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星針が時を刻みて

全体公開 ムゲンWARS 1 6430文字
2017-08-07 02:09:40

「残夜に星」(http://privatter.net/p/2546532)の後のお話。星辰。

Posted by @san_ph7

 洞窟のある岩山の麓、外に転がっている適当な岩の高い場所に腰掛けて、魔王はひとりでぼんやりとしていた。新月の夜、ガラスを粉々にした破片をばらまいたような星が広がる夜空の下、彼の巨大な翼だけが暗幕のように世界の一部を隠している。ふと、黄緑色の瞳は自分の足元に安静を言い渡されているはずの勇者の姿を見つけた。
「寝てろよ」
 呆れたように声をかけると、囚獄の勇者は少し困ったように頬を掻いた。その手が包帯でぐるぐる巻きにされているのを見て、彼は顔をしかめる。ひどい火傷を全身に負い、回復のために休まねばならないのはここにいる分身だけではないはずだ。
「あー、寝られへんねん」
……それでも寝ろ」
 ちょっとぐらいええやろ、と言いながら彼のいる所まで登ってこようとするそのひとを見て、彼はため息を吐きながら彼の腕を掴み、引っ張り上げる。本体に戻らないのは何か話したいことがあるのか、それともただ本当に何となくか、彼はカイの真意を図りかねた。
 勇者と魔王がひとりずつ並んで、座る。
 彼は片目しか見えない目で、ただ夜の中のどこをともなく見た。この前はいつ会ったのだったか。翡翠の勇者に引き合わせて以来で、あの時は一体何を話して……。そういえば、少し喧嘩したような気もする。カイは覚えているだろうか。
 黙っていると、隣の勇者はぽつりと彼にこう聞いた。
「昼間、の」
「げんこつ?」
「ちゃうって……。痛かったけど」
 彼はカイの頭の上に手をぽんと乗せて、わさわさと髪の下を探ってみる。
「たんこぶ」
「えっ」
「嘘だよ」
 本当にたんこぶ作るほど勢いよく振り下ろしてたら、ヤナギにもっと怒られてた、と彼はぼやいた。自分にも後頭部に鉄拳をふるったくせに「重症患者にげんこつとは何事だ」と、あの後彼はしっかり怒られた。不可抗力的に怪我をしたとはいえ彼だって患者には違いなかったのだが、それは見事に棚上げされていた。
「ヤナギは腕がいい」
 彼は自分の体を見た。ところどころ包帯やガーゼで覆われているのは負傷した箇所だ。一度は遠慮したが、どうしてもといって聞かないので彼は薬師の勇者に手当を好きにさせることにした。度合いはともかくとして彼はただの人間よりは治癒が早い――魔獣に突き飛ばされてうっかり意識を手放した挙句、落下して茨の山に突き刺さったりもしたが――ので、放っておいて貰えればそれでよかった。だがヤナギがそれを許さないのは当然といえば当然だ。なにせ、彼は自分がひと非ざるものの最たる存在、魔王であることをヤナギには告げていなかった。そもそもお人好しが3人も都合よく集まってしまっていた。この中の誰ひとりだって善意をふいにさせるようなものはいないだろう。
 彼はカイに改めて昼間のことを話した。薬草が足りないというので、イヴにカイの面倒を任せて、夜無理に探しに出てしまったこと。森の中で魔獣に襲われたこと。いろいろあったけど、とりあえずふたりとも死ぬことなく帰ってこれたこと。虚空の庭でのことは何となく話す気になれず、そこだけは黙っておいた。カイは静かにしたままそれらを聞いて、やはり少し困った顔をした。
「そら、おれのせいやって言われてもしゃあないわ」
「別に本気で君のせいだなんて思ってないよ」
「げんこは」
……そんなの、君が無理ばっかりして心配かけるからだろ」
 すまん、と隣から聞こえる。しょんぼりしているのかと思って見てみれば、背筋は伸びて視線は前を向いている。その横顔が苦虫を噛み潰したような、何だか厳しい顔つきをしていたので、彼は怪訝に思った。手を伸ばして頭を乱暴に撫でる。
「な、なん」
「怖い顔してる」
 言われて、カイは自分の頬を両手で抑えた。どうしてそんな表情をしているのか、彼には心当たりがない。能力を失っているので、彼がここにくるまでカイに起きた具体的な出来事の詳細は分からなかった。
「色々あったのは知ってるけど、どうしてそういう顔をする?」
「どうしてって」
 どうしてやろ、おれもよお分からへん、と俯き呟いた。
……いつも、足りんと思っとった。時間も、力も。誰かを助けたいと思っても、おれではあんまり足りひんことが、多かったから」
 ぽつぽつとカイが話してくれたことは、前後の内容のつながりが薄く、ひとつの出来事について話しているわけではなさそうだった。それはカイが今まで経験し、感じてきたであろうことだった。この勇者もまた、ただのひとには及ばぬ力を持ちながら、それでも届かない領域があることを知っていた。彼らはいつだって、そうあって欲しいときに足りなかった。歯がゆさを、悔しさを、悲しみを、痛みを、それら全てが綯い交ぜになったような感情をカイは吐き出した。
 思いがひとつ流れ出しては連鎖して次々と堰が決壊するように、カイの話しは切れ目なく続く。あのときも、あのときも、あのときも……。彼は黙って聞いた。こんなふうにカイが自分のことを話すのは初めてのことのように思う。この優しい勇者がこうなってしまったのは赤い森での影響だったのか考えなかったわけではないが、しかし今の彼にはどうすることもできない。
 しばらく滔々とそうしたことを話した末に、ふつりと言葉は途切れて、カイは黙った。道に迷って途方にくれた迷子みたいな横顔を彼は見つめて、君、生きててよかったな、と小さな声で言うと、カイは顔を上げて魔王を見た。
「死なせたかと」
 僕今回も間に合わなかった、と彼は言った。カイが腕を落としたときも、今回も、何かが違ったら間に合ったかもしれないのに、と彼は確かに思った。
「でも生きてた。分身、放棄しようか迷ったんじゃないか。しなかったな」
「助けてもろたし、そないなことできへんかった」
「そっか」
 空を見上げる。別にそこに答えが書いてあるわけではないのだが、何となく困ったときに仰ぎ見る癖でもあるのかもしれない。そこには星しかない。
 彼は今日、ここに囚獄の勇者に何かができることを期待してきたわけではない。ただ怪我をした友達に会いに行くのに大した理由はいらないだろうと、たったそれだけの気持ちできている。できることなんて、話を聞いて、こちらも話せることを話すことぐらいだ。本当にそれだけだった。
「左目見えないんだ」
 彼はそう言った。
「昔のことで色々あって。今更しっぺ返しくらった気分だ。それで、過去も未来も分からなくなっちゃった。だから、カイに何か……具体的な、未来に関する助言ができるわけでもないし、君の隣にこうして座ってはいるけれど、実のところ何もできない」
 お互い苦労するね、と、自嘲気味に笑う。
 彼はカイのこの状態が、火急を要する事態だとは認識していなかった。負傷してはいるが、深く精神を傷つけられたようには見えなかったからだ。大丈夫だろうと、高を括っていた。
「そんなら、ウィルが動けん分おれが動いた方がええんちゃうか」
 カイは、彼に向けるいつもの表情で、何でも無さそうな調子でこう言った。彼は首を傾いで、動くたってその体治してからだろう、と、そう言おうとした。
「時間が、惜しい」
 ひどく焦燥が滲んだ声が聞こえる。
「せっかく親切にしてもらったんや、まさか助けて欲しくなかったとは言えへんやん。でも、この身体が元通り動けるようになるまで、ここでただ待つよりは」
「カイ」
「この分身を今からでも」
「何言ってんだ君は」
 語調を強め、彼はカイの手を掴んだ。灰色の瞳はいつもと変わらない。ただ、カイの中で何かが噛み合っていない。
「こっちもこんなだし、まして本体だって回復してないんだろ。衰弱したままで分身死亡のフィードバックを受けたらそれこそただじゃ済まない。回復を待った方がいい」
「ちゃうねん。本体も、あの牢獄の中で、面倒みて貰っててん。せやから、分身ひとつここで捨てるんなら丁度ええ。今なら余裕がある」
 なんて馬鹿なことを。彼は、何を言えばカイを止めることができるのか、慎重に言葉を探した。いつかだって、こうしたリスクの話をした。証を使って女神の間に行き、彼女と話をしたいというカイの主張とで喧嘩になった。徐々に弱っていく”だけ”だった魔界の獄に繋がれた本体は、赤い森という全くのイレギュラーによって予想より遥かに弱っているはずだ。いくら牢獄で本体も治療を受けているとは言え、これから先のことを考えれば早々にこの手札を切らせるわけにはいかない。第一、彼はカイを死亡させる選択肢をワイルドカードにするつもりもなかった。
 大体、彼には分からない。確かに、ふたりとも道筋の見えない答えを求めて手探りの状況ではある。彼だって能力を失い、カイもこの状態では動けず、何も出来ない。ただ、カイが秒を惜しむような出来事に直面しているようには思えなかった。
「何をそんなに焦っているんだ」
「何って、だって、ウィル、おれ」
 滲み出る。滴り落ちる。無力を嘆く、これは焼け付く焦燥というよりカイの抱える狂気の一端だ。いくら手を伸ばしても届かない、力が足りない、時間が足りない。もしあの時、何かが違っていたら、違う結果に辿り着けただろうか。彼だってそう感じることはこれまでもたくさんあった。
 怒りよりも、困惑が胸中に満ちた。左目が痛む気がする。
 それを、持って帰ってきたのか。赤い森で何があった? この彼の小さな呟きを聞き留める余地さえないのか、カイは構わずに話し続ける。
「おれでは、足りひん……! 何をするにも、誰の助けにも。おれの力がいつも足りてないのは分かってんねん。でも、諦められへん。せめて時間があったら、もう少し時間があったら、もっとできることがあった! おれが今できるのはもうそれぐらいしかないねん! おれが今代償にできるのはこれぐらいしか……! そうやなかったら、また誰かを傷つけることになる、おれには何も払えんまま、他人を天秤にかけて! おれはずっと誰かを助けるために生きてきたんや、辛くて悲しいことを誰かに押し付けるためやない……! そんなのは、ウィル、おれは、ちがう!」
 悲痛な叫びが、慟哭になり損ねたような響きを持って彼の耳には届いた。これほどこの勇者が取り乱すとは。刃物でもあればこの場ですぐに首を掻き切ってしまいそうではないか。もっともそれが、焦燥から逃れるためではなくカイの思うすべきことをするためだという点が、どうしようもなくカイらしいところでもあった。ただ、明瞭な理由もなく発生した焦心に冷静さを欠いている。カイは困難を誰かに押し付けるために生きているわけではないと言ったが、そのカイ自身は焦りや不安をわけも分からず何かに押し付けられていた。こんな状態で何かを判断することが正常にできるとは、彼には到底思えない。その唯一感じたカイらしさだって、彼からすれば狂気の上に成立した狂気だ。
 彼は静かに渋面を作った。カイの状態は、思っていたよりずっとよくなかった。見通しが甘かった。きっと大丈夫だろうと、根拠のない錯覚を覚えていた。彼は判断を迫られている。カイをどうするか。このままにしておくつもりなど毛頭ないが、彼にできることはあまりにも限られている。
「落ち着けよ」
 努めて冷静を装う。
「やりたいことをやるために、君が君自身を食い潰してどうするんだ。全く目の前のこと以外は見えていないじゃないか。と、言っても、君は聞く耳を持たないんだろうな……
「ウィルが、できへんのやったら、おれが」
 喘ぐようにそう言ったカイを見ながら、噴出する狂気のトリガーになったのは、もしかしたら自分なのではないかと考える。左目のこともある。だがこのタイミングでなかったら、きっとヤナギに迷惑がかかっていただろう。自分でよかった、と思う。
「君は他に何もできないと言ったな。僕もさっき、他には何もできないと言ったが、それは少し嘘だ。君の分身を代償に選ぶ選択肢をあの時除外したように、僕にもカードを切りたくないことだってある。やれることの中に、できれば避けたいものもある」
 それは他人を慮ってではなく、僕が嫌だからという理由で、君ほど優しくはないが、と言って彼はカイの肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。
 未来や過去を視ることはできなくなったが、それは例えるなら言葉を思い出せなくなったのでなく、手指を欠損したために繊細な作業がやりづらくなったというだけだ。どこにも行けなくなったのではなく、物事を推し進めるために必要だった推進力を失った、だけだ。緩やかに停滞はするが、沈んだりはしない。
「こっち向け」
 焦慮に駆られた勇者の顔が、よく見える。サングラス越しではなく、珍しく直に見るカイの瞳は相変わらず、何の変哲もないただの石のような灰色をしている。
 その瞳は、あの時とは違い希望を映してはいない。
「君を説得するのを諦めよう。僕だって時間が惜しい。君は他人を天秤にかけるのを嫌がるが、僕はそうじゃない。どうにもならないことを諦めないというのを、僕が勝手に君に誓ったんだ。そのために、君を天秤にかけるという切りたくないカードも、もちろん切る」
「じゃあ」
「だが他人の善意をふいにする選択肢を認めるなんて、君らしくもない。他人を傷つけるのが嫌だというが、ヤナギはどうなる。君を助けるために全力を尽くしているのに。目的のために今は何を犠牲にしてもいいというなら、君の言っていることは矛盾しているよ。
 自覚しろ。君がそれを他人の助けを得て為していることで、彼らから見た君という価値は君自身が思うよりも遥かに重い。それを光栄に思うか、或いは枷のような煩わしさを感じるかは君の自由だが。少なくとも僕がここで賭けるのは君の命じゃない、君の中に残る正常な理性だ」
 彼は手首を掴んでいた手を離して、それをカイの頭部、耳の後ろの当たりに指を押し当てた。神経を研ぎ澄ます。
……具体的に言うと、この君の状況を引き起こしてしまった今日の出来事を”僕ごと思い出せなくする”。最初はそれこそ赤い森に行ったことが原因だろうが、今日のこれは恐らく僕がここに来たことが原因だ。トリガーさえ忘れてしまえば、君がおかしなことを言い出すこともないだろう」
 ちゃんと説明したぜ、誠意あるだろと笑えば、カイは驚きその手を振り払おうと抵抗した。彼は残った片腕で器用にいなすと、岩肌にカイをうつ伏せに押し倒して動けなくさせる。苦しそうに息を吐いたカイが、ウィル、と今度こそ泣きそうな声で呟いた。
「文句なら全部終わった後で聞くよ。君の狂気をどうにかする目処が立ったらね。君の理性を賭けると言ったのは、これがうまくいくとも限らないし、うまくいっても君はまたどうしても思い出せないことがある違和感にきっと焦燥を感じることになるからだ。それに君が耐えられるか、正直言って分からないな」
 或いは、綺麗さっぱり思い出すことも拒絶して、今よりずっと楽になるかもね、と彼は少し寂しそうにそう言った。
「待て」
「しばらくさよならだ」
「ウィル」
「君は今日のことを、僕を、思い出せない」
 魔術により指先に針が生成される。
「嫌や」
……僕だって嫌だよ」
 カイから目を逸らし、空を見上げる。そこには星しかない。


 彼は無理やり昏倒させたカイを抱き上げて洞窟に戻った。薬師の勇者を起こさぬようにそっとカイを降ろす。目が覚めたら、彼のことをもう覚えていない。随分大昔も、同じようなことで彼の親友の記憶を奪った。また同じことをしている。愚かな選択だっただろうか? 頭を振った。カイを死なせることは、できない。
 それから、「しばらく出かける」というたった一言のメモを眠るヤナギの手に残して、彼はその場を立ち去った。






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