@whiteprim
ダンバンの戦友ムムカとディクソンが作中で敵対するため、ダンバンは人を見る目がないとよく言われている。
ヴァラク雪山での対峙シーン
「おまえの戦いに嘘偽りはなかった!なぜ機神についた!」「貴様の目が節穴だっただけよ!」
おそらくこの節穴発言で見る目がないと印象付けられるのだと思う。
だがちょっと待ってほしい。
ゼノブレイドのシナリオはアニメも手掛けるプロの脚本家の手により臨場感あるものになっていて
特に激しいイベントシーンではテキストで1から10まで説明するような台詞回しは見られない。
だから戦いながらの勢いに乗せた感情任せの一言だけを取り上げても、それだけがすべてではなく真実とも限らない。
他の情報とあわせて見てみることで違った側面が見えてくるのだ。
・知ってた
落ちた腕 黒の残骸前のキズナトークを見ると分かるのだが、ダンバンはムムカの嫉妬や憎しみをちゃんと把握していた。
それに気付かぬふりをした、間違いだったと後悔を語っている。
ダンバンはフィオルンをはじめ仲間たちをよく見ていてその感情の機微を察する描写がいくつかある。
かつての仲間であるムムカにも同様であっただろうと想像できるし
寝首をかこうと殺意すら抱いていたというならなおさら、達人であるダンバンが気付かぬはずもない。
・人柄を信じたわけじゃない。
キズナトークではこうも言う。
「昔からどうしようもないやつだった、決別する日が来るだろうとどこかで覚悟していた」
そもそも戦友は友達ではない。
「苦難をともに乗り越えた同志」という比喩的な意味合いもあるが、
ここはストレートに「戦場でともに戦った同僚」という本来の意味でよいかと思う。同僚、つまり単に仕事仲間だ。
命を預けあうのだからふつうの仕事仲間より濃密な関係には間違いないが
必ずしも気心の知れた友人である必要はない。
ヴァンダムが防衛隊長であればおそらく規律は厳しく、気の合わない相手でも表面上波風を立てず協調した行動くらい取れるだろう。
そうは言っても命がけの戦場で、自分を嫌っている決別の可能性も思わせるろくでもない相手を信用して戦える理由は何か。
それが「嘘偽りのない戦い」なのではないだろうか。
ダンバンが信を置いたのはムムカの戦闘能力、そして機神兵に対する敵愾心と闘争心ではないか。
ムムカの望み、「モナドを手にして英雄になる」には機神兵を倒して、という過程は当然含まれているだろうし
候補者になるにも実力と意志を示す必要はあったはずで、その意志を本物と見込んだからこそ
同じ方向を向いてともに戦うことが出来たのだ。
・見込み違いだったもの
妬まれているのは承知で、裏切りは戦場の習いと決別を覚悟してもいた。
ではどうして黒のフェイスの正体を知って、「まさか なぜ 信じられない」という反応をしたのか。
本気だと信じた機神界への闘争心をひるがえして巨神界と敵対したからだ。
巨神界を生きるものにとって、機神界は過去から現在まで戦い続け抗うべき仇敵であるはず。
その常識が覆されるとは、自分への憎しみがそれを上回るとは、まさか思っていなかった。
「そこまでするかぁ?」「どの口がそれを言う!」
このセリフからその心情が汲み取れるように思う。そこまでするか。
戦場で見捨てられる、寝首をかかれる、いつか戦うことになるかもしれない…自分個人と敵対する日は想像できても
コロニー襲撃、ホムスの虐殺にまで至るとは予想し得なかったことだろう。
自分への憎しみと執着の過小評価、向き合わず放置してしまった対応のミス。
見通しが甘かったのはたしかで、それをもって人を見る目がないと言えなくはないが
本性を見抜けなかった節穴と欠点扱いするのはいささか乱暴な見立てであるように思う。
以上がわたしの解釈である。
ひとつ断っておくと、この解釈には趣味がそこそこ反映されている。
妄信した相手に裏切られてショック!という構図よりも
自分に向けられた妬み憎しみを無視して軽口を叩くように接して逆なでした挙句の反目という、ある意味お互い様感のある関係の方が
どろどろ濁った感情のやりとりが感じられて個人的に好みなのだ。
ダンバンの完璧さに欠点を求めたくなったり、ショックを受ける姿が見たいといった趣向の方もおられよう。
気持ちは分かる、それはわたしも見たい。
なので、なるほど、それはおいしいと趣味の一致する方に共感していただければ幸いである。
さてここまでムムカの話をしてきて、考察はこれで十分なのだが
ついでにディクソンについても少し記しておこう。
彼には全員が騙されていた。まず立ち位置が違いすぎるのだ。
メイナスを奉じる機神界と違い、巨神界では神の領域を意識するものはほとんどいない。
神の意思の代行者として存在を知られることなく長い長い時間をかけた計略、
隠れ里のマシーナたちとも懇意にしている数千年来の処世術、
たかだか数十年の付き合いのホムスに太刀打ちできるものではなく、個人の人を見る目どうこうといったレベルの問題ではない。
加えて巨神を守るという意志はたしかに持っていたのだ。
ここにも嘘偽りのない戦いはあったのだろう。
結局ムムカもディクソンも道を違えたが、戦友として戦った時間はそれぞれが本気で生きたことに間違いはなかったのだと思う。