@kyuri_akita
彼女は門の入り口に立って、奥にそびえたつ城のような建物を見上げた。見たこともないような広がり方をしている大きな建物は、それだけで巨大な魔物のようだ。
彼女は思わず肩から斜めにかけたトートバックの紐を胸元あたりで握りしめる。
まだこの国に足を踏み入れてもいない。しかし、関所の入り口であるここには、かなりの人が行き来しており、彼女は所在なくそこに立ち尽くした。
(き、来てしまった・・・)
ここが本当に話に聞いた国かはわからない。けれど目印となる巨大な建物と、耳にした位置的にはここで間違がないはずだった。
あっているのだろうか、という不安に、思わずフードの下で彼女は顔を曇らせる。
沸き上がる不安は町の中に入る前だからということも、彼女はよくわかっていた。
一応、大きめの薄汚れた外套を纏ってきた。
けれどそんなものは気休めにしかならないことも、彼女自身よくわかっている。
そろりと頭をひねって背後を伺えば、背負った荷物の上から外套をかぶったその先に、青く透明な筋がちらちらと透けて見えている。
(でも、ちょっとだけだし、フードもかぶってるし・・・)
気休めにしかならなくとも、心の慰めにはなる。
大丈夫、と小さくつぶやいて、彼女はその国へと足を踏み入れた。
色彩は違えど、彼女自身と同じように青と呼ばれる瞳を持つ勇者に、この国の話を聞いたのはずいぶん前だった。
『巨大な図書館の国には、あらゆる本があるらしい』
旅慣れている伝説の勇者から、自分の世話になっている人のところへ来た際、教えてもらったものだった。
そんな国があるのだろうかと半信半疑だった。だが、そんな彼女を納得させるに足る理由は、明確だった。
『その国は、本を読むだけの勇者がいて、あらゆる情報を収集しているようだ』
勇者だけでなく、魔王すら出入りしているという図書館に、彼女は興味をひかれた。
勇者も魔王も問わない、ということは、もしかしたら自分の探している人もいるかもしれない。
そもそも人ではないのだから、その図書館に出入りしている可能性だってある、と考えた末、彼女はその図書館を目指すことにした。
道中、それでも目指すことになった理由の人のことを知れないかと、色々なところで話を聞いた。
そしていつでも示されるのは。
「やだあああああ」
うわああん、と泣き声を上げた子供の声で、彼女は思わず足を止めた。
視線を巡らせると、彼女が歩く通りの反対で、自分よりも幼い子供が大きく口を開けて泣いている。
もう、と子供のそばに立つ女は母親なのだろう。腰に手を当てて、わがままを言うんじゃありません、と叱っていた。
「そんなにわがままを言っているとね、黒い天使さまに連れていかれてしまいますよ」
その言葉に、進もうとする足が止まる。
道中、拾い集めた噂と、子ども用の童話に度々現れる、黒い天使。
自分が会いたい人物が、黒い翼に砕けた天輪を持っている人物なだけに、もしかして同一人物では、と思わずにはいられない。
どこに行っても見かけるその黒い天使は、彼女が知っている実像と反し、いつも。
(わるものだ)
もしかしてという想像に過ぎないが、それでも自分を救ってくれた恩人が、悪者かもしれないと世界中で言われている。
だからそれは本当なのだろうかと、たしかめずには、彼女は先に進めない気がした。
(真実が知りたい)
この国でなら知ることができるだろうと、彼女なりに考えて出した結論だった。
まだ先にある城塞のような図書館を遠くに見ると、再び彼女は歩き出す。
とはいえ、彼女は旅慣れていない。
それに少々、体の事情で人目につくのが恐ろしい。
だからできるだけ人を避けるようにして、森や林を歩きながら、彼女はようやくその国にたどり着いたのだった。
自分の金色の髪も、青い瞳も、人目を惹くばかりで彼女はあまり好きではない。そんな自分を好いてくれる人や、純粋にきれいだと笑ってくれる人もいるからこそ、あまり口にはしないが、そうそう好意的に見られるだけではないと、身をもって知っている。
だから人通りの多い、ビブリオテカと呼ばれるこの国の、図書館までの道で彼女は俯きながら歩いていた。
道にせり出した露天の店は、ずいぶんと不思議なものばかり売っている。
黒い煙にきらきらとした光が宿るそれを何というのか、彼女は知らなかった。あまり難しい文字も、機械系の言葉をのぞいて、よくは知らない。
(この国は見たこともないものだらけだ)
見たこともない、使用途すらわからないものたちを横目に眺めながら、人と目を合わせないようにしていると、彼女はあまり視線を感じることがないように思えて、足を止めた。
(・・・見られてない?)
あれ、と思って、あたりを見回す。
よく見ると、道行く人は必ずしも人間ばかりではなかった。鬼のような、額から角が生えている人、人間と変わらない大きさの猫の体の人、あるいは背中に蝙蝠のような羽をはやした小さなこどものような人。
人間と同じかそれより少ないほどの割合で、異種族があたりにたくさんいた。初めて見る人間以外の存在に、彼女は目を丸くしてしまう。
(す、すごい・・・普通に話してる・・・)
それを見れば、自分の髪も目も、それほどここでは目立たないのではないかという気がした。事実、あまり視線を感じないし、大丈夫ではないだろうか、と。
彼女は意を決して、思い切ってフードをとった。
ぱさり、とフードが肩にかかっても、声をかけてくる人はいない。立ち止まっているせいか不思議そうな顔はされても、好奇の目で見られることはなかった。
(こ、この国、すごい・・・)
ここを作り上げたのは、勇者だという。
どうしたらこんな国が作れるのだろう、と彼女はまだ見ぬ勇者に畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
そうしてぼんやりとしていたのが悪かったのだろう。
「シァオマオ!!」
聞き覚えのある声に、彼女ははっと顔を上げた。
しかしそのころには、彼女に向かって走ってきたそれはすぐ目の前に迫っていた。
「きゃ」「うわっ」
どしん、と体がぶつかり、彼女は耐えきれずに後ろに倒れこんだ。
背負っていた荷物がクッションとなり、とくにダメージはなかったため、彼女はぼんやりと立ちすくんでいたことを謝ろうと視線を向けた。
その先には、筋肉質の白い髪の男が、黒い髪のやせ細った少女を猫のように首根っこをつかんでいた。
「シァオマオ、あきらめろ」
「ブゥ、シー。何ごともあきらめたら負けです」
いいから帰るぞ、という紫の右目だけをあきれたように細める男に、彼女は見覚えがあった。
「人を巻き込んでしまっては元も子もないだろう。大丈夫か、少女」
白髪の中に紛れている白い包帯は、もう片方の目を覆っている。
いつか、自分はガラクタで、明日になるとすべて忘れると言っていた男だった。
なぜここに、という驚きで、彼女は言葉を失う。
黙ったままの彼女をどう思ったのか、男は目をぱちくりさせた。
「どこか痛いところでもあるのか、具合が悪いのか、うーんと、えーっと・・・」
そうだ、と男は無邪気に笑い、しゃがみ込んだ。
「あのこに見てもらおう」
おいで、と言いながら、男はもう片腕で彼女をすくい上げるようにして彼女を抱きかかえた。自身の体重と背負っている荷物も含めれば相当な重量があるはずだが、男は気にした様子もない。
「あの、」
「大丈夫。あの子ならどんなものも治せてしまえるからさ」
にぱ、と明るい顔で、有無を言わさず、彼女の抱える荷物ごと彼女を抱きあげて、ずかずかとそびえたつ大きな図書館に向かって歩いて行った。
「俺はバーデ。少女は名乗らなくていいぞ」
どうせ明日には忘れてしまうから、と続いた言葉に、彼女は口を閉ざした。
前に会いました、と主張することが憚られ、なんと言ってよいのかわからなかった。
きっとそう主張しても、バーデは覚えていないのだろうと思えば、続く言葉がない。
さらに彼女の目的地もその建物であることと、見知った男の好意を鑑みれば口を挟めるわけがなかった。
だから彼女はおとなしくバーデに抱きかかえられていることにした。
「・・・ッ!」
彼女を見た瞬間、赤い髪の男は片手で目元を覆った。
何かしたのだろうか、もしかして自分の見た目が見るに耐えないのだろうか、と彼女は思わず服の上から首に下げた水晶を握りしめた。
「お前は・・・!またそうやって子供を拾ってきて・・・!犬や猫じゃないんだぞ、いい加減にしろ!!」
赤い髪の男はそう言って、はあーと重たいため息をついた。
「今度はなんだ?行き倒れか?放置か?捨てていたか?まったく、うちは孤児院じゃないんだぞ!!」
大体、と赤い髪の男は、彼女を抱きかかえたままのバーデをにらみつけた。
寝不足なのか、その顔には濃い隈があった。元の造作は整っていそうなのに、その疲れ果てた様子が、男を凶悪に見せている。
「お前のその、俺に黙ってニーナに見せてしまえばいいという態度が気に食わない。どうせニーナからすべて俺に話は通るんだぞ!!俺とニーナで共有しないことはないからな!!ニーナの一番は俺だから!!!」
はー・・・と男が重たい息を吐いたところで、バーデがくるりと彼女に顔を向けた。
「うるさいのは気にしなくていいからな。疲れてるんだよ」
「疲れてるよ!!なんで仕事が終わらないんだ!!みんな滅べ!!」
あー・・・と昏い目を天井に向ける男に、彼女はちょっと同情した。
お世話になっている人の部下も、実験に息詰まると、よく濃い隈を浮かべて世界滅べとか、仕事なんて爆発してしまえと暗い瞳でぶつぶつと言っている。
そういうときは追い詰められて疲れているだけなので、甘いものを出すと泣いて喜ばれる。
この人も疲れているんだろうなあ、としみじみしていると、バーデはゆっくりと地面に降ろした。
「じゃあ、俺、あのこ呼んで来る」
言うや否や、さっさと部屋から出ていってしまうバーデに、困惑した視線を向けた。
いきなり仕事で追い詰められている人間と二人きりにされても、と思ったが、赤い髪の男ははいはい、とバーデに手を振った。
「お見苦しいところを見せて申し訳ないね。君はうちの国の子かな?お父さんやお母さんは?」
男は膝をついて視線を合わせるようにすると、疲労がにじんだ顔でわずかに微笑んだ。
「お家があるのなら、帰りなさい。ここには恐ろしい化け物しかいないよ」
これは完全に、バーデが拾ってきた孤児かなんかだと思われている、と彼女は俯いた。
このまま誤解をさせたままにしておくわけにもいかない。
ここは生活しなれた、油の匂いのする研究所ではなく、誰も自分のことを知らない異国だ。自分の口で、存在を主張せねばならない。
それが苦手だと思いながら、彼女は荷物を下した。
ついでに外套も脱ぎ去る。
やはり視線が怖くてうつむいたまま、彼女は首元に下げた水晶をぎゅっと強く握りしめた。
「私は、帰りません」
私は、とこぼれる声が震えそうになった。
それでも手の中にある硬い感触が、勇気をくれる。
助けてくれたあの人のことを知りたくてここまで来た。
黙っていては何も始まらないのは、いやというほど知っている。
「私は、アモル・ベルナール」
またの名を、をアモルは顔を上げた。
「青翼の勇者と言います」
伝わっただろうか、伝わっていなかったらどうしよう、と考えだせば、怖くて相手の顔を見ることができない。
それは・・・と声がした。
低い男の声は、戸惑うような、困惑しているような響きを持っている。
(だめだったのかな)
どうしよう、と思っていると、ふわ、と風が頬をなでた。
大きな建物に入ってから感じることのなかったそれに、アモルは思わず顔を上げる。
「はじめまして。青翼の」
低いけれど、幼さの残る舌足らずな声は少しかすれていた。
膝をつく赤い髪の男の肩に座るような姿勢をとり、頭に肘を置いている。小さな体をしているとはいえ、尊大な態度は王様のようだ、と場違いにもそんなことを思う。
かなり維持しづらい不思議な体勢はまるでふわふわと浮いているようで、見事なバランスだった。
大きな水色の瞳は眠たそうに半分閉じているが、それは鏡でよく見る自分の目の色とよく似ている。だが髪は金色ではなく紺色で、ぼさぼさと無造作に跳ねていた。
白いワイシャツはサイズがあっていないのか、手が出ていない。ネクタイ代わりの黒いリボンのような紐を止めるアグレットには、自分もよく知る瞳の色と同じ石がはめ込まれている。
面白そうに目を細めた少年は、男から離れた。
アモルの顔をのぞきこむように、ふわふわと空中を漂ってくる。
自分とよく似た瞳から目を離さずにいると、少年は口を開いた。
「ぼくは、書館の勇者。君がここに来たのは、誰の意図だろうか?」
そうして、伝え聞いた恐ろしい勇者だと、主張した。
アモルは半ば呆然として、目の前の少年を眺めた。
てっきりこの国を作って、中核を担っていると聞いていたら、もっと年かさの人間を想像していた。
魔法に精通していて、本もよく読むという話だったから、もっと学者のような、なんならおじいさんであるとすら思っていた。
だというのに。
目の前にいるのは、自分と背も年も変わらなさそうな、少年だ。
「・・・バーデ。どこもケガしてないじゃない」
ほんとかあ?といつの間に戻ってきたのか、バーデは書館の勇者の後ろからアモルを覗き込む。
「口もきけないほど怖い思いをしたのかもしれないだろ。よく見てやってくれ」
そんなバーデを一瞥した書館の勇者は、君はさっさとお茶の用意をしろ、とバーデを部屋から追い出した。
素直に従って出ていくバーデを見送った書館の勇者は、さて、と空中に浮いたまま、アモルに向き直る。
「まあ、座ってお茶でも飲もうじゃないか。予期せぬ時でも、客人はもてなすものだって、鳥さんはよく言う」
呆然とするアモルにそう声をかけ、君はお菓子の準備、と赤い男を立たせる。しかし部屋を出ていこうとする男に、書館は待ったをかけた。
「最初に部屋を出ていった、白いのはバーデ。この赤いのはアベルだ。バーデが非礼を働いたというなら、賠償金でもなんでもこちらは謝罪を形で示す。そういう詳しいことは、このアベルと話し合ってくれ」
ぺこりと頭を下げたアベルに、アモルは慌てて手を振った。
「いいえ、いいえ。非礼なんて、そんな・・・」
「不快だと感じたら、それは非礼なのだろう。僕もよくは知らないが、非礼を働いたら謝罪すべきなのは道理なのだって教わった」
アベルが部屋を出ていくのにも目をやらず、少年は部屋を見渡した。広い部屋には様々な形のテーブルと椅子が並んでいる。
書館は近くにあった二対のソファの一つに腰掛けると、君もどうぞ、と向かいをすすめた。
すすめられるままに、アモルは荷物を肩にかけて、ソファに腰掛ける。ふわふわとした素材のそれは、背もたれも同様で、体が痛むことはなかった。
「バーデに至っては仕方がないんだよ。あれはとうに壊れてしまっていて、明日になると大体のことを思い出せない」
とつとつと、声を荒げるわけでもなく語る書館に、気が付けばどうしてですか、とアモルは口を開いていた。
「・・・どうして、とは?」
聞き返されて、言葉に詰まった。深くは聞かないほうがいいのだろうか、と思いつつ、胸元の水晶を握りしめる。
「どうして、そう、なってしまったのでしょう」
ああ、と書館は納得したように声を出した。
「すぎた話だよ。僕もそうだったんだけど、この国の前は、王が指揮して勇者を作る実験をしていたんだ」
バーデはその被検体だったのさ、と悲しむでも苦しむでもなく、平然と言い放たれた言葉に、アモルは俯いた。
「彼が被検体として運び込まれたときは、すでに左腕が使い物にならないほどぐちゃぐちゃだったらしい。死にかけだと思って相当なことをやられたようで、左足と左目を実験中に無くした」
国が亡びるころには、バーデはもうだめでね、と言葉は続いた。
「体もそうだったけど、心が。話もできない、口もきけない。すべてが終わっても、もうバーデは人としてだめだった。死んだほうがきっとマシだったろう」
そういう経緯があるから、仕方ないと思ってほしいと言われて、アモルは頷いた。
他人事と流すことはできなかった。
何かが間違っていたら、ああなっていたという事実が突きつけられている。バーデは、違う運命を辿ったアモルだった。
何かが、少し違っていたら。
もし、黒い天使が自分の前に現れなかったら。
きっと、アモルもああなっていた。
ぎゅっと、胸元に下げた水晶を握る手に力がこもる。その硬さにはっとして、そろえた膝の上に手を置いた。
「で?君は間違ってぼくに会ったのか?それとも、誰かの使いかい?」
書館がそう言ってからすぐに、バーデがお茶を運んできた。彼は大きな手と黒い義手をきれいに操り、白いカップにお茶を注いでいく。
「ぼくに会えること自体、いいのか悪いのか。とうに目的を果たしたというのなら、帰ってくれても構わない。君の噂は聞かないが、万が一王族だったら格式やら手順やらと面倒だ。王族は、わけもわからぬ因習を踏まねば、帰ることすらままならぬ生き物だもの」
ぼくはその限りではないので、さっさと帰っていい、という少年に、アモルは慌てて口を開いた。
「ち、違います。私は王族ではありません。勇者、なので」
はて、と書館は首を傾げた。
「軍師をする勇者もいれば、一国の王たる勇者もいるが?」
そう言われてしまうと、アモルは言葉に詰まる。勇者という肩書きをのぞけば、よく言われるのは天使、だが。
それを主張する気にはなれない。
「とはいえ、勇者という肩書きなど些細なことだ。ぼくは勇者というより本の虫であるからして」
彼は白いティーカップを指さした。すると触ってもいないのに、ふわふわとカップが浮いて、彼の元までやってくる。
「で、帰らないということは、ぼくに御用かな?あるいは、この図書館に?」
彼は両手に持ったカップに口をつけた。
どうやらアモルの言葉を待っているようだと気づき、彼女はこくこくと頷いた。
「あの、どちらも、です」
へえ、と言った彼の目が、どういうわけか輝いた。
無表情であまり表情を変えることはないが、その分、彼の目は豊かな感情を映していた。
「それはそれは・・・この知識の森に御用があると、そういうことならばぼくも力になれることがあるだろう」
ただし、と彼は好奇心を消し、射抜くようにアモルを見つめた。
「どういうことであれ、真実は時に残酷らしい。ぼくにはよくわからないが、君の望まぬ結論であったとしても、それはまごうことなき事実であるから、その点だけは心してほしい」
バーデは少年の背後に立っていたが、アベルがお菓子を持ってくると、入れ替わるように出ていった。
「ひとは、己に不都合な事実は受け入れぬという性質がある。ぼくもそうだ。けれど不都合は、先に進むための階段であるから」
君の階段にならんことを、と少年は無表情に呟いた。
アモルはこの勇者はすべてわかっているのではないかと、そんなことを思う。アモルの望みさえ理解していて、自分の語る先に、不都合なことが待っているとわかっているようだ。
「・・・探している人がいます」
だから少々唐突に、アモルはそうこぼした。
「ひと探しが得意なものでも紹介しようか?」
いえ、と彼女はゆるく首を振った。
「人間ではありません。黒い翼を持っている、天使みたいな方です。頭には、砕けたような天輪があって、緑の目をした」
はあー、と少年は魂が出そうなほど重たい息を吐いた。
「あのプリン頭は、あちらこちらに手を出すのが好きだな、全く。ぼくは知っているぞ。こういう風にすぐやさしさを振り回して惚れさせるやつを罪作りな男とか伊達男とかたらしとかいうんだ」
すこしはあの紳士な鳥さんを見習ってほしい、と少年はこぼすと、カップの中身をすすった。
「ぼくは君が探している人物を、『知っている』」
えっとアモルは顔を輝かせた。
これまでいろんな人に聞いて探しても誰も『実物を』知らなかった。
そう思えば、あっさりと断言されて拍子抜けしたような気持ちと、ついにわかるという高ぶりとで、どくん、と心臓が高鳴った。
「ど、どんな方なのですか、いえ、どうしたら会えるのでしょう?」
彼は水色の目をわずかに曇らせた。
痛ましいものを眺めるようなその眼に、アモルはいやな予感がした。
「一つ、修正しておこう。あれは天使などではない。まったくもって、善いものとはいいがたい。なぜなら」
「あれは、魔王だ」
その言葉が、アモルは理解できなかった。
何を言われたのかわからず、目を丸くしたまま、数秒、息さえ止まった。どくん、と耳に響く心臓の音で我に返り、は、と息を吐く。
ひどく、息がしづらいような気がした。
自分には勇者の知り合いが多い。その知り合いのほとんどが、魔王に対してよい顔をしない。
とくに翡翠の勇者は苦々しい顔で、魔王について語る。
勇者が求められる原因を作り出している魔王。それがあまりよくないものであることは、彼女もうっすらと理解している。
けれど、自分を救ってくれた、天使みたいなあの人が。
(魔王・・・)
「あれがどのようなものかについては、さかのぼれば女神教が宗教として始まる前からだ。民俗信仰でしかなかった時代にもその存在をみとめられる」
多くは、と彼は何の変化も見せずに語った。
「不幸をもたらすものとして記されている。あれは不吉。姿を見れば死ぬという記述まであるほどに、全く善いものとは言い難いものだよ。不幸の主、不吉の眷属、厄災を運ぶモノといえば、女神教のある国なら子供とて知っている」
ニーナ、とそばに控えていたアベルが、小さく書館に呼びかけた。
彼は言葉をなくすアモルに、ふう、と呆れたような息をついて見せた。
「うそなどではない。文字を読むのが難しいのなら、児童書を貸し出そう」
書館の言葉に、アモルは何か言わねばと口を開き、そして閉じた。
言葉が出てこなかった。
自分を救ってくれたものは、そういう風に言われるものだと言われて、何と言えばよいのかわからない。もちろん、救われたことは感謝している。その気持ちは消えないが。
やっぱり、と思うと、言葉が続かない。
もしかしての可能性が肯定されてしまったことは、この際仕方がない。アモルも、多少はそうでないかと思っていたことだ。
しかし。
(魔王。あのひとが、まおう・・・)
その事実が、衝撃すぎてどう処理をすればいいのか、アモルには分からなかった。
「・・・青翼様、今日はこの図書館でお泊りになってはいかがですか。図書館は教会も内包しております。旅人の方に、宿泊所を提供しているのですよ」
アベルの言葉に、こくりと頷いた。
今はとにかく、書館の言葉を受け入れるための時間がほしかった。何もかもわからないことだらけの自分が、ようやく知った事実を、受け入れるための時間が必要だった。
「・・・君の、階段になるといいね」
書館はそうつぶやくと、顔をそらした。
彼はただ、事実を述べただけだった。アモルが教えてほしいと請うたからにほかならず、アモルは荷物を担ぐと、立ち上がって礼をした。
「教えてくれて、ありがとうございました」
書館は一瞥すらすることなくひらひらと手を振る。
アモルはもう一度頭を下げると、アベルの案内に従った。
自分が階段の先へ行くためには、あのひとが魔王だということをよく理解する必要があった。
幸い、ここにはたくさんの本がある。理解するにはもってこいの場所だろう。
アモルは胸元に下げた水晶を握ると、前を向いた。