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大般若長光と津田遠江長光まとめ

全体公開 16 8466文字
2017-10-06 21:39:50

国宝長光について(/・ω・)/

国宝長光

書いている人のお気に入りの日本刀「大般若長光」と「津田遠江長光」についてまとめたものです(/・ω・)/
国宝長光はほかにもありますが、見て特に気に入ったお気に入り同士が歴史でなんか関連があったらうれしいなと勝手に絡めて書いてあります。
日本刀図鑑 (別冊宝島 2346)では大般若長光と津田遠江長光が上下に並んで写真が掲載されています(´ω`*)

●長光(ながみつ)とは
鎌倉時代に備前国(岡山県東南部)で活躍した刀工。長船派の隆盛の基礎を築いたとされ、薙刀(なぎなた)や剣の作品も現存している。長船派の祖といわれる光忠の子。また、景光の父といわれ、「長光・景光・真長」は『長船三作』と表される。
1274年(文永11年)~1304年(嘉元2年)に作られた刀があることがわかっている。現存作が多く、優れた作刀を数多く遺している点では、古刀期でも随一といわれる。長光は、国宝六口をはじめ、重要文化財、重要美術品を合計するとの計70以上の国の指定・認定品があり、その数はすべての刀工の中でも最も多い。
長光は作風の広さから複数人説が言われてきたが、現在は1人説が有力らしい。複数説としては長光には順慶長光と左近将監長光があるとされ、順慶銘の作は長光銘の作と大きく相違することから初代と2代の同名2代説などがある。
長光の作風は鎌倉中期ころには光忠に似た大丁子(おおちようじ)、蛙子(かわずこ)、丁子乱といった華やかなものだが、末期ころには直刃、小丁子に互の目を交えた穏やかなものが多い。


●国宝の長光
太刀 銘「長光」名物「大般若長光」(東京国立博物館)
太刀 銘「長光」名物「遠江長光」(愛知・徳川美術館)
太刀 銘「長光」(東京国立博物館)
太刀 銘「備前国長船住左近将監長光造」(岡山・林原美術館)
太刀 銘「熊野三所権現長光」(大阪・株式会社ブレストシーブ)
薙刀 銘「備前国長船住人長光造」刃長44.2cm。(静岡・佐野美術館)


●大般若長光(だいはんにゃながみつ)
太刀 銘長光(大般若長光)
作者:備前長船長光
時代:鎌倉時代・13世紀
刀種:太刀
刃長:刃長73.6cm 反り2.9cm
所在:東京国立博物館
区分:国宝(1931年12月14日重要文化財指定(旧国宝)、1951年6月9日国宝指定)
   国宝指定番号(登録番号)00001

華やかな刃文が見事な長光の代表作。長光が残した幾多の名刀中、最も有名で、父の光忠に匹敵する作風を示すといわれている。
「大般若」の号の由来は室町時代の代付(売買上の価格とは別に価値を示す目安)に由来するもので、室町末期の「天正本」と呼ばれる「諸国鍛冶代付之事」に記載された本阿弥家による名刀の値付け一覧において永楽銭で600貫と評価されたことから、600という数を大般若経の巻数(600巻)とかけてそう呼ばれるようになった。ちなみに大般若経(大般若波羅蜜多経)とは唐代の玄奘三蔵が大乗仏教の基礎的教義が書かれている長短様々な「般若経典」を集大成した全16部(会)600巻に及ぶ膨大な経典群である。
当時国綱、吉光が100貫、正宗が50貫という代付からも600貫が破格の代付だったことがわかる。当時の600貫とは江戸時代の300両に相当し、現代価格に変換するとおよそ3000万円。
足利義輝、織田信長、徳川家康などの手に渡り、長篠合戦の功績を称して奥平信昌に与えられ子孫に伝わり、武州忍藩松平家に長く伝来した。大正時代ごろに同家を出た後は山下亀三郎の手に渡る。関東大震災のときに倉庫の下敷きとなり曲がってしまったが、研師の吉川恒次郎により直された。伊東巳代治の元映ったのち、巳代治が亡くなると昭和16年に遺族から帝室博物館(現在の東京国立博物館)へ5万円で譲渡(当時東京都知事の月収が5300万円)、現在は東京国立博物館が所蔵している。

・作風
室町幕府ゆかりの名物として古来名高いもので、腰反り高く踏ん張りが強く、猪首切先の鎌倉時代中期の作刀ならではの豪壮な一振。刃文は大丁子乱に互の目交り、匂深く足入り所々に小沸付き金筋かかり、帽子乱込み、乱れ映り立ち、焼きに高低がついた絢爛豪華な作風を示す。刀身の裏表には棒樋が掻き通されている。茎(なかご)はわずかに切り詰められ、目釘孔は2つあり、目釘孔の上の部分には棟寄りに「長光」の二字銘がある。
拵えは、柄は黒の塗り鮫、目貫は舞楽の図、縁は赤銅、鞘は黒呂塗り。

・歴史
鎌倉時代に備前長船長光によりよりつくられる。
室町時代に代付け評価600貫の評価を受けたことにより「大般若」の異名を持ち、大名物と伝えられる。
元は足利義輝所持で、「小虎之太刀」とも呼ばれたらしい。秘蔵第一のものともいわれている。義輝が永禄8年(1565)5月19日に二条御所で松永久秀と三好三人衆(三好長慶の家臣で三好長逸・岩成友通・三好政康の3人のこと)に襲われ殺害された際に三好政康の手に渡る。伝来の古くは定かではないので諸説あるが、足利輝義が三好長慶に与えていたものが長慶に三好義継に伝わり松永久秀に献上された説や、義輝の後は久秀が所有し足利将軍家から強奪した名刀たちを織田信長に献上したともいわれる。
織田信長は元亀元年(1570)6月の姉川の戦いの功として、来援を謝して徳川家康に大般若長光を贈った。この時の家康の身分にしては過ぎたる名刀だったといわれる。姉川の戦いは浅井長政が織田信長に謀反を起こし、浅井家と朝倉家が結託して追い詰めたが、織田信長に徳川家康が加勢し、織田軍・徳川連合軍が勝利した戦いである。
徳川家康は天正4年(1576)に長篠の戦いの後には奥平信昌へ伝わった。武田勝頼に包囲された長篠城を守り抜いた奥平貞昌(後の奥平信昌)に褒美として、家康の長女の家の亀姫を正室に与えられ、徳川一門として扱われるようになった。その際に大般若長光も与えられたという。
信昌と亀姫の間に生まれた3男の忠政、子の忠隆に伝わったが早世したため、奥平信昌の4男の松平忠明(家康の養子のため松平姓)に伝わる。松平忠明は奥平松平家の祖で、大般若長光も同家に伝わり、1823年に直系9代目松平忠堯が武蔵国忍藩を治めるようになってから大正時代まで忍藩にあった。
大正時代に奥平松平家から、時代考証や刀剣鑑定に対して深い知識を持っていた松平頼平を通じて売りに出したものを、山下亀三郎(1867-1944)が他の刀と一緒に8万円ほどで購入したらしい。
大般若長光は大正12年の関東大震災のときには山下亀三郎の石造りの蔵庫の中にあった。大きな揺れによって石庫の倒壊がおこり、崩れた倉庫の下敷きとなって鎺付近が曲がってしまったが、研師の吉川恒次郎の手により元に戻ったという。
伊東巳代治は山下から大般若長光と包丁正宗をもらったと言っている。伊東巳代治が昭和9年に亡くなった後、長男の太郎は刀剣に興味がなく、困っていたらしい。細川護立の話によると、伊東巳代治は死後に皇室に献上したいと言っていた。しかし献上されることはなく、昭和15年(1940)遊就館の名宝日本刀展覧会には伯爵伊東治正(伊東巳代治の孫)所持となっている。昭和16年(1941)に遺族から帝室博物館(現東京国立博物館)に五萬円で譲渡された。


★補足★
『山下亀三郎』
慶応3年5月12日(1867年4月9日) - 昭和19年(1944年12月13日)
明治44年山下汽船(現商船三井)を創業。第一次大戦を機に外国航路に進出するなどして業績をのばした。事業の傍ら、郷里愛媛県に高等学校を設立するなど公共事業もおこなう。また東条・小磯内閣の内閣顧問として、海上輸送力強化につとめた。勝田銀次郎、内田信也と並ぶ三大船成金の一人。
多くの美術品を蒐集していた。

『伊東巳代治(いとうみよじ)』
安政4年5月7日(1857年5月29日) - 昭和9年(1934年)2月19日)
兵庫県訳官を経て明治新政府に出仕。明治15年(1882)伊藤博文の欧州憲法調査に随行、帰国後伊藤の秘書官として明治憲法起草に参画。22年(1889)以降、首相秘書官、枢密院書記官長、貴族院勅選議員、第2次伊藤内閣書記官長、第3次伊藤内閣農商務相、枢密顧問官等を歴任。その間、東京日日新聞社社長も勤めた。枢密院の重鎮として、昭和初期まで政界に影響力を行使した。
非常に緻密な人だったらしい。愛刀家で刀剣は600くらい持っていたらしいが、全て台帳に番号で管理していた。鶴丸国永と作者を同じにする五条国永も所持していた。この刀は現在は森記念秋水美術館が所蔵している。盆栽の収集家としても有名で、小泉策太郎が所持していた神保長光という刀を盆栽約30鉢と交換したという話も残る。

『大般若長光が曲がった話』
昭和40年ごろの「刀剣と歴史」(日本刀剣保存会発行)でとある研師が吉川恒次郎氏のこの体験について触れているらしいです。「タメ木」という刀剣の曲がりをなおす道具を使って「ポッキリ」と音がしたとおもったら、折れたのは刀ではなくてタメ期のほうで名刀の強靭さに驚いたらしい。現在の刀剣を見ても曲がった形跡は全くわからなかったです。ちなみに吉川恒次郎は宮内省御用掛も務めた凄い研師なのです。
新修刀剣美術合本2巻の中で大般若長光が関東大震災の際に山下氏の元にあったことの記述があります。

『長篠合戦などの資料』
徳川御實紀に「備前長光の刀をおくる」といったことだけが書かれているそうです。武徳編年集成などを参考にするとその刀が大般若長光だったことがわかったとのこと。

『包丁正宗』
大般若長光と共に長く過ごしていた刀剣がある。現在永青文庫が所蔵している国宝の包丁正宗。
安国寺恵瓊が所持していた短刀で、関ヶ原の戦いの後に奥平信昌が家康のもとに逃げていた恵瓊を連れて行き、彼の所持していた短刀も差し出したが、褒美として奥平信昌に与えられた。大般若長光と同じく信昌から四男の松平忠明に伝わり、忍藩の松平家に伝来。山下亀三郎が所持、のち伊東巳代治の愛刀となった。江戸時代~昭和まで同じところにあった。しかし、昭和11年(1936)7月の伊東家の売立で14700円で落札され、細川護立候爵が所持。現在も細川家の永青文庫が所蔵している。

参考文献
『薫山刀話』1974 本間順治
『日本刀大百科事典』1993 福永酔剣
e国宝 http://www.emuseum.jp/top?d_lang=ja
文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192513
文化庁国指定文化財等データベースhttp://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.htm
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
鋼月堂https://kougetsudo.info/nagamitsu/
刀剣一夕話(大正4)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/955044/57
長篠実戦記(大正6)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/960812/105
紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜(昭和15)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139254/192
刀剣鑑定秘話(昭和17) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125197/116
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125197/130


●津田遠江長光(つだとおとうみながみつ)
太刀 銘長光 名物津田遠江長光
作者:備前長船長光
時代:鎌倉時代・13世紀
刀種:太刀
刃長:72.4cm 反り2.1cm 中心長21.5 cm
所在:徳川美術館
区分:国宝(昭和16年(1941年)9月24日重要美術品指定、尾張黎明会所蔵。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定→昭和29年(1954年)3月20日国宝指定)
   国宝指定番号(登録番号)00147

重花丁子に蛙子丁子を交えた華麗な刃文を焼き最も華やかな作として知られる。古くは単に「津田遠江」といわれていた。津田遠江守重久が所有していたことが名前の由来。
津田重久は足利義昭、明智光秀に仕えていた人物で、本能寺の変では、織田信長の籠る本能寺を攻める明智軍の先鋒を務めた。山崎の戦いで羽柴秀吉によって光秀が敗北後は逃れたが、翌天正11年(1583年)に赦されて秀吉に仕え、豊臣秀次の付属とされた。文禄3年(1594年)8月に重久は遠江守となり津田遠江重久となった。
織田信長所持の頃には反りが特に高いことから「海老背長光」とよばれていたともいわれるが、本刀は反りがあまり高くないため誤りとされている。
津田家から前田家に献上され、前田家から徳川綱吉に献上。尾張藩主の徳川義通が拝領し、以後同家に伝来。現在は公益財団法人徳川黎明会が運営する私立美術館の徳川美術館が保管している。

・作風
この太刀は姿がよく、地刃共に健全で、同作中華やかさにおいては大般若長光に並び、健全さにおいてはこれに勝るといわれる。地鉄は板目肌に、乱れ映り続く。刃文は蛙子まじりの丁子乱れ。特に中ほどから上は大房丁子の乱れが華やかで、見事な刃紋の中でも特に見どころとなっている。磨り上げ、目釘孔3個、「長光」と二次銘。

・歴史
鎌倉時代に長船長光によりつくられる。
織田信長の所有より前は不明。織田信長の愛刀で、佩刀していたともいわれる。
天正10(1582)6月2日の本能寺の変の後に明智光秀が安土城より奪い、家老の津田重久に与えた。山崎の戦の後に罪を許された重久は豊臣秀吉に仕え、津田守となる。仕えていた豊臣秀次の自害の後は越中富山城主だった前田家2代の前田利長に抱えられた。重久から利長に献上とも、重久の子から利常に献上したともいわれる。1627年には前田利常から本阿弥家へ鑑定にやってきていることからそれ以前には前田家の所有となっていた。
前田家3代利常から5代将軍綱吉に献上されて、徳川将軍家の所有となった。(1707年に前田綱紀から徳川綱吉に献上したともいわれ、前田家から徳川将軍家への経緯は諸説ありますが、現在所有する徳川美術館の資料を参考にしています)
宝永6年(1706)に6代将軍家宣がはじめて入国する挨拶に来た尾張家4代吉通に下賜し、以後は尾張徳川家に伝来した。尾張徳川家初代藩主の義直から代々伝わる大名道具を収蔵した愛知県の徳川美術館が所蔵している。

徳川美術館の持っている尾張徳川家の収蔵品には、江戸時代からずっと書き続かれた蔵帳という物の管理記録みたいなものが全部で550冊あり、道具の歴史がしっかりと書き残してあります。その記録の中に「津田遠江長光」についての歴史も書いてあるそうです。

参考文献
『薫山刀話』1974 本間順治 
(尾張徳川家の話で真っ先にでてきたけど「いい刀ですか?」「いい刀です」くらいしかなかった
『日本刀大百科事典』1993 福永酔剣
文化遺産オンライン http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192513
文化庁国指定文化財等データベースhttp://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.html
名刀幻想辞典 http://meitou.info/
紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会出陳刀図譜(昭和15) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/96
天下人の城~徳川美術館応援団~http://tokugawa-shiro.com/829
詳註刀剣名物帳 : 附・名物刀剣押形(大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951684/96

●国宝長光展示記録 ※情報集め中(・ω・)ノ
じつはんまり一緒に展示されたことがないのである(´・ω・`)
手持ちの資料で確認できたのが日本の武器武具展以降がない

1940 「紀元二千六百年奉祝名宝日本刀展覧会」遊就館
 津田遠江長光 大般若長光 
1976「特別展 日本の武器武具」東京国立博物館 10月5日~11月23日
 津田遠江長光 大般若長光 
(205津田遠江長光、206大般若長光と並んで展示されていました!!!)
1997「日本のかたな」東京国立博物館 10月14日~11月24日
 津田遠江長光
2000文化財保護法50周年記念「日本国宝展」3月25日~5月7日
大般若長光
2007「大徳川展」東京国立博物館10月10日~ 12月2日
津田遠江長光
2009「侍の芸術展」メトロポリタン美術館
大般若長光
2011一般展示 東京国立博物館 1月2日~3月13日
大般若長光
2011「名物刀剣宝物の日本刀」根津美術館・富山県水墨美術館・佐野美術館・徳川美術館
 津田遠江長光
2013「備前刀の系譜展」徳川美術館 6月1日~7月21日
 津田遠江長光
2014 東京国立博物館にて展示 2014年11月18日~ 2015年2月15日
 大般若長光
2015「没後400年 徳川家康 -天下人の遺産-」徳川美術館 8月1日~9月13日
 津田遠江長光
2016一般展示 東京国立博物館 3月15日~5月29日
 大般若長光
2016「信長・秀吉・家康 -それぞれの天下取り-」徳川美術館 7月14日~9月11日
 津田遠江長光
2017「天下人の城」徳川美術館 7月15日~9月10日
 津田遠江長光

(/・ω・)/「アメリカのメトロポリタン美術館『Art of the Samurai: Japanese Arms and Armor』展では大包平、水龍剣、鳴狐、厚藤四郎、大般若長光、へし切長谷部、大保昌、中務正宗、包丁正宗、寺沢正宗、松井江、戸川志津、大仙兼元、加藤国広などの名刀が渡米しました」



・「刀剣乱舞-ONLINE-」と大般若長光(おまけ)
大般若長光と大包平ははじめて日本刀のために東京国立博物館へ行った時に会った日本刀でした。
その後の展示で何度も見ていつの間にか好きな刀になっていた大般若長光。
ずっと実装してほしいと言っていたのですごく嬉しかったです(*^▽^*)

2017.10.13 公式Twitterより画像一部公開
2017.10.21 公式Twitterより新刀剣男士大般若長光の正式発表
2017.10.18 イベント「江戸城潜入調査」にて大般若長光実装、確定報酬(イベント期間2017.10.18~2017.10.31)


刀剣乱舞では長光は小豆長光という刀も登場しています。
小豆長光は上杉謙信が持っていたという太刀で、実在したかは不明といわれています。
長船派の刀剣男士は燭台切光忠、小豆長光、小龍景光、謙信景光が登場しています。


ほかにも刀剣関連・池田家関連などの資料をつくっております(/・ω・)/
http://privatter.net/p/2801451


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