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幕間 深淵にて望みを知る

全体公開 ムゲンWARS 1 4436文字
2017-05-15 00:27:26

最近流行りの「のぞむんだっかんさくせん」

Posted by @san_ph7

 
 そこには暗闇がある。
 緑色の呪われた宝石のような美しい瞳が、それを見つめていた。床から発生するように立ち上る黒い靄は空間に馴染んで、境界線をぼかしながら炎のように揺らめいている。城の地下は暗く、他には彼とその靄以外に存在するものはない。
 異変が起きたのは3日前である。城の中に発生した黒い靄を見つけたのは彼の小さな眷属だった。彼は即座に、この靄を地下へと誘導した。そして、城の誰にも理由を告げぬまま、出入り口に内から鍵をかけ、こうしてここに閉じこもっている。
 靄は一定の形を成さない。膨れ上がり、ねじれ、霧散し、時折人の姿をとるようにも見えたが、かと思えばそれは溶けるように輪郭を崩した。彼は背もたれのない椅子に腰掛け、禄に睡眠もとらずにそれを観察し続けていた。
 いくつかの能力と共に左目の光を失ったのは、つい最近のことだ。彼の左の瞳は、景色を映さぬはずだった。
 目を閉じる。
 瞼を、上げる。
 次に視界に入ったのは靄ではない。明瞭に色彩を感じ取ることができる、複数の光の像だ。万華鏡のように姿形を変え続けている。よくできた、幻だった。
 それは、彼が殺したかつての友であり、本当の妹のように可愛がっていた彼女であり、彼が未だ救えずにいる”宿命”を背負った天使であり、魔界の獄に繋がれたままのお人好しな勇者であり、彼を造った美しいひとの姿であった。ザザザ、と砂の流れるような雑音の中に、聞き覚えのある声を彼の耳がいくつも拾う。

「きみをすくいたかった」
「ずっとそばにいたかった」
「あいたい」
「はなれていかないで」
「なかないで」……

 好意とは、期待だ。慕わしいとは、それだけみればただの一方的な感情である。それが相手に必ず伝わって欲しいと万人が思うわけではないが、自分が抱く感情が相手からも同じように返ってくれば、そこにひとは幸福を感じるだろう。
 彼の目の前にある像は、そうした好意を鏡のように返してくる存在だった。彼は、この地下で靄の向こうにあらゆる人々の像をわざと幻視しながら、それらの声をずっと聞き続けている。像から語られる言葉は好意であり、期待であり……すなわち、彼の望みだ。自分が彼らに抱くものが果たしてどういったものだったのか、彼は他人に知られることに嫌悪とも恐怖とも判別つかない感情を抱いた。だからこうして、他に誰もこられないこの場所に彼と靄とでいるのだ。これを発見したとき、即座にそれなりの対応をとることもできたのだろうが、親しい人々の声で呼びかけられてはすべき判断も瞬時にはできなかった。
 いや、彼はまだ別の何かを期待して、こうしてここに篭っている。
 もはや、彼にとって幸福など遠い霞がかった記憶のことであり、この目の前の幻と同じようなものだ。そしてそれを今求めることを、彼は彼自身に許してはいない。彼の真なる望みは、未来に希望を持つことだ。誰の未来も諦めないことだ。可能性を求めるために、このゲームを終わらせることだ。それこそが、彼にとっての幸福だ。
 しかし、淡い期待が彼をこの場に縛り付けた。一体彼が心の奥で彼らに何を求めているのか、彼にも分からなかった。例えただの幻であったとしても、遠い過去に覚えたそれと相違などあるだろうか? 彼は今自分が目指している未来における幸福とは別に、それを現実へと求めることを拒否した。その代わりに、今日この日の幸福など叶わなくても幻の中で懐古することを自分に許した。
 像は様々な姿で様々なことを彼に呼びかける。気付かされたくないことまで喋ることさえあった。顔を背けても、耳を塞ぐことはなかった。望んでいるのは、他ならぬ自分自身だったからだ。
 像は見知ったひとの形へと光を結んだ。揺蕩う金糸の髪が美しいひとだった。いつも微笑んだまま、しかし彼に語ることを許さなかったひと。形のいい唇が、言葉を紡いだ。
「ウィル」
 ――その愛称で、ずっと呼ばれていたかった。
「あいしているわ」
 ――貴方に会ったときに、ちゃんとそう言えばよかった。
 ごめんなさい、と呟くと、像の輪郭は掻き消えて、また次の姿を象った。
 烏の面をつけた男。彼が殺したかつての友。彼が恨みを抱くことなどなかったが、彼はこの男に激しい憎悪を向けられていた。後悔している。同時に、諦めてもいる。過去のひとである。
「何も言うな」
 彼は、この仮面の魔王が口を開く前にそう言い放った。
「僕が君に望むことなど、たったひとつだ。よく分かっている」
――救いたかった。
 男は仮面の下で皮肉るかのように、しかしどこか優しげに笑って、その姿を歪めた。
 次の像は男の妹だった。仮面をつけた生前の姿と、現在の彼女の姿と重なって視える。彼は彼女に対して心からの幸福を願った。それが少し歪な形で叶ったことを気にかけていないわけではなかった。
「しあわせよ」
「ああ、知ってるよ」
「さみしい?」
「たぶんずっと、寂しかった。これからもきっと、そうだろう」
「うたう?」
 彼はほんの少しだけ口角を上げた。
「君の好きに、するといい」
――どうか、いつまでも幸せで。
 懐かしい歌の旋律が、微かに彼の耳に届いたかと思うと、彼の目が捉えていた彼女の姿はぼんやりと曖昧になった。
 次の像は二人組だった。背の高い、大きな白い翼を背負った天使と、青く光る翼を持った小さな天使。ふたりとも、”彼女”によく似た癖のある金糸の美しい髪をしている。彼らはにこやかに笑って、彼にこう言った。
「あいたい」
……僕も、君たちに会いたい」
 彼は両手で顔を覆って、俯いた。怖かった。彼らに自分が今までしてきたことを知られてしまうのではないかと思っていた。それが何より、彼が彼らと会うことを忌避する一番の理由だった。
――許して欲しい。
 彼が強く願うと、ふたりの姿は陽炎のように揺らめいて消えた。
 像は別の姿に変わる。見知った男だ。ここ最近は顔を合わせていない。だからなんだか、とても懐かしい。火傷は綺麗に直っている。お人好しの勇者は、いつものように微笑んでいた。ただこの男は微笑んだまま、何も告げず黙って彼を灰色の瞳で見つめている。
「望むことがないわけじゃないんだ」
 彼は顔を上げた。
「ただ、君はそれを望まないだろうことを僕が思っているだけで」
――でも。
「君の幸福を願うことぐらい、いいだろう?」
 男はそれを聞いて、ゆっくりと両手を広げた。
「いっしょにいこう」
「ああ、そうだよ。一緒に行くんだ。例え君を引き摺ってでも。だけど、カイ。僕は君と一緒に死ぬのはごめんだ。君を殺すのも」
 彼は苦笑して、椅子から立ち上がった。彼の腕や首には、いくつか赤い手形のような痣ができている。この靄は対象に好意を寄せる姿をとり、言葉でおびき寄せ、そしてその靄から伸びる無数の手で呼吸を奪おうとする。目的は対象をただ惑わせることになく、命の収奪にあった。
 始末しなくては城のものに迷惑がかかっただろうが、この場所にあってはこの靄がどこにも出られないように彼はわざわざ慣れない魔法陣を床に描いていた。靄がどういう経緯で発生したものなのか分からない以上、無闇に消滅させてしまうのは危ないことかもしれない、とあくまで客観的でいるような考えを彼は自分に対して許容している。現に、幻であるとはいえカイに対して何かができるとはまるで思えなかった。
 像から離れる。それは一定の形を留めない黒い靄にまた戻った。この空間のただひとつの出入り口に向かって、彼は歩き出した。すると、今までは絶対に聞こえなかった声が、後ろから彼を呼び止めた。
「ウィル」
 振り向く。
 ああ。
「珊瑚」
 燃えるような赤い髪。黄色い、獣のような目。いつも彼のことを憎らしそうに見つめていた、その瞳。かつて、ほんの数年だけ、彼と彼女は旅をしていた。あてなどない、彼女の願いを彼女がただ叶えるための旅に、彼は同行していたことがあった。ついぞ、その願いは叶うことなく、旅の果てにたどり着いた小さな村で、病魔に冒された彼女は息を引き取った。何もかも手遅れだったことを、彼は後悔している。
「何だよ、3日も待ったのに。こんなタイミングで出てきたりしてさ」
 彼女は彼のことを、ウィルという愛称で呼ぶことはなかった。彼は臨終の間際まで、彼女に真名を告げることがなかったからだ。
 踵を返し、彼は幻の彼女へと近づいた。無数の手が彼の手を引き、背に手を回し、首に手をかけた。
「待ってたんだ」
 悲しそうな顔して、彼はそう言った。誰かを愛おしく思うときもまた、似たような表情をすることを彼自身は気づいていない。背の高い彼女の額に自分の額を合わせた。目を閉じる。ゆるゆると、首にかけられた手に力が込められていくのが分かる。
「おまえをころしたかった」
「そうだね、僕は君に殺されたかった。本当に」
――それでもし、君が生き長らえられたなら、それでいいと本当に思ったんだ。
「いっしょにいきたかった」
「もっとたびがしたかった」
「せかいがみたかった」
「おまえといっしょに」
 影のごとき黒い手が、首を締めるその指が、気道を圧迫し始める。
「もし、おまえが」
 魔王じゃなかったら。彼女が勇者だったら。彼がもし、
「僕がもし人間だったら、きっと始めから何もかも違っていたんだろうね。そんなことは、あり得ないと、分かっているけれど」
 でももしそうだったら、この感情を何と呼んでいいか分かることができただろうか? 彼女が死んでもついに名前をつけることができなかったこれを整理することができただろうか?
「ウィル」
「わたしといっしょに、しね」
「こんどこそ」
「いっしょに」
 首に込められた力が一層強くなる。彼は、首にかけられている方ではなく、彼女の幻の手の方を握った。女性にしては手のひらの皮が厚く、無骨な印象さえ受ける手だ。武器を握り続け、彼女の願いのために戦い続け、彼の命を幾度となく狙ってきた愛しい手だった。
「もし許されるなら、待っていて欲しい。僕が死ぬまで。僕がこれから成さなければならないことを見ていて欲しい。もしかすると長く待たせるかもしれないけど、そのときはいくらでも詰っていいから。遅いと、一発殴ったっていいから。
 ……君が救いたかったものを、僕がちゃんと拾うよ」
 彼がそういうと、幻の彼女は黄色い目を数度瞬きさせて、それから目を閉じた。その像は、光る砂のようにさらさらと崩れ落ちる。暗い地下の床にさっと波のように広がったかと思うと、それもすぐに消えていった。
 ただひとり、黒い翼を背に追うこの世界の魔王だけがその場所に残された。緑色の瞳はしばらく何もない床をただじっと見つめていたが、やがてそこから離れた。
 そして誰もいなくなった地下には、静寂だけが満ちていた。



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