人非人の殻・深打

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2017-08-07 21:20:44

――どうしてそこまでしたのですか』
中編の別版、ふたりの先生の話です。注意書きを良くお読みになってからどうぞ。

※注意
重傷表現、血の表現あり。苦手な方はお気を付け下さい。
また、主人公の性別を決めていない為に
ある種場合により"過激"となる場面があります。
その為『どのような場面があっても大丈夫な方』のみお読みください。

また先に『人非人の殻』を読む事をお勧めします。
そして『深打』とあるように暗さが増しています。ご了承ください。

*お知らせ
この話はタテで読めます。
ヨコが苦手な方はこちらからどうぞ!
https://yakumobooks.com/book/read?b=10067&t=cover


以下、本文。

  *

もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、
智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人という。
福沢諭吉『文明教育論』

  *

 先生が煙草の灰を縁側に落としながら肩肘を付いて新聞を読んでいた。
 記載されている日付は明治十九年十二月一九日と現在より二日遅れの朝日新聞だった。
 二日前となるのはこの村が都市より七駅離れているからだ。その長さがもたらすものは、人口、物資、情報、貧富など例をあげれば切りが無い。しかしそれを余儀無くされ、そしてそれを受けざるを得なかったのがこの村に住まう人々だった。田畑や川からの物資で乏しい生計を立て、信仰を依り代としながらその日その日を生き続けていた。その為、錦山神社の分社である社には清正公信仰に見られる「南無妙法蓮華経」の記された旗印がはたはたとたなびく様子やそこに集う村人達が日長一日中遠くでもよく見て取れた。
 そうしてこの貧しくも慎ましく人口が三百にも満たない村を支えているものに信仰を入れるとしたら、その後に必ず入れるべき人物がいた。どの様な病の前兆を見逃さず適切な処置を持って対処し、村全体の健康をたった独りで管理し維持し続ける、そういった孤高の医師がいた。その為、隣村にある――ここよりも遥かに整備の整った――病院に懇意になるものは妊婦以外殆ど居なかった。
 そうした才のある人物だったのだが、科学と信仰を明確に分ける意思があった為に村人からは酷く嫌われていた。しかし実の所は性格に非常な難があった為、友好関係を築こうとしても取りつく島が無かったというのが嫌われた本当の理由だったのではないかと思う。川近くの彼の家でもある診察所にて薄汚れた白衣を着、煙草中毒者ならではの仄暗い顔で眉間に皺寄せ不機嫌そうに患者を待つ様子からは、誰も彼も本当の年齢が分からず、また「藪医者」「医者の不養生」と陰口を叩かれる理由ともなっていた。
 その件の人物こそ、目前の先生に他ならない。
 短くよれた髪を流し、細い目を更に細く鋭くさせながら、流行病の記載に目を通し続けているその先生は、時折口端から紫煙と共に「嘆かわしい」「阿呆か」と憎たらしげに罵詈雑言を洩らしている。何故そういった様に非難が出来るかというと、前述の通り桁外れの実力と捻くれた性格を持つ正真正銘の医師だったからだ。

 その彼の前歴は、村人の好奇の思想内では都市で一旗上げようとして敗れた偏屈屋であるが、本来の事実は数多の経験を得た才人であり、都市と村の医療の差に異議を唱えて邁進し続けた不屈の人だった。何故私が彼の前歴をはっきり知っているかといえば、曲がりなりの回答こそなれど、私も先生という立場だったからだ。
 広がる田畑を抜けて川の先にある、神社の一部分を間借りした学校――その文法と習字、唱歌を担当する新米教師が私だった。その前歴は先程述べた医者と真逆と云っても良い。周囲の環境と人々に揉まれた結果運に見放され都落ちをしたのが私だった。当初は落胆という穴のどん底に突き落とされていたが、都市とは全く違う生徒の瞳とこの土地の四季に、いつの間にか自力で這い上がっていた。
 つまりは此処の空気に馴染んだ。特に嬉しい事に生徒に好まれていた。
「この前と前の、男と女のせんせは歌がぜんぜん下手だったん」
「授業もわからんもん、いじめたった。今はぜぇんぶ反対だからたのしいんよ」
 きらきらとした瞳に云われて張り切らない教師など居ない。しゃかりきに働いていく程に生徒からその保護者にへと好意が移っていった。また、私が独りで住む平屋には生徒が家の仕事の合間を縫って良く訪れ歌をねだった。子ども達は『蝶々』や『見わたせば』がお気に入りらしくならばと何度も合唱した所、降った場にある竹細工屋から苦情が来てしまった。しかし平屋からは良く笑い声や歌声が響いた。

 こうしてひとつの村に、正反対のふたりの先生がいた事になる。
 この様子を村人は面白がり、そして両者に色合いの異なった信頼を寄せていた。
 村の空気感や生徒からの噂話からそれを知り、春先に受けた健康診断中、彼の纏う凍て付いた雰囲気に押されて話してみた所、診察室全体に響く舌打ちをされ、
「お前とは来世でも友人になれんだろう」
 と毒付かれた。これに機嫌を悪くした私は村人と共に医師の事をこけにする日々を送った。
 ――が、生徒が重度の骨折をした際にその認識を百八十度変えた。

 放課の時、余りある元気を発散するように走り回っていた生徒の内数人が社内の廊下で転んで揉まれてひっくり返った。その内のひとりの生徒がはずみで欄干に足を引っ掛けてしまい、あらぬ方向に足が捻じれてよじ切れた。骨の見える骨折だった。火が付いたような叫び声で状況を理解した私は、教頭先生に生徒を任せ診察所に駆け込み要件を一息に伝えた。すると彼は血相を変えて救急箱を引っ掴み私の数倍の速さで学校へ走った。私が息を荒げながら着いた時には、応急手当が粗方終わった所で生徒を隣村の病院へ運ぼうとする彼の姿があった。
――ミツエ、何か辛くなったらすぐに云え、我慢は絶対にするな。ヨシコ泣くな。向こうに着いたら連絡する。トシゾウ血を触るな! お前も病院に連れ込まれたいのか」
 ミツエとは骨折をした件の生徒でありヨシコはその親友だった。
 トシゾウはいつもそそっかしい子であり目の離せない生徒だった。
 医者はそれらを全て知った上で生徒ひとりひとりに声を掛け続けていた。そうした彼の姿を見てこれまでの自身を痛烈に恥じると共に彼に絶対の信頼を置いた。その後、隣村の病院まで一緒に連れ添ったのは教師として保護者に状況を伝える為だけでは無かった。

 その一件以来、私の意思が変わったと敏感に察知した医師の視線は前にも増して凍て付き、鬱陶しがられているのは傍目から見ても明らかだった。しかし私が日々新聞を取っている事を知るや否やその絶対的温度が数度下がり、私が学校から帰る夕方には大よその頻度で新聞を読みに来た。そもそも私の自宅と医師の診察所は中々に近く、私の帰宅を見計らって訪れる事など音を聴くだけでも容易だった。
 どうやら医師は、日進月歩していく医学書や医療道具、生活費を思うと新聞を取ろうにも取れなかったらしい。一方私は教師という役職柄、中々な給与を貰っていた為に新聞を取る事が出来た。元々都市とは程遠い場であるからこそ知らねばならぬ世間を知る手がかりとしての新聞だったが、それがこんな重要な役割になるとは夢にも思わなかった。
 会う事を重ねると、私が生徒を帰した後に彼がふと口を開く時があった。大抵、それは村人に対する愚痴であったり新しく買い求めた学書の批判であったが、時折他愛の無い世間話となり私が話題を挿む余地が出来た。彼は「ふん」だとか「そうか」だとかいう返事をして丸きり聴かず興味なさ気な体をしていたが、口を止めると話の先を請求したので恐らく多少は愉しんでいたのだと思われる。
 そういった流れから件の前歴について恐々と質問をした所、うんざりした様に溜息を吐かれ、
「村に毒される前に正しい事でも伝えてやろう」
 と前述にある通りの正しい前歴を教えてもらえたのだった。
 こうして完全に物によって彼との距離が縮まった訳だが、それで――自身の言い訳薬であったとしても――それまでの偏見と悪口の贖罪が出来るのであれば、少しも悪くなく不愉快に思わなかった。

 この本人達にとっては有益で他人から見れば不利益な関係が更に変わったのは、先程から医師が注目している流行病のせいだった。この明治の時節に結核と同じくして猛威を振るっていた病、虎狼痢――コロリである。

 数年前から流行り出したこの病は、感染すると激しい吐き気による下痢を繰り返し、深刻な脱水症状から呼吸困難に陥り最悪の場合死に至る難病だった。また非常に顕著な病であり快復する者は数日で退院していくがそうでないものは何週間も苦痛と飢えを味わいながら確実に死へ向かった。明治最初の流行は丁度西南戦争が始まった十年であり八千人程の死者が出た。続いての流行であった十二年には十万人の死者が出た。この村は元々封鎖的であった事が幸いし二度の荒波に耐え切り感染者は生まれなかった。村人は信仰による清正公の加護だと信じ、清正の手形を珍重し続け冬の祭りを盛大に執り行った。
 彼はこの様子を話す度に彼奴らは阿呆だと一息に切り捨てた。
「何が加護だ。医学者が行政と共に予防施策に取り組んだ結果だ」
 ――当時、猛威を振るうコロリに対し行政が行った予防施策が二つあった。
 患者の隔離の徹底と衛生意識の植え付け。これらにより国民ひとりひとりが『健康』を目指せるように取り計らったが、江戸以来の生活様式を変えられる事に反発心を抱いた人々の中には役人や医者と衝突する者もいた。実際に明治十年の頃、千葉の辺りで沼野という医師が村民に殺害される事件もあった。
 その中でも彼は当時、村内で衛生意識の植え付けを徹底的に行った。検診を頻繁に行い生活に関して荒々しくも丁寧に教えにまわった。反する者がいるという噂を聴けばすぐさま飛んでいき問答無用でそれを修正させる事、日常茶飯事だったらしい。
「同じ清正でも真逆なことよ」
 と村人はことあるごとにけなした。奇しくも医師である彼の名前は清正だった。

 ――そうした歴史を残したコロリが、また再発し出したのだった。

 明治十九年の夏、この村も遂に例外では無くなり病人が出た。
 すると医師は家内に相談する事無く即刻行政に申請し、隔離病棟である避病院に有無を云わさず入院させた。そしてこれまでよりも強靭に清潔を唱えて村の生活を高圧的に指導し始めた。村人はまたあの藪医者が喚き始めたと軽蔑の視線を送る理由が増え、避病院に無理矢理入院させた事に関しては『病人は最期まで家で看取る』という考えが根強く残っていたこの土地では「冷徹」「鬼」とひんしゅくを買い、より遠ざけられられただけだった。
 それでも邁進する医師に、私は心配と恐怖を抱きつつあった。
 けれども、夕方に来なくなった彼の為に新聞を届ける意欲はあった。
「態々嫌われ者の場所に出向く奴がいるかこの愚か者め」
 彼は私をそう批難していたが、新聞はしっかりと読んでいた様だった。

 学校の長期休暇が訪れる頃、患者が急に増えた。
 例の如く医師は行政に申請しようとしたが、親族の反発が強く、そして避病院が既に飽和状態だったこともあり入院させる事が出来なくなっていた。これらを知った村人は喜んだがそれは一時の事だった。医師は自身の診察所を避病院に仕立て上げるとそこに患者を移動させたまま返そうとしなかった。
 その行為は村人の怒りを駆り立てるばかりであったが、まだ村内である事と何度も吐瀉を繰り返し脱水にあえぐ患者の看病は手間も労力も掛る事から村人はその心内では安堵の息を吐いていた。しかし医師を除け者にし誹謗中傷を投げ掛ける事は決して止めなかった。患者が闘病の果てに亡くなった際にはそれが強まった。自身の事を棚に上げ、介抱の為に葬式に出ない医師を、本人が居ないのを良い事に寄ってたかって悪口を云い合った。
 その葬式の最中、気分が悪いと外に出て空をぼんやりと眺めていると、亡くなった患者の孫娘であったヨシコが袖を引っ張ってきた。その手が震えていたのでどうしたのと話し掛けると、
「あのね、ね、みんながこわいんよ。誰もじっちゃのこといわんの」
 と赤い目を震わせた。私は彼女をゆっくりと抱き締め「先生も何だか怖いよ」と呟いた。
 ――医師に非が少しも無いとは思わない。彼の強引さや強情な態度は人を選び壁を作る。それは封鎖的な村では好まれるものではなく、関係が拗れていく要因を作っている。村人の意思も理解が出来る。その日その日を生きていく事がやっとの中で見舞われた流行病と、環境を無理矢理変えられる不安。その陰鬱たる感情の捌け口を見付けなければ生活に支障が生まれ、精神が立ち行かなくなる。
 両者のどうしようもない関係は理解出来るのだ。そしてこの凝り固まった環境を今更改善させる事は非常に難しく不可能だという事も。しかし、全ての責任を彼に押し付ける脅迫観念の様な空気が私には耐えられなかった。曲がりなりにも正しい事を続けている彼に、全ての負担が掛る事が私には耐えられなかった。

 医師は躍起になっていた。
 増えた患者に衰弱する患者、亡くなっていく患者、それから先生先生と駆け付ける村人に囲まれ続け、余裕を無くし焦燥感を募らせながらも寸での所で自身を保たせていた。
「コロリの症状は激しい吐き気と下痢、それにより引き起こされる深刻な脱水症状だ。現在成立されている医療法として患者に水分補給をさせ続ける物があるが、結局嘔吐し体力を低下させ消化管を弱らせるから意味が無い。しかしどうにかして補給させなければ……
 新聞を届ける度に彼の顔が険しく暗くなっていく様子に危機感を覚えながらも、自身が何が出来るか分からず甲斐甲斐しく介抱を続ける医師の背中を見る事しか出来なかった。それが続いたある日。彼の元へ出向き「先生」と呼び掛けた瞬間に彼が豹変した。
――お前が俺をそう呼ぶなッ!」
 そしてすぐ傍で何かを叩き付けた音が響き、見てみればしなびた参考書が床に広がっていた。悪寒が走ったのはそれだけではない。苦渋と失意が濃縮されたその慟哭は身体的精神的疲労が限界点までに来ている事を私に伝えた。それで私は彼だけでなく村全体の危うさを予感したのだった。医師は、私が呆然としている様子に自身が咄嗟に行った行動を省みたようで顔を青くさせた。
「怪我は無いか」
 私は頷いた。傍らでくたびれている参考書を手に取り「どのようにお呼びすれば良いですか」と渡しながら訊くと
…………苗字を。芥、と」
 と返された。
 私は頷きながら、彼を手伝う事を決めた。

 彼は手伝いの申し出を得意の罵詈雑言と脅迫まがいな言葉を持ってして拒否し続けた。しかし私が「このまま不健康に作業をしたならば作業効率が低下して治せるものも治せない」と理詰め尽くし正論尽くしで反抗する内に勢いが無くなった。更に勢いを無くそうと新聞と共に会いに行けば
「お前に"保身"という言葉はないのか」
 という質問を紫煙と共に投げ掛けられた。何の事だか分からず生返事をすると彼は髪を荒々しく掻きながらええいどうにでもなれと呟いた。その日から手伝いを許可され様々な指導や実習を受けた。
 真夏は学校の業務が無い分、医師の手伝いに入れ込めた。
 元々手伝いは不眠不休で患者に掛かり切りになっていた医師を無理矢理にでも休ませる意味合いが強かったが、最終的に村全体の衛生意識を高める結果になった。私が看病をしている最中に、普段は神社に向かう村人達がちらほらとやってきて「先生なら教えてくれますよね」と衛生についての質問を何度も貰ったのだった。これまでの経緯や互いのすれ違いがあるにしろとんだ振る舞いに炙られるような怒りがあったが、それをひた隠しに彼に叩き込まれた知識を丁寧に教えた。また生徒達が来る事もあったので、医師としてではなく行政の連絡を貰ったという教師の側面で衛生について密かに教育した。
 そうした微々たる変化を察知した医師は
「免許無しが無茶をする」
 と痛烈な恨み節を刻んだがそれだけだった。恐らく私が伝えた対処法が間違っていなかったからこそであり、それこそ間違えた事を教えていたら恨み節では終わらなかった。その区切りを明確に分けていたのが彼だった。

 そうして私は村人に反感を抱き、そして少しつづ反抗した。
 新聞の関連記事を欠かさず読む姿を、参考書に噛り付く姿を、深夜中明かりが灯る診察所を見ているからこそ、村人のあの空気には混ざらなかった。その為、度重なる患者の急増により寝床を無くした彼が私の平屋の玄関で苦虫を噛み潰したような顔をしながら同居を頼んできた時には二言三言で了承した。彼は鳩が豆鉄砲を喰らった様な顔をしたが、すぐさま顔をしかめて訝しんだ。
「何か仕組んでいるのか」
 今度はこっちが豆鉄砲を喰らう番となったが、上がり框にいる為に彼と正面切って話せた私は意地を張れた。堂々と「先生同士が一緒に住んで、何が可笑しいのです」と答えた。彼はこの意味を成さないがやけに自信のある返しに暫し呆然としていたが全く物好きめとひとしきり笑った。私はその時に初めて医師が笑った姿を見た。

 医師と同居し始めた事は瞬時に知れ渡った。そもそも私にも彼にもそれを隠す意思は無かった。
 生活循環がさして変わらなかったのは彼が私に配慮していた結果だが衛生面だけは譲らなかった。なので同居が始まった一時期は正しい手順を説く医師の叱り声が平屋からよく響き竹細工屋を煩わせた。しかし此処は村中で何処よりも清潔な場になった。
 生徒はそれを面白がりこれまでより多く訪れ始めた。掃除をする私や気難しい顔で煙草を吸う彼をからかい走り回った。一度彼が居る時に全員が揃い、状況的に『見わたせば』を披露した事になったが、その際に医師はふんと呟くと「課題点を含め七十五点」と評価した。その時、歌声などの騒音に対して診察所からはただの一度も苦情が来なかった事を思い出した。
 最初、村人は私に憐みや同情を寄せていたが、私が全く苦も無く寧ろ好意的に捉えているという事実を知り始めた時から、僅かに、けれど確かに好意を減らし始めていた。生徒たちも親に注意された様で訪れる回数が減り、遂には無くなった。最後まで訪れに来ていたミツエは帰りたがらずに泣きじゃくった。私は頭を優しく撫で付け慰めながら、自身の至らなさから来る目頭の熱さに必死で対抗した。医師は部屋の奥で指を噛み締め続けていた。
――ここは避難場所だった」
 彼はその日の晩御飯の時に云った。
「子ども達の感染の可能性が上がったと云っても差し支えは無い」
 眉を強くしかめながら玄米を口に入れた。私は「彼らには彼らの意思や片付けられない物がきっとあるのです」と答えながらも、云い切れず煮詰まった感情が目からこぼれ落ちた。彼は息を吐き出すと箸を置き、布巾を私に渡すと白衣を着込んで玄関へ向かった。
「お前はそのままで居てくれ」
 とすれ違いざまに云い残されたのは夏の終りだった。

 衛生面に改善が図られ続けた結果、秋に突入しても患者数は一定数のままであった。
 しかし村人はコロリへの不安や不意の風邪などから、批難している筈の彼を呼ぶ声が絶えなかった。診察所にその連絡が入る度に衛生面や相手側の不安を考慮して彼は川で水を浴びた。それが早朝であろうと深夜であろうと、彼は構わず必ず浴びた。
 私はその頃には学校の実務が始まり、夏の様に手伝いが出来なくなる日々であり夜は普通に寝ている事が多くなった。最初は無理を通して手伝おうとしたのだが彼がそれを許さなかった。しかし夜中に水浴びをしている時には診察所が近い関係や静かな時間帯という事があり、音で良く目を覚ました。それならばと手ぬぐいや衣服を持ってその場に向かう事を重ねた。彼は最初、額の皺を多くさせそれらを奪い取る様にして受け取っていたが数を重ねる事に素直になった。その内、私が気付かない時には「さっさと持ってこい」と怒鳴られ起こされる程になった。
 しかしそれがあった日には――何処から取り寄せたのか全くもって分からないが――私の机に、決まってカステイラが一本置かれていた。医師が休憩した時を見計らい、それを切り分け「私も食べますから」と差し出しても、彼は外へ煙草を吸いに行き頑として食べなかった。

 冬が訪れた頃、患者の三分の一は快復した。
 喪服を出す日は多く、教室は少しばかり静かになった。
 そして診察所が閑散とし始めた頃に、私が最も恐れていた事態が起きた。
 生徒全員が感染した。

 始まりは生徒のひとりであるイツキが授業中に吐いた事だった。
 私はすぐさま授業を中止させるとこれまで蓄えた知識を持って対処し切った。学校の場である部屋を徹底的に消毒する為、生徒を外に出し汚物の処理に努めた。その後は石炭酸を用いて部屋全体を消毒した。避難させた生徒には川の上流付近で水浴びをさせイツキは診察所へとすぐに送った。その間に教頭先生には今回の経緯を纏めた紙を制作してもらい、生徒全員を帰した後にはその纏めを保護者に配ってまわった。他にも消毒すべき場所があるのではないかと感じ神社側に申請をしたが「薬品臭くてかなわない」と不快そうに断られた。
 その後、日々が過ぎる事に生徒が感染していった。
 神社に参拝する村人も比例して増えた。
 私は何度も神社側に他の場所の消毒の申請をしていたが瞬時に断られた。
「神域に科学を入れられますか」
 そう云われた瞬間煮え立つ程の猛烈な怒りを覚え、私は医師の抱え続けていた苛立ちを本統に知った。歯を喰いしばって背を向ければ非難の声が追い打ちを掛けた。それを弾き返す様にして感染防止策の休校連絡を作成し、始まりの日と同じくして保護者に配りまわると夜になった。自身が行った対処を何度も思い返しながら足を引きずり平屋に帰れば休息を取り終えた医師と鉢合わせた。彼は私をじいと見詰めながらぼそりと呟いた。
「よくやっている、お前は」
 云われた事が信じられずに呆然としたが事実だと実感した途端に力が抜けてその場に崩れた。俯いた視線の先の地面が丸型に濡れていった。医師は何も云わずに診察所へと向かっていったが通りすがりに白衣を脱いで私に掛けた。煙草と薬品の匂いが染み付いていたがそれが何故か落ち着いた。

 生徒が全員感染した時になって他の場の消毒を許可された。
 その背景には生徒だけでなく村全体の感染者が増えた事、そしてその全員が感染前に神社へ来ていたという事実があった。多忙の最中でも医師は私に着いてきた。共に検分をすれば厠が原因だと判明した。
「学校側の報告を聴いた時イツキの吐瀉物の量が少ないと思った。あの子は一度此処で吐き出しその後授業中にまた吐いた訳だ。早めに消毒をすればこうも劇的に感染者は生まれなかっただろうに、間違い無く村長の妻も感染しなかったはずだろういいやそうに違いない」
 後ろに控える神社関係者、もとい村長達に聞こえる様に話す医師は誰から見ても不機嫌極まりない様子だった。ただ私だけがその声色に殺意が紛れ込んでいる事に気付き、今、村が最も危険な水位に達している事を察した。

 増大する患者に診察所が飽和状態となり平屋も開放したがそれでも足りない程だった。また医療体制は、診察室を共同部屋とし医師と私のどちら一方が必ず起きて日夜看病をし続けられる方針を取った。その体制には無理しかなかったのだが隣村も同様に感染者に呑まれている為応援も何も呼べなかった。かといって放り出す選択肢など無く僅かな生への確立を患者に宿す為、二人で介抱をし続けた。
 そうした日々を送れば尽きた体力を無視して身体を動かす事など簡単に慣れた。むしろ下手に休憩すると風に乗って聴こえてくる読経と呼吸困難に陥る患者の擦れ声にうなされて余計に疲れるので動いた方が精神的に楽だった。患者の吐瀉物や排出物の処理、世話をする事も夏の手伝いが効いてそつなくこなせた。つまりは睡眠不足以外に辛い事は余り無かった。ただ酷く堪えたのは治らない生徒に治ると云い続ける事だった。それを重ねる度に手は震え学校での対処を何度も思い返しては自責の念に潰された。生徒が亡くなった日には特にそれが強くなった。その時医師は決まって川の上流で水を汲んで来いと命令した。村の神社を越えた先にある上流は滝の様になっていて大声で泣こうが叫ぼうが村の方へは伝わらず、逆に村の音も何一つ聴こえない所だった。彼なりの私に対するその時に出来た最大の配慮だった。
 彼はといえば死亡診断書を書くのを最も嫌っていた様で同時に数枚処理する際には何度も書き損じそれを破り捨てては頭を抱えた。何かをすると却って逆効果なので指を咥えて見守る事しか出来なかったのだが、参考書を投げ付けられたあの時より若干の余裕が瞳にあるのを感じいつも不思議に思った。

 一ヶ月が過ぎた初雪の時節にコロリの勢いが終息し、村の人口は百に満たないものとなった。
 村長の妻は亡くなった。生徒は片手のみで数えられる人数になった。
 同時に、医師である彼の立場は完全に立ち消えた。
 私の立場は再度流行り始めた時期から無かったも同然だった。
 しかし私達にはまだやらなければならない事があった。

 明治十九年十二月二十一日。新聞を読み終えた彼が云った。
「俺は今期の祭りを開催させないように進言しに行く」
 その瞳は極めて冷静で、現在の状況を誰よりも理性的に読み取っていた。
 この村の冬の祭りは来週開催される。虎退治の伝説を持つ清正公の信仰に基づいた祭りの為、今も尚各地で蔓延する"虎"狼痢から逃れ御利益を求める人々が殺到する事は想像に難くない。その中にコロリを持っている人間がいれば終息した災禍がもう一度再発する。混濁とした日々がまた始まる。だからこそ彼は祭の会合のある今日この日に神社へ向かうのだと云う。
「俺にはこうした意義がある。対するお前はなんなんだ」
 どの様に睨まれようが私は毅然とした態度で向き合った。
 丁度同時に村長の妻とその息子――生徒であるトシゾウの七日参りが行われる為、私も同じ様に神社へ向かう事にしていた。そもそも私は時間があれば生徒の葬式へ必ず向かった。無論それは自ら傷付きに行くようなもので罵詈雑言を浴びせられるのは当たり前、時には手を上げられる事もあった。そうしていたのは陰鬱たる感情の捌け口を見付けられない村人の心情を知っていたからだった。それを受け持つ事の重要さも知っていたからだった。
 濁りをどの様な形であれ吐き出した親族が、本統に、微々たるものだが、表情を柔らかくし何をすべきか考え始める意思が僅かに瞳に灯るのを見たからだった。まず私には家庭を得た経験は無く、子を亡くした失意や怒りを知らない。だからこそ親族の怒りに何かを云う権利は最初から無く遠退ける事すらもはばかられた。その為葬式にはなるべく出て、行けなかった場合は七日参りなどに必ず訪れた。
 医師はそうした私を愚か者と批難し何度も止めた。私が法事に出る度に傷を増やし生徒に心配されながら帰路に付く姿を最も忌み、顔に大痣が出来た時は保全を名目に蔵へ軟禁されそうになった。その為服で隠れる腕や背中に痣が出来た時には何も咎められずに法事に行けると酷く安心した程だった。
 以上の経緯から、医師は今回も私を止めようとし、そしてその勢いはいつもよりも増して苛烈だった。
「自殺でもする気か、村の空気とお前の立場を鑑みろ!」
 しかしそう云う彼も同じだった。彼の行動は間違ってはいないが村全体の空気と彼自身の立場を思うとやはり自殺と同意義だった。明治十年の事件を思い出した私は彼を粘り強く説得した。彼も私を辛抱強く説得した。その内に予定時刻の夕方になったがお互いがお互いの意思を曲げられず同時に降参した。私は喪服を着込み彼は白衣を羽織り、互いに黙ったまま玄関に向かって履物を出して立ち上がると
「まるで心中だ」
 と医師が毒付いた。ならばと遣り残しはありませんかと彼を見上げて訊けば
「無い」
 と即答された。それに少し笑うと彼も僅かに口角を上げた。

 七日参りの場は多くの人でひしめき合っていた。私が表れると誰もが息を呑み隣り合わせにいる人物とこそこそと喋ったが、その内容はこれまでに散々聴いてきたものとほぼ同一だった。読経と説法が済むと会談の場となった。話題はやはり流行病についてであり薄暗い話題が続いた。私はその一番端で別室で行われている祭の会合を少し気にしながら生徒の相手をしていた。すると村長の妻の御母さんに呼ばれた。不意に線香の香りを強く嗅いだ。
 話は別室では無くそのまま会談の場で行った。公開処刑の意味合いが強かったのだと思うがもう既に立場を無くしている私にはそれが何処か空しく、侘しく思えた。話題はやはり私に対してのものだった。幾度とも無く投げ掛けられた言葉は反響する事は叶わず身に沁みた。けれど何より辛かったのはこうした立場になってもなお心配してくれる生徒の視線の方だった。それに勘付いたかどうかは分からないが話題が次第にずれていった。
 最初は私やあの日の対処、医師でもないのに手伝いをした事だった。次に医師について話された時は奥歯を噛み締めた。人格に対しての批難はまだ耐えたが医療に対して触れられた時は口を出しそうになった。そして最後にはあの時教室で吐いたイツキについての話題になった。何かタガが外れてきたのか興に乗ってしまったのか、目の前で話す人物はイツキの家系は卑しいものだと貶めただけでなくこともあろうに「いなければよかった」と口にした。「病から快復せずに死ねばよかった」とも口にした。それだけではない。"周囲にいた人々がそれに対して何も反応しなかった"。無論村の最高権力者が話している事だ、反抗する恐ろしさとその後に襲い掛かる不利益は知っている。誰だってこの場で話したりはしないし思いを隠すに決まっている、それが正解なのだから。しかしほんの僅かにも息も呑まず眉も潜めず眼を凍り付かせる事もしない。此処にあるのは"賛同の意思だけ"だった。
 深雪の川よりも凍える怖気が走った。
 同時に、私が今まで必死に繋げていた何かがぶつりと切れる音がした。
 不意に自身の口から呟きが洩れた。
――――ひとでなし」
 それに連なる様にして汚濁した言葉が濁流の様に流れて行った。
「何もわかってない何もわかってない何もわかってない、あなた達は何一つとしてわかってない。何が信仰だ清正だ、それがどんなに尊いものであろうとほんとうに理解していなければただの馬鹿じゃないですか。何の為に信仰がありますか何のために此処で今読経を上げたのですか形式だけで亡くなった人々を尊んでその後はそれっきりですか、そこからなにも学ばないのですか感じたりしないのですか、今此処にいる人を、病から立ち直った人を貶めるのですか。あなたにその権利は無い、学ぼうとも知ろうともせず尊いものを云い訳の材料にしてほんとうに生きようとした人を貶すなど馬鹿げているじゃないですか。そんなあなたには信仰も何もかも意味が無い、無意味でしか無い、何もかも意味が無い救いも無い何をいう権利も無い、あなたは――あなたが、あなたこそがいなければよかった、あなたが病に倒れればよかった! あなたが、あなたが、あなたこそがひとでなしだ……ッ!!」
 切迫した慟哭が部屋中に響いた。
 ただ時が止まったかのように何ら変わらない情景だけがあり凍て付いた視線が四方八方から突き刺さった。私も肩で息をしながらも動けないでいたその脳裏では今まで自身が叫んだ内容が繰り返し響いては渦巻いた。その中、誰かが立ち上がる音がした。はとして見れば、村長の妻の御母さんが私を見下げながら短刀を構えていた。あぁと思った。ただそれが当たり前だと、当然だと思った。いつも通り、私は、それを避けようともせずそこに居た。
 一瞬だった。
 それは右目にがんと突き付けられた。
 流石に本能が働いて手が動き細長い腕を押し返した。痛みの向こう側から生徒が金切り声を上げるのを聴いた。ふらつく身体にもう一度痛みが突き抜けた。今度は首だった。どうと倒れれば畳と人の足が見えた。御母さんの足が私へ向かうのを感じたがそれは強引に遠ざかっていった。恐らく男衆が押さえつけた。他は時間でも止まったかのように動かず誰も何も云わず誰も何もしなかった。"警察を呼ぶ事も他の誰かを呼び出す事も隣村の医師を呼びに走る事も無かった"。
 自身の生臭い血が畳に吸われていく様を見ながら冷え付いていく身体に諦観の思いが湧いてきた。今まで避病院で診て来た"それ"を自身の中に感じ、やはり"それ"はいとも容易く訪れるのだなと改めて実感した。ぼやけて霞む視界の中で不意に思い出したのは生徒達の歌う『見渡せば』だった。そういえば七十五点と評した彼に細かな配点を訊いていない。これでは生徒の教育に活かせない――――

 と。
 消えかけた意識が、次第に大きくなる振動を感じ取った。
 その振動は私に向かい、ついにぼやけた視界でも捉えられた。
 それは私に覆い被さり何かを叫んでいた。
 そもそもその声の主は、飽きる程に傍に居た人物のものだった。
 芥さん、と声にしたかった。
 けれど遂に意識が途切れた。

 この一件で私と彼は、村から完全に断絶された。
 
 意識が朦朧とする中、ぼんやりと覚えていたのは避病院の天井と私に何かを話し掛ける医師の姿だ。その腕には赤い紐がありそれが何故か私の腕にも繋がれていたのを見た。隣村までの暗い山道を行く様子も覚えている。私は医師に背負われ揺られていた。話したかったのだけれど首が締まっていて何も云えなかった。それが夢にしろ事実にしろ確かなのは隣村の病院にすぐさま移送されて速やかに処置が施されたという事と、医師のお蔭で私は生きているという事だった。
 私は右目を失明し首を十二針縫う重傷だった。出血し過ぎたせいで一時危うい状態が続いた為、目を覚ました時には非常に驚かれた。そうした表情を見せた看護師達に彼は怒鳴ると急に昏倒し身体疲労と貧血ですぐさま入院した。私はその後に経過診断をされ、自身の声帯に後遺症が残った事を知った。

 私が正常に意識を快復させた為、正式な入院申し込みが行われた。まだ十分に手を動かせず治療の一環で声を出せない私の代わりに彼が書類を代筆した。名前や住所等を記入していく中で身元保証人の項目に移った。私がどうしようかとまごついていると彼が自身の氏名を書いた。医者に向かって彼は云い切った。
「私は間違いなく友人であり、どの様な支えも受け持ちます」
 その声色に躊躇いや誤魔化しは一切無かった。医者が私の方を窺ったので大丈夫と頷いた。医者が入院申込書を持って病室から出て行った後、私は彼を引き留めた。時間を掛けて紙に『身元保証人 ほんとうに大丈夫ですか』と書くと、さっきのあれを聴いていなかったのかと不快そうに眉を潜めて私に近寄った。
――それともなんだ、何か証明すべきか」
 声色の圧力に戸惑いながら声を出せない喉をただただ動かしていると、彼はやれやれと云わんばかりに舌打ちをした。
「全くこれだから面倒なんだ」
 そうして私の襟首を掴むと唐突に口付けをした。
 彼の匂いが私にうつった。
 彼の舌が私の唇をなぞった。
 彼の温度が薄い皮膚から伝わった。
 しかしそれはほんとうの一瞬だったので、直ぐに本当の事だか分からなくなった。
 彼は私からさっさと離れると普段の顔付き――薄暗く眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔――になって溜息を吐いた。
「問うなよ、話せば先は無い」
 そう云った時の顔は逆光で見えなかった。
 彼は病室から出て行き後に私だけがひとり残された。唖然と無意識に唇をなぞると、水でも無く自身の物でもない涎が指に付いた。紫煙の匂いが仄かにしていた。間違いなく彼のものだった。私は文字通り布団に埋もれ数十秒の合間に起こった出来事を何度も思い返しそこに隠蔽された意味を探った。そして結果を得たがとてももう思い返せなかった。
 また、あの行為とそこにある理由は、私に心臓を鋭利な氷で一突きにする様な痛みと焦がれる苦しみを十二分に与え、数十分もの合間唸らせるだけの効力があった。私は、誰にも彼にも嫌われようが医師で居続ける彼の精神とそこに隠された性格をもう少し考えるべきだった。私は、才人であり名医の人物の傍に居続ける事の意味をもう少し考えるべきだった。彼は故意にしろ故意でないにしろ私の心理を読み解き、気付き、危惧し、何より護っていたのだった。この時になってようやく、彼の使った"保身"という表現、彼が同居先に私の平屋を選んだ本当の理由、そして『お前はそのままで居てくれ』という言葉の意味を知った。――なにより、祭の会合を投げ打って私に掛け付けた真意を知った。同時に自身の至らなさを痛感し咽び泣いた。

 私の血液量が戻り腕や手を自由に動かせるようになった頃、彼はまた祭に関して進言しに行くとのたまった。彼の服を掴んで物理的に留めさせていると「俺が納得するような理由を書いてみせろ」と怒鳴り紙を押し付けた。私は相手を睨みながら言葉を書き殴り紙をぐしゃぐしゃにして投げ付けるとカーテンを閉めた。カーテンの向こう側から文句と共に紙を広げる音がすると一瞬の静けさがあったが、その後病室を出て行く足音がした。
 数十分後、誰かが病室に入りカーテンを勢い良く開けた。彼だった。唖然としている私に彼が見下げながら云う。
「煙草を吸っても構わないか」
 首を傾げると、数倍圧を加えて同じ事を返したので取り敢えず頭を縦に動かした。彼は窓を開けその傍らで吸い始めた。私がそれをじいと見ていると「さっきは煙草を買いに行っただけだ」と不愉快そうに顔をしかめた。結局、彼は一日中そこにいた。また、この日を区切りとして彼は村に行かなくなった。
 私は怪我で外に出られない為、実直な村人に荷物を運んでもらったり村に関する手続きを頼んだ。その際筆談で残された生徒や村の状況を尋ねていると、あの時の祭会合の様子を教えてもらった。平行線のまま微動だにしない議論の最中、医師は私の怒鳴り声を僅かに捉えるとぴたりと固まり、子どもの叫び声が微かに聴こえた瞬間に部屋から飛び出したという。祭祀に『ここで出れば放棄する事と同じだぞ』と云われたらしいが彼は『俺はまず確実に救える奴を救う』と一喝したらしい。思わずはっとした。その言葉は彼に投げ付けた紙の内容とほぼ同じだったからだ。呆然としていると先生と呼び掛けられ我に返る。気を取り直して世間話を進め、帰り際に祭はどうなったのですかと訊けば、
「あァ、村で大勢の人が亡くなったからねェ。そうだからこそ盛大にって行われる運びだよ」
 と屈託の無い笑みを見せた。

 首の包帯が取れた頃に、村で祭が行われた。
 夜、膨大な数の人々が村へ向かっていくのを病室の窓から二人で眺めた。
「お前のせいじゃない」
 彼が手元で赤い光を灯しながら呟いた。
「お前のせいじゃない」
 私は何も返さず、人々を見詰めていた。

 二月頃に身体が快復した為、連れ立って都市に戻る事にした。
 隣村から人力車で駅に向かう。そこからは蒸気機関車での移動だった。機関車に乗り込んだ時点で深夜手前の時刻になっており、客はほぼ皆無だった。窓側に居る彼越しに外を眺めても果たして動いているのか停車しているのか分からなかったが過度な振動と車輪の軋みが動いている事だけは教えた。それに慣れても全く眠気がやってこなかった。ただずっと思考が鮮明に働いていて私はいつかの自責の念に晒され続けていた。村の事を考えていた、誰が村を壊したのかを考えていた、私は私自身だと考えていた。医師の傍に居過ぎた事、学校での対処が遅れた事、なにより祭の会合を止めた事。それらが村を壊したと思わずにいられなかった。
 ――まず彼に紙を投げ付けて止めた時。
 あの時、私は村に殺意を抱いていたのではないだろうか。
 その考えが私に動悸を覚えさせ、心臓と喉をぎりぎり歪ませていた。
……私は、村に来て良かったのでしょうか」
 無意識に声に出してしまい後悔したが、彼は窓の方を向いたままだった。
 聞かれなかったと安堵し空を眺めていると、一分後不意に話が繋がれた。
「お前が居ても居なくても村はああなった。……互いに理解が出来なかった結果だ」
 諦観の声が村の様子を思い出させる。
 村人の生活の様子、生徒の姿、信仰に忠実な意思、四季に従った昔ながらの習慣。
 村人の生への執着、患者の姿、信仰への強い妄念、離れられなかった過去の習慣。
 狭間にいた、二人。
 結局の所ただ足掻いていただけだったのだろうかと顔を蒼白にさせていると「だが」と彼は言葉を繋げた。
「お前が居なければ、俺は今頃此処には居ない」
 彼はこちらを向き、私の左頬を拭った。
 それで私は、知らない内に泣いていたのだと気付いた。
「お前はそれを否定するのか」
 彼は私の瞳を見据えていた。
 酷く狡いなと思いながら私は顔を横に振った。
 彼は「よし」と呟くと口付けをした。それはこの前よりも長かった。

 夜汽車は闇の中を進んだ。
 目的の駅に着いた時には互いに道筋を粗方決めていた。


 彼はその後、都会からやや外れた場所で診察所を開いた。
 運営は軌道に乗っていて、彼は信頼される医師となっている。ただし癖があるという意見は変わらない。また業務の傍ら研究も行っているらしく大学側から連絡を貰う事もあるらしい。私が「掛かり付け院にして良いですか」と申し込むと「今更か」と呆れ半分蔑み半分の目で見られた。
 私はといえば、教育関係の書籍を製造する場で編纂部に勤めた。
 これまでの経験と知識を活かして内容等を新しく編み出していく中、唱歌を頼まれた時には息が詰まったが研修の最中愉しげに歌う子どもを見、村の生徒と重なったのを経験してから進んで業務を行った。過去から目を逸らさずにいなければならない意味を、その時確かに知った。

 彼とは書簡のやり取りが多いが、今でも時折会っている。
 その際は彼の世間話と愚痴が大半を占めるが、私が過去の疑問を吹っ掛ける場合もある。この前は意識が朦朧とした際に見た赤い紐について尋ねたが「気色悪い」と一掃されただけだった。しかしその後、書簡にて『輸血学』を提唱したのを事務的に伝えられて内容を知った時に、あの時の彼の貧血と自分が出血死をしなかった本統の理由を知った。また、彼に生かしてもらえていた事を再度認識した。
――どうしてそこまでしたのですか」
 先があった後に詰め寄って訊けば、
「お前と共犯になりたかったのかもな」
 と笑い、右目の周囲を指でなぞられた。


 あの村は最終的に三十人に届かない村となった。
 コロリはもう一度流行ったが、その村がどうなったかは聞いていない。

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殻の破れ具合で結果も変わる。

以前書いた『人非人の殻』をもう少し暗く深く追及しました。
信仰が元々何のためにあるか、しっかり考える事はとても重要です。
本質を見失う事はとても危ないので。

PS.明治村のお化け屋敷、しっかり入ってきました。
物凄く物凄く怖かったです。叫びましたとも。

*よく聴いていた曲
・石川智晶『ポラリス~北極星~』
・ナナホシ管弦楽団『ソバエ隠道中』

*参考展示、文献
・明治村『虎狼痢の幽霊 特別展示』
・『明治時代の「輸血学」』松田 利夫 清水 勝


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