X以外のSNSでの投稿にはPrivatter+がおすすめです

源氏兄弟に飼われる話 第6話

全体公開 5331文字
2017-10-05 20:09:00
Posted by @ayame0601s



 目が覚めた時には、お昼近くになっていた。
 外の明るみに飛び起き、時計を見て、しまった大遅刻だ! と一瞬肝が冷えるも、今日は日曜日だと思い出す。いきなり上体を起こした事で目眩がし、くらりと頭が揺れた。ゆっくり体を再び寝かせて、じっとそれが過ぎ去るのを待つ。
 じんわりと脳に血液が行き渡るのを感じながら、ああこの貧血は昨日のせいだ、と頭の片隅で思い出した。
 冷たい瞳。首筋に咬みつくように触れた唇。捕食者と被食者の関係……感じた威圧感は、思い出しただけでも身震いする。
 彼、膝丸の事が怖くて仕方ない。あの刺すような瞳が怖い。膝丸だけじゃない、髭切だってそうだ。穏和な雰囲気の裏に隠れている冷酷さ。人ではない、人ならざるもの。
 どう足掻いても、抗えない。私の命は本当に彼らに握られているのだと、否応なしに実感させられた。
 これからどうなるのか、不安は尽きない。現実逃避したくて、布団から出たくないと体を丸めた。しかし、その途端にお腹がエネルギーを欲して音を出す。なんとも、体は状況構わず正直なものだと溜め息をつき、私はゆっくり布団から這い出した。

 起きたのが遅いせいか、居間には誰もいなかった。その事に心底ホッとする。二人は出掛けたのだろう。ふと、昨日髭切が話していた「生け捕り」の事を思い出した。
 今日はその生け捕りをしに、出掛けているのだろうか。なんとも物騒な話だなあ、なんて思いながらテーブルの上に視線を向けると、そこには昨日と同様、コンビニで買ったであろうパン類と、小さな置き手紙があった。

 おはよう。朝食置いておくね。

 あまりに達筆なその字に、目を丸くする。日本人顔負けの綺麗な文字も、目を覚ますには十分な程驚いたけれど、それよりも添えてある手紙の方に衝撃を受けた。
 書き言葉からして、兄の髭切だろうか。わざわざ、置き手紙をしてくれるなんて。
 彼らにとって私は飼っているにすぎないのに、気を遣っているようなその行動に、不意を打たれた。人を簡単に殺められる程の冷酷さを持っているのに、こういう事をされると、つい騙されそうになってしまう。
 普通の、それ以上に気遣いのできる人間なのだと、つい錯覚してしまいそうになり、私はその錯覚を振り落とすように頭を振った。

 遅い朝食、というよりもはや昼食を食べ終え、特に何もする事がなかったため、買い出しに出向いた。
 昨日のカレーはまだ残っているため、今夜もまたカレーだけれど、カレーが無くなった後の食材がない。休みのうちに買いだめをしておこうと、近所のショッピングセンターに足を運んだ。
 食材コーナーへ行く途中、こぢんまりとした本屋の一角を通り過ぎる。その際、ふと目に入った平積みの文庫に、足を止めた。

 吸血鬼を題材とした本だった。

 確かに今現在、あの残虐な事件のせいで、世の中には吸血鬼に関する本が出回っている。吸血鬼の歴史やら、憶測やら、モデルとした小説やら……。平積みになった文庫の表紙は、いかにも「吸血鬼です」というものだった。鋭い目つきと、獣のような牙。口から滴る血液。それをぼんやり見つめながら、あの兄弟を照らし合わせた。
 そういえば彼らは、随分と整った姿形をしていた。美しいから獲物を誘いやすいのだと、昔、何かで読んだ事があったけれど、そのためだろうか。
 文庫を手に取り、パラパラとページを捲る。途中の挿し絵で、十字架にたじろぐ吸血鬼の姿が描かれていた。それを見ながらふと思う。
 昨日は聞けなかったけれど、彼らは本当に、十字架やニンニクが苦手なのだろうか。

「十字架って、少しゾクッとするんだよね」

 背後から聞こえた声に、肩が跳ねる。聞き覚えのあるその声に反射的に振り返れば、予想通り、髭切の姿がすぐ近くにあった。
 髭切は後ろから覗き込み、私の手元にある本に視線を落としながら、言葉を続ける。

「僕や弟みたいに血の濃いバンパイアには効かないけど、一部の血の弱いバンパイアには効くし、おとぎ話もあながち間違ってないかな」

 周りに聞こえないようにか、囁くように言われた言葉。私の肩越しに覗く彼の顔はあまりに近く、しかもふんわりいい香りがするものだから思わずドキリとするも、すぐ様別の理由で心臓が緊張し始めた。
 隠し事が見つかってしまった時のような、居心地の悪さが襲ってくる。まさか、よりによって吸血鬼関係の物を読んでいるところを、本人に見られてしまうなんて。 
 これが膝丸だったら、私に対する疑念がより強くなったに違いない。けれど髭切は、全く気にしていないのか、少し離れて視線を私に移すと、緩やかに笑った。

「君は買い物?」
「あ……はい。髭切、さん、も買い物ですか?」

 そういえば彼の名を呼ぶのは初めてだと思いながら、一応、さん付けで呼んでみる。
 彼は名を呼ばれた瞬間、一時目を見開いたものの、すぐいつもの笑顔に戻った。

「うん。僕は新しい小説でも買おうかと。君は?」
「私は、食材を買いに……

 彼らと話す時、つい言葉が尻すぼみになってしまう。やっぱり、どうしても恐れの気持ちが出てしまった。
 バンパイアでも小説を読むんだ、なんて事を思いつつ、チラリと辺りを見回す。膝丸の姿が見えない事に、内心安心した。

「それじゃあ、私はこれで失礼します」

 早いところ立ち去りたくて、会話を打ち切る。頭を下げて、一歩踏み出そうとした瞬間、「僕も一緒に行こうかな」なんて言葉が聞こえ、足を止めた。
 にこやかに微笑む髭切の顔が、視界に映る。

「今夜は何?」
「あ、今夜は、まだ昨日のカレーがあるんですけど」
「そっか。そしたら、次の献立かな。何を作ってくれるの?」
「え、いや、まだ決めてないです」

 私のその言葉に「じゃあ食材見ながら考えようか」と言うと、彼は食材コーナーの方角へと足を向けた。
 何を作ってくれるの、って、もしかしてまた食べてくれるつもりなのだろうか。
 自然と次の夕飯も一緒に取る事と、それにこれから一緒に買い物する事が決まり、呆然と立ち尽くしてしまった。
 髭切はそんな私を不思議そうに振り返ると、「行こ?」と小首を傾げて誘ってくる。
 やっぱり、なんだか掴めない人だなあ、と思いながら、拒否するわけにもいかず、私は彼の後を追う事にした。

 それにしても、私が取るような食事は、彼に必要ないのではないだろうか。野菜コーナーでジャガイモやらをしげしげと見つめる彼に、その質問を投げ掛けてみた。すると「うん、必要ないね」とあっさりした答えが返ってくる。

「僕達のエネルギー源にはならないけど、食べられないわけじゃないよ」

 その言葉は、進んでは食さない、と言っているようにも聞こえた。膝丸の言葉を思い出す。「そんな人間の餌に、興味ないな」
 昨日髭切が食べてくれたのは、きっと私の申し出に気を遣ってくれたためだろう。膝丸の言葉と、そういえばカレーの匂いを嗅いだ時にしかめた眉は、もしかしたら味覚も嗅覚も、私達人間とは異なる事を示していたのかもしれない、と今更ながらに思った。
 それはそうか、人間の血を好んで飲む生き物なのだから。そうすると、昨日髭切が食べたカレーは、彼の口に合わなかっただろう。
 なんとなく申し訳ない事をしてしまったような、納まりの悪い気持ちが込み上げてくる。
 意を決し「あの、」と始めた声は、自分でも情けないほど弱々しいものだった。
 髭切がこちらを向いたことを確認して、口を開く。

「夕飯、の事なんですが」
「うん。決まった?」
「あ、いや……夕飯、無理に食べなくて大丈夫ですよ」

 言い終わると、髭切は数回瞬きしながら私を見た。
 顔立ちが綺麗だからか、それとも胸の奥に巣食う恐怖心からか、見つめられるとなんだか落ち着かない。
 その視線から逃げるように、彼から目を逸らしながら言葉を畳み掛けた。

「私が取る食事は、お口に合わないんじゃないかと思って……
「ああ。なんだ、そういう事か」

 理由に納得したのか、髭切は口元に笑みを浮かべる。

「確かに、僕達と君達とは味覚が少し違うかな」
「そうですよね」
「でも、昨日君が作ったカレー、美味しかったよ」

 髭切の顔を見上げると、彼は混じりけのない微笑みをたたえていた。
 苦笑いをしているわけでも、気を遣って作っている笑顔でもない。そのままの本心で言っているかのような表情に、今度はこちらが数回瞬きをする事になる。

「君達の食事を美味しいと思う事はあんまりないんだけど、なんでかな。昨日のカレーは美味しかった」
「そう、ですか……ありがとうございます」
「うん。不思議だねぇ。血、混ぜた?」
「え? いやいやいや、そんな事してませんよ」

 焦る私を見て、髭切は楽しそうに笑う。この人、そういえば昨夜もこういう屈託のない笑顔をしていた。なんの時だったかな……と記憶を巡らせて行き着いたのは、ニンニクや十字架の話の時だ。弱点云々の時。冗談を言って、私をからかっていた時にも、こんな風に温かみのある、可愛らしくも見える笑い方をしていた気がする。
 そのギャップに、つい彼を信用してしまいそうになるも、やっぱり彼らを怖いと思う気持ちは抜けきらない。
 髭切は一通り笑いがおさまった後、「だからさ」と続けた。

「また、僕にも作ってくれる?」

 笑顔そのままで、そう言われてしまえば。正直、嬉しさが胸に広がってしまう。
 複雑な気持ちで「あんなもので良ければ」と首を縦に振ると、髭切はその笑みを深めた。
 やっぱり不思議な人だな、と、いつの間にか私も力が抜けるように頬が緩んでいた。

 結局、肉じゃがの材料を買い、帰路につく。私がビニール袋に食材を詰め込むと、髭切は何も言わず、至って普通にその袋を持ってくれた。その紳士さに、目を剥く。

「あの、ありがとうございます」
「ん?」
「ビニール袋……
「あはは。これくらいでお礼言ってくれるなら、何回でもするよ」

 そう言った彼は、並んで歩く時も道路側に立ってくれていたし、とにかく紳士だった。それも自然とした動作で、わざとらしくも、嫌味があるものでもない。
 この人は、本当に私を殺そうとし、あまつさえ実際、女性を殺めた張本人なのか、疑いたくなる。
「君は、明日は仕事かい?」並んで歩いている最中そう問われ、はい、と頷いた。

「私は……普段通りに出勤してもいいんですよね?」
「もちろん。僕達も明日出掛けるけど、たぶんそんなに遅くならないと思う」
「分かりました。そういえば、今日は膝丸、さん、は一緒じゃないんですか?」

 今更だけれど、ふと思う。てっきり、いつも二人で行動しているものだと思っていた。

「うん。今日は──」

 髭切の言葉が、そこで途切れる。私は前を見ていた目を、彼へ向けた。
 髭切は視線だけ後方へ向けていて、私の視線に気づくと、何事もなかったように笑みを作った。

「今日は、弟とは別行動なんだ」
「え……あ、そうなんですか。髭切さんは、もう用事いいんですか?」
「うん。どうだろう。まだもうちょっとあるかな」

 なんとも曖昧な返事が返ってくると同時に、携帯のバイブ音が耳に届く。髭切はポケットからスマホを取り出すと「ちょっとごめんね」と私に断り、電話に出た。

「もしもし。……ああ、だよねぇ。うん。……うん、そうしようか」

 短い会話の後、髭切は電話を切る。
どうしたのかと彼を見上げる私に対し、「申し訳ないんだけど」と言葉を紡いだ。

「これから君を駅まで送るね。そこからタクシーで、なるべく遠回りして帰ってほしいんだ」
「え……
「いいね?」

 浮かべた笑みは、有無を言わせないような色を孕んでいたため、私は勢い余って二回頷いた。きっと、これ以上、首を突っ込んではいけない。
 髭切はそんな私を見た後、目元を緩めた。

「今夜、僕達の帰りを待たなくていいからね。君のペースで食事をして、入浴も済ませていていいから」

 駅に着いてタクシーに乗り込む際、彼は私にそう言った。
 その言葉に、私は承諾の意を表す。
 買い物をしていた時とは、明らかに彼を纏う空気が変わっていた。
 何があるのか聞いてみたいけれど、それは私には出来ない。踏み込んではいけない領域なのは、ひしひしと感じる。
 だいたい、本来なら家まで徒歩で行ける距離。それをわざわざ駅まで行き、タクシーを使わせるなんて、あまりいい予感がしないのは確かだった。
 髭切は、十分量のタクシー代を私に握らすと、手を振って私を見送る。
 パタン、とドアが閉まる音。続いてエンジンのかかる音を耳に入れながら、窓越しに髭切の顔を見た。
 彼の笑顔はもう、あの屈託のないそれではなかった。



投稿にいいねする


© 2026 Privatter All Rights Reserved.