読心さんと憧憬さんお借りしました。それぞれが引き寄せた可能性の結果について。
@san_ph7
「ようこそ」
暖炉の炎が鮮烈な緑色の瞳に反射して揺れる。冠を頂かず、玉座に掛けることもないこの世界の王は、客人を談話室へと通した。毛足の長く赤い絨毯が敷かれ、あちこちにクッションやソファが点在する部屋だ。奥の壁に据え付けられた巨大な暖炉には、1年を通して消えることのない魔法の炎が灯されている。
彼は背に負う翼をわずかにはためかせて、暖炉の前に置いてある背もたれのない椅子に腰を下ろした。チェス盤の乗せられた机を挟んだ向かいには二脚のソファがあり、それぞれに人物が座っている。
ひとりは金の髪をした女性だ。黒い艶やかな布で目隠しをしている。彼女の瞳は色彩や景色を写すことはないが、その代わりに他人の心の声を聴くことができた。
もうひとりは黒い髪をした青年。右目を眼帯で覆っている他には、その左にある濃い水色の瞳が印象深いだけの若い人間に見える。
相対する魔王は、右目だけでふたりを眺めた。彼らは勇者だ。本来であれば有り得ない光景である。この世界は神々による終わらないゲームを誰にも否定されないまま、駒である勇者や或いは魔王たちはお互いを様々な理由で滅ぼし合ってきた。永年ともとれる長き時を生きてきた彼でさえ緩やかな停滞を感じる時代だが、未だ盤上の遊戯にチェックがかかることはなく、ルールは頑然な不文律として存在している。
彼らは、敵同士であることを宿命付けられていた。
柔らかな金の髪を揺らして、読心の勇者は魔王に言った。
「お招き頂き光栄ですわ。……災の魔王様」
「そういえば、君には名乗っていなかったね。クラリエ」
彼は憧憬の勇者に会えとは言ったが、自分が何者であるかを彼女には告げなかった。首を傾いで隣の青年を見やる。水色の瞳は隣の姫君を気遣うように見つめていたが、彼の視線に気づいて体の向きを真正面に正した。若さの尊ばれる点というのは、ひとつは実直さにあると彼は考える。時に愚かな行為に映ることもあるだろうが、そうした嘘や偽りを必要としない人間性というのは価値のあることだと彼には思えるのだ。
「見ての通りだよ」
彼は返事代わりに巨大な両翼を広げた。
「それとも、もう少し君の疑問に答えた方がいいだろうか。例えばこの姿が聖界でいうところの『破滅を呼ぶ黒い天使』に似ている点について、とか」
薪が爆ぜる。
「伝承の……いえ、我が国には」
「どうかな。そうした正しい記録が世界にどれだけあるか。しかし恐らくそれも僕だ。僕は伝承として”災厄を運ぶもの”の形をとる。僕が聖界における不幸の象徴だからだ。もっとも」
彼はそう言って、机の上に置いてあるチェスの駒を一つ手にとった。ヒビの入った灰色のポーンだ。
「0が10になることはない。そこには僕のやったことも確かにある。僕はそうした明確な脅威だ。君たちの目の前にいるのは、そういうものだよ」
「では何故、私達をここへ?」
「殿下」
彼は片目だけで目を細めて笑った。
「僕は誘いはしたが、ここへ来たのは君達の選択だ。導いたのではない。僕は知りたいかと問うたのだから。知りたければ、答えるといい」
己は人間であるか否か、と。
問いかけ自体に深い意味はない。勇者ふたりの返答がどうあっても、彼はただこの世界を彼らが訪れるための理由を作ったに過ぎない。だがこの問いが、勇者という特殊な運命をゆく人間にとって如何様にでも異なる意味合いを持つことを彼はまたよく知っている。
「私は」
姫君はたどたどしく答えた。それ自体は予想されたものである。彼女は見えないのだ。目の前で言葉を発するそれが、人間なのか、或いは魔族であるのか視覚的情報で判断ができない。だが心の声を聞くことはできる。それは恐らく、人間も魔族もそう変わりなかったはずだ。迷いを感じる答え方だった。
彼は彼女の返答を一通り聞き終えると、隣の若い勇者へ視線を移した。
「君は? 憧憬の勇者」
「……俺は、人間だ」
対して、この勇者の片目からは一片の迷いも窺えない。見えるのは、焦燥、疑問、不信。なぜこういった感情を抱いてここにいるのか、その来し方、彼はこの勇者の境遇を詳しくは知らない。しかし彼がこの手段を取らなくても、いずれ同じ解へ辿り着くことになったのではないかと思う。
「これで満足か?」
「まぁ、僕は答えに来いと言っただけで、別に可否を下すとは言ってないからね」
それで、と言いながら、彼は盤上にふたつの白いポーンを取り出して乗せた。
「それぞれが、いくつかの疑問を持ってここを訪れたと思う。質問に、答える前に、僕からひとつ話をさせてくれないか。それはきっと、君達が僕に問うべき内容のおおよその部分に当たると僕は考えている。いらない手間をかける必要はないだろう? ――僕が何者で、そしてなぜ僕を知ることがこの世界の根幹に関わるのかを」
昔話はあまり好きじゃないが、と薄く笑みを浮かべた魔王は語り始めた。
曰く。
世界は二柱の神々によって創生された。ある時から、その存在する世界を盤上と見立て、魔王と勇者をそれぞれの神の手駒とし、神々の遊戯は始まった。それは幾星霜、遥か長い時を経ても終わることのなかった陣取りゲームだった。我々は、そのゲームボードの上で生きているさながらポーンのような存在であること。ゲームは今も続いていること。明文化されていない暗黙のルールがあり、それを破った場合のペナルティも確認できていること。……
彼は、脚色なく自分の知る事実を淡々と話した。目の前の勇者ふたりは、初めて知る世界の真実をただ黙って静かに聞いていた。その胸中がどのようなものであったか、彼らの表情を見れば察しは簡単につく。動揺。嘆き。懐疑。あるいは義憤。
彼は一通り話し終えると、まるでそのこと自体は蛇足かのようにこう付け加えた。
「僕はそんな世界の、元は女神側に生を受けた”天使”だ。ゲーム開始前より彼女の傍でこの世界を見てきた。ゲーム開始後に故あって、こちら側の駒となった。僕だけが知ることというのはあまり多くはない。すなわち、僕自身のことだ。
僕の行動に疑念を抱くのは無理からぬことだだろう。魔界においては魔王、聖界においては正体不明の”災禍の象徴”。それで、元天使というんだから」
我ながら作り話みたいだ、と彼は笑った。
「不服かい?」
勇者ふたりを眺める。
「だがこれが事実だ。機会が巡らなければ、不死の勇者とはいえ永遠に知ることなどない真実だ」
「俺たちは」
水色の焔をともした瞳が、彼を睨む。
「ただの、ゲームの駒だっていうのか」
「そうだよ。どちらかを滅ぼさねば、終わることのないゲームだ。理解が及ばなかったのか? 憧憬の勇者。それとも、揺らいでいるのか」
深淵を知る緑の瞳が、摯実に富む色を湛えてただの人間ふたりを見た。
「僕は問うたはずだ。『君達は人間か?』と。盤上で生きている駒であろうが女神の手先であろうが、魔王を倒すべき宿命に囚われた不死者であろうが、変わらないはずだ。君たちが人間であるという認識は、揺らがないはずだ。僕はその為に問いかけをした」
憧憬の勇者はその拳を膝の上で固く結んでいる。その横で、心配そうに読心の勇者はその様子を見つめている。
「しかし人に限らず、この盤上の世界に生けるものどもが、このゲームに直接的、または間接的に苦難を強いられているその場面を……僕も多く見てきた。僕等は宿命に縛られている」
彼は大きく息を吐いた。薪が弾ける。重たい沈黙が彼らを取り囲んだ。
導き手である、という意識は彼にはない。必要だと思える手を打てるだけ打っておきたい、それだけだ。彼は自分ができることというのは、多くはないことを知っている。そうでなければ、もっとたくさんの砂を拾えたはずだ。能力が失われた今だからこそ、はっきりと感じる事実だった。
ただ、できることは少なくても、彼のやることは誰かに大きく影響を与える行為であることはよく分かっている。知らないでそのまま普通に生きていけるなら、それに越したことはないのだろう。かつまた、彼に関わらずに済んだのなら、彼らふたりの勇者も一生知ることはなかった。それが果たして幸福であったのかそうでなかったのか、いよいよ彼をもってしても見知すること能わぬ未来のことだった。
だがどうあっても、彼は目指す未来を確実のものにしたいのだ。
「それで」
読心の勇者は彼に尋ねた。
「それを私達にもたらした貴方には、どのような意図があるというのですか」
魔王は思案し、慎重にこう話した。
「見えない選択肢を選ぶことは、できない。だから手始めに情報を出した。心得てほしいが、僕は導き手ではない。選択はそれぞれですべきだ。強制はしない。
僕は――僕等は今、このゲームを止めるために動いている。”神々を殺すこと無く、どちらの陣営の勝利でも敗北でもない”形で終わらせるために、助力が欲しい。魔王でも、勇者でもいい」
呆気にとられたのか、ふたりはまた黙った。
「人はときに可能性を、自分で閉じることも……ままある。それはある意味では選択なのだろう。だがこの世界を縛るものは、そうではない。及びようのない力で、塞がれてしまっている。あるいはそれらを断たれ、迷い、害を受けたりすることもあるだろう。理不尽だがそれは運命だと、受け入れることを僕は納得ができなかった。だから人界に堕ちた。今も、諦めるつもりはない。誰ひとり」
彼は前を向いて、緑色に燃える瞳で勇者ふたりを捉えた。彼は、これは最早理想やくるべき未来と呼べるものではない、ような気がしている。渇望だ。彼が真に、望んでいることである。
誰もが幸せになればいいと思っている。それら全ての運命に介入するには、彼ではあまりにも足りなさ過ぎるのだ。そして、かつては闇雲に運命の糸を乱したことで、取り返しのつかない結果を生んだ。彼の手から零れた砂を彼は二度とすくい上げることはできなかった。
だがこれは、過ちを雪ぐために選択したことではない。希望を、持ちたい。たったそれだけだ。誰もが思うように生きていて欲しいと思うし、自分だってそうありたいと、そういう希望を捨てないために、彼は立っていたかった。
彼はチェスの盤上を見た。白いポーンの後ろには、ひびの入った灰色のポーンが置かれている。
「貴方が、どうして聖界でそうした厄災を運ぶ象徴と呼ばれているのかが分かりませんわ。おっしゃっていることが理解できないわけではありませんの。でも、貴方の目的と、貴方がそういう存在であるということは、あまりにも違えて見えます」
読心の勇者の問いかけに、彼はこう答える。
「僕は目的を違えたことはない。最初から、人界に堕ちたときから、運命を覆すために僕ができることをしてきたつもりだ。それがときに災禍をもたらすこともあった。過ちであるかと、問われれば……僕はそれを否定できない。ある意味では僕は魔王らしく、多くの命を奪った。不幸の象徴と呼ばれるのはそのためだ。決して本意ではない」
災禍は、彼によってもたらされたものも確かにあった。それは間違いではない。
「だから先にも述べた通り、伝承には僕のしてきたことも、そうでないことも多分に含まれる。後世に正しく、あるがままは伝わらなかった。それは、いつだってそうだったけれどね。僕のせいにした方が、楽なこともきっとあっただろう。
だが間違いなく、僕は魔王だ。聖界における象徴としての不幸という認識は、恐らくこの先も覆ることはないだろう。僕の、罰のようなものだ」
いつだって宿命に抗うために、様々な手段を講じてきた。彼の意図するものでなかったにせよ、いくつかの国を滅ぼしたことも真実だ。罪であることの自覚を放棄したわけでもない。過去が覆ることもまた、ない。
「どうして俺達だった?」
若き勇者は魔王に問うた。不信よりも、単純な疑問であるかのように聞こえる問いだった。持てるものの少なさに、現状への足りなさに、自分に疑問を持つものの声だ。
「僕は導き手じゃないんだ。選択肢を確かに用意はした。でも違うんだ。選択とは、可能性だ。僕を引き寄せたのは、実のところ君たちだ。それは、何か明確な条件が整ったからというわけでもない。これらは全くイレギュラーな、つまり僕という要素が偶然に絡んだ結果に過ぎない」
特別な選別はなかった、と言って彼は続ける。
「もちろん、これらを僕は予見していたわけではない。もしかすると、君達ではない違う誰かだった可能性だってある。でもここへ来ることを決めたのは、君達だ。知りたいと願ったのも。世界の真意を知るに足る条件など、そんなもの、あるはずがない。知りたくないとそう言えば、僕はここへ誘うような真似はしなかったさ。
ここに君達が在ること、それがひとつの可能性を呼んだ、たったそれだけのことだ。この何でもない偶然が、僕に重大な選択肢を提示させることになった。そしてその可能性を呼んだのは、君達だ。僕ではない。生きることが大小様々な選択の連続で、それらの積み重ねこそが未来と呼ばれるものだ。それらはときにタイミングを待たずして訪れることもある。
何故今、自分達だったかについて、僕は答えられない。偶然だが、しかしここにこうして在る以上は必然だ。最早、決定された現在の話だ。見定めや特別があったわけじゃない。これは、各々が引き寄せた可能性そのものだ」
人間がもつ可能性が彼を呼んだ、それだけだ。
「すぐに答えは出ないだろうから」
彼は改めて真正面に向き直った。
「どうか慎重に、行動し、考えて欲しい。僕は、この道を共に行く同行者が増えたらとても嬉しい。そうならなくても、構わない。知ることでしか見えないものもある。僕達とは別の道を行くというなら、それも選択だ。もしここへきて、知らなければよかったと、もし君達がそう思ったなら……許して、欲しい」
何故と、憧憬の勇者がぽつりと呟いた。
「あんたがそこまでするのは、何故なんだ」
彼は微笑んだ。
「実際僕は本当に、何もできないから。たったひとり、友達を牢獄から出してやることすら。助けを求められたわけじゃないんだけど、でもそれが僕の望みのひとつだ。あれがあんまりにも希望を追うものだから、それを見ていた僕もそうしていいのだと思った。希望を持っていいのだと。在りたいように在っていいのだと。僕が、そう在るために、為したいことを為す。大した動機じゃなくて、申し訳ないけどさ」
****
奇妙な会合は終わり、彼はひとりきりになった。暖炉の炎を見つめながら、ぼんやりとする。ときたま、彼が取った行動が本当に正しかったのか否か、不安に思うことがある。彼は、元々自分の能力で自分の未来を視ることはできなかった。そのために、彼は彼自身がまさに運命の糸にとってのイレギュラーになり得ることを自覚してはいた。こと、自らの運命においては。
どのみち、左目が潰れている今、この結果を読むことはできない。やるべきことはやった。彼にできることといえば、後は待つことぐらいだろうか。
灰色のポーンを手にとって、ヒビを指でなぞった。
「カイは元気かな」
呟く。居場所は分かるが、未来は視えない。きっとそれが普通のことなのだ。それにここから視えないなら、会いに行けばいいのだろう。幸い、視力が完全に失われたわけではない。ガーゼで覆われた左目を手で覆った。どうした、と聞かれるのは少し嫌だな、と思う。適当な説明をするのは躊躇われるし、嘘もつきたくない。
「会いに行ったらいいだろう」
物思いに耽っていると、彼の小さな眷属がひょこりと視界に入ってきた。
「イヴ」
「友達に会いに行くのに、何か特別な理由が必要か?」
左右で色の違う瞳で、彼女はじっと主を見た。恐らく幼さ故の深い意図などない問いかけだ。
「何も出来ないけど、行ってもいいと思う?」
「行きたいんだろう。行ったらいい。普通、何かできるとかできないとかで友達に会う会わないを決めたりしない」
と、思うぞ、と白い髪をした少女は両手をぱっと彼の方へ伸ばした。彼は彼女の体を持ち上げて、膝の上に座らせる。その小さな頭を撫でながら、彼は視えない未来への杞憂を暖炉の中にくべるように、じっと炎を見つめた。