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源氏兄弟に飼われる話 第2話

全体公開 5780文字
2017-10-05 19:52:59
Posted by @ayame0601s



「ありがとうございましたー」

 間延びした店員の声を背に、コンビニの自動ドアをくぐった。
 街灯が、道を心許なく照らし上げる。自分のヒールの音と、手に下げたコンビニ袋が擦れる音しかしない程、辺りは静寂に包まれていた。
 夜風に当たったせいか酔いが醒め始め、少しずつ恐怖が顔を出す。
 コツ、コツ、と、コンクリートを鳴らすヒールの音。やけに大きく耳に届くそれは、緊張感を煽る。他の足音はしないか神経を尖らせ、意味なく何回も辺りを見渡した。
 行きは酔っていたためか、そこまで怖くなかった。けれど帰りは冷静さが生まれ、途端に恐怖が体に纏わりつく。

 行かなければ良かった、と今更ながらに後悔した。喉の渇きなんて、我慢すれば良かった。鶴丸がこの事を知ったら、きっと怒るだろう。

 そんな事を思いながら、こぢんまりとした公園に足を踏み入れる。ここを横切れば、家までだいぶ近道になるからだ。
 街灯はあるけれど、その明かりはなんとも頼りない。暗闇にわずかな明かりが混ざり、公園はぼんやり浮かび上がる。
 昼間は子供達で賑わう此処も、夜の闇に支配されると不気味な場所になっていた。

 風が吹き抜ける。その拍子に、ギィ、とブランコが揺れた。
 思わず肩が跳ねる。足を止め、ブランコを注視した。錆びた音を発しながら揺れるブランコには、他に不審なものがあるでもなく、風が止むとそれに合わせて揺れは小さくなっていった。
 こんなにビクビクするなら、公園に入らなければ良かった。草むらにさえ、何か隠れていそうで怖い。

 早く、通り過ぎてしまおう。

 そう思い、歩き出そうとした、その瞬間だった。

 いきなり、ガサッと草をかき分ける大きな音に、息を呑む。

 私から見て、右斜め前方の方角からだった。
 何かが勢いよく飛び出すような音。続いてバタバタと地面を踏み鳴らす聞こえ、思わず視線をそちらへ向ける。

 女の人が、走っている。

 ここからは少し離れている上に、暗いため見えにくいけれど、ただならぬ様子ではない。
 そしてその人の背後からもう一人、暗闇からいきなり、誰かが姿を現した。そのすぐ直後、二人がもつれて倒れる、派手な音が耳に届く。

 背後から追いかけていたその人は、逃げていた女性に馬乗りになる。

 下にいる女性は、抵抗するように激しく動く。けれどそれは、馬乗りになっている人物が押さえつける事で、いとも簡単に制された。
 そしてその人物が、女性に覆い被さった、次の瞬間。

 小さな金切り声が、微かに聞こえた。

 それは、闇に吸い込まれるようにして一瞬しか聞こえなかったけれど。喉から張り裂けるような、断末魔にも似たその悲鳴に、足が竦んだ。

 女性の体が、硬直したように反っている。

 その上に跨がる人物は、女性の首元に顔を埋め、覆い被さったままだ。 

 ──女性の首元に、顔を埋めて。

 これまでのニュースが甦る。

 遺体は、血液をほとんど抜き取られた状態で。

 ある専門家が言っていた。
 これは、バンパイアの仕業だと。

 首筋には、咬まれたような傷痕があるのだと──。

 女性の硬直していた体が、動かなくなった。

 一秒一秒が長く感じた。金縛りにあったかのように、その場から動けない。
 この場から、立ち去った方がいい。直感がそう告げる。あの人物に、見つからない方がいい。早く。あの人が、他に気をとられている間に。静かに、此処から立ち去らないと──。

 そう思っていた、その時。
 ドサリ、とすぐ足元で音が立った。

 咄嗟に視線を下へやると、さっき買ったコンビニ袋が、地面に落ちている。

 緊張で指先まで神経が通ってなかったのか、あろう事か落としてしまったらしい。

 ハッとして、視線を前に戻す。
 馬乗りになっていたその人が、ゆっくり、体を起こした。
 その人の柔らかそうな髪が、風に揺れる。
 そしてこちらへ顔を向け、私の姿を捉えた。

 ──っ!

 咄嗟の判断だった。
 目が合った瞬間、私は踵を返し、勢いよく駆け出した。

 まずい。目が合った。とても危険な気がする。あの人に捕まると、きっと殺される。

 恐怖に駆り立てられるように足を動かす。震える体に、無理やり鞭打った。
 ヒールで上手く走れない。でも今はそんな事を言っていられない。
 早く、早く。とりあえず、さっきのコンビニへ。此処からだとすぐ近くだ。早く、誰かに助けを呼ばないと──。

 公園から抜け出し、あと少しでコンビニに着くところだった。
 目の前に、誰かが立っている。さっきの人ではなさそうなその人影に、ホッとした。

「す、すみません! 助け……っ」

 言った口を、すぐにつぐんだ。
 ぞわりと、悪寒がしたからだ。
 走っていた足を、少し緩める。

 目の前に、人が立っていた。スラリとした体格のその人は、私を見ている。

 助けを乞おう。けれど、この人、何かが違う。

 違和感を覚えていた時、その人の瞳の奥が、妖しく光った気がした。
 瞬時に悟る。この人、危険だ。

 足を止め、後ずさった。
 長めの前髪で隠れていた片目が、風であらわになる。
 私を射ぬくその瞳に、背筋が冷える。

 コツ、と、その人が一歩前に出た。それが合図だったかのように、私の体は再び走り出す。
 怖い。なぜか分からない。でも、殺される、その感覚が私を支配する。
 必死に走った。足がもつれる。うなじから背中にかけて走る悪寒から逃れるように、ただひたすら足を動かした。

 家からどんどん遠ざかる。どこに向かっているのか、分からなくなった。行こうとする先々で、先程の人影が見え、私はその度に進路を変更する。

 そして誘導されるように、細い路地裏へ足を運んでしまった。

 しまった、と思うも、後ろから追ってくる感覚。引き返せない。

 そのまま足を進めた。
 どうか、この先どこかに繋がっていますように。行き止まりではありませんように……

 けれど、その願いも虚しく。立ちはだかる壁に、絶望感が襲った。

 心臓が、恐怖と焦りで忙しなく脈打つ。頭の先から足先まで、血液がすごい勢いで駆け回っている。すがるように、辺りに目を配らせた。どこか、出口は。でも後戻りする以外、出口が見当たらない。

 体が震える。泣きたくなるのを、必死に堪えた。嫌だ。死にたくない。それなのに、出口が他にない。

 その時、靴の音が響いた。

 暗い路地裏に、ゆっくりとした歩調の音。

 それは、一人だけのものではない。

 心臓が軋む。恐怖で体が強ばる。じわじわと、着実に獲物を追い詰めるようなそれに、息が詰まった。
 背後に立ちはだかる壁に、ピタリと背中をくっつけた。どこか逃げ場所がないかと、必死に目を走らせるも、この袋小路の出口は一ヶ所しかない。

 その唯一の出口から、二人、暗闇から静かに姿を現した。

「失敗したねぇ。見られちゃうなんて」

 一人がそう言う。穏やかな口調に、柔らかい声色。
 公園にいた人物だと、すぐに分かった。
 顔には苦笑を貼り付けている。

「兄者、殺そう」

 もう一人が、口を開いた。
 その言葉に、心臓が震え上がる。
 この人は、行く先々で道を塞いだ人物。この二人、グルだったらしい。
 私を捉える二人分の瞳が、暗闇にぼんやり浮かび上がった。
 怖い。逃げなきゃ。けれど私の足は、地に根を張ったように動かせず、体は震える事しかできない。
 そんな間にも、彼らはどんどん私と距離を縮める。

「うん、そうだね。殺っておこうか」

 兄者と呼ばれたその人は、微笑をたたえ、私から目を離さずそう言った。
 ゆっくり、私に近づく。

 嫌だ。来ないで。怖い、死にたくない……

 その思いだけが頭を占める。歯が、カタカタと鳴り出した。涙が視界に膜を作り出す。

「女性が、こんな夜中に一人で歩いていたら危ないよ。物騒な事件が起こっている事、知らないの?」

 緩和な笑みを浮かべながら、小首を傾げるその人は、歩みを止めない。
 その人から少しでも離れるように、背中で壁を強く押した。それで壁が動くはずもないのに、それしか出来ない。

「怖い? 大丈夫。すぐ終わるから」

 すぐ目の前まで来たその人は、目元を柔らかく細めた。
 けれど、その瞳は冷たくて。
 温度のない視線に、体が縛り付けられる。
 スッとその人の手が、私の首元に伸びてきた。
 冷気を纏うその手に、肩が跳ねる。心臓を、内臓を鷲掴みにされているような感覚。
 いよいよ、殺される。
 溜まっていた涙が溢れ落ちた。
 死にたく、ない──。

「あ……の、」

 震える声を、絞り出す。最後の足掻きだとは、分かっていた。
 目の前の男性は、伸ばしたその手を止める。そして不思議そうに片方の眉を軽く吊り上げ、私を見やる。
 止まった。話は、聞いてくれるのだろうか。カラカラになった喉から、無理やり声を外に出す。

「あ、の……何でも、します。何でもします、から、命だけは」

 恐怖から、言葉が途切れ途切れになってしまった。
 これで助かるとは、あまり思えなかった。けれど、何もしないで殺されるよりは、何かにすがれるなら、すがりたい。  
 男性は先程の笑みを消し、じっと私を見つめる。
 感情が読み取れないその表情に、思わず目を逸らしたくなるも、我慢する。目を逸らしてはいけない気がした。恐怖心は、ずっと胸の中に居座っている。震える歯を抑えるように、唇を強く噛み締めた。

 男性は、薄く唇を開く。
「何でも?」その唇が動いた。

 一瞬、理解が遅れる。まさか、希望が見えるとは思わなかったからだ。けれど理解した途端、私は彼の気が変わる前にと、その問いかけに頷いた。
 目の前のその人は、それを見届けると「うーん」と考えるように、視線を上へ泳がせる。

「それじゃあ、君は僕達が飼う事にしよう」

 予想もしてなかった言葉に、目を見開く。 
 男性は、微笑んだ。

 かう……飼う?  

「兄者!」

 男性の後ろから、声がした。咎めるような声。その声の主も、こちらに近づいてくる。
 兄者と呼ばれているその人は、声の主へ視線を移した。

「何だい?」
「兄者、冗談だよな?」
「いや、まじめだけど」

 その言葉に、もう一人の男性は眉をしかめたまま、目を丸くする。

「本気か?」
「うん」
「こいつに、俺達の正体がバレたんだろう」
「そうかな? 君はどう思う?」

 目の前の人は、そう私に問いかける。その時、寄越された視線に、背筋が凍りついた。
 嘘は、許されない。
 その鋭い視線に、小さく、首を縦に振った。
 その人は、私の答えに満足するように、笑みを深めた。

「ありゃ。バレちゃったみたいだね」
「それなら尚更、此処で殺しておこう」
「うーん」
「兄者!」

 対照的な二人を、ただ見ている事しか出来ない。
 兄者、という呼び名から、この一見柔らかく見える人が兄で、その兄の意見に反対している人が弟なのだろうか。
 兄らしき人は、弟に向かって口を開く。

「大丈夫だよ。この子、嘘はつけないから。きっと飼いやすい」
「そういう問題じゃないだろう。嘘がつけないなら、簡単にバラす可能性もあるぞ」
「まあ、その時は殺そうか。今日死んでおいた方が良かったと、思えるくらいの殺り方で」

 その言葉に、うなじの毛が逆立った。
 冷淡な微笑みを、私に向ける。

「僕達がこの街にいる間、一緒に暮らしてもらうよ。生活は通常通りでいい。ただ、たまに少し血を分けてもらおうか」

 笑みを絶やさないその人を、注視する。

 血を、分ける。

 この人達が何者なのか、なんとなく、本当に曖昧な予想でしかなかったけれど。
 その言葉で、よりはっきりした認識へ変わった。
 男性は言葉を続ける。

「もちろん、誰にも僕達の事を言っちゃだめだよ。もしバラしたら、さっき言った通りだから」

 さっき言った通り。頭の中で、その言葉を噛み締める。
 今日死んでおいた方が良かったと、思えるくらい。
 もしバラした時、どれだけ残虐な殺され方になるのか想像すると、ゾッとした。

「いいね?」

 彼の問いに、大きく頷く。体の震えは止まっていない。

「うん。いいこ」

 そう言って、私の頭に手を置いた彼は、私と目線を合わせるように軽く屈んだ。思わず、その動作に戦慄する。
 彼の瞳と、間近で視線が合った。
 暗くて分かりにくいけれど、色素の薄そうな瞳は、日本人のそれではない。
 ただ、その瞳の奥は、ひどく冷めたもので。人間のものでもないように感じる。

 この場で殺される事は無くなったのだろうか。
 静かに視線をずらし、弟らしき人へ目をやると、彼は不快感をあらわにして私を見ていた。
 咄嗟に、視線を避ける。

「君の名は?」

 すぐ目の前の人に聞かれる。一度唾を飲んで、怖々と自分の名を答えた。
 私の名を耳にした彼は、確かめるように呟いた後、自分の名を口にした。

「僕は髭切、で、こっちの弟が……
「膝丸だ」

 膝丸と名乗ったその人は、素っ気なく言い放つ。
 髭切、と、膝丸。
 てっきりその風貌から、ましてやバンパイアという事から、外国人だと思っていたけれど。イメージとかけ離れた組み合わせに呆気に取られていると、不意に名前を呼ばれ、髭切と目を合わせる。

「これからよろしくね」

 そう言うと、彼は私の頭に置いていた自身の手を、私のうなじへ滑らせる。
 心臓が緊張したのも束の間、彼は唇を、私の首筋へ這わせた。
 ひんやりと冷たい彼の唇が、首元に触れる。
 そして痛みも感じる事なく、いきなりふっと、目の前が真っ暗になった。


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