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「孤島の鬼」原作に対する現在の私の解釈について(コメントにて追記有)

てらだ。
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2017-02-11 00:32:11

 2017年版舞台「孤島の鬼」にまつわる考察、推理を繰り広げてしまった後なので、純粋な原作感想や原作解釈ではない。
舞台で描かれていた事、それを受け取った色々な方の印象、感想を元に原作に改めて立ち返って、考察、解釈しなおした私から「孤島の鬼」がどう読めるか、という話。

 そもそも最初にさらっと読んだ時、私は「蓑浦一発殴らせてほしい」とつぶやいた記憶がある。
自分に思いを寄せられている事がわかっていて、思わせぶりな事をしたり、初代にあれだけの愛情を捧げていたはずが一目見た秀ちゃんにあっという間に惹かれていったり(まあその前にすでに事件は非常に面白くなってくるとか言っちゃうんだけど)、諸戸の愛情をわかった上で自分たち夫妻が建てた外科病院の院長にしようとしたり。
 最後に関しては読み返して気付いたけれど、その外科病院の近くに丈五郎の奥さんいるわけじゃないか……、お前諸戸から彼女が何したか聞いたよね……? と、その行いが恐ろしくすらなったり。
ともかく自らの自尊心や優越感を満たすために、自分に「異様」な愛を向ける諸戸を利用すらしているように思えて、私はどうにも蓑浦が好ましく感じられなかった。

まぁそもそも私が諸戸を演じる涼星くんが好きで、合わせて諸戸の人物造形が好み過ぎるってのもあるけど、次第にそれにしたってあまりにも偏った印象に思えて
「果たして私にそう読ませているのは、一体“誰”なのか?」
舞台と原作付き合わせて推理を繰り広げているうちに、ふと浮かんだのがこれだった。

他にも疑問というか、腑に落ちない部分としては、

・『重大』とわざわざ前置きされたが、それにしても省略したと言いながら秀ちゃんの手記は長すぎではないか(約30pに渡るが、これを元に明らかになる事に必要な部分を考えればもっと少なくできる)
・最後の二行について、切ないとか感動とか最高とか見るけど、あまりにもぶったぎった終わり方では

この二つが、ひとまずあげられる。
そしてこれらについて、一つの解釈を(舞台と原作の照らし合わせによる推理の間に)見出したり、改めて読み返して気付いたり事があるので、ここからはそれについて記していく。

まず目についたのが、その「異様」さである。
蓑浦を8年間口説き、恋文を送り続ける諸戸のではない。
そんな諸戸からの誘いを断って距離を置いたりもせず、あまつさえ初代と出会うまでは恋文の返事(内容はともかく)を書いて彼の感情を受け止め(受け入れ、ではない)続けていた私の「異様」さである。
重ねて言えば、白髪になるほどの「死以上の恐怖」を与えた存在である諸戸を嫌悪することもなく、あまつさえ自分の外科病院の院長にしようとする私の、あまりの「異様」さである。
(原作既読の方は、丈五郎の妻と諸戸、秀ちゃんと吉ちゃんの関係性を重ねて思い出していただければ、この物語の世界の中でも異質である事がわかっていただけるだろうか)
 
 それに気付いて、一文一文丁寧に読み進めてみれば、初代に求婚する諸戸に失望したり、彼が最近まで自分を変わらず愛していた様子なのは間違いないとか私を捨てて、なんて表現が出てくる。
私を捨てて、の後の、いやそう言うと二人の間に「いまわしい関係」があるみたいだけど違うからね!!みたいな文章のとりつくろってる感がものすごい。
ていうか二人で探偵してる時にめちゃくちゃ甘ったるい空気ただよってます的文章も出てくるし、異様だ何だと散々言いながら「私をさ程までも愛してくれていた諸戸」なんて肯定的な表現まで飛び出してくる。

 蓑浦の本心ってどこだ、という風に迷走していた頃に、観劇後の友人から「秀ちゃん吉ちゃんも全部蓑浦と諸戸の話」と聞いて、あぁ、と色々な事が一気に腑に落ちた。
なるほど、それならば『重大』としてあれだけのページを割かれるのにも合点がいく。私が不要と判断した部分を省略した結果がそれなのだから、残った文章には残される意図があるのだ。
また、秀ちゃん→吉ちゃんと蓑浦→諸戸のそれぞれの描写そのものすら似通っている場面すらある。
 吉ちゃんと秀ちゃんは癒合双体であり、決して離れる事はできない。
もちろん諸戸と蓑浦はこの二人とは違う。
ただしそれは、あくまで見た目だけの話で、たとえ肉体的癒合されていなくとも、この二人もまたそう簡単に互いの存在を切り離せないぐらいに、精神的には癒着してしまったのではないか。
諸戸が泣きながら蓑浦をかき口説いた、あの夜に。
ただしこの癒着は、蓑浦が初代に対して感じた「身も魂も、溶け合って、全く一つのものになり切って」しまうものではない。
作られた、無理やりくっつけられてしまった秀ちゃん吉ちゃん同様、愛慾を受け止めてもらう事しか愛を知らない諸戸と、その同性愛的熱情や愛慾を理解できず「同類憎悪」を抱く私の癒着もまた歪なのだ。
(しかしだからこそ私の中では初代への思いと共存できていたのかもしれない)

 ところでこの癒着、話が進んで蓑浦と諸戸の雰囲気が良くなるにつれて、進んでいく。
それはもちろん二人の間の空気が変わる事でもあるのだが、それは作中、というか文中からもうかがえる。
この作品は私の経験談として語られているので、作中に()で注釈や私の心情が語られる。
(秀ちゃんの手記にも()は登場するけれど、あれは手記をわかりやすく書き直したもの、または秀ちゃんがその通り注釈として入れたものとして一旦この考察からは除外する)
しかし唯一、「」書きでしゃべっている中に私が入れた注釈ではない()で心情が挿入される人物がいる。
それが諸戸である。
 最初に読み流していた時は気付いていなかったけど、諸戸の「」書き台詞の中に心情を挿入する()は3つ出てくる。
これが正直背筋が薄ら寒くなるレベルなので、実際に読んでもらいたい。
私は気付いて読んでいた途中の原作を落とした。
 先にも書いた通り、この作品は私の経験談として語られているのである。
なので心情を正しく語れるのは私のものだけである。
しかし、諸戸の「」書き中の()は、明らかに諸戸なのである。
1つは蓑浦への言い訳を重ねるような台詞で、1つは「僕」の父への嘆き、そして1つは『「僕」がそれを疑ったのはそういう伝説があるからだよ』という明らかな蓑浦への呼びかけ。
 何が薄気味悪いかって、これ別に諸戸が言葉として発していたなら、()など付けずにそのまま書けばいい台詞なのである、どれも。
それをわざわざ()の中に入れているのは、まるで私がその時諸戸がこう思っていたと知っている、またはそんな心の声が聞こえた、ような表現で。
これは「まったく一つになり切った」とまで思った初代にすらない。
というか諸戸以外にはない。(私が致命的な見落としをしていなければ)
それが私には、諸戸との、ざっくり言ってしまえば精神的に深いつながりを見せつけられてたようにも思えてならないのだ。

 しかし、吉ちゃん秀ちゃんが切り離されたように、蓑浦と諸戸もまた繋がっていられなくなる時がくる。
それが地下でのあの出来事(もはや濁す必要もなさそうだけどひとまず)なのだが、諸戸が蓑浦の白髪化の原因をそれと理解した一方、私はどうだったのだろうか。
というかそもそも、本当に蓑浦の白髪化の原因はそれに求められるのだろうか。
白髪化に気付くのは地下から出たところで、いつ起こったかは誰もわからないし、私には違うように思える。
少なくともそれだけではないだろう、と思える。
もしそれがそこまでの恐怖ならば、やはり諸戸をその後も身近に置こうとはしないはずだ。
 諸戸は同じくこのタイミングで蓑浦との癒着が断たれた事を知る(または断たれたと思い込む)が、蓑浦はそれにも気付いてはいない。
だからこそ、この事件の後でも諸戸を手放す、遠ざける事など考えはしないのだ。
しかしそれは、諸戸の死で永遠に叶わなくなる。
 初代とは違う、歪な、けれど確かに一度は癒着した半身を失う痛みは、どれほどのものか。
それは初代の死に対して描写された蓑浦の様子を重ねればわかる。
ただし、諸戸の愛を受け入れられず、それを異様と表し続ける蓑浦は、それを読者に知られるわけにはいかない。
(まだ諸戸と癒着するほど繋がっていた事を自覚していない可能性ももちろんある。)
だからこそ、初代の時のような愚痴をぶちまけるわけにはいかなかった。
それ故にあまりにも冷たい「残念である」とだけの一文を記し、最後に手紙の文章を載せるに留めざるをえなかったのではないか。

 諸戸が望んだ、それしか望めなかった愛とは違うけれど、確かに蓑浦からも彼への愛はあった、と今なら言える。
そう考えると諸戸を外科病院の院長に、というのも、片輪者製造に魅力を感じ始めた自分を恐れていた諸戸を、その技術が誰かを救えるという道へ戻す事で彼の心を軽くしようとしていたようにさえ思えてくるのだ。(丈五郎の妻の存在がどうしても気にかかるけど、諸戸家での彼と彼女の対面が存外普通だった故に気にするものでもないと判断したのかもしれない)

 いやもう、ここまで見方ひっくり返されると思わなかったし、最初本当に何読んでたんだろうな!? ってレベルで色々読み落としててびっくりする。
秀ちゃんを好きになっていく事を「前世からの不幸なる約束事の様」って言い回しもよくよく考えるとおかしいし(後の妻になる女性との出会いを不幸なるって!?)(でも秀ちゃんを好きにならなければ諸戸と切り離される事はなかったかもしれない。少なくともこの時には)、序章で「主人公(或は副主人公)である私」なんて表現も出てきてこれ完全に経験談という体裁をとった「蓑浦と諸戸の物語」では……。
「主人公(或は副主人公)である私」については、舞台での「私」と「箕浦」という見方もできそうだけど、未見の私は保留。
あ、忘れてた。
最初の答えを書いておくと、私を悪者的に、諸戸をかわいそうに見せてるのって「私」に違いない。

鬼はもう、どこにもいない。

舞台を目の当たりにして、何を思うか、何を目撃するのかが今から本当に楽しみ。
私が雪を憎む鬼にならないよう、祈りつつ。


<考察の余地がありそうだなと思ってるんだけど、詳細は改めてそれに絞った確認等が必要で観劇前にはやりきれないだろう断片まとめ>
・『諸戸』『諸戸道雄』『道雄』 諸戸を表現する時の表記ブレの意図またはその理由。(『道雄』の初出はp217「三日間」? 声に出すのは地下にいる時だけ?島にいる間はちょこちょこ道雄表記?)
・「君は嫉妬しているの」が何故あんなにも重い言葉で、決壊を呼び起こすのか。(諸戸→初代への嫉妬による殺害を疑っている時は、蓑浦は直接的な単語を口にしない。少しお酒の入った諸戸が勝手にべらべらしゃべりだす)
・秀ちゃんに好意を寄せているのを恥じる時の「我と我身』は誰か。一人? 二人?
・「(諸戸が世の人間と違ったところがあるのは)表面善人らしく見えていて、その裏側に、えたいの知れぬ悪がひそんでいる(中略)と云った感じなのである」 この<悪>とは? 単純に同性愛=悪?と思っている? 地下での「人間の心の奥底に隠れている、ゾッとする程不気味なもの」とイコール?
・地下で諸戸はさまざまに例えられるけど、「蛇」は3度出てくる。蛇は執念、そして「嫉妬」の象徴。二人の決壊の引き金も「嫉妬」
・そもそも諸戸は何故蓑浦へ執着を向けたのか。
・舞台サブタイトル中の「炎」は蓑浦と諸戸の「あつい手」?「火の様に燃えた」諸戸の頬?
・結局私の「死以上の恐怖」とは何を指すのか。 諸戸の狂乱としても単純に「襲われた」という事実ではない?様々な恐怖の積み重ねなのだとしても、何か決定打がある?
・私のいう癒着が進んでいる間は諸戸の愛情に対して異様とか他の否定的な表現が出てこない?までいかなくても少ない? それまでは事あるごとに異様だの何だの言われてない?


多分まだ読み落としてる事いっぱいある……舞台観た方は原作も是非。


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てらだ。 @yuzu9232

秀ちゃんと出会わなければ、初代のように「一つになり切った」ような対象が諸戸になっていた可能性もあるのかな。吉ちゃんはこんな風にくっついている方が嬉しいよと言った、諸戸は?ただ友情だけ受け入れてという望みがかなってそれでよかった?

2017-02-11 09:49:22
てらだ。 @yuzu9232

歪なる癒合では、くっついていられても一つには決してなれない。一つになりたければ、痛みを伴っても断ち切らないといけない。私は諸戸と癒着した私を断ちきってでも、その出会いを不幸なると呼ぶならば、秀ちゃんではなく諸戸と一つになりたかった?(肉体的な意味ではなく)

2017-02-11 09:52:09
てらだ。 @yuzu9232

私は書くことと同じぐらい書かない事にも意味があると思ってるし、最後妙な駆け足感を覚えたこともあって、この書かない理由が浮かんでから読んだら印刷文字なのに諸戸の話を走り書いて、最後の文章(手紙を横に並べなくても諳じられる)を書いた後叩きつけるように筆を置く蓑浦が見えた気がした

2017-02-11 10:25:42

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てらだ。 @yuzu9232
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