美袋恭輔×藤堂千景(陽本明也さん@m945bknk ありがとうございます) クリスマスのお話
クリスマスの前の千景さんのお仕事についてはこちら
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@smbrfubuki
その日はクリスマスイブで、夕方ごろにちょっとした地震があって、でもそれ以外は何の変哲もない日だった。
僕は省庁に顔を出して、運悪く10分ほど停止したエレベーターの中で知り合いと少し話して、あまり長居せずにタクシーに乗り込んでいた。ここから彼女の家へはメトロを使うと遠回りで、最速ルートは都営と乗り継ぎだ。面倒くさかったのでタクシーを拾った。クリスマスイブの街並みを車窓から眺めて、屋外に居たせいで冷えた指先を擦り合わせると運転手にこれからデートかと問われた。
「デートと言えばデートですね」
「いいですねえ。若い人は」
「実際に会うのは3カ月ぶりくらいだし、もしかしたら忘れられてるかもしれない」
「お兄さん色男だから大丈夫でしょう」
色男、と称されることは実際こそばゆい面もあるが、そうであればこそ滅多に会えもしない男を待ってくれているわけで、格好つけていい男を演出して、全力でエスコートして、そのうえ「これくらいは当たり前のことだから」みたいな顔をしておかなければならない。これは勿論彼女に強制されたことではないし、僕自身の美学に過ぎないのだったが、恋しく想ってもらうにはそれくらいの駆け引きがあった方が良い。でないとまたああして寂しそうな顔で、バーのカウンターに腰かけてひとりで酒を呷ってしまうかもしれない。
彼女と出会った夜、淋しそうだと想ったのは、もしかすると僕自身が淋しかったからかもしれない。だから転がり落ちてしまったんだろうし、一緒に飲む酒が美味いと思った。人の好き嫌いが激しい僕にとって、一緒に酒を飲むのが美味い、というのは最大の賛辞だ。願うことなら彼女もまた、そう思ってくれていると良い。
「3カ月も放っておいていいんですか? よっぽどいい女でしょう」
「わかりますか」
「お兄さん、さっきから窓の外ばっかり見て。そわそわしてるから」
「いやあ、今日はノンアポなので。お家に居てくれるといいんですけどね」
運転手は笑った。わからない、普通に考えてクリスマスイブ、自宅でのんびり過ごすのは若い女のすることではない。だが彼女は職場が自宅という類の人間だったし、入稿だっていつも優秀なのだと(本人は語らないが)見て取れる。もしかしたら付き合いで外に引きずり出されているかもしれないが、それならまた日を改めればいい。まだクリスマスは終わっていないし、26日まではクリスマスだ。都合の良い時だけ僕のカレンダーはドイツ仕様になる。
「遠距離恋愛は大変でしょう。うちも単身赴任をしてた時代にね、女房とよく喧嘩してましたよ」
「喧嘩するほど会えてないんです。いつも会えなくて寂しいと、そればかり思っています」
「熱いねえ」
遠距離恋愛は今まであまりしたことがなかった。待つと言われるのも、待たせるのも、そしてまた僕自身が待つのも、あまり上手ではないと思っていた。手を延ばせば空虚が満たされて、同じものを見ていられる女性に惹かれた。でもそうではない女性に惹かれてその手を取ったとき、あれ、存外良いかもしれない、と思ってしまった。
僕の住む世界と彼女の住む世界は何から何まで違っている。気温も、緯度も経度も、食べ物の風味も、言葉も。8時間の壁を越えて電話をして、1週間のタイムラグを経て手紙を送る。お世辞にも僕はマメな方ではないし、僕が思う寂しい、の3倍くらい、彼女には寂しい想いを強いていることだろう。もしかしたら心無い人物に適当な嘘を吹き込まれているかもしれないし、遠距離恋愛なんてやめておけと善意からくる忠告の餌食になっているかもしれない。きっとすべて彼女を想ってのことで、彼女が愛されているから、僕のようなひどい男はやめておけと人が繰り返し言うのだ。そうした言説を聴くに及んで、僕は彼女が愛されていることを痛感して言いようもないほど嬉しくなる。僕にはそうした不遜なところがあった。彼女は愛されるべきだ。この世の全てに肯定されるべきだ。僕が彼女を愛するのと同じくらいに。
ノンアポだったのは、予想以上に仕事が立て込んで郵便局に行きそびれたからだった。本当ならクリスマスカードを送るつもりだった。絵葉書を買って、汚い字で会いたい、と書いた手紙を、どうしてもクリスマスに間に合いそうにないから実際に持ってきたのだ。顔を見て渡せば、遅れたことを詫びるのも幸せな気持ちでできるかと思った。
「会えるといいですねえ、お兄さん」
「きっと会えますよ」
会えないなんて選択肢は僕の中にはなかった。ねえ、千景さん。僕が会いに行ったら、君はどんな顔をするだろうか。きっと少しとっちらかって、動揺して、顔を真っ赤にするだろう。でもきっと僕に帰って、とは言わないだろう。寂しかった、と告げたら、優しい君はきっと僕を受け入れてくれる。抱きしめたときの感触を反芻して、本当に寂しくなってきた。こんなに自分が淋しがりだとは思わなかった。
「そこの角でいいんですかね」
「はい。ありがとうございます」
愛想のよい運転手は正確な運転で、寒々とした路上に僕を下ろした。走り去っていく車の後部をぼんやりと見遣る。息が白かった。手袋、どこに入れたかなあ。鞄のどこかにあるはずだが、立ち止まって手袋を探すよりは彼女の顔が見たかった。
『クリスマスカード届いた?』
そんなメッセージを送ってみると、思うより早く返信が来る。まだ来ていない。おかしいな、遅れてるのかな。そういうやりとりをしていると案の定、ちょっとメールボックス確認してきます、と返事が来たので、エントランスの前で待っていた。良かった、ちゃんと家にいてくれているらしい。エレベーターを降りて小走りでこちらへ向かってくる彼女。あ、少しやせたかもしれない。目が合ったから口元だけで笑顔を浮かべてみたが、全く気付かないようだったので軽く手を振ってみた。
彼女の口があんぐりと開く。予想外だったのはわかるが、あまりに無防備なリアクションに思わず本当に笑ってしまった。
「こんばんは」
「うそ……なんで?!」
「クリスマス休暇なんだ。仕事で日本に帰らなきゃいけなくて。折角だから会いに来たよ」
「も、もっと早く言いませんか、そういうことは」
「急な用事だったからね。久しぶり、千景さん」
油断しきった、とは言わないが、普段より少し彩度の下がった部屋着は本当に油断していたのだろうと推測する。それには彼女自身気づいたらしく、慌てて踵を返し、エレベーターに向かいながら「20分! 20分待っててください!!!」と裏返った声で叫んだ。少し悪いことをしたかなあ。やはり一言入れるべきだったか。あんなに慌てた彼女を見られたのは嬉しかったけど、僕の勝手さがこういうところで露見するのは良くない。取り敢えずは謝罪からかな、なんて思いながら待ち時間に煙草を吸う。日本に居る間は路上喫煙に煩いからなかなか吸えなかったし、煙草を吸っていると緊張も拍動も落ち着くような気がした。落ち着かせて、彼女の好きな美袋恭輔に頭のスイッチを切り替えなければならない。惚れてもらうための小細工は、小細工であればこそ、惜しんではいけない。
彼女はきっちり20分後に現れた。服を着替えて、少し化粧もして。そんなに気取らなくていいのに。どんな姿の君にも会いたいのに、とは思っただけで黙っていた。
「お待たせしました……」
「いいえ。お邪魔しても?」
「は、い」
「これ。渡したくて、持ってきちゃったんだ」
彼女は僕の意図を察したらしい。差し出した絵葉書を大事そうに両手で受け取り、そして一瞬眉を顰め、絞り出すような声で続けた。
「なにも準備してないですよ」
「そりゃそうだろうね」
「帰ってくる予定があるってことすら知らなかったんですよ」
「この帰国も2日だけなんだよ。週明けにはドイツに戻る。実家へも帰らない。それよりはあなたと居たいと思った」
「……恭輔さんは」
「ん」
その後は言葉にされなかった。千景さんがそっと距離を詰めてきて、袖口を掴んで頭を預けてくる。胸元に柔らかい髪が押し当てられて、ああこれは結構積極的な真似をされているな、と思った。そのまま空いた方の手で背中を撫で、肩へ手を滑らせると抱きしめる形になって、ここがエントランスだということを一瞬忘れた。
やっと抱きしめられた。今日も長かったけど、ここにたどり着けたのだから、いいか。
「待ってました。ずっとここで待ってました。こうやってずっとあなたのこと待ってた」
「僕も待ってたよ、ずっとこうしたかった。千景さん、顔あげて」
「や、です」
「涙拭かないと」
「泣いてないです」
確かに彼女は泣いていなかった。肩が僅かに震えていたのは怒っているのでも泣いているのでもなく、嬉しくて笑っていたらしい。ふふ、と朗らかな声が漏れるから、逃げる余裕もないくらいしっかりと抱きしめた。ぎゅう、と音がするくらい抱きしめて、千景さん、と名を呼ぶ。はい、と返事が返ってくる。再会は思い描いていたよりもずっとずっと温かかった。僕の冷えた手が、彼女の柔らかな熱に溶かされて満足に動くようになる。月並みなクリスマスが、ほんの少し、好きになれるような気がした。
「いいの? パーティーには行かなくて」
「ノンアポで来た誰かさんのせいですよ」
千景さんは僕を部屋にあげてまず、絵葉書を大事そうに机の上のメモスタンドに挟んだ。見れば送った写真もきれいに管理されていて、ここで待っていたと言う台詞には何の虚飾もないことがわかった。コートを預かってくれて、促されるまま腰かけると紅茶でいいですよね、と訊かれた。
「千景さんの好きな方でいいよ」
「ちょうど紅茶を淹れたところだったので」
「じゃあ、それで」
「……全部断っちゃいました。っていうか、どうしてパーティーに行く気だったってわかるんですか」
「玄関。余所行きの靴が出てた」
「相変わらず鋭いんですね」
欠片も嫌そうではない声音で彼女が言う。僕はトランクケースから、2枚のタオルに包んで持ってきた酒瓶を出した。ポットを出してきた彼女が目を丸くする。やはり、手土産はこれ以外考えつかなかったのだ。
「アスバッハ!」
「千景さんと言えばこれだろうと思ってね。お土産だよ」
「ありがとうございます……すごい、現地のものなんですね。ラベル全然読めません」
「日本で買うより断然安いんだ。免税範囲が決まってるから、それだけでごめんね」
「全然!」
彼女は喜びながら戸棚へ酒瓶をしまった。少し背伸びをして、指先を掠めるようにして戸棚の奥へ。他者の生活空間の中に身を置くのは緊張するが、彼女のテリトリーだからか、不思議と安らぐのが印象的だった。湯の沸く音、紅茶葉をカップに散らす音。僕らの間に会話は少ない。何から話していいか戸惑っている。本当は星の数ほど話したいことがあるくせに。
「前に話してからどんな生活してたの」
「いろいろですよ。インタビュー対談したり、友人の結婚式に行ったり。お仕事もしてました」
「新刊買ったよ。なんだろう、なんだか誇らしかった。とても面白かったし」
「そんな……ありがとうございます」
本当はもっと言いたいことがあった。あのセリフが良かった、あの展開は裏切られた、この一節、君を思い出した……でも千景さんはそれを僕に望んでいるのかどうかわからなかったから、曖昧に言葉を濁しておく。仕事の話は仕事を離れたらしない。それよりもっと言葉を尽くして、傍に居ることを享受しなければ。もし彼女が望むのならば、いつだってあの本に関する感想を書いて送りつける。メールでも電話でもメッセージアプリでも。
「千景さん。お湯、放っといても沸くよね」
「はい?」
「おいで」
手招きをして隣に座ってもらう。後ろを向いて、と言うと何の疑いもなく僕に背中を向けてくれたので、遠慮なく抱き着かせてもらった。一瞬悲鳴のような感嘆詞が漏れるが、そのままにしていると多少体が熱くなるくらいで怒られはしなかった。
「もう少しこのままでいたい」
頬を擦り合わせるようにして軽くキスを落とす。顔を見られるわけにはいかない。きっと僕も彼女に負けず劣らず緩み切った顔をしていることだろう。
彼女の声が聴きたい。彼女の言葉を全身で感じていたい。言葉選びに長けた彼女が、僕にどんな言葉を投げかけるのか。
言葉はいらないんじゃない。ただ溢れてくる感情が言葉に追い付かない。だから彼女が次に口を開くまで、僕は溢れてくる感情を胸いっぱいに浸しながら彼女のことを抱き続ける。夜が更けるまで、紅茶が冷めるまで、彼女が眠りにつくまで。
Frohe Weihnachten!
Ende