または夜明けの歌、オーバード。囚獄さんと薬師さんお借りしました。このお話は前提として竜胆さんの薬師さんのお話(http://privatter.net/p/2020071)とかいなさんの書かれた囚獄さんのお話を読まれたこと前提で展開される不親切な設計になっています。
@san_ph7
1.Im ruhigen Tempo
暗夜、その洞窟の中に蠢く影がある。
宝石を砕いたような天輪を頭上に頂き、漆黒を塗り込めた翼を背に負うそれは、人非ざるものであった。その姿は、聖界に伝わる災禍を呼ぶ黒い天使の姿によく似ている。緑色の瞳はこの闇の中でも獣のような炯々とした輝きを放っていた。視線の先には、横たわる人影。彼がよく知る勇者がそこにはいる。
次いで。
彼の背後から首筋へ伸びる金属の鈍い光。眼球だけを動かしてそれを確認する。鋏のようだ。彼の身動きを封じている人は、こう言った。
「……誰」
困惑と警戒、緊張。訪問の時間帯を改めるべきだったろうか、と彼は他人事のように思う。よくよく考えてみれば、人がいないわけはなかったのだが。彼は結局囚獄の勇者に会いに行くことにした。誰かに命を繋ぎ止められたことを確認するためだ。よって、この場所に患者と看護者がいることは明白のことだった。彼は背後に立つものから女神の加護を察知している。であれば、囚獄の勇者に治療を施しているのはこの勇者なのだろう。
最近彼は自分がどういった姿をしているのかをあまり意識することがなくなった。自分が聖界における不幸を表す代名詞であることも、然程気にしなくなった。彼の足元で眠っているお人好しのせいでもある。だから、彼は彼自身がどう見ても人外の造形をしていることを、こういう状況になるまですっかり忘れていた。彼の伝承を知る知らないはともかく、満身創痍の人間の横に人でない姿の何者かがいるのである。魔物が襲いにきたのかと思われても致し方ない。
彼は片手をゆっくり動かして、横たわる包帯だらけの勇者を指差した。
「これ、の。様子を見に来たんだ」
囚獄の勇者は彼が最後に予知した通り、ボロボロだった。あらゆる思いと感情が彼の中で湧き上がったが、それが言葉になることはなかった。彼は囚獄の勇者、現状のカイに対して何かできることを期待してここにきたわけではない。だから、そういう思いが胸焼けのように出口を探して彼の中をぐるぐると巡るのは本当に仕方のないことだった。
「助けてくれて、ありがとう。友達なんだ。……死なせたかと、思った」
彼がぽつりとそういうと、背後の勇者はその切っ先を彼の首元から退けた。
「こんな時間に僕も来といてなんだけど、これを無闇に起こしたくない。外で、話しをしても?」
一瞬の間があったが、背後の気配は首肯したのか彼から離れていく。
夜風が吹いている。丘のような、しかしなだらかとは言い難い岩山のふもとにある洞窟から、ふたりは外へ出た。糸のような三日月が頼りない微光を発し、闇は星明かりによって濃度を僅かに薄くしている。明るくも、暗くもない夜だ。
ざわざわと風が鳴る。周囲に目立った木々はない。高地や荒野に生えるような背の低い低木がまばらに生えているだけだ。
適当に、そのあたりに転がっていた岩に腰掛ける。その勇者は彼の向かい、少しだけ離れた場所に立ったまま、彼を見ている。
一見して少年のような、少女のような姿をした人間だ。短く、黒い髪。竜胆色の目。彼は首を傾いだ。
彼女は彼にこう尋ねた。
「あなた、何者なんですか? 確かに彼は”くろいはねをつけたともだち”がいるって言っていたけど」
両翼を広げる。
「見ての通りなんだけど」
「答えになってません」
怪訝そうに眉をひそめた勇者に、彼は笑った。
「”人でなし”だよ、よろしく。中にいる囚獄の勇者が言っていたのは僕のことだろう。他に、黒い羽根が生えた知り合いなんて僕が知る限りではいないかな」
目の前の彼女はますます不審そうな顔をする。
「その姿、まるでおとぎ話の黒い天使みたい」
洞窟の中より外の方が明るい。彼の姿は先程よりは明瞭に輪郭を追いやすいのだろう。
「よく言われるよ。僕が怖い?」
勇者は虚を突かれたように答えに詰まり、けれどそれから「いいえ」と答えた。きっと無用な警戒をさせたのだろう。嫌疑が晴れたわけではないが、彼女が即座に彼に刃を向けられたのは、彼の存在がどうということだけではないらしかった。彼は目の前の彼女を眺める。主に、目の下のあたり。
「ねぇ、君。もしかして寝てないの?」
「え?」
「僕、いつもだったらこういうのもっと察しがいい方なんだけど。カイが何かした? 例えば、君の見ていないところで動ける状態じゃないのに動いた、とか。あれを治療しているのは君なんだろう? 僕だったら、自分の患者がそんなことしたらなるべく目を離さないよう気を配ると思う」
どうだろうか、と彼は言う。
「その、本当に悪かったよ。少し様子を見て、無事を確認したら帰るつもりだったんだ。誰かが起きているとは思わなかったから」
きまり悪そうに彼は目の前の勇者から目を逸らした。糸を辿って”遷移”したので、特別に物音を立てた覚えはなかった。ならば彼女の視界には、空間から突然何者かが現れたように見えただろう。警戒など当然だ。
彼女は不思議そうに彼をしばらく見つめていたが、やがてこう言った。
「そういうことを、よくする人なんですか?」
「うん?」
「朝起きたら寝床にいなかったんです。探したら外に居て、寝ぼけて出て、それでぶつけたって。私は嘘だと思いました」
「……多分カイがそういう言い方をしたってことは、あいつもよく分からなかったんだろうな」
だから僕もよく分からない、と言って彼は洞窟の入り口の方を見た。
「ただ、軽挙妄動をするようなやつではない。目的もなく闇雲に何かをすることもないだろう。君に説明ができない何かがあったんじゃないか。自分も分からなかったから、そういう説明をした。何か、変わったことはなかった?」
そう聞くと、彼女は思案した後こう答えた。カイが外で倒れている、と教えてくれたのは魔族の子供だった、と。それから、その子供はカイを見つけた後すぐにいなくなってしまったこと。
能力を封じられているので前後する出来事の詳細が分かるわけではなかったが、それが誰だったのか何となく想像はついた。カイに新しい”縁”は増えていない。であれば、今までカイが会ったことのある人物だったということだ。恐らく、カイが願望の勇者から譲り受けたという角の本来の持ち主だろう。何故そんなことになったのか、魔王がどこへ消えたのか少し気がかりだったが、今は深く考えないことにした。
「結局いつも通りだったわけか。それはいいんだけど、少しは自分の体の状態ぐらい考えて欲しいものだな。現に、君に苦労をかけているんだろう?」
彼がすまなかったね、というと、彼女はあからさまに困惑して、別にそんなことは、それに大したことは出来てません、と少し視線を下げてそう言う。勇者っていうのはつくづく、お人好しが多いんだな、と彼は心の中で嘆息をついた。この様子では治療に対する対価のことも彼女がきちんと考えているか怪しいものだ。
「何か僕にできることは?」
「え?」
「だから、あれが苦労をかけているんだろ。ろくに睡眠も取れてない、おまけに安静を言い渡されている重篤患者の面倒を君ひとりで見ている。手が足りてるっていうなら君のこと女神か何かだと思わなきゃいけない。ないの?」
言われて、彼女はしばらく考えた。
「薬草の残りが、少し心もとないと思ってました。でも……あの人を置いて行くのは。あなたが残って見てくれるなら、今から行って朝には戻ってこれます」
彼は、片眉を釣り上げて呆れたように彼女を見た。
「君こそ何考えてるんだ。そんな状態で、しかもこんな真っ暗な中君ひとりで行かせられるか。どうしても今行くなら、僕も同行する」
「それだとあの人をひとりにすることになりませんか。全部こなすには人が足りない」
足りるさ、と言って彼は夜空を見上げた。聞いてただろ、おいで、と虚空に向かって声をかけると、一筋流れ星が落ちた。それは濃紺の空に光の尾を引いても消えることはなく、まっすぐこちらへ向かってくる。白い塊は彼の足元に着地すると、その輪郭をぼこぼこと膨らませて、やがて小さな白い少女になった。左右色の違う瞳で彼を見て、数度瞬きする。
「呼んだか。要はカイのお守りだな?」
それからくるりと彼に背を向けて、彼女の方を見た。
「私はイヴだ。よろしく。あなたの患者の面倒を夜が明けるまでは見ておこう」
「え、えっと、ヤナギです、よろしく……」
それから、振り返りちらと彼の方を見た。彼の小さな眷属はまさか名乗っていないのか、とでも言いたげな目線である。頬を搔き、彼はどこか観念したように自らの名前を名乗った。
「ウィルだよ。よろしく、ヤナギ」
2.Belebt, nicht zu rasch
夜の森の中をさまようものがある。木々は空を塞いで月明かりもここでは乏しい。カンテラは森の陰影をその周りだけ濃く映し出しては移動していく。それを持つ手甲には竜胆色の宝石が縫い付けられていた。影絵のような木立の間を進みながら、ヤナギは辺りをキョロキョロと見回す。ガサガサといった音が近くの茂みから聞こえたために、彼女は鋏を手に取り身構えたが、ヤナギ、と声がかかるとホッとしたような顔をした。
「これは?」
茂みの中から出てきた彼の手には目的の薬草が握られていた。
彼らは少し前、彼の眷属であるイヴに後のことを任せて洞窟からは離れた場所にある森まで飛んだ。最初、ヤナギは彼に抱えられながら移動することをかなり渋ったが、暗い路を危険を冒して徒歩で移動する必要はないと彼はそれを説き伏せた。もっとも、その抵抗がささやかな乙女心であることを彼も承知してはいたのだが。
「……片目でよく見つけられますね」
半ば呆れたような物言いに彼は微笑んだ。左目は彼女と会ったときから固く閉じられたままだ。怪我でもしているんですか、と問われれば、潰してしまったので見えない、と彼はなんでもないことのように答える。半分は嘘だ。呪われた左目はそこから病のように彼の体を冒し始めている。摘出の提案を突っぱね、彼は彼の配下であり、知る限り最も恐ろしい魔術師に幾重にも封印をかけさせた。応急処置に過ぎなかったが、稼げるだけの時間を稼ぐことができれば彼にとっては十分だった。今は大きな目的がある。
「手伝いのお礼がてらできることがあるかと思いましたが、失われているのであれば私には」
何も出来ない、と自嘲気味に呟かれたその一言を彼は確かに聞いた。ないものを取り戻すことは至難のことである。無から有を作り出すことも同じく。彼女は癒やしを与えることはできるが、それ以上のことが為らないことを身を以て知っているのだろう。彼はその手甲に縫い止められた、カンテラの灯火に照らされて微かに煌めく青紫の宝石を見た。勇者になることでただの人の身を上回る力を得たはずなのに、それが及ばぬ領域があることを知ったとき、彼女はどう思っただろうか。ふと、洞窟に置いてきたカイを思い出す。カイも、カイですらも、彼の知り得ないところでも歯痒い思いを、きっとたくさんしてきた。目を伏せない代わりに、彼は注意深く周囲を見渡した。
「元々夜目は効く方なんだ。片目ぐらいどうってことない」
「なんか、ふくろうみたいですね。さっきも音もなく突然現れたし」
ふくろう、梟王。そういえば、昔もこんなやり取りをした覚えがある。赤い髪が脳裏にちらついた。
「”人でなし”だからね。僕を脅威と見る人間もたくさんいたけれど、実際のところは特別なことができるわけでもないし」
「本当に、伝承の黒い天使なんですか?」
振り返り、彼女の顔を見る。突然黄緑色の瞳に見つめられて、彼女は困ったように目を泳がせた。もし、彼女が彼のことを本当にそう思っていたら、一緒に行動することを選ばなかっただろう。
彼は彼女が手に持つ麻袋に手摘みした薬草を入れながらこう答えた。
「そんな風には見えない、って聞こえるんだよ、それ」
「……見えないです」
「そう。ありがとう」
笑ってそういうと、彼はまた薬草を探し始めた。答えを誤魔化されたことに気がついているのかそうでないのか、ヤナギはため息には聞こえない程度に息を吐いて、自分もまた目的のものを探す。
ヤナギがひとりで行うことを想定して算出した、夜明けまでという刻限を越える前に薬草は十分な数が集まりつつあった。森の中を移動しながら、彼女はそれ以外に必要なものも採取していく。栄養を経口摂取する必要のない彼にとっては、内的なものを補う為に不可欠な食事や或いは医薬というのはあまり触れる機会のない知識だった。その手で様々なものを摘み取るヤナギを実に初めて出会ったような目で見つめていたので、彼女は視線に耐えられなくなったのか口慰みか、捕集した色々について簡単に語ってくれた。主には効能について。解熱鎮痛、腹痛止め、虫下し、咳止め、……。彼は彼女の語る知識の一端を丁寧に聞き留めた。存外熱心に話を聞いている姿勢に気がついたのか、彼女は分からないものを見るように彼に聞いた。
「そんなに不思議なことですか?」
「いや、何ていうの、僕が知らないことなんて世の中にいくらでもあるものだなぁって。世界に、それこそ人の生の何十倍も生きるものとして、僕の知り得ないことなんてあんまりないんじゃないかと思ってたんだけど、それは傲慢だったみたいだ」
照れたように笑った彼を見て、一瞬むず痒そうな顔を作った後、彼女はそっぽを向いた。
しばらく採取作業は続いて、麻袋がいっぱいになった後、彼は休憩することを提案した。目的が済んだのだからすぐにでも戻ってもよかったのだが、彼はともかく彼女には休息が必要だろうと判断したからだ。森の中は平坦ではなく、彼らはときに勾配のきつい斜面を昇ったり降りたりすることもあった。ヤナギがただの人間ではないにせよ、勇者にだって限度というものがあることを彼はよく知っている。また休んで戻る体力など、失われて二度と戻らないものを思えばその時間は焦燥に値しない。
少し焦れったいような顔をしたヤナギを座らせて、彼も当然のように隣に腰を降ろした。見上げれば月は沈んで、墨のような木々の影の隙間から僅かに星が覗いているばかりだ。カンテラの橙の灯火の前にヤナギは膝を抱えて、眠そうにしている。
「少し寝てもいいよ?」
いいえ、と答えた彼女は背筋を伸ばす。声を掛けるんじゃなかった、と彼は頭を掻いた。彼女は横目でちらと彼を見ると、眠気を払うためか彼に言った。
「聞いてもいいですか」
「何を?」
「その……あの人、に、どうしてそこまで肩入れするんですか」
あなたのような人が囚獄の勇者を友人と呼ぶのは何故なのかと。人あらざる者が人間と交友を持つに至り、その手助けすら行うのはどのような理由と道程があったのか、と彼女は聞きたいらしかった。彼は思案し、別に面白くもない話だが、とぽつぽつと語り始めた。寝物語にしてはいささか空想に欠けた夜話は、夜の森を紙芝居の背景のごとく捉えて展開される。
彼は弁舌に自信がない。特に物事を面白く語ることにおいては。彼はとても簡単に話をした。つまりそれらは、特別なものなど何も見当たらなかった、ただの森の中での出会いから始まり、共に行動し、様々なことに惑い、何かを得た話だった。彼はその際注意深く、その勇者が特異な状態にあることを伏せた。
さぞ退屈だったろうと、一通り語り終えた後ヤナギを見る。カンテラを見つめながら、彼女は一言、お人好しですね、と言った。
「僕もそう思うよ」
「何言ってるんですか、あなたも相当なものですよ」
いよいよ呆れた顔をした彼女に彼はニヤリと笑った。
「君もだろ。どうするつもりだったんだ、あんな見るからに対価なんて持ってなさそうな男を拾ってさ。払わせる気、あったの?」
そう言われると、彼女はぶんと顔を背けて、別に後からどうとでもなります、それにあんな大火傷した人をあんなところに放っておくとかそれこそ人でなしですよ、と小さな声で呟いた。
「僕で払えるものなら」
代わりに立て替えよう、と彼は言った。眉を寄せたヤナギは咎めるように答える。
「私、そんなにがめつく見えますか」
「そうじゃなくてさ。対価とは言ったけど、僕からのお礼みたいなものをさせてよって話。カイを助けてもらう、し。何か、僕から提供できるものがあれば」
彼女は、今日何度目かになる困った顔をして、考え、躊躇い、しばらくしてこちらを見ること無く俯いたまま、彼に尋ねた。
「長い時を生きていると、言いましたね。人間の生など比べ物にならないと」
「まぁそうだね。不死者ではないけど」
「”知り得ないことなどあまりないのではないか”と思ってしまうほど、でしょう? なら」
ヤナギは顔を上げた。悲壮さを感じる表情を彼はその遥かな歴史の中で幾度も見てきた。失ったものを、ずっと探し続けている人間の、人間らしい感情だった。
「なら、あなたは知っていますか。死者を蘇らせる方法を」
暗い光を灯した竜胆色の瞳に、言葉を無くした彼が映った。
彼女に決定打を突きつけるのを彼は大いに迷った。失われたものが戻ることなどないと、一体どうして彼の前で泣きそうな顔をしている彼女に言えようか。彼女は人を癒やす知識と技術を持った人間だ。ただの人には及ばぬ力を持ちながら、それでも届かない領域があることを間違いなく知っている勇者だ。もしかすると目の前に現れた、ただ一筋の光明のような希望を、彼は手折ることなどできない。
同時に、彼は自覚する。彼がどのような道を歩もうとも、その二つ名の呪いが解けることなどないのだと。彼は、破滅をもたらすのだ。それは命だけでなく、他者の既成概念や精神にも波及する宿命だ。彼とその道を交わえることで、彼は間違いなく誰かを傷つけることになるのだ。悪意がそこに存在しなくても、誰かが傷つくことはままあった。彼が望んでいなくても。心からの善意を持ち出しても。彼でさえ及ばぬ領域が、そこにはあった。歯痒い思いをいつだってしてきた。ヤナギや、カイと同じように。
だが胸を焼くそれを、彼は飲み込んだ。いつだってそうだったから、これからもずっとそうだとは、限らない。何だってすると言ったのは、何もかもを犠牲にしてでもというわけではない。傷だらけになろうがなんだろうが、前を向くという決意であり、希望だ。それを捨てないとあの日誓ったのだ。
「ヤナギ」
彼女に掛けるべき言葉を、慎重に探した。
その背後で、彼は暗い森の陰翳の中を蠢く赤い瞳を、見た。
3.Lebhaft
暗がりの中に光る獣の目を複数見た彼は、眉根を寄せ、厳しい顔でヤナギの肩の向こうを睨む。急にそんな表情をした彼に、彼女も何かを感づいたのか鋏を手に取った。
「休みすぎましたか」
「気が付かなかった僕も悪い。急いでここから離れよう」
すぐにでも戻りたかったが、木々が空を塞ぎ、彼女を抱えて無理に飛び出しては怪我をさせることになりかねない。彼は彼女にカンテラをもたせ、自分は麻の布袋を背負い静かにその場を後にした。だが、獣の気配は彼らを見逃すはずはない。カンテラの光の届かない闇の中を複数頭が追ってくる。彼は背後を気にしながらその瞳で僅かな光量を拾い、その姿を垣間見た。狼のような大きさだが、聖界でよく見るようなものではない。そのやせ細ったような体に特徴的な背骨。魔獣の類であることを確信する。厄介なものに絡まれた、と心のなかで舌打ちをした。だが、広い場所にさえ出てしまえば、彼女を抱き上げて空に飛び上がればすむ。応戦することを彼は考えなかった。
早足で森を進む。腰まである丈の茂みを突き抜け、邪魔な枝葉をときにヤナギが鋏で叩き切りながら、開けた場所はないかふたりは歩いた。しかし、闇の中を獲物を求めて蠢く影はふたりが進めば進むほど数を増やしていく。そのうちに早足が、駆け足になる。
彼は気づいた。進むほど空が見えなくなる。森が深くなる。
――追い込まれている。
次いで、前方を見る。彼女がカンテラで照らし出す先、明かりの届かないその先に獣の瞳を見つけた。咄嗟に彼はヤナギの上体を引っ張り、抱え込むように屈む。その上を、鋭い牙を向いた獣が一頭矢のように飛び出してくる。
彼女が一瞬のことに驚きカンテラをその場に落とした。石にでもぶつかったのかガラスは砕け、油が染み出す。唸り声。地面に散らばった枯れ葉に炎が燃え広がる前に彼女をさっと抱き上げ、彼は進んでいた方向を逸れて明かりのない真っ暗な森の中に突っ込んでいった。
「なっ何!?」
「君を引き摺って走るよりはいいかと思って。ちょっと堪えてね」
片目で捉えられるだけの障害物を飛び越え、枝葉に体や翼を引っ掛けかすり傷を作りながら彼は駆けた。翼があっても飛べないのなら意味がない。
「ああクソッ、こういうとき本当に邪魔だよ背中の!」
「とっ飛んだらいいじゃないですか!」
「森が深い! 真上確認せずでかい枝にぶつかって痛い思いするのもどうかと思うし、それに距離を詰められ過ぎて隙を見せたら飛びかかられそうだ。せめてどこか広い場所に出ないと腹ペコ狼たちを追い払うのも難しい。ここは彼らの庭だ」
「でも!」
「黙ってないと舌噛むぞ!」
ふたりの体がガクンと下に落ちた。半ば崖のようになった坂を駆け下りる。足をもつれさせたら最後だろう。馬鹿じゃないか、翼があるのに地を駆ける、しかも魔王なんて、と全く馬鹿馬鹿しい気持ちになりながら走った。彼ひとりならどうとでもなっただろうが、今はヤナギがいる。怪我をさせるのは不本意だ。
――僕が怪我するのは僕の勝手だけど、カイがきっと気にする。
全速力で夜の森を駆けながら、隣にいない相棒を思う。大体、あいつ勝手が過ぎる、僕に黙ってあんなところに行って、大怪我してヤナギに心配も苦労もかけて、何が黒い羽の友達がいるだ、僕がここまでするのは間違いなく君のせいだ、本当に、全く、
「むかつく! すっごいむかつく! カイのせいだ全部! 戻ったらただじゃおかない!」
「!? 重病人に何するつもりですか! っていうかそんな馬鹿なこと言ってる場合じゃ……あっ」
彼が前方に開けたような空間を捉えたのと、彼女が何かに気づいたのは同時だった。どうやらすぐそこに崖があるらしかった。彼はたたらを踏んでその場に止まる。
「な、何」
「いえ、さっきから獣の気配がしないような……」
彼は注意深く彼女を地面にそっと降ろして、感覚を鋭敏に研ぎ澄ませた。確かに、確かに狼のような獣の群れの気配は消えていた。
「撒いたんでしょうか」
その代わりに。
「いやそうじゃない……」
周囲を観察する。太い木の幹の根本にその木の表面が散乱していた。熊が樹皮を剥がすような性質があることは彼も知っている。そうでない。明らかに位置がおかしい。ただの熊にしては剥がされた位置が高すぎる。それはよく見れば、まるで剥がしたというよりは何か固いもので抉られたような痕だった。
森がざわつき始めた。彼らが駆けてきた方向から、バキバキと枝を踏み砕くような不穏な音が聞こえる。地響きのような重たい音。真っ黒な木々を薙ぎ倒しながら、それは現れた。
「わお」
感嘆とも呆れともとれる声が思わず漏れる。
体長、優に5mを越える巨大なイノシシのような魔獣だった。二対の角は凶悪に捻じ曲がり、その口元から生える牙は成人男性の腿より太い。抉られた木は恐らく角をこすったかぶつけた痕だったのだろう。濁った黄色い瞳をこちらに向ける。目がよくない種だが、嗅覚と聴覚は鋭い。位置はバレている。流石にこれほど巨大化したものと対峙するのは彼も初めてのことだ。
「お、大きい」
へたり込みそうになったヤナギの腕を掴む。魔獣は前足を蹴り上げて、突進の姿勢を取ろうとしていた。その前足、血で濡れている。恐らくあの群れの何匹かを文字通り踏み越えてきたのだろう。なら、前方に駆け出してそのまま飛び上がるのは不可能だ。明らかにあちらの方が早い。かといってこの巨体とまともにぶつかれば本当にただでは済まない。だがもう猶予はない。すると、ヤナギは小さな声でこう言った。
「私、あの人と同じく勇者です。死に慣れています。リスポーンすれば怪我も何もない。私が陽動して」
……君たちは、いつもそうだ。
その提案を最後まで聞かず、彼は掴んだ腕ごとヤナギの体を引き上げた。
それから、息を吸って大声で叫ぶ。
「却下だ! 僕そういうの大ッ嫌いでね!」
彼の声に反応した魔獣が黒い暴風のように向かってくる。彼は布袋ごと彼女を思い切り横に突き飛ばした。魔獣は進路を変えず、直線状にいた彼に猛然と迫ってくる。彼の手にいつの間にか握られた銀の剣が魔獣の額を貫くのと、彼がその巨体に吹き飛ばされるのと、同時だった。衝撃で意識が一瞬飛ぶ。恐ろしい断末魔が夜の森に響いた。しかし魔獣は止まらない。そのまま、その先の開けた、つまり崖に向かって行く。
ヤナギが何事かを叫んだが、聞き取れない。
彼はそのまま、魔獣と共に転落していった。
4.Bewegt
痛みで目が覚めた。
見上げればそこに月はなく、ただ星があり、そして大きな竜胆色の瞳が彼を覗き込んでいる。
「気が付きましたか」
声は小さく、震えている。
止めようとするヤナギに構わず体を起こした。その細い手に鋭く切ったような傷があるのを見て、彼は何となく悲しくなった。全身のあちこちが痛い。痛いと感じるのは何だか久しぶりのことのように思われた。手に違和感を覚える。鋭く長い棘が、手のひらを貫通していた。どうやら全身そんなことになっている箇所がたくさんあるようだ。
彼が墜落した崖下は、茨の鋭い野薔薇の群生する場所だったようだ。魔獣は彼の背後でひっくり返って腹を見せたまま、ぴくりとも動かない。巨体の下敷きにならなかったのも、地面に叩きつけられなかったのも、頭部に茨が刺さらなかったのも、須らく幸運としか言いようがなかった。聞けばヤナギは、彼が魔獣と共に落っこちてしまった後、森の中で丈夫そうな蔦を見つけて、それで下まで降りてきたという。随分危ないことするんだな、と彼は思った。それから、ツイているのかいないのか、よく分からなくて彼は笑った。何笑ってるんですか馬鹿じゃないですか、と泣きそうになりながら怒る彼女の手を取って、彼は茨の山の上からひとまず地面に降りた。幸い派手に裂けたようなところはなく、穴の空いたところから滴るように出血が認められるだけだった。
よろけて、その場に膝をつく。
「しっかりしてください! ああ、もう、本当に」
「丈夫な体しててよかった……。袋って無事?」
「無事ですけどそれより自分の心配してくださいよ……!」
至る所を貫いている棘を抜きにかかる。背中の翼にも何本か刺さっていたが、飛ぶことに支障は無さそうで彼は安心した。どうやら最初は腹側から地面に落ちたらしい。急所をことごとく逸れた棘を体から抜いて、それから瞼ごと左目を貫いていた棘に手をかける。浅く刺さったお陰で、元々使い物にならなかった眼球がいよいよ使えなくなったらしい。さすがと言うか、かの魔術師がかけた封印はこの程度では解けたりはしなかった。
ヤナギが息を飲む音がした。ずるりと生暖かい体液が顔面を伝う。血液とは言い難い、あまりにも不透明な赤い液体が地面にぼたりと落ちた。慌てて止血しようと伸ばされた彼女の手をそっと押し返して、持っていた布だけを手に取る。強く圧迫し、そのまま左目を覆うように後頭部で結んだ。
それから、何か言ってやろうと、しかし喉の奥でそれがつっかえたまま出てこないような、ひどい顔をしている勇者を見た。何を言っても怒られそうだなと思う。きっとカイもこういう気分になったのだろう。いい気味だ。
「僕が人間でなくてよかった。でなければこういう手段はとれなかった。死ぬかと思ったけど」
「ばっ……! 馬鹿じゃないですか本当に!」
胸ぐらでも掴みそうな勢いで、語気荒くヤナギは彼に食って掛かった。
「あなたがどんな”人でなし”でも、こうやって怪我するじゃないですか! 人間とおんなじ血が流れるじゃないですか! どんなに丈夫でも、死んだら元に戻らないんですよ……!」
「ヤナギ」
「本当に、人の気も知らないで……!」
「君は、矛盾しているよ。ヤナギ」
彼女は一瞬、嗚咽にも似た小さな叫び声を上げて、俯き押し黙った。医薬に長けた人間が、己が癒せる範囲を嫌でも知っている人間が、こうまで失われたものについてよく知っている人間が、死者を蘇らせる方法が果たして求めた先に本当に存在するかどうか、理解していないはずがなかった。彼だって、彼にだって、そんなものが在るか、今まで見たことはなかった。
「あなたたちは揃いも揃って、お人好しの、どうしようもない馬鹿です」
「そう。でも、君も僕も無事でよかった。死ななくて、よかった」
震える声をどこか遠くで聞きながら、彼は静かにそう言った。
「僕達、いつも誰かを傷つけることを気にしてばかりで、それで結果自分の身を切るようになる。死ななくても、自分が怪我したら誰か悲しむだろうなんて、その瞬間はちっとも考えないんだ。ばかだから。それで、もしかして最後まで頑張って、誰も傷つかない未来がきたらいいな、なんて、そう思ってる。傷つかないなんて、実はそんな世界が、きっとないことも僕は何となく分かってる。君と、おんなじで。それでも誰もが、前を向いて、希望を捨てずに生きることができたら、それが幸せなんだって、僕もあいつもそう思ってるんだ。だから」
「もういいです、よく分かりましたから、お願いですから少し休んで下さい」
いつの間にか地面に前のめりに倒れていた彼の頭を、細くて小さな手が撫でた。
目が覚める。起き上がり、周囲を見渡す。空は白み始めていた。倒れたときと同じように、周囲は野薔薇に囲まれている。少し観察すれば分かることだったが、先程はそこまで気がつく余裕がなかった。この野薔薇はまるで剪定されているかのごとく、人の手が入っているように見える。生け垣だ。とすれば、彼はこの場所に覚えがあった。
隣を見ればヤナギが膝を抱えたまま眠っている。伏せられた顔の、前髪の隙間から見える瞼が赤い。何故だか湧き上がるむずむずした気持ちを抑えて小声でヤナギ、と優しく揺り起こす。
「なんですか。もう起きて大丈夫なんですか?」
「僕は平気だよ。君こそ歩ける?」
ふらつきながら立ち上がり、ヤナギの手を取って引っ張り上げた。それから、生け垣の続く向こう側を見る。彼の知っている場所と同じなら、ここから進む先は迷路になっているはずだ。
「少し、寄り道していこう」
そう言って、彼はヤナギの手を引いて歩き出した。理由などわかるはずもない彼女は強く手を引かれ、しかしその手を振りほどくことができずに黙ってついてくる。
道は狭い。ふたり並んで歩いては左右の生け垣から伸びた茨で肌を割いてしまいそうだった。彼らは黙って歩いた。右へ。左へ。道順を彼は明確に覚えているわけではない。ただ、彼は誰かに導かれるように迷うこと無く生け垣の間を進んでいく。
しばらくすると、ふたりはついに開けた広場へ出た。夜が明ける寸前の空は地平線から赤く、明るく、橙色が地平線の彼方から滲んだように広がり、黄色、薄い紫、紺と美しく繊細な層を創り出していた。もう星も月も見えない。明けの明星がただひとつ、空に明るく浮かんでいる。昼は太陽の光に霞んで見えぬ、あれは希望の星だ。
足元は、灰色の花が一面に咲き乱れている。彼の鼻孔に微かに届いたのは、死人の匂いだ。ここは虚空の庭。この広い世界で、そして彼が知る中で唯一「死者に会える場所」だった。
ヤナギは、広場のずっと向こう側を見ている。彼には見えない何かを見つけたに違いなかった。きっと彼女が、ずっと会いたかった人がそこにいるのだろう。死者を蘇らせる方法を彼女があれほど強く求める理由になった、大切な人が。
彼はそっと彼女に言った。
「行っておいで」
繋いだ手が、ゆっくりと、解かれた。それを惜しいと思ったのは何故だったのか。彼女が駆け出す。広場の向こうの方へ。灰色の花を掻き分けて。彼はその光景を最後まで見なかった。何故だかひどく寂しい気持ちになって、彼はその場に座り込んだ。どこかで、誰かが泣いている声が聞こえる。
ここ来たのは随分前のことだ。旅の途中でかつての相棒を亡くした彼は、その存在を忘れることも死を認めるわけにもいかず、生ける死人のように世界を彷徨った。辿り着いた庭の果てで、ついに彼は”彼女”と再会したのだった。
――それから、僕はどうしたんだっけか。
少し、覚えがない。首を捻った拍子に、隣に誰かが立っていることに気がついた。褐色の肌に、赤い髪の……。
彼はすぐに視線を逸した。思い出した。彼はいつだかここで子供みたいに大泣きして、それからもう二度とここへは来ないなどと言ったのだ。顔が熱くなった。何が二度と来ないだ。来てるじゃないか。
彼が黙っていると、彼の隣に立つひとはふんと鼻で笑って、ぽかりと彼の後頭部を殴った。それから、彼の頭を一度だけ優しく撫でた。
「何か、言ってくれてもよかっただろ……」
その人の気配が消えるようになくなってしまったのを感じ取りながら、彼はそうぼやいた。
夜が、明ける。
地平線を赤く染め上げ、太陽が空を昇り始めた。明星は瞬く間に見えなくなった。消えた、のではなく、見えなくなっただけだ。夜道を照らす星明りは、昼は無用のものだ。立ち上がり前を向いている間は、空を仰ぎ見る必要はない。夜が訪れ、道に惑い、途方に暮れてから、人は初めて夜空を見上げる。
彼は立ち上がって、広場の真ん中まで進んだ。自分を抱きしめるように、灰色の花を抱いて動かない彼女の横に、静かに座った。ひどく泣いていた。彼のしたことがよかったのか、そうでなかったのか、分からなくなる。
「ヤナギ」
彼女は答えない。
「ヤナギ、その」
「……」
「ごめんね」
「何故、あなたが謝るんです」
「何となく」
「……優しいひとって、いつもひどい」
あんまり優しいので、自分に優しくすることを忘れてしまう。
「じゃあその、今から優しくないこというけど」
「なんですか」
「僕の、友達を……助けて、欲しい」
一緒にカイのところへ戻って欲しい、と彼は言った。
ヤナギは顔を手で拭って、泣き腫らした顔で彼を睨みつけた。
「だから、あなたたちは馬鹿だっていうんですよ」
立ち上がり、彼の手を乱暴に掴む。細い腕で彼の体が持ち上がるはずもなく、慌てて立ち上がった彼の勢いがあまりヤナギはバランスを崩した。倒れそうになる彼女の体を支えて、ついでとばかりに抱き上げると、布袋を背負い彼は黙って地面を踏みしめ、空へ飛び上がる。
灰色の庭が、段々小さくなっていく。
5.Im Anfange ruhiges, im Verlauf bewegtes Tempo
さて、彼らが洞窟の入り口へ降り立つと、あたりはすっかり朝になっていた。陽光が白くてゴツゴツした岩肌を照らす。夜は分からなかったが、随分殺風景な場所だった。
ヤナギを地面に降ろす。恐る恐る表情を窺えば、なんですかその顔は、と彼女は訝しげに彼を見やる。彼から採集した薬草でいっぱいになった布袋を受け取ると、洞窟の入り口へつかつかと歩みより、
「どこ行くんだカイ! 大人しくしてろって言われてるだろう!」
「せやけど夜明けまでに戻るっていうてたんが戻ってへんのやったら何かあったとちゃうんか……!」
その奥で言い争いをしているふたりの人間の声を聞いた。
「何してるんですか」
呆れた声を出した彼女に続いて中を覗くと、洞窟の入り口から外へ出ようとするカイを押し留め……たいのか、その足にしがみついて離れないイヴがいた。ヤナギの後ろからひょこりと顔を出してカイの顔を実に久しぶりに彼が捉えれば、カイは驚いた表情を作り、困惑し、それから泣きそうな顔をした。
「あ、ウィル、」
「うるさい静かにしろ」
カイが二の句を告げる前に彼はカイの脳天に強烈なげんこつを一発御見舞した。
「いったぁ何すんねん!」
「自分の胸に手を当ててよく考えるといいこのおおばかやろうが。誰が黙ってあんな場所へ行けと言った。おまけにヤナギにまで苦労をかけて。ついでに僕もひどい目に遭ったぞこのやろう。いいから黙って治療されておけスカタン、さもないともう一発御見舞する」
静かにしかし語気荒く迫る彼の勢いに、心当たりがあったのかないのか、カイは大人しく洞窟の中へ引っ込んでいった。ヤナギはそんなふたりのやり取りをしばらくぼんやりと見ていたのだが、やがて中へ入って(カイがやや劣勢の)言い争いをしているふたりの、その彼の背後に周り、屈んでいる彼の頭にごつんと勢いよく鉄拳を叩き落とした。
「は!?」
振り返れば、暗い洞窟の中、綺麗な竜胆色の瞳は怒りの表情を浮かべている。
「あなたたちふたりが、とんでもなく馬鹿なせいで、患者がふたりに増えました」
「あっそうやウィル! めっちゃ怪我しとる、何でそんな体中傷っていうか穴だらけなん、一体何が」
「君のせいだ、君の!」
うるさい静かにしろ、とぴしゃりと怒られてふたりは思わず黙る。
しばらくの間の安静を言い渡されたお人好したちの会話を洞窟の入り口で、イヴがひとりでうつらうつらとしながら、聞いていた。
fine.