@kyuri_akita
ざあざあと雨が降っていた。窓に打ち付ける水の激しい音を聞きながら、彼は窓辺でうつらうつらとしていた。
天気が悪いせいか、体の調子があまりよくない。どこかけだるい体を持て余し、窓辺で膝を抱えたまま、目を閉じていた。
記憶もないほど小さなころにけがをしたという膝がぎしぎしと痛んでいる気がした。もっとも、それは気がするだけで、実際には痛んでいるかどうかは定かではない。記憶もないころの痛みがぶり返すなど、医学的にも聞かない話だった。
だからきっと、これは体ではなく心が痛んでいるのだろうと思う。
白い白衣を着た自分にしては詩的だと思いながら、リサは体が重たくて動けないでいた。指先一つ動かそうにも、体が重くて動かない。
(ああ、もう、このまま、寝ようかな)
餓死するほど食事はとっていないわけではないし、ちゃんと次も目覚めることができるだろう。
そんなことをうつらうつらと、もはや起きているのか夢なのか自分でも判断が付かぬまま、リサは窓辺に置かれたベッドの上でうずくまっていた。
外は雨だ。今日は魔物たちも、雨宿りをしているに違いない。こんな日は、何もしないに限る、と怠惰な自分を許したところで、ふ、と目が覚めた。
ああ、怒られる、と思った。
だから目を開けたのだった。
窓辺で寝てしまっては怒られる。
そういえば何かをしなければいけなかった気がする。
と、もやがかかった思考の中、青い目を瞼で半分覆いながら、きょろり、と視線を彷徨わせた。
(・・・?)
自分でもよくわからぬまま、不機嫌になって、口を開けた。
「ぐ、れ」
ン、と名前を呼んでから、あいまいだった意識がはっきりとした。
はっとして、思わず名前を呼びかけた口のまま、ドアを眺めた。
「ああ、そう・・・」
そうでした、と呟いて、思わずうつむく。
呼びかけた名前の主はいない。
現在、いつものように旅に出ている。
ここしばらくは、リサも研究室へ通うことなく、森の中の家で過ごしていた。同居人であるグレンもしばらくは家にいた。
二人で暮らす家は、お互いの存在だけだった。呼びかければ声が届く範囲に、自分以外のもう一人だけがいる室内。そんな空間に少々長くいすぎた。
つい、彼がいないことを忘れてしまうほど。
『お前がいない家は寒い』
と言っていた彼の言葉がよみがえる。
今なら、その言葉がよくわかった。
リサの過ごしやすい空間にされた家には、彼がいるからこそ、居心地がいい。笑って、話し合える相手がいるからこそ、この家は温かいのだ。
彼が作り上げて、彼がいる家は、温かい。
彼がいないこの家は、ドアが開きっぱなしのようだ。隙間風が入り込んできたように、なぜだかさむい。
彼はリサがこの森に魔物がいるから、その森の中にたてた家に帰って来ていると思っているのだろう。
間違ってはいないが、それでは少し足りないと思う。
(・・・グレンがいけないんだ)
ここにいない男を思い浮かべて、目を伏せる。
リサは、こうして誰かがいなくて寒いと思うことすらなかったのだ。自分には魔物がいればよかったし、事実、それでいい。
誰かが自分のために作ってくれる食事の楽しさも、誰かと語り合う喜びも、知らなくてよかったのだ。
知らなくてよかった、とは少々強がりだと思い、一人で小さく苦笑する。
異形のものを助けたいと願う自分はおかしいのだと。
そう言われもしたし、思ってもいた。
だから誰かとわかり合えるなどとはつゆほども思っていなかったし、わかり合える日も来ないだろうと、ぼんやりと思っていた。
悲観したわけでもなく、純粋な事実として。
リサは、色々なことをあきらめていた。
だというのに、あきらめた色々なことを差し出された。
まるで巣のように作られたこの家は、居心地がいい。
どこへ行っても、この家へ帰りたいと思うほどには。
動物の巣のように、気が付くと帰ってきている。
そんな風にしたグレンが悪いのだ。ここの居心地が良くて、ついつい居続けてしまう。
研究に没頭して食事さえ忘れるリサを甘やかすのが悪いのだと、違うとわかっていながら、八つ当たりする。
そうして思うのは。
(グレン、帰ってこないかな・・・・)
だった。
結局のところ、彼がいない雨の日がたまらなく寂しくて、恋しいのだ。
素直に認めるのもなんだかなあ、と自分の気持ちを持て余しながら、いっそ図書館のある国に行って研究でもしようかと考え始めた。
(グレンもいないし・・・)
雨では魔物たちも出歩かない。実際、一階にいる小さな魔物たちの何匹かは寝こけている。
グレンが作っていった食べ物もあるはずだし、それを持って研究室に行こうか、と具体的に考えた出したところで、ゥワン!と鳴き声が聞こえた。
よく耳を澄ますと、カタン、と階下から音がする。
すぐに同居人が帰ってきたのかと思いもするものの、泥棒かもしれない、と少々不安になった。
グレンとリサの暮らす家は、魔物が多く巣くう森の中にぽつんと建っている。そうそう人は来ないが、来るとしたら、人のいる道を歩けないようなものだけだ。
一気に不安になったが、魔物たちのいる階に行かないわけにもいかない。人は一様に魔物を恐ろしいものとして扱うが、そんなに強いものばかりではない。
リサは物音を立てないように部屋から出て、そっと階段を下りた。
途中、階段に置いてあった木の棒を手に持ち、そろりと顔をのぞかせる。
二人掛けの机とテーブルが置かれたリビングで、玄関そばに立っていた男は、ぼんやりとしながら、足元にじゃれつく魔物たちを見下ろしていた。
外の雨に打たれながら歩いてきたのだろう。体中、ぐっしょりと濡れている。髪からも肌からもぽたぽたと雫をしたたらせ、足元には水たまりを作っていた。
後ろに一つで束ねた油っけのない灰色の髪は、いつもより暗い色になっている。光のないぼんやりとした黄色い目は、覇気がないようでありながら、どこか殺意をうごめかせていた。
まるで、けがを負った野性の獣のような。
傷ついているから来るものすべてに怯え、攻撃的になっている獣のように。
「グレン・・・」
見たことのない姿に、思わず声をかけると、す、と視線をリサに向けた。
小さくいたのか、とこぼしたあと、すぐに視線をそらしてしまう。
ぽたぽたと髪から雫がこぼれ落ちている。白い肌は血の気がなく、ずいぶんと寒そうだとそんな印象を受けた。
いつもは家に水たまりを作ろうものなら烈火のごとく怒りだすはずだが、今日はそんなこともない。
リサは近くに握っていた木の棒を置くと、静かに彼に近寄った。
「・・・おかえりなさい」
彼が帰ってきたことがうれしくて、微笑んでグレン顔を覗き込む。
彼はすこし目を丸くしたあと、リサに視線を向けた。
黄色い目はきらきらと感情が揺らめき、何を言おうとしたのか、グレンの口が開きかけるも、すぐに閉じてしまう。
しかしすぐに無表情のまま口を開いた。
「・・・ただいま」
ためらいがちに言われた言葉に、リサはうれしくなって思わず顔を緩めた。
きっと、何かがあったのだろう、とは、思う。
さすがに感情に疎いリサとてそれぐらいわかる。
けれどリサはあまり言葉がうまくはないので、無理に聞き出すことはないと判断した。あれこれと詮索しても、言いにくいことだってあるだろう。
それは、グレンがリサにそうしてきたように。
少なくとも、グレンはリサから無理にいろんなことを聞きだすことはしなかった。リサが言いたいならば言えばいいと、そばにいてくれた。
それがとてもうれしかったから、自分もそうしよう、と普段していることを返せることがうれしくて、両手を広げてみた。
グレンはしばらく無言でリサを眺めた後、そろりと体を寄せてきた。腕がない生き物のように、顔を肩口にすり寄せる。
けがこそしていなかったが、グレンの体はひどくこわばっていた。力の入った濡れた体に腕を回すと、少し力が抜ける。
致命傷を負ったような男の体は、ひどく冷えていた。それでも自分に寄りかかる重さは、傾けられている心の量だと思えば、うれしくもある。
「・・・お風呂に入りましょう。準備してきます。こんなに冷たいし」
「ああ」
低い声は、ひどくかすれていた。
「ご飯は食べますか。まだ、君が作ったものがありますし」
「いらない」
そうですか、と言って、腕を離す。
体を離せば、攻撃的な雰囲気は少しなりを潜めていた。これなら大丈夫だろう、とちょっと待っててくださいね、と言い聞かせるように腕を叩いた。
グレンは言葉もなくうなずいたので。
「準備してきます」
と告げて、さっさと背を向けて、浴室へと向かう。
浴室は、陶器でできたバスタブが置いてあった。蛇口をひねって水を入れながら、洗面台の隣に置かれた桶に向かう。
ハーブの葉が浮いている桶では、湯気が立ち上っている。リサはそっと葉をかき分けて、中をのぞいた。
そこでは赤や黄色に体を光らせた魚が二匹ほど泳いでいる。長いヒレを揺らめかせて泳ぐ二匹は、リサの手に気づくとそばに寄ってきた。
「ふたりとも、よろしくお願いしますね」
二匹にそう告げて、水を入れているバスタブの中に、桶の中身ごとつぎ足す。
ふわりと漂うハーブの香りに、リサは水がたまるまでもう少しハーブを入れよう、と棚をあさった。
(落ち着けそうなのがいいですよね、あ、ローリエはいれないと温かくならない。あとは・・・)
がそごそとハーブの詰まった瓶を取り出し、中身を風呂へ入れていく。
二匹の魚は、ハーブをついばんでは体を光らせていた。黒い体にきらめく光がきれいで、リサはいつもその不思議な生き物を時間を忘れて眺めてしまう。
フェーラカーン、という金魚のようなフォルムをした魚は、人々からは沸騰魚と呼ばれていた。これも魔物の一種なのだが、ハーブを主食とするこの生き物は、食事の際に体を発熱させる。そのため、純粋な水を沸騰させることには使えないが、こうして風呂などではよく使われる生き物だ。
一般的な家庭にはあまりいないが、魔法使いなどは普通に使用している。無害ではあるが、魔物なので、それだけで忌む人も多い。
フェーラカーンはわりあい人懐っこい生き物で、おまけにハーブが主食なこともあり、そのまま風呂に泳がせていても問題はない。熱湯、というほど発熱するわけではないので、食事中の彼らに水の中で触ってもやけどをすることもなかった。
便利だな、とリサは思ったが、人間はあくまでも魔物の性質を利用しているだけであり、フェーラカーンは飼われることで安定的に食事がもらえる。
お互いに助け合っている状況は、魔物と人が共存できるという事実でもあった。
図書館のある国では、フェーラカーンを普通に風呂で泳がせている。便利だからという理由もあるのだろうが、もともとの文化として受け入れられていたらしい。
世界は広いよなあ、とぐるぐると考えていれば、ざば、と水があふれたことに我に返り、慌てて蛇口を止める。
水を入れすぎてしまった、と桶で水をすくって、量を調節する。桶一つだけでは足りず、もう一つを引っ張ってきて水の量を調節した。
水は程よい温度になっている。これならば体も温まるだろうと手で浴槽の水を掻きまわす。
腕もまくらずに水を掻きまわしたため、白衣はびしょびしょに濡れてしまい、水を吸って重くなった服を仕方なく脱ぐ。
さて、準備ができた、と立ち上がって振り返ると、浴室の入り口にグレンが立っていた。
びく、と思わず肩を跳ね上げて、こちらを眺めるグレンに、リサは表情を固まらせる。
「・・・い、いつから・・・」
いたんですかと聞くべきか迷っていると、グレンはさらりと。
「風呂に水を入れるところから」
と、答えた。
それって最初からじゃないですかと言いそうになって、口を閉じた。
ぼんやりして水をあふれさせ、袖もまくらずに作業をしていたアホな自分の姿まで見られていたということだ。
己の行動を思い返して、顔をそむけた。無駄だとわかっているが、熱くなる顔を隠す。
グレンは自分のような失敗はしないので、自分のダメさぶりが見られていたと思えばただ恥ずかしく。
「はやく、お風呂、はいってください!」
び、とバスタブを指さすと、そうだなと中へ入ってきた。
「ありがとう」
小さな声でそう言って、服を脱ぎ始めるグレンに、着替えを用意しなければとリサは部屋を出る。ふと、入り口で振り返ってグレンに視線を向けた。
水を吸った服を脱でいる男は、やはりどこか人を拒絶するような空気があった。
リサは急いで、自分の白衣を洗濯籠にいれて、グレンの服とタオルを引っ張り出す。浴室の隣にある洗濯室には、洗ったものと洗うものしか置いていない。
洗濯の担当はもっぱらグレンで、風呂の残り湯などを使うから勝手に洗濯しなくていいと言われている。
そう言えばと思い出してリビングに顔をのぞかせると、床はグレンが通ったと思われる水のあとがあった。風呂場まで続くそれに苦笑して、あとで拭こう、と雑巾も用意して浴室へ向かった。
「グレーン、入りますよー?」
一応ノックして、ん、という返事がえられてから入ると、彼は湯船に浸かっていた。
くくった髪も解かずに湯船でぼんやりとしている姿に、そうだ、と着替えを棚に置く。
「グレン、私が髪、洗いましょうか?」
呼ばれた男は視線を上げると、黄色い目を丸くした。頬にある傷が、今は痛々しく見えるほどに、今の彼には力がない。
「・・・できるのか?」
即座に否定されるかと思ったものの、虚ろな目をしながら、そう問い返してきた。
「さあ?君にやってもらったことしかないですけど」
そう答えれば、グレンは何か、いけないものを見てしまったかのように、リサを眺めた。
リサはいいのか悪いのか、彼が返事するのを待っていることにした。
寝食を忘れて研究に没頭するあまり、風呂も忘れることもある。そもそもグレンがきちんとした家を建てるまでは、あまり風呂に入らなかった。川に浸かるぐらいがせいぜいで、髪も気にかけたこともない。
だが、こうして彼と生活するようになってから、何もかも忘れていると、グレンが風呂に入れてくれるようになった。不衛生だとよくない、という理由で髪も洗ってくれるときもある。
逆はないが、いつもしてもらっているからこそ、やってみたくなった。
「・・・したかったら、すればいい」
そう投げやりな答えが返ってきたので、リサはにこりと笑った。
投げやりでありながら、バスのふちに頭を預けて顔を上げる彼は相変わらずやさしい。
髪を洗う洗剤を棚から持ってきて、手に乗せる。先ほど水の量を調節するために使った桶を足元までもってきて、部屋の中にあった椅子を持ってきて、彼の髪をくくっていた紐をほどいた。
長い髪をとかしながら泡立てていると、ぼんやりとグレンが目を開けた。
「そういえば、今度、書館様の国で市場があるらしいです」
グレンは何も答えずにいた。
それでもいいと、リサは手を動かしながら、言葉をつづけた。
「普段は来ないような行商の方々が売りに来るそうで、研究者も出したければお店を出していいらしいです。あ、もちろん審査があるらしいのですが」
わしゃわしゃと泡立てるのは、なかなか難しい。頭を掻くようにするにも、あまり力をいれすぎては、傷つけてしまうだろう。
グレンはいつもどうやっていたか、と思い返しながら髪を洗う。
「グレン、かゆいところはないですか?」
いつも聞かれていたことを思い返して言えば、大丈夫だと返事が返ってきた。
「髪、流しますよー。目、つぶっててくださいねー」
黄色い目が力なくリサを見上げた。そして静かに目を閉じるので、ざぱ、と頭から水を何回かかける。泡が流れたことを確認したあと、髪を纏めて、頭にタオルを乗せた。
「ちゃんと温まってから出てくださいね」
そう言って、リビングの床を拭かねばと立ち上がると。
「リサ」
名前を呼ばれて、足を止めた。
振り返れば、視線も合わせないまま、グレンは俯いている。
「・・・何も、聞かないのか」
そう言われて、リサは苦笑してしまった。
「君が私にしてくれたことです。話したかったら、話せばいいんです。大丈夫ですよ、私は急ぐ用事もないですし、しばらく家にいます」
グレンは顔を上げたあと、目を丸くして、またうつむいてしまった。
「わかった」
そう言うグレンに、たぶん自分の対応は間違っていないのだろう、とリサは小さく息を吐いた。
そして雑巾を手に、木目の床の水を拭く。水を吸いすぎて重たくなれば、流しで水を絞り、水を拭くということを無心で繰り返した。
(わかったってことは、たぶん、しばらくそばにいたほうがいいんでしょうね・・・)
風呂で体を温める男のことを思いかえして床をきれいにしていると、兎のように長い耳の魔物がじゃれついてくる。他にも犬のような毛むくじゃらの生き物たちは、せっせと床を拭くリサの背中に乗ったり、前足でリサの腕にねぇねぇとちょっかいを出してきた。
外が雨のせいで、暇で仕方ないらしい。
仕方なく、雑巾をなげてやると、室内で競って走っていった。
こんな生き物を脅威に感じる世の人間がわからない、とリサは思いながら、先に雑巾をくわえた兎が走り寄ってくるのを眺めた。
あらかたきれいにしたので、まあいいだろうと床に座り込んでいれば、がちゃりと浴室のドアが開いた。
きちんと髪も乾かしたらしいグレンは、ゆったりとした服に着替えていた。頭からタオルを被っている。
風呂に入ってだいぶ殺意やら攻撃性を注ぎ落した男は、ずかずかとリサのそばまで来た。
「グレン、きちんと温まりました、かッ!?」
ぐわ、と無言でリサを肩の上に担いだ男は、そのままずかずかと二階へと向かっていった。
「ちょっと!グレン!?聞いてます!?」
リサの抗議にも返す言葉はなく、リサは小さく息を吐いてあきらめてされるがままにしておいた。
いつも回しすぎるぐらい気を回して、やさしい彼がこうして強引なことをすることなどほとんどない。
きっと、それほどのことがあったのだろう、と好きにさせておくことにした。
運ばれた先は、寝室だった。ゆっくりとベッドに降ろされたかと思うと、とさり、とグレンはのしかかってきた。
大きい獣がするように、ベッドに倒れこんだリサを押し倒すような形で上から見下ろしてくる。
さすがに気恥ずかしくて、困ったようにグレンを見上げていると、精悍な顔をした男が口を開いた。
「・・・害獣の依頼があった。人の味を覚えた熊がいるから退治してくれと言われて、俺は村に向かった」
唐突に話し始めたことにはっとして、リサは自分を見下ろす男を見つめた。
「何人も村人を食い殺していた。人の味を覚えた動物はもうだめだ。死ぬまで人を襲い続ける。だから殺した。大きな熊だった。手ごわかった」
でも、とグレンはゆらりと目を揺らめかせた。
「その国は、ついこの間まで戦争をしていて、その熊は戦争で使われていただけだった」
その言葉に、思わずリサは顔をゆがめた。
「熊は、わざと人の味を覚えさせられていたんだ。人を殺すために。それが逃げ出しただけだった」
リサは思わず、手を伸ばしてグレンの頬に触れた。
彼は、泣いてはいなかった。
それでも、ざあざあと降り注ぐ雨に、心まで冷やされたに違いなかった。
頬に触れて、首に手を回す。髪を引っ張って自分の胸元に落ちて来いと誘導すると、ぽすん、とグレンはリサの上に横たわった。
重い体は、男のそれだ。獣でもなんでもない。
「人の都合で振り回される獣は哀れだ」
ぽつりとつぶやく自分よりも大きな男の言葉に、なんと声をかけるべきか迷って、グレンの頭を抱えた。
「俺にできることは、その熊をきれいに解体して、無駄なく使うことだけだった。肉は干して、毛皮は服に。せめて、人の都合で振り回されたものが、無駄だったなどと、言われることがないように」
グレンは獣を狩るが、それはきちんと命を奪うことだとわかっている。無駄に苦しませて殺すことに意味がなく、奪った命は自分を生かすと感謝することを理解している。
だから、彼が遭遇したそれらは、とてつもなく彼の目にはひどいものとして映ったのだろう。
人間は残酷だ。時に魔物よりもひどいことを平然と行える生き物だった。
けれど、そんな人間たちを、糾弾することも、批判することもできない。
彼らは熊を殺してもらわなければ死んでいた。下手をすれば村が全滅することだって考えられた。
熊を殺すことは『仕方がなかった』。
きっと、誰もがそう言うのだろう。
「・・・さみしいですね」
人間の身勝手さで振り回される命も、結局は人間の手によって殺される命も。
人間さえいなければ、このような運命を辿らずにすんだのではないか。そう考えられずにはいられないから、とてつもなく寂しい。
助けられたかもしれない命だと、そう考えてしまうからこそ。
「でも、その熊の事情を考慮せずに、獣だから殺した、と。哀れな生き物にせずにできるのは、グレンだからこそできることです。猟人の勇者は、必要だから殺したんです。身勝手な人間に振り回されたからじゃない。生きるのに、必要だったからといえるのは、それで生業を立てる君だからこそできることでしょう」
ああ、と小さくうなずいたグレンの体から、力が抜けた。
きっと答えはもう出ていたのだろう。それでもあと少しがほしくて、こうして話したにすぎない。
(大変でしたね・・・)
よしよし、と頭をなでていれば、ねむい、とグレンがうめいた。
「寝たらいいじゃないですか」
うん、と半ばうつらうつらとしながら、グレンは眠たそうにつづけた。
「こうしていると、許されているきがする」
鋭さのない声で言われて、逆に許さないってなんだろう、とリサは天井を見上げた。
「人間の腹は、だいじなものがつまってて、急所なのに。お前に抱きしめられると、急所をさらされても平気だと言われている気がして、気分がいい・・・」
なるほど、と思ったが、抱きしめるという行為に急所などというあたり、考え方が物騒だと思わずにはいられなかった。急所も何も、ただ抱きしめているだけなのだが。
きっと、人の急所を考えずにはいられない、そういう部分が本来のグレンの生き方なのだろう。
すう、と静かに寝息を立てる男につられて、今日はもう寝るかとリサは窓を見上げた。
相変わらずざあざあと雨が降っている。
(うん、何も、できない)
雨だからという理由にかこつけて、自分以外の体温の温かさにつられて、リサは意識を手放した。