるのが井宿のやり方だった。
「では、さっきの亡くなった方が見守ってくれているというのは」
「さて、どうなのだろうね」
井宿は仮面のまま微笑むと地面に腰を下ろした。見上げると、張宿も倣ってしゃがみこむ。そのまま膝を抱えて座り、吸い込むような目を見開いて、井宿の次の言葉を待っている。
「人は死ぬと、その身体は土に還る。確実にわかっているのはそれだけなのだ」
「それだけ?」
「そうなのだ。ある人は、魂は天に上りそれは不滅であるという。ある人は、肉体は滅びても魂は存在し、その魂は新しい命に宿るという。前者は永遠に見守ってくれているということになるだろうし、後者は転生してきて再び出会えるという考え方になるのだ。人は死んだらそれですべて終わりだという人もいるし、それは生きてる間はわからないのだ。死んだ人に聞いてみることはできないのだから」
張宿は、組んだ腕に頬をのせて考え込んでいる。ごまかして煙に巻くこともできたのに、なぜ自分はこんなことをしゃべっているのか。なんとなく話してやりたくなったのだ。かつての自分と似たところのある、未来のある少年に。
「弔いは生きている人のためにあるのだ。だから、オイラは生きている人の想いに合わせて弔うことにしているのだ。そうすることで、それがその人の真実になるのなら」
その人が、いつでもそばにいて見守ってくれていることを願っているのならそのように。
その人が、生まれ変わってまた出会いたいと思っているのならそのように。
大切な人を亡くしたその人が、また歩いて行けるように。
通りすがりの村でも人でも、それを願って弔いをした。
目をそらし保留にし続けていることへの、せめてもの罪滅ぼしだと思っていた。
「そうだったんですか」
得心顔の張宿が息を吐きながらつぶやく。弱い風が吹いて木立の葉々がさらさらと揺れた。
「じゃあきっと僕の父も、魂になって僕たち家族を天から見守ってくれていますね」
意外な言葉に井宿は顔を上げた。さっき感じた違和感はそれだったのだ。もう既にこの子は片親を亡くしていたのか。当事者とは知らずに、舞台裏を語ってしまったことに唇を引き締める。
「張宿、お父上が……そうなのだね。よく知りもせずすまなかったのだ」
「謝らないでください、もうずいぶん前の話です。それに、井宿さんは僕が生きていくために言ってくださったのでしょう」
張宿は屈託のない笑顔を向けると立ち上がり、姿勢を正して礼をした。
「ありがとうございます、井宿さん。お邪魔してすみませんでした」
くるりと踵を返し、気を遣ったのだろう、足早に宮殿に戻っていく小さな背中を井宿はだまって見送った。
弔いの儀。偽の僧侶。
これから始まる旅は、生易しいものではないだろう。
抹香の出番が杞憂に終わるよう、それでも、と、祈りを込めて杖を握った。