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遥か宝の作り方 前編

全体公開 1 14308文字
2017-01-18 01:00:28

長くなりそうなので二つに分けました。書館の司書ががんばる話。

『あべる』
ああ、これは夢だ、とぼんやりした意識の中で彼は思った。
『みて、ぼくも作れたよ』
小さな、年齢に合わない歪なほどに小さな手が、色とりどりの透明な欠片を抱えている。
両手に抱えたそれを差し出す子供の幼さに、アベルはぎこちなく笑った。
いや、夢ではない。これはかつて起こったことだと、思い出す。
今と大差ない背丈は、相変わらず抱えあげられるほどである。
普段は大きめの服を着こんだりしていて多少はごまかされる、細さが浮き彫りの体。
それが目の前の子どもはよくわかるほどに薄着だった。
かつてと違うのは、今はもうこの子供が、自分の名前の発音をきれいに言えるということだった。さらに言えば、とっくにアベルの技術など追い抜かして、国の最強の名をほしいままにしているという点だろうか。
このころは、アベルが教えたことを真似するだけが精いっぱいだった。
食事の仕方もろくに知らなかった子供は、マナーを覚えるのに四苦八苦していた。スプーンが大きすぎてうまく持てず、ぎゅっと掌で握りしめていたことを思い出す。
そのころから笑うことをしない子どもに、結局、アベルは笑い方を教えてやることができなかった。
とはいえ、現在はぎこちないながらも少年が笑うことはある。
だが、殺戮を知ってゆく中で覚えたその笑いを、アベルは笑顔と認めたくはなかった。
少年が血まみれで、この国で勇者になるために行ったことは、決して善行ではないのだから。
彼がどれほど英雄とたたえられる英断をしたと言われても、あまたの人間が救われ、そしてアベル自身が救われたとしても、人を殺戮しつくした末に得たものだ。
正義と語るには、あまりにも血塗られている。
『あべる、ぼく、君に贈り物をしたいんだ』
何がいい?と言われて、やはり夢だと苦笑する。
現実での彼が、こんな風に聞いてくるはずがない。
(まあ、夢だし)
絶対に口にはできない願望はさておき、ささやかな望みぐらいは口にしてもいいだろう、とアベルは思った。
アベルは小さな子どもを前に、久方ぶりに顔を緩めて笑った。
昔は、いつもうまく持てないスプーンで食事をする姿で笑っていた。ともに食事する時間が減り、また小さかった子供が魔法で食事するようになってからは、そんなこともなくなってしまった。
思い返せば遠い昔のことのようで、そんな日々を懐かしく思いながら。
「・・・お前と、昔みたいに、食事したり、過ごしたいな」
ささやかな、けれど働くことをやめられない自分にとっては遠い願い。
この目の前の少年が本が読みたいと言ったから、ただそれだけのために、アベルは働いた。働いて働いて、図書館を大きくした。
図書館が大きくなればなるほど、少年のもとに本は集まったし、読書に勤しむようになった。
それはそれで、少年が望みを叶えているから不満はない。
むしろその望みを叶えるために、働いているといっても過言ではないのだから。
けれどほんの少しだけ、欲を言ってもいいのなら。
読書に勤しむ少年の時間がほしい。
自分の仕事を放りだして、少年とともに過ごしたい。
過ぎた望みだと、わかっている。仕事をやめられはしない。いや、多少は休んだところで問題はないだろうが、そんな日は長くは続けられない。そもそも少年が読書よりもアベルと過ごそうなどと思えるはずがない。
だからこれは、本当にささやかな、叶うはずもない望み。
「・・・わかった」
その瞬間、目の色が変わった気がした。
魔法を使うのさえままならなかった、あのころとは違う、感情豊かな空色の目。
「おい」
待て、と手を伸ばした。
その瞬間、ぱちりと目が覚める。
視界に飛び込んできたのは、木目の天井だった。
見慣れたそれに向かって手を上げていたアベルは、はっと、息をつく。
(・・・ゆ、め)
夢だと、理解していたはずだった。
しかし最後の感情豊かな目が、瞼に焼き付いている。
ずいぶんと懐かしいやら、愛おしいやらさみしいやらで、はあ、と重たい息をついてアベルは感情を押し込めた。
夢は願望の写しだという言葉を思い出す。
自分は果たして、そのようにして少年に願いを聞かれることを望んでいるのだろうかと思うと、苦々しい思いがこみあげる。
(・・・聞かれるだけで、叶うかどうかはわからない?)
どうせなら、ささやかなその望みを叶えるほうが願望としては正しいのではないだろうか。それとも叶うことを端からあきらめているから、あのような夢なのか。
「どっちにしろ、愚かすぎて笑えもしない」
そうひとりごちれば、けたけた、と木がぶつかり合うような音がした。
ちらりと机と椅子に目を向ければ、椅子に赤いドレスを纏った骸骨が座っている。
その眼窩に肉はない。がらんとした空洞と、白い骨の頬。けたけたと笑うように口を動かしている骸骨は、いつからそこにいたのか、アベルのほうをじっと眺めるようにして置いてあった。
白い躯によく映える赤いドレスは、まるで体があるかのように、幾重にも重なったフリルがふんわりと体を作っている。
「おやおや、レディ。いつの間に・・・何かあったのか?」
アベルはそんな骸骨に苦笑しながら問いかけた。
彼に死体に対する偏愛はない。というか、そんな特殊な趣味はなかった。死体が好きだから赤いドレス姿の骸骨を置く、というような趣味は、あいにくと持ち合わせていない。
『たいへん、よ。坊や。にーなが』
けたけた、と骸骨が口を動かせば、確かに声が響く。
その言葉に眉根を寄せ、仕方がない、とベッドから起き上がった。
赤いドレスを纏った骸骨は、普段からアベルの部屋いるわけではない。彼女は普段は特定の場所にいるが、好き勝手に移動する。いわば幽霊のようなものだった。
彼女は死んでから、骸骨となって飾られた。早すぎる死に耐えられなかった彼女の夫に愛を注ぎ込まれたせいなのか、その意識でさえも体に残った。
土に還らず、永劫の時を生きる彼女は、骸骨でありながら、存外に第二の余勢を楽しんでいた。彼女は普段、歌をうたって観光客を楽しませている。
歌をうたう骸骨は、図書館でも人気の観光だ。
しゃれこうべ、と東の国ではいうらしい。
どういう経緯でそうなったのか、彼女はあまり語りたがらない。
だが、人々に歌を聞かせることを、それはそれで楽しんでいるらしい。
そんな彼女は『死人だから』と、名乗らない。
しかし高貴な生まれであることは間違いがないので、みんながそうじて彼女のことを『レディ』と呼ぶのだった。
『レディ』は、この国ができる前からいる。『レディ』をこうして自由に移動できるようにしたのも、ある程度話せるようにしたのも、とある少年だった。
少年と『レディ』はまるで友人のような関係だった。事実、相違ないのだろうとアベルは思っている。
『坊や、はやく、にーなのところへ』
アベルのことをいつまでも坊やと呼ぶレディに苦笑して、上着を羽織った。
ぼさぼさだった髪を梳き、後ろで一つに束ねる。普段はしないネクタイまで結ぶと、アベルは彼女に振り返った。
「ありがとう、レディ。行ってくるよ」
彼女は微笑む代わりにけたけたと笑った。
アベルは、首に下げた職員証でドアをコンコン、と三回たたいてから、ガチャリとドアを開けた。




ドアの先は、この国の、『学者街』と言われるエリアにつながっていた。
とはいえ、アベルが『学者街』に住んでいるわけではない。彼の部屋は東側に位置する閲覧禁止エリアのそばだ。西側に位置する学者街とは間逆の位置で生活している。
壁に埋め込まれたドアからアベルが出てくると、司書たちが気づいてかけてきた。
職員証は、銀のプレートでできている。階級によって紐の色が異なり、またそこにかかれている権限も異なる。
紐の色とプレートに刻まれた階級によって、ドアからドアへと行き来できる場所が制限されていた。
学者たちが多く住まうこのエリアは『学者街』と言われていて、アベルが出てきたドアは街の一角の壁に埋め込まれていた。壁の向こうに部屋はなく、ただ職員がドアからドアへと行き来するための、いわば職員通路のようなものである。
職員ならばたいていの人間は通れるドアだ。広い図書館で働く上で魔法のかかった職員証がなくては移動に非常に時間を要する羽目になる。
アベルを見て司書たちが集まったのは、深い黒かと見まがうような青の上着を着ているからだろう。
勇者に近いものほど、彼の目と髪に倣い、青い色をしたものが支給される。彼に服従の意を示すためのものであるそれが、上着ともなれば、たとえ顔がわからずとも位が高いものであるとわかるようになっている。
他にもネクタイの色や手袋など、こまごまとしたもので階級がわけられていた。
そういった点を総合すれば、アベルの身なりは図書館内部でのかなりの高官であることを示していた。
「おつかれさまです」「おつかれさまです」
口々にそう言ってくる司書たちに、アベルは構わない、と軽く手を振る。
何か事件でもあったのか、衛兵代わりの司書たちがかなりの人数出ていた。もともと、学者街は司書が多く配置されたエリアではあるが、それにしても人数が多いように思う。
顔見知りはいないものかとあたりを見回していると、うら若い少年の面影を残す青年を見つけた。
こげ茶の髪に、精霊たちが好むと言われる赤みがかかった色の瞳。
前に見たときは入ったばかりの姿だったが、人を指揮する立場にまで上りつめたようだ。
しきりに人に指示を飛ばす青年が、そこそこ出世したのだと知って、アベルは少し目を見張った。
「エヒャ」
声をかければ、彼はうひゃ、と変な声を上げて肩を跳ね上げた。
お前の名前はエヒャだろう、俺は化け物かなんか、と苦笑して、アベルはふ、と吐息をこぼした。
「あ、アアア、アベル、様・・・いえ、ラトウィッジ猊下におかれましては、ご機嫌麗しく・・・」
びくびくとしながらそんなことを言うエヒャに、無理するな、と肩をたたいた。
「アベルでいいよ、というのは酷か。様つけ程度で止めてくれたらうれしいんだが。好きで猊下などという立場にいるわけではないしな・・・」
そういえば、エヒャは顔を青くしながら、びくびくと怯えたようにアベルを伺い、やがてゆっくりとうなずいた。
この青年はいつもこうなので、アベルは特に何も言わなかった。
実力はちゃんとあるし、勇者に憧れるという夢だって抱いているのに、やたら自信がなくて卑屈である。アウル・エヒャという青年はそういう性格だった。
だが、この青年のいいところは、常に怯えているわけではないという点である。
「あ、アベル様。来てくださったので、事件の概要をお話しておきます」
カチ、とスイッチが入れ替わるような切り替えの早さで卑屈さを引っ込め、問題の解決に勤める。
いつもこうなら楽なのになあ、と思いつつ、頼む、といえばエヒャはすらすらと話し始めた。
「事件が起きたのは先ほどです。巡回中の司書の報告によって発見されました。巨大な爆発が起きたようですが、周辺家屋に物的被害はなく、けが人及び異常者の報告はありません。爆発が起きる直前、魔法陣のようなものをみたという報告も上がってきており、何らかの魔法作用が働いたとみていますが、原因は究明できていません」
それと、とエヒャは視線を落とし、言いにくそうにアベルを見上げた。
「少年を、一人保護しました。現場に居合わせたようです」
ふうん、と報告を聞いてから、アベルはあたりを見回した。
ただの事件程度ならば、わざわざアベルは足を運んだりはしない。
こうしてやってきたのは、レディが忠告をしてきたからだ。
「・・・ところで、書館の勇者は?」
彼がいるはずだろう、といえば、エヒャは急に顔を青くして、うつむいた。
「・・・保護した少年は、・・・・あちらに」
エヒャはがたがたと震える腕を重そうに持ち上げて、傍らに視線を向けさせる。
その時点で、嫌な予感はあった。
しかしまだ何も見ていない。忍び寄る不安を押し込め、アベルは顔を向けた。
そこには、紺色の髪をした少年が、ぼんやりと椅子に座っていた。ぐしゃりと乱れた髪の間から覗く空色の瞳に感情はない。
けがをしたようわけではないようだ、と姿を視界に収めて、アベルはほっと息をついた。
不安が杞憂にすぎないと知り、彼は頬を緩めた。
ところが、ニーナ、と呼びかけて彼の前まで来ても、少年は反応しない。
「・・・ニーナ?」
彼の前で膝をついて呼びかけるものの、少年は意味がわからないとでも言いたげにぽかんとしている。
アベルぼんやりとしたその顔に見覚えがあった。
ばくん、と心臓が高鳴る音が耳まで届く。
いやな予感に、指先から血の気が失せてゆく。震えそうになる体を叱咤して、彼の前でひらひらと手を振ってみた。
視線は、動いている。
目が見えないわけではないようだ。
「に、ニーナ?冗談だろ?俺が誰だかわかるよな?」
一向に言葉を返さない少年に問いかけると、まるで出会ったばかりのころのように。
きょとん、と目を丸くした。
ぎく、といやな予感がして頬がひきつった。動いた口元が勝手に笑いそうになり、アベルはどのような表情をすればいいのかわからなくなった。
「・・・その、どうやら、記憶が、ない、ようで・・・」
背後からエヒャの控えめな声がした。
「呼びかけても、そのように、反応せず・・・」
低く落ち込んだ声が、するりとアベルの中に入ってくる。
なぜ、と指先を握りしめた。冷たく血の気のない指先の温度で、ああ、恐ろしいと感じるものの、それを素直に感じ取ることができないでいた。
まるで出会ったばかりのころのように、何も知らないという顔をする子ども。
今は書館の勇者と呼ばれる彼が、その前に戻ってしまっていた。
遠い昔に見た、あるいは夢に出てきたかつての子どもが目の前にいる。それはどうしようもなく懐かしく、愛おしい存在だった。
けれどたまらなく、かなしい存在でもあった。
この目の前の子どもは、アベルにわがままを言うことも、主張することもないのだ。アベル、と理知的な目で語る少年が不在であることが、たまらなくかなしい。
どうしたらいいのだろう、と思うものの、頭は存外冷静だった。
それは勇者に心を捧げすぎたものの報いだろう。狂うた心には焼き切れたように何も残っていないのだ。感情も願いもすべて、余すことなくアベルは勇者に捧げた。
結果、アベルは彼のためになる以外の思考がほとんど残っていない。
「・・・エヒャ、お前に命じます」
ゆっくりと立ち上がったアベルは、こんな笑いを子供に見せるわけにはいかないと背後に立ち尽くす青年に顔を向けた。
怒りに歪んだ、ひきつった口元。それを笑みと表現するなら、なんと残忍な表情だろうと思えば、余計に顔が歪む。
エヒャが今にも倒れそうに青い顔をしていた。殺すわけじゃないのだから、そんな顔をしなくてもいいのに、とアベルは目を細める。
「犯人を捕縛しなさい。そして地下牢につなぐように。いいですか」
絶対に殺してはいけませんよ、と念を押す。
「報告は、私のほうに持ってくるように。裁判など、必要ありませんので」
その言葉の意味を、エヒャは履き違えることなく受け取ったようだった。
その顔から怯えが消え、硬い色をした目が姿を見せる。それはアベルと同じく、心を焼く呪いだ。
この国の者の心に少なからず宿る炎は、司書であれば個性さえ焼き尽くすときがある。
「了解いたしました、ラトウィッジ猊下」
無表情にそう言ったエヒャに、アベルは名前の修正をしなかった。これはアベルが確かにその地位で、上から命じていることなのだ。
彼は上着のポケットに入れたままのタイピンを取り出した。
それを差し出す意味を弁えているエヒャは、静かに掌を出して受け取る。
「私の権限です。頼むよ」
最後に少しだけ苦々しく口元を和らげれば、エヒャは同情を含んだ眼差しを向けた。それは同じように焼け野原に立つからこその、同族意識だろう。
エヒャは無言で頷き、アベルに背を向けて部下たちに指示を飛ばしだす。
アベルはそんな彼を見送ると、違う方向に目を向けている子供に視線を向けた。
何が何かもよくわかっていない。ただ、あるものが珍しいから視線を向けているのだろう。そんな少年に、アベルはズボンが汚れることも構わずに膝をついた。
「俺が誰か、わからないのか、ニーナ」
視線を合わせるようにかがんで問うても、少年は声に反応して顔を向けるだけで返答はない。
恐ろしいという思いは確かにある。自分の大切な存在が、自分を忘れているというショックもあった。
けれどアベルにとって、彼が無事ならばそれでいいという考えのほうが強かった。記憶をなくしたのは無事とは言い難いかもしれないが、それでもアベルの目の前にいる少年は、五体を欠損することなく、平然としている。
記憶がないならば、アベルのやることはただ一つ。
この間、久しぶりに休息をとったおかげで、ひどい顔はしていないだろう。目の下も少しはマシになっているはずだ、とアベルはタイミングの良さに苦笑した。
「・・・じゃあ、はじめましてからだな」
俺の名は、アベル・ラトウィッジと柔らかく笑いかける。アベルでいい、と言ってから、口を大きめに動かして、あ、べ、ると音にした。
「あ、べ、る」
真似した子供ににっこりと笑いかけてから、彼は青い瞳にほの暗い光を見せた。
隠し切れない恐怖と依存と妄信がないまぜになったその心境を物語っている。アベルの心の底に横たわるこの少年に対する異常な執着と敬愛を、彼自身は嫌というほどに自覚していた。
「お前の名前はニーナ。大丈夫。わからなくても、三回呼びかければ勝手に反応する」
そういう呪いを本人が課している。これは記憶がないからと言って、消える類のものではない。
わかっているのかいないのか。ぼんやりしたまま聞いている少年に、アベルはその暗い瞳を細めた。
曇天の中に青空がのぞくような、荒れ狂う天気のように複雑な内心をその眼はよく表していた。
「いいかい、ニーナ」

「図書館の『外』は危険なことがいっぱいだ。だから『絶対』に『外』には『出てはいけない』よ。」

彼が出会ってから、否、少年が生まれてからずっとずっと繰り返して言い聞かせられてきたであろう、『呪い』。
外に出てはいけない。
外にはいくな。
外に出る必要はない。
そんなことを、この目の前の少年は赤子のころから聞かされ続けている。
もちろん、今より幼かった少年は、外に出てはしゃぎまわれるほど体が強くなかったという一面もある。彼は保有する魔力量が莫大すぎたため、その力に体が圧迫されていた。
高熱を出して生死の境をさまよったのは、一度や二度ではない。
強すぎる力に、彼は体の育成が圧迫されたという面もあって、とても外に出れるような成長過程ではなかった。彼は幼少期、魔力が遮断された空間で過ごさねばならぬほど、その力の大きさに左右された人生を辿っている。
だから少年が現在はどう思っているかはさておいて、外に出ることに意欲的ではない。それは彼が散々言い聞かせられてきたことを、無意識化で敷いているせいではないかと、アベルは思っている。
それを、いい、とは思わない。
むしろアベルは、健全ではない、とすら、思っている。
子どもが子どもでいる期間をまるっきり享受しないまま、少年は勇者になってしまった。多くの人間が経験して得るようなことを、彼はすべて文字列で補っている。
実体験に基づかない情報だけの獲得は、人間の『刺激』となりえない。あくまで知識でしかないため、この少年の情動は著しく偏りがあった。
人間は幼少期から外界からの『刺激』によって情動を芽生えさせてゆく。他者への思いやりなどをはじめとして、されなければ理解はできないし、あるいは傷ついたりして必要性がなければ理解できない。
学校制度をはじめとした集団で行われるやりとりこそ、人間が精神的に成長するために必要な行為であった。
だがこの少年は、すべてそれらをしないまま現在に至っている。
もちろん、もとから『障害』という欠陥を負っている場合もなきにしもあらずだが。
この子供の場合は、単なる経験不足による発育不全だった。アベルはそのことを、そばに居続けることでよく理解している。
だから、外に出るなという『呪い』をかけるのは彼のためではなかった。むしろ彼のためを思うのなら、外に出ようというほうがいいのだろう。
この呪いのような言葉をかけるのは、色々な建前を抜きにすれば、アベル自身のためでしかない。
そばにいたい、というただ一つの願いを叶えるために、この少年の自由と健全さを阻害している。そのことに、罪悪感は山のように生まれる。
けれどそれでも。
アベルはその願いを手放せなかった。
少年に自由を与えてやれないと知っていても。
手放せなかった。
だから、久方ぶりに口にした言葉は、地獄の底のような後悔と罪悪感にアベルをたたき落とした。久しく感じることのなかったそれは、まるで度数の強い酒を飲んで悪酔いした気分だ。
それでも、空色の瞳をした子供が、素直にこっくりと頷くので、アベルはそれらの感情を、薄く笑って一蹴した。
(とりあえず、この状態を医者かなんか・・・ああ、ちょうどいい人がいた)
この間、研究室の申請をしていた人物を思い出す。家は別にあるとかで、研究スペースとして部屋を借りたいという話だった。
専門は人間ではないが、勇者も人間ではないし、大丈夫だろうと楽観的に考える。
「おいで、ニーナ。お医者さんのところへ行こう」
言っていることを理解しているのかいないのか、ニーナは座っていた生垣からおりた。そしてアベルの隣に並ぼうとして。
べしゃ、とつまずいてこけた。
(あー・・・魔法使えないのか・・・そうか・・・)
頭から転んだニーナは顔だけを上げるものの、目を丸くしたままだ。やがて泣き叫ぶわけでもなく、反射のようにじわり、と目の端に涙をにじませたのを見て、アベルは口を横に固く結んでかがんだ。
腹に手を回してひょい、と抱き上げる。軽い体は簡単に持ち上がり、アベルはニーナを抱っこした。
「痛いか?大丈夫か?」
よしよし、と背中を軽くたたくと、ニーナはぎゅっとアベルの服を掴む。
書館の勇者が、普段から移動を魔法に頼りきりなのは、つまるところ、こういうわけだった。
歩きなれてないため、何もないところでもすぐこけるのである。



しばらく抱きかかえながら歩いたら、落ち着いたようで、腕の中に抱えたニーナはもぞもぞと動いた。
歩くか、と声をかければ、ニーナは静かにうなずいたので、手をつないで歩くことにした。服の裾が長いせいで、実際には布越しだったが、アベルはずいぶんと久しぶりに小さな手に触れていた。
そうして学者街を歩いた末に、一軒の家屋の前に止まると、ドアをノックした。
「すいません、司書のアベル・ラトウィッジです」
いるかどうか不明だったが、がたん、あいて、というバタバタという音がドア越しに聞こえた。どうやらいるにはいるらしい。やがて音が静かになり、がちゃ、とためらいがちに木目のドアが開く。
「・・・はい。えっと・・・」
少し緊張したような青年は、アベルとニーナに視線を向ける。
ひょろりとした痩せ型の男は、長めの前髪を横に分けていた。耳にかけているのは便利だからという理由だからだろうが、そうしていれば長い髪を後ろでひとまとめにしていることもあって、背が高い中性的な女性に見えなくもない。
顔だち自体が、中性的なのだろう。それに加えて黒いタートルネックは喉元を隠しているし、その上に白衣という性別自体がよくわからない恰好をしている。そういったことも彼を女性らしく見せる一因だった。
警戒していることがよくわかる青い目は、ずいぶん明るい色だ。それは傍らにいるニーナによく似ていた。
「はじめまして。魔獣学者のリサ様、で、よろしいですか」
はあ、とあいまいに肯定したうら若い青年は、何か御用でしょうかとつぶやいた。
「ええ、今日はあなたに少々お話をお伺いしたいので。人間があなたの専門外なことは百も承知ですが、この子を見ていただけませんか」
手を握っている傍らの少年に向ければ、青年は少しだけ困惑したようにアベルに視線を向けた。
「あの、私は専門外というか、人間は・・・」
少しもわからない、と続きそうな言葉に、アベルはうっすらと笑った。
「百も承知と言ったはずです。ダメ元に近いですし、この子は人間ではありません」
ますます顔でもしかめそうに困惑した気配が伝わってくる。とはいえ伝わってくるだけで、あまり表情には出ていなかった。
ただ、興味は持っているようではあった。彼の研究範囲に該当しているのか推し量っているのだろう。
「どういうことでしょうか」
彼の問いに、にこり、とアベルは薄く笑う。愛想にも似た、けれどこれから発する言葉の忌々しさが拭えていない口元の歪曲。
憎しみはこの青年ではなく、この青年とニーナを作り替えた神に向けるものだ。
「あなたに部屋を貸し与えた、いえ、それどころか、知識を貸し与えるこの知識の森の主」
その言葉で察しはついたのだろう。青年はわずかに目を見開き、ニーナに視線を向けた。
「あなたと同じ、『勇者』ですよ。信託を受けた、正真正銘の」
投げやりな口調になったことは否めない。
けれど青年はそんなアベルの様子に気づいた様子はなく、素直に驚いて、ニーナに視線を向けた。
「・・・とはいっても、今は記憶をなくした、ただの子供です。勇者は人類ではありますが、人間ではありません。なんなら魔物に近いと考える学者もいるほどです。ですから、あなたに診ていただけないかと」
視線を上げた青年に、アベルは表情を消して付け加えた。
「ダメ元だと先ほども申し上げた通り、微塵も期待してはいません。あなたの専門外であることも百も承知です。ただ、私の主人がこうして記憶をなくしてしまった原因を探す手がかりが見つかる可能性があるのなら、私はそのすべてに取り組まないわけにはいきません」
アベルは魔力の痕跡は理解できても、さすがにどの程度まで記憶がないのかはわからない。
魔物、という世間では忌避される生き物を研究しているこの青年の論文を、アベルは見たことがある。彼のアプローチ方法は、魔術的なものよりも医術的な、あるいは単純な生物学的な要素のほうが強かった。
未だにほとんど研究されていないそれらに着手するにあたり、生物学を相当勉強したのだとよくわかる文章だった。
だからこそ、基本的にダメ元であったし、何かわかればもうけもの程度だった。
「・・・わかりました。私でお力になれることもあると思います」
ニーナを見てそう言った青年に、ありがとうございますとアベルは頭を下げた。
リサがどうぞ、中にお入りくださいと体を避ける。アベルは後から入ることにして、ニーナだけでも先に、と手を離して軽く背中を押した。
それを理解しているのかいないのか、手を離して中に入ろうとしたニーナは少し歩いたところで。
べしゃり、とこけた。
「えっあの、えっ?ち、ちがいます!?」
あわあわと叫ぶリサに、申し訳ないことをしている、と思いながら、アベルは頭を抱えた。
(魔法使えないのが、こんなにも)
喜ばしいとは、と見当違いに頬を緩ませて、アベルはニーナをひょいっと抱き上げる。自分の手で世話をしたいと常日頃から思っているアベルにはこの状態は大歓迎だった。
「ああ、うまく歩けないだけですので、お気になさらず」
そのまま抱え上げて中に入る。リサの気づかうような視線に苦笑して、足が悪いとかではないんですがね、と付け加える。
「小さなころから、体が弱くてあまり歩かなかったので、すぐなんでもないところでこけるんですよ」
「ああ、そういうことでしたか・・・」
ほっとしたように納得を見せる青年に勧められて、ニーナを椅子に座らせる。アベルは立ったままで、ニーナがリサに診察されるさまを見ていた。
問診と触診、それに魔法を使った診察を一通り終えると、ニーナは壁際に置かれた籠へと歩いて行った。途中、こけそうになっていたが、無事に目的のものにたどり着いたらしい。その籠を興味深げに眺めている。
リサは本を眺めて、うーんとうなっていたので、その様子を目にしてはいない。
昔から、ニーナはむやみに手を出すタイプではなかった。ただ、気になるとずっと眺めているので、リサのものに手を出すことはないだろう、とアベルは視線で追うだけにしておいた。
「記憶がないことにはないのですが、限定的なもののようですね・・・」
リサは困ったような気配を滲ませながら、それでも乏しい表情でアベルに伝えた。
アベルはその言葉に思わずニーナから視線を外して彼のほうに目をやる。
「日常的なことに、支障はないようです。食事をとる、歩く、といった基本的なことですが」
ただ、人間関係が記憶から欠落しているようですね、と淡々と告げる。
「人間関係、あるいはそれに付随する記憶も抜けてしまっているようです」
「なるほど・・・そこに魔法がかかっているかどうかは判別できますか」
その質問に、彼は近くにあった本に視線を向けた。
「私はそこまで魔法に精通しているわけではないので、そこまでは・・・。ただ、」
おかしな点は見られます、という言葉に、アベルは片眉を上げた。
「彼は、魔物と契約してはいませんか?その契約が、微妙に捻じ曲げられているというか」
魔物の気配はするのに、ここにはいないような、不思議な感じが残っています、という言葉に、アベルは目を細めた。
「・・・たしかに、何匹かと契約を交わしていますが、自由に動き回れるものはいないはずです」
そのとき、リサが目だけを輝かせたのを見て、アベルは静かに苦笑した。
「や、やはり、契約した魔物が・・・」
前のめりに興味をあらわにするリサは、アベルがやさしいまなざしを送っているのに気づき、失敬、と腰を下ろした。
「私の周りには、その、魔法使いと契約した魔物、というものがいないので・・・魔法知識も増やさなければ、とここに間借りしたのです。そのせいで、つい」
あはは、と低い声でごまかすように視線をそらすリサに、何を誤魔化す必要があるのかと、アベルは目を伏せた。
「我が国ではあまり珍しいものではありませんので、さぞご研究がはかどるでしょう」
とはいえ、契約した魔物で不安定なものが、一匹だけいる。
ニーナが契約している魔物は、異界では神と呼ばれるものなど、強いものが多い。だがそれのほとんどは、既存の生き物であり、魔物の研究がなされていない聖界でさえ本に乗るような生き物ばかりだ。
そんな魔物の中で、ただ一匹の異端。
勇者を作ろうとする国の政策により、その過程で生まれてしまったもの。国の動乱に巻き込まれた、一人の魔法使いと魔物が合わさった兵器。
人工的に作られ、かつての主人の姿とる、白き翼と茨の魔物『イルドリョウス』
何十にも解読不可能な視認妨害の魔術を組み込んで人と魔物を合わせたものだ。引き離そうにも、二人の体は融合してしまっている。術式のほうから解読しようにも、それを解読できないように技術を秘匿しており、かけた本人から聞こうにも当の術者はすでに亡くなっていた。
ようするに、どうすることもできない魔物が、ニーナと契約していた。
『彼』に人としての意識は残っていない。かといって、それまで『彼』と契約していた魔物そのものではない。
人の命令を聞き、契約者を守るように、作られている。他の魔物のように生きることに執着もしない。命令を実行することにためらいがない。
ある意味では最強の『兵器』である、魔物。
欠点といえば、そうして作られてしまったがゆえに、わからないことが多すぎる、という点だった。
「・・・この国では、あまり魔物を忌避したりはしないのですか」
声に滲む硬さに、アベルは彼のこれまでに思いをはせる。
聖界一般で忌まれる魔物の研究をすることは、楽ではなかったのだろう。この国が少々寛大をすぎて異常なのであって、多くの国では魔法使い以外、魔物に触れたりしない。魔法使いでさえ、魔物と契約するものは少なく、契約していたとしても人目には触れないようにするのが常識だ。
「魔法使いが多いですし、魔物に『されてしまったもの』も少なくはありませんから」
思わず、アベルはそう口にしていた。
目線を上げれば、不可解そうなそれでいて聞くのを嫌がるような気配を滲ませた青年がこちらを見つめていた。
『されてしまった』という言い方で、おそらくは察しがついているのだろう。恐ろしい話ではあるが、嫌がるというよりは、それを聞いていいものかためらっているようだ。
表情があまりでないあたりはニーナに似ていると、アベルは小さく笑った。
「この国の誰もが知っている話です。端的に言えば、前の王が、国を挙げて勇者を作ろうとしたんです」
人体実験をしてね、と付け加えれば、さすがのリサも眉根を寄せた。
「その過程で生まれた魔物も、この図書館には多くいます。幸か不幸か、人の意識があるものは普通に働いていますし、そうでないものは魔法使いと契約していたりします。まあ、そうしているものの多くは、あまりひどいことをされていないので、人か魔物か、どちらかに意識が偏っていますので」
言い換えれば、ひどいことをされた魔物は、人でも魔物でもない、『何か』になっているということでもある。
魔物ではあるが、通常の魔物とは少々行動が違う。そういう生き物だ。
イルドリョウスが何かをしているのだとすると面倒だ、とアベルは視線を落とす。
ニーナの記憶は早く戻したほうがいい。何から何までアベルが面倒を見るのは楽しいが、アベルにも仕事がある。その仕事は、ニーナのために図書館を大きくするためのものだ。そうそう休んでもいられない。
実のところ、すべてを解決する方法が一つだけある。
だがさすがにそれは最後の手段だと、アベルはため息をこぼした。ニーナのためならなんでもできるアベルだが、ニーナを手にかけることは進んでやりたくはない。
「・・・ありがとうございました。思ったよりもたくさんのことを教えていただいて」
アベルが顔を上げると、何やら考え込んでいたらしいリサが、はっと顔を上げた。
「いえ、大してお力になれず、すみません」
「十分です。手がかりはたくさんありましたから」
お礼は後日、ニーナに来させます、と言ってから、壁際でかごを眺める子どもに声をかける。
「ニーナ。行くよ」
言葉はわかるようで、すぐにアベルのそばまでやってきた。お礼は分かるかと問えば、ニーナはリサにばいばい、と手を振った。
(そうじゃないんだが・・・)
口に出そうとしたが、リサが目を細めてばいばい、と手を振り返しているのを見て、まあ、いいかと思い直した。
どうせ後日、ニーナがお礼を言うのだから、とアベルも小さく頭を下げ、リサのもとを後にした。


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