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岡山藩主池田家の日本刀・大包平の謎に迫るレポ

全体公開 11 5043文字
2017-05-14 13:04:27

岡山に行って大包平のお話を聞いてきました

『岡山藩主池田家の日本刀・大包平の謎に迫る』
山陽新聞カルチャープラザ本部教室 2017.5.7(日)13:30~15:00
講師 就実大学人文科学部准教授 浅利尚民

岡山行ってきましたレポ(/・ω・)/
今回のこの講座はいろいろなところで同じようなことをお話されて4回目とのこと。
今回は大包平に関する最新情報ですって。講演のたびに新情報を追加してお話されているみたい。

内容としては
池田家の文化財のゆくえ~池田家の人々~池田家と宝物の資料管理~大包平は池田家にとってどんな存在か
みたいな流れでした。
話の中に特に区分はなかったのですが、自分がわかりやすいように勝手にタイトルをつけて分けて書いていきます。
簡単にまとめてみました。

◎池田家の文化財
江戸時代から岡山藩が版籍奉還するまで岡山藩主を務めていた池田家。
版籍奉還の際に藩と家が分離されたため、資料の引継ぎで藩のものか家のものか分けることになった。
藩のものは国の所有する公的なものとなり、家のものは私的なものという扱いになるのだが、池田家は今まで伝わっていたものをだいたい池田家のものとして持って行った。
岡山藩主池田家伝来品や同家の文化財とよばれる約400年にわたって蓄積された膨大な資料群のことを池田家旧蔵資料とよぶ。資料は現在、岡山大学付属図書館所蔵池田家文庫・林原美術館・大蔵集古館・大阪市立美術館などにある。
林原美術館の所持物となっている池田光政日記は江戸時代の殿様が33年にわたって書かれた自筆の日記という大変貴重なもの。←あとにも出てきますが、この中には大包平に関することも書かれています。

◎池田家の人々
池田恒利:池田家の祖。滝川氏ともいわれるけどよくわからない人なので詳しくは不明。
養徳院:恒利の妻で織田信長の乳母。このことがきっかけで池田家は織田家と近い関係になる。
池田恒興:恒利の息子。織田信長の乳兄弟。乳兄弟は本当の兄弟より仲良しがテンプレらしい。桶狭間の戦いにも参戦。山崎の戦いで秀吉と共に明智光秀を打ち破った。長久手の戦いで死亡。
池田輝政:恒興の次男だが長久手の戦いで父と兄を亡くし、秀吉の命で池田家を継ぐ。正妻に糸姫がいたが離縁して秀吉のすすめた家康の娘の良正院と結婚した。
※秀吉は恒興を亡くしてしまい申し訳ないという手紙を養徳院に贈ったり、輝政に小牧長久手の戦いのときの手の怪我大丈夫?っていう手紙を出したりしていたらしい。
池田利隆:輝政の長男で糸姫との子供。いろいろな人に気を使う人だったらしく妻や部下に「うちの子元気?」といった手紙を出したのだそう。
池田光政:利隆の長男。光政の時代から岡山藩主になる。



◎池田家と宝物の資料管理
池田の資料の最大の特徴。それは資料と物が一致すること。
きっちり記録を残して宝物を管理してきたそうです。(地味な作業は得意なんですね( *´艸`))

池田家の家政機関により文化財が管理されていた。
従業員規則のような資料も残され、池田家で働く人々がどのような仕事をしていたか記載されている。

『改定家則』明治15年
当時の池田家では庶務型が「調度・什器(宝物)」を、記録方が「家譜・旧藩記録・図書等」の記録をおこなっていた。

『岡山所蔵典籍什器取扱規則』明治20年
調度掛2名が「典籍・什器」の保存や出納を行う。
この中には「歴代当主が使っていたものや格別なものは由緒ないものと分けなさい」といったことが書かれており、「由緒」を重視し、それに関する文献が残っていたら残らす書き残すように指示されている。
そうしてつくられたものが『調度記』。←重要なところ

『岡山事務所分課・同事務章程・分課事務取扱概目写』明治30年
これが池田家が何を大切にしていたかわかる資料。岡山藩の歴史を調べて編集する記録方と、什器(宝物のこと)を管理し保存や修復をする調度方。「什器」とは普通は美術品を指すが、池田家では刀剣や藩主の着ていた服など多様多種なものが含まれていた。
(/・ω・)/「そんなものまで書き残してるのかと思うくらいの池田家のきっちり管理力凄い。何が岡山城のどこにあるかも書いてあるくらい細かい」

そんなわけで、調度方がつくった資料がこちら。

『調度記』明治20年前後
調度方が作成し管理された什器の目録。全103冊で約8000点の資料が記載されている。
池田家には膨大な道具帳が残っていた。しかも内容はその品に対してものすごく細かく詳しく書いてあり、その品に関する資料や手紙なども記載されている。

『調度記一 兵器之部 刀剣 一』

表紙をめくって一ページ目。

「一 太刀 
(スライド写真見ても筆の字がよめなかったです略)
銘 (なんたらかんたら)
表 備前包平作
(鍔とか柄とかについてもかいてあったです略)」 

いきなり大包平。

大包平、大原安綱、郷義弘の記述の後に池田継政(3代目岡山藩主)から宗政(4代目)への書状の写しが記載されている。
「右三腰物(※大包平、大原安綱、郷義弘のことです)、大切之物二候條、幾久可被為秘蔵者也、宝暦四甲戌年正月日 継政御花押  宗政江」
1754年(宝暦4年)正月、継政より三口の刀剣を宗政が譲り受けるといった内容。
ちなみに宗政は父の隠居に伴い1752年12月6日に藩主となり、1753年5月18日に初めて岡山に帰国(※参勤交代のため江戸に行っていた)。藩主になって初めて岡山に戻ってきた正月に、前藩主から大包平を含める3口を譲り受けた。

103冊の1冊目1番目に書かれたものこそが大包平。
道具帳は刀剣から始まり、1番目に大包平、2番目に大原安綱、3番目に郷義弘と続いて書かれていることから大包平は池田家にとって大切なものだったろうということが推測される。

(/・ω・)/「約8000点の頂点だと!ドヤ顔する大包平が浮かびますね」

◎大包平は池田家にとってどんな存在か
池田家の資料から見る大包平の登場についても見ていきます。

『池田光政日記』 1652年部分
慶安五年 二月十六日
三左衛門具足着初之覚
一朝、三左と祝申候、大兼平太刀・助真ノ刀・国光ノ脇指遣、其後御影三ふくせう香仕候事(以下略)

数えで15歳になった綱政の具足初めに際して太刀・刀・脇差の三口を遣わしている。
大兼平太刀は大包平を指していると思われるが、助真ノ刀・国光ノ脇指は調度記にも記載はなく所在は不明。
(この時には太刀・刀・脇差の三点セットで渡すものだったよう)

『御代々御譲物』 宝暦14年に記された御刀
一、御刀 備前大包平 銘有 一腰
一、御刀 大原安綱 銘有 一腰
一、御刀 郷義弘 一腰 (←郷は無銘なんです)
1764年6月朔日に岡山城で御指料方から一袋にいれて一箱にまとめられて差し出されている記述がある。(原本だと鎺、切羽、柄、目貫鞘などなど詳しくかいてある)
同年3月14日に4代目宗政が亡くなり、5代目治政が後を継いでいることから、本資料は藩主の代替わりに「大包平、大原安綱、郷義弘」の三口をセットにして次の藩主に渡していたのではないかと思われる。
なお、各御刀の右肩には「御代々御譲物」と表記されている。

『調度記』1の初めに記載されている刀剣と『御代々御譲物』の記載の刀剣が同じことから、池田家では一時期宝物への価値観の変遷があったようだが、明治時代の池田家の宝物管理においても江戸時代の価値観で行われていたのではないか。明治時代でも大包平は昔と同じような扱いだったのではないだろうか。

大包平は歴代お殿様が持っていた由緒ある宝物。
版籍奉還の後も池田家にとってとんでもなく大切にされていた。
大正のころには多くの池田家の宝物が売りたてられたが、大包平は売られなかった。
(/・ω・)/「本で読んだ話だと、戦後も大包平だけは守ってほしいというくらい池田家で大切にされてたもんなぁ」

池田家に残る記録において現状では光政の時代以前に遡れるものはない。
池田輝政の遺物分けの詳細について書かれた『池田家履歴略記』にも大包平に該当するものはない。
光政(初代岡山藩主)→綱政(2代目)の際には遣わしたとあるので、文字通り普通にとらえればその時に移譲したということになる。(池田光政日記)
継政(3代目)→宗政(4代目)は綱政隠居後の正月に移譲(調度記記載の書物より)
宗政(4代目)→治政(5代目)は宗政没後に治政に渡されている(御代々御譲物)
※ただし、大包平が殿様個人の宝か、池田家としての刀かは不明なので「移譲」という言い方が適していないかもとのこと(;´・ω・)

岡山藩主一覧はこちら(輝政を池田家初代扱いで作っちゃってます)


林原美術館の林原一郎は大包平を手に入れかけていたが、最後の手続きの前に亡くなり、結局国が買ってしまったと息子の林原健が書いている。(一郎氏は昭和36年4月17日死去)
大包平は林原美術館にも委託する形で所有していたこともある。国が買い取った後にも1969年に大包平が展示されたが、それを最後に林原美術館での展示はなされていない。
大包平は現在東京国立博物館が所蔵している。林原美術館では刀剣類も所有しているが池田家旧蔵の刀剣は一口のみで、これは池田家から直接手に入れたものではない。調度記に記された刀剣は現在どうなっているのか把握できていない。


原本から読めそうなところだけ書き出してみました。
調度記は結構間違っている可能性が高いです。判別できないのもあるけど旧字体とかもあって読めない。
御代々御譲物のほうは合ってます。大包平の鞘がわかって感激でした!(*´▽`*)


※補足
貮=ニ
鐔=鍔(つば)
裡=裏
啄木組(たくぼくぐみ):白・萌黄・紫などの色糸をまだらに組む紐の組み方。鎧の威や刀の下げ緒、掛け軸の紐などに用いる。啄木打ち。
七子:彫金技法の一。先端が小円になった鏨を打ちこみ、金属の表面に細かい粒が密に置かれたようにみせるもの。一般に地文として用いる。

(/・ω・)/「大包平の銘って備前国包平作なんですけど、あれれー。大包平に関する描写は他の刀剣に比べて圧倒的に多いのです。刀装について書いてる量は見た池田家の資料の中で一番長かったんだよ大包平」

☆講座を聞きに行った方への補足。
明治24年には宮内省宝物取調係が大包平・志津・吉光を拝見(池田光政公伝)
→デジタルコレクションで見られます。
池田光政公伝. 下巻(昭和7)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208478/260
この2口は大包平と同じくらい長い間池田家が所蔵し、後に明治天皇に献上された浮田志津と毛利藤四郎なのです。

キャドウェル大佐の銅像を建立しよう『刀剣美術192号 昭和48年1月』記事
→本間順冶氏によるもの。「薫山刀話」に同様の記述が載っています。国会図書館にあります。
簡単に言うと、戦後に日本刀を没収するGHQから大包平などの名刀をキャドウェル大佐が守ってくれた話。
これの下の方にちょっと書きまとめてました→http://privatter.net/p/1867689

調度記ってどんな内容が書いてあるの?
→『林原美術館紀要・年報』のなかにある「旧岡山藩主池田家の近代における文化財管理の実態について(浅利尚民)」で少し触れられています。今回の講座とつながっているところも多かったのでおススメです。それとは書いてないけど、どれが大包平のことを指してるのかわかりますよ。『林原美術館紀要・年報』は国会図書館にありました。おそらく林原美術館でも見られるのではないでしょうか。


ちょこちょこ補足も入ってます。図は講座の前に作ったのでご注意です。
間違いがありましたらご指摘お願いします(/・ω・)/
畳(@red_pumpkin)


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