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聖夜の密室事件

全体公開 1 6662文字
2017-01-14 00:40:31

クリスマスに無料配布したPDF再録。もらってくださった方ありがとうございました。東郷芳春と美袋恭輔は仲良しではありませんが友達です。

Posted by @smbrfubuki

 ありがたみのない再会というものは、非情なようだが世の中にはよくよくあることだ。
 例えば同窓会、クラス会、成人式でもそうだが、芳春のような人間にとってそうした会合はひたすら意気消沈し、疲弊し、精神を摩耗させるストレス以外の何物でもない。懐かしい友達とは、会ってすぐに打ち解けられるような10年ぶりの知り合いではなく、実際に会っていなくてもいつでも連絡を取れる友人のことを言うのだ。言葉を交わさなくても、特別な約束を取り付けなくても、いつでも話せる間柄。
 であればこそ、大学の名前を聞いて目の色を変える高校の同級生女子も、どこか嫉しげな視線を送ってくるクラスの人気者だった男も、友人と数えるには不適。……芳春の寡黙な脳みそはそう判断した。
 姉はかつて、成人式で疲弊して帰って来た弟を見て、どうしてそう壁を作るんだお前は、と心底不思議そうに吐き捨てたことがある。芳春に言わせれば姉こそ、自分の周りに防塁もかくや、と言えるほどの堅固で高い要塞を築くくせに、難攻不落の鉄の女と仇名されるのを本人が知らないわけがないのに、この女に人との間に壁を作るなと言われるなど予想外中の予想外であった。そして地味に落ち込んだりもした。確かに姉は特殊な仕事をしているし、仕事柄同僚や同期と呼ばれる存在をことさら重視する性質でもある。きっと芳春が知らないだけで、仕事を介して得た貴重な人脈がわんさかあるのだろう。知らないが。知りたくもないが。
 兎にも角にも、東郷芳春という男はそういう男であった。一言でいえば友達が少ない、厳密に言うならば友達というものを複雑に考えすぎる悪癖があった。
 少年漫画に描かれたような竹馬の友、刎頸の交わりは創作物にのみ許された架空の美徳である、故事にも等しいものであると、理性的にはそう判断することができるのに、やはり不実な関係や不正確な関わり合いには誠意がないと感じた。ただの我儘であることはわかっているが、そうまでして関係を築きたいとも思ってこなかった。一人は気楽で良い。それに、人と関わらずともベランダで咲く花の世話を焼いたり、手ずから育てた野菜を贅沢に食卓の彩りとして並べたり、そうしてマネジメントする日々の暮らしに不自由がなかった。ならそれでいいではないか、と思う。誰にも疎まれず、後ろ指を指されることもなく、一人きりの背中を丸めて生きるのも。



「クリスマスに一人で残業か。君も物好きだな」
 喫煙所から出て来たと思しき男はネクタイをしていなかった。それがまず目を引いた。夏じゃあるまいし、そして町役場じゃあるまいし、随分と楽な装いをしているものだ。人と会う機会の多い役人にはなかなかいない、と言うかその顔からして見慣れなくて、芳春ははあ、と気の抜けた返答をした。
「土曜日までご苦労なことだ」
「お互い様では?」
「僕は仕事ではないんだ。久々に帰って来たから、顔を見せに来ただけで」
……ああ、そうなんですか」
「東郷くん。随分とそっけないけど、覚えてないのか」
 芳春は完全に初対面の体で話していたが、どうやら面識のある相手だったらしい。明らかに相手は芳春より年嵩の男であり、嫌味なほどに洗練された物腰でニッコリと微笑んで見せた。何度見ても見覚えのない顔だったが、芳春は基本的に人の顔をあまり上手に記憶しない。何か付加情報があれば容易く結びつけられるのだが、極めて顔立ちが端正な方であるという以外にはさして特徴のない男だった。芳春は素直に首をかしげた。
「すみません。どこかでお会いしましたか」
「君は相変わらず素直だな」
「すみません」
「美袋っていう珍しい名字を聞いたことは」
「あっ……あっ、外務省の美袋さん」
「昨日ドイツから帰って来たばかりだよ。相変わらずだな東郷くん」
 呆れて肩を竦めてみせる嫌味な仕草が板につく男だった。そこで芳春は漸く思い出した。一度、上の人間について訪れた委員会で見かけたことがあったし、なんなら名刺をもらったことがあったように思う。忘れていた芳春にも一応言い分があった。その席でしこたまワインを飲まされて軽く記憶を飛ばしたので、美袋のことは殆ど印象に残っていなかったのである。美袋だけではない、その夜起こった全てのことが記憶にないのだから。
 そうかこの人普段はドイツにいたのか、と今更ながらに芳春は思い知った。そしてドイツという国の印象を必死で呼び起そうとしたが、普段日本で生活し、経済活動にしか関心の向いていない彼にとって、彼の国は欧州銀行の所在地、くらいの情報しか出てこなかった。
「すみません。その節は」
「いやいいんだ。僕も調子に乗って飲ませすぎた」
「全く記憶がなくて」
「だろうな。秒速で潰れていたし」
「お帰りなさい、お疲れ様です」
「いいよ、そんな杓子定規な挨拶は。そちらこそ、お疲れ様」
 杓子定規なのはお互い様ではないだろうか。芳春は美袋がどこに向かおうとしているのか探るように見遣ったが、美袋もまた芳春の動向を伺っているようで自分から動こうとはしなかった。芳春は踵を返し、喫煙所の横、エレベーターを呼んだ。休憩ついでにコンビニにでも行けば、流石についてくることもないだろう。しかし美袋はまだまだ話足りないとでも言うように、呼んだエレベーターにつかつかと乗り込んで来た。
……どちらまで?」
「コーヒーでも奢ろう。クリスマスまで頑張る東郷くんにサービスだね」
「別に。明日は休みですし、自分も今日働くのは何ら想定外じゃないです」
「そう言わずに」
 芳春は訝しげな顔を隠すこともなく、自らの背後に立つ男がエレベーターの中に入るのを待った。そして1階のボタンを押し、ふうと小さなため息を吐いて文字盤を見つめた。単に会話がしたくなかったのだ。面倒臭い、そして余裕もない。仕事はできるのだろうが、安心感や安定感といったものとはつくづく無縁そうな男だと思った。芳春の好む大人の類ではない、と本能的に判断してしまった。
「東郷くん」
「何でしょう」
「当てようか。君はコーヒーが嫌いだろう」
……確かに選べるのなら紅茶の方が好きですが、それとこれと何の関係が」
「いいや。僕と一緒だから。何となく」
「お互い好かないのにコーヒーを奢ってくれるんですか」
「何もコーヒーじゃなくてもいい。今日のコンビニには紅茶やココアだって売ってるし、美味しい淹れたてが飲める。日本に帰ってくるたびに楽しみにしてるんだ」
 200円かそこらの安価なコンビニ飲料を嬉しそうに飲む美袋をうまく想像できなくて、芳春は口元だけで笑った。ミスマッチだ。いかにも異国人ばかりの喫茶店で、何語かもわからないような新聞を小脇に一息ついていそうな男が、そんな安価なものを好むなど。
 意外ですね。そう言おうとした芳春の言葉は、けたたましい警戒音にかき消された。
「えっ」
「えっ」
『緊急地震速報発令。緊急地震速報発令。エレベーターを急停止します』
 ぐらぐらぐら、と一瞬、大きな揺れが来た。さすがに立っていられず二人してしゃがみこんでしまったが、幸いにも揺れはすぐ収まる。震度は4ほどだろうか、近頃ではあまり体感しない大きなものだった。ワイヤー一本のエレベーターの中だから余計にそうなのだろう、しばらく足場が安定せずそのままぺたんと座り込む。散々だ。俺が何をしたって言うんだ。芳春は大げさなため息を今度は隠しもせず大げさに吐き出す。不機嫌と寝不足による体調不良が一緒になったような重苦しさに、美袋がすかさず大丈夫だよ、とフォローを入れた。
「すぐ動くよ。まあ、連絡は取るに越したことないけど」
……ついてないですね」
「相変わらず東京は地震が多い」
「こればかりはどうしようもありません」
「新鮮だよ。あそこの国にいると滅多にないから」
「テロの代わりです。日本ではテロこそありませんから」
「大事なことだな」
 皮肉としては受け取らなかったようだった。美袋はエレベーターの手すりを伝って立ち上がり、手の届く範囲のボタンを押して管理会社に連絡を試みた。が、おそらくはこの地震で急停止したエレベーターで回線が混み合っているのだろう、なかなか繋がらず携帯電話でどこかへ連絡を取った。
「東郷くん。今から言う番号に連絡を」
「はい?」
「守衛の番号を聞いたから。とりあえず、俺たちが取り残されてることは後輩に連絡した。かけてくれ、言うよ」
 言われるがままに番号を押す。守衛にはすぐ繋がった。そしてエレベーターが動作を停止したこと、取り残されたことを伝えると慌てて操作を試みてくれた。
『すみません。すぐ復旧しますので』
「よろしくお願いします」
『折り返しのご連絡先をお伺いしてもよろしいですか』
「はい。つ−−「外務省の美袋です。番号は……
 芳春の携帯をそのまま奪い、美袋は守衛と会話を続けた。芳春は開いた口が塞がらなかったが、不慣れな会話を肩代わりしてくれるのなら安いものだ。芳春はこうして仕事外の電話をかけるのがどうにも苦手だった。仕事という正当性を得られないまま受話器を握るのも、何か要望を電話越しに伝えるのも。……美袋の行動は社会人として癪に触るの半分、助かったと言う安堵と感謝が半分といったところだろうか。
「非常識ですね、美袋さん」
「いやあ。君があまりに嫌そうな顔をしていたから」
「嫌は嫌ですが、自分の携帯を人に使われるのはやはり」
「悪かった。この通りだ」
「頭くらい下げましょうよ」
「別に悪いとは思っていないからなあ。物分かりの良すぎる後輩を気の毒に思っただけで」
 誰の言うことを聞いてやったと思ってるんだ。……芳春はツッコミを入れるのも放棄して肩を竦めた。その動作は彼自身気づくこともなかったが、機嫌の悪い時の恭輔によく似たものだった。恭輔はもう一度、壁にもたれるようにしてついてないね、と言った。その口調に芳春を攻める気配はかけらも感じ取れない。只者ではない、官僚には変人が多いが、この男はおそらくその変人の中でもかなりの異彩を放っていることだろう。
「実際を言うと……助かりました。仕事を離れて初対面の人間と電話するのは嫌いです」
「そんな顔をしていたからね」
「もう少しやりようあっただろって思いますけど。ありがとうございます」
「礼には及ばないよ。僕は別に気にしていない」
「一応後輩なので。て言うか聞けおっさん」
「大差ないよ。何れにせよこの組織じゃまだまだカバン持ちにもなれない。お互い苦労するね」
 意外だった。もっとハングリー精神に満ち溢れた人間かと思いきや、ねぎらいの言葉をかけられて芳春は戸惑う。都合の悪いところは聞こえないふりをされたが。
 不思議な男だ。頼り甲斐があるようで、根底の部分がどこかふらついている。知的なのに他者に何かを教えようという概念が希薄。芳春も職業柄、自分のことを一番だと思っている人間にはたくさん会ってきたが、そしてどちらかと言うと彼自身の姉もまたそういう傾向があったが、美袋のプライドはなんとなく、それのどれとも違う気がして新鮮な気分だった。
 徹底して自分のことしか考えない奴って案外嫌いじゃないかもしれない……悪し様に罵りながらでは説得力もないが。
「まあ、連絡はしたわけだし。世間話でもしようか。チョコレート食べるかい」
「いえ、甘いものは……どうせあれでしょう、外国の死ぬほど甘い奴でしょう」
「よく知ってるね。歯が溶けそうだ」
「なんでそんなもの持ってるんですか。口に合うもの選びましょうよ」
 美袋は紫色のパッケージを真ん中から半分に折り、芳春に投げてよこす。芳春はそれを受けとって口に入れ、あま、と呻いた。甘い。四捨五入すれば揃って30歳になる男二人がチョコレートを齧って甘さに悶えるって誰が得する構図なんだろうか……芳春はこっそり心の中で嘆息した。
「本当は彼女にあげようと思ってたんだけど。彼女、こんな甘いの好きかな。酒飲みだから微妙だなあ」
「彼女さんがいらっしゃるんですか」
「今回の帰国、実は彼女に会うついでなんだよ。……今日の夜に突撃する算段だったんだけどな」
「仕事はどうなんですか」
「この時期のドイツは誰も仕事なんかしてないよ。クリスマス休暇でね」
……遠距離?」
「まあそう言うことになる」
 こんな男と遠距離で関係するのは大変だろうな。……芳春は自分自身を高い棚に上げてそんなことを思うのだった。
「続くものですか。遠距離って」
「続かせようと思っているうちは続くんじゃないか。僕も彼女も本来的には恋人がいなくてもうまくやる性質だろうし。まあ恋人がいないと何もできない連中には無理だろうな。君は?」
「いませんよ。あまり関心がなくて」
「そんな顔をしてるなあ」
 どんな顔だ。すっかり文句を言いながらチョコレートを食べ終えた芳春に、美袋は間髪入れずティッシュを差し出した。それは紙ナプキンと見紛うほど分厚く、芳春には読めない言語が記されていた。ありがたく少し溶けたチョコレートを拭い、パッケージを突き返す。
「ああ、すみません……ドイツ語ですかこれ」
「いや、デンマーク語」
「まあどっちでもいいですけど……なんて言うか、美袋さんは紳士的ですね。失礼で勝手なのに」
「相手が君だからだよ。彼女にはもっと優しい」
……なんで俺だったんですか?」
「いやあ。君ともっと話してみたかったんだよ。初対面の時はあまり話せなかったし。そしたら自分のことを忘れてるし、これは不届きな後輩に嫌味の一つでも言おうと思って」
「性格悪い」
「君には言われたくない。並みの先輩ならさっきの発言で十分喧嘩になってる」
 ははは、と美袋は笑った。そして芳春も、つられて笑う。初対面のことはうまく思い出せないが、彼らにははっきりとした共通点があって、そしてそれが唐突に理解できたからこその笑いでもあった。
 賢い人間が好きだ。それは年齢や性別に関係がない。自分が一番だと思っている、その矜持が好きだ。自分の尊さを内に秘めた人間こそが、敬意を表するに値する。それは自分もまた、自分の価値を理解しているから、自分ができると思っているから。
 なるほど、変なところが似ているから目をつけられたのか。そう思うと芳春は複雑だったが、腑に落ちた気もした。
「エレベーターに閉じ込められて喧嘩できるほど馬鹿じゃないです」
「そうだね、君は聡明そうだ」
「名刺。お渡ししておきます。今度は忘れないように」
「ああ僕も。裏にエレベーターの中で語り合った人とでも書いておいてくれ。日本語のを切らしてるから、あっちので申し訳ないけど」
……日本語のを持ち歩いてないの間違いでは?」
「驚いたなあ。なんでバレるんだろう」
 似た者同士だからだ。手間を省き、効率を重視するならば、自分があなたの立場ならそうするだろうから。芳春はそんな本心を飲み込んだ。そして、改めて正面から美袋の顔を見た。整った顔立ち、意地の悪そうな表情。こんな人間がいるなら、もっと早く懇意になっておくべきだった。
「お、動いた」
「ほんとですね」
 エレベーターが品のない駆動音を立てて動き始める。二人は立ち上がり、簡単にスーツを手で払って襟を正した。密室の非日常は終わりだ。時間にすればたかだか15分ほど、しかしこの15分で貴重な出会いを得た気がする。
 1階につき、扉が開くと警備員たちが申し訳なさそうに立っていた。大丈夫ですよ、と彼らの謝罪をかわし、外へ出るとコートを忘れたことに気づいた。今から取りに戻るのはなんとなく面倒臭い。思わず足を止めると、美袋はジャケットのポケットから手袋を出してきた。
「ないよりマシだろう。使ってくれ」
……すみません」
「もう知り合いだからな。優しくするよ」
「人並みで結構です。打算の優しさなんて不要ですよ」
「はは。君のそう言うところが好きだよ僕は」
 何が嬉しくてクリスマスに三十路のおっさんから告白されなければならないんだ。そう思いながらありがたく手袋を嵌める芳春は、自分の手よりも明らかに一回りは大きい布地の余白に、嫉妬とも苛立ちともつかない小さな舌打ちをして見せるのだった。
 東郷芳春25歳のクリスマス。珍妙な友達ができた、と姉に言ったらまた馬鹿にされるだろうか。


END


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