@ayame0601s
「やられたね」そう言った髭切は溜め息をついた後、食事を再開する。
カチャ、と食器の鳴る音がやけに響いて聞こえた。テレビでは速報は終わり、別の話題に移っている。
何が、やられたというのだろう。死体が見つかってしまった事? 疑問に思っても、質問は出来なかった。
目の前にいるのは、紛れもなく人を殺めた人達で。殺人犯と同じ空間にいるという事に、体が萎縮する。
言葉を発する事なんて出来ず、おずおずと私も食事を再開した。
「あいつ、おとりだったのか?」
膝丸が言った。口に入ったカレーをゆっくり咀嚼しながら、彼を盗み見る。
膝丸はソファーの背凭れに片腕を回し、今は話題の変わったテレビを見つめたまま、声だけで問いかけていた。
「そうかもね」
今度は、髭切が言う。食事が終わったらしく、スプーンを置くと、頬杖をついてテレビに視線を向けた。
髭切のその言葉に、膝丸が小さく舌打ちをする。
「そんなに頭がいいとは、思えんがな」
「まあ、まだ分からないよ」
「兄者、これからどうする?」
「んー、誰か生け捕りにしようか」
不穏なその会話に、思わず体が固まった。
生け捕り。誰を? 警察? 生け捕りにした後、どうするつもりなのだろうか。捕まえました、すぐ逃がしました、なんて単純な事にはならないだろう。
髭切が、ふと私に視線を寄越した。条件反射のように、その瞳に体が緊張し始める。
「君はきっと勘違いしてると思うけど」髭切はそう口を開いた。
「さっきの遺体、昨日僕が殺したのとは別だよ」
私の思考を見抜いていた彼は、訂正をする。
私はそんな彼の言葉に「そうですか」としか返せなかった。
じゃあ、見つかった遺体は一体誰のものなのだろう、なんて心の中で湧いた疑問を察するように、髭切は説明を始める。
「たぶん、そのうちニュースで言われるんじゃないかな。遺体の首筋には、前回と同様、咬まれたような傷痕がありました。ってね」
髭切は、視線を私から再びテレビへと向ける。その際、面白くないと言いたげに、小さく息を吐いた。
「わざとらしい、ふざけた真似を」
そう溢した髭切を見ながら、ふと思い出す。
今朝、髭切が言っていた言葉。牙の痕を残すような、下等な真似はしない。と、確かそう言っていた。
彼が言いたい事に気づき、「あ、」と思わず漏らすと、髭切は頬杖をついたまま視線だけ私に向けた。
「君は僕達みたいな存在がいる事、まだどこかで疑ってない?」
髭切に質問され、言葉が詰まる。
疑っているか疑っていないかといったら、正直、疑っている方が強い。まだ、信じきれていないのが本音だった。人の形をした、人の血を吸う生き物がこの世にいるなんて。
彼の質問にどう答えようか迷うも、なんとなくこの人には、嘘をついてはいけない気がする。
「……正直、信じきれていないです。おとぎ話だと思っていたので」
躊躇いながら言うと、髭切は顔もこちらに向けて笑みを溢す。
「そうだよね。だからこそ、この国は住みやすい」
そう言って、言葉を続けた。
「本当はさ、世界中を探せば、僕達の仲間はひっそりと存在しているんだよ」
「え……」
「数は少ないけどね。今や僕達の存在は架空のものになっているけど、海外ではまだ信じている人達もいるし」
「そう、なんですか」
「うん。カルト集団とかがあるの、知らない?」
髭切の言葉に、そういった話を聞いた事があるか、記憶を辿ってみる。
バンパイアのカルト集団。
少なくとも、日本でそんな話を聞いた事はなかったため、髭切の質問に「いいえ」と首を横に振った。
髭切は私の答えを聞くと、再び口を開く。
「僕達を崇めたり、僕達のようになろうと、本気で色んな事をする人間もいるんだよ。動物や人間を生け贄に儀式したりさ」
「滑稽以外の何物でもないな」
膝丸が、髭切の説明に加えるように言葉を吐き捨てた。そんな弟に「本当にね」と兄は苦々しく笑う。
「まあ、そんな風に海外では色濃く残っているから、変に信仰心のある人間もいてねぇ。僕達を見つけたら、殺そうと躍起になる輩もいるし」
そう言うと、髭切は何かを思い出そうとするように「うーん」と唸り、視線を上へ向けた。
「ねえ、あれはどこだったっけ。ニンニクと十字架と杭を持った集団に襲われたの」
「確か欧州だった」
「イギリスだったかな。そんな事も、この百年のうちに数回あったよ。さすがにあれは笑えなかった」
「あんな集団、久しぶりに見たな」
髭切と膝丸が、懐かしむように会話する。けれどその内容は非現実すぎて、すんなりと頭に入ってこなかった。
百年……本当だったら、この人達、何年生きているのだろうか。それに、本当にニンニクだったり十字架だったりに弱いのだろうか。
そんな事を不思議に思っていると、髭切は私のそんな顔を見て「ん?」と微笑みながら首を傾げた。
「今、何かに興味持ったね。ニンニク? 十字架?」
「あ、いえ……本当にそういうのに弱いのかな、と思って」
「弱点知りたい?」
「え! いや、違います、そういうつもりじゃなくて、」
なるべく大人しく過ごしたいのに、隙を狙っていると勘違いされては困る。言葉は途切れながらも、必死にその意はない事を伝えた。髭切は冗談で言ったのだろう。楽しそうに笑っている。勘弁してほしい。膝丸は横目で、鋭い視線を私に送ってきた。ああほら、あれは私を疑っている。胃が痛い。
「話が逸れちゃったね。ええと、なんだったっけ」
「……兄者、事件の事だろう」
「ああ、そうそう。そうだった」
それで、と髭切は説明を再開する。
「カルト集団って、最近は日本にもいるんだよ。どれも所詮、ただの人間の集まりなんだけど」
「そうなんですか……」
「普通なら放っておくんだけど、今回はどうも違うみたいでね」
髭切の言葉を、頭の中で何回か復唱する。
彼の言いたい事は、きっと、
「一連の事件は、貴方達の仲間が関与しているんですか?」
そう質問すると、髭切は苦笑する。その時、膝丸が、ふん、と鼻で笑ったのが聞こえた。
「仲間だなんて、あんなのと一緒にされると虫酸が走る」
「あ、すみません……」
「言い方」
膝丸の言葉に体が縮み込み、思わず謝ると、髭切は弟の言い方をたしなめた。膝丸から嫌われている感じがひしひしと伝わる。
「仲間といっても、お互い面識ないんだけど」と髭切が続ける。
「目立ちたがり屋さんなんだろうねぇ。牙の痕をわざわざ残すなんて」
「一族の恥さらしだな」
「うん。まあ恥をさらすだけなら、百歩譲っていいとしてさ。もし、未知の生物疑いのものを捕まえたら、人間達はどうすると思う?」
髭切に聞かれ、考える。答えはすんなりと浮かんだ。
「人体実験、ですか?」
「そう。可能性としてはあるよね」
「でもそんな事したら、政府は世間から非難されるんじゃ」
「そんなの、極秘に行われるよ。公になんてしない。死刑判決にした後とか、やり方なんて沢山あるし」
はぁ、と髭切は溜め息をついた。
「僕達の存在が明るみに出ると、非常に生きにくくなる。せっかく、架空の存在として扱われるようになったのに」
至極残念そうに彼は呟くと「だから僕達はこの街に来たんだ」と言った。
「警察に捕まる前に消しておかないと」
「全く、面倒な事この上ない」
「ね。少し、おいたが過ぎる」
髭切と膝丸は、不穏な会話をしている。 彼らはそのまま、今後どうするかの話し合いに移った。私は自分のお皿に視線を落とす。そういえば、まだ食事の途中だった。
早く食べきってしまおう、と、残りのカレーを口に運んだ。
夕食が終わった後、そそくさとお風呂場へ向かった。
尚も話し合っている二人に「お風呂いただきます」と、努めて冷静に断りを入れ、部屋を出た。何かあると困るための、予防線だ。何もないとは思うけれど。彼らにとって、私は飼い犬ならぬ飼い人、なのだから。食料でもあるのだから、家畜? そう考えると何だか切なくなり、考える事を放棄した。
湯船につかり、深く息を吐く。綺麗な浴室。今まで緊張していた体が、ほぐれていくのを感じた。
……とてつもなく、疲れた。
これからの生活が思いやられる。肩まで湯船に浸かりながら、さっきの会話を思い起こした。
結局、昨日髭切が殺した女の人は誰だったのだろう。膝丸の言っていた「おとり」とは、彼女の事だろうか。それなら、髭切の言ったカルト集団の一味だったのかもしれない。生け捕り云々も、そのカルト集団の誰かを指していたのだろう。
頭の中で、話をまとめようと目を閉じる。
最近起きている一連の事件は、髭切達と同じ、バンパイアが束ねているカルト集団で。髭切と膝丸は、そのバンパイアが捕まると困るから、そのカルト集団を消し去ろうとしている。
という事はつまり、目的は違えど、あの二人はこの事件の被害を食い止めようとしている、という事になる。
そこまで思って、苦笑した。あまりにも、非現実すぎる。私はあの二人に騙されているんじゃないか、とまで思えてきた。
だいたい、彼らの存在を知られたくないなら、髭切は私に話し過ぎじゃないだろうか。私は言わないと、本当に信じているのだろうか……というより、いつでも殺せると思っている方が、正しいかもしれない。
考えると、余計に疲労が襲ってくる。
鶴丸と、光忠に会いたい。この事を言える訳じゃないけれど、無性に二人に会いたくなった。
このやり場のない思いを紛らわすように、お湯の中に頭までズルズルと埋めた。
お風呂から上がり、自室へと向かう。
途中、居間の前までさしかかると、中から光が漏れているのに気づいた。テレビの音も聞こえる。まだ二人はいるのだろうか。一応、挨拶をしてから就寝しようと思い、中を覗くと、そこには髭切だけが居た。
椅子に座り、ノートパソコンと向かい合っている。彼は先程と違い、眼鏡をかけていた。
まじまじと見ていた私に気づくと、髭切はこちらを向いた。
「ああ、上がったんだね。もう寝るの?」
「あ……はい。おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
穏やかに微笑み、再びパソコンに向き合う。やっぱり掴めない人だなあ、と思いながら階段を上がり、自室へ足を進めた。
膝丸は居間には居なかった。もう部屋に戻ったのだろうか。この一日で、髭切よりも膝丸の方に苦手意識が強く出ているため、正直、彼と顔を合わさずにすんだのはホッとしていた。
それなのに。
私の部屋のそばで、壁に背を凭れ、腕組みをして立っている人物に足を止めた。
膝丸は私に気づくと、温度のない視線を向けてくる。睨まれているわけではない。ただ、顔をこちらに向けているだけだ。それなのに、その視線は鋭くて、心臓が震え上がった。
ここで引き返せるはずもなく。彼の瞳は、既に私を捉えているのだから。それに、ここを通らないと、自室へは辿り着けない。
足を一歩踏み出す。彼に挨拶をして、ササッと部屋に入ろう。そう思い、咄嗟に避けてしまった視線は戻す事なく、足早に彼を通りすぎようとした。
「おやすみなさい」そう言いきろうとした時だった。
彼の前を通り過ぎる瞬間、いきなり腕を掴まれて引かれた感覚と共に、背中を強く打った。
突然の痛みに、目を瞑る。腕を引かれて壁に背を打った事は、すぐに分かった。思わず抗議しようと顔を上げると、冷たく見下ろす膝丸の顔が目の前にあり、息を呑み込む。
思った以上に背が高い彼に、逃げ場を奪われ、威圧感と恐怖が私をじわりと襲う。
感情のないその表情に、目を逸らした。
「な……何か、用ですか」
喉から絞り出した声は、か細くなってしまった。もっと、堂々とした声を出したかったのに。気丈に振る舞いたいのに、体は正直にも恐怖心から震え始める。
「自分の立場を、きちんと理解して貰おうと思ってな」
声が降ってくるのと同時に、顎を掴まれた。膝丸は自分と視線が合うように、無理やり私の顎を掴み上げる。
合った視線に、温かみは感じない。
膝丸は私の瞳を捉えながら、口を開いた。
「なあ、まだ信じきれていないんだろう? 自分が置かれている立場を。そんな生温い感覚でいられては、困るんだが」
膝丸の問いに、答えられない。歯が震え始めたのは、きっと私の顎を掴んでいる指先へと伝わっているだろう。
膝丸は目を細め、嘲笑した。
「俺は兄者のように優しくない。君は自分がいる状況を、今一度肝に銘じておくんだな」
そう言うと、彼は掴んでいた私の顎を、更に上へと上げた。首筋があらわになり、近づく彼の顔に、体が緊張する。
膝丸は、咬みつくように私の首筋へ触れた。
咄嗟に目を強く瞑る。チリッと微かに彼の犬歯が当たる感触に、内臓が震えた。
痛みが襲ってくると身構えた。しかし次の瞬間、体の芯を走ったのは、ゾクリとした痺れだった。それは決して気持ち悪いものではなく、むしろ甘くも感じるもので。
予想外の感覚に困惑したのも束の間、続いて襲ってきたのは頭から血の気が引く感覚だった。
色々なものが一度に襲ってき、堪えきれず腰が抜ける。
壁に沿いながら倒れ込む私を、膝丸は手の甲で自らの唇を拭いながら見下ろした。
その瞳は昨夜の、あの獲物を追い詰める時と同じもの。
やはり彼は、彼らは、闇の生き物なのだと、再確認せざるを得なかった。