@smbrfubuki
吹雪いた日の話
【side Kyosuke, Sota】
上司がうざい。上司が面倒臭い。上司が狡い。上司が……笠岡聡太の日常を尋ねると、彼の口からは決まってそうした文言が返ってくる。上司とは彼の赴任するここデュッセルドルフにおいて、有能な外交官として活躍する美袋恭輔その人であるが、対外的な……例えばイベントや公式行事において、外部の人間に接するときなどに発揮される総合的な人当たりの良さ、立ち回りの上手さをもう少し身内に発揮しても良いのではないか、と笠岡は内心思っている。
兎にも角にも美袋と言う男は自分勝手だった。平気で休暇を取り、繁忙期に隣国まで遊びに行ってしまう。日本人にあるまじき線引きの巧みさ、危機管理能力の高さ。残業には巻き込まれない、他人の仕事は手伝わない。全体としての利益を追求する組織において彼のような個人プレーが許されるのかと言うと、残念ながらそれ以上の成果を挙げているのでお咎めはない。それがまた笠岡にとっては癪にさわる箇所でもあった。笠岡は25歳という若者にしては極めて糞真面目な部類の人間である。中高と普通の公立進学校で真面目に取り組み、一応文系としては最高学府に次ぐ名門大で研鑽を積んでこの外務省へと入省した。勝手さや不真面目さといった類のものとは無縁の人生を歩んできたのだ。
美袋が不真面目なわけではない。ただ、成果をあげるという極めてシンプルな事柄でもって、周囲を納得させてしまう辣腕ぶりが笠岡は気にくわないと思っていた。6つも年上の男を相手に何を躍起になっているのかと思うが、それだけではないので許してほしい。
くだんの上司には最近恋人ができた。最近と言っても従来の彼であればすでに別れているパターンの方が多い、現在で交際半年といったところか。今度の相手は随分と根気強いし、情の深い女であるらしい。安定した仲の彼女のことをよく美袋は話題に上らせるが、それがもう犬すら唾棄に値すると眉を顰めるようなつまらない、そして胸焼けのする惚気ばかりなのだ。
先日の大晦日。総領事館の主催でちょっとしたパーティーがあった。当然正装でしかるべき公的な場ではあったが、普段ネクタイをしない美袋がどのような装いで来るのか笠岡は内心、不似合いな様相を笑ってやる気でウキウキしていたのである。実際現れた美袋は、真新しいPaul Smithのネクタイピンをして、聞いて欲しそうにジャケットのボタンを外し、気だるげにシャンパンを呷っていた。クリスマスに急に日本に帰るなどと言い出したので何事かと思っていたら……笠岡は呆れたが、挨拶をしないわけにも行かなかった。
「センスいいですね」
「あげないよ」
「いらんわ」
ついうっかり地元の方言が出たが、美袋は何も言わなかった。さして関心がないのである。よほど笠岡より胸元のタイピンの方が大事そうだった。
「彼女からでしょう。顔に書いてありますよ」
「ちょっと怒らせてしまって。ムキになって買ってくれたんだ、可愛いでしょう」
「きっと無責任で無神経な発言したんだろうなって思います」
「笠岡くんはエスパーなのか」
「エスパーじゃなくてもこれくらいわかりますからね」
「近頃の25歳は賢いなあ」
誰を心で引き合いに出したのか知らないが、25歳と言う随分乱暴なくくりで誰かと一緒くたにして褒められても全く嬉しくなかった。美袋さん、と呼びかけた笠岡の視線を真っ向から跳ね除け、自信に満ちた唇を三日月の形に歪める美袋の表情には幸せが滲んでいる。
クッソが。さっさと結婚しろ。
独り者の悲哀、惚気の掃き溜めにされる苦痛を奥歯で嚙み潰し、舌打ちを堪えた自分は大人だ。笠岡はため息をシャンパンと一緒に胃の奥へ流し込み、値踏みするようにフロアを見渡した。遠距離なんか続くわけないやろ。東京と大阪でも無理やったっちゅうねん。そう悪態をつきたくなったのはきっと、彼が酔い始めていたからだったに違いない。
仕事がひと段落したので、タバコを吸っていたらそんなことを思い出した。半月ほど前のことだ。新年になってから時間が経つのは速く、まさに光陰矢の如し。うかうかしていたらすぐに年度末で、桜が咲く頃にはまた花見フェスのようなものを主催して……前のイベントは美袋が仕切っていたが、美袋にはすでに言われている。次は笠岡くんが仕切ってね。僕は後ろでサポートするんで。楽をしたいだけではないか、と思う反面、日本という国を背負って開催するイベント、安易で軽率な失敗は許されない。それを任されるということの意味をわからないほど笠岡は幼くもない。
美袋は嫌な男だ。恋人として持つならまだしも、同業者としてあんな先駆者の世話になってしまってはたまらない。本当に実力がなければ、そしてやり遂げる根気がなければ、全てにおいて彼に劣ってしまう。それは決してプライドが許さない。
「クッソが。みとけよ」
喫煙者の悪態は空に吸われてぼんやりと立ち上っていくようにも見えた。実際は喫煙スペースの僅かに空いた天井を伝って、隣室の給湯室で紅茶を沸かす美袋の耳にも入っていたのだが、それを彼が知る由はなかった。
【side Senri, Yasuhide】
センター試験の実施日は、近年稀に見る暴風雪に阻まれて何もできなかった。
米湊千里のような大学院生であっても条件は同じである。年に数度、冬の決まった日に閉ざされる研究施設と、どうあっても潰さねばならない時間。たかが2連休だ。そして幸か不幸か米湊にはライフワークとも言うべき趣味があった。
ドラムセットの前に座っていると心が落ち着く。叩くものが決まっていて、リズムに乗ってカウントを刻み、足が麻痺しそうなくらいペダルを踏んで、左右の足の太さが変わるくらい筋肉をつけて……逆光の中、ステージから客席を眺めた時の不思議な浮遊感が好きだった。何も見えない、なのにあの向こうには確実に生身の人間がいる。その実感が息を吸うことすら忘れるほどの興奮を齎し、言語化できない衝動がつま先から髪の毛まで貫く。初めてあの味を知った高校時代からずっと追い求めている。自分の前で演奏する顔ぶれが変わってもそれはかわりない。知ってしまえば戻れないステージを照らす灯りに、汗を散らしながら恍惚とした。その瞬間だけは自分が無敵であるような気がした。
しかし現実は非情だ。しがない大学院生の一人暮らしにドラムセットなど維持できるはずもなく、それを置くスペースも設置する資金も、騒音対策の防音設備すら達成できない。雑誌を束ねて高さを変えて、スティックで叩き続ける雑な練習は嫌いだった。ただそうでもしないととてもじゃないが練習量が積めないからそうしているだけだ。音のしないドラムがあればいいのに。理系研究者にあるまじき無茶な空想を繰り広げ、米湊はゴロンとベッドに寝転がった。
ベッドサイドのデジタル時計は早すぎる朝を告げていた。寝起きは良い、昔から。だから研究室のまとめ役や、バンドリーダー的なことまで担っている。米湊より早くには誰もこないし、米湊の裁量を誰もが信用した。楽でいい、と思う。人が面倒臭がることを喜んで引き受けていれば、誰でもみんな彼の言うことを聞いた。一目置かれ、生きるのが楽になった。タスクが増えるのはこの際目を瞑って、である。独善的に、利己的に、自分勝手に物事を回すことができた。それがいいことだと彼は信じていた。
「……旅行したい」
米湊の趣味は音楽ともう一つ。何もないところへ旅に出るのが好きだった。
「だからってなんで俺なんですか!」
「持つべきものは地元ガイド。どうせ暇してたんだろ」
「してましたけど。彼女ブチギレですから責任とってください」
「嫌です。どうせ毎日飯作ってもらってんだろ。たまには外食しようぜ」
「外食ってレベルじゃねー!」
無茶苦茶な「どうせ論」に渋々付き合ってくれる研究室の後輩は、突発的な米湊の弾丸旅行に付き合わされて半ば悲鳴のような苦情を並べていたが、実際車に乗り込んでいる時点で説得力は皆無だった。雪の降り頻る国道375号線を走るアクアにはスノーチェーンが巻かれ、ガタガタと耳障りなまでの騒音を立てる。車内BGMに設定したどこかのアイドルのベスト盤が霞んでいる。せっかく持ってきたのに。後輩の恨みがましい主張は悲しいかなドライバーの耳には届かなかった。
「って言うかこないだ帰省したばっかりなんですけど」
「そうでしょうね」
「こんな暴風雪の日に山陰行くとか米湊さん絶対日本海を舐めてる」
「違う。日本海が好きだから行くんだ。いわば温泉を求めてるの、俺は」
「何が嬉しくって男二人で玉造温泉? 美肌の効能に期待するんですか」
「いいじゃん。彼女に喜んでもらえよ」
「うちの彼女は俺の肌がもちもちだからって喜ぶような変態じゃありません!」
漫才をしたかったわけではないのだが、哀れにも布崎康秀は米湊の直属の後輩であり、研究室内でも3年の付き合いがある気心の知れた仲だった。フリー、厳密には特定の相手はいるにいるのだが彼女ではないと言い張る米湊と違い、それこそ交際歴4年に及ぶ彼女がいる布崎は、必要とあらばしょっちゅう米湊に呼び出されている。迷惑な話である。元来大学での友人がそう多くもない布崎は、最近は彼女との約束を断るときに決まって米湊の名前を出しているし、実際迷惑ではあるが可愛がってくれているのなら、と彼女の方も公認に近い距離感で米湊との仲を肯定していた。当然、ブチギレているわけもない。布崎の考えすぎだった。それは米湊にも十分知れたことだった。
「ああ……バイト代が温泉に消える」
「よかったなあ。キャンセル待ちプランが出てて」
「懐石うまそうでしたね! いやそうじゃない」
「明日は出雲大社でも行くか」
「縁結びのご利益半端ないですもんね。米湊さんの分もお祈りしましょう、面倒臭い年増の女に引っかかりませんようにって」
「強大すぎる神力でお前が別れたりしたらどうしような?」
「うちの彼女こないだ行ってましたけど、職場との縁は本当に切れたらしいですよ」
縁結びのご利益などと言う非科学的なものを頭から信じているわけではない。二人とも信心は人並みで、強くも弱くもなく。しかしながらそうした非科学的な要素に縋ってみたくなることもある。非日常がそうさせる。旅先の神社には足を向ける、たとえ普段住んでいる土地で神前に参拝することなどなくても。
正月に帰ったとき、米湊は専ら研究が忙しいからと最低限以外は自室に引きこもっていた。そう言うと親も親戚も何も言って来ないことを知っていたからだ。親族の大半が高卒の家系で、大学院、しかも博士課程まで進むと言うのは想像を絶する異分子であるらしく、勉強を引き合いに出せば彼らは必ず口を噤む。便利なことだ。米湊はその隠れ蓑を利用して誰にも会わなかったし、何処へも行かなかった。親には顔を見せるが、叔母の顔は見たくなかった。叔母は彼の中でずっと時間を止めている。母と遜色ないほど歳をとった叔母を、叔母だと思って見るのがなんとなく嫌だったのだ。
縁結び、丁度いい。ついでに叔母との縁も切れないものだろうか。だって、今年も彼女はお年玉を用意していた。25歳の男に。
「縁切り祈願はダメかなあ」
「いいんじゃないですか? って言うか縁切りって物騒ですねえ。またストーカーですか? それとも今付き合ってる人と別れたいとか」
「彼女おらんからよー。いい加減そう言うのもう吹っ切りたい」
「え、女いらない? あの米湊さんが」
「いや、小ぎれいなお姉さんが欲しい。賢くて、綺麗で、素敵な人。10個くらい上の」
「童貞みたいなこと言わんでくださいよ」
「るっせえよお前の方がよっぽど童貞くせえよ一人しか女知らねえだろ」
「100人とやるより1人と100回やりたいんで俺は」
「そのまま渋木さんにぜひ言ってソレ」
「言えませんて! ……そんなんどれだけ弄られるか」
「末長く爆発してくれ。骨は宍道湖に撒いてやるけん」
米湊はうさを晴らすようにアクセルを踏み込んだ。フロントガラスに叩きつける雪の粒が大きくなり、タイヤの立てる騒音も大きくなる。ひい、と布崎は息を飲んだ。米湊さぁん雪道なんだからもう少しスピード落として、と震えた声が車内に響いたが、アイドルの歌唱同様に米湊の耳には入らなかった。
【Side Tadami, Taki】
休日出勤だった。そして晩の予定もなくなった。渋木唯巳は急に浮いた予定を持て余し、午後の仕事のモチベーションも高まらず、喫煙スペースで項垂れていたところを同期入社の神瀬多喜と鉢合わせた。
喫煙所に出入りする若手は数が限られている。自分たちより下の世代ではもはやタバコ自体、吸うものではないのかも知れない。同期の男の子の誰もタバコを吸わない、なんなら唯巳の恋人も吸わないのだが、すっかり覚えてしまった紫煙の芳香に鼻をひくつかせる快楽は知らない人間の想像を凌駕しているため、吸わないならそれでいい、健全な住み分けができるならそれ以上は求めない、と渋木の中では一本筋が通っている。
冗談みたいに寒い日だった。彼女らの勤務する旅行代理店は賑やかなポップを立てて学生スキー旅行の販促に余念がないようだったが、実際に市内で雪が積もるような寒波の日にわざわざスキーの予約をしにくる人間は酔狂と相場が決まっている。平常時の3分の1ほどの来客を裁いてしまうとあとは本当に暇だった。同僚と一緒に喫煙所に入れるのが何よりの証拠だ。ライター貸して、と渋木がいうのはいつものことだった。多喜は先日、恋人が職場から複数持って帰ってきた店名入りのライターをひとつ渋木に譲ることにした。
「あげる。貰い物だし」
「ありがと」
渋木は可愛い顔をしてメビウスなんて吸ってる。おじさんみたい、と思いながら多喜が吸うのもマルボロで良い勝負だ。初めて吸ったタバコがマルボロだったから、そのままマルボロ以外吸う気になれなかった。社内の誰かが持っているタバコは手持ちを切らした時に重宝する。譲り、譲られる関係。おかげで何人かの上司と不可思議な接点を持つことになった。喫煙者の数少ない優越である。渋木の指先で少しずつ燻り、その身を短く焦がす筒をじっと見つめる多喜は、今晩御飯行く? という渋木の誘いを何度も心の中で噛み砕いていた。
初音はなんというだろうか。今夜は一緒に食べなきゃダメだと言われるだろうか。でもここで連絡を取ったら恋人が女ってバレるかなあ。多喜は初音と違って、恋人が同性であることを職場には極力黙っていたかった。恥じたわけではない。ただ自分の置かれた状況を理解しているだけだ。無遠慮で浅薄な、自身に群がる男たちが、女同士で付き合っている多喜を知った時、不用意にその相手である初音を貶めたり自分たちの恋愛に異を唱えたりする様相を見たくなかったのだ。そうして自分たちの愛にケチがつくことさえ嫌だった。他人の低レベルな倫理観に合わせて話をしたくなかった。こういうところがきっと、不遜だと言われる証拠なのだろうな。優等生に見えて多喜は好き嫌いの表象に言葉を惜しまない。エネルギッシュな分、よほど初音より扱いづらいとは誰が言った言葉だったか。
「恋人との先約でもあるの?」
「先約っていうか、普段食べるのが基本っていうか」
「同棲してんだっけ」
「そんな感じ」
「ふーん。何年?」
「今で2年ちょっとかな」
渋木は4年付き合っていた。布崎とは学生時代の半分を一緒に過ごしている。それでも住環境はついぞ一緒にはできていない。別々の家から通うようにして時間を持った。お互いの、パーソナルスペースを重んじた結果といえば聞こえはいいが、彼女の物分かりのいい男は一度たりとも一緒に住もうとは言ったことがなかった。
「結婚すんの?」
「しない。できない」
「えっ」
「なんてね」
嘘のつき方ばかり上手になる。多喜はいたずらに笑って見せたが、事情は本当であるがゆえに真に迫った演技だった。今の日本の法律では同性カップルの結婚は事実婚でしか達成することができない。条例レベルでパートナーとして公的に認められる自治体もあるが、なんの縁もゆかりもない土地で二人きり生きていく決断はまだできない。若いから、若いと思っているから、まだ決断を急ぎたくはない。相手以外は考えられない、それだけは紛れもない事実だったが。
やばいなあ、もしかしたら聞かない方が良かったネタかも。渋木は持ち前の勘の良さでそんなことを思った。
「同棲で満足しちゃうと結婚まで漕ぎ着けないでしょ」
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ。だからきっと他人のまま緊張感保ってくれてんの。渋木ちゃん、愛されてる」
「どうかなあ。あたしのこと放って先輩と出雲旅行行っちゃうような男なんだけど」
「男の付き合いって女のそれより緊密でわけわかんないよね」
多喜は脳内に先日の打ち上げの模様を思い描いていた。恋人は軽く酒が入った状態で、飲めもしない酒をちびちびと傾けながら多喜の隣で無表情に、しかし落ち着いて楽しんでいた。ひどかったのはメンバーの方で、どうしてあんなに冷静な男たちが、酒が入るというそれだけであんなに楽しそうに羽目を外せるのだろう。やっぱり友達としては付き合えるけど恋人としては男とは付き合えない。初音以外を好きになったことなどないが、多喜はそう心の片隅でこっそり思ったのだった。
「デートだって自分から提案してくれないし」
「ウンウン」
「休みの日は寝てばっかりだし」
「うん」
「稼ぎだって私の方が多いし」
「そっかあ」
「社会的なアレを考えるんだったら、学生と付き合ってないでちゃんとした社会人と付き合うべきなんだろうけど、そんなこと考えたこともないし、想像できないんだよねえ」
「大好きじゃん」
「……まあそうなるのかなあ」
多喜は内心こっそり嬉しかった。なぜなら、今こうして渋木の挙げた「彼氏」とやらの不満も、それに対する渋木の感情も、自分と寸分違わなかったからである。
デートの提案は常に多喜から。車の運転も、店の予約も、だいたい多喜が担う。珍しく練習もバイトもない1日休みの日は家で引きこもって寝ているらしい。帰ってきたら出ていく前とまったく同じ部屋がそこにあるのだ。フリーターと正社員、しかも総合職の2年目は収入ももちろん格差が大きい。渋木の恋人は大学院生と言っていたから、収入面や貯金の格差もこの数年のうちに逆転することだろう。それに比べて、うちはね。ほんと、物件って意味では論外だよ、初音ちゃん。愛してるからそばにいる。生きていけるからそばに居られる。それだけだ。
「何ニヤニヤしてんの神瀬」
「微笑ましくって」
「やめてくれる? そっちはどうなの」
「大差ないよ。っていうかほとんど一緒。強いていうなら、コーヒー淹れるのが死ぬほど上手」
「羨ましいな……だいたいあたしが淹れちゃってるわ」
「ご飯作ってるんでしょ。そしたら、コーヒーくらい淹れさせないとダメだよ」
「寝汚いんだもんあいつ。朝とか起きるのに10分くらいかかってんの。往年のWindows 98でももう少し早く起きるよ」
多喜は声をあげて笑った。そう悪辣に吐き捨てる同僚の顔が会いたい、と物語るようで心が躍ったのだ。これは、とてもじゃないが喫煙所だけで足りる話ではない。ごめんね初音、今日はどっかで飲んできて。ひとしきり笑った後でそんな電話をかけると、相変わらず血圧の低い声音で承諾の返答があった。
「米湊も出雲行くとかなんとかツイッターで言うとったけど、出雲詣で流行っとるん?」
神無月はとうの昔に終わっとるのに。そう不思議そうに言う恋人の声音に、多喜はほうじゃね、と返しながらいつのまにか渋木のいない喫煙所を出た。雪が吹雪いている。ガラス張りの廊下に叩きつける大粒の雪を見ながら、初音は今夜何を食べるのだろう、と他人事のように考えて、少し声色が跳ねた。
END