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『ミツユメ』試し読み

Posted by @hanaitoka
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2017-01-12 11:11:17

第4回文学フリマ大阪より頒布開始『ミツユメ』(文庫/126項/600円)



 先生はなにかしらよく絡まれる。あるときは通学路になっている駅前商店街のひとだったり、あるときは学校近辺を縄張りにしている猫集団だったり、あるときは近くにある違う学校のちょっとやんちゃな高校生だったり。道を聞かれているところもよく見かけるし、お礼だとかなんだとかで主にお菓子などの食料をもらっていることもまた多い。もはやあれは構われ体質という一種の才能なのかもしれないと思っている。
 今朝だって、校門前に立って挨拶をしている先生が先輩数人に絡まれているのを見た。特別顔が好いというわけでもないけれど、やさしくてちょっぴりぼんやりしていてボケている歳若い先生は、女子生徒からの支持率が大変よいのだった。

「さわちゃん寝癖ついてるよ、ここぉ」
「ほんとだ、かわいい」
 本日の先生は、すれ違う生徒にほぼ毎回と言っていいほど頭を指さされて同じ言葉を頂戴している。今朝の校門でも複数の生徒から同じことを指摘されていた。右側の後頭部あたり。そこだけがびよんと強くはねている。知ってるから言わないで、と恥ずかしそうに笑いながら寝癖を抑えて先生は階段を下りていった。階段の途中で手を離したせいでまた寝癖がぴっとはねて、下りるたびにはねる毛先が見えた。
「佐和先生?」
「んー」
 廊下でのやり取りを覗き込んでいた首を引っ込める。ストローを銜えたまま返事をしたら「行儀悪いよ」と指摘されたので、反抗心でガジガジそれを噛んだ。
 四限終わりのチャイムがなると途端に廊下も教室も騒がしくなる。購買組や食堂組が競って廊下を走る。一気に廊下に流れ出た生徒の群れの中を、隣のクラスで授業をしていた先生が器用にひとを避けながら歩いていくけれど、周り(主に派手なグループの女子たち)はそれを許さないかのように先生の足を止めにくる。ここがグラウンドでこれがサッカーの試合中なら、とても優秀なディフェンダーだったと思う。つい二週間前の席替えで廊下側の席になったおかげで先生の観察がしやすくなってから、ほぼ毎日この光景を眺めている。
「寝癖かわいいって私が知ってるだけでも十二回言われてる」
「なんで数えてるのこわい」
 私が二週間前からはじめた新しい日課で忙しい間に、腹を空かせた友人は机を向かい合わせにくっつけて、千鳥柄の弁当包みの結び目に今日も苦戦していた。毎日きつく結ばれているそれを解くまで一分近く時間を要す。お弁当が毎日用意されているだけありがたく思いたまえよ。私はいつもそれを助けない。
「朝から先輩たちに言われてた」
「うん、……んん、かったい」
「どうやっても直んなかったんだって」
「ほぉん……あっ、もう、爪割れたし!」
「でも先輩たちに言われるよりも前に、警備員のおっちゃんにも言われてた」
「ふぅん、……ああもう嫌がらせなのかなほんと」
「寝癖ひとつで構われるってすごいよね」
……はあ、やっと解けた。うん、あんたのストーカー気質も相当すごいと思うけどなあ、引くわあ」
 心外だ。訴えるように、ストローをさらにガジガジと噛んだ。


 今年の春。
「現代国語担当の佐和です。よろしくお願いします」
 高校二年生になった私たちの前でそう挨拶をした先生の第一印象は、男のひとなのにきれいな字を書くひとだな、だった。クラスメイトの女子たちは授業が終わってからしばらくの間きゃあきゃあしていたけれど、私はそれほど興味も関心もなくて、むやみやたらに構ってくるようなタイプでなければいいなと思うくらいだったのだ。
 春が早々に過ぎた梅雨の時季。月曜日からずっと降ったり止んだり、すっきりしない日が続いていた週の、水曜日。その日も前日の深夜から降り始めた雨が朝まで持ち越されていた。昇降口で傘を閉じ、軽く振って水分を飛ばしていたとき。ふと顔を上げた先で、全身ずぶ濡れの人影が昇降口に近づいてくる光景が目についた。一瞬不審者かと思われたその影は間違いなく先生だった。校舎に入るなりタオルで拭いているけれどあまり意味がなさそうなほどのびっしょりだった。
 私が籍を置いている特別進学クラスは登校時間が他のクラスよりもずっと早い。だからこうして時々、先生の出勤時間と登校時間が重なることがある。昇降口には私のほかにも部活の朝練で早くに登校してくる生徒が数人いて、先生の、その見事なまでの濡れネズミっぷりを放っておくはずもなく。あっという間に「さわっちどうしたのずぶ濡れじゃん!」という声に囲まれていた。先生が気恥ずかしそうに何かを喋る。その声自体は聞こえなかったけれど、周りの女子生徒(おそらく先輩)の「ウケる! ひと好すぎ!」という無駄に大きなはしゃぐ声で真相はダダ漏れだった。傘を壊してしまった見知らぬおばあさんに自分の傘を差し出した結果、あの有様とのことだった。
 その全身ずぶ濡れ事件以降、なにかと先生を視界からピックアップしてしまう癖がついてしまい、今に至る。これはストーカーなどではなく、ただ気づいたら目についてしまうから仕方がないのだ。しかたがない。


 秋を認識するまでもなく冬が訪れてすっかり日常に染みこんでいた。空気が冷たく、人明かりだらけの都会でも多少は星がよく見えるようになるこの季節が、一年のうちでは一番すきだった。家を出るときにはまだ薄暗い朝の空も、学校から帰るころには暗くなっている夕方の空も。ツンとした冷たさが、日常の、雑多に溢れたいらないものに薄く幕を張ってくれる。今年も雪で交通機関はたびたび麻痺しているけれどすきだ。容赦なく肌を乾燥させていくけれど、それでもすきだった。
 期末試験が終わって、明後日から冬休みに入ろうとしていた。学校の図書館で閉館時間まで本を読んだり課題を片づけたりしながら時間を潰して下校する。地元の駅に着くとその近くにあるコンビニに入り、目的もなく店内をうろうろしていると入店してくる先生を見かけた。見かけたとはいうけれど、偶然に見かけたのではなく、今日ここに現れるであろうことを私はあらかじめ知っていた。
 毎月の同じ日、先生がそのコンビニに現れることに気づいたのは三ヶ月前からだ。駅の反対側にある花屋さんの袋と一緒にコンビニのビニール袋を提げて、先生はいつも同じ場所へ行く。
 交通量がそこそこ多いけれど、あまり大きくないただの交差点。
 その一角で先生はカップ酒と、一本の煙草をお線香のように供えて手を合わせる。ここで知り合いのひとが事故か何かで亡くなったのだろう。真相はわからないので憶測ではあるけれど。ここには先生をしつこく構ってくる女子生徒などいないから、私の代わりに真相を暴いてくれるひとがいないのだ。その場でしばらく手を合わせた後は、先に供えてあった古い花を回収して、代わりに新しい花を供える。そうしてまた去っていくのが先生の、月一で行っている習慣だった。
 それが今日はなかなか、手を合わせたまま動き出さない。
 コンクリートの地面の冷たさが、ローファーの靴底から伝わってくる。雨か雪でも降りだして来そうな空の下で、とうとう先生は顔を伏せてしまった。
 交差点の近くにあるコーヒーチェーン店の軒下で、待ち合わせを装って私も動き出せず留まる。首元を触っていく冷たい風に、マフラーを何度か巻きなおした。こんなに寒いのに。
 そのうち本当に雪が降りだした。雪と呼ぶには水分の多い、みぞれに近いものだったけれど。まだ先生は動かない。すっかり冷え切ってしまった両手に、はあー、と息を吹きかけて両手をブレザーのポケットに突っ込む。足元が寒い。駅の方向から流れてくる帰宅途中の大人たちが、うずくまったままの先生を見て、通り過ぎる。先生のダッフルコートの色が少しずつまだらに変わっていく。
 普段あれだけ構われるのに、こんなときだけ誰も先生を構わない。不審物を見るような目で先生を見て通り過ぎていく。見もしないひともいた。そんな目で見るなら傘の一本でもあげればいいのに。声のひとつくらい。こんなにさむいのに。このひと、もう三十分近くこうしてますよ。だれか。傘。
 右肩に下げていた鞄を左肩に持ち替えようとしたときに、鞄の中で何かが弾む感覚が伝わってきた。どうして忘れていたのか。ここにあった。鞄の中に、折り畳み傘が、紺色の傘が、たしか。
「せんせい」
 一度目に掛けた声は自分でも驚くほど掠れていて、先生には届かなかった。もう一度、次は少し大きくはっきりとした声を意識して呼んだ。
「佐和先生」
 呼ばれて顔を上げた先生はまず最初に制服が目に入ったようで、ジャケットの胸元にある校章から辿り、それから、私の顔を見る。
……あ、松谷さん」
 三秒ほどのタイムラグがあってようやく認識された。
 折り畳みの傘はひとりでいっぱいいっぱいだったけれど、濡れている先生に傘をあげられるのは今ここに自分しかないのだという変な使命感のようなものに駆られ、先生の隣に腰を落としてひとつの傘にはみ出しながら収まった。
「大丈夫だよ、気持ちだけで。ありがとう。松谷さんが風邪引くから」
 小さな傘の中で静かな譲り合いの押し合いを三回ほど繰り返す。私はちっとも譲らなかった。引くに引けなかったともいう。視界の隅に濡れたカップ酒と煙草がちらつく。傘の内側で先生の顔に、それからおそらく私の顔にも、紺色のフィルターがかかっていた。先生はもともとの色が白くて、その白さに紺色が混ざっている。それが、たとえば私がいま指で先生の額を弾いたらそこからヒビが入ってぽろぽろ砕けてしまうのではないかと思うくらいには、心もとないもののように見えた。
……事故ですか」
 押し返そうとして傘の柄に加わっていた力が、明らかに緩んだ。
 先生は水に濡れてしなしなになってしまった煙草を摘み上げて、授業で聞くよりもずっと静かな声で肯定した。
「そうだよ。三年前にここで事故があって、ひとが亡くなった」
 三年前。記憶を手繰り寄せてみても、通っていた中学校は駅方面とは逆の場所にあったのでこの近くを通ることがほとんどなかった。
「友だちですか」
「友だち……うーん」
 私の質問はどうやら先生を困らせてしまったらしい。困ったときに襟足のところを触る癖は無自覚なのだろうか。悩んだ末の回答は「友だち、みたいなひとだったかなあ」というとてもぼやけたものだった。大学時代に知り合って、ルームシェアに巻き込まれて一緒に生活していた同居人。先生は改めてそう教えてくれた。それを友だちと呼ばないなら友だちとは何なのか。難しい問題にぶち当たったので深追いするのはやめた。
 先生はしなびた煙草とカップ酒をコンビニ袋に入れながら、言う。
「命日なんだ、今日」
 吐き出す白い息に半分溶けてしまうような声だった。そしてそう呟いたきり、何も言わずにもう一度手を合わせる。私もそれに倣って、傘を持つ手にもう片方を添える形で手を合わせた。傘の上で撥ねる、ぼつぼつという水の音がよく聴こえた。もうみぞれは雨になっていた。

……せんせい、足痺れました」
 先生の気が済むまで黙っていようと我慢していたけれど、両足の裏がびりびりとさきほどから痛みを訴えているのに耐え切れなくなって声をかけた。
「あ、ごめん。待っててくれたん」
 一瞬。声に西の訛りが混ざっていたのが新鮮で、立ち上がろうとする先生の反応に追いつけず傘の骨に頭をぶつけさせてしまった。立って並ぶと当然ながら先生のほうが背は高く、余計に窮屈になった傘の中から今度こそ先生が出ていく。
「傘、ありがとう、助かりました。家この近くだからもう大丈夫だよ。というか松谷さんいまさらだけどこんな時間まで何してたの、部活?」
 そういえばこのひとは教員だった、と思い出す。忘れていたわけではないけれど、傘の中にいた先生は先生ではなかったような気がしていたから、やっぱり忘れていたのかもしれない。
 傘を弾く水の音が強くなってきた。先生のコートにはあっという間に水玉模様が増えていく。車が水たまりを踏みつけながら、ヘッドライトで先生の頬を照らしては走り去る。
 ぼつぼつぼつ。
「もう真っ暗だし、早く帰らないと家のひとが心配するよ」
 ぼつぼつぼつぼつぼつ。
「寂しいですか」
 さようなら、ではなく口を突いて出てきた言葉が、先生の説教を止めた。
 ぼつぼつぼつぼつぼつぼつぼつ。
 傘を弾く雨の音でもみ消されそうなくらいの小さい声で、先生は言う。


「未亡人ってさ、なんか変な色気あるよね」
「唐突すぎてついていけない」
 野菜ジュースのパックを折りたたむ。今日も今日とて、向かいに座る友人は千鳥柄の弁当包みに苦戦していた。
「兄ちゃんの部屋にあったレンタルビデオにも何本かそういうのあったし」
「あんたの兄貴のシュミなんか興味ないし知りたくなかったよねなんなの」
あの日の翌日、学校ですれ違った先生はいつもと変わらない様子だった。すぐに冬休みに入り、年が明けて三学期が始まると受験本番シーズンを迎え、三年生や三年生を担当する先生たちまでピリピリとした雰囲気を出している中でも、佐和先生は相変わらずぼんやりしてどこかボケていた。今日も朝からすれ違う生徒に一言二言の声をかけられていく。
 ずっとさみしいよ。
 返してくれたたったそれだけの言葉に、先生の気持ちが全部詰まっていた。弱々しく彷徨よっていまにも崩れそうなのに、慈しむことをやめられない。先生の観察を続けてきた中でも見たことのない、あんな顔もするひとなのだと新たな発見をした。
 先生が構われ体質なのは、大事なものをなくして危なげにふらふらしているのを、周りが見ていられないからかもしれない。
 あの雨の日に聞いた話は、私以外に誰も知らない。あれは、あの顔は、私だけが知っているのだと変な優越感を抱くのと同時に、それに浸ることなく思い知らされてしまう。先生をずっと掴んでいるのは、名前も知らない誰かなのだということを。



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『ミツユメ』 より 『名無しの亡霊』


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