@ayame0601s
太陽の光が、瞼越しに瞳をさした。
徐々に覚醒してくる意識。感じる自分の呼吸のリズム。
一度目を強く瞑り、静かに瞼を開ける。
視界に、白い天井が映った。
体をゆっくりと起こす。その際、くらりと視界が揺れた。立ち眩みのようなそれに、目を瞑り、しばらく耐える。
治まったところで再び目を開け、室内を見回した。
そこは、見慣れない部屋だった。
白を貴重とした部屋は、随分殺風景だ。このベッドと、机と椅子があるくらいで他に何もなく、生活感が感じられない。明らかに、私の部屋ではなかった。
此処は、一体どこなのだろう。
記憶を呼び起こすため、昨夜を思い出そうとした途端、すぐにハッとする。
脳裏に浮かんだのは、あの二人の姿だった。路地裏での記憶が甦る。
追われる感覚と、殺される、恐怖。そこから遡るように、公園での出来事が思い起こされる。
だんだんとはっきりしてくる映像に、ギュッと体を縮みこませた。私を殺そうとした、あの二人。冷酷で、残忍で、ヒトではない二人のシルエットが、頭の中で再生される。
けれど、不思議な感覚だった。暗闇でのあの出来事は、まるで夢だったかのような、曖昧さを感じる。朝日がそうさせているのだろうか。
窓からさす太陽の光は、淡く、とても穏やかなものだった。昨日の事は嘘だったかのような、暖かい光。その光は寝起きには眩しくて、目を細めた、そんな時。
いきなりドアをノックする音に、体が震えた。
音のする方へ視線をやる。
もう一度ノック音が聞こえた後、そのドアがゆっくりと開かれた。
「ああ、起きていたかい? おはよう」
にこやかな笑みを浮かべるその人は、記憶の映像と全く同じ人で。
夢ではなかった、と、肩を落とした。
明るい所で見ると、昨日と少し違う印象を受ける。光に当たると、透き通るようなクリーム色の髪。白い肌と蜂蜜色の瞳。昨日は恐怖しかなかったため気づかなかったけれど、随分整った顔立ちをしている。
それに、どこからどう見ても目鼻立ちのはっきりしたその顔は、やっぱり日本人には見えない。暗闇で獲物を狩るような冷淡さも、今は感じられなかった。
彼の言葉に「おはよう、ございます」と、恐る恐る挨拶を返した。
「気分はどう?」
壁に凭れ、腕組みをするその人が問いかける。
どうも、何も。
無意識に掛布団を引き寄せ、彼と壁を作った。
「大丈夫、です」
昨日の恐怖が、まだ抜けていないらしい。発した言葉は、若干震えてしまった。
彼は「そう、良かった」と口にする。
「昨日、少し貰いすぎちゃったから。ごめんね」
その言葉に、何を、と思ったけれど、はたと気づく。そっと自分の首筋に手を伸ばした。けれど、触るだけでは咬まれた傷口が見つけられない。
「っはは。牙の痕を残すような、下等な真似はしないよ。少し、アザは残しちゃったけど」
そう言って首を傾げると、彼は自分の首筋を人差し指で軽く叩いた。
「左側。約束の証」
言われて、私は首の左側を擦る。血を吸われた事も、どうやら夢じゃないらしい。
彼はそんな私を見て、くすりと笑う。
「朝食、買ってきたから。居間においで」
そう言うと、彼は踵を返して部屋から去っていった。そんな彼の背を見送った後、姿が見えなくなっても部屋の出入口をじっと見つめた。
整理しなくちゃいけない事が、多すぎる。これから、どうしていくのかも。
──どうしていくもなにも、ないか。彼らの言う通りにしないと、殺されるのだから。
首を押さえていた手が、震えているのに気づいた。静かに深呼吸すると、私はゆっくりベッドから降りた。
一歩一歩、確かめるように家の中を歩き、居間に向かう。
ここは一軒家だった。私が寝ていたのは二階だったらしい。居間は一階にあるだろうと、階段を降りる。造りは、決して古くはない。フローリングの床に、白い壁。比較的、新しくも見える。
一階に降りると、一室からテレビの音が漏れていた。怖じけながら、室内を覗く。
居間はそこそこ広かった。居間というか、ダイニングキッチンだ。
食卓テーブルに、さっきの人……髭切が座り、ティーカップ片手に新聞を読んでいる。
大きなテレビの前にあるソファーでは、確か膝丸と名乗っていたその人が、片膝を立ててテレビを観ていた。
昨日の、あの恐ろしい雰囲気とは打って変わり、その光景は至って普通のもののように見えた。人を殺そうとしていたとは、到底思えない。
「ああ、来たね。こっちにおいで」
髭切が私に気づく。膝丸は私を一瞥すると、またすぐにテレビへと視線を戻した。
「何が好きなのか分からなかったから、適当に買ってきたけど。好きな物をお食べ」
にっこり笑ってそう言うと、椅子に座るよう促す。私は彼から一番遠い席へ座った。
テーブルに、コンビニで買ってきたであろうパン類やお握りがある。
「紅茶、飲む?」
勧められ、迷った。きっと、彼が飲んでいる紅茶と同じものだろう。
そんな、得体の知れないもの。
けれど、そういえば昨夜から何も飲んでいなく、体は極度に脱水をしていた。
渇きに勝てず、小さく頷く。
「いただいても、いいですか?」
「もちろん。カップを出すよ」
髭切は席を立つと、甲斐甲斐しくカップとソーサーを用意してくれた。その様子に、本当にこの人は昨夜の人と同一人物なのか、疑いたくなる。
「どうぞ」
差し出された紅茶から、香りがたつ。ハーブか何か入っているのだろうか。不思議な香りだった。
髭切は席に座ると足を組み、再び新聞を読み始める。膝丸は相変わらずテレビの前から動かない。
膝丸の髪は、日に当たると薄い緑色に見える。色素の薄いその色は、染めたような発色の仕方ではなかった。地毛、なのだろうか。髭切も膝丸も、日に当たると、その端整な姿形がより際立って見えた。
そんな二人を見て、色々と疑問が生まれる。
この人達、バンパイアなのに、太陽の光に当たっていいのだろうか。
「聞きたい事があるなら、なんでも聞いていいよ」
髭切が、新聞に視線を落としたまま言う。その言葉にギクリとした。
「これから一緒に住むんだしね。答えられる範囲なら」
新聞を捲る音と、テレビの音。二人に目を配る。
そっと息を吸い込むと、私は口を開いた。
「貴方達は、本当にバンパイア、なんですか?」
私のその質問に、髭切が吹き出した。
「あははっ、そこからか。まあそうだね、根本的な所だしね」
髭切の牙のようにも見える八重歯が、笑った際に口元から少し覗いた。彼は笑いがおさまらないのか、喉の奥でクツクツ笑みを溢す。
「そうだよ。僕も弟も、君達が言うバンパイアと違いない」
「太陽の光は、大丈夫なんですか?」
「うん。全然。おとぎ話は面白いよねぇ。色々な解釈があるから」
「日本人じゃ、ないですよね?」
「そうだね。この国に住むのは長いけど。僕はどこで生まれたっけなぁ……まあ長く生きていると、大抵の事はどうでもよくなるんだよね」
「血を吸わないと、生きていけないんですか?」
「うん。あ、根本に戻った」
彼はまた笑うと、私へ視線を寄越した。
「だから、僕は君を飼う事にしたんだよ」
愛想の良いその笑顔の裏側には、やっぱり冷たさが含まれていて。ヒヤリと冷たいものが背中を流れる。
髭切は一度目を細めると、再び新聞と向き合った。
「……昨日の女の人は、どうなったんですか?」
めげずに、私はもう一つ質問をする。今朝目が覚めて、ずっと気になっていた事だった。
カサリと、髭切が新聞を捲る。
「殺したよ。君が見ていた通り」
淡々とした声で、彼はそう言った。そこに戸惑いや心の乱れは全く無いような、単調なものだった。
やっぱり。
あの場を思い出し、心臓が締め付けられた。
やっぱり、この人は、昨日私が受けた印象通りの、冷酷な殺人犯だ。
「それだけ?」
彼のその問いに、静かに頷く。
「さて。それじゃあ、まず君の私物を運ばないとね。僕達は今日やる事があるから手伝えないけど、一人で出来るかい?」
その問いかけにも、はい、と小さく頷いた。
紅茶から立つ湯気を見つめる。ゆらゆらとしているその湯気は、とても頼りなく、すぐに消えていく。
私は、これから一体どうなっていくのだろうか。