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カイトの祖母の話

全体公開 遊戯王ZEXAL(Pixiv未UP) 9 2 10197文字
2017-03-12 17:27:33

「尊敬していた。同時に、『こうはなるまい』とも思っていたがな。
だが、結局、年々、どんどん似ていくな。血には勝てん」
「ふーん。カイトのばあちゃんって、そんなにカイトに似てんのかー。
じゃあ、おっかなくて、カッコイイばあちゃんだったんだな」

【天城一家の話】

「尊敬していた。同時に、『こうはなるまい』とも思っていたがな。
だが、結局、年々、どんどん似ていくな。血には勝てん」
「ふーん。カイトのばあちゃんって、そんなにカイトに似てんのかー。
じゃあ、おっかなくて、カッコイイばあちゃんだったんだな」

◇ ◇ ◇

『ミルキーウェイと龍の歌』
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12814853
のベース。
アルプスの母方の祖母の話。
カイトが家から叩き出されて、オービタルを創るまでの人生の話。

<カイトが祖母と暮らすまで>

幼い頃、カイトの母は、ハルトを産んで間も無く亡くなりました。
そして間も無く、幼いハルトと共に、アルプスに連れて来られたカイトは、父フェイカーに、祖母の元に置き去りにされます。そうして、祖母との生活が始まりました。ハルトは、カイトが九歳の時に産まれた子。父と離れたのは、まだカイトがエレメンタリースクールも出ていない頃でした。

カイトの祖母は、アルプスの男の元に嫁いだ純日本人。カイトとハルトは、ハーフの母から産まれた日本人クォーターでした。

カイトの祖母は厳格な人で、穏やかで自然の厳しい風土の町でやや偏屈で無口な人で、見事な革細工や鹿の角細工で高齢ながらきっちり生計を立ててる人で、フェイカーとは疎遠でした。

カイトは町のミッションスクールにはあまりきちんと通っていませんでした。元より、生徒数が十名にも満たない学校でした。教室の隅で静かに本を読んでいるか、とても小さな図書室の一角で星の図鑑を開いているかの、物静かな少年でした。そしてそんな彼は、頭が良過ぎたこともあって、話が合わない、会話の手応えがない、と感じる事が多く。あまり町の子供達とは馴染めませんでした。
いじめられるわけでも無視されるわけでもなく、ただ流れるままにカイトは一人でした。一人で、いつも物思いに耽っていました。その内、ただなんとなく、学校には行かなくなりました。そして、祖母もそれを、無関心にも思えるほど、咎めませんでした。それが、カイトには有難く感じました。

母を亡くしたカイトに、幸い、町の大人は親切でした。カイトは聡明で、学校の同級生よりも大人の方が話し相手には丁度良かった事もあって、カイトは恐らく、可愛がられて、いた、のだとカイトは思いました。けれど、それにカイトの心は揺れませんでした。カイトは、いつも遠くを見ていました。星の向こうばかりを見ていました。地上の事に、あまり関心が無かったのです。パンを分けてもらう事、チーズをおまけしてもらう事、それを有難く感じる心はありました。むしろ、とても感謝していました。けれど、それが、表情に出てくる事は、あまりありませんでした。穏やかで何も無い、平和な自然の町。薄い膜の中にいるように、カイトにとってそこは現実感の無い世界でした。刺激の無さは、カイトに感動も哀しみも与えませんでした。


デュエルすら無い田舎町。そこが、カイトの故郷でした。



そんなカイトにも、やがて心動く何かとの出会いがありました。
壊れた一台のラジオでした。

<カイトが機械に触れるまで>

パンとチーズを買いに行くのはカイトの仕事でした。この頃、カイトは日本で言う中学生になっていました。いつもの店に行って、いつものように買い物を終え、帰る頃。店先で呑気に流れていたラジオが雑音を立てて止まりました。今までも、時々そうやって、度々止まってはまた音を出していたラジオは、今日はうんともすんとも言いませんでした。それを、カイトは、ただ、少し訝しげに振り返って。じっと見ていました。
店の店主が何度か叩いても動かず、いよいよお釈迦か、という所で、捨てられるはずのそれは、カイトの目に止まって、カイトに譲られました。カイトは、ふと、何故だろう、と疑問を持つと、徹底的に調べなければ気が済まないタイプでした。それが、その日はたまたま、ラジオだったというだけで、深い意味はありませんでした。

けれど、家に帰ってそれを分解してみた時。
カイトは、無駄の無い配線と未知の基盤に、ぶわりと自分の中に激しい熱が生まれるのを感じました。
それは、学校で大人相手に複雑な数式をピタリと解いて見せた時よりも、よっぽど手応えの有るパズルでした。カイトは、アルプスに来てから初めて徹夜で何かに取り組みました。それまで、早朝に起きて日の沈んですぐ眠る規則正しい生活をしていた少年は、それを機会に徹夜癖が付きます。熱中してそれを全て分解しきり、そうして、全て元に戻して、ラジオはまた音を奏で始めました。見上げた白んだ空は、冷え冷えとして例えようもなく美しく在りました。

<カイトが家を叩き出されるまで>

機械弄りにハマったカイトは、けれど非常に細々と隠れながら取り組んでいました。
町で古い物や捨てられた機械を見つけると持ち帰って、ひっそりと分解しては調べて、その繰り返しでした。
デュエルのないこの町で。それは、カイトを珍しく夢中にさせるものでしたが、カイトはそれをずっと部屋の隅に隠していました。
高名な機械学者、ロボット工学の父。義理の息子フェイカーと不仲の祖母に、気を使ったからでした。

父の血は、案外すぐ近くに流れているんだなと カイトは、思いました。
手先の器用さは、祖母譲りだろうな、と。そう思いながら、今日もカイトは、祖母の細工仕事の手伝いをしていました。
祖母は、アルプスの鹿角や染め織物を加工して品にする職人でした。カイトは細々と祖母を手伝っていましたが、それが生活の糧を得る術だと知っていましたし、機械弄りでそれを疎かにすることはありませんでした。不平も不満もなく、カイトはそれを受け容れていて、だから、やがて機械弄りもまた、日々の生活に埃を被って埋もれていくはずでした。
祖母がある日、悪い腰を押して二階のカイトの部屋に上がって来て、部屋の隅に広げた機械の分解と、机の上だけのささやかな作業場を見つけるまで。

その晩、カイトは祖母に家の戸から叩き出されました。

<カイトが夜行に乗るまで>

「帰って来るんじゃないよ」
鞄と羽織りを放られ、カイトは途方に暮れました。
ピシャリと閉められた戸に慈悲は無く、カイトは困惑しました。機械が見つかったことはすぐに判りました。けれども、祖母の意図が判りません。祖母は職人気質で頑固でいささか苛烈なきらいこそ有りましたが、決して理不尽を強いる人ではありませんでした。今の今まで、カイトは祖母を、幼い弟と自分を不自由なく老体で育ててくれた、無口で愛情深い人だと感じていました。
のろのろと荷の詰まった鞄を拾ったカイトは、その中に着替えと往路のパンとチーズ、そして夜行の汽車の切符が収められている事を知りました。祖母は本気でした。本気でカイトをこの家から叩き出していました。
夜行の席の時間は迫っていました。カイトは、よろよろと鞄を背負い、祖母の織った羽織りを纏うと、深々と頭を下げました。
「お世話、になりました」
震えた声を必死に抑えつけました。戸は開きませんでした。
カイトは、下山しました。麓の駅に向かって。
夜露がまだ冷える、春口の夜のことでした。


夜行の汽車の中で、質素なシーツに揺すられながら、カイトは物思いに耽りました。
カイトの手には、夜行の往路のチケットと、一枚のチラシが有りました。
それは、夜行の行き先の大きな街の、その中でも大きな、寮制のスクールでした。
(お祖母さんオーマに、オレは、厄介払いされたんだろうか)
そうして目覚めた早朝、鞄の中のパンを齧りながら、カイトはそのスクールを訪れました。
そこは、カイトが見たことのない規模の総合スクールでした。朝日が照らす近代的な白い建物、ガラス張りの窓は広く明るく、別世界の様で、八階建てのそこはスクールというよりは総合大学と呼ぶ方がふさわしいような規模のキャンパスでした。
そこは、研究院に併設されたスクールでした。多種多様な専門職が集まるそこは、重機械工学、IT工学、AI研究、ロボット開発と、機械・ソフトウェアに特化した学び舎でした。人並みに流されるままにガラス張りのキャンパスを歩いたカイトは、そこに集まる熱意と知識のるつぼに目を見開きました。そこは別世界でした。カイトの知らない世界が、一握りの人間が集う切磋琢磨の専門分野がありました。
かといって、受付で何と言っていいのか分からず、パン片手にただただその建物を見上げるだけだったカイトに、一人の男性が背後から爽やかに親しげにカイトの名を呼び声を掛けてきました。
祖母の知人を名乗る男性は、ここの寮長でした。

<カイトがスクールに通うまで>

そうしてカイトは、その寮長の男性から、銀行通帳と判子を見せられます。一般家庭には厳しい学費と寮費は、祖母の名義でそこに全て振り込まれていました。
祖母は、カイトが町で色々な所から壊れた機械を貰ってきていたのをとうに知っていたのでした。そうして修理して元の持ち主に返したそれが驚嘆され、町でちょっとした修理屋扱いで重宝されていることも。
ただの厄介払いではとても足りない、今のカイトの日々の稼ぎでは到底手に出来ないような大金に、カイトは通帳を掴んで電話に走りました。普段まるで繋がらない電話は、ワンコールで繋がりました。
「ーーッオーマ!」
『何だい、もうケツ捲って帰る気になったかい』
蓮っ葉で愛想の無い低い老婆の声。いつもの祖母の声でした。今にも「スープが冷めちまう前に帰ってくるんだよ」と、いつものようにしゃがれた声で呼び掛けて来そうな、いつもの祖母でした。
カイトは旧式の電話機片手にくしゃりと眉を落としました。
蓮っ葉でひねた祖母がそんなふうに言う時は、いつだってカイトにその気が無い時なのでした。
……オーマ、オレ、ここで学ぶよ。しばらく帰らないと、思う」
『呆れたね。言うと思ったよ』
オーマが帰って来るなって言ったんじゃないか、という文句は、ずり落ちた羽織りを反射的に肩に引き上げた時に、霧散しました。
春先に歩いた夜露の冷えを感じぬほど。祖母がカイトに持たせた羽織りは、うちにある中で一番丹精込められた上等で質の良い外套でした。保温された羽織りの温もりが、カイトを包んでいました。カイトは苦笑いました。
(言葉が足りない)
カイトは呆れて額を抑えました。そんなカイトこそ、血は争えず数年後にはハートランドで仲間たちに同じセリフを山ほど言われる様になることを、この頃のカイトは知りませんでした。

『カイト。うちの掟は何だった』
「働かざる者食うべからず、ですね、オーマ」
『そぉさ。働くにゃ技術が要るんだ。アタシはこの職一筋で68年やって来た。』
ふん、と荒い鼻息が電話越しに響いていた。
『生きていくにゃ、技術が要るんだ。自分の食い扶持を覚えてきな』


『あんま徹夜すんじゃないよ』
「はい」
『月末までにはハルトに顔を見せに帰ってくるんだよ』
「まだ月初めですよ、もっと早く帰ります」
『いいや、帰って来ないね。賭けてもいいよ』
「どうしてですか」
『判るさ。ドラ義息は知らんが、あんたにはアタシの血が流れてんだからね』
ガチャ、と切られた電話に、カイトは苦笑しました。羽織りはまだ温かく、ガラス張りのロビーには日が高く昇り始めていました。
そうしてカイトはその月。初めて見る学術書の数々に没頭し、棚一列全て読み終えるまで食べる事も寝る事もすっかり忘れていました。慌ててカレンダーをめくって朝一の鈍行の切符を買いに飛び出したのは、やはりその月の最後の週になってからでした。

<カイトがオービタルを作るまで>
カイトがスクールで初めて作ったのは、望遠鏡テレスコープでした。
当時まだ三輪車に乗る程度の年齢だったハルトは、カイトの真似をしてカイトの望遠鏡を覗き込みたがって、けれど物事の道理が判らない幼いハルトは望遠鏡で太陽を見ようとするので、泡を食ってカイトはそれを取り上げたのでした。
「ハルト、これはダメだ」
「やだー!やだー!」
「望遠鏡で太陽を見ると、可視光以外の光によって網膜が損傷するんだ。失明の危険もある」
「???」
……おめめがヤケドしてしまうんだ」
「イタイイタイ?」
「いたいいたい。」
………
………
ふくれたハルトに、カイトは困って困って弱りました。

ハルトは言葉の出が遅い子供でした。知能には問題がなく、むしろ環境の要因が強いと思われました。
純日本人の祖母はアルプスの公用語も当然のように堪能でしたが、家の中での会話は全て日本語でした。
聡いカイトは、その理由を問う無粋はしませんでした。この町では亡くなった祖父だけが、祖母の日本語の話し相手でした。家庭の中で日本語が使われるのは、恐らく祖母が寂しかったからなのだろうと、カイトは思っていました。

ですから、ハルトが日常的に聞いていたのはカイトと祖母の日本語が全てで、一方でテレビやラジオは全てアルプスの公用語でしたから、ハルトの言葉がまだ日本語と公用語の間でふらふらしているのも道理でした。
そのせいか、ハルトもまたカイトに似て少し周囲への関心が薄い子供でした。周りの会話があまり理解できていないのです。そんなハルトが何かに興味を持つ事は良い事なのですが、かといって幼いハルトに望遠鏡を与えるわけにはいきません。

悩んだカイトが出した結論は、「覗いても大丈夫な望遠鏡を作ろう」というものでした。
次の週末に祖母の元へ帰って来たカイトが、ハルトへの初めてのお土産にしたのは、望遠鏡の部品を流用して作った万華鏡でした。

ハルトは喜んで喜んで、飽きずにカイトの作った万華鏡をくるくる覗いていました。その横で、カイトは自作した望遠鏡で、いつまでもハルトの横で子守をしながらアルプスの星を見ていました。それは、カイトにとって安らぎの時間でした。カイトが寮に帰ろうとするとハルトが泣くので、この頃からカイトはハルトに子守ロボットを作る事を考えていました。
お掃除ロボット、略してオボットの類型は、機械工学に特化したスクールではよく見かけました。それが父の特許に基づくものであることは、学ぶうちにすぐにカイトには分かりましたが、それを誰かに告げることはしませんでした。天城は祖母の旧姓でした。父とカイトは姓が違うので、誰に言及される事も無かったのでした。
やがて、カイトは子守ロボット、オボットの類縁のロボットを完成させます。オービタルのプロトタイプに当たるものです。
命名は、ハルトと共に星が好きであったカイトが、オボットをもじって付けたものです。
ハルトの子守ロボットとして作ったプロトタイプロボは、万華鏡をいつまでもくるくるしているハルトの回りを、不慣れにくるくるくるくる回っていました。なかなか理論通りにはいかないようです。その様子はまるで困って子供の回りを右往左往するようで、カイトはくすりとごくごく、ほんの僅か、目元を緩める程度に微笑しました。
オービタルセブンのメモリには、今もその画像が原体験として残っています。
orbitalーーー惑星の軌道
オービタルの誕生でした。

やがて、その名の通り、カイトとハルトの回りを離れずくるくる回り続けるオービタル7の、原風景がここにあります。
カイトが言うには、当時のオービタルには、カイトが実装できた最低限の機能のみで、当時のことを記憶として憶えていられるような予備メモリは無かったはずなのですが、
オービタルはその当時の事を、鮮明に覚えています。月で語ったように。
その科学的に証明できないメモリ部分を、カイトは「バリアライトが何らかの復元的作用を起こしているのかもしれない」と言っていますが、
現実には。ただただ。
どんな物も、愛されれば心を持つ。そういう事なのだと
陽気なお喋り子守ロボットは、知っています。

<カイトが祖母を亡くすまで>
カイトがスクールに通い始めて数年が経ち、ハルトは6歳になっていました。
才能を発揮し、高等部入りを通り越して研究部入りを周囲に熱望されていたカイトですが、カイトはやんわりとそれを断っていました。
「祖母と弟と、もっと一緒にいてやりたいんだ」
オービタルの開発を成功させるほどの周囲に腕は惜しまれましたが、カイトの意思は変わりませんでした。
この頃、祖母は70を過ぎて、胸を患う様になっていました。まだ幼い弟や、高齢の祖母との時間を可能な限り大切にしたいというカイトの思いは、カイトの中で何より大きな物でした。
せめてハルトがエレメンタリーに進んで、自宅にいる時間が短くなって祖母の負担が減るまでは。カイトは、そう思っていました。そうすれば、ハルトに付ききりのオービタルを、介護用に改造して祖母の手伝いをさせよう。そうして落ち着いた頃に、また学べばいい。今度は、本格的に職業として、研究職に打ち込むのも良いかもしれない。まだ時間はありました。エレメンタリーを出てすぐに働き出す者も多かったこの田舎では、この年齢で学校を辞すのはそう珍しい事でもありませんでした。家業を手伝おうとするカイトは、むしろこの田舎では主流な方でした。
「また、周囲の事が落ち着いたら、門を叩きます。ですが、今は」

そして、カイトがその約束を果たす事はありませんでした。
オービタルの改造を待つことなく、祖母は帰らぬ人となり、カイトがスクールの門を叩く事は、二度と無かったのです。

<カイトがオービタルとスープを作るまで>

カイトが見た死装束は、安らかに眠るようでした。
風邪を少し拗らせ入院した祖母は、それでも矍鑠かくしゃくとして元気でした。
いつものように蓮っ葉で、何事も無かったようで、
けれど、何かを悟っていたのでしょうか、今思うと、カイトにはそう思えてなりません。
ハルトをそばにつかせて、着替えなどの細やかな物を取りに帰った晩、急変の電話があり、そのまま帰らぬ人となりました。

通夜の終わった翌日、ハルトは静かに眠る祖母の元に。
カイトはオービタルを連れて一旦自宅へ。ハルトをそっとしてやるためでした。
カイトはレシピを見て、オービタルに読み込ませて、作ろうとしましたが、上手くいかない。ボロボロ、泣く塩気で、スープは辛くなりすぎた。
カイトが祖母をなくて、初めて泣けたのは。
ハルトから離れ、祖母の匂いの残る家で。

祖母に抱き締められると、編んだセーターから柔らかい匂いがした。
この家のどこからも漂う香と油の匂いだ。祖母が仕事に使う油の匂いと、祖父の遺影の前で焚く線香の匂いだ。
会いたい、と思った。もっと抱き締められておけばよかった。
もう、自分を抱き締めてくれる大人は、この世のどこにもいないのだ。
気が付いて、鼻の奥がツンと痛んだ。瞼の下に水が湧いて視界が利かない。むちゃくちゃに叫んでしまいたかった。何も言わないでしゃがみ込んでしまいたかった。自分がどうしたいのかわからなくて立ち尽くすことしかできなかった。地面が歪んで浮いてぐちゃぐちゃだ。胸が疼いて肩まで熱があふれた。気付けば、ボタボタ、俯くまま、しゃがみ込んで水滴を床の木に染み込ませていた。


祖母は、いずれ自分が必ず孫を置いていくことを憂いていたのでしょう。
訪れてくる祖母の友人たちやその娘たちを中心に、カイトの所に舞い込む細々とした仕事は途絶えませんでした。それが祖母が残してくれた財産でした。
中には、もうすぐ7歳になるハルトのことを親身になって見てくれる大人たちもいて、そういった大人たちは、一様に祖母には世話になったとたくさんの話をしていくのです。カイトは、そんな風に祖母の知らない話を多く聞くことを新鮮に思いました。
カイトが働いている間、ハルトはそういった大人たちが、自分の子供と隔てなく見てくれていました。ハルトはおかげで友達が多く、家で働いているのだけが理由ではない、元々の気質が内向的なカイトとは違った友達関係を持つようになります。
カイトは祖母の細工作りの跡を継ぐことはありませんでしたが、祖母が通わせてくれたスクールのおかげで手に職がありました。
確かな腕があったカイトは、贅沢をせず細々と、周囲の見守りもあってハルトと寄り添いながら、無事に村の中で社会の輪に溶け込もうとしていました。

やがて、ハルトが大きくなって、周りの手伝いをするようになる頃には。
カイトは、再びスクールの門を開いて、街で働くことを考えていました。ハルトに勉強をさせてやるためです。
けれど。カイトは二度とスクールの門を叩く事はありませんでした。やがて、絶縁した父の遣い、Mr.ハートランドによってハルトが連れ去られ、カイトの生活は一変するからです。

【カイトの物語は、現代へ】

カイトは、研究がひと段落して
物憂げに、窓の外を見ていた。

今日は嵐だった。雨が酷い。
まるでスコールだった。こんなにも雨が激しいのは久しぶりだった。

よく冷える日だった。祖母のことが強く思い出された。こんな芯から冷える日には、膝を痛がっていた祖母のことを。

(ああ、オーマの鹿肉のスープが飲みたい)


祖母が命の循環に入ったのは、これから楽をさせてやれるかと思っていた矢先だった。
スパルタな祖母だったが、思い返せば祖母からは与えられてばかりだった。
遊馬に「俺で慣れておけ」と言った言葉に嘘はない。
カイトは、祖母の死を乗り越えてここにいる。
けれど、じっくり悼んでいる猶予のないまま
このハートランドに来た。
そんな感傷に浸るのも、本当に久しぶりのことだった。ハートランドに来てからは、初めてと言ってよかった。

そんな中、ハートの塔が騒がしくなった。
何かと思えば、ハルトがびしょぬれの遊馬を迎え入れている。
カイトは、遊馬に何か温かいものを出してやることにした。

遊馬とカイトが、スープを飲みながら話す
カイトの、昔話。
「へへっ」
「? 何を笑っている」
「なんか嬉しくってさ」
遊馬は照れくさそうに鼻をこすった。
「カイトの昔の話、今までぜんぜん聞いたことなかったから」

「尊敬していた。同時に、『こうはなるまい』とも思っていたがな。だが、結局、年々、どんどん似ていくな。血には勝てん」
「ふーん。カイトのばあちゃんって、そんなにカイトに似てんのかー。じゃあ、おっかなくて、カッコイイばあちゃんだったんだな」

遊馬のその言葉は、自然にカイトの胸に沁み込んだ。

遊馬と話すうちに、ささくれていた心が不思議と癒された。
誰かと祖母の記憶を分け合ったのは初めてだった。ハルトはまだ幼かったし、父と祖母の関係は疎遠で複雑だ。
けれど。話してみても、良かったのかもしれなかった。こんなふうに、温かいスープを分け合いながら。

ふと気付くと、遊馬は柔らかな目でカイトを見ていた。
落ち着いた、優しい瞳だった。誰かを悼むことを知っている目だ。
遊馬は両親を喪ったものと何年も思っていたそうだ。だからなのかもしれなかった。
いつのまにか嵐は通り過ぎ、雨は上がっていた。

「カイト、また食いに来ていい?」
……ああ、構わん。いつでも来い」



「オービタル、【rezept】」
そのシンプルな発音で呼び出された機能は一つで、オービタルはアイカメラをくるりと回転させてウィィンと久しく起動していなかったメモリを起動した。「カシコマリ」の声と共に宙に浮かび上がったスクリーンは、古い古い手書きのノートを映していた。もうずいぶん前に読み込ませて、今はもう現存しないノート。レセプト、祖母のレシピだ。オービタルに最も古く搭載した機能の一つだった。オボットは元々、家庭用の家事補助として作られた物だ。
「久しぶりデアリマスな」
「無駄口はいい。オボミと子供達に必要な物を買いに行かせておけ」
「カイトサマがお作リになるデアリマスか?」
「無駄口は良いと言った」
「カシコマリ、厨房のオーブンを温めておくデアリマス。何人分お買い求めデアリマスか?」
「ハルトと父さんとオレで三人分をいや待て、正直久しぶりすぎて失敗しない自信が無い、二人分追加だ」
「カシコマリ!クリストファー様とトロンの食器を出しておくデアリマス!」
………………6年前のオレは何故このポンコツに愉快な無駄口を搭載したんだ…………


オーマと鹿肉のスープをめぐるお話は、これでおしまい。


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