楠野の頭は真鍮の鳥籠だ。アンティーク調の鍵の付いた、からの鳥籠。楠野のように、無機物や抽象的な図形の頭を持つものは時々世にふと現れ、“異邦人”と呼ばれている。
この町で人の頭を持たない人物など、珍しくも何ともなかった。見渡せば人間、人に近い容姿のもの、人の形ですらないものが町を悠々と闊歩する。まるで寄せ集めの玩具箱のような町で、彼の外見も普通だった。ただ一つ変わった点を上げるならば、中身が“から”ということだけだろう。
籠の頭を持つ者は他にもいる。他の彼らはなにかしらを中に納めていた。納めていないと落ち着かない、気付いたら入っていたというのが大概の話だ。ところが、楠野は世に現れた時から入れるものを持っていなかった。入れていなくても不快感はなく、自分が異邦人の中でも異質であることは薄々感づいていた。
楠野が“探し屋”という名のよろづ屋を生業としているのはそれが一番の理由だった。無くしたもの、見つからないもの、見つけてほしいもの。なるべく希望に添った物を探し出す。彼自身が納めるべきものを探し出す参考にと始めた仕事も、今では当初の目的も朧気になり、天職として楽しんでいた。
何でも屋に近いため雑用に駆り出されることも多く、彼の名はそこそこ知られていた。
そして彼は今、依頼で町外れの倉庫に足を踏み入れている。中は薄暗く、若干埃臭かった。町祭りで時々使われるであろう大がかりな出し物に、段ボールからはみ出した装飾品が覗く。奥に追いやられている山はいつかまとめて廃棄されるのか。様々な運命を待つ品々が整理されるわけでもなく、用途や季節ごとに邪魔にならない程度に置かれていた。
突き進んでいくと、唯一明るい場所が見えてきた。天窓からさす柔らかな日差しがそこだけを照らしている。
ここで楠野は少女と出会った。木箱の上に腰を下ろし、日差しより柔らかな表情をしていた。倉庫には似つかわしくない少女だった。
楠野はその手紙をしばらく忘れることが出来ないだろう。
ビルの2階にある楠野の事務所、兼自宅には滅多に郵便物が届かない。久方振りに見た封筒には差出人の名前も住所もなく、ただ『探し屋様へ』と書かれていた。匿名の依頼がないわけではない。前から個人情報を伏せた依頼は何度もあった。迷惑ごとに巻き込まれるのは好きでないが、モノによっては必要な時もある。楠野は慣れた手つきで開封し、中の手紙に目を通した。
まず匿名であることと、直接電話出来ないことの断りと謝罪が書いてある。そして、その先には本件である依頼内容であろう一文がと書いてあった。
「青いクックロビンに休息を」
抽象的な文だった。依頼とも、いたずらともとれる内容の下には場所と日時の指定がされている。成金マダムのプレゼント探しの方がまだマシだろう。
楠野はこの時、変な依頼が来ただけにしか思っていなかった。匿名の手紙が平凡な生活に変化をもたらすとも知らずに。
二日後の空は青く澄み、楠野は指定されたカフェにいた。朝早い店内は静かで人の目が少ない。今座っている一番奥の席も指定されていたものだ。依頼者を待つ間、青いクックロビンについて思案を巡らせることにした。
クックロビンは一般的には駒鳥を指す。青い鳥をキーワードとして思い付くものは様々あるが、最近の有名所と言えば彼女達だろう。
皆一様に水色の髪と青い瞳を持ち、心を揺さぶる至高の声で『希望』を歌いあげる。愛玩用生命体として人工的に生まれた彼女達を、人々は“青い鳥”と呼んだ。それぞれ違う容姿、性格を持ち、買われた持ち主にその姿と声、持てる全てを捧げる。オーダーメイドができることもあってか、高価ではあるが人気があった。アイドル歌手のような活動をする鳥もいたはずだ。
ただ、それがどう結びつくのかは楠野は思い当たる節が無い。“青い鳥”は関係ないだろうと、捜し物の候補からは除くことにした。
「探し屋さんかね?」
声を掛けられ、楠野は顔を上げた。柔和な表情の老人が左に立っている。彼が依頼主なのだろう。立ち上がり、目の前の席にどうそと促すと、老人は頭を下げて目の前に座った。
老人は掲げていた鞄から封筒を取り出し、机に乗せた。
「これが君への封筒だそうだ」
「貴方が依頼主では?」
「私は通りがかりの少年に頼まれただけさ、ちょうど近くだったので受けただけで」
老人は朗らかに微笑んだ。彼も依頼を受けた中継役なのかもしれない。だとしたら依頼主は人の手を何度も介して、手紙を渡して来たことになる。ここまで用意周到な相手を楠野は知らない。個人的に興味が沸いてきた。ここまで周到に用意された依頼は初めてだ。
「有り難うございます。よければ1杯奢りますよ、飲んでいってください」
「ほう、それは得をした」
老紳士が薫り高いエスプレッソを満足げに嗜んでいる中、楠野は2つ目の封筒の中身を確認した。中にはまた便箋が一枚、今度はどこかの住所が書かれていた。楠野はこの場所に一度で行ったことがあった。町祭り飾りの大捜索の依頼で駆り出された、郊外にある共用倉庫の住所だ。
机にエスプレッソの代金を置くと、老人と軽く挨拶を交わして足早に店をあとにした。
そして、彼は共用倉庫で少女と出会った。
「こんにちは」
「あ、ああ。こんにちは」
静かな倉庫に響く、すずやかで玲瓏とした声にはっとする。思い出したように返すと、少女は満足そうにさらに顔を緩ませた。近付く楠野に嫌悪感を抱くこともなく、そこに座っている。
「青い鳥、だな?」
今度は楠野が問うと、少女は戸惑いながらも小さく頷いた。
戸惑う必要などあるのだろうか。少女の髪は空より澄んだ水色で、瞳は深い海の青を湛えている。その容姿は間違いなく『青い鳥』だ。
きっとこの少女を目的地に連れていくことが目的なのだろう。回りくどくせずとも、一言で済む簡単な内容じゃないか。興味を引いたわりにはあっさりと解決した。楠野は少々落胆した。
「じゃあ、貴方が探し屋さん?」
「そうだ。どうやらアンタをどっかへ連れていくのが依頼らしい、場所は分かるか?」
「はい。その前に行きたいところがあるんです、いいですか?」
断る理由もない楠野は短く了承した。
彼女が外に出るのはこれが初めてだそうだ。倉庫から一番近いトラムの駅まで歩きながら、少女は自分達について少し話してくれた。青い鳥は自分を意識できたら、日常的な動作や読み書き、最低限の知識が身に付くまでしばらくは施設で生活を送るらしい。
駅に着いた少女は初めて間近で見たトラムに、驚きを隠さなかった。小柄な身体のせいか、遠足にはしゃぐ小学生にも見える。乗り込んだあとも、少し体を乗り出して外を眺めている。隣に座っていた楠野はその横顔を興味深く見ていた。
依頼の報酬は彼女が最終目的地に着いた時点で、楠野に渡されるらしい。少女に切符代をどうするか尋ねたときに説明をされた。少女自身も自分が使う分のお小遣いは持たされている。既に初めて買った切符を満足そうに、手にしている。金銭に余裕のある、富裕層が彼女の買い主になるのだろうか。
いいところに買われるのかね。ぼんやりと横顔を見ていた楠野に、景色を映し込んでいた青の瞳が向く。どうやらお目当ての場所を見付けたようだ。彼女に呼ばれるまま、楠野もトラムから降りた。
「美味しそう!」
ひとつの目的地は、手作りワッフルで有名な喫茶店だった。ジャズ調のオルゴールが店内に響くなか、テーブルの上にキツネ色に焼かれた生地が運ばれた。
上には生クリーム、バニラとチョコレートのアイスクリームが乗せられている。アクセントと色どりにバナナと苺を、さらに惜しみなくチョコレートソースが掛けられている。見るからに甘い。久々に視界に洋菓子を入れ、楠野はそれだけで胸やけを起こしそうになった。
「食べたことないのか?」
「外に出てからのお楽しみだって、言われました」
プレートいっぱいのワッフルに声を弾ませている。ナイフとフォークを持つ姿は何であっても、女の子なのだと実感させられた。
「いただきます」と両手を合わせてから、一口頬張る。口を動かすたび、少女の頬が緩んでいくのが楠野にも分かった。これまた初めてのミルクティーも口にあったのか、交互に口にしては幸せそうに何度も美味しいと呟く。そのままゆっくりと時間をかけて味わっていた。
「他にも行きたいところがあるのか?」
「今度は、あの場所に行ってみたいです」
最後のひとくちを残しておいた紅茶を飲み干し、少女は楠野の後ろを指さした。振り向くと、コルクボードに貼られたポスターがあった。淡い点描で描かれた観覧車はこの地域でも有名だ。
「あれって、観覧車か。遊園地は行ったこと……ないよな」
「遊園地にあるんですか!?」
「無かったらどこにあるんだ」
トラムに乗ったときよりも少女の瞳が輝いている。幼い反応に思わず楠野は苦笑してしまった。
遠くから眺めるしかなかった観覧車は、彼女にとって外の世界の象徴だった。ぐるぐると回り続ける小さな部屋達。ゆっくりと地上を離れて、見下ろすこの町はどう見えるのだろう。見かけるたびに想像してきたのだ。
店を出て再びトラムに乗り、二人は次の目的地を目指すことにした。
午後になっても遊園地の賑わいが薄れることはない。笑顔が眩しい係員から切られたチケットを受け取り、少女の後について楠野も入る。
遊園地はまるで異国だ。テンポのいい浮かれた音楽がそこらかしこから流れ、その音量に負けないくらいの様々な声に溢れている。それは広場や市場でも同じなのかもしれないが、此処には外とは違う独自の空気があるのだ。だからこそ皆が楽しめる。
少女も空気に飲まれ、浮かれた早足で観覧車を一目散に目指していた。楠野が慌てて追うのもお構いなしだ。だが突然、彼女は中央広場で足を止めた。そこには少女の同じ髪と目の色をした女性達がいた。色とりどりのドレスやアクセサリーを身にまとい素晴らしい歌声を披露しながら、広場を席巻するきらびやかな大型の移動式オルゴールにオブジェのように配置されている。
「ブルー・オペラ、だとさ」
パンフレットを確認すると定時毎に行われるショーらしい。フィナーレが近いのか、彼女たちの背中から薄青に光る羽根のようなエフェクトが現れる。
これが『青い鳥』と呼ばれる、もう一つの理由だ。青い鳥は羽根のエフェクトを出して歌うと、直接人の感情を揺さぶることが出来る。揺さぶる強さや広さに個体差はあれど、希望を歌えば奮い立たせ、悲哀を歌えば必ず涙を誘う。この特殊な機能は脳を良くも悪くも刺激するため、制限がかけられていた。
フィナーレで光る紙吹雪が舞う中でも、羽根を出し続けていたのは一人か二人程度だ。
沸き上がる歓声と拍手に、楠野は思わず「凄いな」と感想を漏らす。彼も少なからず揺さぶられたのかもしれない。ところが隣にいた少女は目を伏せて、足早にその場から離れていく。小さな背中にさっきまでの高揚感が感じられない。
何かまずいことでもいっただろうか。楠野に話しかける機会を与えぬまま、少女は観覧車の元へたどり着く。そして彼のスーツの裾を掴み、じっと相手を見つめた。
「では、空の旅をお楽しみくださいませ」
二人を乗せた球体のゴンドラは頂点に向かって、ゆっくりと回り出す。乗る気など楠野は最初からなかった。だが彼女の視線と添乗員の笑顔に気圧され、溜息を愛想笑いに隠して扉をくぐってしまった。
動くたびに少しずつ小さくなっていく人影。アトラクションの屋根屋根を見下ろし、園外の市街地も少しずつ見え始める。向かいで楽しげに眺める彼女の姿は、広場に向かうまでと変わらない。それが余計に楠野の心に靄を作る。
少女は景色を眺めたまま、口を開いた。
「探し屋さんは、これに乗ったことがありますか?」
「いや。初めてだ」
考えたこともなかったが、興味もなかったな。
楠野も窓の外に顔を向けた。離れていくにつれ、自分の過ごしている街がどんどんと造りものに見えてくる。
「青い鳥は高いところが好きなんですよ、みんな高い場所には興味があるんです」
「じゃあ、アンタも青い鳥の一人ってことだな」
「そうですね。これは本当に飛んでるみたい」
明らかに声がワントーン下がった。彼女が『青い鳥』という言葉に反応しているのは明らかだった。依頼から少女にまで、今回の事柄に絡んでくるキーワード。ただ『駒鳥』の意味を、未だ楠野は理解出来ていない。
「そういえば、なんで羽根が出るんだろうな。エフェクトが出るにしても、なんか仕掛けがあるだろう」
かねてからの疑問を、なんとなくに楠野が少女へ投げかけた。すると彼女は振り向き、きちんと向かい合うように座り直した。
彼の顔が表情の出る『顔』であれば、目を大きく見開いただろう。いきなり相手が詰め襟のシャツのボタンをはずし始めたのだ。
何をしている。そう出しかけた声は喉で詰まり、腹へと戻っていった。
躊躇いなく見せられた白いデコルテ。その中央には宝石が埋め込まれていた。水色に色づいた石が遮りのない場所で、光に照らされ、波間のようにきらきらと反射している。
「これが私たちの“もと”です。ここを使って音を出すと、背中から青い羽根が出るんです。これがないと青い鳥とは呼べません、証拠であり証明です」
「自分自身ってことか。貴重品なんだな」
「大事です、とっても大切なんです。私にはあっても、なくても、同じだけど」
シャツを直し、少女は誇り高く胸を張る。その自信もつかの間、またあの笑顔を浮かべていた。楠野に問いかける隙を与えず、指さす。今度は楠野が振り向く番だった。
「探し屋さん、あそこが最後の目的地です」
窓ガラス越しに見えたのは、市街地から離れた小さな岬だった。
岬は小さくとも海からは高く、下を眺めると岸壁に叩きつけられ白く泡立つ波が見えた。同じ見方でも、観覧車とは全く違う景観。
「港じゃなくていいのか」
「みなと? ここでいいんですよ、駒鳥だから」
岩のひとつに座り、潮風を感じていた少女は首を傾げた。髪がきつめの風になびいている。色のせいだろうか。相手がこのまま、空と海に溶けていくような気がしたのだ。彼女は何かを心に決めた、だが優しさを忘れない眼差しでこちらを見つめていた。
「歌っても、いいですか?」
「あ、ああ。お好きに」
少女の小さな唇がゆっくり息を吸い込み、大きく開かれた。波の音が耳を占拠する場所で、少女の声はそれよりも強く楠野に届いた。
優しく、凛とした歌声はどの青い鳥よりも伸びやかだった。歌うことが楽しくてたまらない。彼女達が元から持っている生き甲斐が、音になって楠野の体の芯に伝わってくる。
全身全霊を込め、悔いの残らないぬよう歌いあげる少女。青色の瞳は、何故か悲哀に染まっていた。
なびいていた毛先が青白く発光し始める。楠野はきっと羽根が出るのだろうと思っていた。一瞬強くきらめいた瞬間、彼女の声は消えた。
楠野は耳を疑った。あんなにも響きわたっていた声は潰れ、ノイズにまみれ、ただの雑音に変わっていく。それは徐々に波音と同化し、彼女の口が動いても、なにも届かなくなっていた。
そんな楠野を見て、少女は歌うのをやめた。
そして「私、不良品なんです」と、あの顔で笑うのだった。
「私以外はみんな、きれいな羽と一緒に歌うんです。どれだけ薬を飲んでも、何回注射されても、私は希望を歌えなかった。いつからか歌なんて忘れていました。そして、今日、駒鳥になるようにと初めて外に出たんです」
生まれてきたときから、彼女の世界は文字通り灰色だった。能力が安定してきた頃に受けるテストで、自分は鳥でないと突きつけられた。量を変え、形を変え、薬を投与される日々。
自ら光ることのない胸元の宝石に、何度も苛立ちを覚えた。けなされて同類だった鳥からは突き放された。そのうち諦めることも覚えた。諦めて受け入れていけば、なんとかなると思った。全てから見放されて死を選ぶときも、「ああ、来たんだ」と少女は受け入れた。こうして彼女は外の世界に出たのだ。
初めての景色を歩く。初めて会う人と話す。憧れていたモノに触れる。風を感じて、音を聞いて。モノクロだった少女の世界に色が付いていく。楽しかった。彼女は生まれて初めて、生きていることを実感し、楽しいと感じていた。
楠野は相手から出た“不良品”という言葉と、さっきまで歌っていた詩を思い出した。彼は理解した。
依頼内容とは彼女を満足させてから、殺すこと。だから彼女は行きたいところに、楠野を連れ回した。もう彼女がいた場所に居場所などとっくになく、
「誰が駒鳥殺したの、か」
「はい。でも、また歌えて嬉しかったです。ありがとうございます」
「殺される相手に礼を言うのか?」
「初めて私の歌を聴いてくれましたから。報酬はこの宝石だそうです。綺麗だから、高く売れると言っていました」
青い鳥の宝石はまれに市場に出回ることがある。何かの都合で交換され、白濁した薄青の貴石はクラシカル・ブルーと呼ばれた。クッラク(ひび割れ)だろうと希少価値の高い宝石が本物で澄み切ったままであれば、その市場価値は計り知れない。
彼女は諦めを覚えたと、楠野に言った。だが、後悔をしない者がこんなにも曖昧に笑うのだろうか。
「聞いておくが、それでいいのか」
「いいもなにも、そうしろって言われたんです。そうするしか、ないんです」
「嫌じゃないのか」
その一言が少女の心の底の、さらに深い場所に隠していたものを揺さぶった。最期の休息は彼女に変化をもたらしていた。
掌を強く握りしめ、少女は必死で笑顔を繕おうとする。
「思ったって……思ったって、もう遅いですよ」
「遅いと思うのか」
「もっと知りたくなったって、欲しくなったって、私はもう鳥じゃない。いる価値も理由もないのは……いなくたってっ、いなくたって! いいに決まってるの!」
言葉の端々が荒くなっていった。笑みは崩れ、青い瞳が潤み、涙の膜が厚みを作っている。楠野に言われずとも彼女自身、生きていたいと思うことが出来た。それでも、思うことが出来ただけだ。いくら自分で希望を持とうと、不良品という劣等感が付きまとう。
「外になんて出なきゃ良かった、探し屋さんと会わなきゃ良かった。生まれてなんて……来なかったら良かったっ……!」
「それ以上言うな」