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夜と標

全体公開 ムゲンWARS 2727文字
2017-02-08 02:21:37

読心さんと災さん。茉理さんの訪問検心(http://privatter.net/p/1845223)の後、チェスクロックよりも前のお話になります。

Posted by @san_ph7

 美しく整えられた城の庭園に夜の帳落ちて、風が庭木の間を駆けるささやかな音が聞こえるだけの、静かな日。星は高く澄んだ空の中、宝石のように冷たく輝いている。
 庭の一角にある東屋には金の髪をした女性が椅子に腰掛けている。両目を黒い布で覆い、傍らには装飾のついた白い杖が置かれている。この特徴的な容姿をした彼女を知らぬものをこの国で探すのは難しいだろう。かつては盲目の姫君、今は読心の勇者として国内外にその名は知られている。不用心なことに、彼女はこの場所に従者もつけずにひとりきりだった。
 静かに、息を吐く。白い吐息が凍みた空気へと霧散していった。彼女は厚手のケープの縁を握り、ただじっと、夜の中誰かを待っている。
 やがて、彼女の頭上、東屋の屋根の上でざわりと闇が音もなく蠢いた。そこにいたのは人非ざるものだ。黒を纏うもの。その気配も姿も、ほとんどは夜の中に溶け込んでしまっている。暗闇に浮かび上がるのは宝石のような緑色の瞳と、毛先だけが金に輝く髪ぐらいだった。夜に溶けた大きな翼を合図のように数回はためかせると、その下にいる彼女がうつむき加減だった顔を上げた。
(来るとも分からないものをこの寒空の下ずっと待ってたのか? 無謀というか何というか……もう少し賢いと思っていたんだけど)
 彼はするりと身を翻して、屋根から東屋の中に滑るように移動した。これだけ彼が至近距離にあっても、彼女は名も知らぬ魔物のごとき気配に怯む様子はない。それは盲目故ではなく、彼女が勇者であるからでもない。
「あら、夜の散歩のつもりでしてよ」
 しかしその声は、僅かにながら震えている。
(週に数度の夜の散歩ね。体を冷やすほど長く?)
 やや眉間に皺を寄せながら、彼は自分の纏っていた灰色の外套を彼女の体へ巻いた。
 かつて彼も関わったオークションの中で、一見淑やかなこの姫君にも豪胆な一面があることを知ったのは最近のことだ。聡明であるが、五感のひとつを持ち得なかった代わりに物事に対する好奇心が人より強いと見える。真実を求め、知りたいと願う心もまた。
 彼女とは魔界の大牢獄で幾度かすれ違っただけではなく、彼の方からある意図を持って一度だけ接触している。その時は彼女の行動が遠因となったひとつの未来を変更するためであり、彼が別れ際にまた会おう、と告げたのは別の未来を予測したからだった。未来とは行動によってのみ変えられるもの。彼は変更された先の未来を確かに予知していたはずだった。
 しかし彼女のこの行動もまた、不測の出来事である。
 どうも、これはそういうものらしいことを彼は前例をもって認めている。彼がそれを必要としたのではなく、彼らが彼を呼ぶのだ。そうして予測のできない別の未来が紡がれていく。
「お気遣い感謝致します。あの、お掛けになられては?」
「翼が邪魔でね」
 思わず口に出してしまったことも相まって、きまり悪そうに彼は目を逸した。
……何が知りたい?)
「いえ、その前に先日のお礼を。貴方のお陰で我が国の民を守ることができました。貴方の警告がなければ、私は何も知らずにあの方を危険に晒していたでしょう」
 もう一度感謝の言葉を述べた彼女が頭を垂れようとしたのを、彼は肩を掴んで押し留めた。
(やめてくれ。仮にも王族に連なる者が、そんな簡単に頭を下げていいものではない。それも、何者かも分からぬこの僕に。それに礼を言うのは本当はこちらの方だ。僕の友人を守ってくれて、ありがとう)
「では私も。あの方は私の友人でもありますわ。そしてその友として、お礼を申し上げます」
 ありがとうございます、とにこやかに微笑み、ごく自然に差し出された手を見て彼は一瞬形容し難い表情を作ったが、観念したかのようにその柔らかな手のひらを握った。
(この前も言ったけど、深く読むなよ。君では耐えられない)
「心得ています。その、それで。貴方は何者なのですか? 何故あの場所にあの方がいることを知っていたのか、それを何故私のところへ伝えにきてくださったのか……
(部屋の中で待っててくれれば、いずれ訪ねたのに)
 冷え切ってしまった彼女の手をどうしたものか逡巡しながら、彼は心の中で彼女に語りかける。
(それを説明するには、少しばかり時間と場所が悪い。長い話になるし、”彼女”に聞かれたくない。もっとも、君がそれを知るだけの覚悟がなければ、僕はこのまま立ち去ろう。僕が何者であるかは、この世界がどういったものであるかにもまた関わるものだから)
「それは、どういう」
(君は疑問に思ったことはないのか? 何故この世界には勇者という存在がいて、そして何故魔王と戦うことを宿命づけられているのか。そういった、この世界の根幹に関わるところに、僕は存在する。僕を知るということは、そういうことだ)
 彼は自分の黒い羽根を1片彼女の両手に握らせて、少し長い詠唱を行った。
 彼の使う魔法は非常に古く、この世界で魔法が学問として成立するよりも遥か昔から存在する、文字を必要としないものだ。彼の口から紡がれるのは言葉ではなく、音であり、線であり、色だ。世界を構成する力を少しだけ借り、別の現象へと変換させる。心象を現実へと象る。絵を描くように。
 読心の勇者はこの唐突な彼の行動に当然戸惑った。彼女が握られた彼の手から、彼女が能力を意識的に使っているわけでもないのにイメージが流れ込む。

 ――温かな光。柔らかな感触。母親の腕に抱かれているような、穏やかで優しく、どこか懐かしい感覚。喉から腹へ落ちていく熱。
 体の芯を焼くような熱さが、そこから広がった。

(まぁまぁかな) 
 彼の詠唱が終わると、彼女の手に握られた黒い大きな羽根は淡く光った。そこから感じられるのは、暖炉の火にあたっているかのような熱だ。彼女の冷たかった両手が、羽根から熱を吸い取るように指先から温まっていく。
「これは……
(問おう、クラリエ。君は人間か?)
 彼は黒い布に隠された、その向こう側にある彼女の瞳を見つめた。
(どのような答えであってもいい。僕はこの問いに明確に答えられぬ者に真実を告げるつもりはない。君たちを君たち自身が存在付けることができる、揺るがない理由を僕は求める。その上で尚知りたいというのであれば、僕は君を待つ)
 彼はゆっくり彼女から手を離した。
(それを持って、憧憬の勇者と会え)
 ばさりと羽音が鳴り、読心の勇者が声を掛ける暇もなく彼は消えた。
 凍るように冷たく澄んだ空気だけが静かに夜の中へ横たわり、後には灰色の外套と、彼女の手の中にある彼の羽根と熱とだけが、ただ残った。






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