以下の続き。時間は飛んで、青龍召喚後です。
1.出航前のおとむらい(鬼宿と井宿)https://privatter.net/p/2030183
2.出航前のおとむらい(張宿と井宿)https://privatter.net/p/2032162
@satomi8429
「遅くなったのだ」
月がだいぶ高くなったころ、井宿は裏庭で空に向かって呟いた。
紅南国らしい、暖かな夜だ。
身体は疲れ切っていたが、最悪の事態に向かっている現状は嫌な高揚感をもたらし、眠気のやってくる気配は皆無だった。否、と井宿は思う。最悪の事態はもうずいぶん前から始まっていたのだ。それは気づかぬほどの足音で忍び寄り、気づかぬ己をあざ笑いながら去っていく。この切り取られた平和な空間も、いつ破られるかわかったものではない。しかし井宿は無根拠に信じていた。朝にどれだけ過酷なものが待ち受けてようとも、今この時間だけは許されているはずだ。
提灯をたよりに見回すと、以前使った石が見つかった。船出の前、鬼宿の家族を弔った時のものだ。あの後すぐにこの国を出てから今まで、時間とすれば大したことはないのだろう。ただ、そのほんのわずかな期間であまりにも多くのことがあった。あの時ともに出発した仲間は、二人も帰らぬ人になってしまった。
井宿は石を丁寧に据えると、あの日のように経を唱えた。経が終わると小枝を集め、抹香とともに火をつける。細く上る煙に、枝の燃えるぱちぱちという音が無音の辺りに小さく響いた。
座を組んだまま火を見つめていると、重い衣擦れの音が背後に近づいた。
「星宿様」
「さすがだな、井宿」
振り向かずに言うと、星宿は素直に感心して微笑んだ。立派な提灯を下げ、どうやら一人のようだった。
「こんな夜更けに、どうしましたのだ」
「眠れなくてな。部屋を出たら裏庭から煙が上がっていると警備の者が慌てていたので」
「そんなところにおひとりで」
今度は井宿が苦笑する番だった。ただでさえ国家の危機、皇帝の身にも脅威が迫っているという予測は容易だ。
「いや、井宿のようだがどうすればいいかと言われたのだ。そなたも眠れないのか」
「それもありますが」
「……弔い火か」
置かれた石とその前の小さな枝山を見た星宿が言った。皇帝であり宮殿から出たことも数えるほどであろう星宿の、こういった反応の速さと的確さはどこからきているのだろう。大人びた聡明さと感受性の豊かさを両立している年若い皇帝に、改めて敬意を抱く。
「自己流ですのだ」
身体をずらして場所を開けると、清潔な闇夜に抹香の香りがふわと広がった。
「私にもさせてくれ。まずどうしたらいい」
「火を絶やさないように、時々枝をくべながら、故人のことを偲ぶんですのだ」
「そうか。柳宿との思い出はいくつもあるが、張宿とは船出の前に少し話したきりだったな。そなたの話を聞かせてほしい」
寝巻に羽織りをかけただけの恰好で、井宿に倣って地面に座りながら星宿が静かに笑んだ。
「わかりましたのだ」
井宿もまた、笑みを返す。
涙ではなく笑顔を送ろう。今、せめて今夜だけは。
見送る二人の目に、小さな橙の炎が反射している。
煙は古く懐かしい香りを振りまきながら、濃紺の闇の中へ、細く長く上っていった。
今宵、ちいさな火を焚いて
夜じゅう灯しつづけよう
あなたが迷わぬように
あなたがこごえぬように
最後の四行詩:喪に服すとき/ハンバートハンバート
以下より一部拝借させていただきました。
https://www.youtube.com/watch?v=gAJAgjGIEBQ