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『雪の城に熱は降り積む』

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2016-12-21 13:22:58

魔女とその従者の主従百合



 深夜、静かに暖炉の前で本を読んでいると、突然中庭に面した窓が強風でガタガタと音をたてて揺れた。今日は大雪も大雪で大変に天気が悪いが、しかし今の窓の揺れについてはそのせいではない。どうやらご主人様が帰ってきたらしかった。中庭に通ずる重たいドアが、音もなく静かに開かれる。

「お帰りなさいませ」
……ただいま」

 そして疲弊しきった声を出しながら、吹雪の中から一人の少女が部屋に入ってきた。頭からタオルを被せて雪や水分を払うと、いつもの姿がようやく現れてくれた。空に浸したかのような青い髪。魔力で赤く焼け焦げた瞳。そんな浮世離れをした風貌の魔法使いが、私の親愛なるご主人様だ。
 先ほどの強風は、瞬間移動で中庭に着いた時のものだろう。だったら直接家の中に入ればいいのかもしれないけど、まぁ、そうする理由は二つある。一つは、術を掛けた本人ですら魔法で中に入れないほどの結界があるから。もう一つは、ご主人様の服は返り血か何かでいつも汚れているからだ。今日は雪のおかげでかなりいい方だけど、いつもの通りご主人様の服の白いフリルは真っ赤に染まっていた。

「入浴の準備はできていますが、入りますか?」
「うん、入る」

 急いでご主人様の服を脱がしてお風呂場へ連れて行った。ご主人様は基本的に家で何もしないので、料理や洗濯掃除はもちろん、着替えや体を洗うのだって私がお手伝いをしている。こうしてご主人様の肌に触れるのも、最初はどうしたものか悩んだけれど今ではすっかり慣れてしまった。

「今日は怪我がないようで安心しました」
「当たり前だ、雑魚ども相手に遅れは取らないさ」

 白の上に仄かに朱が乗った、傷のない綺麗な肌に指を滑らせながらホッと胸を撫で下ろす。本当に、いつも生きて帰ってこないんじゃないかって不安で仕方がないのだ。だからそんなご主人様の態度に、少しだけ反論したくなる。

「そんなこと言って、以前お腹に穴を開けて血まみれになって帰ってきたことがありましたよね?」
……あれは雑魚じゃなくて、そこそこ強かったんだよ」
「もう……あの時はほんっとうに驚いたんですからね?」
「ごめんごめん、悪かったって……

 体を、特に血が付いていた正面を念入りに洗い終わって、次は髪に指を通す。ご主人様はセミロングのストレートで洗う量がそれなりにある。しかも血で所々固まっているから非常に洗いにくい。

「もうこんなこと、やめたらどうですか?」
……何? お前も復讐なんかに意味はないと思ってるの?」
「そういうわけでは……

 心配からつい出てしまった言葉だけど、ご主人様の態度に次の言葉が見つからなくなってしまう。しばらく無言でいると、ご主人様も黙ってされるがままに戻った。髪を泡立てる音だけが浴室に響く。
 ご主人様の復讐、その理由は私がご主人様に拾われた次の日に教えてもらったことがある。
 両親を殺した魔法使いたちの殺害。
 詳しくは語ってはくれなかったが、昔ご主人様の両親は魔法使いたちに拷問されて殺されたらしい。魔法使いのお偉いさんと争いになってしまい、その末の私怨から殺されてしまったらしかった。だからご主人様は、毎日のように魔法使いを狩りに外に行ってしまう。両親たちを殺した魔法使いの情報を集めるため、そしていつかのその手で、そいつを殺すために。
 ただ、そんなのは悲しすぎる。申し訳ないけど私には、死んだご両親よりも生きたご主人様の方が大切だった。

「ただ私は、静かに暮らすこともできるのになって」

 訴えても、その瞳は揺れることはない。髪の泡を洗い流すと、ご主人様は続けて言葉を紡いだ。

「いいかいアリス、生きているという実感はね、戦っているものにしか訪れないんだよ。戦うのをやめてしまったら、そんなの死んでるのと同じだ」

 そう語るご主人様の表情は凛々しくて、力強くて、そして影が落ちていた。赤く燃えた瞳の奥がギラギラしていて、この世の全てを呪ってるんじゃないかと思うくらい鋭くて、どこか悲しげで……
 確かにご主人様の言っていることは、ある種真理かもしれない。戦わない、つまり日々を無気力に過ごしているものは生きてるのか死んでるのかすら同じことじゃないかと思う。それはかつての私がそうだったからわかる……両親に捨てられたあの雪の日からご主人様に拾われるまでは、もうどうやって生きていたか思い出せないくらい諦念を抱えて過ごしていた。だけど私は今、生きていると実感している。戦ってはいないけれど、単調な日々を無気力に過ごしているかもしれないけど、生きていると実感している。今からそれを、証明したいと思う。

「そうでしょうか」

 濡れてるのも気にせず、背中から手を回しそっと抱きしめた。「えっ……」と声を漏らし困惑するご主人様を気にせず、力をさらに込めて言葉を続ける。

「私の心音を感じませんか? 私はご主人様の心音を感じます。生きてるんだなって、確かに思います」

 私が生きていると思えるのは、ご主人様のおかげ。あの日ご主人様が私を拾ってくれたから、私はこの人のために生きようと思った。その途端に、私はドクンと自分の心臓が跳ねる音を初めて聞くことができたんだ。身体中に熱い血が流れる感覚が、こんなにも充実感があるものなんて知らなかった。それもこれも全部全部、ご主人様のおかげ。大好きな大好きな、ご主人様のおかげなんだ。

「ご主人様は、そう思いませんか?」

 私も、ご主人様も、生きている。ドキドキという早い脈が肌を通じて伝わってくる。それは多分私も同じで、これが生きているということじゃなかったら何が生きているというんだ。
 ご主人様の細い肩が小さく戦慄く。手を開いて閉じてを何回か繰り返した後、私の右腕を取って、体の前でキュッと抱きしめてきた。何だろうと表情を窺おうとしたけど、ご主人様は俯いていてそれは叶わない。

……やめて」

 そして自信のなさそうな、小さく震えた声が浴室に落とされる。びっくりした。少し、いや、かなりびっくりした。体に穴が開いても尚強がるようなご主人様のそんな弱気な姿を、私は今まで見たことがなかったから。

「お願いだから、お前は私に温もりを教えないで……

 そう言ってご主人様は静かに嗚咽を漏らしながら涙を零した。一瞬何が起きているかわからなかったけど、何となく、答えを得ることができた。ご主人様には悪いけど、顔が自然と優しく緩む。そして少しだけ胸が温かくなったのは、ご主人様の言っていることとやっていることが真逆だから。
 なんだ、やっぱりご主人様も生きてるじゃないか。
 もしかしたらご主人様はもう引くに引けない、戻れないところまで行ってしまったのかもしれない。復讐は必ず復讐を呼ぶ。奪うものは、いつか必ず奪われる。そんな当たり前の道理に縛られて、もうどうすればいいかわからなくなっているのかもしれない。それは不毛で悲しいことだけれど、同時に嬉しいと思ってしまっている自分がいる。
 この時間が泡沫でもいい。だって、私たちはこうして生きているんだから。


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