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源氏兄弟に飼われる話 第10話

全体公開 5586文字
2017-10-05 20:35:57
Posted by @ayame0601s



 ベッドに投げ出された携帯が着信を知らせる。これで、二回目。脳裏に相手の姿を思い浮かべながら画面見れば、そこには想像通り、鶴丸の二文字が示されていた。
 ボタンを押そうと伸ばした指を、躊躇う。電話に出て、なんと言えばいいのだろう。その答えを、いまだ出せずにいた。
 ついさっき別れたにも関わらず、わざわざ電話をかけてくるなんて。きっと、彼は髭切と膝丸の事を気にしているに違いない。
 別れ際の、鶴丸の顔を思い出す。何かを言いたげなあの表情。
 鶴丸は髭切の事を見た時から、いつもとは明らかに雰囲気が違った。何か思うところがあったのは、明確だった。彼が髭切に対して何を思ったのか、聞いてみたい。けれどその話をするには、私がどういった経緯で髭切や膝丸と知り合ったのか、話さなければいけないわけで。
 なんと話せばいいのだろう。深く追求された時に、果たして上手く誤魔化す事が出来るだろうか。
 そうやって思い悩んでいる間に、着信は途切れた。どうしよう、かけ直した方がいいのだろうか……そう考えていれば、ラインに短い文章が届く。

〈無事か?〉

 たった、一言。けれどその一言に、意表を突かれた。
 何故、鶴丸はその言葉を送ってきたのだろう。私の身を案じるようなその言葉が出るぐらい、彼はあの場に違和感を覚えたらしい。
 鶴丸は、昔から鋭かった。人の些細な動きをよく見ていて、その場の空気を瞬時に読む。だからこそ、社長という皆を纏める立場になれたのだろうけれど、彼はその鋭い洞察力をあの場でも発揮したらしい。
 これでは、ますます鶴丸と話せない。電話といえど、彼と直接言葉を交わして、誤魔化せる自信がなかった。
 かと言って、やっぱり本当の事を打ち明けるわけにもいかない。そうしたらそうしたで、今度は髭切や膝丸に対して隠し通せる自信がないからだ。
 隠し通せなければ、死へと直結する。兄弟の、特に兄が言っていた事が耳の奥でこだまする。

『その時は殺そうか。今日死んでおいた方が良かったと、思えるくらいの殺り方で』

 その言葉を思い出して、思わず身震いした。駄目だ。絶対に言えない。けれど、それなら鶴丸に対してどうすればいいのだろう。
 もっと、嘘を演じきれるぐらい役者だったら良かったのに……そう悔やむも、自分の性格は嫌と言うほど自覚しているため、どうしようもない事は分かりきっていた。
 八方塞がり。どうにもやるせない気持ちが込み上げてきて、鶴丸に返信するでもなく、そのままベッドに倒れ込んだ。

 結局、ラインは翌朝に返信した。電話を取れなかった事への謝罪、私は無事だという事。それと、どうしてそのような不穏な問いかけをしたのか、なるべく明るく質問してみた。ライン上なら、いくらでも誤魔化しがきく。
 質問に加え、別れた後はあの二人と飲み直していたため電話に出られなかったのだと、嘘の理由も付け足した。それが嘘だと見破られようが、言い訳と捉えられようが、画面上の会話なら押し通す事ができる。
 そうして意を決して送信してみれば、忙しい朝だというのに、鶴丸からの返事は早かった。

〈そうか。思い違いならいいんだが〉

 その言葉に、心配をかけた事への謝罪を打っていると、途中で再びラインが入る。
 
〈まあ、何か悩みがあるなら早めに言えよ〉

 鶴丸の優しさに、嘘をついている事の罪悪感が胸に広がった。返信の早さから、もしかしたらずっと心配していてくれたのかもしれない。
 鶴丸、ごめん……胸の内でそう呟きながら、ラインの画面に彼への感謝の気持ちと、私は大丈夫だよ、と、心とは裏腹な言葉を付け加えて送った。

 鶴丸とそんなやり取りをしてから、数日が経った。その間、彼から飲みに行かないか誘われたものの、悩んだ挙句に仕事が忙しいから、という、なんともありふれた理由で断りを入れた。
 鶴丸のあの、何でも見据えてしまうような瞳で見られては、微かな動揺すらも隠しきれない。彼と飲みには行きたいのに、彼と直接話すのが怖い。その矛盾が胸中で渦巻く中、結局下した結論は、彼と距離を置くという事だった。
 その結論を出した途端、言い様のない孤独感に苛まれる。
 誰にも話せないし、相談できない。日常の生活から、友人から、隔離された感覚。
 自分で出した結論のくせに被害者意識のようで可笑しな話だけれど、どうすればいいのか、最良の答えを出す事なんて出来なかった。

 そんな事もあってか、最近は気持ちが沈む事が多かった。仕事中でさえ、心が沈んで暗い気持ちに呑み込まれそうになってしまう。一人でいる時なんて特にそうだった。
 特に、一人で帰っている最中なんて、他に意識を向ける事など出来ないぐらいだった。
 つまり、注意力が散漫していたのだ。自分の殻に閉じこもっていたせいで、危機感というものを全く持っていなかった。

 そのため、それに気づいたのは、人気のない通りに入ってからだった。

 無意識のうちに、淋しい道を選んでしまっていたらしい。こちらの方が近道だと、体が覚えていたからだろう。そしてそれを後悔したと同時に、背後に感じる気配に、悪寒が走る。
 誰かが、意図的に後をついてきている。
 歩調を私に合わせて変えているのは、すぐに分かった。ゆっくりにすれば後ろもゆっくりになるし、少し速めてみればそれに同調してくる。
 途端、恐怖に駆られた。明らかに狙われているその感覚に、速めた歩調をそのまま加速させる。走り出せば、後ろもそれに合わせて足音を速めた。

 疑いようがない。後ろの人物は、私を捕まえる意思を持っている。

 戦慄から上がる心拍数は、呼吸を苦しくさせる。似たような恐怖はつい最近味わったばかりだけれど、あの時とは少し違った。あの時は足音も聞こえず、ただただ殺されるという切迫感しかなかったけれど、今回は気持ち悪さを孕んでいた。
 捕まったら、何をされるのか分からない。殺されるのかもしれないし、別の意図があるのかもしれない。その不気味さが、怖れの気持ちに拍車をかける。

 どれくらい走ったのだろう。いつの間にか足音は聞こえなくなっていた。けれど止まる勇気なんてなく、息の続く限り、走り続けた。いよいよ苦しくて仕方がなくなり、足は止めずに後ろを振り返る。
 後ろには、誰の姿もなかった。
 上手く、逃げ切れたのだろうか。酸素不足の頭で考える。
 口に中は渇き切っていて、肺は呼吸の度に刺すような痛みを発した。全身が強く脈打ち、居残った恐怖が体を震わす。
 いつの間にか、住宅地に入り込んでいたらしい。そのため、後を追う事をやめたのだろうか。
 徐々にスピードを緩めれば、どっと疲労が襲ってきた。足に力が上手く入らず、もう走り出せそうにない。フラフラとした足取りで、とりあえず歩みを進めた。
 辺りへ目を配らせれば、閑散とした家並みが続いている。どこかの家を訪ねて、少しの間だけ匿ってもらった方がいいのかもしれない。事情を話して、警察なり呼んでもらうか、とりあえずタクシーで家まで帰るか……

 そんな事を考えていた、まさにその時だった。

 いきなり横から伸びてきた手に、腕を掴まれる。

 何事か咄嗟に判断出来ず、息を呑むのと同時に、手で口を塞がれた。
 そのまま、強い力で家と家の隙間に引きずり込まれる。突然の事に抵抗する余地なんてなく、体が強ばった。喉がひきつり、治まりつつあった恐怖心が膨れ上がる。
 壁と壁に挟まれた狭い隙間に連れ込まれ、街灯の明かりが届きにくくなっていく。
 口を塞ぐ骨張った大きな手と、背中に感じる筋肉質な体は、明らかに男性のものだった。私の力では抗えない。
 怖い、と、その感情だけが全身を支配する。

「静かに。大丈夫だから」

 しかし、耳元で聞こえたのは聞き覚えのある声だった。
 ゆっくりと、顔を少しだけ後方へ向ければ、すぐ近くに見知った顔があった。暗闇に慣れた目で認識すれば、予想もしていなかった人物に不意を打たれる。
 私を覗き込むように見た髭切は、目が合うと薄く微笑んだ。

「手、離すけど、静かにできる?」

 その言葉に頷いた。彼はそれを見届けると、そっと手を離し、そのまま少しだけ私から離れる。 
 目の前にいるのは、確かに髭切の姿だった。闇に溶け込みそうな、黒のパーカーを着ている。そのフードを深めに被り、そこから覗く顔は、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。

「髭切、さん?」
「うん。そうだよ」

 確認するように問いかければ、彼は笑いながら返事をした。その顔を見て、体の力が抜けていく。彼は、恐怖の対象でしかなかったはずなのに。それなのに彼を見た途端、何故か安堵感が身体中に広がっていった。
 ふと、髭切は私を見ていた目を見開いた。何かに驚いたかのような表情の変化に、どうしたのだろう、とこちらも目を丸くしていると、彼は唐突に手を伸ばす。
 思わず肩が跳ねたのも束の間、彼は親指で私の目元に触れた。
 いきなりの事に、体に緊張が走る。一体何なのか、理解が追いつかない私をよそに、彼はその親指を滑らすように動かした。

「よく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 柔らかい声が耳に届く。その声は、今まで聞いたどんなものよりも優しいもので。
 想像もしていなかった事に驚き、瞬きをすれば、涙が溢れる感覚がした。髭切は、もう一度私の涙を拭う。動揺しながら恐る恐る目元を触れば、指先が濡れる感触。
 その事に、とてつもなく狼狽えた。まさか、無意識のうちに泣いていたなんて。
 急いで目元を拭った。人前で、彼の前で、泣いてしまうなんて。
 目を擦る手は震えていた。怖かったというその気持ちが、堰を切ったように溢れそうになる。

「巻き込んじゃってごめんね」

 降ってきた言葉に顔を上げれば、髭切は眉尻を下げて申し訳なさそうな表情をしていた。そんな彼の言葉に、え? と疑問を漏らす。

「前に言ってたカルト集団の話、覚えてる?」
「はい……
「どうやら、相手側に僕ら兄弟を勘ぐられちゃったみたいでね」
「そう、なんですか」
「うん。で、君の存在も向こうに伝わってしまったみたいなんだ」

 まあ時間の問題だとは思ってたけど。そう続けた髭切は苦笑した。

「それでどうやら、向こうは君に狙いを定めたらしくて」
「え……
「危なかったね。捕まったら、何をされるか分かったもんじゃないよ」

 溜め息を溢すように言う彼を見ながら、言葉を頭の中で反芻する。
 目の前にいる兄と、その弟の存在が相手側に認識されてしまった。相手側──つまり以前言っていたカルト集団にとって、この兄弟は邪魔者でしかないはず。そしてこの兄弟と生活を共にする私の存在も、どうやら明らかになってしまったらしく、相手側は手っ取り早く私を捕まえようとしたらしい。
 そう理解した瞬間、背筋がゾッとした。髭切達が以前言っていた「生け捕り」を、私が、向こう側からされるところだったなんて。

「今日は油断しちゃったけど、もうこんなヘマはしないよ。だからもう、怖い思いはさせないようにするから」

 髭切は私を安心させようとしてくれているのか、その表情はいつもより柔らかさが滲み出ていた。けれどそこには揺るがない自信があり、頼りがいのあるものに見える。
 その姿に、その言葉に、不意に心臓が跳ねた。
 それは「飼っている」保護責任からだったり、私が捕まると彼らにとって不都合がある事からの発言だとは思うけれど、不覚にもドキリとしてしまった。
 そもそも恐怖の対象は目の前の彼だし、こうなったのもこの兄弟が根源だというのに。今はそんな負の感情を見つけられない程、目の前の彼は優しい雰囲気をかもし出していた。

「さて、そろそろ帰ろうか。弟の方も終わってると思うし」

 髭切は視線をふっと上へずらし、どこか遠くの方へ耳を傾けるようにそう言った。
 どうやら、弟は此処とは別の所にいるらしい。

「あの、膝丸さんは?」

 問いかければ、彼は視線を私に戻した。

「ああ。弟にあいつらの処理を任せてきたんだ。大丈夫、すぐ片付いたんじゃないかな」

 微笑をたたえた彼の顔に、少し冷淡な色がさす。けれどそれも一瞬の事で、彼はいきなり「それよりお腹空いたね。今日は僕が作ってあげようか」と小首を傾けながらそう言った。
 突然の言葉に数回瞬きする私を見た彼は、その笑みを深める。

「だから早く帰ろう」

 言って、手を差し伸べた。
 その手をつい凝視する。そしてその後、視線を上げて彼の顔を見やった。彼はそんな私を見て「ん?」と言葉を溢す。

「あ、もしかして歩けない? おんぶしようか?」
「え? あ、いや、大丈夫です、歩けます」

 どうやら、彼の手を取るか、おんぶしてもらうかのニ択らしい。
 恐々と差し出された手に自分の手を重ねれば、緩やかに包み込まれた。

「うん。じゃあ行こっか」

 手を引かれるままに、彼の後をついていく。
 視界に映る、私より大きな背中と、繋がれた骨張った手は、否応なく異性を意識させられた。 
 髭切と膝丸は、私を助けに来てくれたらしい。
 そこにどんな思惑があるにせよ、そのおかげで助かったし、先程の会話を思い出すとその優しさに胸が締め付けられる。
 触れる彼の体温はひんやりと冷たいのに、それに反して、私の体には熱が集まるのを感じた。



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