@kyuri_akita
「最初にたまご。次に割って、中身を見ましょう。さあ、次は何がいいかしら。スクランブルエッグ?ホットケーキ?いいえ、やっぱり目玉焼きね。火を通して、さあ、あなたに私の恋を振る舞うの」
軽口で口ずさんだ言葉に、彼は目を丸くして、炎の中にくべる木を持つ手を止める。彼女は彼の視線に気づくと、にっこりと赤い口紅が彩られた口元を曲げた。
彼女の赤い瞳は、火に反射して、きらきらと光っている。きれいにまとめた髪は金糸のようで、十分に手入れが行き届いたものだと一目でわかる。夜会にでも出るのか、赤いドレスを纏った女が、暗い森で白衣の男と一緒にいる姿は、あまりにも場違いで、絵になるさまだった。
はたから見れば、まるでラブロマンスに出てきそうな組み合わせだ。二人でどこまでも逃げようとする、駆け落ちの図に等しい。
けれど実際は、そんなに甘い図でもなかった。
「あら、恋の詩よ。ご存じない?」
「すいません、世間に疎いもので・・・」
男は苦笑してたき火に木をくべる。
女はそんな男の言葉を笑って許した。
「ふふ、ロマンチストではないのね。まあ、この詩はあまりロマンチックなものでもないのだけど」
少女という見た目でもないはずなのに、どこか笑う姿は子どものように無邪気な女性から、男は目をそらした。
「・・・夢を、見れたらよかったのでしょうか」
「恋に夢を見るのは少女と怠け者って相場が決まってるのよ、リサ」
女性の言葉にうつむいたまま、リサは手を止めた。前髪で隠れてしまった表情の読めない顔を見つめて、女は微笑んだ。
「二か月くらいかしら。どう?」
「・・・どうしようもないと思っていました」
逃げる前、絶望的な気持ちで少年のもとを訪れた。
どうしたらよいのかわからなかった。身動きの取れない場所に立ち尽くしているかのようで、ここからどう歩けばいいのか、先が見えずに途方に暮れていた。
行き先はどこも崖のようだった。自分に残されているのは、そこから飛び降りることのような気がしていた。
気が付けば大事なものが増えすぎていて、それは足に重石のように巻き付いていた。
「けれど、案外、どうにか、なるのだな、と・・・」
うまく伝えられている気がしなかったが、それでもこの二か月、彼女と旅をしたのは無駄ではなかったと思う。
「彼に会えないのがつらいと思っていました。生きていけるのかと・・・でも、冷静になって考えてみれば、私たちは依存関係ではなく・・・そう、いなくても、生きては、いけるのだと」
どうしていいかわからなかった。
何を選んでも恐ろしい結果にしかならないと思っていた。
けれど身動きの取れないあの場所から逃げてみれば、大事と思ったものさえ捨てられることができるのだと気づく。
「研究が、すべてだと思っていました。あの森を捨てるなんてとんでもないと・・・ですが、よく考えれば、私は故郷を捨ててきていますし、研究は、しようと思えば、どこでもできるんですよね」
大したことがない、とまではいかないが、あんなに絶望的に感じていたことが、拍子抜けしてしまうほど、会わないことに耐えられていた。
とはいえ、それは書館の勇者の言葉通り、この世界の片隅では、自分の想い人はそれなりに生きているのだという思いがあるかもしれないのだが。
実際に逃げてみれば、不思議なほど、つらくない。
視線を女性に向ければ、まるで子供を見つめるようにリサを赤い目で眺めていた。
ひどく母性的な微笑みを浮かべた彼女は、そうね、とゆらりと揺れる火に視線を向けた。
「あなたは冷静だし、正確に物事を分析しようとする。それはとてもいいことだと思うわ」
でもね、言ったでしょう、と彼女はその眼に赤い炎を反射させた。
「最初にたまご。
次に割って、中身を見ましょう。
さあ、次は何がいいかしら。
スクランブルエッグ?
ホットケーキ?
いいえ、やっぱり目玉焼きね。
火を通して、さあ、あなたに私の恋を振る舞うの」
先ほど口ずさんだ詩をもう一度口ずさんだ彼女は、少し顎を上げてリサを見つめた。
「私は、この詩、好きなのよ。恋ってね、目玉焼きに似ていると思うの」
ふ、とリサは思わず小さく噴き出して笑った。
「恋と目玉焼きが同じですか」
バカにしてるでしょう、と少し拗ねたように口の先をとがらせた彼女は、だって同じじゃない、と続けた。
「愛は卵の形をしているわ。中身を割って、ああ、恋なのだと気づいてしまったとき、すでに目玉焼きになっているの」
「焼かれているんですか?」
ちがうわよ、と彼女はいたずらをするように目を細める。
「一度、そういう対象として見てしまったら、もう戻れないの」
そこでようやく、リサは意味を理解した。
それは目玉焼きのように。
「一度焼かれてしまった卵は、もう元に戻らないでしょう?」
気持ちは、友人でいたころのようには戻れない。
わかっていると言おうとするには、リサは浅慮だった。だから開いた口を閉じ、小さく息を吐く。
「私からしたら、障害で恋は盛り上がるのだから、もっと楽しめばいいと思うけれど」
そうもいかないのよね、と苦笑する女性は、項垂れるようにうつむくリサを見て苦笑した。
「私はあなたが気の済むまで付き合ってあげるわ。どこまでも行きましょう」
楽しそうにそういう彼女に、リサは少しだけ申し訳なさそうに眉根を下げた。
「申し訳ありません、お付き合いさせて・・・あなたにもお仕事があったのでしょう?」
そうリサがこぼすと、ふ、と吹き出して、あはは、と女は笑った。
「いつも律儀ね。そういうところ、素敵だけれど、たまには息を抜くのもいいと思うわ。頭が硬いのよ、あなた」
女はゆらゆらと揺らめく炎を見つめた。
遠い日のことを思い出すような横顔は、妙に大人びている。
「いいの。私の仕事は、あの子がくれた暇つぶしなのよ。これも、あの子がたまには外に出てみたらという配慮なの」
「書館の勇者様ですか・・・」
リサが友人の名を呟くと、ええ、そう、と彼女は硬い声で肯定した。
「まったく、こういうことばかりうまいのよね、あの子。あなたを逃がすために、確かに私みたいな女性が同伴しているなんて、あなたの想い人は思わないでしょう?どの町へ行っても、着飾った私が注目され、あなたは印象には残らない」
彼女が同伴する意味は、しばらくしてから彼女自身から聞いた。
見目麗しい彼女を同伴させることで、どの町でもリサが印象に残らないようにするという作戦のようだった。簡単な印象操作だが、そんなことさせ配慮した友人には頭が上がらない。
リサは自分のことにいっぱいいっぱいで、何も考えてはいなかった。
最初に友人は、彼女を護衛だと紹介し、その正体しか教えなかった。
けれどそれも、絶望していたリサへの配慮かもしれない。深く考えなくていいようにするための。
曰く、彼女は。
「しゃれこうべ、ですか・・・」
「今は生前の姿をとっているけれど、私、本当は普段は骸骨なのよ」
あっけからんと言うが、そこに複雑な気持ちはないのだろうかとリサはいつも疑問だった。
彼女は骸骨の姿のほうが好きだというのだ。
「・・・その、私は男性なのでわかりかねますが、女性は、美しい姿を好むのではないのですか?」
この際だ、と思い切って聞いてみると、彼女は目を丸くした。
しかしすぐに目元を緩めて苦笑する。
「私、自分の見目で、あまりいい思いをしていないの」
彼女はたき火に視線を戻して、肩をすくめた。
「自分で言うのも、本当に難だけれど、私、美しかったらしいの。それが理由で嫌というほど恋されたし、嫉妬もされたわ。便利な反面、面倒も多かったわね」
あまりにきれいだったから、と彼女は赤い唇でさえずるように、言葉を紡いだ。
「恐ろしい悪魔まで、私に恋をした」
その言葉は偽りでもなく事実なのだろうと、しゃれこうべになっている彼女を見て、リサは思った。
「美しさは人を恋に落とすの」
彼女は謳うように、そう零した。
「でもそんなものは空しいだけだわ。誰も私の中身なんて気にしない。私がどう思っているかさえ気にしない。恋って、一人でするものではないと思うの」
彼女は静かに金色のまつげを伏せた。きれいな横顔が憂うさまは、ひどく絵になる、とリサは場違いなことを思った。
「好意は、相手のことを考えてこそだと思うの。だから、私はすこし、あなたたちがうらやましい」
彼女は静かにリサを見つめた。
赤い瞳は、まるで血のようだ。彼女はすでに骨だけの身であるというのに、まるで生きているかのように血が流れていた。その眼は、たしかに命の色だった。
「リサは、中身を見ているからこそ、彼が好きなのでしょう?見た目だけなら、女を選べばいいもの」
その言葉に、リサが何かを返そうとした瞬間、彼女が、ばっとこちらに背を向けた。
暗い森を向き、しばらくしてから立ち上がる。
「レディ?」
ふんわりと広がる赤い袖口に彼女のドレスに繊細な刺繍が施されているのがわかった。かばうように広げた手で、リサは何かが近づいているのだと悟る。
「リサ、何か、来る」
ざざざざ、と草木をかき分ける音が、リサの耳にまで届いた。
魔獣だったら彼女を止めなければ、と思っていると、ざっと黒い影が、森から飛び出してきた。
ひゅお、という空を切る音が、リサの耳にまで届く、炎の上でぶつかりあった二つの黒い影は、お互いにたき火を挟んで着地した。
何が出てきたんだ、と視線を巡らせれば、想像しなかった姿に、リサは思わず口を開けた。
「ぐ、ぐれん・・・?」
間抜けな声でそう呼ばれた男は、手負いの獣のように振り向いた。
その体のいたるところに擦過傷がある。血と埃と泥にまみれた男は、黄色い瞳をぎらぎらと輝かせながら、リサを視界に捕らえた。
そして言葉もなく、手にしていたナイフを手から落として、リサに這うようにして駆け寄った。
「なん、」
グレンが何をするのかと身構えていたリサは、最初、何をされたのかわからなかった。
「え?」
ぎゅう、と何かに閉じ込められていた。たき火の光が遮られて、座っていた自分の膝の上に登ってきたそれを見上げる。
「ぐ、ぐれん・・・」
ぎゅう、と強い力で、たくましい体をした男がリサを抱きしめていた。
苦しいほどの強い力は、けれど絞め殺そうとするほどの力はなく、ゆるくリサを束縛していた。
(ああ)
会えずにいた期間が嘘のように、なぜ耐えられたのだろうと、そんなことを思った。
彼は、ひどく汚れていた。汗のにおいと、泥と、雨の香りが、まるであの森での日々のようだった。
こんなに懐かしくて、愛おしくて、胸が裂けてしまいそうなのに。
愛おしくて苦しい。苦しみが、ゆっくりと体に満ちていく。それはリサの体の中で、相変わらず胸を圧迫している。
なんてことない、と思ってさえいたのに、今は、つい先ほどが信じられない。
ぐい、とグレンが急にリサの肩に手をおいて体を離した。
どうしたのかとリサが見上げると、グレンが今にも泣きそうな顔で見下ろしていた。
そのことに目を丸くして、言葉をつまらせれば、彼のほうから先に、口を開けた。
何か言うのだと、リサは身構えた。勝手に出てきたことに怒っているのか、はたまた、自分の気持ちに気付いて、振りに来たのではないか、といやな想像ばかりが頭をかすめる。
血の気が失せていく指先を握りしめていれば、リサ、とかすれた低い声が、自分の名を呼ぶ。
「おまえを、あいしている」
「・・・????」
言葉の意味が全く理解できずに、思わず首を傾げると、グレンは眉根を下げたまま、両手で耳を塞ぐように顔を覆った。ぐい、と上を向かされれば、黄色い目をした獣のような男が、静かに見下ろしていた。
ゆっくりと、黄色い目が近づいてくる。
そしてふよ、と唇に何かが触れた。
なだめるように触れたそれはすぐに離れていき、グレンがさみしそうに目を伏せたのがわかった。
吐息さえ重なる距離で、りさ、とかすれた声に名前を呼ばれて、ようやく、我に返る。
ぐあ、とリサは自分の顔が赤くなるのがわかった。空気は痛いほどに冷たく、自分の顔が熱いと泣きそうになる。
「お前がいないあの家は、ひどく寒かった」
リサの顔を包むがさがさとした手の感触までも、意識すれば際限なく、神経がそこに集中する。
「あそこはからっぽだった。お前があの家で、書館の勇者の話をするのが気に食わなくて、ひどい態度をとっていた。それはあの家に、俺とお前以外のことが入ってくるからだと、そう思っていた」
ちがった、とグレンの懺悔のような言葉は、続いた。
「俺はお前が、他の男の話をするのが気に食わないだけだった。俺が悪かった。なあ、だから、俺が悪かったのなら謝るから、帰ってきてくれ」
目を丸くして、何か言葉を吐こうとして、リサは、はく、と息を吸った。
けれど溺れたように呼吸するばかりで、その息は音にならずに消えていく。
「お前が大切にしているものを、守らせてほしい。お前におかえりとただいまを言いたいんだ。あの家で」
「何もうまく、かっこいいことは言えない情けない男だが、俺のすべてでお前を幸せにするから」
何を言っているのかと、リサは顔をしかめてうつむいた。
「おまえが、すきなんだ」
ぐあ、とさらに顔が熱を持つのがわかる。
何がかっこいいことは言えない情けない男だ、とそのことに怒り交じりに、リサは挑むように彼を見上げた。
半ばやけくそになりながら、グレン、と呼びかけた声は震えた。
「私は、とても幸せですよ」
首を傾げる彼は本当に、と確かめるように前髪を梳いた。
いつもは鋭い眼光が、今は頼りなく揺れている。その姿がたまらなく愛おしいと、胸が詰まる。震えそうになる声を、必死でなだめながら、幸せすぎるぐらいなのに、と言葉を返す。
「守ってくれるんですか、私が君の帰るところでいいんですか」
確認するような言葉は、額にすり寄せられた頬が返事のようだった。頭を抱きかかえられて、大型の猫のように甘えられて、かわいくないはずがない。
「・・・ただいま」
甘ったれたような、低い疲れた声が、耳朶を打つ。
どくり、と心臓が大量に血を吐き出す。一気に血が回る生きる感触に、頭ががんがんと鈍く痛んだ。
「おかえりなさい。グレン」
うん、とふにゃり、と返事をしたと思った瞬間。
ぐら、とグレンの体が傾いだ。
「うわっ、グレン!?」
慌てて体を支えて抱きかかえ、どうしたのかと顔を見れば、目を閉じてすやすやと眠りこけている。
「まあ、疲れたんだろう。何せ、三日三晩も僕と戦い続けたんだから」
その声に顔を上げて初めて、そこには一人の男とレディがいたのだと思い出し、リサは顔を青くした。
「あっあの、あのあの」
「とてもいいものを見せてもらったわ。邪魔者は帰りましょう」
上機嫌な女に無言で苦笑した男は、藤の木のようだった。
青みがかった紫色の髪を、後ろで一つにまとめている。森で見つかりにくくするためか、黒いマントを羽織っているが、それでは隠しようがないほど、華がある男だった。
赤いドレスを纏う彼女とならべば、まるで童話に出てくる王子と姫のようだ。
しかし、男のその眼は鉱石のように硬い。すべてを映していながら、何も映していないようなその色は、まるで宝石の原石のようだ。
「それもあの子の仕業ね」
うん、とレディの言葉にうなずいた男は、少しばかり苦笑して、寝かせてあげて、と言った。
「彼に君の居所を悟られないよう、撹乱するために君たちについていたら、君を狙っていると誤解されてね」
おかげでこの森で三日三晩も戦い続けた、という男は、グレンに比べてほとんど傷を負っていなかった。
「・・・あの、あなたは?」
聞かれたことが意外だというように、男は少しだけ目を丸くした。
「・・・菫青って、知ってる?」
「金星?」
星ですか、とグレンを抱えたまま首を傾げると、違うわよ、とレディがため息交じりにこぼした。
「石よ、知らないの?」
全くと言ったレディは、話を長引かせるつもりもないのか、とん、と赤いハイヒールで地面を叩いた。
するとすぐに、彼女の足元から、古臭い扉が出現する。彼女はリサのほうににくるりと振り向くと。
「私たちは帰るわね」
と、にこやかに言った。
「えっちょっと待ってください、私ここにくるのに二か月かけたんですよ!」
「恋人がいるじゃない。大体彼ねえ、相当苦労してあなたに追いついたはずよ。こうして情報を撹乱する戦闘要員まで用意されて、私を同伴されて、情報はかなり少なくされたはずじゃなくって」
だから一緒に帰りなさい、と彼女は言った。
「彼の苦労話を聞きながら、たくさん彼と話し合いなさい。あなたにはそれが必要でしょう?」
そう言われてしまえば返す言葉もなく、リサは静かに肩落とした。けれど腕の中の重みは確かにいとしさの重さだとかみしめる。
藤の木のような男は、遠い日を眺めるように、微笑んだ。
「新しい幸福に、祝福を」
名乗ることなく扉の向こうへ消えた男にさえ祝福をされて、二人が消えた。リサはグレンと二人で取り残される。王子と姫のような二人が消えれば、恥ずかしさも薄らぎ、静かに寝息を立てる男を見下ろした。
「何がかっこよくなくてなさけないですか」
むう、とそのことに関しては納得のいかないリサは彼の鼻をつまんだ。
ふが、と変な声を上げたことに少しだけ憂さも晴れて、膝を貸してやる。
自分は恐ろしくて、いえないと思っていたことを、あんなにあっさりと口にできるグレンは、とてもかっこいい、とリサは相好を崩した。
あんなに恐ろしくて仕方なかったのに。
グレンは自分をいつも引きずりあげてくれる、と寝ている彼の髪をほどいてやった。
幸せにしてくれると宣言されたからには、食べたいものでもねだってみよう、と未来を考え、彼は微笑んだ。