ムゲンWARS。http://privatter.net/p/1985270 の続編で、囚獄の勇者の赤い森チャレンジの回復回。牢の魔王様とその許嫁殿、および薬師の勇者様をお借りしました。
@chuchuhakokaina
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全身を束ねた針で刺し貫くような痛みで意識を浮き沈みさせているカイは、多すぎる情報と熱に侵され朦朧とした脳を休めることができない。まるで万華鏡のように色や形、音声や匂いにいたるまで、彼が分身から受け取ったものたちがグルグルと渦巻き脳裏を焦げ付かせている。
誰の手だろうか、ひんやりとした華奢な指が顔の火傷にそっと触れた。そして、不釣り合いに柔らかな人肌の感触が後頭部を支えていることにカイは気づく。ふと瞼を上げれば、ぼんやりとした視界に金色の長い髪のひとが見下ろしているのが分かった。
「めがみ、さま…?」
音にもならない小さな声ではあるが口に出してきながら、もし本当にそうならばこれは夢でしかない、とカイは知っている。
自分の身体が女神の間で目覚めることはありえない。もし赤い森から出て外の身体が死んだのであれば、目覚める場所は牢獄である。もし牢獄の身体が外の身体がら受け取った負担に耐え切れず死んだのであれば、どこにも行くべき場所などない。魔界に在って、女神の加護から遠いこの場所では、死すべき定めに従って肉体を失った人の魂は朽ちて消えるだけだ。かつて翡翠の勇者が牢の中の自分に指摘したように。
「俺の身内を大悪人に見間違えるとは良い度胸していやがる」
低い男の声。女神のもとに突き返してやりてぇくらいだがそんな戯言で此処から出れると思うなよ、と唸るような言葉に、カイは二度三度目を瞬かせる。見慣れた石の天井は霞みながらもいつも通りで、見慣れぬ目の前の女性はウェーブのかかった女神のそれとは違う真っ直ぐな金の長髪から獣の耳を生やしていた。魔族だ。
「目が覚めたならいつまでも抱えてなくていいだろう。用が済んだなら出てこい」
「あ……申し訳ありません」
男の声はカイの本体を牢獄深くにつなぎとめている牢の魔王そのものだ。身内、と言われたその女性は、膝の上に乗せていたカイの頭を敷かれていた寝具の上にそっと横たえた。すこしすると、鉄格子の軋んで閉じる音がする。
「で、なんでこんなことになっていやがる。ロクでもねえこと言うクチが残ってんだ、それくらいは言えるだろ?」
「あかい、もりに。そとのからだでいったら。えらいめにあったわ」
「赤い森?」
牢の魔王がいぶかしげな声をあげる。カイにはそれ以上の説明ができなかった。森がどういった存在なのか結局立ち入ったところで理解できなかったし、そこで遭遇した水の効果なら、いっそカイよりも治療をしたそこの女性の方が詳しいくらいだ。自分もよくわからなかったのだ、という旨を言うと牢の魔王は舌打ちをした。もしかしたら何かの心あたりがあるのかもしれないし、単にカイの言葉の不確かさにいらだったのかもしれない。
「その、これ以上は…」
おろおろと女性が牢の魔王に伺うような言葉をかける。再び彼は舌打ちをすると、調べものがある、使えねーヤツに使っている時間はない、と音を立てて格子戸に鍵をかけた。
「おおきに、いろいろ、たすかったわ」
女性が立ち去る前に届くことを願ってかすれた声でいうと、彼女の声が返ってくるよりも先に魔王が鼻で笑う。
「礼をいうのが遅すぎだ。お前がコイツの治療を受けたのは二度目だぞ」
牢の魔王が言うには、カイが牢獄に入った直後のひどい傷も彼女が手当してくれたのだという。ほんまか、えらいせわになってもうた、とカイが言えば、女性は早口にそんな、と呟いた。
「その……身近なところにやんちゃして傷をつくる人がいたものですから、手当くらい、手間とも思いません。でも、」
無理はしないで、私はすぐに元通りに治して差し上げることはできないので、と女性は悲しそうに言った。
「おおきに、でもどーせうごかれへんし、だいじょうぶ。どっちかってと、そのひとに、おんなじこといわはったら、きをつけてくれるんちゃう?」
カイがそう言うと、女性はふつりと黙り込んだ。会話が途切れると、まぎれていた痛みや内側を焼く熱が意識を奪おうとしてくるのが厄介だ。そしてしばしの沈黙の後に、女性は言う。
「声の届く場所に居てくれたら、嬉しいのですけれど」
「もう、それを言うな。去った奴らに声は届かねぇからな……。過ぎていく時間の中で起きたことは取返しがつかん。勇者とかいう化け物どもとは違ってな」
なにかカイが返答する前に、牢の魔王が切りすてるように言った。そのひと言で、カイは自分が考え違いをしていたことを知る。不用意に今、2人を傷つけてしまった。働かない頭で物をいうべきではない。瞼の裏にどろりとした赤い色の後悔が過ぎる。
「死を覆す気味の悪い力を持つ生き物など、封じ込めてどこにもいけないようにするのが一番だ。その為にお前に治療してもらっているわけだしな」
「左様でございますね……でも、その」
と女性ははばかるように言いよどむ。なんだ、言えばいい、と魔王が言うと、口を開く。
「この方の様子は、また見に来てもいいですか。経過を見届けないと、それこそ死の風に乗って鉄格子をすり抜けて行かれることになるかもしれません」
「あぶねーからな、戸を開けるなら、今日とおなじように俺が同行する」
ホラ行くぞ、という牢の魔王の声を残し、かつかつと、2人の足音が遠ざかる。優しい女性だった。囚人とはいえ患者本人に症状を聞かれることについて、躊躇したのだろう。早く話を切り上げて去った牢の魔王もまた、女性を気遣って繊細な話題を避けるために去ったのか。強く容赦のない魔王にもまた、優しいところがあるのかもしれない、と思った。
別れは生きるものすべてを襲う哀しみで、理不尽というよりは遅かれ早かれ不可避なものだ。だが、残される者にとっては理不尽としか思えないようなこともある。そうでなくとも、なぜ今なんだ、せめてほんのひと時だけでも時間が欲しかった、もしこうであったなら、そんな思いはどうしようもなくせめぎ合い、そのひとの心をすり減らす。彼らにとってもそうだったのだろう。そして、その傷は無作法に踏まれていいものではない。
カイにとっても、その感覚はなじみ深いものだった。勇者になる前から人の手助けをして生きていたカイはどんなに上手く仕事が運んだ日であっても、もしこうであったなら、と心のどこかで願わない日はなかった。
どろりと、熱が思考を溶かす。くるくると、澱んだ赤色は陰影をつけて皮膚の表裏を、頭蓋の内側を、呼吸器の表面を蝕んでいる。
たとえば、勇者の証を得た日もそうだった、とカイは赤く紐づけられた記憶を知らず手繰り寄せた。カイはその日、たまたま人間同士の戦争が断続的に起きている地域を通過している途中だった。とはいっても、傭兵でも勇者でもないカイはとくにどちらかに加勢して働くこともなく、その日はある境界地域の村落が両軍に金銭を支払うことで戦火に巻き込まれないという契約、いわゆる「半手」を結ぶ交渉の手伝いをしたところだった。戦争で失われた男手は多く、不具になった村民もいたが、この日ばかりは歓声を上げ幸せな夜になるはずだった。
だが、それはかなわなかった。人の戦争で傷つけられないという契約は、魔族にとって意味を成すものではなかったからだ。この地域で人同士の戦争に乗じて残虐な嗜好をもつ低級の魔族が跋扈しているという噂はあった。ただ、この村落の周辺には姿を現したことはなかったのだ。知性が低くただ力が強いだけの彼らは真に、ただの趣味嗜好のためだけに人を捕えて苦しめるということだった。
不具の者を置いて彼らが苦しめられている時間を使って村人を逃がすか、あるいはカイが残って全員が距離を取るための時間を稼ぐか。カイは、選択を迫られた。女子供ばかりの村には戦える者がおらず、自分が残れば不具の者を抱えた村人の群れが無事に別の場所に避難できる保障はなかった。また、残ったところで十分な時間を稼げるという確信もなかった。
もし自分が2人いれば。あるいは、もっと力のある戦士だったなら。
カイは動ける村人たちをまとめ、彼らを逃がした。そして、不具の者たちを置いて行くことを選んだ。カイが告げたその選択に、このよそ者の人でなし、と叫んで残ろうとしたのは、足を失った男の妻だっただろうか。カイは彼女を止めることはできなかったが、他の村人たちが仕方のないことだろうと言って彼女を引きずっていった。
無言の移動の途中で、数度夜行性の肉食動物に襲われることもあった。カイは彼らを追い払いながら、自分の判断は必要なことであったと認識せざるをえなかった。それでも、忸怩たる思いがあった。どうすることもできない気持ちは、赤い熾火のように心の底にわだかまる。その夜に、女神はカイに証を授けた。素直に受け取ることは到底できなかった。
時間が足りなかった。力も足りなかった。ぐるぐると、まるで根を同じくする草を引き抜くように、記憶が掘り起こされていく。オークションのときだって、そうだった。嘆きの谷もそうだった。赤い森も、同じことだった。傷つく人を助けたくて、結果、人を傷つけて生きてきた。他にも、他にも、他にも。枯草を焼く炎よろしく、熱が頭を焼いている。
熱い。
***
意識が浮上する。
瞼を開けるとすぐに敷かれた毛布が目に入り、カイは自分がうつ伏せに寝かされていたことに気づいた。一瞬おくれて、自分がいる場所は牢獄ではなく、どこか違う場所だと理解する。日の光が目に入った。そして、頭と体の痛みが減っている。牢獄の中と同じ状況ではありえない。ということは、いつのまにか分身のほうに来ていたということかもしれない。しかし、奇妙なことだった。赤い森に入った身体は、死んでしまったと思っていたし、外の身体のほうが傷自体はひどいはずなのだ。
身体を起こそうと手をついて、自分の両腕が固まってろくに動かせないことを知る。歯を食いしばり、構うことなく無理に動かして起き上がると、見下ろした体は酷い有様であった。上半身は指先から胴まで肌も見えないほどに布で抑えられ、下半身は末端を重点的に覆うように包帯で巻かれている。動いたせいで皮膚が引き攣れたのか、いたるところが血が噴き出していた。あらかじめガーゼが当てられていた場所が赤く染まる。しかしなぜか、痛くはないのだ。
周囲は岩壁に囲まれた、ちょっとした洞穴のような場所だった。誰かがここまで運んで、手当をしてくれたのだろう。近くに荷物と、赤い木材と蔦で出来たソリが見える。動かしづらい身体で這うようにして、壁を伝ってにじり寄る。なんとかソリを覗き込むと、そこには何も乗せられてはいなかった。いや、もし赤い森で回収してきた彼らが乗せられていても、あの有様ではなんの意味もなかったか、とカイは脱力する。
身体が冷える。血が足りないせいか、長く寝ていたせいか、立ち上がる気力もでない。
「な…なにしてるんですか!」
やや掠れた高い声に、カイは振り向いた。洞穴の入り口に、水をためた桶をもった人物が立っていた。背丈と声から考えるのなら、女性か少年。彼女ないしは彼が、カイを助けてくれたのに違いなかった。以前砂漠を旅したときのことを思い出してなんとなく懐かしい。あの時もてっきり死んだと思ったが、運よく願望の勇者を名乗る少年のような話し方の女性が助けてくれたのだ。
「あなたは分かっていないのかもしれないけど、動いていいような容態じゃない。深度2~3以上の火傷が身体の2割を大幅に超えています。とくに背中と掌がひどいんです。痛くないならそれは痛覚がいかれているだけ」
それには身に覚えがある。赤い森で遭遇した人を引っ張り上げるのに差し出した手と、引き上げた人をソリまで運ぶときに貸した背だ。赤い水との接触よりもそちらが身体に損傷を与えているというのは意外なことだった。
「しかも恐ろしく代謝が落ちていたし、心拍もあやふやだった。死んだかと思った!早く寝床まで戻ってください!」
それは怪我のせいではなく、単に意識が本体に戻っていたせいなのだが、説明する間もなく床に桶を置くと近寄ってきて、身体を支えて寝床まで引き戻し始めた。カイも逆らう理由はなく、押し戻される。
「おおきに、たすけてくれて」
「どうも。でもあなたが安静にしてくれないなら無駄になります」
不良患者がばつが悪くなって頬をかこうとすると、手を動かすのはやめてください、とぴしゃりと止められる。そして水を碗に1杯差し出してくれたので介助されるままにゆっくりと飲み干す。うつ伏せになっていて、という指示に従って横になる。
「あそこ、あかいもりは、どないなっとった?あんた、あぶないことにならんかった?」
「赤い森……?あなたが倒れていた場所なら、森といえるような樹木の群生はありませんでしたが……」
てきぱきと火を起こしながら恩人が言うには、この人は薬師をしながら行商で生計を立てているとのことだった。カイが倒れていたのは荒野のような場所で、すこし行った岩山に生えるという希少なコケを求めて向かう道中でカイを見かけて拾ったらしい。赤い森は、変則的に顕れる魔界へのゲートのような性質のものなのかもしれない。
「どうしてこんな火傷を負うようなことになったのか全然想像もできず驚きましたし、なによりその」
と、言葉を切って傍らのソリを見やった。この人の言わんとすることは解ったので、カイはすまんな、と謝った。この小柄な人物がカイをしょって自分の荷物も持って野営できる場所まで移動できるわけはない。きっとソリに乗せていた人達を下ろして、カイや荷物を載せて運んでくれたのだろう。それは精神的にも肉体的にも重労働だったに違いない。
「いえ。ここは私の目的地のふもとです。それで治療して……ああ、着ていた服と髪を切ってしまってすみません。治療に必要だったし、火傷にくっついてしまいそうで」
「なんも。おれ、たすかったわ。あんたのいいようじゃあらへんけど、しんだかとおもった」
ぱさり、と髪の短くなった頭を振って、カイは名を名乗り、素直に自分が勇者であることを告げ、証であるチョーカーがどこにあるかどうか訊ねた。するとその人もまた、ヤナギ、と名を名乗った。そして、装飾品については全て荷物に入れたと答える。その言い方だとサングラスも無事だったかと少し安堵した。
そしてゆっくりと、言葉を選んで簡単に、カイは自分のほうの経緯を話した。知りたいことがあって伝説にある「赤い森」を探しに行ったのだということ。本当にその森は実在し、助けを求める声を道中で聞いていつの間にか迷っていたこと。手と背やそれ以外の広範囲の火傷は赤い森やその奥で見つけた人の残骸を回収したり、ソリに乗せたりしたときに負ったものであること。何とか出てきたがどこかに行く力が残っていなかったこと。
「あほなことしたわ、なんもできんかったし」
こんな怪我して、あんたに迷惑かけて、とカイが詫びると、ヤナギは平坦な表情で呟く。
「別に、なにもできたとかできなかったと、誰に迷惑かけただとか、そこが問題じゃない。アホっていうなら人のことばかりで自分の身を削ってるのはアホじゃないんですか。あなた起きてから他人の心配しかしてないんですよ」
あなたの身体のほうがよほど大変なことになってるってのに、と、荷物から出した乾燥した葉を沸きつつある湯の蒸気に晒しながら淡々と話す様子を、どこか悲しげだな、とカイは思いながら、口を開いた。
「こうしてあんたに、たすけてもろてるやろ?おれ、いつもこんなかんじやねん。どこでだって、だれかがたすけてくれる。せやから、おれのほうも、だれかの」
「それで死んだらどうするんですか!?そうやっていなくなって、二度と会えなくなって、悲しむのは誰だと思ってるんですか!?」
誰かの手伝いするのは習慣みたいなものだしそれで後悔したことはない、とカイが言うよりも早く、目の前の恩人は語気を荒げた。勇者は死んでも女神のもとで蘇るとは聖界のだれもが知っていることだし、覚醒してしまって戻ることのできないカイはそのくくりに入っていないにせよ、この身体に代わりがあるということについては同じだった。この旅慣れて賢そうな人物が勇者のリスポーンの事実を知らないわけはない。ならば、いまの言葉はカイだけに向けられた言葉ではない。
どう答えたものか、とカイが不用意な言葉を選べずに困ったような顔をしていると、はっとヤナギは気まずそうな顔をして、カイに背を向け、荷物を漁り始めた。
「あ……患者に大声を出すだなんて。その」
「いや、おれがあかんねん。ともだちにも、よういわれるわ。むちゃはあかんって」
ただ、今回のことで、焦りは増すばかりでもある。どうあっても、どれだけあがいても、時間が足りないのだ。力も足りない。赤い森で出会った彼らは、最期の言葉を誰かに残すこともできなかった。死体だけでも外に逃れることで自分たちはもう帰れないのだと縁のある人に伝えることすら、できなかった。それは偶々森に入ったカイがもう少し強く、もう少し早く動ければ、可能だったかもしれない選択だったのだ。その事実を思えば、身を焼く火傷よりも焦燥が魂を焼く。
たとえば、牢の魔王とその身内であったり、たとえば、今まさに話しているヤナギだったり。彼らもまた、誰かとの別れに、あと少し時間があったならと、嘆いたかもしれない。
それを思えば、この焼けてしまった身体が復調するまで時間がかかるようならいっそ殺してしまってもよかったのではないか、とも、柄にもなく思う。が、目の前の人の善意を無駄にするには、少しタイミングが遅すぎた。
「ともだち?」
カイの考えをよそに、ヤナギは柔らかくした薬草を荷物から取り出した薬研で摺りながら返した。たしかに、旅の空でひと所に留まらない生き方をしていて定期的に会う友達をつくるということは、同じように旅する生活を送っている人間には珍しく感じられるだろう。
「そう。くろいはねをつけたともだちと、しろいはねをつけたともだち。どっちもしんぱいしょうやねん。でも、とべるって、べんりやな。だれにでもあいにいけるし、どこにでもいきたいときに、いきたいばしょへ、いける」
「……私は、貴方に翼がついていなくて良かったとは思いますけどね」
出来ることが増えたら無茶だって増えるに決まってる、とヤナギは手際よく薬草を乳鉢に落とすと荷物から2、3の粉末を加えて練り上げ、湯を注いでかき混ぜている。薬湯だろうか、よどみない器用な手つきは心得のない目からは魔法のようにみえる。しっかりと攪拌した後に、どん、と重たそうな器をカイの目の前に置いた。
「さて。その面積焼けてしまうと完治まで本来は2か月くらいかかりますし、この深度の火傷だと治った後も動きに支障がでる場合があります」
ですが、2週間。と言う。
「2週間で後遺症なく治してみせましょう。私は『薬師の勇者』。貴方は、きっと早く治して、また旅に出たいと思うでしょう?薬師の勇者が魔力を宿して作れば、それが叶う薬ができるって寸法です。濃度の高い他人の魔力で治癒力を底上げするのは辛いかもしれませんが……勇者の身体なら耐えられると思います」
もしそれを望むのなら、これを飲んでください。そうでないなら、捨ててしまってゆっくり治しましょう。これは変な態度をとったお詫びのようなものです、と言って、ヤナギは俯いた。飲んでほしいようにも、捨ててほしいようにも見えるのは、きっと間違いではない。先ほど手を動かすなと言ったのに、器を差し出すでもなく、前に置いたのだ。
「おおきに、たすかるわ」
カイは三度目になる礼を述べて、鈍った手をついて慎重に身体を起こし、器を手に取った。迷う必要もない。良薬は口に苦しである。ただ、この善意をこぼさないように注意深く飲み干すだけである。
「手を動かすのはやめてくださいって言ったじゃないですか」
焼け付いた手をそっと支える手がある。指先は荒れ草の色でくすんでいるが、ほっそりとした女性の手だ。ほんのわずかに遅れたのは、見ないふりだ。瞼の裏にどろりとした赤い色の後悔が過ぎる。
温度自体はぬるく感じられる器に唇を付け、飲み込む。からからと、まるでずたずたになった糸をより合わせる紡ぎ車のように、魔力が身体に回っていく。彼女の小さなためらいを無視した。いつもこうだ。何かを代償にして、選択をしてきた。自分だけでなく、他人だって天秤に乗せた。傷つく人を助けると言って、結果、人を傷つけて生きてきた。他にも、他にも、他にも。繭玉を解く熱湯よろしく、熱が身体を焼いていく。
熱い。
火の中に魂あり、いづれも己を燒くものに巻かる
FIN