@kyuri_akita
「だから、獣究の勇者が、ここにいるかどうか、教えてくれるだけでいい」
先ほどから何度も繰り返した言葉を、うんざりとしながら吐き出す。
「ですから何度も申し上げておりますが、ご家族またお知り合いであるとご本人様からの紹介がなさいませんと、所在をお教えすることができません」
先ほどから何度もそうして言葉を繰り返す女は、まるで盾でも構えるかのように隙なくにこにこと笑っている。
ほとんどの女性に怯えられる相貌の彼が眉根を寄せてしかめて見せても、目の前の女は一切の表情を崩さなかった。少々の苛立ちを込めて黄色い目を細めてにらみつけてみても、全く動じる様子がない。
彼の右頬には三つの筋が残っている。古い傷跡はそれだけで人目を引き、切れ長目の黄色い目は獣のように鋭い。
精悍さと人相の悪さが紙一重の相貌をした青年は、とある図書館の入り口で、どうしたものかと困り果てていた。
それは、時をさかのぼれば少し前のこと。
勇者になっても現実は非常なもので、金がなければ生きていけない。彼は平時、獣を狩ったり、手先の器用さを生かしたり短期の仕事をしたりなどして日銭を稼いでいた。
もちろん、勇者として魔物を討伐したりと、細々と勇者らしいこともしているが、知名度があるかないかで言えば、そんなにあるほうではない、とグレンは思っている。
だからというわけではないが、グレンは日銭をせかせかと稼ぐ必要があった。
とはいえ、そもそもグレン一人だけの生活であればそんなに日銭を必要ともしない。彼は自分で狩った獣を食料にすればいいので、必要になる金銭などたかが知れている。
それでもふらふらと日銭を稼ぐのは、彼が住まわせてもらっている家の同居人にいろんなものを食べさせてやりたいという、小さな欲からだった。
強制されたわけでも、お願いされたわけでもない。
ただ、自分とは違う意味であまり表情が変わらない、穏やかな顔が、少しでも崩れるその瞬間が、グレンはたまらなく心を揺さぶられる。
どういう顔であっても、ぎこちなく崩れていくその表情は、まるで花が咲くようだ。そこだけ光が集まっているかのように、それはグレンをあたたかくしてくれる。
だから今回も例にもれず、稼ぐ必要も含めて、いつものように今回は一か月ほど旅をしてくる、と同居人に告げた。それから旅にでて、久しぶりに帰ってみれば、同居人の姿がなかった。
別に、それ自体はあまり問題ではない。家から半日ほどの国の中に研究室を構えているため、そちらに行っていることも多く、家にいないことも多いのだ。
だが、同居人が研究室にいられるのは長くて二週間だ。大体、週に一回は必ず帰ってくる。
それは彼が研究対象である魔獣が家の近辺の森に巣くっているからで、いくら研究に没頭していても、一週間ほどすると、我に返ったように魔獣の様子を見に戻ってくる。
最長は二週間で、その時は自分が研究に没頭しすぎていたことに大層落ち込んでいた。反動で一か月ほどは森から離れなかったので、グレンにとっては良い思い出である。
そんな同居人の帰ってきた痕跡が、この一か月、まるでなかった。
うっすらと降り積もった埃の上には、足跡もない。日持ちするように置いておいた食材は、全く手が付けられていなかった。
盗賊という線は、すぐに頭から消した。もしそういう輩が同居人を狙ったとして、この森にいる魔獣が、たぶん黙ってはいないだろう。
研究室のある国で何か事件に会ったのかと思うが、あの国で同居人を庇護する勇者とはずいぶん仲良くやっているようだった。もし同居人が何か事件に巻き込まれていたら、助けているとは思う。
最後に考えられるとすれば。
(また、なにか考え込んで逃亡したか・・・)
うーむ、と入り口で考え込んでいても仕方ないので、家のすぐわきに生えている木をとんとん、と二回ほどたたいた。
もしどこか遠くへ逃げているなら、さっさと行動したほうが良い、と頭を切り替えると、ととと、と木を伝って、リスがやってきた。
『よう』
と、グレン声をかければ、黒い目をきょとんと瞬かせたリスは、けっと吐き捨てた。
『なんだ』
可愛らしい外見とは裏腹に、態度の悪いリスは挑むようにこちらを見上げてくる。
『ほら、クルミだぞ。ちょっと教えてほしいことが』
差し出されたクルミを受け取ったリスは、ぺ、と地面に投げ捨てた。
『しけてんなあ、おい』
こいつ、と拳を握りしめたが、小動物相手だと小さく嘆息した。
いつ会ってもこのリスは態度が悪い、とグレンは仕方なく、珍しい茸を差し出した。このリス、やくざかなんかじゃなかろうか、と彼はいつも思うのだった。
人間の間でもそこそこの高値で取引される茸を仕方ねえな、と受け取ったリスは、『で、なんだよ』と聞いてきた。
『同居人、どうしたか知らないか?帰ってないよな?』
『ああ、帰ってないぜ。お前が出てったあとにそこら辺の木にぶつかりながら、いつもの道歩いてった』
いつもの道、ということは、研究室のほうだなと理解したグレンは、リスにまたいくつかの木の実をやって、一度家に入ってから図書館のある国へと向かった。
までは、よかったのだが。
図書館についてから、同居人の所在を尋ねたところ、お教えできませんの一点張りだった。
そして何度もやりとりした挙句に冒頭に至ったのである。
「ここの研究室にはいないのか」
「お教えできません」
にっこり、と有無を言わさぬ笑顔で拒絶を叩き付けられる。
「せめて、あいつの研究室に行かせてほしい」
「申し訳ございません、ご本人様の同伴の上、事前のご登録が必要になります」
視線を下げて、少しも申し訳なさそうに言われ、これ以上手がないぞ、とグレンは視線を落とした。
そのときふと、右腕にはめた黄色い石のはめられたバンクルが視界に入った。
「・・・俺が、勇者でも、だめか」
ぽつりとこぼしてから顔を上げると、女は微笑みを消してうかがうように視線を向けてきた。
しかしそれもわずかな間であり、少々お待ちください、とすぐにっこりと笑う。
鋼鉄の盾のような笑顔を崩せたのは少々気分が良かったが、それでもこんなことでは時間がかかって仕方がない、と小さく息を吐く。
グレンとて、安否の確認が取れればそれでいいのだ。べつに何も、今すぐ会わせてくれと言っているわけではない。
同居人のリサは曲がりなりにも男だ。少々中性的ではあるが、女性ではない。所かまわず襲われるかもしれないなどとは、さすがに思っていない。
ただ、すこし表情を悟るのが下手というか、思い込みが激しいところがあるから、心配なだけで。
グレンに対して思うところがあるようなのに、それを自己完結してしまうから、心配なだけで。
(もっと、そういうことを、俺に言ってくれればいいのに)
グレンの違和感が取れればそれでいいのだ。
同居人は同居人で、一人の男として仕事をして経済的に自立しているわけだし、何も閉じ込めたいなどとは思ってもいない。
ただ、一緒にいる時に見せる温かいものを、恋しくは思うから、居場所ぐらいは知りたいのだ。
「おー・・・またせ、いたしましたァ・・・」
ぐろ、と今にも溶けだしそうな低い声を出しながら出てきたのは、赤い髪を一つにくくった男だった。
白いワイシャツに青いネクタイと、着ているものは上質そうだが、如何せん、顔が死んでいる。
青い目に光はなく、その下には何日寝ていないんだと聞きたくなるほどのひどい隈がある。こちらを見ているのかいないのか、視線はぼんやりとしているし、口は半開きで今にも今にも死にそうな顔をしていた。
本当にこの男で大丈夫なんだろうか、と思っていると、す、と手を差し出された。
「初めまして、『猟人の勇者』様」
見知らぬ男に勇者の二つ名で呼ばれたことに違和感を覚えつつ、グレンもはじめまして、と手を差し出した。
がし、と握られた手を引かれて、顔が近づく。
「いやぁ、グレン様とお呼びしたほうがよろしいですかね。私、あなたのこと知ってるんですよ」
先ほどの光のない目はどこへ行ったのやら、青い目は不気味に底光りしてグレンを捕らえた。赤い髪の間からのぞくその眼の色は、同居人に似ている。だが、この男の目には、すべてが暗いのだと言わんばかりの暗雲が広がっている。
「ここで話すのも差しさわりがあるでしょう。どうぞ、奥へご案内いたします」
す、と手が離されて、グレンは思わず顔をゆがめて警戒せずにはいられなかった。
そんなグレンをわかっているのかいないのか、男はさっさと背を向けて歩き出す。その背を追いながら、同居人はとんでもないところにいるんじゃないかと不安に思わずにはいられなかった。
(けどなあ・・・)
白いシャツの背中を追いかけながら、文句をつけるのも過保護すぎるような気がする、とグレンは思う。
相手だって成人男性なのだ、あまり過保護にあれやこれやと言っては迷惑なのではないかと考えると、いつも楽しそうにこの国での研究の話をするリサに口が出せなくなる。
とはいえ、好いた相手が他の男の話をするのは面白くなく、いつもそっけない態度をとってしまうのだが。
(今回もそれが原因か・・・)
毎回、面白くない、と拗ねてはそっけない態度をとってしまうので、それで誤解させてはリサがぷち家出を繰り返している。
逃げ込む先はもっぱらビブリオテカという国の研究室で、どうやらビブリオテカの巨大な図書館を治める勇者になだめられているらしい。
グレンは自分が拗ねていることが悪いとわかっているのだが、つい最近までその理由がわからなかった。独占欲なのか、と自問しつつ、なぜ独占欲がわいているのか、全く理解していなかった。
そして自分が拗ねる理由を考えこんでいるとリサが戻ってきて謝るという最悪のループを繰り返していた。
今回、旅に出て、どうやら自分はリサが好きらしいと悟ったので、どうにかしよう、と勇んで帰ってきたというのに。
(俺が原因だったら、素直に平謝りしよう)
愛想を尽かされても仕方ない、と落ちこんでいると、こちらです、と男が扉を開けた。
入ってみれば、中は広いホールのようだった。たくさんの椅子と机が置いてあり、学校のようだとも思う。
「どうぞ、そちらにおかけください」
すでにカップが用意されているテーブルを挟むソファの一つを示されて、腰を下ろす。男は反対側に腰掛けると、眉間を指で押さえた後、にっこりと笑った。
「初めまして、私は『書館の勇者』の側近、アベル・ラトウィッジと申します」
以後、お見知りおきを、を寝不足だらけの顔で微笑んだ男は、そうしていれば元はそこそこ整っているのになあ、とも思う。いくら造作がよくとも、そんな疲れたはてた顔ではすべてが台無しである。
「俺は・・・いや、知ってるんだったな」
名乗ろうとして、すでに自分の勇者としての二つ名も、個人としての名も知られていたのだと思い出す。
「ええ、まあ。ちなみに、あなたに妹様がいらっしゃることも、故郷はとうにないことも、あなたの手先が器用なことも存じ上げております」
そこまで知られている、という事実に、グレンは背筋に寒いものを感じた。グレンのわずかな恐怖を感じとったのか、アベルはいやあ、と苦笑した。
「すいませんね。脅しているわけではないのですが、如何せん、この図書館は研究機関でもありますので、研究が元で国から追われてきた人間も少なくないのですよ。自分は家族だとか、知り合いだとか言って、うちにいる研究者を殺そうとする者もいますからね。研究者に対しては絶対に本人の了承がなければ会うことができません」
それほどまでに保護しなければならない事情があることで、一応グレンも納得はできた。
とはいえ、目的はまだ達成できていない。
「それはわかった。だが、俺は獣究の勇者が、せめてここにいるかどうかだけ知りたい。教えてもらうことはできるだろうか」
アベルは一度目をつむり、そして静かにグレンを見つめた。
「・・・情報は力です。そういう世界に、私も主人も身を置いています。あなたがそれを欲するなら、対価を要求します」
事務的な口調の男に、グレンはどうしたものかと眉根を寄せた。これで力比べならいざ知らず、情報戦やら口論で勝てる気はしない。
そんな風に悩みかけたとき、とはいえ、と、男は顔をそらして肩をすくめた。
「少々、同情はしていますし、仕事を増やされた八つ当たりもあります。あなたが私の問いに答えてくれるなら、考えましょう」
「答える」
どうする、と目で問うてきた男に、即答すればアベルは静かに笑った。
もういろんなことを知られている。それならば、もう一つや二つ増えたところで変わらないだろうとグレンは背筋を正した。
いいですね、とひどい疲れの滲んだ目元が緩む。
「あなたにとって、獣究の勇者はなんですか?」
その問いに、答える言葉はすでにあるのだと、グレンは相好を崩す。
「俺の、いとしいひとだ」
向かいでアベルが目を見張っていた。
けれどそれほどに相好を崩している自覚もまた、グレンにはあった。
グレンはリサの、穏やかさが好きだった。そこからどんな形であれ、表情が変わる瞬間が、たまらなく輝いて見える。きっとリサは、何か光の精霊の加護を受けているのだと思う。
ほんのりと発光するような、あの穏やかさが温かかった。ここにいてもいいのだと、たまらなく甘やかされていた。それはまるでとっておきのような、そんなものがリサにはある。
だからリサが恋しい。
リサが望むのなら、気持ち悪いというのなら、友人に戻ったってよかった。
けれどどうであれ、グレンはこの思いを伝えたいと思っていた。たとえどうであれ、リサはグレンにとってたまらなく温かいもので、それをたくさん受け取っていた。
できることなら指を伸ばして触れたいけれど、それが叶わぬのなら、それでもよいとグレンは思う。
グレンはたくさんの温かさを、傷のように思い出に刻み込んでいた。
リサに拒絶されても、刻み込まれた傷跡で生きていけると思う。
少なくとも、世界のどこかでリサの幸せを願えるほどには、グレンは覚悟を決めていた。
彼には、男として家庭を持つような幸せをやれないけれど。
永遠に二人きりのさみしさを共有して、幸せにしてやりたいと、心の底から思う。
く、とアベルは喉を揺らして笑った。
片目を眇めたアベルはひどくおかしげに口元を歪めた。
「失礼、煙草を吸っても?」
ああ、構わない、といえば、ポケットから白く細いシガレットを取り出して口の端に咥えた。指先でぱちんと音を鳴らして火をつけると、ぷかりと白い煙をくゆらす。
「ここからは、私の独り言です」
いいですね、と言って、彼は煙を吐き出した。
「もうここに、リサ様はいません。書館が共をつけて逃がしました。あなたから、逃げるために」
「なっ」
なぜ、と問う前に、アベルはゆっくりと笑って、人差し指を唇の前に立てた。
煙草を持つ疲れた男はやけに艶めいていた。
「グレン様は話し合う必要があるかと。行き先は北です」
それでは、独り言はこれで終了です、と言ったアベルの言葉に、グレンは立ち上がった。
「助かる」
「逃がしたおかげで私の業務が増えたので、早いとこ逃避行を終わらせていただきたいですね」
書館の勇者に仕える彼にとっての精いっぱいの手助けだった。それがわかるだけに、一刻も早く追いつかねばならないと、彼は部屋を飛び出した。