@akirenge
【握って結んだ幸福論】
徳田秋声が食堂に入ると、誰も居なかった。
それもそうだ、とは自己納得する。時刻は夜だし、皆、宿舎の方へと帰っている。
厨房へと入っていき、電気を付けてみる。磨かれた厨房は明日の準備を整えているようだったが、秋声が用事があるのは今日だった。
「何か、彼女に食べさせないと」
彼女とは特務司書の少女のことだ。
秋声が現在、やっていることと言うのは文学書が謎の敵である侵蝕者によって黒く侵蝕され、完全に黒く侵蝕されれば人々の記憶から忘れ去られてしまうと言う
異常事態への対処だ。対処方法というのは自分のような文字の力を知る転生した文豪達の力で浄化していくことだ。
その文豪達を転生させたのがアルケミストである特務司書の少女だ。特務司書というのもアルケミストに与えた立場である。
今日も今日とて浄化作業を行い、滞りなく終わったはずなのだが問題は彼女の体調だ。食事を余り食べていなかったのだ。
「織田には雑炊を作ったけど自分は適当に後で食べるとか言っておいて……」
織田は織田作之助、彼女が転生させた初めての文豪だ。自分はと言うと最古参の部類に入るが、転生させたのは彼女では無い。ネコだ。
徐々に文豪達は揃ってきたし、食堂もある程度は整った。整うまでは特務司書の少女や志賀直哉が食事を作っていたのだ。
体が弱いところがある織田を気遣う彼女だが彼女も体が弱い。
一息ついてから秋声は食べるものを探した。探すになってしまうのは彼は料理が出来ないからである。
出来ないが食べさせたいと矛盾しているのは動けるのは自分ぐらいだからだ。織田は小説を書くことに集中しているのだろうし、
他も似たようなものだ。転生して侵蝕者との戦いはしているのは自分達は文豪だ。新しい本にも触れたいし、小説だって書きたい。
秋声が厨房をあさっていると、音がした。
「紙……」
白いつるつるした紙が何枚か、そこにあった。
「土鍋で炊く美味しいご飯……おにぎりの作り方……」
丸く可愛らしい文字で書いてあるそれは料理のレシピのようだった。初心者でも安心、とか書いてある。読んでみれば、自分でも出来そうだ。
特務司書の少女の料理を想い出す。彼女は凝るところは凝っているが、手を抜いているところは手を抜いていた。
そうしなければもたないのだそうだ。
もたないとしていて気を遣っていても、体力を使うところは使ってしまう。
秋声はレシピを読んでから、意を決して、製作に取りかかる。まず、土鍋と米を探すことにした。
土鍋で炊いたのは二合分が欲しかったからだ。かなり多めにこの厨房は白米を用意している。いざとなったら白米だけだよとか特務司書の少女は言っていたが、
そんないざは来て欲しくは無かった。来たら来たで食べるしか無いのだろうが。
レシピの通りに秋声はガスを使って土鍋を火に掛けて二合分の白米を炊いた。やや固めに炊いてから、具材や他の道具も準備する。
塩や水や布巾を準備した。
「……作るのはおにぎりだから……」
おにぎり。
ご飯の中に具材を入れたり入れなかったりで作る料理だ。シンプルイズベストで奥が深い、それがおにぎりである。秋声は土鍋に炊かれた白米を確認する。
一人前の土鍋に詰め込まれて炊かれた白米はつやつやとしていた。
次にレシピを確認する。
「食中毒に注意するために念入りに手を洗いましょう。食中毒、駄目、絶対」
あるいはラップも良いです、なんて書かれていた。
紙の三分の一を埋め尽くす注意書きであるが何があったのだろうとなるにせよ、作ったもので特務司書の少女が倒れてしまえば元も子もない。
秋声は紙に書いてあるとおりに念入りに石けんで手を洗った。
次に秋声が手に取ったのはさらしと水の入った小さめのボウルでさらしを水につけてから良く絞った。
まだ準備段階だ。
次に茶碗を用意して軽く水にくぐらせてから、布巾の上から茶碗を持ち、しゃもじで茶碗に白米を入れてから転がすようにしてまな板の上に落とした。
それを二つ作る。
二つに下のは残りは具材を入れることにしたからだ。
「そして、これを……」
秋声は手を水で濡らすと満遍なく塩を付けて、そして紙に書いてあるとおりに塩むすびをつくりだした。
特務司書の少女は床に転がっていた。
この状態を他の文豪に見られたら心配をかけてしまうのだろうが、体の調子が悪い。司書室はプライベートスペースだが何も無い。
あるのは空っぽに近い本棚と政府が発行した身分証明である特務司書の任命状や物置から引っぱってきたアンティークの丸テーブルと椅子ぐらいだ。
客人用である。
「……そろそろ、動けるようになってきたかな」
気だるい。
起き上がるとロングワンピースが揺れる。このまま殺意でも叩きつけられれば一気に戦闘モードだがそんなことはなく、休めた。
原因は加護者……本来は邪悪なモノであるが利害の一致で協力してくれている者……のせいである。
自分はこの世界の出身では無く、別世界出身だ。身内トラブルでここに来て、成り行きで特務司書をしている。
伸びをしたら、空腹であることに気がついた。余り食事を取っていない。
食べ物のストックが無いし作る気力も無いため、特務司書の少女はこのままごろ寝してしまおうとしていたら、ドアがノックされた。
「いるかい? 君」
「秋声さん。居るんだよ」
入るよ、と秋声がドアを開けた。
身なりを軽く整える。秋声が丸盆を持って、入ってきた。
「……おにぎり? と、お茶……」
「僕の故郷のお茶だよ」
白い皿に乗っていたのは四つのおにぎりと二つの湯飲みと一つの急須だ。テーブルに案内して、秋声が丸盆を置いた後で座り、特務司書の少女も座る。
「おにぎり……」
「……作ってみたんだ。食べた方が良いと想ってね。レシピがあったから……」
三角の、どうにか三角に握ったというおにぎりだ。真っ白い。三角むすびは以外と難しい。秋声がまさか、作ってくれるとは予想外であったのだが、
「ありがとう」
作ってくれて嬉しい。
そう特務司書の少女は想いながら、食べてみる。塩むすびだった。
「……どうだい? 食べられる、ものかな」
「食べられるよ。美味しいよ。……おにぎりって不思議だよね」
「不思議?」
「ご飯を手で握って……むすんで? 料理だよ。これが」
塩むすびはシンプルだ。材料はご飯と塩だけである。かつてはよく食べていた。特務司書をやる前は別世界で歴史を守るために刀剣から励起させた最強の付喪神、
刀剣男士と共に戦っていたのだ。当初は戦闘もしていたが現在は本丸待機ばかりであったが。
燭台切光忠とか薬研籐四郎がとても上手に握っていた。本丸開拓時のご飯に良く出されていたのだ。
「料理だけど」
「これが外国だと小麦粉と塩で焼くとかしないといけないし料理によってはせんべいだからね」
小麦粉と塩を水で混ぜたとして、ぺっちゃりとした何かになってしまい、味気ないものになるのだが、塩むすびだと手で握っただけで料理だ。
一つ食べ終わる。もう一つを食べてみたら、中には良い梅干しが入っていた。
良い梅干しは良い梅干しだ。酸っぱい梅干しのことである。梅干しによってはそこまで酸っぱくないものもあるのだ。
漬け具合によるのだ。美味しい梅干しも本丸にあった。本格的に漬けると非常に面倒なのだ。
「梅干し。嫌いなのかい」
「好きだよ」
本丸の生活が懐かしくなった。あそこは自由なようで不自由で不自由なようで自由だった。戻る準備は加護者がしてくれているが、
ここの戦いも放り投げたくは無い。
「それなら良かったけど、君、無理はしないでよね。――倒れたら困るから」
「しないようにするよ。ありがとう。秋声さん」
体との付き合いもあるが審神者時代のノウハウが使えるところがある。まずは戦線を安定させること休みが大事だ。
秋声も自分の握った塩むすびを一口食べていた。
「……まあまあ、かな」
「美味しかった。お礼に今度、何か作るんだよ」
特務司書の少女は湯飲みからお茶を注いだ。緑茶では無く秋声の故郷である金沢でよく飲まれているお茶だ。ほうじ茶と呼ばれているが、茎の部分を煎じたほうじ茶であり、
区分として棒ほうじ茶とも呼ばれている。
お茶を一口飲む。ほどよい熱さとなっていた。
「僕のより凄いものが出来そうだね」
「作ってくれたことが、嬉しいの」
秋声が皮肉を言いそうだったので本心からそう伝えておく。作ってくれたことは非常に嬉しい。
それがとても美味しいものならさらに良い。作ったり出されたなら不味かろうとも食べようとはするのだが、無理はしたくないのだ。
皮肉を言ってしまったのに心から、特務司書の少女が嬉しそうに笑うものだから、それ以上は何も言えなくなってしまった。
たまに彼女は寂しそうな表情を浮かべる。織田と似ているところはある。
「暇なときはまた作っても良いけど」
「楽しみにしてる。美味しかった」
彼女は先ほど言っていた。
おにぎりとは不思議な料理だとおむすびとも言い方があるが、ご飯を握るだけで一つの食事だ。作ってはみたものの、三角に握るのは以外と難しい。
レシピメモはほどよく握ろうとか書いてあったがほどよくってどれぐらいだともなる。
奥が深い料理だ。
彼女が料理と言っているならば、そうなのだろう。
「――美味しかったなら良かったよ。鏡花は塩むすびでも炙らないと食べられないけどね」
話題も無かったので兄弟子である泉鏡花の話題を出す。鏡花については転生してすぐの戦いで逢ったが、図書館には居ない。ネコによって引っ張り出された
鏡花は戦いの後で消えた。館長の力で鏡花を安定させようとしたのだが、彼の力が不安定で無理だったのだ。
特務司書の少女も鏡花のことは知っていたが、鏡花さん知ってるよ名前が鏡花だけど女の人じゃ無いってことぐらい! とかだった。
それは知っていると言えるのだろうか。
「それ、焼きおにぎりじゃ無いかな……焼きおにぎりも好きだよ。あの人って潔癖症だっけ?」
「凄まじいぐらいにね。生ものだろうが炙らないと食べられないんだ。森さん以上に酷い」
「おにぎり、エンボス手袋つけて握った奴でも駄目なんだろうな……ラップとか」
森鴎外も潔癖症なところはあるが鏡花はその上を行く。この図書館には師である尾崎紅葉も兄弟子である泉鏡花も居ない。
いつか転生してくるだろうが苦労は倍増だろう。今も大変ではあるが、
「無理だろうね。鏡花だから」
「もしも鏡花さんが転生したら秋声さんのフォローするから」
兄弟子のことを思い浮かべてお茶を飲んだ秋声がため息をつくと特務司書の少女が湯飲みに注いでくれていた。
「ありがとう」
庇うような気遣いが嬉しくて、秋声は礼を返した。
徳田秋声は厨房でクレイジーソルトを手に取っていた。
塩に各種ハーブが入った塩であり、ソレをボウルに空けた白米に振る。味見をしつつだ。特務司書の少女曰く、味付けはプラスは出来てもマイナスは出来ない、だそうで、
味を見つつつけることが重要だ。
「これぐらいかな」
『そうそう。で、次にラップの上にスモークサーモンをのせて、上からご飯、そしてラップで巻いて、皿に並べるの』
声だけが聞こえる。言われたとおりにラップの上にスモークサーモンをのせてご飯を載せて、ラップで巻いた。これもおにぎりの一種だ。
ご飯にお酢を入れて酢飯にしてやれば手鞠寿司と付け足される。声の主は加護者だ。特務司書の少女と付き合いが長いモノである。
他にあるのは生ハムだ。
「おにぎりと言っても奥が深いものだね」
秋声が初めて特務司書の少女におにぎりを作ってから半月以上が過ぎた。転生が確認された文豪達は全員転生して、兄弟子や師匠もやっていて図書館は賑やかになった。
『あの子と萩原朔太郎に食べさせて、貴方は?』
「僕の分も作っているさ。これからあの子が作ろうとしてるから手伝えたらなって想うよ」
浄化作業は空腹との戦いでもある。食堂は動かすようにしているがお昼時、食堂のスタッフの都合で休みとなったのだが、浄化作業はたまっていたので片付けないとならない。
食堂では萩原朔太郎と特務司書の少女が先に待っている。
先に来た特務司書の少女が空腹と言ったので秋声がおにぎりを作ることにした。厨房に入ったら加護者がレシピを教えましょうか? と話してきた。
前におにぎりを作ったときにレシピをくれていたのは彼女だったらしい。
図書館外とかだと干渉がきついとかで声だけだ。
『昼食用にポトフは作ったけど、宮沢賢治用に分けたりとかするつもりみたいだったから』
「やや味が薄いってよく言われてる野菜スープだよね」
『コンソメも何も入れないから薄めなのよ』
大鍋が置いてある。中にはポトフというフランスの家庭料理が入っていた。一言で言うと野菜スープだ。野菜にベーコンやらソーセージやら入れて煮込んだ料理だ。
わざと薄めに作って各自調整をかけてもらっているようだが、一部の文豪は醤油を入れていた。
宮沢賢治はベジタリアンで肉を食べることを好まないため特務司書の少女は抜いて作るようにしているし、食堂のシェフにもそう言っている。
話ながらおにぎりをつくる。
スモークサーモンと生ハムという組み合わせは横光利一が見れば新感覚とか言いそうだ。
「濃くするには……というか肉は……」
『そこにハーブソーセージとかあるからポトフを小鍋に移してから入れて煮込めば良いわ』
出来たおにぎりを並べ終わってから問えば解答が返ってくる。ハーブが入ったソーセージや通常のソーセージがあった。
巨大鍋に入れられたポトフを三人分になるように鍋に移して火に掛けて、まな板と包丁で適当にソーセージやあるベーコンを切って入れて混ぜた。
「これを先に運んで。料理は、志賀さんやあの子に聞けば教えてくれるかな」
『下手な俳句を対価に私が教えても良いけど?』
「……下手って言わないでくれ。句会は師匠に誘われて出ただけだし」
秋声は生前、俳句も作っていたがお世辞にも上手くなかった。皿を持って秋声は食堂に出るとナプキンを巻いた萩原と特務司書の少女が待っていた。
「丸形おにぎりだね」
「言われたとおりに作ってみたんだ。これから、ポトフも持ってくるから」
「美味しそう」
二つのさらには丸いおにぎりがいくつも並んでいる。特務司書の少女がサーモンのおにぎりを口に放り込んで笑っていた。朔太郎は一つ、おにぎりを囓っている。
「食べ終わったら君が料理を作るんだろう。手伝うから」
「僕も手伝った方が良いのかな」
「朔太郎さんは座ってるだけで良いんだよ。マスコットだから!」
手伝うと大変になることを察してか特務司書の少女が止める。ポトフが良い感じよと加護者の声が聞こえたので秋声はポトフを取りに行く。
おにぎり美味しいよと特務司書の少女が聞こえた。
「美味しいと言って貰えるのは、悪くは無いんだ」
『……そうねぇ……』
非常に愉しそうに加護者が言うことが気になったが、秋声としては、とても嬉しい。料理がとても単純なもので、あったけれども、褒められたことは、嬉しいのだ。
「さて、ポトフを……」
準備されたポトフを椀に入れていく。大きめの器に入れていく。二つ目のポトフを入れ終わったとき、声だがそこで大きな音を聞いた。
『あの子は……』
「どうしたんだい」
『全部まずは組んでからとりあえずソレを持って行って』
わけのわからないまま秋声は指示に従い、ポトフの入った椀を持って行く。
そこで、見たのは。
「落ち着いて。司書さん」
穏やかな声で特務司書の少女を抑えている芥川龍之介と
「朔、落ち着け!」
椅子を振り上げようとしている萩原を抑えている室生犀星と、
「馬鹿――!!」
「何をするんですか貴方は!!」
特務司書の少女ととっくみあいをしようとしていたというかしていた泉鏡花であった。
【Fin】