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15センチ四方の世界の全て

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2017-02-05 18:40:20

炬燵布団小説

 深夜、あまりの息苦しさに目が覚めた。酔いの抜けないぼんやりした頭で生命の危機を理解した。
 俺は手足をばたつかせて起き上がろうとしたけれどすごい力で全身が押さえつけられている。布のようなものが口に押し当てられて満足に息ができない。もがけばもがくほど深海に落ちていくような感覚がしてぞっとする。
 気が遠くなりかけたところで不意に重みが去って手足が自由になった。俺はげほげほ咳き込みながら立ち上がり、無我夢中で目の前の相手を押しのける。
 突き飛ばされてカーペットの上に尻餅をついた理沙子が、がっかりしたような微妙な顔をしている。
 めちゃくちゃ可愛い。あーあ、失敗しちゃった、と拗ねたように尖らせている口元から目が離せない。理沙子は別に世間一般の美人ではなくて鼻は丸いし眼は一重まぶただけれど、でも俺にとってはそういうところも全部どうしようもなく可愛くて仕方がない。
 俺を殺そうとしたことも?
 無関心よりはましだろう。
 俺が黙って見ていると、理沙子は俺の顔に押し当てていた布を自分の顔に押し当てて、それからすーすー匂いを嗅ぎだした。見る間に理沙子の全身から力が抜けていくのがわかる。彼女はとてもリラックスしている。俺の匂いをかぎながら。……うん、これは一種の告白だ。かなり激烈なかたちの愛の吐露だ。俺がいつもぼんやりと妄想していたようなロマンチックな雰囲気ではまったくないけれど、彼女がこんな情熱を隠し持っているとは知らなかった。
 俺はその情熱に応えるべくできるだけ腹の底から声を出す。
「俺も、理沙子のことが好きだ」
 最後のほうは震え声になり、気持ちが昂ぶりすぎてほんの少し涙が出てきた。理沙子はびくっと肩を震わせながらこちらを見て、それから首を傾げて言った。
「私は別に河本くんのこと好きじゃない……」
 よし来た。なんてことだ。
 どうにも格好がつかないので俺は胸を張って腰に手を当てる。理沙子は困惑したような顔でちょっとこちらを見てから、また布を嗅ぐ作業に戻った。すんすんすんすん。たちまち理沙子は熱中しだして、俺のことなんか眼中にないかのように振舞いだす。
「……なんでさっきあんなことしたの」
 沈黙に耐えられずにとうとう聞いてしまった。
「あー……ごめん。河本くん苦しかったでしょ」
「いや別に大したことないんだけど、やっぱちょっと気になるっていうかさ……」
「河本くんお酒飲んで酔って寝ちゃったでしょ。その寝顔見てたらさ、なんかこう、すっごい幸せそうで。口をぽかんって開けて、いびきもかいたりして、きっと楽しい夢でも見てるんだろうなって」
「ああ、うん」
 そりゃそうだ。長年片思いしていた相手と何となくの成り行きで飲むことになって、そのまま向こうの家に雪崩れ込んでの飲み直し、なんてことになったら大抵の男は幸せな夢を見るだろう。調子に乗って酔いつぶれてしまったのは一生の不覚だし、間抜けな寝顔を見せてしまったのは末代までの恥だけれど。
「それでね、そんな幸せそうな顔見てたら、私も何でかわからないんだけど、気付いたら河本くんの顔を押し潰してて」
「わからない……」
 俺の方がますますわからない。というかあの布は一体なんなんだろう。よく見れば黒ずんだりしていてなんだか汚いし、妙に厚手で、まるで年季の入った雑巾のように見えるのだ。いや、まさか雑巾じゃないよね。
「その布、なんなの」
 そう聞くと理沙子は困ったような顔をした。理沙子はいつも真面目で冷静な顔をしているから、この表情はなかなか珍しい。
「話せば長くなるんだけれど」
 そう前置きをして、理沙子は堰を切ったように話しはじめた。
「私ね、家族がいないの。というかだいぶ前にみんな亡くしちゃってるのね。小学校のころはお父さんとお母さん、おばあちゃん、弟の拓郎くんと犬のアントニオがいて私めちゃくちゃ幸せだった。毎日がぬるま湯みたいだった。その頃私の好きな季節といえば冬だったなあ。寒い夜には炬燵に入ってみんなぬくぬくしながら蜜柑を食べて、お母さんがお風呂に入りなさいって言うんだけど、みんなと一緒の炬燵が幸せすぎて全然立つ気にもならないのね。お父さんはテレビを見ながら寝転んでげらげら笑ってるしおばあちゃんは姿勢よく座りながら蜜柑の皮を折り畳んでて、時折拓郎の足が意地悪するみたいに炬燵の中で私を蹴ってくるしアントニオまでちゃっかり炬燵に入り込んで間抜けな顔で欠伸してる。外は寒くてびゅうびゅう風が吹いてるんだけどこの炬燵の中は無敵だなって小さい私は思ってた。もしとんでもない猛吹雪になってもここにいれば私は大丈夫だし、どんな化け物が襲ってきても炬燵の中には手を出さない。こんなにあったかいし人がたくさんいるんだもの。そんな風にぬくぬくの安心感に包まれながら炬燵布団に包まれている私は小学生でやっぱり能天気すぎたのかもしれない」
 そこで理沙子は少し言葉を切った。
「ピアノの稽古が遅くなった日があって、その日はすごく寒かったから早く炬燵に入りたいって思いながら駆け足でどんどん走っていって、豆腐屋さんの角を曲がったところでもくもく上がる黒い煙と蟻のように群がる消防車の列を見た。そんで家が現在進行形でめちゃくちゃ燃えてるのね。幼い私にはどうしていいかわからずぽかんとその場に立ち尽くして、そうやってぼんやりしている間にみんな燃え尽きて灰になっちゃった。お父さんもお母さんもおばあちゃんも拓郎くんもアントニオも真っ黒焦げの半分骨だけになって、拓郎くんなんかほんとにちっちゃい骨しか残らなくて本当はどこか遠いところで生きてるんじゃないかって私は今でも想像することがある。出火元は炬燵だったらしいのね。火の回りがとても速かったみたいでみんな炬燵のあった周りでで折り重なるように倒れてて、そんなことは全部後から聞いた話なんだけど私もその場にいたかのように想像できる。いつものようにみんな炬燵の中でぬくぬくと時間を過ごしていて、お母さんなんかそろそろ夕食の支度をしないとって言いながらお父さんとテレビを見てげらげら笑ってるの。いつまでもいつまでも。火がついたのにも全然気付かずに、笑ったまんまで炎に包まれて、痛みとか苦しみとか全然感じないまま燃え尽きて、それで私だけが残っちゃった」
 俺はどんな顔をしたらいいかわからなくて硬直している。悲しそうな顔をするのも違う気がするし、平然としているのもなんだかおかしくて、そういえば全然面識がなかった親戚の葬式でも同じことで困ったなと思い出している。
「この布は炬燵布団の燃え残りでね、たまたま倒れたお母さんの下にあった部分が少しだけ残ってたのを貰ってきたの。こんな小さくなったけどやっぱり炬燵布団だから顔を近づけるとあったかい。匂いをかぐだけで何となく安心できる。煤と灰ですっかり汚れちゃってるけど洗ったことなくて、だってこの煤の中の何パーセントかは家族の燃え滓なんだよねきっと。だからみんなまだ私のそばにいてくれてる。私を取り巻いていた愛とかぬくもりとかそういうの全部何もかも燃え尽きちゃったけど15センチ四方のこれだけはしっかり残ってる。これだけが私の世界の全てなの」
 俺は何て言えばいい?色々な言葉が思い浮かぶけれどそれは全て空っぽで感情からは程遠くてそれらしい音と音の集まりでしかないから俺は黙るしかない。ただ理沙子が手に持っている布から目が離せなかった。
「寒い」
 そう言って理沙子はにじり寄って来た。吐息がかかるくらいの近くに彼女の顔があって、それは俺がどれだけ待ち望んだかわからないシチュエーションだけれど、俺ははっきりと理解している。俺にはもう何も出来ない。
「新しい炬燵、買えばいいんじゃない?」
 言ってから後悔した。それはとんでもない失言だった。
 理沙子は黙って首を振る。
 しばらく無言の時が流れた。俺の頭だけがぐるぐると回転し続けていて、たとえば『これからは俺が暖める』とか『炬燵布団の代わりになってやる』とかいう言葉が、あまりにちんけで無力な言葉が思い浮かぶのだけれど、そんなのとてもじゃないけれど口にすることはできない。くだらない童貞の妄想みたいな言葉に対して彼女の抱えている悲しみはあまりに重くて深くて、そんな言葉が彼女を救えるのだとしたらそれは都合のいい創作物の中だけだ。
 俺じゃない。ちっこい布切れだけが彼女を幸せに出来るのだ。
「ほんとうに寒いよ」
 そんな顔をされても俺にはどうすることもできない。きっと彼女は今までずっと寒かったんだろうけれど、ただの他人でしかない俺にはその感覚を理解することはできない。
「それなのに、あなたは幸せそうな寝顔で……」
 理沙子はなにか呆然としたように言い募る。そんなに幸せそうだったか。きっと夢の中で楽しくセックスでもしてたんだろう。そんな間抜けな寝顔に炬燵布団をかぶせてしまって、彼女はそれからどうするつもりだったんだろうか。
 せめてそれだけは理解したいと思った。そのくらいのことは知る権利があると思った。
 意を決して彼女の手から布を取った。彼女はなされるがままに、寒そうに震えながら座っている。俺は布を顔に近づけ、それからすうっと息を吸った。
 どこか懐かしいような、けれど少し焦げ臭い匂いがする。彼女のかすかな残り香とずっと沁みこんだ感情がなんだか痛い。
 いたたまれなくて死んでしまいたい。
 遠くでやかんの吹き零れる音がする。


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