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Gegenstück

全体公開 7385文字
2017-03-28 21:31:06

レンシャル。まだカップルになっていない頃の話。駒坂(@yagidash )との合作になります。

Posted by @smbrfubuki

Gegenstück


 以前、業務で知り合った日本の外交官が、日本には告白という文化があるのだと教えてくれたことがある。なんでも日本人は口説くのが下手だから、恋人になるときと結婚を申し込むとき、その2回さえちゃんと言語化すればあとは愛を囁かなくてもいいらしい。その外交官はかなり茶化して説明していたし、彼がそうした愛を怠る方には見えなかったのだが、彼の部下だという若者を見ればなるほど、そうした文化背景を持っていると言われてもなんら不思議には思えなかった。日本の男は愛を囁くのが下手。ドイツ人よりも下手で、フランス人なんかと比較したらそれは可哀想の域です。告白、Bekenntnisとは通常神への信仰を告白するときに使う言い回しであって、随分大仰な言い回しをするものだと思ったが、流暢にドイツ語を操る目の前の外交官が嘘を吐いているとは思わなかったので、俺は曖昧に相槌を打った。
 きっとあのとき、曖昧にしか返答ができなかったのは、自分の中にある「恋人」というイメージが実像を結んでいなかったからで、世間で言うところの交際を適切に理解できていなかったからだと思う。
 経験がなかったわけではないが、感情の面では殆ど初心者と言っても詐称ではない。恋をする、と言う陳腐で初歩的なところから躓いて、この歳になるまでズルズルと誰も愛さずに生きてしまったが故に、バーで声をかけると言うハードルの高すぎる行いを自分が完遂できたのは今を持ってなお不思議な事件だった。しかしこうしてデートにこぎつけることができたことを考えると、あの時の自分の、から回ったような勇気には感謝こそすれ後悔など微塵もない。運命とは不思議なもので、旅先で出会ったあの銀の毛色を戴く青年が、俺と同じ街で生計を営むようになったと言うのは、最早踏み出さねば罰を受ける、神の定めた将来に他ならないと思った。俺は意外に信心深い方ではある。同性愛者ではあったが、幼少期から世話になっている教会は、とっくの昔に同性愛に対して寛容な姿勢を示していた。

 今度会わないかと言う飾り気のない誘いに、意中の彼はすぐさま返事を寄越した。その日は仕事終わりで良いなら空いている、と乗り気で反応してくれたのが嬉しかった。予定の調整はトントン拍子で進み、俺は待ち合わせ時間から一時間後の時刻に、市民なら誰もが知っているホテルのレストランへ予約を入れた。経営者はうちの顧客で、公私ともに優良な関係を築いている。料理の味だけでなく眺めも最高で、何より地元のものだけでなく世界中の美味いワインを出すので評判だった。フランス出身の彼は、年若いがさぞワインに関しては舌が肥えているだろう。折角移り住んだからには良い面をたくさん知って欲しかった。郷土愛と言ってしまえばそれまでだが、今思えば……少しでも彼をこの街に繋ぎとめようと必死だったのかもしれない。
 仕事を定時で切り上げて、いつもと違う路線の地下鉄に乗る。待ち合わせ場所のハウプトヴァッヘ駅は待ち合わせの定番で、平日の夜は老いも若きも人待ち顔で立ち尽くすところだ。観光地としても有名だが、観光客は寄りつかないほうがいいだろう。残念ながらお世辞にも治安の良い場所ではないからだ。
 入り組んだ階段を駆け上がり、軽く見渡すとすっかり日の落ちた広場の隅に、見間違えるはずもない美しい銀髪が立っている。そして俺はその時、初めて自分の失態に気づいたのだった。
……しまった、服装のことを伝え忘れた」
 待ち合わせ相手の銀髪、シャルルは自身の魅力をよく引き立てる質素な色合いのトレンチコートにジーンズを履き、裾をごついブーツに収めていた。あの派手で目立つ華やかな顔立ちは、カジュアルで控えめな格好にこそ映えると言うものだが、しかし今日は行く場所が場所である。当然ドレスコードがあるし、俺は「仕事終わり」と言う言葉にすっかり引きずられていた。そうだ、彼はいわゆる »Büroangesteller« (サラリーマン)ではない。仕事終わりであればスーツだろうと踏んだのが軽率だった。それで何も伝えなかったのは、明らかに俺の怠慢だ。ドレスコードが必要な店に行くから、スーツを着てきてほしいの一言……きっと、伝える余裕がなかったんだろうが、あまりに初歩的なミスに俺は一人で頭を抱えた。
 幸い、まだ店はやっている時間だ。会って早々落ち込んだ顔を見せるわけにもいかないし、俺はなるべく明るい声を装って、スマートホンをいじる彼に声をかけた。
「久しぶり。待たせたかな」
「あ、いや……お久しぶりです。あれ? スーツ……
「いやあ。本当にごめん、俺のミスだ。まだ時間あるし、ちょっと付き合ってくれるか」
「それはいいですけど。えっ、あの」
「ん?」
「いや、なんでもないです。行きましょう」
 シャルルは初めて会った時に比べると些か表情が強張っていて、久々だから緊張しているのかと思ったが、冷静に考えて仕事後ゆえにまだ切り替えができていないのかもしれなかった。俯き加減な背中は薄く頼りなく、この寒空の中で待っていたのにしては随分と軽装である。彼の出身地であるパリは、ドイツの温室とまで言われるこの街より幾分か寒いだろうが、それにしたって亜寒帯でその格好はなかなか無理をしているんじゃないかと思った。
「スーツ着てくる店だったんですか?」
「うっかりしてた。仕事終わりだったら大体スーツだろうって高を括ったんだよ。申し訳ない」
「ああー。確かに、サラリーマンならそうですよね」
「自分がそうだからって軽率だった。軽くドレスコードのあるところなんだ」
……マジで?」
「ここはお詫びを兼ねて、俺に買わせてほしい」
 彼は紫水晶のような目をこちらへ向けて不思議そうに小首を傾げた。その所作がびっくりするほど色っぽくて、俺は無意識に目をそらしてしまった。直視できない。あまりに高度すぎる美は精神への攻撃が過ぎる。
「何を?」
「平たく言えば、スーツになるのかな」
「そんなの、もらえないですよ。いくらすると思ってるんですか」
「迷惑でないなら。俺の責任だし、店も実は顧客筋で押さえてもらってるから、あまり軽はずみにキャンセルすると心証が良くない。……言い訳がましいけどな」
 シャルルは大変当惑しているようで、あーとか、うーとか小さく唸りながら、最終的にはため息をついて俺の申し出を承諾してくれた。ハウプトヴァッヘの周りにはいくつか百貨店があって、その一角に大体のハイブランドも揃っている。銀行マンが通い詰める退屈な紳士服店では、彼を彩るのに手頃な服など置いていないだろう。例えばそう、彼にはもっと洗練されたデザインの、サイズ感だってぴったりのものが似合う。美しいものは美しく飾られるべきで、引き立つ己の美を飼い殺してしまってはもったいない。当然今の装いも十分過ぎるほど美しいのだが、美は飼い慣らして手懐けなければただの暴力だ。シャルルの暴力的な美しさを引き立てつつ、飼い慣らすためにはストイックでかつ洗練されたロンドン風のスーツが似合うと思った。
 世界に名を知られるロンドンブランドの店舗に立つと、わかりやすくシャルルは居心地悪そうな顔をした。きっと来たこともないのだろう。袖を通したことも、もしかしたらないのかもしれない。
「採寸して買おう。きっと吊るしのスーツじゃ余りが不恰好だ」
「本当にいくらするんですか? カードの限度額超えるかも……
「俺は詫びって言っただろう? 一銭も出させるつもりはないよ」
「本気ですか。貰えないですって」
「受け取ってほしいだけだ。気に入らなければ、一度着て捨ててくれたらいいから」
 俺も大概小狡い大人なので、真面目で実直なシャルルがそんなことはできないはずだと踏んでそう告げた。シャルルは観念したように項垂れ、老紳士の店員がメジャーを持つ腕の前で両手を広げた。

 よく考えれば採寸してすぐスーツなど仕上がるわけがなかったが、その日は運が良かった。マネキンの着ていたサイズがほぼシャルルと同じで、丈だけ少し詰めれば着られるということでそのまま着せて出たのである。マネキンとほぼ同じボディサイズとは、ほぼ理想ということではないか。恐れ入ってしまう。
 着慣れないスーツにシャルルは落ち着かない様子できょろきょろと周りを見渡していたが、いちばん視線が泳ぐのはこちらを見たときで、さすがにそんな反応をされると自分も辛いものがあった。彼ほどの素材は持ち合わせていないながら、こちらも初デートだと思って気合いを入れて、人生で2回しか巻いていないアスコットタイなんて巻いてきたのだ。ちなみに1度目は、先述の外交官と出くわしたパーティでのことである。
「そんなに変か」
「えっ? いや、何がですか?」
「俺の方をまともに見ないから」
「いやあ……それ真顔で言います?」
「気に入らないなら着替えるよ。意外と早く終わったし、予約の時間までまだゆとりがある」
……俺、レンさんが思ったより金持ちなんだなーって今日初めて気づきました」
「茶化すなよ。いいから、遠慮せず要望はぶつけてくれ。今日はなんて言っても、シャルルがこっちにきて初めてのデートだから。機嫌損ねるようなことはしたくない」
 そう言ってやるとシャルルはまた、零れんばかりの紫の眼をこちらに向けてくる。どこまでも透き通って夜だというのに不思議な透明感がある。綺麗だ。初めてあった時も夜だったから、存外夜の方が透き通って見えるのかもしれない。紫の瞳を持つ人間とこんなに近くで言葉を交わしたことがないからよくわからないが。
「ないですよ。何にも。ペルフェクト(Perfekt)、です」
「C’est Vrai?(本当に?)」
「Oui, c’est vrai.(本当です)」
 流れるような発音のフランス語は子音が掠れてどこか色っぽい。大方のドイツ人はそうだと思うが、母国語の硬く重厚な発音と大きく異なるフランス語に憧れているのだ。それも彼の落ち着いた、しかし華やかな声音で聴けば格別だった。俺は街灯に照らされて鈍く光る彼の髪をそっと撫でてやった。猫毛だが、しっかりした髪質ではある。
「俺に時間をかけなくていいなら、シャルルの髪も整えるか?」
……いいですよ。逆に、俺を好きにしたいんだったら、好きにしていい」
「Wirklich?(本当に)」
「Ja, echt. Herzlich(本当に。心から)」
 少し丁寧な応答は彼のゆるやかな発音だと非常に品が良く聞こえた。それがなんだか無意味に嬉しくて、俺はまるで猫の毛並みでも整えるように優しく頭頂部を撫でてやった。



 予約していた時間ぴったりに店に着くと、オーナーが恭しく挨拶をしてきた。いつもなら顧客と銀行員の関係だが、今日だけは客と店主の関係である。しっかりと挨拶を交わし、シャルルを紹介すると行き届いた礼儀でフランス語の挨拶をしてくれた。
 結局色々迷って前髪を上げることにしたわけだが、しっかりとボリュームのある髪はしかるべき照明の中で艶めいていて、控えめに言って大変見栄えがする。スーツもマネキンと変わりない体躯を着こなしているだけあって文句の付け所がない。店に入ってコートを預けるなり、少し女性陣の視線が集まるのを見て、やはり俺の選択は贔屓目ではなかったと確信を得た。シャルルは居心地悪そうに見向きもしなかったが。
「また笑顔が死んでるな」
「また? 俺はいつでも愛想いいつもりですけど」
「待ち合わせしてた時。すごい仏頂面だった」
「仕事で疲れてたからかな……ていうか、あそこすげえ治安悪いんですね。値段聞かれましたよ、舌打ちしてやったけど」
……それは済まない。え、何時からいたんだ? もしかして、割と待たせたのか」
「勝手に待ってただけです。あなたと会うのに他のことして、気を紛らわせたくなくて」
 食前酒の甘い果実酒が運ばれてくると、コースの本格的なワインを提示される。好きなのを飲んでいいと言ったが、シャルルは思ったより関心がないらしく、レンさんが選んでと丸投げする始末だった。
「酒飲まないんだな」
「いざって時に酒が入ってたら鈍る。死ぬのは嫌です」
「そりゃそうか……まあ、今日はいざってことにはならないから。俺が責任持って送るし」
「強くないんですよ。でも、飲むのは嫌いじゃないから」
「じゃあモーゼルワインにしよう。ここは魚が美味しいから」
 そう言うとやっと笑った。なるほど、彼は、愛想がないんじゃない。きっとこの眉間の皺も、気だるげで起伏のない表情も、自分自身を守るバリアの一つなのだ。聡明で、美しく、何事にも長けた武闘派の青年。彼は俺と出会うまでにどれだけ面倒で不快な思いをしてきたんだろう。そして俺が声をかけた時も、その面倒な思いの一つに処理されてよかったはずなのに、どうして2度目の逢瀬に応じてくれたのだろう。
 好きだ、愛している、可愛いと思う、美しい、抱きたい。そうした感情から人と関わりを持つなんて、今までの俺の辞書には到底なかった行動パターンである。どれか一つが理由であったなら、こんなに心をかき乱されることも、こんなに苦しい息を吐くこともなかった。
 全ての項目を同時に満たさなければ、こんな思いはしなかった。全ての感情を揺さぶられて、今こうして目の前の人間に全て捧げたいと打ち震えて……こんな感情を、まさか自分が抱く日が来るとは。
「レンさん? ソムリエさん、困ってる」
「あっ」
 暫く見惚れてうっかりしていた。俺は当たり年と名高い数年前のモーゼルワインを値段も見ずにボトルで注文し、照れを隠すようにメガネを押し上げた。
「何考えてたの」
……ようやく笑ったなって」
「俺? だから、普段はもっと愛想いいんですって。疲れてんのかな」
「いいよ、無理に笑わなくて。どんな顔してても、シャルルは綺麗だ」
 綺麗だ、と言う言葉をとてもゆっくり吐き出すと、シャルルはまるで幼い女の子のように顔を真っ赤にして俯いた。今のは別に何か趣向を凝らしたわけでもないが、真正面から響いてしまったらしい。
 額に手を当てて上気した顔を冷まそうと苦心する様子が可愛かった。
「あの。俺、本当その、あなたの声に弱いから……そういうの、ゆっくり言わないでください」
「そうなのか」
「無自覚かよ。たち悪い」
「今まで有効活用されなかったからな。存分に堪能してくれるといいさ。シャルルもたくさん、気軽に話してくれ。堅苦しい言葉遣いはなくていいから」
 ワインが運ばれて来る。とくとく、と静かに注がれる金色の液体。グラスを目線の高さに掲げると、薄いガラスの向こうに紫水晶の輝きが揺れた。
「フランクフルトへようこそ。俺の人生に彩りを添えてくれる人」
……精一杯、努力します」
 照れるとまた眉間に皺が寄る。複雑で幅広い彼の感情の起伏を覚えていくのはまだまだこれからのことだが、どうにも腕のなる仕事になりそうだった。


 コース料理をすっかり食べ終える頃になると、シャルルはすっかり酔っていて、デートが始まった頃のような険しい表情を浮かべることは殆どなくなっていた。
 ただ酔っても所作は美しい。流れるようで、無駄がなく、鍛え上げられた体はこんなことも可能にするのかと感心したほどだ。ただ彼は想像の3倍くらい酒に弱くて、それは少し意外だった。
 デザートを食べ終えたシャルルは絞り出すような声で言った。真っ赤な顔で、舌足らずな口調で。
「俺は、レンさんのこと、好きです」
 まさかそのタイミングで切り出されるとは思わなくて、アイスクリームが変なところに入りそうになったが……なんとか踏みとどまり、そうか、と切り返した。シャルルはニコニコしている。告げられたことに満足するように。まるで幼子のようなその言動に、俺は胸の内で荒れ狂う衝動を必死で押さえつけた。
「ありがとう。先を越されたな」
「レンさんも俺のこと好き?」
「好きだよ。君に惚れてる。恋人になってほしいと思ってる」
「ふふ。喜んで」
 なんだ、この、まるでプロポーズのようなやり取りは。こっぱずかしいと来たらありゃしない。ふわふわと地に足つかない笑みを浮かべるシャルルは、入店時の凜とした空気が嘘のようで、でもなんだかこちらの方が自然体であるような気がして、俺の心はすっかり乱されてしまった。
 そんな時に思い出すのだ。東洋の島国の、あの変な慣習を。そうだ、あのやり取りそのままじゃないか。縁もゆかりもないって言うのに。
「プロポーズみたいですね」
「もうそれでいいよ」
「嬉しいなあ。ふふ、ありがとう。俺、いい恋人になります。あなたの人生に彩りを添えて、お帰りって言ってあげて、たくさんたくさん、愛します。ずっと……好きって言って、好きって言われる限り」
 ワイングラスが空く。すっかり空のアルコールは、弱いはずの彼の胃腑を焼き、喉奥を蹂躙して感覚を麻痺させている。もしかしたら酒が抜けたら今夜のことなど忘れてしまうかもしれない。
 でも、そうだとしてなんだと言うのだろう。何度でも何回でも、その口が諳んじるほど何度でも、言わせてやればいいし聞かせてやればいい。
「俺も。君がこの街も、俺のことも、ずっとずっと好きで入られますように」
 幸せな呪いを込めてグラスを重ねる。チリン、と軽快で爽やかな音が鳴って、シャルルが笑った。
 その時にはっきり見えたんだ。お帰りと笑うシャルル。カバンを受け取って甲斐甲斐しく世話を焼くシャルル。逆もそうだ。コーヒーを淹れてやる俺に、疲れたと抱きついてくるシャルル、疲弊した背中を優しく抱く俺。
 気のせいに間違いはないとしても、そう遠くない未来の姿がありありと見えて、その時俺は確信したんだ。
 38年、探していた片割れにやっと巡り会えたんだと。


END

Gegenstück……片割れ、対をなす一方



相方・駒坂(@yagidash )と合作です! 正装っていいよねえ。


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